第三章 鋼鉄の心不全 The failure of iron heart

第三章 鋼鉄の心不全 The failure of iron heart 本文

 

 ――


 悪魔博士356:2022,3/2,16:19『すごい揺れだ』


 ルーデンス666:2022,3/2,16:19『マジ? 確か船舶での仕事だったよな』


 悪魔博士356:2022,3/2,16:21『あー、そうそう。たまにすごい揺れるんだよね、普段は大丈夫なんだけど。おかげでどの器具にも固定具付けないと安心できないんだわ』


 ルーデンス666:2022,3/2,16:22『そらキツイな、ウチはあてがわれたスペースが小っちゃいせいで収納がそんな感じだけど』



 ――琉鳥栖玲央るとす れお――

 ……インターネット回線は海底・地下に全世界で繋がる光ケーブルを通して、各サーバを繋いでいる。俺達の普段使っている機械式計算頭脳による魔界回線は各魔界を強力な魔術的結合で繋いでいる。……そこに情報の上での本質的な違いはない。インターネットの特殊回線……所謂ディープ・ウェブと、俺の今使っている個人魔術回線にも違いはない。どちらもグレーゾーン。どちらもアンダーグラウンド。

 そんな土の下の秘密の中で、俺は数年前から個人通信をしている。

 元は魔界の機械オタクの集まりの中での交流だった。機械いじりの中でのちょっとした息抜き。大学の蜘蛛の巣の張った誰もいない工学部でひとり、魔術式の効率化のために弄り続けていた合間の、油と汗にまみれた中での血の通った会話。……妙に馬が合った。俺は機械分野、あいつは生体工学や生殖、まるで違うが、興味は似通っていた。世俗のアニメや漫画を雑に論評し、魔術式の応用について評価しあい、魔術哲学について苦言を呈する……。そういう人間はここにはあまりいない。いや、そう思いたくなっている。何年間も、そう思いたがっているのだろう。



悪魔博士356:2022,3/2,16:35『圧縮ファイル 784_13.zip』


 突然画面上にそのファイルが投下された。新しい論文か? 随分唐突だな……音楽ファイル?


 「ルーデンス君。始めまして。そして、さようなら……。突然ながら私の研究所のある……艦はこれから、ウラジオストクに行く。そこからはもう、君との通信はできない。理由は言いたくない。……君の研究、失敗ばかりと言ってたけど、私はそれがうらやましかったよ。失敗作ほど愛おしくて、自分を成長させてくれるものはないと、私は今まで知らなかったから。じゃあね」


 『404:Not found クライアントとの通信が切断されました』


 その女性のやや低い声は妙に俺の心に残り、たどたどしい日本語もなぜか、愛おしかった。…… 数年来の回線が、こんなに簡単に。俺と彼女を繋いでいた回線はぷっつりと立ち消えてしまった。



 ――



 ――〇――

 2022年3月2日、16時29分、日本魔界府府庁秘匿通信室にて。


 「出先で悪いね。緊急の用事なんだ」



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 帽子を脱ぎながら、3ピーススーツにフロックコートを羽織ったその男性は泣き顔にも見える申し訳ないような表情でそう語った。表情は見える、だが、依然として顔の全容がつかめない。


 「……いえ……何か問題でも?」


 今のところ、警戒すべき事態は、無かったはず。鳥羽は神祇寮の二人と共に仕事に出ているが……。執務官が出張るほどの事態が、彼らがついておきながらに起こるようには思えない。薔薇によるテロか何かか?


