第二章 犬たちは眠らない mercenary

第二章 本文 犬たちは眠らない mercenary 

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 ――〇――

 2022年3月2日13時10分、日本国岡山県山羊林市、『おがみ衆』本山『おがみ場』寺院6階、円卓の間にて。


 「つまりだ、俺が言いたいのは、この本の作者が何を想い、この描写をしたのか、なんてのは、俺たち読者には全く何の関係もないってことだ。主人公とヒロインが裏でセックスしたのかどうかとか、これの突起物のイメージは男性器のイメージだの、ライバル関係にある男二人が実は愛し合う仲だのの読者の勝手なイメージや読解は、それ自体は何の問題もなく存在していいし、そう見て問題ない。問題は『これが正しい』と読者や作者がしゃべることなんだよ。世の中のクソッタレ共の大半は権威主義者のバカタレだ。自分はそうじゃないと語る奴が最も権威主義に傾倒しているなんてのはよくあることだ。こういう手合いは自分より何か偉大で巨大なものに、自分が正しいことを承認される、あるいは所属していることを無意識的に求めているカスどもなんだよ。それだけならいいが、そいつらの根底にはその『偉大なモノ』は正しいから偉大だという非現実極まりない論理がある。これこそがカスの極み。クズの根源だ。この根源に支配された輩は、こっちとしても寛容ではいられない。なぜなら排除しに来るのは向こうからだからな。『作者はこんな事考えちゃいないよ』『普通に考えたらそんな風な解釈はしない』『作者はそう言ってない』『正しい解釈をしろよ』奴らは言葉巧みに自分自身の『信仰』をマイノリティへ押し上げ、その他の一部もしくはすべてを破壊する。『普通』も『正しい』も『作者』もその単語の意味する概念を批評や文学、哲学の知識を以て歴史的背景に照らし合わせながら理解したこともないくせに多用する。こうして多様な読みと多様な文化は破壊されて行く。破壊者の名は『弱さ』だ。権威性はカスだよ。全く」


 早口で、けれども聞き取りやすく、よどみなく、男は言葉を捲し立てている。円卓に座る他の四名は相槌も、返事もしていない。だが男は一人、虚空に向かって言葉を発している。


 男の両目には黒地の眼帯が付けられ、『心眼』の文字が左右逆に書かれている。茶色の長髪を緩いポニーテールにして、髭面で頬骨と目元の堀が深い西欧的顔つきの白人男性である。服装は登山用のレインウェアの下にぴったりとしたインナーを着こんでおり、前を空けている。体格は頑強。そして何より、隣には150センチほどの、巨大な金庫のようなモノが置かれている。それには背負うためのベルトなどが付いており、幾つかの機械類や管が付けられ、管の一部は彼の左腕とつながっている。その腕でカップを取り、水を飲む。その手元、薬指には白金の指輪が光っている。他に指輪やアクセサリーは付けていない。


 「そう、つまるところはいつもと同じ、多様性の配慮の中には他者を排除する輩は含まれていない。ってこったな。その裁定に関してはこれまた権威的な問題や現実での照応の問題が発生するわけだが議論をきちんと止揚させるための整然とした議論が必要なわけだ。まあ、議論の相手には排除を標榜する連中は入れちゃいかん。その連中は認めちゃいかん物を認めさせようと迫り、認められたものを鬼の首を取ったように見せびらかして白けさせる。くだらん連中はいつでもどこでもくだらん真似ばかりだよ。もっとオリジナリティのある迫害をしろってんだ。ハハハ」


 全くもって他の四人の反応はない。だが彼は誰かと話しているように会話を続けている。そんななか、この部屋の扉を開き、円卓のある広間に一人の青年が現われた。


 「皆さま。ようこそお越しくださいました。私は『隠者の薔薇』日本支部、諜報員カニスの斎藤と申します。以後お見知りおきを」

黒のスーツに帯刀をした青年は恭しく深々と礼をする。


 「……おい『アモ』……だったか?お前、全然飯に手ぇ付けてねぇじゃねぇか。もう会議始まるんだ、さっさと食っちまえ。じゃなきゃ俺が食うぞ」


 円卓の中でもひときわ大きい男……その頭には角のような突起が生え、口元には牙があり、上半身にはショルダーホルスターにつけられた二丁の巨大な拳銃と背中にクロスするようにつけられた奇妙な二本の鉈以外には何も纏われていない。分厚く赤い皮膚と筋肉はもはや人間のものではなかった。


 「俺ぁは箸で食うのが苦手でね。食事はナイフとフォークで食う。それに間食はしない主義だ」


 「あぁん? 出されたもんを食わねぇのか?」


 赤々とした顔の皮膚が更に赤みを増し、眉の重厚な筋肉が中心へと収縮する。


 「俺は間食をしない主義だ。一度間食しちったら、また繰り返すから…… 主義の問題なの。わかる?」


 飄々と男が答える。


 「ふざけるんじゃねえ、何のために仕事前に飯が出されていると思っていやがる。つべこべ言わず食え!」


 円卓は大きく揺れ、一触即発の緊張感が周囲に流れる。


 「マァマァ、ソウ、カッカスルナ『オニ』ヨ。ダガ、『アモ』ノ方モ、意固地ニナラズ、トリアエズ食エ。話ガススマネェ」


 非常に癖の強い喋り方の男が会話に割って入る。初老の中東系の男で、口髭を丁寧に整え、額に険しい皺と共に鋭い眉が走り、眼光も鋭い。だが口元にはうすら笑いを浮かべ余裕を見せている。背は165センチ程度と中東系にしてはやや低く、麻のシャツの下の体躯は痩せているように見えるが、それは必要のない筋肉が全くない事を示しており、俊敏さを伺わせる。それを証明するように、どこからともなく手に数々のナイフを出しては消しており、そのナイフは皮をはぐために刀身が短く、湾曲したものばかりだ。


 「『アリ』のダンナよぉ、そりゃ仲裁じゃなくて俺に強制してるだけだぜ……。まったく、何で俺ばっかり……その、そこの顔覆ってる、おねーちゃん、『サトー』だったか。そっちはいいのかよ」


 「……」


 顔の前に印を描いた紙を掛けた烏帽子と狩衣姿の黒髪長髪の女性は黙りこくっている。


 「彼女は儂が来た時には既に完食して居ったよ。往生際の悪い、諦めなされ」


 額に梵字の刺青が入った、紫地の衣と七条袈裟を纏った老僧侶がニヤリとしながらそう語った。笑みを浮かべるその細められた瞳は暗黒を示しているようで不気味である。


 「お手数おかけしますが。『ここ』のルールなので何卒……」


 斎藤と名乗った男もまたそう付け足す。


 「おいおい、そんな……『シン』の爺さんやアンタまでそんなこと言って、全く。食えばいいんだろ、食えば。」


 他の四人のいる方向とは別の方向に返事をしながら男は箸を取り、ぎこちない箸遣いで皿に盛られた少ない料理を平らげた。


 「ごちそうさん。何の料理だか全くわからんし、色とかも見えないし、量も少ないが旨かったよ。どーも」


 斎藤が手を叩き、奥から使用人のような質素な衣を着た男女が現われ、皿を取り下げて部屋を出ていく。


 「では皆さま、今回の作戦の内容を今一度ご説明させていただきます」


 五人全員が緊張感を持った面持ちで斎藤の話に注意を注ぐ。その緊張は一種の魔力を帯び、そのぶつかり合いは空間が歪んでいるように錯覚するほどに強力な鳴動であった。



 ――



 資料:日本政府宮内庁特務機関神祇寮物品管理部 呪物管理報告書

 件名:第三号保管庫襲撃事件報告

 担当者:神祇寮物品管理部長官 白川 桂城 伯爵

 事件要旨:2022年2月1日神祇寮予知部にて第三号保管庫の2月19日に大凶が報告。対応に関しては当日まで保留。2022年2月19日当日、警戒態勢の中、神祇寮衛士二名が殉職。警報が起動することなく、15番、25番管理物品が盗難に遭う。当該職員二名の死亡は死亡から二時間後に発覚、物品の盗難も同じ時刻に発覚。当該職員二名の遺体見分から20ミリ近い銃弾で頭部を至近距離から銃撃されたことが考えられる。当日勤務に当たっていた他職員の証言では当該職員の片方に関して、死亡推定時刻以降も目撃証言がある。


15番、25番物品について。

 15番物品、呪物『血酔鉈』:平安期に横行した死肉売りが肉を捌いた鉈。鬼が人を裁くために造ったものだという伝説と平安期に扱われた物品という事もあり呪物としての力を有している。人間、生物の魔力に触れた際に露出した血液を強く引き付ける性質を持ち、その魔力が強いほどに強力に血液を吸う。また、刀身に血が付着するほどに物品自体の持つ魔力が解放されて行く。国連秘匿保障委員会分類での物品強度はキロトン級。

 25番物品、呪物『黒山羊』:詳細は秘匿情報プロトコルに抵触するためにここには記載しない。

 本件の調査については今後も神祇寮調査部に一任する。



 ――〇――

 2022年3月2日8時5分、日本魔界府府庁地下一階秘匿一課事務室にて。


 ――鳥羽或人――

 僕は始業1時間ほど前に秘匿一課の事務室に入った。金剛さんは有馬さんと出張で、前日からインドネシアへ行っており、出勤は僕一人だった。事務室にはまだだれも来ていないと思っていたが、奥の作業場の電燈が点き、タイピングの音が鳴っていた。


 「あれ、琉鳥栖……さん?」


 ビクッと肩を驚かせて彼が振り返る。薄暗い部屋のせいで彼の眼鏡にはパソコンの画面が反射している。珍しくスーツのジャケットを車椅子に掛け、ネクタイを緩めているようだ。彼はいつ見ても、かっちりとしていながらにカジュアルな雰囲気のあるスーツを着ている。外に行くときはいつもつばの下がった帽子をかぶり、黒革の手袋まではめているようだ。肥った外見にしてはと言うのはかなり失礼な物言いだが、奇妙にもその格好は似合っていた。だが今はジャケットとベストを脱ぎ、シャツとサスペンダーを出した格好になっている。


 「鳥羽? ……お前こんな時間……あー、もう八時か。なんだ、掃除でも誰かに頼まれたのかい?」


 そう言いながら彼はこちらを向き、椅子を動かす。


 「ああ、はい。今日金剛さんから便箋が飛ばされてきて書類提出を頼まれてて、そのついでに金剛さんの机や課長の机の方を片づけたりしようかなと……」


 「課長の? 課長が頼んだの? マジ?」


 かなり驚いた様子で、彼は珈琲を飲みながらそう訊いてきた。


 「え、はい。昨日あまり仕事を回す予定がないそうなので片づけを言い渡されてまして。でも昨日有馬さんがほったらかしてた報告書が見つかって急遽僕と賀茂さんが書くことになりまして……あの二週間前の初めての現場の報告書です。なので今日片づけをしようかなと。……琉鳥栖さんは何を?」


 「ああ、俺は……」


 と言いかけたところでパソコンのような機械からショートメッセージの着信音のような音が聞こえた。


 「……チャット?」


 思わず口に出してしまった。


 「……チャット……気づいたか。言うなよ」


 彼は僕を睨んだ。


 「あ、はい、僕は言いませんよ。そんな」

 

 真に迫った睨みだ。僕はおどおどしながら答えることになった。


 「賀茂みたいにギャーギャー騒がれちゃたまらん。それでなくても俺は有馬と同じぐらい免停食らってるんで、また誰かにチクられたらクビかもしれんのだ」


 車椅子でぐいぐい近づいて鼻息荒く圧を掛けてくる。


 「はい、言いません、言いませんよ」


 「……ま、いい。どうせ俺の研究や開発に興味ある奴はこの課には少ないし」


 ため息交じりにそう言う。彼は技術者の立場らしく、いつも作業場で、何かの機械類や道具類を直したり製作したりしているようだ。それが仕事なのだろうが、たまに明らかに関係のなさそうなフィギュアを製作しているので、一体何をしているのか僕は気になっていた。


 「え……そうなんですか」


 言った後でまたも余計な返事をした気がする。


 「……君はちょっと興味ありそうだな。魔界の連中は機械製品を使いはするが、基本的にあこがれるのは術師。ましてや秘匿課なんて。開発者の来るところじゃないんだが……世俗出ってえのもあって君、魔導機械に興味はおありか?」


 そう言って車椅子で後ずさりして、彼は作業場の机に向かいそこにあるスイッチを押した。すると壁の戸棚が壁へ吸い込まれ、別のフィギュアのようなモノをならべた棚が現われた。


 「俺の作っている魔導機械は小型から大型まで、なんでもござれなんだが……まあ、形状はちょっとばかし特殊だね」


 彼が棚から取り出した、掌に載せられるほどの、その『機械』は先日作成しているところを見た、軍服のようなモノを着た美少女フィギュアだった。服は薄茶色で肩に六ボタンのダブルコートをかけているように見える。胸元には鍵十字の円に留まる鷲の記章があり、ヘルメットを被っている。材料全ては鋼鉄に類する金属製のようで硬質な質感がペイントなどによって巧く隠されている。


 「五号戦姫パンターちゃんだ。耐荷重44.8t、四重魔術防護、最高速度55km/h、75mm砲と同威力の力学操作術を発射可能。疑似霊魂操作術を応用したから魔力消費が結構えぐい。そこがこれの失敗ポイントだな。俺ひとりには15分くらい動かすのが限度だった。これ、リモコン。持つだけのためのものだけど」


 そう言って彼は僕にリモコンを渡してきた。僕はそれを持ってみると、そのフィギュアの視界が何となく見えた。


 「うおっこれ、なかなか難しいですね」


 「術者が直接操作するタイプの式神術式はそんな感じらしいぞ。世の中にはそれを十体並列運用する頭のおかしい連中がいるらしい。俺には無理だね」


 僕はそのフィギュアと感覚が繋がったような感じに今支配されている。ゆっくり集中してそのフィギュアを動かす意識を研ぎ澄ますと、右腕が動いた。


 「おお、結構筋がいいな。俺、それやるのに10分ぐらい掛かったんだぞ、はは」


 琉鳥栖さんはすっかり気分が良くなっている。僕も結構この操作は面白い。


 「おっと、術はぶっ放さないでくれよ。部屋が吹き飛ぶ。俺の失敗作たちも、ぶっ壊されちゃ敵わん」


 少し動かしてみると自分の身体以上に動きが軽く、空に浮かぶことさえも可能になっていた。


 「おっと、返信忘れてた……」


 彼は車椅子を机へ向かわせ、素早いタイピング音を鳴らす。さすがに音は消したのか、先程のような返信音はなかったが幾度かエンターを打つ音が響いている。


 「あ、じゃあ僕も書類出すので」


 「ああ、リモコンとその娘は後で俺が片付けとくから置いといてくれ。あ、あと、チクるなよ」


 「いやいや、言いませんってば。じゃあ」


 彼がモニターにかじりつきながら、後ろ手に手を振るのをみて、僕はそのまま書類を持って府庁の上の階へ向かった。何時の間にか始業時間も迫ってきているようで、僕が書類を提出している間に賀茂さんが出勤していた。


 「おはようございます!」


 「あ、おはようございます。賀茂さん」


 賀茂さんは既に事務作業を開始しているようだった。僕も自分の机の整理を少ししたのち、課長の机を整理し始めた。意外と書類や筆記用具類が散乱しているほか、ファイル類が名称や表題もバラバラで乱雑に保管されている。……これは思った以上に重症だ。机の引き出しは……。


 「……私の机で何をしている?」


 何時の間にか課長が僕の前に居た。


 「え、あ、先日おっしゃっていた、片づけをですね……」


 「……あっ」


 いつものトーンで、はっと気づいたような声を出す。意外と天然なのだろうか。


 「……いや、だがその引き出しは……」


 半開きに引き出しを開けてしまっていたので僕は急いでそれを閉めた。何か、写真のようなモノが見えた気がした。


 「すいません。さすがに整理するのは机の上だけの方が良かったですよね」


 「……ああ、いや、いいんだ。……私が準備している間に少し片づけといてくれ……」


 課長は鞄を椅子に下ろすといつものようにコーヒーを淹れに地下階の給湯室へ向かった。……怒らせてしまっただろうか。僕は机の資料を整理しながら、どうするべきだったか、ぐるぐると逡巡し続けた。あの机の中の写真……流石に写真が入っているような引き出しを開けるべきではなかったか、というかここに来てから四週間ほど経つけれど、僕は課長の人間性を未だに掴みかねている。まあ、他の課員の人についてもまだ知らないことは多いが、あまり感情を出さない人な分、余計にそう思われるのだろうか。


 「……片付けありがとう。その一番上の引き出しは私物を入れてしまっているので、少々、その、開けるのは控えてくれ。ファイル類は一番下に入れている」


 珈琲を淹れて戻ってきた課長がそう言って、椅子に置いた鞄を机に掛け、そのまま椅子に掛けた。僕は邪魔になるといけないので作業を終え、自分の机に戻ろうとした。


 「あ……待て、或人、任務がある」


 僕は振り返る。二週間ぶりの任務。けれど金剛さんと有馬さんは出張中でここには居らず、春沙さん、森さんはまだ来ていない。琉鳥栖さんが任務に出る場面は見たことがない。僕と賀茂さんだけで行くのだろうか?


