今回は、いつもに増して熱量を感じました。
自分の好きなことや、自分の理解できることへと変換して受け入れる。それは楽だし、心地の良い生き方なのは確か。
私も昔はそうだったので、今回はとても胸が痛かったです。
犀川よう様の仰るように、受信の能力は本当に大切なことだと思います。
何も考えず書いていたときは、よく「こんなステレオタイプのキャラクターばかり。いったい誰が読みたいと思うの?」と怒られました。
自分の好む部分、自分の予想や憶測の範囲のみで、楽にインプットしてきた結果は、そういうキャラや、世界観しか出来ません。(薄っぺらい)
逆に自分では理解できない考え方、思考、思想や言動は、キャラや物語の作りに、とても役立ちますしね。完全に理解する必要はなく、そういう考えもあるのだと、わかることが大切なんですね。
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます。
表現というのはやはりお客ありきですので、どうしても見る人の目を意識しながらも自分を追求していかなければなりません。
難しいですが、そこにある種の個性を発揮できれば面白いものになるのではと思います。
編集済
まさに最近、そのことについて考えていました。
私は他人に共感しているつもりでも、実は他人の立場を想像して、"自分の価値観"で物事を見てるだけなんじゃないかと気づいたんですよね。
他人の価値観をそのまま受容しよう、その人の立場で考えるのではなく、その人そのものになろうと意識してから、
読書がすごく面白くなりました。
本当の読書には、自分という意識は存在しなかったんですよね。
本当の共感や感情移入とはこうなのかと、つい最近、感動しました。
作者からの返信
こだわるのであれば、登場人物ひとりひとりの人生を反映させた行動理論をもって書かねばなりません。そのあたりにどう納得して考えていけるか。このあたりにプロ意識が問われるかと思っております。