第9話 基礎の見直し3
十三、喜怒哀楽を表せますか?
小説の中ではありません。あなた方自身がです。
どんなジャンルの小説でも人間はおそらく登場するでしょう。魅力的なヒロイン、嫌な気持ちにさせる悪役、イケメンや美人、性格の悪い女など、様々なキャラクターが登場して個性的な言動をしていくと思わられます。
ですがどうでしょう。あなた方自身はキチンと喜怒哀楽を表現できているでしょうか。
お察しの通り、この話は小説の技術的な話をしているわけではありません。登場人物の感情の源泉たる、あなた方の感情の豊かさを問うているのです。口酸っぱく言っておりますが、作者たるあなた方の経験力によって作品は豊かにも貧困にもなります。感情表現でもしかりです。
あなた方がイメージできないことは小説に書くことはできません。文字面で書けるかもしれませんが、それは読者からみれば、上滑りしたものに捉えられて幻滅されてしまうポイントになってしまいます。いかにキャラを立たせるか。既存の作品のテンプレに倣うのも結構ですが、まず「オリジナル」たるあなた方自身の感性を鍛えるべきでないかというわけです。
わたしは主に恋愛ものを書いているのですが、読者側に回れば、小説で読んだ程度の恋愛話なのか、作者が体験した恋愛話がベースになっているのかはそれなりにわかるものです。あなた方とてそれくらいの見分けはつくはずです。その中で、「フィクションなのだから、恋愛しようがしまいが作品には関係ない」と思うのか思わないのかで本作の指向する価値観を共有できるかが決まるわけですが、それとは関係なく、ひとつの課題として「恋愛経験における喜怒哀楽の有無」という点は、避けては通れないと思うのです。本当に人を好きになった苦しさ、嫌われまいと努力してきたいじましさ。相手にわがままをいいたくなるような気持ち。嫉妬や失望、悲しみや怒り。あらゆる感情を知っている人間でなければ書けないものがあることは、認めざるを得ないと思います。
寝取られものを書くために、寝取られる経験をする必要があると言っているわけではありません。あなた方の実生活で見てきた喜怒哀楽の蓄えと、自分が喜怒哀楽を表せる訓練をすることによって、より豊かな小説が書ける、ということを申し上げたいのです。
これらは小説の中の話から得られるものではありません。あなた方がひとりの人間として心と感情をフルに駆使して入出力を繰り返すことによって得られる力です。小説を書いているとどうしても内向きで外出しなくなるものですが、散歩でもいいですから外に出て、他人の喜怒哀楽を観察してみてください。
何よりも一番大事なのは、あなた方自身が喜怒哀楽を出す練習をすることです。鏡に向かって笑う、怒る、悲しむ、楽しむ。そういう訓練は必ずあなた方の小説の筋肉になります。異世界ファンタジーであろうがSFであろうが、大抵の作品には人間は存在するものです。あなた方は登場させるだけの人間分の喜怒哀楽を産み出さなければいけません。
そんなに深刻な小説ではなくとも、正ヒロインの笑いと負けヒロインのそれは一緒でしょうか。幼馴染の怒りと、友人のそれは同じ質でしょうか。作中でそういう細かい差配をするかどうかではなく、できるかどうかの力を今から蓄えてほしいとわたしは考えております。
十四、愛がなくては言葉は伝わらない。
人生経験の少ない若い人ほど陥りやすいことなのですが、「言葉の質」というものを知らないで「言葉の内容」で理解させられると錯覚してしまうことがあります。平たく言えば、正論を言えば正しいことを言っていると思ってしまう、ということです。
何も難しいことを言っているわけではありません。あなた方にだって、同じことを言われて耳を貸せる相手とそうでない相手がいると思います。そこにはどんな違いがあるのか、ということを言っているだけです。
簡潔に言えば、「愛を感じる」ときには言葉を受け入れる用意があり、そうでないときにはどんな正しい理屈もあなたの心を動かすことはない、ということです。合理性や正当性で納得しているつもりかもしれませんが、人間はそんなに賢い生き物ではありません。つねに感情というフィルターを通して判断をしています。
夫婦生活も同じで、互いが互いに「言葉で言わなくてもわかってくれる」と思っているうちに心が離れ、破綻への道を辿っているパターンはよくあることです。どちらかが相手に愛を示し続けることを軽視すれば、もう一方も同じようになるものです。言葉や文字というのはツールであって、コミュニケーションの真髄は心の中にある感情です。それを無視して生活を続けていくとどうなるのか。夫婦生活を知らなくとも、なんとなく想像がつくのではないでしょうか。
小説も同じことです。言葉を並べれば読者に通じるのか、自分の喜怒哀楽がないものをつらつらと書いて相手の心を動かせるのか、ということです。公募に出してるけどなかなか結果がでない人は、物語を綺麗に書ける能力や技術はあっても、そこに乗せる感情が乏しくて、読者の心を動かすに至らないのではないかと疑ってみてほしいのです。いくら技術を向上させようとも魂のこもっていない文章に読者は反応してくれません。別に一文一文全部が気合を入れた文章である必要はありません。そんな暑苦しい小説はそれはそれで倦厭されるでしょう。大事なのは、喜怒哀楽を表すべきところできちんと表現できているか、そして、登場人物同士が(とても臭い言い方ですが)「愛のこもった」会話で互いを納得させているかが大事だということです。
上手いけれど、グッとはこない小説。ある程度書くことが上手になると、そういう小説を書いてしまうものです。読者の感想がつねに「面白いけど、おしいんだよなー」というような、合格ラインを越えてくれない作品をこれ以上生産しないためにも、喜怒哀楽を自分自身が表現できように心を豊かにする訓練を始めてほしいのです。
今回はこれくらいにしましょうか。しばらく根性的な話をしてきましたので、感情についての話にしました。いつの日になるかわかりませんが、本髄に迫れる日が来ましたら、「作者は役者でなければならない」という話を書いていきたいと思います。それまでに自分の心を動かす訓練をしてみてほしいと思います。
(続)
☆お知らせ☆
自主企画「第一回 さいかわ卯月賞 テーマは「春」」を開催しております。わたしが選者をいたします。(参考作品としてわたしも出しています。)
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093074716315948
「いつも偉そうに講釈を垂れている犀川に、小説のなんたるかを見せてやろうぞ!」という、腕に覚えのある方はいかがでしょうか。皆さまのご参加をお待ちしております。(くれぐれもルールをキチンとお読みの上、ご参加くださいね)。
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