 「……今回の任務は『神祇寮』が特別にお前を指名した。向こうとしてはお前の実力を測るつもりのようだが……」


 そう説明する中で後ろの扉が開いた。


 「課長、我々の同行者への説明は、もう終えていますかね?」


 僕の肩に手を添えて、現れたのは宇美部さん、宇美部来希さんだった。相変わらず白い詰襟をかっちりと着込んでいる。


 「……今しがた説明を終えたところだ。……或人、今回の任務は違法団体の摘発、とだけしか私は聞いていない。詳細はそこの神祇寮の二人から道中で聴くように。……それから宇美部、有穂は……」


 「大丈夫ですよ。我々神祇寮には歩がいる。……任務の失敗は絶対にありえない。でしょ?」


 宇美部さんは、自信たっぷりにそう言った。


 「……慢心しないことだな……」


 課長はどこか不安気な声色でそう言った。



 ――〇――

 2022年2月17日4時15分(イスラエル時間 JST+6)、イスラエル、エルサレム、『隠者の薔薇秘密神殿、黄金の教示会議室』にて。


 10個の椅子、そして一つの巨大な水晶の結晶が等間隔に並べられた円卓。部屋は足元のみが薄い照明で照らされている。この部屋に入り口はない。完全に密閉された空間である。

 10個の椅子に突如、人間の幻影が浮かび上がった。それぞれが椅子に座り、緊張した面持ちで、会合の開始を待っていたような雰囲気を持っている。


 「……全員揃っているな。……ではこれより我ら『黄金の教示』の緊急幹部会議を開始する」


 巨大な水晶の結晶の真向かいに座る男がそう語った。男は老人にしてはあまりにも姿勢が良く、ローブのような衣の下にタキシードのようなスーツを着て、その体格の良さを示していた。片眼鏡モノクルを掛けた顔には幾重にもしわが刻まれ、髪も髭も全て白くなっているにもかかわらず、身体の機能はまるで衰えていない事を想わせる老人であった。髭はへの字に整えられた口髭、顔の周囲を囲む顎髭ともに整髪料で丁寧に整えられ、髪もきっちりと中央で分けられ後ろへ撫で付けられている、眉は厳格さと生真面目さのうかがえる様子でしかめた時の顔のしわに沿っている。


 「今回の緊急幹部会議は『栄光ホド』の要請で行われた。先ずは君の要請理由から話してもらおうか」


 「……ああ。単刀直入にイわせてもらう。ワタシの『結界』を破壊する存在が現われタ。……恐らくは先日の『魔力感知騒ぎ』の正体だろウ。これが奴の写真ダ」


 円卓中央に、席のそれぞれに向けた画像がパネルのように宙に投影される。そこには鳥羽或人が映っている。


 「奴はワタシの結界術内部で疑似的な『境界術』を発動させタヨウダ。強力な磁気を帯びた境界の発生で、機械類が異常を起こし、任務に支障をきたしタ。オマケにワタシの攻撃を直撃した際ニあの時の『魔力感知騒ぎ』に類似する『魔力』の爆発を起こし、私の結界の媒体を破壊した……」


 腕を首から吊りながら座る栄光のジュンは驚愕の表情でそれを語った。


 「……私から質問をしても良いかね?」


 先程から取り仕切っている老人がそう語り始める。


 「先ず、君の行っていた任務というのは……どうやら傭兵との協力のようだが、これは我々全体には通達されていない。誰から引き受けたものだね?」


 「……『勝利ネツァク』ダガ?」


 数名の表情に緊張の色が一瞬見えたのち、それぞれは一様に一人の男が座る椅子を見る。その椅子に座る男は黒い長髪のオールバックに端のみを延ばした口髭をした、孔雀扇で口元を隠す男……服装は白いダブルのスーツを着ている。


 「『勝利ネツァクのカリオストロ』。またお前か」


 質問者の老人が苦々しくそう語る。


 「オヤオヤ。黄金の教示間の私的な取引は禁止事項に入ってはいないはずですが?」


 扇の下に薄笑いを浮かべながら明朗な声で嘲るように語る。


 「貴様は信用されていないのだ『カリオストロ』。その『勝利』の座もまた、貴様の姦計によって奪い取ったものなのだからな!」


 別の席に座る男が不信感をあらわにしてそう語る。その男は大柄で恰幅が良く、坊主頭に眉を剃り、質素なローブを身に纏っている。細いその瞳は『勝利ネツァク』を睨みつけている。


 「姦計などとは聞き捨てなりませぬな。『基礎イェソド』のカイ殿。貴殿の方は前任者との血腥い決闘でその地位を得たはずです。それに私はこの地位を奪い取ったのではございません。偉大なる『至高の三無』への忠誠心が届き、この座に『選ばれた』のですから」


 厭に朗々と『カリオストロ』と呼ばれた男は語る。


 「貴様、神聖なる決闘を愚弄したばかりか、『至高の三無』の名まで騙るか、この山師め!」


 「止せ。カイ。『勝利ネツァク』の座は評議会で再三認められたこと。議会の優越のシステムは『至高の三無』の認める処だ。これ以上掘り返しても進まぬ」


 先程の老人がそう制止する。


 「……ここは『王冠ケテル』を立てよう……。感謝するのだな『勝利ネツァク』よ」


 制止を聴き入れた『基礎イェソド』のカイは『勝利』のカリオストロを睨み続けている。


 ――栄光ホドのジュン――

 ――ヤレヤレ、また始まった。


 「……ワタシはカリオストロだロウと誰だロウと正当な報酬がもらエルのなら仕事はキッチリ受けるヨ。今回もそのスタンス」


 ――〇――

 栄光ホドのジュンは不敵にそう答える。


 「……『薔薇』の権限で部下を使っていないのなら、この件に問題はない。そうだな


 『王冠ケテル』と呼ばれた老人が隣に座るにそう訊く。少年は手に持った分厚い本をパラパラと開き、指で細かな文章をなぞる。


 「うん。問題ないね。施設利用もしていないようだし、法規違反はないよ。『ヨトゥム』」


 少年はそう言って本を閉じる。蝶ネクタイにクリーム色のセーター、半ズボンといういかにもな格好の、寝ぐせのついた黒髪の少年は隣の老人に確かに『兄』と呼ばれ、その老人を確かに名前で呼んだ。


 「フム。法務官担当の『智慧』のヨセフ氏の確認もとれた。取引に関しては不問。……では……その報告を受けて、私としてはその、『日本秘匿一課の新入り』について重要警戒事項として調査及び団員への警告、積極的な戦闘行為の停止を行うつもりであるが……これに異論はないかね諸君?」


 「意義あり」


 カリオストロが『王冠ケテル』のヨトゥムを見ながら、不敵に笑みを浮かべ手を挙げる。


 「……一応、理由を聞こうか」


 「重要警戒事項について、文句はございません、私はそのあとの『積極的な戦闘行為の停止』について異議がございます。……私はこの判断、嘆かわしく思っておるのです。なぜならば!」


 カリオストロは扇を広げ仰々しく前を指す。


 「我らが偉大なる『至高の三無』はこの『日本魔界府秘匿一課の新入り』つまるところ『真なる鍵』をご所望である!」


 『基礎イェソド』のカイが机をたたく動作をする。音はスピーカー越しである。


 「貴様再三にわたり『至高の三無』を愚弄するか!『真なる鍵』は貴様一人が語る戯言のはず!」


 彼の隣に座る中性的な容姿の秀麗な者が彼に向かい語る。


 「カイ。まだカリオストロ君が話している。割り込みは、君、美しくないよ」


 ハイブランドながらシンプルなコートなどに身を包み、白いシルクの手袋をはめ、金のつややかな長髪を後ろ手にまとめた、美麗で女性的なその人は、その声から、男性であることがわかる。

 「『ティファレト』の言う通りだ。今は抑えろ。『基礎イェソド』よ」


 ――王冠のヨトゥム――

 今は……な。


 ――〇――

 『王冠ケテル』のヨトゥムは再び制止し、『基礎イェソド』のカイはしぶしぶに抑える。


 「ふふふ。続けますぞ。……偉大なる『至高の三無』は私に預言を託されたのです。『来るべき最終戦争』の際に四つの『真なる鍵』を開けることで我々の『勝利』は決すると……」


 ヨトゥムが口を開く。


 「『至高の三無』についての神託は『慈悲ケセド』のゲドゥラーが担当だ。……そうだな。彼の神託を今、ここで聴こうではないか」


 「カリオストロの奴の言う事を信じるというのか?」


 基礎イェソドのカイが立ち上がる。


 「真に受けたわけではない、落ち着けカイ。何事も証拠が大事、これでゲドゥラーができないと言えば奴の面目は潰れる……そうだろうカリオストロ?」


 ――王冠のヨトゥム――

 定例会以外でゲドゥラーに神託は渡らん。カリオストロの狂言もこれまでよ……。


 「ふふふ。ええ当然。では神託を行いください、『慈悲ケセド』のゲドゥラー師」


 ――〇――

 呼ばれた男は150センチほどの身長の老人で、顔は髑髏なのか皮があるのか判別が難しいほどに痩せこけ、死体のように虚空を眺め、口を半分開いた、正気とは思えぬ男であった。彼は呼ばれると同時にそのか細い手と声を正確かつ俊敏に動かし、印と呪文を唱えたかと思うと、目をカッと見開き、体が宙へ舞い上がった。


 「アアアアア! ……『畏れ、敬い、崇めよ。吾等は虚無なり。永劫を内包し、実存の裏に立ち、存在を抱く。三つの無限を顕すものなり。』」


 「何ぃ?!」


 カイが驚く。


 「ふふふ。さあ、偉大なる至高の三無の神託です。皆心して聴くように」


 カリオストロは扇の裏で笑う。

 「『……来るべき……戦争の時は近い……して準備せよ。吾……三つの理想のため…… 棄て……。……『鍵』を招集……、四つ……、打ち倒……。さすれば支配は……の元に。』」


 そう言うとゲドゥラーは糸の切れた人形のようにぐったりと席へ戻った。呼吸はしているようだが意識があるのかは不明だ。


 「……かなり途切れているようだが」


 ヨトゥムがカリオストロに聴く。


 「しかしはっきりしていることはあります。『来るべき最終戦争』の時は近く、『真なる鍵』を『四つ』『招集』すること……これは疑いなく私の言ったことと合致しますが。」


 毅然として彼は答えた。


 「確かに、我々は日本魔界府を含めた侵攻計画を今進めている。それが『最終戦争』を指すというのは1月1日の定例の預言で確定している。だが、以前の預言においては『真なる鍵』などという言葉ではなく『ソロモンの鍵』という団体を結成し複数の違法団体で団結せよという指示であったはずだ。だからこそ先日の『魔力感知騒ぎ』も『ソロモンの鍵』結成のための儀式で見送ったのだ」


 「以前の預言ではそうでした。ですが今度の預言は異なります。確かに預言の多くは定例会の時にのみ授けられるものですが、預言は今、ここに授けられたのです。そしてそれは私の与った預言と一致する。さすれば私の正しさはもう証拠によって証明されたといえるでしょう。皆様そう思われているのでは?」


 ――王冠ケテルのヨトゥム――

 山師め。口だけで幹部会を丸め込む気か……。


 ――〇――

 カリオストロは手を開き、周囲を見回す。王冠のヨトゥムがにらみつける中、『ティレファト』と呼ばれた男が奔放に口を開く。


 「何とも美しいとは言い難いが、これを否定するのも美しくない。認めようじゃないか、彼の言い分を」


 「『ティレファト』のミハイル殿は賛成されましたぞ」


 カリオストロは口元に笑みを浮かべ精悍にヨトゥムを見遣る。ヨトゥムの額に若干の汗がにじむ。


 「ちょっと意見良いかな?」


 先程の少年が手を挙げる。カリオストロは手を差し伸べ、どうぞと言った。


 「ともかくとして、全体としては今の預言、『戦争の準備』をすることは全くもって否定することはできないと思う。カリオストロ君の預言解釈は独自性を持っているので全面的に認めるかどうかは審議が必要そうだけど、それで僕たちが割れるのは効率的ではない……と思う。なので、僕たちはそれを審議せず、まずは元の議論、『秘匿一課の新入り』との積極的な戦闘行為の停止についての議論をはっきりとしたい。ここまではいいかな?」


 「ええ、私はいいですよ」


 あっさりとカリオストロは認める。周囲は不信な目つきで彼を見つめた。


 ――基礎イェソドのカイ――

 彼奴が煽ったからここまで話がこじれたというのに……!


 「となると、君はこの『新入り』を捕らえることを目的としたいわけだが……それって必ずしも戦闘行為は必要ないんじゃないかい?」

 

 「ええ勿論。ただそうなると団体として彼を捕らえることは難しくなります。これは『至高の三無』の預言に即してはいないと私は考えております」


 「ふむ、では作戦を行うかどうか別だけれど、この条項だけ削除して他を通すのには意義はないわけだね」


 「はいそうですよ。もちろん」


 「ではヨトゥム、この条項だけ削除するという事で進めるのはどうかな?」


 「……部下に警告することには問題はないのかね『勝利ネツァク』よ」


 ――〇――

 ヨトゥムはカリオストロを再度睨み付けそう伺った。


 「ええ、問題ないですよ」


 またも円卓の者たちは彼を不審に見た。当然、今までの白熱した議論に意味などないというような回答であったからだ。


 「フン……。ではこの条項を削除したうえで再び聞くが、重要警戒事項に対する対応はこれでよいか? ……全会一致で可決。重要警戒事項についての調査の担当は『理解ビナー』のヴィクトリア女史が率いる教育・諜報部だ。……以上の報告について、監査幹部である『隠された知識ダ・アト』からの承認をお願いする」


 彼が承認を伺った相手は向かいの結晶の隣に座る、影のみの姿が映る男だった。真っ黒い靄のような姿のみだが、帽子をかぶったスーツ姿の人間であることは輪郭から判断できる。それは闇に蠢いて語る。


 「承認する」


 その声も何らかの加工が為されたような声であった。


 「フム。『秘匿された知識』の承認を以て、今後この決定を団体として行う。……ついでにもう一つ議題を進めてもよいだろうか?」


 ヨトゥムが全員に伺う。


 「次の定例会議でも話す予定であったが、『ソロモンの鍵』の日本の下部組織『おがみ衆』に委託していた『輝く死者の結晶』の移送についての話だ。担当の『峻厳ゲプラー』から話してもらえるか」


 そう言われて立ち上がったのはアジア人の、白衣を着た眼鏡の男性であった。髪型は中分で、白衣の下にはスーツを着ている。中肉中背、30代くらいだろうか、日本人的な顔つきをしている。


 「はい、担当者『峻厳なる《ゲプラー》』埼栄サイエイです。『輝く死者の結晶』の全世界各ブロックでの移送は問題ないのですが、東アジアブロックの日本では最近、神祇寮の強制捜査が違法団体、認可団体問わず何度かあったようで、幾つかの団体が『有穂歩』によって潰されているようです。『おがみ衆』からの移送は3月末予定だったのですが、他の違法物品含めて3月2日に前倒ししてほしいと、教団から連絡がありました。実際のところ『有穂歩』については世界的に見ても極めて少ない『特異指定存在』の一人であるため、我々、黄金の教示が護送役として出る予定だったのですが……今回の件で東アジアで活動されている『栄光ホド』のジュンさんが動けないため、護送役が早期に用意できない問題があります」


 「護送役に幹部が必要というのは、些か警戒しすぎではないでしょうか?」


 カリオストロが発言する。


 「しかし、相手として想定されるのはあの……」


 「想定、でしょう? それに我々は『青き血の新秩序』と『ソロモンの鍵』で同盟しているはずです、日本政府の神祇寮は『血の信者』も多い。……有穂を動かさないような工作や情報を制御することは可能でしょう?」


 「……そうですか。確かに……しかし、連携は今までなかったのでどうなるか……」


 「それこそ諜報部カニスの出番でしょう。政府に潜入している者も多い、連携する素地はあるはずです。そうですよね『理解ビナー』のヴィクトリア殿?」


 呼ばれたのは、初老に差し掛かりつつある白髪交じりの、レディーススーツに身を包んだ眼鏡の女性であった。彼女は手元のバインダーの資料を開きながら、カリオストロに答えた。


 「ええ、我々の諜報作戦にはいくつか他組織と連携を行った記録もございます。深く連携したことは少ないながらも、ノウハウとしては存在するので……情報の制御は可能です。しかし、護衛のない状態というのは頂けません」


 彼女は毅然としてそう語る。


 「勿論勿論。私は護衛を付けないとは申し上げておりません。此処で提案なのですが……護衛に傭兵はいかがかな?」


 カイが異議を申す。


 「いくら情報戦において優位があるとはいえ、本来幹部が行う仕事は傭兵には荷が重いはずだ」


 「そうですかな? 私の知る限りでは何人か、特別指定級に足るものを知っております。複数名用意すれば最低限任務は遂行できるのではないでしょうか。勿論、私の紹介以外にも傭兵のアテはあるでしょう『王冠』のヨトゥム殿?」


