そのタルトは敗北の味

第4話 百通りのケーキセット

 店員を満足させるような振る舞いをすること。

 それが自分の勝利条件。 


 密かな闘志を胸に、今日のところは案内された壁際席で我慢した舞音まね

 しかしこの勝負は、彼女の惨敗に終わった。


 彼女が惨敗に至るまでの経緯を、順を追って説明しよう。


 舞音にメニュー冊子を手渡した店員は、軽く会釈をすると舞音の元を離れた。その直後、彼女は冊子のページを開き、パラパラとめくり始める。彼女は慎重に商品を見定めようとした。ここでの選択は、今後の勝負の行方に大きく関わる可能性が高い。間違ってもミルフィーユのように、美しく食べ切るのが困難なものを注文すべきではない。


 しかし舞音は、なかなかメニューの内容に集中できなかった。というのも、あの店員はもう立ち去った後にも関わらず、終始、どこからか視線を感じるのである。堪らなくなった彼女は、メニューを見ているふりをしながら、こっそり横目で確認した。


 すると視界の端では、先ほどの店員が、数席向こうのテーブルを片付けながら、こちらの様子を厳しく監視していた。


 いや、その店員だけではない。別席で注文を取っている若い店員も、会計を任されている女性店員も、みんなが時折、舞音の方に視線を送り、その一挙一動を厳しく審査している。少なくとも彼女はそのように感じた。


 落ち着かない。

 すこぶる落ち着かない。


 舞音はいよいよ、メニューの内容が全く頭に入らなくなった。しかし、ここであまりに長考するのも、粋な振る舞いとは言えないだろう。仕方がないので、彼女は適当に開いたページに大きく写真が載せられていた紅茶とケーキのセットを当てずっぽうで選ぶと、近くにいた店員を呼び寄せた。


「ご注文をお伺いいたします」


 彼は黒革のケースに包まれた電子手帳を片手に言った。これで注文を記録するのだろう。舞音は店員に向けて、開いていたメニューのページを示した。


「この紅茶とケーキのセットを一つ、お願いします」

「ケーキセットお一つですね。紅茶の種類は何に致しましょうか」

「えっ」


 思いがけない質問に、彼女は慌ててメニューに目を走らせた。するとページの下の方に『紅茶は以下の十種類からお選びいただけます』と書かれている。そしてその下には、聞いたこともないような紅茶の名前が、呪文のように並んでいた。


 たかが十種。されど十種。

 焦りが募った彼女にとっては、選択肢が多すぎた。


「ええと。じゃあ、このニギルリで」


 彼女は目に入った紅茶名を適当に指差し、読み上げる。すると店員は単調に電子手帳を操作した。


、ですね。かしこまりました。ホットとアイスがございますが、どちらになさいますか」


 言い間違いに気づいた彼女は、顔から火が出そうになった。できることなら、この店員との会話を今すぐ切り上げてしまいたい。彼女は本気でそう思ったが、店員はじっと答えを待っている。


 舞音は注文を続けた。


「ホットでお願いします」

「レモンやミルクも無料でお付けいただけますが、どうされますか」

「じゃあ、ミルクで」

「失礼ながら、お客様。ニルギリにミルクは合わないかと」

「じゃあ、レモンで!」


 後半は、すでに投げやりである。しかしこのあと、店員はさらにケーキにも十種類の選択肢があることを告げ、舞音に目眩に似た感情を起こさせた。


 彼女は思わず、店員に助けを求める。


「あの、オススメのケーキってありますか・・・・・・?」


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