 「あー……問題……。ね。ちょっと待ってくれ今、何時だ?」


 「午後四時……。30分です」


 例によって彼は時計を持ち合わせていない。毎度毎度時間を聞いてくるのはなぜだろう。


 「あ、ああ。じゃあ、まだか……まあいい。これはそんなに色々変えはしない。えっとね。カントル君。鳥羽君が誘拐された」


 「は?」


 一体どの筋での情報なのか。まず、そんな報告を受けた覚えなどない、真っ先に報告がこちらに……。画面の中の男は額の端に人差し指を押し当てながら肘をついて報告を続ける。


 「んー。あと数分後に有穂君と宇美部君がそちらに到着するようだね。まっすぐ秘匿課に向かったかどうか……。ま、それはそれとして、君たちは、ウラジオストクの魔界で待ち合わせしなさい。一応、執務室特務指令だ。鳥羽君に関しては『真なる鍵』であるからね。まだ間に合うだろう。……部隊編成は指定する。君を筆頭に春沙クラビス、金剛破戒居士が奪還作戦実行員。後衛には……。そうだな、君が指定したまえ、だが最低でも一名は秘匿一課員をそこに残しておくんだ。できれば神祇寮にも。じゃあ、後はよろしく」


 そのまま有無を言わさず通信は切れた。……意味が分からない。私が逡巡しながら部屋の外に出て、事務室に戻り、椅子に座ると有穂と宇美部が珍しく傷つきながら扉を荒々しく開けた。


 「鳥羽が攫われた!」


 ……『卿の指令は絶対』か……。


――


 「俺達が出ます。俺達が失態の責任を取ります」


 「……ダメだ。宇美部は治療が終わったら安静にしろと森が言っている。この緊急時に治療を待つほどの時間はない。有穂、お前は神祇寮の警戒に当たれ。上からの指示では神祇寮にも警戒を敷くように注意されている」


 「歩。僕の事は大丈夫だ。ここは皆に任せよう」


 ――有穂歩――

 水都さんの『呪医結界』のなかで外科治療を受けている来希が俺に向けてそう言った。右眉が強張っている……。怒りを我慢している。


 「……でも、お前……」


 ガチャリと戸の開く音と共にでかい図体が現われる。同時にデカい声も。


 「いやぁ、参った、参った。緊急要請とは。おかげで孤児院から走ってくる羽目になった。有馬を担ぐのが重くて、重くて」


 「何で土産を渡すのを優先したんだよ、勤務中……。てえのは俺が言えた話じゃねぇか、クソッ」


 有馬が猫背にポケットに手を突っ込んで例のごとく上半身裸で現れる。


 「オヤ。春沙殿が居らぬな。それに空気が重いぞ」


 ずけずけと金剛はそう言う。コイツは空気を読めるのに読まない、何なんだコイツ。


 「……春沙は現地合流だそうだ。今は有穂が、自分たちが出ると聞かなくてな、お前からも説得してくれ」


 ため息をつきながら課長は外へ出る準備として黒革の手袋をはめている。


 「んー。有穂殿。ちょっとこちらへ……」


 ――海川有馬――

 有穂の野郎は眉を顰めながら不審そうに金剛と廊下に出る。金剛は宇美部か、有穂か、どちらかに気を遣って、別の場所で話し合うことにしたのだろう。妙に察しが良く気遣いができる大胆で不敵な……。いつも妙な男だ。


 ちょっとして二人が戻ってくる。


 「……」


 「いやいや、まぁまぁ、納得してくれたようで。拙僧と課長、春沙殿以外にはどなたが出られるのかな? 課長」



 ――宇美部来希――

 あの歩が折れるとは。一体何を吹き込んだんだ? 歩は相変わらずバツが悪そうにしかめっ面だが。


 「……そうだな……」


 「俺が行きます」



 ――海川有馬――

 作業場から琉鳥栖が車椅子を駆動させ、こちらに来る。トリルビー帽に黒いスーツとフロックコート、珍しく複数の魔導武装を車椅子に着けている。あれを着けているところは久しぶりだ。