 ヨトゥムは顔をしかめた。会合はまだまだ続く……。


――


 ――〇――

 2022年2月17日20時15分、日本国和歌山県伊都郡高野町高野山仏舎利宝塔内裏七堂伽藍、講堂内にて。


 「……以上が本作戦の内容だ。我々『古僧會』からは僧『眞如』を派遣する」


 ――眞如――

 香の香りが残る暗がりの中で坊主が十一人。顔をつきあわしている。儂はその中の一人として黙って自らが呼ばれた経緯を理解する。


 「いざとなれば貴様の結界術が役立つだろう。予定日まで、仏門に励み、精進するように」


 「はい」


 頭を上げた時には既に講堂には儂一人が残されているのみであった。

悪い予感――

 これは予知能力によって齎されたものだろう。因果の齎すもの……。その知らせがこの儂の元へ下る。この悪寒。気配は昔を思い出す。

 儂は講堂を出たのち、南大門をくぐり、修練場の広場へ向かう。山林の合間にとつとつと流れる階段を上り、開けた砂場に出る。この夜更けには誰も居らんので伸び伸びと暴れられよう。

 儂は広場の中央に立ち、目を瞑る。儂は自らが、この地にて法力を悟るに至る修練の理由を思い出す。怒り、どうしようもない、怒り。その欲望を律し、制御し、慈愛に包む。その仏道の歩みを思い出すのだ。峻厳なる道の始まり。最も初めの苦難。


 『ああ、やめてくれ、やめ、助けて。助けてください。ああぁ、あぁああああ!』


 不快。下劣。羞恥。この汚れた両の腕には未だに血の滴りを感じる。業。業。業。儂は奴の業を背負い、薄汚れた魂に成り下がり、この場所でも、薄汚れた、しかし仏道に必須な、業を背負い続けてきた。その中でも最も強力だった……伏魔殿陰陽師『賀茂劉醐』。奴との戦いを思い起こし、目の前に現す。すました顔をした狩衣の色男め。今日こそ、その鼻を明かしてやる。

 奴は札を二枚焼き払い、両の手に式神の腕を顕現させ、儂に向かいかかる。儂は大地を踏みつけ跳躍、瓦礫をぶつける。礫の中、奴はそれらを右の腕で破壊し、左腕は儂の方へ礫を撃ち返す。儂は体を丸めて躱し、手の印を形づくる。奴はすかさず右側より繰り出された儂の攻撃を腕で受ける。両腕で受けなければアバラが壊れる。儂はそのまま着地し、奴へ向け両脚跳び蹴りを繰り出す。左わき腹を破壊。……否、違う。


 儂は飛び蹴りが空を切り、地面に着地したのち、目を開き、首を振る。

こんなものではない……。過去の好敵手、強敵、そんなものではない。儂が敗北を喫した相手などとは比べ物にもならない悪寒。鬼などではない。閻魔。古僧會の上層部から聞いた依頼、それ以上の何かがこの件に関与し、儂は、それと対峙することになる。大方、見当はつく。神祇寮『有穂歩』。日本政府公認の『災害』。全ての怨霊封印式と神祇寮の建物に掛かる秘匿結界の魔力を担うと聞く。この威圧感、恐怖。日本の仕事でかような恐怖の知らせを得るとなると、これ以外にあるまい。そして、儂に勝ち目はない。

 ……だが、儂に選択肢などない。『薔薇』の理念は儂等の理念にも近い。目標は同じ。横暴なる権威の破壊! 平等なる福祉の成就! 人々に平等に御仏の真なる教えを、教えの功徳を、護摩による法力を……。この祈りを折らせるわけにはいかんのじゃ。


 「カッッ!」


 儂は息を吐き、足を踏みしめ、地面に法力の曼荼羅を描く。御仏の世界は暗闇の中で金色の輝きを僅かに放っている。極楽浄土は手を伸ばさなければ得られはしない。今はここに描かれるのみ。


――


 ――〇――

 2022年3月2日13時15分、日本国岡山県岡山市、岡山駅にて。


 「あーついた、ついた」


 ――鳥羽或人――

 有穂さんが背伸びをしながら駅の外へ出る。


 「すまないね。魔界の車で移動できなくて」


 宇美部さんが僕に向かってそう語る。


 「あ、いえ、僕、新幹線に乗ったの初めてだったんで楽しかったですよ」


 「それは良かった。神祇寮ウチはそっちと違って自家用車移動が面倒でね。お役所仕事って奴で。市民が見るわけじゃなしに、おかげで僕の自家用車ベンツも使えやしない」


 「来希、お土産屋見ようぜ」


 有穂さんがそう言いながら土産物屋へ向かって行く。


 「あ、行くんですか?」


 「え? ああ、僕、甘いもの食べたいから」


 さも当然のように彼もまたお土産物屋へ行く。意外と二人とも緩めの人のようで僕は少し安心を覚えた。そういえば新幹線でも宇美部さんはアイスを買っていた。有穂さんはその隣で寝ていたようだけれど。


 「やっぱり岡山なんで、キビ団子だね」


 「ふーん。……鳥羽君もなんか食べるか?」


 有穂さんが聞いてくる。


 「あ、いえお構いなく」


 「ん。オッケー」


 幾つかおみやげ物を物色して、いくつか買った後、僕たちはそのまま、駅から出る津山線行きの電車に揺られ、山陰方面へ向かった。電車の外の景色は瞬く間に田舎へと移り、山々が遠くに見えるようになった。弓削駅で降りたのち、僕たちはタクシーで『山羊林市』の山間へと向かった。


 「ああ、ここで大丈夫です。はい。あ、領収書は宮内庁で。はい、お願いしまーす」


 「ウーン……。タクシー移動もめんどうだなぁ」


 また伸びをしながら有穂さんがそう言う。


 「まだまだ、ここから先は歩きだぞ」


 「うえええ」


 僕たちの前には延々と続く、かろうじて舗装された山道が続いている。タクシーは扉を閉め、走り去っていく。


 「えっと、今回向かっている『おがみ衆』って言うのはどういう団体なのでしょうか」


 僕は二人に訊く。今まで詳しい仕事の説明が彼らからされていないのにちょっと危機感を覚えたからだ。


 「確か宗教団体だっけ。来希」


 「ああ、そうだ。世俗でも認可される宗教法人で、教祖は10年以上前に死んでいる。以来規模は縮小していったが、全盛期は全国に数千人の信者を抱えていたようだ。大口の寄付もあったようで、その時の遺産の巨大な宗教施設、通称『おがみ場』がこの山奥に残っている。なんでもそこが聖地らしい。教義は真言密教に海外の……なんて言ったかな、マイナー宗教を足したような教義で、森を聖地とするらしいが、もう儀式はやっていないようだ。今は完全な密教ベースの独自教義になっている……と報告書には書いてたな」


 「なんでまたそんな、マイナーな所に俺らが行くことになったんだ?」


 頭の後ろに腕を置きながら有穂さんが訊く。


 「ああ、長官のジジイが言うには『確かな筋』からの情報で違法団体との取引があったそうだ、実際世界各地で『薔薇』がマイナー宗教団体と癒着し、何やら製造しているのが報告されているし、今回の『おがみ衆』も、最近信者が少ないのに活動が活発化していて、出費も多くなっているのが注目されていた。そこへ来て強制捜査拒否と、特殊結界の判明で俺たちの出番だ」


 「ふーん。特殊結界……。確か『聖地』とかで張れる結界だったよな」


 興味なさげに有穂さんが訊く。彼は僕を配慮しているのだろうか。


 「うん。そのせいで僕の『感知』もあの結界内に入らないと効果がない。中の事情はブラックボックスというわけだ。不明な魔術師が8人ほど、今日あの結界内に入ったのは僕の感知でわかっているけどね。それ以外の出入りは一部の在家信者以外ないね」


 感知能力……範囲内の人の状態や魔力の状態を観測することができる能力の事らしい。


 「え、今日って……」


 「ん、来希の感知は本気出せば日本のほぼ全てを観測できるぐらいの範囲だぜ」


 「流石に常時するのは脳ミソが壊れるから無理だけど、少しの間ならそれくらいはまあ」


 有穂さんが規格外であることはよく聞いていたが、宇美部さんも相当に規格外な能力を持つように思える。それともその感知能力は他の人もできることなのだろうか? 当然のように語るので判断しかねる。


 「感知に関しちゃ俺も来希に頼りっぱなしだからねー」


 「よせよ。お前の方がそれ以外の全てで勝ってる」


 宇美部さんは苦笑した。


 「二人とも仲がよさそうですが、付き合いが長いんですか」


 「ああ、俺たちは幼馴染でね。俺が来希の家……宇美部家の衛士として、親父さんに引き取られたんだ」


 有穂さんは誇らしげにそう語った。さっきまでのけだるげな様子が嘘のようだ。


 「ウチは代々貴族家でね。祖父は戦時期に裏で活躍して、戦後の国連との条約締結に貢献した偉人なんだ。親父も今は引退したが、神祇寮の創設に関わっている。衛士として孤児を引き取るのは珍しくなかったが、その中でも歩は特別でね」


 「親父さんは慈善家なんだ。俺は恩返ししてるだけ」


 「恩返しどころじゃないだろ。こいつ、日本の各種封印のための魔力を半年に一回補充する係を一人でやっててね、それまで何百人の魔力を必要としていたのを一人で担えるようになってしまったんだ」


 宇美部さんは遠くを眺めながらそう言った。


 「そのおかげで神祇寮の長官も俺には頭が上がらない。おかげで俺は割と自由に過ごせてありがたい。全然、苦じゃないぜ」


 有穂さんがそう話すのを聞いた宇美部さんはどこか哀しい顔を一瞬していた気がした。


 「ま、部下が偉くなって僕も親父も鼻が高いよ。ははは」


 宇美部さんはそう笑い飛ばした。

 山道はまだまだ続き、僕は少しだけへばってきた。二人は全く疲れを感じさせず、一定のペースで歩き続けている。


 「鳥羽君、今回の任務で一番きついのは移動だけだ。どうせ、すぐ終わるよ」


 疲れてきた僕に気づいたのか、宇美部さんは僕にそう言って笑いかけた。


 「前から有穂さんの強さは有馬さんとかから聞いてはいますが、ちょっと想像できないですね」


 そこまで早く任務が終わるとは前回から考えても想像できなかった。


 「いやあ、俺も有名になって恥ずかしいなあ」


 わざとらしく有穂さんが頭を掻き、前へ進む。


 「歩の強さは想像なんてしなくていい。掛け値なしの無敵だからね」


 宇美部さんは向こうを歩く有穂さんを見ながら真顔で言った。


 「誰も追いつけない、無敵」


 ――〇――

 2022年2月28日18時25分、フランス共和国、メトロポール・ド・リヨン県リヨン市『旧エジプト・メイソンリーフランス会館』にて


 「これは我々、『隠者の薔薇』の最終戦争に関わる重大事項のための任務なのです。報酬は今までの三倍、いや、四倍出しましょう。前金は既に各口座に振り込み済みです」


 『勝利』のカリオストロは黒革の椅子に座り、オーク材製の堅固なデスクに置かれたモニターと少々本格的なマイクスタンドに向け、そう言った。


 「不可解ですな。外様の我々ではなく、隠者の薔薇の子飼いの傭兵や下部組織、部下たちになぜそのような重要任務を与えないのか」


 モニターに映る通話の相手は頭の左半分を機械に置換した肥えた男。悠長に葉巻を吸っている。


 「この任務はあなた達のように周りに覚られずに対象に近づき、その組織力、軍量で以て早期に作戦を決着できる遊撃手が必要不可欠なのです。そのような組織は世界広しと言えど、あなた方のみですよ。それに我等の子飼いは、いわば囮役。敵側には規格外の化け物が居りまして。我々の全力で囮を演じねばならぬのです。その分、遊撃手のあなた方は比較的安全に、かつ重大な任務を遂行できるというわけです……。報酬はまだまだ釣り上げることもできます。何でしたら『引き渡し』の時にまた交渉しても宜しいですよ」


 モニター内の男は眉を歪ませにたりと笑う。


 「では、報酬に関しては事後交渉という事で……。この仕事、我々の全力をかけて引き受けましょう」


 「ありがたい。我々の窮地にこそ、あなた方のような盟友が必要なのです。では3月2日の作戦終了後にまた」


 「ええ、ジーク・ハイル」


 モニター内の太った機械の男がそう悪趣味な挨拶を終えると、モニターの通話画面が終了し、アプリケーションが停止。そのまま、パソコンの電源を彼は切る。マイクのコードを抜き、彼は立ち上がって、本棚と絵画に囲まれた部屋からバルコニーへと出る。


 「くくく、ようやく……か」


 口の端に伸びる口髭に触れながら、彼は、ローヌ川を遠方に眺める。この館はフランスの都市、リヨン市の複雑な市街の中に孤立する小さな『魔界』、ヨーロッパの諸都市にはこのような数軒や一軒単位の小さな魔界が点在しているのだ。カラフルな街の住宅、公園の森林、夕陽を反射するローヌ川の流れ、古都の情緒がその景色全てに集約されていた。


 彼の後ろに撫で付けられた長い黒髪が風に揺れる。彼の口は笑みに歪み、何かの破滅の予兆を見て不敵に笑う悪魔のようである。

 部屋にノック音が響く。


 「入れ」


 「は、トロネゲのハゲネが失礼いたしします。大首領グラン・シェフ。先日依頼した傭兵が面会に」


 ぴったりと体に合うように仕立てられたブラックスーツにしっかりと剃りこまれた坊主ボールドヘッドと眉、漆黒のサングラス、がっしりとした体躯、そして何より、左腕の巨大な『義手』と思しき、爪と刃によって構成された黒鋼の武器が特徴的だ。


 「お通ししろ。部屋に防音護符を張っておけ」


 「はい」


 ――『勝利ネツァク』のカリオストロ――

 作戦はすべて順調。全て快晴。来る3月2日は私の『勝利』がまた一つ叶う日だ。そしてその『勝利』は『来るべき最終戦争』の……。私の新秩序の『勝利』へと導くのだ。

 

 ――〇――

 カリオストロは扇の下でまたほくそ笑む。


――


 同時刻。ロシア、シベリア地方の平原にて。


 「カリオストロ……。今度の日本の輸送作戦に必ず奴は何か策を入れているはずだ」


 王冠ケテルのヨトゥムは葉巻を燻らせながら隣を走る、年若く見える兄、智慧のヨセフにそう語る。雄大なシベリアの雪原をスーパーカーのような速度で走り抜けている二名は、正に一陣の風のように、足跡すら残さず駆けている。脚のみが目にも留まらぬ速さで駆動し、上半身は固定されたかのように安定している。それゆえなのか、二人は平然と、走行しながら話し合っている。


 「確かに彼……カリオストロ君は『勝利』の座を得た時から度々不審な行動を行ってきた……。あの『魔力感知騒ぎ』から日本への注力も増えているし、何より2年前から『至高の三無』の独自の預言を憚らずに部下や幹部会で語るようになっている……。そのどれもがきちんと論拠や証明できる証拠を伴っているが……。だけれどやはり不審だ」


 前をまっすぐ見ながら、智慧のヨセフはそう語る。


 「兄者。やはり我々も奴と同じく工作で対抗すべきではないか。今回の輸送、確かに傭兵は奴の側からは誰も出ておらぬが奴の事、二重依頼を行っているやもしれん。それに奴は他にどんな手札を持っているかもわからぬ……。確かに雇ったものは同盟関係にある組織の上位層。特に『アリ・ケマル』は味方であれば心強い存在だが……」


 ヨトゥムの顔は不信感を募らせ、葉巻を頻りに吸う。煙は延々と後ろへ延び、さながら蒸気機関車の去ったあとのようである。


 「諜報部の方も三人、こちらに協力的な人員は確保できたけれどね。情報漏洩の心配は少ないとは思うけど」


 「諜報部はあくまで中立。……たしかに諜報部長を兼任する『理解』のヴィクトリアはこちら側だが……。秘匿された『知識』は諜報部で暗躍する独立した存在、奴の手中の者がどれほどいるのかは全く不明、諜報部だけではない、他の部門にも『知識』側の者はいるやもしれない」


 「おいおい、考えすぎだ。『知識』は『黄金の教示』の議論の中立と公平性のために『元老院』の秘密の指名で立てられているだけで、暗躍するための役職じゃない」


 少年が呆れた様な顔でヨトゥムを見る。


 「しかし兄者。昨今の評議会の議決はあまりにカリオストロ寄りではないか? たしかに私は組織の民主制を損なうようなことは言いたくはないが……」


 ヨトゥムの怪訝な顔つきはなおも続いている。


 「それこそ奴の手腕というやつなのだろう。新進気鋭の新幹部、しかも議会の指名によって後押しされ、カリスマ的な発言で実務上がりの独立心の高い幹部会を制している……。評議会の政治家・資本家連中にはこの上なくいい駒に見える、その実奴らは首輪をつけられ飼われているようなものだけどね。ただそれは同時に奴自身の行動にもある程度制限があるという事だ。独裁者のようにふるまえば奴も後ろ盾がなくなる。評議会を手下にするには『粛清』が不可欠だが、それをすれば僕たちが黙っちゃいない……少なくとも今は」


 整然と少年はそう語る。彼は腕を組み、右手で腕をコツコツと叩いている。


 「……もう一つ不安点がある。『至高の三無』は以前まで定例会以外で『慈悲』のゲドゥラーに交信したことはない。また、あのような途切れ途切れの交信などありえん」


 ヨトゥムは兄を向く。その瞳には焦燥さえも見える。


 「だけどあの場所は隔絶された場所だ。【『王国マルクト』たるCRC】の結界術により『彼女』の能力外の通信は完全に遮断されるはずだ……ここを含め、我々『隠者の薔薇』の支部がすべて相互に通信が可能ながら『南極卿』と『秘匿課』、その他世俗や神聖の通信傍受が為されないのは彼女あってこそ、それが破られることなんてありえないだろ?」


