コメント失礼します。
さる賞の最終選考の落ちたてほやほやの者です。
そう言えば、以前、読者様からの感想に対し「何言ってるんだ?」「そこはこういうことなんだよ」なんて理屈で考えていたことを思い出しました。
まだまだ自分は、キャッチボールができてないなあ。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>まだまだ自分は、キャッチボールができてないなあ。
そう思えた時点で半分はできているようなものだと思います。
わたしはむしろ大事なのは、完璧なキャッチボールをしようとすることではなく、自分がいかにキャッチボールが下手であるかを自覚することだと思っています。思ってさえいれば、解決することは不可能ではないからです。
ありがとうございました。
これを読んで、私が所属するグループにいるアフリカからの留学生の事を思い出しました。今まで、グループ内での経過報告とか聞いて、甘いなと思っていましたが、成長過程だと思って余り追求していませんでした。ところが、彼は、もう4年ほど院にいて、後一年で、博士課程を卒業したいと言いだしました。私も彼の査定委員会に入れられてしまったのです。そして、何度も彼の発表練習を聞いていて、前回、私だけでなく、他のメンバーから指摘された点が次の発表に考慮されていない事に気づきました。私ではなく、彼の直属の上司との事前のミーティングで指摘された事を取り込まずに発表様のパワーポイントを作成している様でした。まさに、こっちが投げる球(アドバイスと質問)を殆ど受けていないようなのです。このキャッチボールの例えは大変良い比喩だと思います。
一つ思うのは、彼はキャッチボールをしているのではなく、ペイントボールで撃たれてまくっているとでも受け取っているのではないかと言うことです。質問を受けて、それを受け取っているのではなく、やられっぱなしで撃沈しているとか?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
>彼はキャッチボールをしているのではなく、ペイントボールで撃たれてまくっているとでも受け取っているのではないかと言うことです。
これはとても良い疑問だと思います。どんな状況や理由であれ、キャッチボールになっていなければ互いに幸せにはなれないという原則の、いち現象ではないかと思います。
「理屈」と「感情」、無意識では理解していたと思いますが、うまく言語化されたこの文を読んで、今一度ハッとさせられました。
そうですよね。
口喧嘩とか毒親とか高圧的な教師は、理屈でしか他人を評価できないから、他人との摩擦が生じるんでしょうね。
もちろん理屈というのも大切な要素の一つではありますが。
でも、相手の感情に目を向ければ、罪を犯した相手が可哀想に思えたり、相手のためと思ってしている事が相手を苦しめてると気づけたり、摩擦を解消するキッカケとなり得ます。
非常に勉強になりました。
作者からの返信
コメントありがとうふございます。
小説を書くあたり、感情も理論化してみると話を作るのに役立つと思います。
大事なのは他人に対してどうであるかではなく、まずは自分自身の感情を理論化することです。それによって世の中は広く見えてくると思います。