 「……お前はいつも通り後方支援の予定だが」


 「前線に出ます」


 琉鳥栖は何か決意したようにそう言う。課長は帽子をさらに深くかぶりため息をつく。


 「……はぁ……まあいい。どうせ連れて行くことには変わりない。賀茂は既に伏魔殿に向かった。有馬、お前はここで警備だ」


 「うへぇーい」



 ――有穂歩――

 有馬の奴が気の抜けた返事を返す。あのバカが珍しく黙っているという事は、今は魔力切れというクチか。


 「処置終わりました。宇美部さん、三日は家で安静にしていてください。後でお薬出しておきます」


 水都さんの機械音声が響く。


 「俺が送るよ、水都さん」


 俺は境界で来希を包み浮かす。


 「皆、僕の仕事の後始末を任せてしまって済まない」


 「俺達のだぜ」


 俺がそう言うと、来希は済まないと言うように笑う。


 「ま、拙僧、今回の出張で暴れたりなかったところ。感謝したいくらいであるぞ」


 「……誰もお前たちを憎んじゃいない。気負いすぎるな」


 課長たちはそう言って駐車場へ向かって部屋を出て行った。



 ――〇――

 2022年3月2日17時30分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層右舷784番倉庫にて。


 「そんなに広いもんなのか、外は」



 ――鳥羽或人――

 少年は僕の話に最初はそこまで乗り気ではなかったけれど、今では十代の年相応の表情で僕の話に聞き入っていた。どうも彼は、この船(?)から外へ出たことがほとんどなく、僕の話のどれもがあまり現実感がないようだ。まあ、僕もつい数週間ほど前まで似たような状況だったわけで、彼と置かれた立場は違えど、似たような感覚には覚えがある。

 世界の広さ。それを感じるにはこの船は狭く、薄暗く、うるさすぎるように思えた。


 「外に出たりは……、ないかい? その、任務とかで」


 「まあ、昔一度だけ。そんときにはネクタイ巻いた変な奴らを何人かハチの巣にしたな」


 彼は指でトリガーを引く動作をして、嬉々としてそう語った。


 「その一度だけ?」


 「そうだな。上は青くて、天井のない世界ってのは、ほんとだったんだなって、ちょっと思ったよ。ま、すぐに艦に戻されたけど」


 「出たいとは思わないの?」


 「出るったって……。まあ何度か出ようとしてるさ……。ここにいるのもそれが、その」


 彼は口ごもる。そして、キッと眉を怒らせてそっぽを向いて黙ってしまった。少し野暮な事を聴いたか。


 「ああ、ごめんね、野暮なこと聞いて。あの、君はここの、兵士の一人なのかな、訓練とか、受けているようだし」


 変に刺激して怒らせてはまずい。


 「……ここにいるのは兵士と下士官、あとは三人の軍曹に曹長。研究所には何人かの研究者と『悪魔博士』がいる」


 「『悪魔博士』? なんだいその、名前」


 妙に古めかしい響きで少し笑いそうになる。


 「おれも会ったことはない。研究所から滅多に出ないようだからな。ここの連中のほとんどはその博士の……」


 『ガンガン』


 鉄の扉が叩かれる。外に誰かいるのか。扉につけられた窓のようなモノが横に開き、青い瞳が現れる。


 「ケッ、『便所のシミ』のオカマ野郎が仲良く劣等民族とだべってらぁ。人間以下同士通じ合うものもあるってか」


 空虚な笑い声を出しながら瞳が歪んでいる。下品さというのはこうも底無くあるものなのかと感心するほどだ。


 「何しに来た。またおれに殺されに来たのか」


 「ははは! たった3人ぶっ殺したくれぇでいい気になるな。そこの日本人見物に来たんだよ……。へっへ、みんな噂してるぜ、男の癖に毛の少ねえ猿が居るってな」


 ハルト君は怒りに満ちた憎悪の目で、その気味の悪い瞳を見つめている。窓の中の瞳は形の整った清涼感のある瞳がぐにゃりと歪んだもので、その歪さは元より歪んだものよりも酷いものに感じられた。


 「……フン。いつまで経っても反抗的な野郎だ。もっとガキの頃は扱いやすかったのによ。ちょっと骨を折ってやったぐれえで泣いたもんだぜ」


 「死ね」


 ハルト君は寄りかかっていた荷物の隙間から突然、ペンのような尖ったモノを取り出し投げつけ、窓の隙間を貫いた。『ギャッ』という声と共に窓の端に血が飛び散った。


 「畜生、痛ぇ……じゃ、ねぇか……劣等個体がっ……ぶっ殺してやる……」


 そう言いながら足を引きずる音が聞こえる。応援を呼ぶ気だろうか、あのペンの一撃で人一人にあそこまでダメージを与えることができるものなのだろうか? 彼の中にも計り知れないパワーと凶暴性があるという事なのか。