 そう宥める少年の顔は、言葉に反して不安げだった。


 「ウム……。だが……不審なのは兄者にも感じられたであろう」


 「それは……そうだね。……だけど僕たちに今わかることじゃない。目的を見失っちゃいけないよ、ヨトゥム」


 少年は諭すように言葉をかけた。


 「……そうだったな。我々の目的はあくまで『世界のさらなる発展』『世界のさらなる平等な幸福』『世界の安定』……そのためにあの独裁組織『南極卿財団』を撃ち滅ぼす『最終戦争』を必要とするのは皮肉ではあるがな」


 「でも、話し合いにすら応じない権力は闘争によってしか覆せない。現実は皮肉よりもずっと残酷……」


 哀し気な表情が二人に宿っている。その表情は兄弟らしく一致していた。


 「……今月の『国境なき呪医団』の報告は良いモノでしたぞ。兄者。世界は我々の手で少しずつマシになっている。『来るべき最終戦争』後はもっとこういった活動が広がる。」


 「ああ、そのためにも、カリオストロ君の企みに対抗する作戦を進めようか」


 シベリアを疾走する二つの影は、アジアを目指し、雪上を滑り続ける。


 ――


 ――〇――

 2022年2月18日13時15分、トルコ共和国、イスタンブール都にて。


 ――ドロア・マエスティティーとアモル・リュボーフィー――

 『3発』耳元でそう、あいつが囁く。体に3か所、触れられる。左胸、右腕、腰の端。冷たい冷え性の、あいつの手の感触。俺の世界は、それだけ。それ以外の情報など俺にとってはゴミカスも同然。なら自分で塞いじまえば。

 俺は走りながら触れられた体の部位に魔力を集中する。己の身体は大きな世界だ。世界地図の中の微細な都市に、力を籠めるように、命を集中させるように、俺はそこを守る。時間など無限に近しい。いつ、俺のその地点に『弾丸』が触れるのか。俺の防御力は十分なのか、そんなものはあいつが全て教えてくれる。俺は俺の世界をどう動かすかだけが全てなのだ。


 「クソッ。クソッ。クソッ。くたばれ変態野郎!」


 オイオイ、口が悪ぃな。『全く失礼しちゃうよ』


 「あまり叫ぶな、死に際ぐらい誇らしく逝こう」


 俺は奴の頭を掴む。『顎に3発。もう弾切れだね』魔術師の癖に呪物でもない銃……値の割に弱いな。顎に1gの魔力防護を……。


 「ひいぃぃ、ころ、殺さないで。ああ」


 「悪いね、慈善事業じゃねンだわ」


 俺はそのまま力を籠めて奴の頭を握りつぶす。『視たところ、ヤバイ術はなさそう』

 ぱきょっと軽い音を立てて温かく濡れた塊になる。奴の顔など知らないが、もう死んだので興味もない。意味もない。命の壊れるのはいつだってそんなもの。『そうだね』


 「ヤッテルナ」


 『アリ・ケマルだ』


 「ダンナぁ。覗きはあんまりいい趣味じゃねえぜ」


 『彼は壁に寄りかかり腕組をしている。口髭の下でほほ笑んでいて、それがニヤッと笑みに変わった。丸いサングラスが鈍く光っている。格好はいつもの白いポロシャツに無地のズボン。皮のベルトと靴』


 「マァ、ソウ、硬イコト言ウナ。ソイツハ、オレモ追ッテイタ」


 「あらら。お先に失礼しちゃったの」


 「フン。マ、ソンナトコダ。ダガ……」


 『彼は手を出して……いた。見えなかった。』俺には風だけが伝わってくる。少し間がある。衝撃波か。相変わらず凄まじいナイフ投げだ。『君が殺した死体に三本のナイフが刺さっている。そのナイフ一本一本には封印術が施されているようだよ。アリさんがチッチッチッと指を振っている』


 「自爆特攻ノワザハ、コイツラノ『オハコ』ダゼ」


 俺は死体の服の下をめくる。『刺青だ。魔力はほとんどない。多分完全に絶命した時に発動する形式……なのかな』それでこの仕事の報酬が割に合わず高いのか。先に言えよあのジジイ。


 「コッチデ仕事スルンナラキヲツケルコトダナ。……ソウダ、仕事デオモイダシタンダガ、ドロア。オマエ『薔薇』カラ依頼来タカ?」

 

 「ンああ。来てるよ」


 「オマエノコトダ、忠告シテオクゾ。今回命ガ惜シケレバヤメトケ。オ前ラ傭兵ノ仕事ジェネエ」


 『彼は真剣なまなざしで君を見ている』ま、やべえ仕事だろうな。前金一億、報酬四十億出すって言ってるから。しかも、あの『薔薇』の依頼だ。


 「俺ぁ金がいるんだよ。ダンナ。それに俺が受ける仕事は俺とアモルが決める。他の人に口出しされンのは嫌いでね」


 「ヘ、『アモル』ネ。ソイツノ調子ハドウナンダ?」


 「すこぶる元気さ。今も俺の隣で浮かんでるよ。いやこれって調子良いって言えるのか。……ああ、調子良いそうだ」


 「……マッタク、オモシロイヤツダヨ、オマエハ。ソレダカラオマエニ忠告シテヤッテンダカラナ。マ、ドウシヨウガ結局ハ、オマエノ決メル事ダガネ」


 『彼はそう言うと死体に近づき、指を一本引きちぎり、ナイフを引き抜く』俺も指を一本引きちぎる。


 「マ、オタガイ、命アルウチニ会エテ今回モヨカッタ。次ハ意外ト早ク会エルカモナ」


 『彼はそう言って、手を振って去って行った。……あの依頼、受けるの? ドロア』


 「そりゃ受けるさ。『俺たち』には金が要る」


 そう言っておれは背中の冷蔵庫を撫でる。『撫でられてもわかんないよ。扉越しでも、そのままでも』


 「そのために金が要るんだろ」


 『そうだね。でも今こうしていられるのはドロアが居るからだよ』


 「ま、そう、か。それもそうなのはわかってるよ」


 俺はそのままフラフラと路地を出る。空に向かって話してる、両目眼帯の異常者として街を歩く。


 『イスタンブール、悪くない景色だよ』

 お前がそう言うなら。好い街だ。俺にとっても。


――


 ――〇――

 2022年3月2日15時30分、『おがみ場』結界内寺院前広場にて。


 「嘘だろ……」


 「死んだ……」


 ――『オニ』――

 片言のトルコ野郎が死んだ。野郎の死体は俺の右側に吹き飛び、そこには大穴ができている。死体はもう形も残っていないだろう。


 「奇襲してくるから相当自信ありかと思ったら、術式破壊で動揺、ナイフもとりだせず、防御トチッて肉塊……。弱すぎだよ、舐めてんの?」


 奴は戦闘だってのに悠長に喋って立ち尽くしている。だが、この場の全員が、俺も含めて奴の気迫に、そして妙な術に恐怖している。俺はわかる。奴の術式あれは確か朝廷の……。


 「やはり規格外……!」


 ――『サトー』=土御門春奈つちみかど はるな――

 この『おがみ場』に三人で入って早々、奴……『有穂歩』は襲い掛かってきた『アリ』に対して布のようなモノを発生させ、奴の『皮膚を剥がす術』を解除したように見せた、奴の術はテュルク語のはずが、日本人の有穂に、あっさりと術式に介入されたように見え、奴はそれに動揺する。その瞬きひとつの隙に3発、なんの術式もないただ魔力を込めた殴り!

 一発一発が戦車砲並!

 頭部、胸、腹の正中線に入れられ血涙、鼻血、吐血し内臓破裂で絶命……死体が吹き飛んだ先に大穴が開いている……。

 『アリ』は王冠ケテルの雇った我々傭兵の中でも特別指定級との戦闘経験のある精鋭、術式も体術も機動性に優れ、奇襲として真っ先に相手に一撃を入れて離れる遊撃手の予定だった……防御が不完全とはいえ私の護符での防護はあった筈……それを殴り壊している。相手は『特別指定級術師』とは全く異なる『特異指定存在』……!

 まさに『災害そのもの』……だが。


 『泰山府君、天曹、地府、水官、北帝大王、五道大王、司命、司禄、六曹判官、南斗、北斗、家親丈人……畏み畏み奏上致す……。』


 私の儀式により一時的にこの12体の冥府の神は私の魔力と身体の負担を補助する。作戦は未だ滞りない。



 「調子に乗ると足元をすくわれるぞ、お若いの」


 ――有穂歩ありほ あゆむ――

 俺の真正面に寺院の三階から飛び降りてきた僧侶のジジイが着地する。スーパーヒーロー着地って奴だ。爺の癖に足腰強いな。


 「へェ……足元もおぼつかない古いのジジイが良く言うね」


 俺は手を前につきだし、呪文も言わずに術を出して自分の『境界』の領域をジジイに伸ばす。

 ジジイは魔力を込めた足で地面を踏みつけ、曼荼羅の絵を魔力と地割れの罅で書きだす。密教系の結界術師だ。


 『オン・マカキャラヤ・ソワカ』


 不敵に笑うジジイは黒い三面六臂の大仏を背後に出現させ、感知能力の薄い俺でもはっきりとわかる魔力を発揮している。術式の強度はメガトン級程か……?

 術式がさぞ有名な仏の相を利用したものなのだろう。俺は知らんが。



 ――〇――

 結界術と境界術はその性質の多くを同じくするが、幾つかの性質において異なる。結界術は印や楔、柱などの物理的な媒体を起点に空間を支配するが、境界術にその媒体はなく、故に形も範囲も術者の意のままに変形できる。結界術は媒体のある分、媒体が壊れなければ結界が解除されることもなく、媒体自体は結界術の効能により再生機能を得ている。反面境界術はより強い魔力を帯びた術式、魔術的結合によって結界術と比較すると突破できる可能性は高い。

 境界術は結界術に押し合いで劣る……だが、有穂歩は無敵だった。



 「んな……!? ッ両界曼荼羅結界が……!」


 有穂歩の最大魔力量は約60t。特別指定級相当の最大魔力量の基準は10kg。

 

 この規格外の魔力量に加えて、彼の操る術式は平安、奈良時代以前より連綿と続く日本神道の伝統的儀式『魂鎮祭(たましいしずめのまつり)』とそれに登場する十種の神の宝『十種神宝』を模した『饒速日命十種神宝神法魂鎮祭(にぎはやひのみこととくさのかんだからのしんほうたましいしずめのまつり)』。これはいわば日本の神道の歴史のそのものを力とする術式である。術式自体の強度は『核融合級』。人間の科学でさえも未だ取り扱えぬ領域、恒星に関わる類のエネルギーを彼は操っているのだ。



 ――有穂歩――

 ジジイの出した両界曼荼羅の紋様が焼け消えてゆく。やはり術式を殺すのは非効率。だが、触れずに境界で押し合うだけで倒せるのならそれに越したことはない。ジジイの結界は縮小し、後ろに現れた大仏もヒビが入り始めている。


 「突っ立って見てるワケねーでしょ」


 両目眼帯の『眼心』野郎が俺の後ろを取ろうと大きく動く。俺はそちらへ境界を延ばす。境界触手による立体的な攻撃だが、奴は見えているように躱す。馬鹿でかい金庫を背負ってるくせに予測で上手く躱している。感知系か?


 ――『アモ』=ドロア・マエスティティーとアモル・リュボーフィ――

 俺が動き始めると奴の境界はこちらへ触手のように伸びたらしい。『ドロア、二歩先に触手進行予定。左に二歩避けて』了解。左側へ二歩。『そのまま十歩前へ』一、二、三、四、五……愛する者の言葉だけが俺の世界の全てだ。


 ――有穂歩――

 奴はいまだ俺の境界がどう動くのかを正確に予測し、視界が見えているかのように動きつづけている。厄介だな。ふざけた格好はブラフか。まだジジイの術式を壊すのには時間がかかる。左側からは鬼のような奴が、俺に向け銃を構えている。通常の拳銃ならどんな口径でも無意味。馬鹿でかい銃は呪物か?


 ――『オニ』――

 俺は片手で『茨木』の20ミリ弾をフードの野郎の後ろにいる詰襟野郎にぶっ放した。一発、二発、三発、四発。俺の腕の一部が使われた弾丸は正確に動ける。奴の境界を音速でかわす。撃ちながら俺は境界術野郎の方向へ少しずつ前進する。本当の標的の詰襟野郎は何やら弓を持っていたが……。


 「危ないなぁ……」


 ――鳥羽或人――

 突然、奥の鬼のような外見の傭兵が銃を撃つ前に、宇美部さんは弓を手に、矢もなく撃つ真似をした。するとその後、四発、何かが壁にぶつかるような音がして、彼の2メートルほど前に4発の弾頭が傷一つなく転がっていた。奴の弾丸はどういう軌道なのかこちらへ向かっていたのだ。


――オニ――

 クソっ撃ち落とされた。とんでもねえ介入術とパワー、感知力だ。俺はそのまま、境界術野郎の境界へ踏み込む。丁度眼帯野郎と攻撃は被りそうだ。


 ――有穂歩――

 鬼は躊躇なく俺の境界の内部に入った。居るのは俺から丁度4メートルほど離れた地点。ちょうどそこならこの術式が良くキクだろう。『ちがえしのたま、御霊振、ふるべゆらゆら』

 心の中で俺は唱える。心の中で振り子が揺れる。俺の首飾りの中に地反玉の紋様が映る。


 ――オニ――

 重い!? 境界内に入った途端、『身体』が『急激に重くなる』、だが、まだ走れる。『重い』、どんどん『重くなる』、近づくたびに?


 ――有穂歩――

 鬼は一歩一歩近づくたび、その身体を重そうに地に近づけていく。奴は術中。右の眼帯野郎は境界に入る一歩前、武器の持ってない方の手で右の眼帯を開き、右目を見開いてきた。


 「初めから全力で行く」


 ――ドロア・マエスティティー――

 『三重感覚封印術・心眼術反転式邪眼術』【無明 A farewell to Arms】光を棄てろ。


 ――有穂歩――

 奴の瞳は奇妙な色、幾つかの色を示すプラズムの色をしている。……『心眼術』? 細胞レベルの魔力操作や感知能力を有するという……だが何故今目を。


 ――〇――

 反転術式。介入術の一種であり、術式の効能を意味的に反転させる意味を持つ言葉を魔力的結合内に注入することで術式の効能を変化させる術であるが、これを術者自身が行うことで、術式の効能を別のものへと変化させるテクニックがある。ドロア・マエスティティーは『心眼術式』という魔力感知・予知に優れた瞳と脳を得る術式を自らに刻み込んでいたがそれを反転させることで『感覚を遮断する』魔術である『邪眼術式』へと変更した。

 さらに、彼は自身の感知能力、予知能力、視覚、聴覚を全て自らの魔術で封印した。それによって彼の邪眼術は爆発的な破壊を伴うものとなり、目に映るすべてのものを破壊しつくす『真の邪眼(バロールの目)』を手に入れたのだ。



 ――有穂歩――

 突如奴の瞳から俺に闇が広がるようなエネルギーの放出が起きる。これは、直はマズい。俺は手でガードをしながら前へ避ける、ジジイの方へと。


 「俺を一歩動かしたのは久々だ、褒めてやるよ」


 ちょっと火傷した手の甲を振って冷ましながら、俺はジジイの結界内へ頭から入る。怪我なんていつぶりだろう。面白くなってきた。


 「くっ、若いもんに負けておられんでな」


 ジジイは手で幾つかの印を結び、後ろの仏像はそれに応じて俺に襲い掛かる。結界内部は幾千の拳で満たされ、打撃の雨が始まる。一発一発は手榴弾程度。だが手数は数百。全て必中。緩めの全身防護でしのぐ。『くさぐさもののひれ、御霊振、ふるべゆらゆら』

 俺の手に『品々物之比礼』の布が現われる。それで大仏や拳を撫でてやるとそれらは解呪されたようにさらさらと消えていく。


 「なっ。……結界内で解呪じゃとぉ!?」


 ――『シン』=眞如――

 不可能!

 だが、介入された感覚、書き換えられてゆく術式、魔術的結合の崩壊、感覚総てが儂の自身を侵害し揺さぶる。現実が儂の世界の動揺を誘う!


