応援コメント

第4話 基礎の基礎の見直し2」への応援コメント


  • 編集済

    はじめまして。
    拝読して、コメントも読んだ上で考えたことです。

    培った経験は知識として積もっていく。

    ということだと思っています。
    人間は経験したことは記憶に保存されて知識として引き出せるけど、経験していないこと(できないこと)は未知の領域になる。想像力で多少は補えるけど、経験知に優るものはない。
    ということなのかなと。
    だから過去の文豪と呼ばれる人たちは兼業作家だったり、新聞記者や出版社で働いていたりしたわけで。

    SFやミステリーに関して言えば、個人での経験は確かに積めない未知の領域だけど、ニュースやメディアでいくらでも知識(疑似体験)を手に入れることはできる。
    つまり、広くアンテナを張り巡らせておけば、ミステリー殺人やSFも書けるということなのかなと。いくらかは想像力で補わないといけないけども。あと論理的思考実験とかも。

    いい小説、ジャンルを超えた小説が書きたいならば、ニュースやメディアを凝視なければならない。

    とも思っています。
    端的に言うと、情報ソースを漁る、ということですね。



    これは私事ですが、最近、今まで書いてきた短編から長編へリライトするという試みを始めました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね。経験というのはすべてが活きるわけではありませんが、しないことには考えられないこともあります。とにかく物書きとして好奇心をフルに活用すればいいのではと思う次第です。
    ありがとうございます。


  • 編集済

    ここまで読んで非常にためになりました。
    うん、自分にはまだまだ覚悟が足りてませんでしたね……

    自分はもう50超えのオッサンですが、人生の記念に一冊でも書籍化できればなんて思ってましたが、
    世の中には才能あふれる若者たちがギラギラした目で鎬を削っているんですから、「記念に」なんて言ってる時点で甘々なんですよねぇ。

    ちょっと救われたのは今回のお話、十全とはいかなくてもほんの少しは実践できている事ですね。
    ふと思いついたネタをメモするのは大事でよくやりますし、今はスマホにポチポチとメモしてます。
    また人生で経験してきた事なんかを小説に落とし込むのもよくやりますし、脳内に物語の元なんかもいくつかストックしたりしてます。
    問題はそう言うのを「面白く」描けない事なんでしょうね。

    もっと精進せねば。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    商業は需要と供給の問題があってチャンスという運に恵まれるかどうかが大きく左右されるものですが、今の自分というものを磨いて商品価値を上げることはでるのではないかと考えております。十代には十代の五十代には五十代の人生があるように、小説もその人らしいものがあると思います。
    プロットを増やすことで、そんな自分の表現方法が広がる事をわたしは期待している次第です。
    ありがとうございました。

  • お話を書くのは嫌いじゃないけれど、プロットが書けなくてこれは仕事に出来ないなと諦めた人です。
    そもそもプロットないと編集者さんとも事前に打ち合わせもできやしませんですしね。必要なのは分かってるんです。出来上がるモノをブレさせないために、大事ですよね仕様書。まあ、仕様通りに作れるかどうかはまた別問題で、作る人にとって胃が痛くなる話なのですが。

    原稿料でザギンでシースー、憧れますけど、自分には無理でしたわー。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    みなさんプロットを神格化しすぎているような気もいたしますが、やはり複数人で作品を仕上げていくのには仕様書が必要になりますね。

    わたしは締切のストレスで書き続けることができなくなってギブアップいたしました。締切の中、商業誌を書いている皆さんは尊敬しかありません。

  • 所々に出てくる美味しいご飯というワードがほっこりいたします。
    厳しいテーマながら大変読みやすく面白いです。

    作者からの返信

    ありがとうございます。やはり作家としてお金を稼いで美味しいご飯を食べられることは大事ですからね。

  • 言いにくい事をズバっといってくれてありがとうございます。スカッとしましたw

    たまに、冗談じゃなく真剣に、
    『経験しないと書けないのであれば、SFやミステリー殺人は書けない』。みたいな論を展開する人がいますが、あれは見るたびに胸が痛くなります。
    多分、こういう主張が蔓延っているのは、
    誰か偉い人が冗談で『経験しないと書けないのであれば、SFやミステリー殺人は書けないだよ〜』的なことを言ったのが始まりなのだろうとは思うのですが、これが所謂バカ騙しとか篩い落としだと気づかずに、言葉通り受け取って支持している人のなんと多いことか。

    殺人を描くなら人を殺すべきだとは言わないにしても、僕が知るプロの人は、一人残らず、みんな驚く程経験を重要視していました。
    この回のテーマをここまで語らねばならない時点で、カクヨムというフィールドは、ある意味深刻な状況なのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    経験についてはこれからも色々な角度で書いていこうかと思っております。
    まずは知識と経験の区別をつけるところからかなーとわたしは考えております。

  • お世話になっております。
    自分も最初にWebで小説を書き始めた頃に元編集者さん(アカウントネームだったので真偽は不明ですが)に似た様な事を教わりました。
    「書ける書けないの前にネタのタネをいっぱい集めてね」と。
    「大雑把でも良いからプロットを沢山書いて」「何でも良いから思い付いたらすぐ記録出来るようにしておこう」等、今でも糧となる事を忘れず守っております。

    今回のお話しを読んで、再確認が出来ました。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「プロットを書きまくれ派」と「とにかく小説を書け派」の両方がありまして、それぞれの功罪はあるものの、「より長く(プロとして)書いていくには」という点においてわたしは前者をお勧めしております。素人創作の場合はどちらでもまったく問題なく「書きたいように書けばいい」と思います。