第18話

 そして食事会も大詰めを迎えていたその時、一人の貴族男性が会場に現れた。


「いやぁ、すっかり遅くなってしまった…。ぎりぎり間に合ったというところだろうか…?」


――――


「!!!!!!!!!!!」

「ど、どうしたのエレーナ!?」


 フルーツの山を頬張り、幸せそうな表情を浮かべていたエレーナが突然、その手を止め、その場で姿勢をピーンと正した。まるで雷に打たれたかのようなその姿に、隣にいたルークは驚きの様子を隠せない。


「…だ、大丈夫…?エレーナ…?」


 ルークは彼女の顔の前で手を振ってみるが、何の反応も得られない。完全に動きを停止してしまっているエレーナを見て、どうしたものかと頭を抱えたのもつかの間…。


「っ!!!!!!」

「ちょ、ちょっとどこ行くの!?」


 一流アスリートも顔負けであろうスタートダッシュを決め、エレーナはその場から勢いよく立ち去っていった。会場の人ごみの中を神業的テクニックで突き進み、一人の人物のもとを目指していく。


「…ま、まさか…」


――――


「いやいや、お待ちしておりましたよバラン伯爵様」

「ぎりぎりになってしまい、申し訳ありません…。前の会合が長引いてしまいまして…」

「さすが、モテる男は大変ですなぁ」

「か、からわかないでください…。僕なんて本当に全然ですから…」


 現れたのはほかでもない、エレーナがこの世で最も恋焦がれる存在であるバラン伯爵だった。未来ある若手の伯爵だけあって彼への注目は高く、到着してから短い間にもかかわらず、彼の周りにはすでに人だかりができていた。

 そしてそんな人だかりの中を、縦横無尽に突き進む影がひとつ…。


「バラン様あああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

「ひっ!!!!!!!!!」


 ドタドタと音を立てながらその両目をハートにして、人目など一切気にすることなく突き進むエレーナ。…彼女の目標が自分であることを察した伯爵は、その恐ろしさのあまり表情を凍らせる…。

 伯爵にとってその時間は、一瞬にも永遠にも感じられたことだろう。そして最後までその勢いを衰えさせることなく、エレーナはバランの前に現れた。


「お久しぶりですバラン様!!もぅこうしてお会いできること、ずっとずっと楽しみにしておりました!!…あぁぁ、もう40度くらい熱が出そう…」

「は、ははは……ぼ、僕もこうしてエレーナ様にお会いできて、うれしく思いますよ……ははは…」


 言葉でこそそういうバランだったものの、エレーナを目の前にして、どこかひきつったような表情を見せた。そんな彼の姿を見て、エレーナはなにかを察した様子……


「……バ、バラン様……も、もしかして……」

「…??」

「バラン様……もしかして……私の事……」

「あぁいや!決してそんなことは!!別にエレーナ様がいきなりあらわれてドン引きしていたわけじゃ」

「私の名前を覚えてくださっていたのですね!!あぁぁぁもううれしすぎて体が全溶けちゃいそうぅ…!!!」

「…へ??」

「これはもうあれですよね!私はバラン様の中で一段階、特別な存在になれたという事ですよね!!」

「…へ??」

「やっぱり、私が毎日書いている『私と伯爵様、二人の未来絶対完璧ノート』のおかげだわ…!毎日伯爵様への思いを込めて、5時間くらいかけて書き上げているんですもの!!」

「ひっ…」


 二人の未来ノート、という単語を聞いて、遠目にエレーナの姿を見ていたルークはその存在を思い出す…。


――――


「エ、エレーナ…それは何を書いているの…?」

「よくぞ聞いてくれました!私と伯爵様がこれから歩んでいくことのすべてが、このノートには記されているのです!」

「な、なるほどねぇ…。た、例えばどんなことが…?」

「えーっと…。1回目のデートから100回目までのデートの予定はもう書いてありますし、将来の子どもの名前や伯爵様の性格の変化なんかももうすでに」

「あああ、も、もういい分かった!!(…な、なんて恐ろしいノートなんだ…)」


 それ以来、エレーナが何か書き物をしている姿を見るだけで、ルークは身が凍える感覚が続いたという…。


――――


「それに伯爵様!今日の私のドレスアップ、よくご覧になってくださいませ!」

「え…?えーっと……」


 ニコニコと明るい表情を浮かべるエレーナに促されるままに、伯爵は彼女の姿を下から上までゆっくりじっくり観察する。彼女の姿そのものは、別に変ったとことのない自然な美しいドレス姿に感じられた。


「うっ!!!!」


……が、ある事実に気づいた瞬間、伯爵は自身の心臓を握りつぶされたかのような衝撃を感じた…。


「は、ははは……(これ……僕がこれまでに使っていたブランドや、気に入っていると話したことのある衣装が完璧にそろえられてる……靴にしたって服にしたってアクセサリーにしたって、全部僕がお気に入りのものばかり……ははは…)」


 伯爵は恐怖のあまり、言葉を発することさえ困難になっていた…。そんな今にも泣きだしてしまいそうな表情を浮かべる彼の事を見かねてか、様子を見守っていたルークが伯爵の救出に入る。


「い、いやいや伯爵様!妹のエレーナのお相手を頂き、大変にありがとうございます!伯爵様にお相手を頂けるのは兄としても大変うれしいのですけれど、伯爵様にも限られたお時間がございましょう?」

「…え?…え?」

「(早くお逃げなさい伯爵様!!!このままここにいたら、あなたはもっと地獄を見るかもしれません!!)」

「(わ、分かりました!!あ、ありがとうございます!!)」


 男同士のアイコンタクトで二人は会話を行い、バラン伯爵は軽い挨拶を行って二人の前から高速で消えていったのだった。

 そんな彼の姿を見て、体を震わせ今にも泣きだしそうな人物が一人…。


「あぁぁぁぁ……行かないでえぇぇぇ……伯爵様あぁぁぁぁぁ……」


エレーナはその場に崩れ落ちると、大粒の涙を流し始める…。まるで大切なおもちゃを取り上げられた子どものようなその姿に、周囲の人々はますます不思議そうな目でエレーナの事を見るのだった…。

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