 ――有穂歩――

 俺は、右手を地面につき体を支える。ジジイが一瞬動揺している隙に曼荼羅を俺の境界で焼き壊し上書きする。大仏も拳も一応はこれで大丈夫。眼帯野郎と鬼がこっちへ向かっているのが見える。だが、それも体がもたないようで、地面に膝をつく寸前だ。ジジイは直ぐに持ち直しこちらに仕掛けてくるが一手遅い。俺は境界をじわじわとジジイの元へ延ばし、結界を焼き壊す。


 「糞餓鬼がァ……ッ!」


 勝負ありか。


 「甘イ!」


 人間のような顔に嘴をもち、鋭い爪をした5メートル近い鳥が爪を立て、後ろからとんできた。片手で跳躍してひょいと避ける。


 「精神操作術ダナ。重力モ、術式解除モ、スベテ幻覚!」


 その鳥はそう語った。


 「ご名答。遠隔操作の式神……『以津真天(いつまでん)』だな、それは。術者は大方、あの寺院の頂上階かな?」


 そのまま鳥の式神を蹴り壊し、俺は立つ。だが、いつの間にか空には千を超える式神がカラスの大群のように舞っている。随分と時間をかけた準備でもしたのか。こんなのは初めて見るなぁ。鳥どもは『いつまで』『いつまで』と不気味な鳴き声を発している。


 「どうやら、大計画のようだね。俺や秘匿課以外でこの量の式神を即座に出せる人間はいない。また、式神術にここまで精通した人間も少ないはずだぜ、式神使い君。……来希! あとの仕事増えそうだわ」



 ――鳥羽或人――

 眼帯の人や、鬼、僧侶が鳥のような生物の大群が波のように覆い、彼らを拾っているのに余裕そうに彼はこちらに話しかけてくる。


 「事後調査は任せろ」


 宇美部さんは笑いながらそう返す。そして僕の方を見ると何か気付いたように話す。


 「心配そうだな。鳥羽君。さっきから言ってるだろ、あいつは無敵だ」


 宇美部さんの絶対の信頼は全く揺らいでいない。だが、彼がその言葉を言う度に瞳がどこか遠くを見つめているのはなぜだろうか。


 「それよりも鳥羽君。君、『視えてきている』ね。俺、感知強いからわかるけど、君結構覚醒してきてる」


 空に鳥たちの渦が生まれる中で、彼はそれを意に介さずに僕に話しかけてくる。


 「はい……前までは見えませんでしたが、有穂さんも他の奴らも攻撃や防御、跳躍の際に『力み』みたいに魔力を込めていることが何となくわかります。金剛さんも教えてくれました」


 『魔力の扱いに慣れたならば『力む』ように自らの身体に魔力を込め、筋力や移動能力に大いなる力を与えることができるのだよ。ま、術式使った方が効率は良いがな』


 僕は金剛さんの言葉を思い出す。目隠しで金剛さんの気配を追う修行や、屋根を飛び移っていく修行など、基礎的なことと思われるものばかりの修行だったが、確実に力にはなっていることがわかる。それだけに、彼ら、有穂さんは勿論、敵の三名の淀みない動き、魔力の操作、術式の結合をどう守っているのかなどが仔細に理解でき、同時に恐怖さえ抱く。


 「鬼みたいなのと眼帯の人は武器として『呪物』を携行しているようだ。わかるかい?」


 「はい、道具自体が生き物みたいに魔力を持っているのがわかります、しかも、なんだか、禍々しい……」


 「そ。……それが呪物。術式を自然現象もしくは呪術師の儀式によって得た物品だ。呪物ってのはヒトの恨みつらみ、愛情、愛着なんかの愛憎入り混じる思いを受けて出来上がる。術式と同じく関わった人が多く、それを信じる人が多いほど力が強くなっていくようだ……信仰との境目はないし、魔術との境も曖昧だ」


 「……式神以外にもなんだか、薄い人間のようなモノが見えます。あの眼帯の人にぴったりくっついている」


 ――宇美部来希――

 そこまで見えるか。全く、有望だ。立つ瀬がないね。


 「……ああ、あれは恐らく……」



 「連携攻撃といこうぜ『サトー』、『シン』、『オニ』!」


 ――有穂歩――

 眼帯野郎の声が聞こえる。以津真天の大群は渦を造り、竜巻のようになって俺へと、中心が向かい、降りてくる。俺はその大軍を足場に、空中へ上ってゆく。


 「遅いから足場になっちゃうよ」


 あるいは誘っているのか。一匹一匹踏むたびに確実に壊しているがこの量。俺は境界をゆっくり半径12mほどまで広げながら、空を駆ける。


 「射程は長いんだぜ!」


 鬼野郎の銃弾が後ろから放たれる。境界のギリギリ外側、空中から銃弾を撃ってきた。呪物に当たるのは面倒。弾道は……こっちに避けるべきか。


 「残念じゃったの、小僧」


 僧侶が射程外から拳の衝撃波を飛ばす。奴の大仏は弾丸の予測軌道とクロスするように俺の逃げ道の一つを潰す。誘導されている。


 「誘導されてるぜ」


 眼帯野郎がかなり遠く、15メートル先の鳥の群れの中に突如現れた。眼帯は両目外され、目は見開かれる。防御――


 『ポッ』


 かなり広い範囲が軽い音と共に焼き消された。いくつかの式神が塵灰すら残さず焼失している。俺も腕の部分の服が焼け消えて、更に数か所、軽い火傷をしてしまったが、咄嗟に腕でかばったおかげでそれ以外は特に何ともない。直撃はやはり俺の防御でもヤバそうだ。


 「鬼だな。全く」


 「怪物小僧が……」


 「これでも全力だったんだぜ?」


 『だが』


 ――土御門春奈――

 『式神操作術:極 簠簋の蟲毒』有穂歩、お前を動かせはしない。


 ――有穂歩――

 全員がにやりと笑う、鳥の大群がおれを中心に籠のように集まっている。何時の間にか俺は袋の中のネズミだったというわけか。籠が一気に中心に収縮するように、俺に向かい何百匹もの怪鳥が一斉に体当たりを仕掛けてきた、鬼も銃弾をその馬鹿でかい二丁の拳銃からマガジンが尽きるまで発射した。やれやれ。


 『ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり ふるべゆらゆら やつかのつるぎ 御霊振 ふるべゆらゆら』


 ――眞如――

 儂を含めた、その場の傭兵三人がその言葉を聞いた。


 「呪文詠唱……」


 『アモ』と名乗った眼帯の男は生唾を飲みその言葉呟く。『オニ』を名乗る男は弾丸の装填を行いつつ片方を鉈に持ち替えた。今まで無詠唱で神業を為してきた者の完全詠唱。なにが出てきても不思議ではない。……奴の境界が儂には見えない。境界を閉じたのか?


 「――斬撃だと? 何が起きている?」


 ――土御門春奈――

 式神が切り殺されている。私の式神たちが中央にいる有穂にぶつかり圧死する前にすべて何重にも切られバラバラにされて壊されている。

 奴は刀を持っていない。斬撃系の術式?

 360度あらゆる方向に向けて?

 この一分間連続で?

 式神は決して柔らかくはない、両断程度ならそのまま動く、それを再起不能なまでに一瞬で……奴には……それが可能だというのか。式神の視界を一匹、共有する。大群の中、中心に向けて伸びる管のような鳥の流れ、その向かう先、あれは。

 ポケットに手を突っ込み、首を掻きながら、彼の周囲に球のように張る境界、そこにぶつかる式神たちを詰まらなさそうに眺めている。式神はその境界に触れた瞬間に斬撃を受け、壊れていく。よく見ると微細な刃が縦横無尽にその球を走っている。


 「物質の生成……。まさか……!」


 ――〇――

 多くの魔術は想像イメージを魔力によって肉付けし、霊体のような状態で出現させている。また、物理的な物質を操る場合でも存在している物質を置換したり、変化させたり、魔力によって形を整えるのがほとんどである。そのため、厳密な物質生成は行っていない。無から物質を生成し実在化する魔術には原子核融合に類するエネルギーが必要であり、さらに、それを任意の物質構成にするための精密な制御も同時に必要とされる。制御に関しては術式により、する必要をなくすものもあるが、その分大きな魔力を消費する。エネルギーに関しては術式単体でそのエネルギーを賄えるものはない。最低でも1t近い魔力を瞬間的に消費することになる。これを賄える者はごくまれであり、特別指定級相当の魔力量では足りない。

 だが、有穂歩は違った。


 「ん、終わったか」


 ――有穂歩――

 すっきりと晴れた空の中で、俺は空中に立っている。地上に山のように積まれた鳥の残骸は灰のようになりサラサラと崩れてゆくが量が多い。まだ百体程度残っていた鳥どもはすっかり逃げ去っていったようだ。刃の実在化は境界を半径1メートル程度にしないとかなり疲れる上に、呪文が面倒くさい。

 俺は恐れを抱く三人の傍観者に向けて語る。


 「興が乗ってきた、刀で相手してやるよ」


 俺は右手に刃を再構成し、刀を造る。『やつかのつるぎ、御霊振、ふるべゆらゆら』

 その瞬間、鬼が、笑みと共に軽口を叩き、切り込んでくる。


 「境界がなくて助かるぜ」


 ――眞如――

 『オニ』が奴に向け一直線に飛来し、鉈を振る。切り込み役が居るのはまだ救いじゃ。儂は空中で只管打座を組み、真言と印を組む。再び大黒天を顕現させ、向かう。


 ――オニ――

 奴は俺の鉈を刀で受け止める。かかりやがった。俺は呪具の力を解放する。奴の火傷から血がこの鉈へ引き寄せられていく。『血酔鉈』。俺と同じ平安の呪具だ。


 「へえ、面白い呪具だ。だが……」


 突然奴の刀の刀身の感触が消え、腰を後ろに曲げ避けた奴のおかげで俺の鉈は虚空を空ぶった。奴の刀の一部は幻覚か?


 「俺の刀も呪物なんだよ」


 奴の刀に俺は腹を刺される。奴の刀の鍔にかなり近い部分に本物の感触がある。本来の長さは三寸ほどしかない。だが俺の腹は鋭い魔力の力によって貫かれた。


 「堅」


 俺は貫かれたまま、奴を掴む。奴の後ろに、坊主の出した黒い仏がぬるりと下より現れて六本の腕で奴の身体を掴み、強く握る。何故か俺の痛みは増してゆき、全身が焼け爛れるような感覚が確かに感じられる。奴の幻覚だ。


 「今だ!」


 『アモ』の野郎が奴の左隣に飛来し、左腕の目の前で両眼を見開き、邪眼とやらの力を解放する。目も耳も魔力も知覚できないのになぜ奴は正確な動きができるのか。後ろに背負っている馬鹿でかい棺桶がその理由か。


 ――有穂歩――

 俺が三度も食らうわけないだろ。『おきつかがみ、御霊振、ふるべゆらゆら。』


 ――ドロア・マエスティティー――

 『ドロア、目を閉じろ!』突如、『アモル』がそう指令する。俺は全く疑いなく目を閉じ、離れる姿勢を取る。『そのまま後ろへ三歩。……ドロア、そろそろ離脱する?』


 ――眞如――

 『アモ』が目を見開き邪眼の術を発動される一瞬前、奴の腕と『アモ』の間に何の前触れもなく鏡のようなモノが現われた。無詠唱魔術。魔術反射か? ならば、儂の大黒天の拳を食らえ!

 儂は印を変え、大黒天で攻撃を行う。結界内でなくともこの距離ならば外しはしない!


 ――オニ――

 ジジイが機転を利かし『アモ』の離脱に応じて攻撃を開始した。激痛に苛まれながら俺は右手の鉈へさらに力を籠める。この呪物の術式が俺にできる唯一の抵抗だ。


 ――鳥羽或人――

 有穂さんを掴みながら、黒い仏が拳を振るう、その拳は彼の出現させた鏡のようなバリアに触れると、大仏の拳のみが壊れた、その拳は土石でできているようだ。驚いた様子の僧侶をしり目に、有穂さんは鬼に蹴りを入れる。彼の腕の傷口から血が鉈に吸い取られているのを先ずどうにかするつもりなのだろう。

 凄まじい威力の蹴りは空を切る音を幾つも出し、衝撃波のような突風を纏っていた。だが、その鬼の身体は頑丈にも壊れることなく、骨が折れる音もない。体の頑強さは有穂さんと同格にさえ思えた。


 「……驚いたな……。本物の平安の鬼か」


 宇美部さんが顎に手を当てながらそういう。


 「平安の鬼が今まで生きていたってことですか」


 「いや。恐らくは『怨霊』という形で魂が残り、遺体の一部を使った儀式でよみがえったのだろう。伝説に残る様な信仰対象となった人物は人々の思いによって魂が魔力を帯び『霊体』を得ることや、遺体が呪物化することがある。呪物化した遺体は受肉儀式なんかで肉体を完全再現して復活できる。『霊体』はそのまま魔力の存在として式神みたいに、疑似的にこの世に干渉できるんだ。デカい怨霊……『平将門』や『酒呑童子』、『菅原道真』なんかはどっちも持っているから、どっちも神祇寮で封印している。……あの鬼はそう言った類のものだろう。恐らく、茨木童子か……」


 「茨木童子……」


 「ああ、それなら由来神社による封印も少ないし、まだ発見されていない呪物があっても不思議ではない。ネームバリューも十分なはずだ」


 有穂さんの再三の蹴りにより、あの鬼は気絶したのか、寺院の建物へと吹き飛んでいく。僧侶は動揺しながらも同じく建物へ入る。


 「鳥羽君。今度はもっと感知を高めるレッスンだな。視界ではなく魔力感知でここから観戦していこうか」


 「は、はい」


 僕はゆっくり目を閉じて周囲に集中する。森の奥の僅かな音に耳を傾けるように感性へゆっくりと意識を落としてゆく。



 ――



 ――渡辺常男わたなべ つねお――

 どうして、俺はこんなところで裸吊りにされているのか。衣服がなくなるだけでこんなにも人は、寂しく、恐ろしいものなのか。寒い。地下室らしきこの薄暗い部屋は厭な湿気と冷たさがある。1月のこの時期に山登りなど、ましてや巨大な宗教施設の動画を取るなど、やはり無謀だった。いや無謀と言うより……こんなことになるとは思う方がどうかしている。この日本の治安で、いまだにこんなことをする輩がいるなんてあり得ることじゃない。畜生。会社ではこき使われ、動画は鳴かず飛ばず、挙句バズりを狙った突撃動画の撮影でカルト共に掴まり服を取られ、クソックソックソッ。おれに、俺に力が在れば。スーパーマンや、せめてバットマンみたいな。はは、こんな時にそんな空想……。笑う気力もない。

 鉄の扉が軋む音をたてて開く。


 「よし、運び出せ。儀式の時間だ」


 奴らは俺の鎖を一つずつ棒に繋げ、俺を担いで運び出す。まるで生贄の豚みたいだ。そのまま奴らは階段を上り、外に出ると、広場の中央に造られた円陣、儀式の台、篝火が規則的に配置されている。俺はその中央の儀式台に置かれる。ホルガ村の儀式かよ。セックスでも始めるつもりか、クソッ。そう思ったら奴ら、黒い覆面みたいなのをしながら本当に下半身を露出してやり始めやがった。ばかじゃねぇのか。

 複数人が円を描き並びながら一斉にセックスする光景は異様だが安いパロディAVにも思えてくる。やはり人のセックスはどこか滑稽だ。黒い布に覆われた一人の男が中央に立ち、正面の森に向けて何やら意味不明な言語の意味不明な呪文をつらつらと歌のように唱えている。念仏? いや、違う。何だこれは。マジで意味が分からん。俺は寒空の下丸裸でくしゃみを一つしたのち、他の一人が何か……ミイラの腕? を持ってくる。片手には奇妙な形で怪しく光るナイフが握られている。オイオイ。やめてくれ。なんだってこんな山奥に来て、人がセックスしてる横で死ななきゃならんのだ。

 銀色に怪しく光る鋭い刃が重低音の「いあ! いあ!」だのとのたまう呪文と共に俺の喉元に当てられる。痛みはない、撫でているだけなのか? だが奴らはそのまま、その腕のミイラを俺の喉へ押し付ける、それは俺の身体へ入ってゆく。俺の喉は既に切られていたというのか? 奴らの思うまま、俎上の魚だ。畜生。何だってそんなキモイ干物を肚に押し込まれなきゃ……ああ、くそ、頭がくらくらする。クソッタレ。むかつくぜ。あの上司、この糞ども。カス共、クソッタレのチンカス野郎ども。猿どもめ。クソックソックソックソッ。殺してやる。絶対に殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!



 ――



 〇:2022年3月2日15時45分、『おがみ場』にて。


 ――有穂歩――

 刀を腰にしまいながら、入り口のぶっ壊れた寺院に入る。外観はなかなか豪勢な7階建ての巨大建築だが中身は小学校の校舎みたいに質素だ。一応耐震基準は満たしているみたいだ。いくつか装飾とは関係ない補強も見える。


 「屋内戦闘かい?」


 正面の階段を上ろうとした途端、天井をぶち抜いて六発の銃弾が俺に向けて現れた。鬼野郎の銃弾だろう。『おきつかがみ、御霊振、ふるべゆらゆら』

 俺は興津鏡を展開し、銃弾を反射した。銃弾は実体、魔術が掛っている。一発食らっちゃったな。……さっき発射していたものとは別。ブラフが巧い。奴は直ぐに感知範囲から逃走した。上に逃げた様だ。

 俺はそのまま、二階へと足を踏み入れた。


 「結界術師の屋内戦闘は一味違うぞ、小僧ぉ!」


 二階には無数の杭が打たれ、幾つもの結界が壁、床、天井問わず張られている。一つ一つ壊すというのは現実的じゃない。術中に揉まれながら対策を考えるか。


 「ハッ!」


 階段から右手、数メートル先の結界に現れたジジイは浮遊し、一メートル四方程度の結界内で加速、別の結界内でも加速と結界内での加速をつけることでこちらへ攻撃を仕掛けてきた。俺は右ストレートで迎え撃つ。


 「甘い!」


 ジジイは加速そのまま結界内で方向を切り替え、右左右と結界ごとに複雑に方向を変化させて、俺の後頭部へ蹴りを入れ、逃げる。そのまま縦横無尽に室内を飛び回り加速を続ける。手練れの結界術師だ、幾つかの術式を使い分けるタイプのようだ。


 「ホレホレホレホレ」


 時速百数十キロ程度の速度で攻撃をあらゆる方向から加えてくる。まだ全身防御を張れば軽傷でいられる。だが加速し続ける速度に対応するには……。


 ――眞如――

 彼奴が為すが儘というのは不気味。

 奴め、魔力による防御も大雑把にしておるがそれにしてもなんて硬さ!

