第16話 基本の話3
二十二、受信能力を高めるⅠ
商業デビューあるいは二次選考を通過すること目的として本作を読んでいるあなた方は、大なり小なり作家として活動をしている。わたしもこのような御大層な書き物をしつつも、物書きの端くれとしてカクヨムで書いている。「表現をする」という魅力には、なかなか抗えないものがあるからだ。
何かを創作する、表現する、主張する、というアウトプットは作家として非常に大切な能力であるが、それ以上に楽しみであることは間違いない。そもそも人間というのは何かしら主張をすることで、自分という存在を安定させたい生き物なのだ。
さて主題であるが、残念なことに我々アマチュア作家のほとんどは送信過多である。どちらかというと自分の考えや創作を世に送り出し、読者から賛辞を得たい生き物だからだ。それは決して間違ってはいないし、それが楽しくて、嬉しくて、創作をする原動力になっていることは疑いようがない。わたしとて、褒められるのが嬉しくて書き続けていることについては、完全に否定する事はできない。
しかしながら、あなた方はそんなぬるま湯に浸かっている余裕はない。一人孤独に長編を書き上げ、公募やコンテストに出さなければならないのだ。おそらく、読者ゼロの(あるいは下読みすらされない)世界に身を置かなければならない。「俺は、わたしは、こういう世界を描いている! きっと誰かに理解されるはず!」と思いながら書かないと、やってられない事もあるかと思う。
送信ばかりしていると、望んでいるリターンがないことに絶望するようになってくる。しかし、ここで立ち止まって、自分に一度問いかけてみてほしい。「では、自分は他の人の話をきちんと聞いていてるのだろうか」と。
前々回の話で「相手があってナンボ」と書いたと思うが、今回はもう少し踏み込んで受信能力について話をしてみたい。
まず、わたしの言っている受信能力とは、「読書量」や「読解力」という本や創作物への受信能力のことではない、では何かと言うと、「他人の考え方」への受信能力である。自分の「ああ思ったこう思った」はそれこそ余計な位に湧いてくるものであるが、人の「ああ思ったこう思った」について、あなた方はどれだけ耳を貸す事ができるだろうか、ということだ。
もちろん、人間誰でも自分に余裕があるときには人の話を受け取る用意があるものだ。しかしながら、一番大事なのは、「自分に余裕がないとき」、そして、「自分自身に考えがあるとき」だ。ここに対する受信能力について、あなた方は恐らく無防備であるだろうから、話をしておきたい。
大抵の夫婦喧嘩は本当にとてもささやかな理由で起こるものだ。ゆで卵の剥き方だったり、掃除機のかけ方だったり、子供をお風呂に入れる順番だったりと、他人からみれば「どうでもいい」ことを争っている。しかもお互いに自分なりの考えやイメージがあればあるほど譲る事ができない。これは非常に大事な点なのでくれぐれも聞き逃さないでほしいのだが、「人間は自分に考えがある時にこそ、争いがおこる」ということだ。そして、受信能力どころか、受信機能を遮断やマスクをして聞こうとしなくなる。こう説明すると、あなた方は「自分はそんなことはない」と思うだろうが、「そんなことはない」ということは「そんなことがないという考え」を持っているから、いかにわたしがここに深刻な問題があると主張しても、我が身の話として理解することはできないのである。もはや禅とかスピリチュアルな話の域に聞こえるかもしれないが、わたしは物書きであり技術屋であるから、常に理由や根拠のあることしか話すことはしない。
わたしはよくキャッチボールの話をする。これはなかなか真剣なたとえであると思っている。常に自分だけではなく相手がいて、相手が受け取れるためにどうすればよいかを考え、相手からもらった球(感情)に対してどう反応すればよいかを要求される。キャッチボールは人間としてのコミュニケーションの底辺であることは疑いようがない。であれば、その表面的な活動である物書きなどは、キャチボールについて、もっともっと重要視するべき行為ではないかと考えているのだ。
でいながら、残念ながらわたしを含む人間というのは、自分の考えを持った瞬間、あっさりと受信能力を発揮しようとしなくなる。善意とか真剣とかそんな理由など関係はない。自分が真剣に考えているのだがら相手の意見を受け容れない理由にはならない。こうして文字面で説明されれば、当たり前なことのように思えるだろう。しかしながら、あなた方はすべての状況においてちゃんと受信を出来ているだろうか。当然ながら出来てはいないだろう。わたしどころか人間という生き物には、そもそも無理な話なのである。であるならば、あなた方は注意するしかない。自分の考えがある時ほど落とし穴にハマるということを。
受信能力を高める方法は言葉にすれば簡単だ。自分の考えを捨てる事である。もはや修行の世界であるが、そこに目覚めることができれば、あなた方は好奇心だけで色々なことを受け取ることができるようになる。自分から無理矢理手に入れるのではなく、向こうから親切に結果がやってくるようになる。
作家というのは役者であり、思想家であり、そして医者でなければならい。まずは相手の訴える症状をそのまま受け取り、科学的手法で分析し、対処を考える。物書きも同じだ。物事や人の感情をそのまま受け入れ、咀嚼し、文字に起こす。最初からこうであろうという思い込みが全てを駄目にする。だから、わたしは物事や相手に向かい合うとき、医者になった気持ちで、丸椅子に座る患者役の小さな女の子と会話を試みる。「どうしたの?」という問いかけに小さな女の子は上手く答えられない。「きっとこうなんだろうな」という先回りは禁物だ。そんなものは血液検査すればわかることだ。まずは目の前の女の子に向き合う。現実というのは厳ついクレーマー患者を相手にしなければならない。だからこそ、心の中だけでも自分の考えを捨てられる少女をイメージして語り合おうとする。キャッチボール、キャッチボールと呟きながら。
前回は勉強、特に取材についてあなた方にするように勧めた。しかしながら、上記のような受信能力がなければ取材しても得るものがないのは理解できるだろう。問題はない。人間なんてみんな揃って愚か者だ。真に懲りて過ちを償いたいと思わない限り、変わらない生き物だ。それでもわたしは、他の便利で優しい創作論を横目にして、あくまでも人間としての基本から語っている。わたし自身が一番馬鹿馬鹿しい存在であると懲りているからだ。せめて、あなた方よりずっと前に罪を犯してしまった人間の懺悔として、他山の石として、あなた方の肥やしにしてくれればと願うばかりである。
今回はここまでにしましょう。プロとしての仕事とは、つまるところ話す事ではなく聞く事です。そこに一定の理解を持って前へと進むことを願っております。
☆お知らせ☆
自主企画「第一回 さいかわ水無月賞 テーマは「雨」」を開催いたします。わたしとゲスト選者二名が選者をいたします。
https://kakuyomu.jp/user_events/16818093078387055933
短編公募の練習やカクヨム甲子園の前哨戦としていがでしょうか。学生さんや高校生以下の方も大歓迎です。。ふるってご参加くださいませ。(くれぐれもルールをキチンとお読みの上、ご参加くださいね)。
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