英語の会話の話なのですが。発音しないrをあるものとして発話する人と、わからず発音にでないのだからどうでもいいではないか、という人の発話では実際違って聞こえるんだ、という話を思い出しました。
電話の受け答えで、どうせ姿は見えてないのだから言い方だけ丁寧にしておけばいいんだろ、みたいな人と、見えてないのはわかった上で深々とお辞儀をする人で、伝わり方は違う、みたいな。
でも、その一方で超絶技巧で読まされてしまうのも好きだったりするのが、正直自分でも自分の好み把握してるのかよくわかりませんw
作者からの返信
こちらにもコメントありがとうございます。
結局はその人の思想や思考ということになるのかもしれませんね。
私は純文学で小説にハマりました。
読んでいて「そう、そう!」と、その当時読んでいたジャンルの中で、1番感情移入できたからです。
『あるある』というか、誰しもが持っている心の葛藤とか、不条理とか。
あぁ、この気持ちを抱えているのは、自分だけではないと、救われたことを覚えています。
仰るように、技術や読んだだけのものでは、人の感情を揺さぶるのは無理なのだと思います。
だからなのでしょう。年を取って(経験が増えて)から読むと、全く異なった印象になる読み物もありますよね?(私の場合は『星の王子さま』でした)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしも元橋さんと同じ純文スタートで同じような感想をもちました。
仰る通り、何度も読み返せて解釈が変わっていく小説が書けるといいなあ、とわたしは思っております。
ありがとうございました。
今回のお話しが刺さりました。ありがとうございます。
いい年になってきてなるべく感情を抑えて、周囲がうまくいくように立ちまわってました。小説でも辻褄合わせだけにフォーカスしていたり。物語はそれでは面白くないですよね。
自分の感情を大事にして、登場人物に気持ちを入れて小説を書いていこうと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
現実はまわりとの歩調や年齢なりの振る舞いを要求されますが、自分の小説くらいはバーンと自意識を出したいものですよね。