 速度の累乗により今の儂の攻撃による衝撃は奴の素の攻撃にも匹敵する筈。

 ……ならば加速を続けるまでよ!

 蹴り、突き、殴り、効いてきた。150キロ……まだまだ、250キロ……300。400、600、900、1200キロ!

 これを食らえば奴とて無事では


 「ここかな」


 奴は儂の足を掴んだ。バカな。音速に到達した瞬間の儂の動きを……反動なしで!?


 「ご苦労さん。動きはランダム化むずいよね」


 ――有穂歩――

 足を握りつぶし、強めのエルボーを胴に叩きこむ。だがそれは外れ、床に地下まで続く小さな孔が開いた。衝撃波が煩く、風で髪が乱れる。奴は足を自らの術式で切り落とし逃げたようだ。俺の手には奴のボロ雑巾のように壊れた足首だけが残る。


 「足首ひとつ、何だというのか。我等が救いの世界は貴様には壊せん」


 念仏を唱えだすジジイに呼応し、突如全ての結界内に奴と同じくらいの体格の仏像のイメージと『マニ車』が反映される。それらは共鳴し、回転を始め、結界を超えた巨大な結界を創り出す。……この仏像一つ一つが曼荼羅を示すのか。結界の成立には簡易的であろうと大きな消費を伴う。たとえ仮想マニ車で呪文詠唱コストを下げたとしてもこの規模は……最後のつもりか。


 『ガラガラガラガラガラガラガラガラ……』


 「儂の結界内で不可避の最大術式を食らえ!」


 仏像が光り輝き、それぞれ憤怒の形相を浮かべる。俺の周囲に拳の像が浮かび攻撃が開始される。


 『ちがえしのたま、御霊振、ふるべゆらゆら』


 ――眞如――

 奴は攻撃を受けつつ詠唱を行い境界を発動した。彼奴の詠唱中、儂が放った最大出力の攻撃は奴の正確無比な防御により、ほとんどかすり傷程度にとどまり、気にすることなく儂の結界術の破壊を始めた。

 抑えきれん。

 曼荼羅結界術式に宿る魔力は既に奴自身の魔力に押し負けている。

 儂の結界の攻撃も即座に消し飛ばされ続け、儂の魔力も底をつく。

 ……これまでか。


 『ダン!』


 ――有穂歩――

 銃声。鬼野郎が三階から天井をぶち抜いて出てきた。そのまま両手の二丁の拳銃から計六発の銃弾を発射する。内三発は生物のように動く銃弾。俺の腕にぶつかる。右腕左腕右腕。俺がそれの防御と反動をいなす隙にもう3発が俺の顔をかすめる。


 ――巧いな。やはり。


 奴は俺がジジイを殺すよりも銃弾を避けることを選択すると見越し、ジジイを担いで三階へ逃れる。

 ……かすり傷の治りが悪い。また呪物。こう、ぽんぽんと呪物を使われると普段回収している仕事が無為になっているようで……気分が悪いな。



 「……ジジイ、動けるか?」


 ――オニ――

 足首からの出血は既に止血済みか。だが魔力がもう残っていない。自然回復でも復帰にはしばらくかかりそうだ。


 「……鬼よ。貴様。儂を食らえ」


 ジジイは眼を見開きそう語った。声は擦れ気味だ。


 「手前。何のつもりだ」


 「貴様は既に人外の鬼。人を食らいその力を得ることも容易なはずじゃ。儂の事を心配しておるのか?くくく。泣いた赤鬼じゃなしに。儂は元より、この作戦に殉ずる覚悟。『薔薇』はこの作戦を完遂し必ずや我らが『古僧會』の本懐を遂げよう。安心せよ、貴様は呪わぬ。呪は全て彼奴へ。くくく」


 妙なジジイだ。自分が死ぬってのが心底嬉しいのか?


 「……そうかい。手前の覚悟は俺には知ったこっちゃねえが……。久々の御馳走、感謝するぜ」


 ――眞如――

 儂の魂は地獄へ行くだろう。だが、儂より後に死ぬ者はこの世に仏法の極楽浄土が栄えるのを目の当たりのするのだ。衆生の仏性が覚悟し、魔力を操り、あらゆるものに術の恩恵が与えられる。仏の目指した救いある世界……『薔薇』と『古僧會』の理想を……。儂の罪……復讐も中途半端……許しさえもできぬ半端者……ああ、だがこの任務だけは……。



 ――有穂歩――

 3階。鬼が俺を背に蹲る様な格好でいる。随分と舐められたものだな……それとも。


 「来たか。俺は腹ごしらえも済んで、生まれ変わった気分だぜ」


 振り返った奴の口元は血に濡れている。……人食い。それも手練れの術師をか。骨も残さず食べるとは意外とマナーは良いのかもな。


 「人食いの鬼ならこっちも殺す大義名分が増える」


 「大義ぃ? 有無を言わさず一人殺して、そんなの気にしてるのか?」


 「食人鬼にはわからんさ。分別ある人間の苦労は」


 俺は刀を抜く。奴は同時に右手で鉈を抜きながら俺の正面から逃れるように左へ跳躍。読みが良い。慣れているな。

 抜かれた刀の先にある全ては真っ二つに切れ、壁、床に剃刀の刃ほどの隙間ができる。


 ――オニ――

 俺は右手の『血酔鉈』に再び力を籠めつつ、左手に『酒呑』を持つ。『酒吞』は装弾数6発。すでにリロード済み。残り弾数6発。『茨木』の方もあと6発。これで決めねば銃なし。だが惜しむ気はない。あのカス野郎に全部ぶち込む。俺をぶち殺しやがったクソ野郎に似たあの餓鬼をぶち殺して食ってやる。食ってやる。吐き捨ててやる。

 俺は『酒吞』を握り、魔力を込める。


 ――有穂歩――


 『ドガァアアアアアン!』

 

 !

 突如俺の腕が爆発する。さっきの呪物によるかすり傷か……。だが裂傷を数ミリ広げた程度では。


 「うおっと」


 傷口から大量の血液が流れ、奴の方へと向かう。あの鉈は相当な呪物らしい、直接傷つける必要なく俺の血を吸っている。まあ、そういう事なら。


 「近づかないわけにはいかないよね」


 俺は床を蹴り、奴へ突進する、床は割け、空は切れ、俺の刀の切っ先が風を切り裂き、奴の腹へ向かう。


 「ぐおっ!」


 奴の腹に刺突が刺さる。血の吸収は止まるが奴の動きは硬直せず、鉈が振り下ろされ、左腕の銃撃も準備されている。俺はそのまま上へ切り上げ右腕を斬る。血しぶき、流石に筋肉を切断されては奴の右腕も動かない、鉈は握られたままだが、奴の右腕は右半身と共に左半身から数センチ離れる。だが銃撃は行われる。俺の左わき腹を一発銃弾がかすめ、すかさず爆発。堪える。


 ――オニ――

 それぐれえで右腕が使えねぇとでも?


 ――有穂歩――

 奴は右腕を動かし、俺を鉈で切りつける。爆発を堪えた隙。姿勢を下げ、左から薙ぐ鉈を躱す、左肩にヒット、金属音を立て俺の肩に弾かれた鉈が次の振りを準備している。俺は左足で奴の右大腿を蹴る。鉄骨を蹴るように硬く重心が低いせいで体勢は崩れない。が、奴の骨に罅は入れた。そのままそれを足場に回転をかけ、右足の踵で奴の顎を狙う。奴は左腕をガードに使う、そのまま奴の左腕に踵の蹴り、そこから刀を振り下げ奴の脇腹を狙う。奴の腕が俺の右足を押す、俺は飛び退き、数メートル後ろへと着地。奴の左脇腹は精密に割かれ、ゆっくりと血液が染み出す。だが右側の腹から肩に掛け両断されていた部分は既にくっつき、血の流れも止まっている。流石は鬼。相当古く有名なのだろう。


 「まだまだァ!」


 奴は床を蹴り壊し、こちらへ向かう。1発、銃弾が発射される、俺は刀で銃弾を切ることで軌道を変更する。しかしその瞬間に激しい爆発を銃弾は起こす。傷にのみ効果があるタイプじゃねーのかよ。


 「食らえ、糞餓鬼」


 奴は爆炎の中、鉈を振る。俺の傷口から血液が出る。奴の鉈へと吸い寄せられるように。なら見えているも同じだ。俺は上体を後ろにすることで鉈を避け、奴の右腕に片手で掴まる。そこを起点に奴の腹へ蹴りを入れ、左腕の付け根を切り上げる。奴の左腕は引き金を引き、銃撃をしながら空を転がり落ちる。弾丸を避けるため俺は奴の左腕から離れ床に背をつく。奴は吹き飛んだ左腕を気にすることなく俺へ右腕で鉈を振る。尊敬するね、その胆力。俺は足で奴の腕を弾き、腕を使って体を起こして後ろへ跳躍、だがそこへ2発、銃撃。奴の左腕は離れていても動くのか。俺は背に2発弾丸を食らい、打撲した。


 ――オニ――

 弾丸のクリーンヒットでも打撲・かすり傷程度か。バケモンがよ。俺は左腕の方へ転がり、腕を癒着させながら鉈を持ち替える。今必要なのは『黒山羊』だ。あの野郎、何べんも何べんも切り刻みやがって。


 「切る感じは楽しいけど。豆鉄砲がうざいな」


 ゆっくりと立ち上がり背中を掻きながら奴はそう言う。あの野郎。俺の攻撃を屁でもねえと言いてえのか。俺を見下しやがって。見下しやがって!

 糞ッ!

 ……見せてやるよ、『神』の呪物の威力をよぉ!!

 俺は起き上がり『黒山羊』に魔力を込める。相変わらず、とんでもねぇ呪物だ。俺の魔力をグングン吸い取っていきやがる。だが、その分期待できるってもんだが。


 ――有穂歩――

 その鉈は黒い節くれだった何かの模様が描かれ、奇妙な瞳がその黒地に幾つも浮かんでいた。錯覚だろうか、魔力に鳴動し瞳が動いているように見える。ほかには金色の稲穂の紋様で彩られ、刃はわざとなのかボロボロと刃こぼれしている。明らかに切るための武器ではない。恐らくは呪物。それも相当なものだ、俺でも邪気がよく感じられる。

 突如その鉈から黒い触手のようなモノが何本も現れ、俺に襲い掛かる。俺は刀を振り、その触手を斬るが溢れんばかりに現れ続ける、触れるとヤバいのか? 切り伏せながらもその勢いに押され、俺の周囲を触手が取り囲む。微細な触手が俺の肩に触れる。触れたとたんに魔力が魔術消費と同じような具合で吸われて行く。今まで魔力を吸い取る物品には触れてきたが、これに触れられた瞬間、この触手が持つ許容量が宇宙のような広がりを持つことが直観的に理解できた。


 ――これは宇宙だ。


 俺はすぐさま肩の触手を断ち切り、そのまま刀で突くように奴の方へ突進する。いくつかの触手が俺の身体につき、魔力を吸い取る、だが気にせず、そのまま、奴の方へ、奴の腹へ刀を突きさす。『へつかがみ、御霊振、ふるべゆらゆら』


 ――オニ――

 鉈の触手が勢いよく収束し、消え去る。奴に刺されたとたんに。俺は奴に左腕で銃撃を試みるが動いたのは右足。左腕で殴ると。右手が後ろへ、俺は体勢を崩し倒れる。


 「おやおや、あんよもできなくなっちまったようだな。ウジ虫君」


 奴は嘲るようにニヤリと笑う。俺を、ウジ虫とせせら笑う。俺を、俺の事を。ウジ虫と。あの時のクソ野郎みてえに。あの時の侍のように。あの時の上司のように。俺を馬鹿にしやがってカスが!


 「内臓をぉぶちまけてやァる!」


 ――有穂歩――

 奴はそう、咆哮しめちゃくちゃな動きでこちらへ襲い掛かる。どの腕どの足がどう動くのかなどお構いなしに暴れまわり奇跡的に、いや、野性的な直感でその状況に慣れた。俺も奴の神経回路をもっとめちゃくちゃにつなげまくるが、奴は自らに刺さる刀もお構いなしに血をまき散らして暴れている。

 その奴の血が俺の腕に付着したとたん、俺の腕は爆発し、何度も誘爆が続いた。銃弾に含まれていた術はこれが元か。俺が爆風をいなしているうちに、奴は刀から無理矢理逃げおおせたようだ。後ろか。

 俺が振り向くとそこには猿の頭、タヌキの身体、手足は寅、尾は蛇の巨大な獣が居た。

 『鵺』だ。

 そいつは「ひょー、ひょー」と鳴くと雷を空間に発生させ俺に浴びせた。

 電撃により俺が硬直する隙に鵺の後ろから現れた鬼が俺に弾丸計12発両手でぶち込む。リロードしたか。

 爆発と雷撃で全身にそこそこの火傷。耐久実験をしてるんじゃねーんだぞ、こっちは。


 「イクラ貴様トテ人体ハ人体。電撃ナラバ動ケマイ!」


 鵺が喋る。お喋りな式神。あの式神カミカゼ野郎だ。雷撃は絶え間なく浴びせられるが、そろそろ慣れてきた。

 俺は刀を鵺に触れさせる。雷撃は止まる。所詮式神。こんなものだ。そのまま鵺を切り刻む。だが、鵺は切り刻んだとたん、細かな、先程見た式神の鳥『以津真天』へ分離し逃げ去る。『蟲毒』による式神の進化みたいなものか。


 ――〇――

 土御門春奈の行った『簠簋蟲毒』は数年かけ製造した式神1000体を彼女の効力の弱い結界の中で破壊することで1000体分の力と魂を持った式神『鵺』を生み出す術式である。つまり鵺は1000体の式神の力を増幅したうえで継承しており、分裂し再び合体することで復活することができる。


 ――有穂歩――

 鬼は俺の攻撃の後直ぐに後ろから切りかかってきた。今度は血の吸収が殴られた後に始まる。俺は左手でそれを弾き、右手の刀を振り返りざまに振る。3メートルの斬撃が壁に刻まれる。奴は上体を折り曲げ床につけ、避ける。左足で俺の顎を狙う。俺は顎に蹴りを食らい、左手で足を殴りつける。右手の刀を片手で持ち替え、奴の胸を突く。奴の右胸は貫かれるが奴はそのまま、俺の刀の鋭さにかこつけ人体を切断されながら前転し逃れようと動く。させるか。


 『ちがえしのたま、御霊振、ふるべゆらゆら』


 奴は蛙のように潰れる、腹には俺の刀が刺さっている。


 「もう終わりだ。蛙野郎」


 俺がそう言うと奴は体を震わせ始める。


 ――怒り? 恐怖? 今更? 

 逡巡した次の瞬間には奴の姿は小柄な女に変化し、腹に刺さった俺の刀は抜けていた。そのまま奴は両手両足で床を掴み体を飛ばして壁を貫き、逃げ出した。変身能力か。はぁあ。逃したな。



 ――〇――

 鬼は無自覚に恐怖していた。


 ――オニ――

 クソッタレ。あの餓鬼。俺にあの姿を使わせやがった。


 ――〇――

 鬼は久しく、その感情を忘れていた。


 ――オニ――

 クソックソックソッ、あの野郎。ぶっ殺す。


 ――〇――

 この世界に再び生を受けて以来、鬼にあったのは唯一つの感情だった。


 ――オニ――

 あの野郎。あの野郎のにやけ面!

 糞ッ。


 ――〇――

 その感情は怒り。彼の出自と彼の受肉の元になった男の精神が奇跡的な一致を見せ、彼の中には無限に渦巻く怒りが絶えず溢れ、筋肉の隅々にまでその熱血が注ぎ込まれ続けていた。


 ――オニ――

 殺す! 殺す! 殺す! 必ず。必ず!


 ――〇――

 ――だが、同時に彼は冷静でもあった。


 ――オニ――

 ……なら俺は、何故今逃げている?

 ……俺は今。……恐怖している。……俺は。


 ――〇――

 思い出したその感覚。それは鬼の腕にのこる古い感触を呼び起こした。


 ――オニ――

 俺の腕を切り取った野郎。ああそうだ。橋の上で奴の髪をひっつかんで、ひきずりまわして……俺の腕を。糞。奴から、そうだ奴から取り戻したときも俺は。俺は奴を騙してやった。俺の肉体は完全に奴より上。俺の骨を奴の攻撃では折ることはできない。なら俺は勝てるはずだ。勝つ。勝つ。勝利。そして俺を再誕させた黒ずくめのカス共みたいにぐちゃぐちゃにして食ってやる。食ってやるぜ。ケケケ。



 「よう、式神野郎。……もう、面倒になってきちゃったんだよね」


 ――有穂歩――

 俺は最上階まで穴をぶち開けて、暗いホールに光を灯してやりながらそういう。屏風や布でホール内は彩られ、正面の陰陽師女の後ろには金屏風が飾られている。予想通り式神使いは最上階で補助術式を展開していた。冥道十二神。土御門家秘伝呪法。だが盗まれたという話も聞く。まだ、この陰陽師が『伏魔殿』の術師かは、はっきりしない。捕まえて顔の紙を引っぺがしてやればそれも分かるか。


 奴は動かない。恐らくは罠だろう。だが俺はそれでも奴の方へ歩き出す。


 一歩。呪符の罠が作動し俺に炎が纏いつく。刀を振って消す。

 二歩。設置型の人形ひとがたが俺の体内へ呪いによる攻撃を仕掛けようとする。左手で指を鳴らし簡単な介入術式で呪いを祓う。

 三歩。数十体ほどの死霊の呪い。刀の魔力衝撃波で触れるだけで壊れる。

 四歩。蠱毒の毒虫が数百匹、床下から這い出して俺の脚を上ろうとする。虫は俺に触れるだけで焼け死ぬ。

 五歩。多重結界。刀で切る。ジジイよりも柔い。結界術師ではないようだ。結界内の術式も補助術式だけ。だが、そろそろ本格的に仕掛けてくるだろう。

 六歩。霊魂操作による怨霊二体。妖狐。侍。妖狐に関しては動きが単調。再び指を鳴らし介入術で奴の古代炎術式に介入し、反転。炎上させ焼き殺す。侍は出たとたんに両断して消滅。弱い。霊魂操作も専門外とみる。

 七歩。なにもない。

 八歩。なにもない。

 九歩。奴の焦る様な素振りが見える。小さな震えも。名演技だ。

 十歩。なにも――


 「ひょーっ」


 雷撃。

 鵺が数百の鳥から再構成され俺の後ろに出現、だがそれよりも。陰陽師がこちらへ向かって来ている。肉弾戦もできるタイプ?

 いや、これは。


 「食らえや! 糞餓鬼ぃいいいい!」


 陰陽師の女は鬼の声でそう言った。俺も案外冷静じゃねーってことか。

奴はなまくらの鉈を力任せに俺に振り下ろしてきた。これはちょっとヤバい。めんどくさいな。


 ――オニ――

 俺は奴の胸に『黒山羊』をたたき込み魔力を込める。奴の胸で黒い触手が広がり、奴を捕らえる。


 「俺ごとやっちまえ!」


 屏風の裏に隠れる陰陽師の女に俺は指示する。奴の鵺が全ての力を振り絞り雷撃を打ち込む。十二体の神のような奴らがその雷の魔力を補助している。これで殺せる! 奴をバラバラにしてやる! 魔力の切れたカスの腸をぐちゃぐちゃに引き裂いて食ってやる!


 『ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、たり。ふるべゆらゆら』


 ――有穂歩――

 『饒速日命十種神宝神法魂鎮祭』【なつまつり (Can‘t take my eyes off you)】俺を信じて。


 ――オニ――

 触手が急に止まる。何だ?


 「ぐうぇ! 糞、陰陽師! 何俺に雷落としてんだ! やめろ!」


 「? あ、ああ済まない……」


 「全くなんで俺が……『なんで俺は鉈を床に押し付けていたんだ』?」


 ――何か。何かこう重大なことを忘れている気がする。俺は今まで何に怒っていた? 怒り。怒り。抑えきれない爆発が、俺の中に未だ渦巻いている。誰かを殺す。殺したい。クソッ意味が分からねぇ!


 「何だ、この状況は……クソッ!」


 後ろからの気配、なんだ?この殺気は?


 「グハ……」


 俺は突然刀に切られたように血を流す。視界が二つに……ズレる。


 ――土御門春奈――

 鬼は真っ二つになり倒れた。なにが起きている?

 私は何故、屏風の裏に隠れている?

 ――わからない。だが、鬼が倒れた今、ここにいるのはマズい。逃げなくては。


 「うっ!」


 首を掴まれたように動けない。何もいない。何も無いはずなのに。何故? 何が? 怖い……。怖い!

 た、助けて!


 ――有穂歩――

 ――俺はここにいる、だが誰もそのことには気づかない。誰もが俺をみえているけれども俺を知らない。俺を知覚できない。皆……この世界の全ての人が『俺のついたたった一つの嘘を真実と信じる』。


 ――〇――

 有穂歩。彼が『無敵』と称される理由はその無尽蔵に近しい魔力でもなければ、その無詠唱術の強さでもなかった。彼の『無敵』の理由。それは彼がこの魔界の中で唯一、認知されている『世界情報改変術』の術者であるというただ一点にあった。

 本人にさえその術式の神髄と理論は不明であるが、彼はこの全世界の人間の認知を一つの術式で操ることが可能である。彼の真の『饒速日命十種神宝神法魂鎮祭』の現代魔術は全世界の人間に、彼の言う一つの『嘘』を真実だと思い込ませるものである。これにより、今のように彼が『自分はいない』という嘘を真実にすれば、彼を知覚している者でさえも彼のことをはじめから知らないような認識を持つことになり、彼は誰からも認識されない存在となる。


 ――有穂歩――

 さて、陰陽師の女。てめーは顔の紙を剥がしてからその処罰を考えなきゃならない。裏切者なら『伏魔殿』を捜索しなきゃならなくなる。裏切者じゃなきゃこのまま殺す。君の運命は君のあずかり知らぬところで決まる。恨むなら自分の馬鹿な行動を恨むんだな。

 俺は彼女の首根っこを右手でつかみながら、左手で後ろから彼女の顔の紙に手をかけ――

 後ろで大きな爆発音。何だ?外の広場からだ。


 『伝令! 伝令! 作戦ハ完了! 『鳥羽或人』ハ既ニ拘束サレタ! 全員退避ヲ開始セヨ! 繰リ返ス! 作戦ハ完了! 全員退避ヲ開始セヨ!』


 どこからか小さな式神の鳥が現われて天井を飛び回りながらそう叫ぶ。

 何?

 まさか、鳥羽が拘束されただと?

 来希がしくじった?

 ありえない。あいつの感知能力でそれは……。何故この女も困惑している?


 俺は女を捨て置いて、直ぐに壁を蹴り壊し、広場へ飛び出す。俺の戦闘跡どころじゃない。広場はあれから激戦があったようでボロボロ。中心には来希が倒れている。

 嘘だろ?

 俺は術を解除して来季へ近づく。


 「来希!」


 「あ、歩。クソッ、僕の事は良いから、早く残りの奴らを始末しろ。鳥羽君はもう手遅れだ」


 「お前がやられるなんて……。しっかりしろ」


 俺は来希を担ぎ上げて広場の出入口を見る。あの鬼野郎が性懲りもなく立ちはだかる。


 「ケッケッケ、いい気味だな。最強に胡坐をかいた馬鹿野郎が、味方の雑魚のせいで任務失敗。最初ハナっからここで全員殺せばこんな事にゃ、ならなかったかもな!」


 ――オニ――

 さあ、貴様も怒れ!

 俺の怒りを貴様にぶつける。貴様の怒りで曇る表情を見せろ!


 「帰るぞ。来希」


 「何を、お前俺から尻尾を巻いて――え?」


 『ビチャビチャッ……』


 ――有穂歩――

 奴は細切れになって石畳の染みになった。脳も、骨も、臓器も、肉も、何一つ残らないほどに。俺の刀を再構成し、細胞レベルの微細な刃にして飛ばした。奴は死んだことも気づかずに消えた。


 「俺の慢心が全ての原因だ。……全員、跡形もなく殺す」


 俺は来希を抱えて、この聖域結界の外となる上空100メートルほどに飛ぶ。

 広場には銃撃の跡としてたくさんの薬莢や魔力の残滓がある、敵は少なくとも30人以上、それがあの一瞬で?

 ――すべて奴らの作戦の上か。


 「なら全部ぶっ壊してやる」


 俺は刀を捨て、『八握剣』の術式を解除する。


 【なつまつり (Can‘t take my eyes off you)】『解除』遥か遠く 秋が目醒めた


 『カッ……』


 落下していった刀が一瞬煌めき、巨大な『無』となり聖域結界ごと、この薄汚い宗教施設の土地を呑み込んだ。鬼の死骸も、式神共も、建物も、地下も、その下数百メートルに及ぶ、来希が再び観たくないものを全て一瞬で無に帰し。巨大なクレーターを創り出した。


 「秘匿課に行くぞ。来希」


 ――〇――

 2022年3月1日10時25分、隠者の薔薇、東アジア支部地下梁山泊にて。


 「どういうことだ! なぜ諜報部にカリオストロの指令が通達されている?」


 王冠のヨトゥムは通信機に向かい声を荒げ、机に拳を振り下ろす。だがその衝撃は全くなかった。代わりに彼の魔術的結合が表れ、衝撃の吸収を彼が行ったことが物語られた。


 「わたくしにもそれはわかりません。どうか、落ち着いてください。通達された時点で既にわたくしの手の者が指令停止を行いました。恐らく幹部権限を利用したと思われます」


 「むう……」


 ヨトゥムは冷や汗をかき、眉を動かす。


 「更に、わたくしどもが進めておりました『神祇寮』に対する工作にも『青き血の新秩序』による妨害がありました」


 「何ぃ? なぜ、『ソロモンの鍵』の協力団体の一つだぞ! これは協定違反だ!」


 「報告によるとこれには『知識』による幹部権限での情報工作依頼があったようです」


 ――王冠のヨトゥム――

 議会の優越の原則を完全に利用している、奴め、どんな人心掌握を……あの元老院の石頭共があのような若造に良いように扱われるというのか? 想像ができん。幹部連中と話すだけでも毛嫌いするようなあの老人共が……。


 「どうされますか。輸送は明日。日本支部への通達は難しく、そちらの支部からでも明日の傭兵の会合に間に合うかどうか……」


 「輸送の中止を行ったところで『おがみ衆』への調査は行われる。それどころか調査によって我々の『製造依頼』がバレては元も子もない。予定通り輸送は行う。諜報員三名が輸送、だが、傭兵に関しては留まり、迎撃を行う」


 カリオストロの方の傭兵をなるべく輸送隊に近づけないようにする。どうせ奴の事だ、二重依頼の他にも安全策を入れているだろうが……混戦となれば少しはかき乱せるだろう。


 「他地域の輸送に関してはどうだ?」


 「いくつかの地域で散発的な問題が発生しておりますが、諜報部の内情や『知識』による干渉はないですが……。そちらの東アジア支部ではやはり栄光のジュンの不在が問題です」


 「そのために我々が来ておる。南極卿執務室の者が来るという情報は、たとえ工作であろうとも我々が出張らなければならない。況や局長不在の組織をや」


 「わかりました。東アジア支部での輸送はお任せします。引き続き諜報部はカリオストロの妨害工作含め全体の作戦動向に注視します」


 通信が停止し理解のヴィクトリアの映像が切れる。

 ……『知識』奴は議会の手駒。議会について……いや、元老院について調べなくてはならないな。


 「ヨトゥム。心配なら日本支部に行っても……」


 「ダメだ兄者。『神祇寮の有穂』なんぞよりも『南極卿執務室』の者が一人いる方が厄介だ。一度イギリス本部が大戦期に全てなくなっているのは覚えておろう」


 80年近く前、奴はたった一人で我々の元本部を破壊しつくし、当時の黄金の教示のメンバーを磔にした。……何故あそこまでやられて死者がいなかったのか不思議なほどだ。不気味な存在。いつ思い出しても、奴の姿が思い出せない。くっ……。


 「確かに『南極卿執務室』の動きに関する情報は、出所が知れないながら間違いを流布されたことがない。――そもそも『薔薇』の中でも南極卿の存在を知るのは元老院と黄金の教示だけだからね。それ以下のものに知らせると奴らの尾を踏みかねない……」


 「奴らにこちらの情報が筒抜けであるような恐怖感さえある。それが奴らの狙いであろう。恐怖によって組織の硬直性を強め、牽制する。だからこそ、そのような情報を流し、稀に我々を攻撃する……。人道主義者を気取っておるのか、直接命を手に掛けることはないがな……」


 不気味な連中だ……。世界を裏から支配している筈だというのに、――我々の情報を知ろうと思えば手立てはあるはずだというのに、全力を出す気がない。そもそも全力の、全容を把握しきれていない。南極の地下に本部があるという伝説だが……。


 「奴らに関しての疑念は誰が考えようとも晴れないさ。それよりも日本支部の作戦について考えよう。カリオストロの奴ならまだ鼻を明かせる余地はある」


 「……一応の対策は取ったが、当日までにできることは他にあるだろうか」


 ヨトゥムは葉巻を咥え吸いながら火を点ける。


 「……そうだな。僕らの雇った傭兵の五人の中で『ソロモンの鍵』加盟団体の出身者は三名、『皮膚の兄弟団』アリ・ケマル、『古僧會』眞如、『青き血の新秩序』土御門春奈。素性に関して不明な点が多いのが『茨木童子を名乗る鬼』と『アモル・リュボーフィー』……伝令・輸送役に諜報部(カニス)一級エージェントの斎藤修、山崎良平、八雲美智子。この中で僕が裏切者(二重スパイ)でない者を当てるとしたら『土御門春奈』か『鬼』かな」


 「……その心は」


 「『古僧會』、『皮膚の兄弟団』に関する報告において異常な点は見つかっていない。だが『青き血の新秩序』に奴の工作が及んでいることからみてそのような妨害工作が行われていない確証はない。だが『青き血の新秩序』から出された『土御門春奈』は日本政府認可団体『伏魔殿』の中核を担う5家の一つ、『土御門家』の当主。そんなのを出しているのになぜわざわざ『有穂』を引き合わせ、立場を危うくするようなリスクを取るか? これは予想ではあるけれど、神祇寮に工作を行った意志と土御門春奈を出兵した意志とで『青き血の新秩序』の組織内に対立、もしくは混乱が生じている。カリオストロの奴は、恐らく強引な方法で『有穂歩』を引き出した。かなりの博打に出たんだ。だからこそ、立場の危うくなった『土御門春奈』は個人として我々の指令に従順であると予想できる」


 「フム……。鬼の方は」


 「単純な話だけど、カリオストロがフランスからしばらく動いていない。『鬼』とコンタクトを取れるのは日本支部の人員か『おがみ衆』だけだった。奴の私兵が東アジア方面に来たという話は全くないし、今回の工作もほとんどフランス・ヨーロッパから我々の通信網を利用して、わざとバレやすいように行っている。勿論、違法性は全くなくね。目的は分からないが、奴と鬼とは少なくとも接点がない。『古僧會』以上に。鬼が出現したのも、ここ二か月の内だしね」


 「流石の奴とて日本の平安の鬼などを子飼いにできるわけもあるまい……か。だが、指令を送るとすれば『土御門春奈』だな」


 「そうだね。そこで指令の相談なんだが……輸送の監視と『逐次報告』でどうだろうか。式神使いならば遠隔監視も可能であるし、いざという時に報告があれば状況判断は僕たちで可能だ。何より誰が裏切り者で奴らの目的は何かがわかる」


 「うむ。……目的がわからぬ以上、策として思いつく者も他にない……」


 ――〇――

 蛍光灯の光がまばらな地下のコンクリートの部屋で二人はほくそ笑む男の顔を思い出しているのだった。



――



 2022年3月2日15時55分『おがみ場』正面広場にて。


「すごい……」


 ――鳥羽或人――

 あの結界術師の僧侶をものの数分で打ち倒した有穂さんは、やはり普段の様子からは考えられないほどの強さを誇っている。彼の中にはいったいどのような思考が動いているのか。――僕には想像だにできない。あれだけ明るい性格の中に冷酷に人を処理するモノが蠢いている。それは、だが、僕には自然なことにも感じられた。この強さの中に内包される恐ろしさ、だが、それを包む彼の強さは僕たちのような仲間に向ける、優し気な眼差しに本質があるように思える。


 「……さっきから、結構遊んでるな。歩」


 「え」


 「……アイツの悪い癖……というよりも蠅を殺すのに全力を使わないのは当然か。だが、俺たちもいることを忘れないでほしいものだ。無防備だぜ、俺ら」


 宇美部さんは困ったような笑顔でそれを言う。その表情が一瞬で変わり、別の場所を見遣る。


 「傭兵の一人がこっちに来てる。言わんこっちゃない」


 宇美部さんはそう言いながら弓を引き、連続で矢を発射するような仕草をする。

 その方向には両目に眼帯をした巨大な荷物を抱える登山服の男性が走ってこちらに向かって来ていた。すぐさま彼は何かを避けるような素振りを見せる。僕の目にも感知にも魔力などは感じられない。


 「霊魂まで見えるのか。ま、そりゃそうか。あれだけ薄い霊魂と交信しているのだから」


 矢の姿が木々に刺さる瞬間に一瞬、僕にも捉えられた、もやがかかったようなうっすらとした矢だ。


 「鳥羽君。少し離れていたまえ。そこだと余波が大きいんで、邪魔になる」


 彼はそう言うと矢を背にしまい、上着を脱いで、スポーティーな黒いインナーを露出し、手足のストレッチを始めた。彼はかなり着やせするタイプなようで、身体は無駄なものの一切ない恐るべき引き締まりを見せている。僕は少し後ろに下がる。もう、あの傭兵は宇美部さんに接近しつつある。


 「お手並み拝見といこうか」


 宇美部さんはフェイントをかけ、僕の方へ向かう傭兵に上段蹴りを食らわせる。蹴りは予想以上のスピード、有穂さん以上だ。


 「!? ッ」


 傭兵の額に彼の脛がぶつかりそのまま、奴は後頭部を地面に強打する。


 「普段、歩に格闘を教えているのは僕なんだぜ?」


 宇美部さんは容赦なく上段蹴りから踵落としへ移行する。傭兵は彼の支えとなる左脚に手を伸ばしつつ、瞳を開く。

 暗黒と無音の空間が奴の目の前に出現し一瞬で消える。宇美部さんの脚は、無傷だ。


 ――宇美部来希――

 霊魂30体分。恐ろしいね


 ――鳥羽或人――

 奴が宇美部さんの脚を掴む瞬間、踵が奴の後頭部に振り下ろされる。そのまま、宇美部さんは体をグッとねじり、自分も浮かぶことで、奴の身体ごと空へ、きりもみさせ、奴の頭部を再び地面に叩き付ける。そのまま彼は奴の腕を取ろうと上体を奴へ近づける。


 奴は前後不覚ながらも地面を抉り掴み、宇美部さんを振りほどくため地面へと潜り込む。バターのように地中へと軽々潜り込んでゆく。

 宇美部さんはそれに対し奴を追わず、ふわりと空へ跳躍する。軽い羽のような跳躍だ。その渦中、彼は両手の人差し指で奴の身体を指し、指鉄砲を打つような動作をする。そのあと、それに応じるように地面が爆発音とともに抉れ、2つのクレーターが出来上がる。奴はそのクレーターの中で衝撃に圧迫されながらも、宇美部さんを正面に捉えていた。


 「やはり僕では火力不足かぁ」


 奴の姿を見て、そういう彼は、次の瞬間再び暗黒と無音の空間に囚われ、また次の瞬間に現れる。


 「フン。今回は少し甘めに守ったから痛いね。……だが、これくらいがちょうどいい」


 少し煙を出している腕の小さな火傷跡を払いながら、彼はクレーターに着地する。

 奴も起き上がり、戦う構えを無言で見せる。


 「全然喋らないね。さっきまでお喋りだったように思えたけど」


 余裕そうに宇美部さんはそう言い、不敵に近づいて腹へ右ジャブを仕掛ける。彼はそれを左足で止めると、そのまま足を絡み付け、腕を取り、彼の右腕を支えに十字固めの極める。かなり洗練された動きだ。だが宇美部さんは腕を内側に捻られる前に、奴の身体ごと地面へ叩き付ける。一瞬奴は頭部へのダメージを防ぐべく固まる。そのまま宇美部さんは奴の無防備な脚を左腕で殴り、左脛をへし折る。だが奴は諦めずに関節を極める。すると宇美部さんは捕まれた右手の掌を、奴の顎に向け開いた。その瞬間奴の顎に彼の右手から発せられた衝撃が加わった、奴は一瞬失神する。その隙に彼は腕を抜き取り、奴の背を巨大な箱ごと蹴り飛ばす。


 「あの箱、呪物だな。やっぱ」


 奴はすぐさま起き上がるが少しふらつきがあり、口から出血もしていた。だが表情は未だ闘志に燃えている。それどころか不敵な笑みさえも見える。何か、何か嫌な予感がする。

 奴は瞳を開く。宇美部さんを含めたかなり広範囲が、暗黒と無音に包まれる。今度のは長い、1秒、2秒、3秒、4秒、5秒。

 宇美部さんがいくつかの傷を受けながらも立っている。大きなダメージではなさそうだ。


 「それが全力かい」


 彼は鼻血を吹き、拭いながらそう言った。黒いインナーはほとんど消し飛んで、その幾重にも重なり、血管を浮き出させる筋肉が露出している、下半身はかなり服が残っており端が少し破れている。


 「やれやれ、仕立て直しか、最近はそういう機会がなかったのに」


 そう言った瞬間、彼はよろけながら立つ奴に近づき、左ジャブで腹を再び狙う、奴は右手でそれを防御、ぶつかり合う衝撃波が突風のようにこちらに吹く。彼らの攻撃と防御は繊細な魔力操作が伴っている。互いに多くを消費しすぎず、だが足りないという事を回避する。消耗戦だ。

 ――しかし、明らかに宇美部さんの魔力操作のが上手、というよりも完璧だ――右フック、左ブロック、左ストレート、胸に防護、奴から左腕に右フック、後ろに倒れるように左足蹴り上げで奴の顎を打つ、奴は足を掴み組技へもっていこうとする。だが彼は奴を再び足で挟む。再演なるか――だが、奴は明らかに消耗している、宇美部さんは全く消耗が無いとさえ思える。再演したところで奴に勝機はない――


 「俺らの勝ちだぜ、ダンナ」


 眼も開かずにそう言って奴はニヤリと笑う。自分が再び頭部を地面に叩き付けられるであろう、悪手を打った瞬間に。

 何時の間にか、宇美部さんはこちらを見て手の指を再びあの指鉄砲に変えている。僕は後ろに悪寒を感じる。そう、この感触。これは予兆、いや『感知』。僕は前へ飛び、走り逃げようとする、しかし、既に地面からは灰色の弾頭が現われていた。ロケットランチャーの弾頭のような、何かが、地面よりぬるりと――


 『ドガッ』


 耳がキーンとする。閃光で前が見えない。何だ。

 僕は何者かに担がれ急いで運ばれて行く。うっすらとした聴覚の中で幾つもの銃撃音と爆発音、聞き知らぬ男性の悲鳴が聞こえる。何度も何度も爆風の余波と思える風を感じたが、それがぴたりと止み、その後、顎への強い衝撃と共に、気絶した。


 ――宇美部来希――

 クソッ。何人もキリがない。鳥羽君はドコだ。


 「グあっ」


 僕の皮膚に銃弾がぶつかり弾けていく。奴らの銃弾。一発一発は大したことないが、呪物かよ。機銃(恐らくはミニガンとMG機関銃)の絶え間ない掃射。手榴弾発破を含む波状攻撃。これだけ量産するのは、クソッ、反則だろうが。

 僕は『霊魂投射呪法』で一度に奴らを5人は葬っているが、奴らは既に60人以上の大部隊が出張っている。掌からの発射でも全員殺すのに10秒以上はかかる。手持ちの霊に呪わせるのはもっと掛かる。それにこの一斉掃射、防護しつつじゃ、かなりきついな。詠唱する暇も__


 「Die Panzerfaust!」


 ロケット弾が10発斉射される。体正面に防護集中で無傷、いや、後ろから眼帯野郎だ、クソッ、避けるか!?


 ――ドロア・マエスティティーとアモル・リュボーフィー――

 『今だ、ドロア』了解。最後の全身全霊だぜ。

 【無明 A farewell to Arms】光を棄てろ。


 ――宇美部来希――

 僕は弾道予測し右へ飛びのける、その瞬間僕の視覚と聴覚は封じられ、全方位から衝撃波が降りかかる、再びあの眼帯野郎の空間へと閉じ込められたのだ。

 霊魂による全身防護ももうこれで削り切られる、アバラが二本折れる、大腿骨、右腕、右顎、クソ、今回は10秒、出し惜しみしないというわけか。視界が戻り、戦場の銃撃音のやかましさが戻るかに思えたが、煙だけだった。

 俺は地面に倒れる。感知は有効だが……奴らを運んでいる筈の『船』のようなモノがどこにもない。上空、地上半径50キロ圏内には存在しない、地下の探知は今だと、かなり辛いが……。傭兵野郎が森の中を逃走しているのは見える。随分と速い逃げ足……式神使いの隠していた小さな鳥で伝令……。くそっ、動けない。霊魂を取り出す魔力が足りない。防護に使いすぎた。


 「あの傭兵……」


 あの傭兵はここから300メートルほど先の林の中に小さな潜水艇のようなモノを隠していやがった。畜生。傷は深くまで与えたが……。やはり奴らは潜水艦のようなモノで地面を潜るのか。……地面は物質の密度が高すぎて広く感知を巡らすのには体力と集中力が要る……僕の探知ならば……僕の探知能力ならばもっと事前に。……ああ……歩が来る。


 「来希!」


 そんな目で見るな。


 「あ、歩……。クソッ、僕の事は良いから、早く残りの奴らを始末しろ。鳥羽君はもう手遅れだ……」


 僕は弱かった。


 「お前がやられるなんて、しっかりしろ」


 僕が弱いことは知っているだろ。

 なんで……なんでそんな目で僕を見るんだ。どうして僕に同情できるんだ。無敵のお前が。

 僕はお前よりずっと弱いのに。どうして僕に敬意を払うんだ。



――



 ――〇――

 2022年3月2日16時13分、小型潜地艦内にて。


 「全員死んだか……いや『サトー』だかは分からんな。式神に伝令はした……」


 ――アモル・リュボーフィとドロア・マエスティティー――

 『ドロア、出血をまず止めないと』わかっている。大丈夫だ。魔力が回復すればすぐ……。


 「うぐぇ、げぼっげはっげはっはぁ。はぁ。はぁ……。」


 『血を吐いている。肺に肋骨が刺さっているよ。ドロア。早く。死んじゃいやだよ』わかってる。……わかっている。簡易呪医陣がそこにあったはずだ。止血。止血をそれで。いや、だがまだ離れきれてない。あの筋肉野郎の感知に届いちゃまずい。もう少し。


 『駄目だよ。今スグ、処置しなきゃ。』


 ああ、お前がそう言うなら。ああ。手が、届……届いた。これであっているか。『うん、そこの封を開ければ自動で』ああ、これを。こうか。ああ、うん。血は、止まったか。止血剤と簡易術……。まあまあだな。肋骨の方は、俺がやらなきゃいかん……時間と魔力が掛る。ちょっと、もうちょっと、離れなきゃだめだ。


 『もういいじゃないか。地下100メートルは来てるし、あの場所からも1キロ近く離れたよ。』いや、あの規格外野郎ならまだ。


 「ウッ……! クソッ。はぁ、はぁ、はぁ……。がはっ……。寒い」


 『ドロア。血が足りないよ。もう止まって術式を始めよう。始めるだけでも効果はある。僕だって君と学んだ。わかるよ』ああ、アモル。そうだな。血が足りないとお前も大変だ。……お前。……少し声が遠いぞ。


 『ドロア、気のせいだよ。ほら、早く』……ああそうか。お前がそう言うなら。


 『ドロア。帰ったら僕……』お前の身体を直す……あるいは作り変える手術ができる。何せ50億だ。それに『ヨトゥム』からの金も……あるかもしれん。『カリオストロ』の方は、金払いは良いってのは有名な話だが……傭兵なんかめったに使わねえが、こんな潜水艦まで用意してんだからな。


 『ああ、でも僕、帰ったら少しゆっくりしたいな。ずっと忙しかったろ?』ああ、確かにな。お前が『そう』なってからずっと俺は、山(チベット)で修業したり、術をお前と学びなおしたり、仕事をしたり……。


 『それで僕と一緒になれたけど、それからもずっと』ああ、俺は、確かに、忙しなかったな。厭だったか?


 『厭なんかじゃないよ。とんでもない。幸せだったよ。……ねえドロア。僕たち、僕が良くなったら離れ離れなの』そんなわけないだろ。俺はいつもここにいる。前は離れたがもうそんなことはねえ。


 『でもこうして心で話せなくなっちゃうよ』そんなことはない。俺たちはいつだってこう話せる。こうなる前だって……。


 『……そっか』そうだとも。お前の作り上げた唯一の魔術は、いつだって俺を救ってくれた、今だって。


 『僕の……でも君と話すことしかできないよ』それが俺にとって何よりの救いだ。俺の汚い本性も全て見て、受け入れてくれた。


 『汚くなんかない、君の心は居心地好いよ。……あ、泣いてる』ははは、見えない目でも涙は出るもんなんだな。

 「ははは」


 ――〇――

 有穂歩の放った衝撃波により半径50メートルほどの聖域結界は消失し、『おがみ場』は存在自体が抹消された。その余波は半径10キロメートルにまで及び地下の地殻変動に関しては地下100メートル程度まで及んだと考えられる。この日近隣の山々では土砂崩れや軽微な地震、建物のガラスに罅が入るなどの微小な被害が発生した。また、魔力を帯びた潜水艦の破片などが幾つか土石流から出土した。


――


 2022年3月2日17時48分、第三帝国アーネンエルベSS特務警備隊旗艦『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層右舷、784番貨物室(独房)にて。


 「んぁ……」


 「オイ。……オイ、起きろ、japanisch(日本人)」


 「んぇ? あ、え? だ、誰?」


 ――鳥羽或人――

 僕の前には金髪碧眼の少年が居た。あどけない表情から10代前半と思われる彼は、キャスケットを目深に被り、タンクトップ……Aシャツ、ベスト……とにかくそんなような下着のシャツにカーゴパンツのようなモノを履き、皮のブーツにゲートルを巻いているようだった。細身ながらもしっかりと筋肉がついていることが薄着でわかる。彼は一体…… そもそも何故僕はここにいるのか。


 「ここは……どこ、ですか」


 木箱の上で足をふらふらとぶら下げながら彼は答える。


 「ここ? 知らんのか。元ドイツ国家労働党(ナチス)のSS(親衛隊)の一派『アーネンエルベ特務警備隊』の潜地艦『ラインハルト・ハイドリヒ』の独房だ。生憎独房はここ以外準備されてないようでね。おれと共同だ、日本人の捕虜」


 ……ナチス? 潜地艦?


 「ああ、えっと。僕は鳥羽或人、君は?」


 「ご丁寧にどーも、おれは……『ハルト』だ、『ハルト』」


 彼は無愛想そうにそう答えた。名前を言う前に少し逡巡したような気がする。


 「そうか……ハルト君ね。……ナチス……そっか僕さらわれてここに……。え、君は捕虜なの?」


 彼は少しばつが悪そうに答える。


 「俺は、まあ……似たようなもんだ。それよりも、お前はなんでこんなところに捕虜にされたんだ? 何してたんだ? 暇だから聞かせろ」


 そこまで活発に訊くような感じではなく、なんだかどうでもいいような感じで僕の事を彼は伺う。まあ、本人は外の事が気になる、のだろうか。この少し複雑な少年と僕は地下深くを潜行する奇妙な鉄の檻の中でさらに檻に閉じ込められている。そんなことを思い浮かべ、少し奇妙な気がした。

 


 ――〇――

 2022年3月2日16時19分、アーネンエルベSS特務警備隊旗艦『ラインハルト・ハイドリヒ』二層特務指令室にて。


 「うおっ…… 凄まじい揺れだ。本当に大丈夫なのかね?」


 革の椅子に鎮座し、白スーツに身を包んだ太った男が葉巻を持ちながら、横に立つ軍人にそう訊く。


 「問題ありません、作戦範囲からは完全に抜けております。現在はロシア領内を目指し航行中です。目的地には丸1日ほど、かかりますが……」


 「ならいい。さっさと通信を繋いでくれ、最後のビジネスだ」


 軍人は眉を一瞬ピクリと動かしたが、変わらぬ調子でいた。


 「はっ……」


 点灯されたモニターには黒いアイコンのみが映る。


 「……作戦は完璧に完了したようですな。マモン殿」


 「ええ勿論。ご存じのように貴方『隠者の薔薇』が最も欲する『真なる鍵・鳥羽或人』を生け捕りにしました。現在は独房にて拘束されております。お望みとあらば、もう少し良い宿舎をあてがいますが……」


 「いえいえ、捕虜の扱いで結構。……うむ。今送付された資料を確認しました。分析結果は我々にも役立ちます。それに写真も確認しました」


 「では、報酬の話に参りましょうか」


 「ええ、勿論。報酬は今までの4倍以上……如何程をご所望ですかな?」


 「我々はそうですなぁ…… 2000億などどうでしょう」


 「ほう! ……それは中々、我々の財政に響きますな。10倍以上……フーム」


 「おやおや、こちらとしても随分と値引いたものですがな。何せ今回の作戦、時間は数秒ながら、弾薬、燃料、諸々の補給物資の消耗・損耗に加え、失った人員は50人以上。組織の今後にも少々響く、現在の我々の財政上、今作戦にはこれほどの価値が……」


 「わかりました。背に腹は代えられません。お支払い、いたしましょう」


 するりと上手くいき、男は意外な顔をする。彼との商談がかつてないほどスムーズに進んだのだろうか。


 「これは、これは、『真なる鍵』をそこまでご所望とは……恐れ入りますな」


 「いえいえ、我々の目標からすれば、この程度の痛みは何でもありません。……報酬は引き渡しの際にいつもの口座ですか」


 「ああいや。今回は現物でお願いしたい」


 「ほほう! いいでしょう。純金を2000億分用意いたします。勿論当日までに」


 「宜しいんで?」


 「ええ勿論。それだけの仕事ですから」


 「それでは……」


 「ええ。ご武運を」


 モニターの画面が暗黒を映し、消える。


 「……どうするおつもりですか」


 「金だけ貰って手切れだ。『薔薇』との取引でこれ以上引き出せる報酬はないだろう。この数年で我々の資金規模は5倍に膨れ上がり、各種量産体制も整いつつある。念願の二番艦を製造することも可能。母艦構想もある。我々の拡大は約束された。あとはさっさとあれを輸送して、脅し、奴らの呪物を幾つか奪い、連絡途絶だ。我々は数年後、奴らと肩をならべ魔界に誇る二大勢力となり得よう」


 「……そうであると良いのですが」


 軍人は前を向いて帽子を被り直しながら、そう語る。他人事のように興味なさげに。白スーツの『マモン』は深く椅子に座り、足を組みなおして葉巻の煙を楽しんでいる。



〈第二章完〉

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