 「クソッ……。日本人、どうせお前もおれを見下すんだろ、劣等人種め」


 彼は怯えと怒りの混乱した表情を表している、あんなのがいる場所でずっと引きこもっていればそうもなるだろう。


 「見下しやしないよ。それより、さっきの人はどこかへ行ったようだけど」


 話題を切り替える。気が立っているようだが、話は通じる、少なくとも先の兵よりもずっと。


 「軍曹のところへ行ったんだろ。ベルアル・シュタイナー……。おれを『便所のシミ』と呼ぶクソジジイだ」


 「そんなのが上司なのかい」


 「上に立つ奴は皆、えばり散らすものじゃないのか?」


 『ドカッ』


 扉が蹴破られ、複数の軍人たちが入ってくる。その顔ぶれのどれもが、工業製品のように整えられた薄気味悪い清涼さのある顔だった。それが5人もそろえば、できの良すぎる、人形売場のようで何とも奇妙だ。

 彼らは僕とハルト君を取り囲み、アサルトライフルのような銃を向けている。銃弾……。金剛さんの話では呪いや魔術の掛った銃弾でさえも魔力の操作による防御で無傷だというが、土壇場になると恐怖というモノがある。刃とは異なる、銃器を向けられる恐怖は刃物以上に想像による恐怖が強い。それは想像しなければ恐怖はないという事でもあるけれども。


 「何だ?」


 僕はハルト君の前へ軍人を押しのけて出ていく、僕よりも体格が良く背も高い軍人たちはぶつかれば岩のように重いが、魔力の感覚を全身に巡らせば、途端に発泡スチロールの塊のように簡単に押しのけられる、見れば彼らも魔力を脚部などに集中している様子が良く見えるが、僕には全く意味を為していなかった。僕がハルト君の前に塞がるころには二名ほど押し倒されていた。


 「クソッ! 魔力で上回ったところでいい気になるなよ、劣等人種め!」


 倒された一人がそう叫びながらいきり立ち、トリガーに手をかける。


 「やめろ、馬鹿者。俺の顔に泥を塗る気か」


 その鶴の一声でビクッと彼は驚き、止まる。人混みが割れ、その間から顎と左頭部が鉄の義体になり、左目に幾つものレンズが付けられた、鳩胸の姿勢の良い老軍人が、尊大な足取りでやってきた。軍帽を被り直しながら現れた彼は、トリガーに手を掛けた軍人を睨み付け、手で払い、彼を後ろに下がらせると、こちらを向く。


 「フン、万年ドベの『便所のシミ』が、果ては捕虜に守られるか。何とも滑稽だな。貴様も我々のような軍人ならその捕虜の骨の一つでもへし折っていう事を聴かせろ、する度胸もないのか? ん?」


 老人は器用に顔の右半分を嘲るように歪める。僕は後ろから左腕を掴まれギリギリと逆方向へ向けられる。見ると僕の腕を掴む、ハルト君の表情は先程以上に複雑な感情が交錯したものになっている。掴む力は、魔力を持つ僕でさえも振り払うことは難しい、僕よりもずっと小さい体格と、全く魔力を感じられない彼の腕のいったいどこにこれだけの力が在るのか……。


 「別に恨みはしないよ、大丈夫だ」


 僕は彼だけにそう言って、自分から左腕に体重をかけ、折った。ベキっという大きな音が響き、左腕から頭に掛けて痺れる様な痛みの雷電が走る。



 ――ハルト――

 そいつは自分から腕をへし折った。痛みを感じていることは体の震えと汗で簡単にわかる。だが、そいつは俺に、俺だけに見えるように笑顔を作っていた。何なんだコイツは。なにがコイツを、なんでそんなことをするんだ。お前は何を求めているんだ。


 「ハン! それくらいの力はまだ持ち合わせているようだな。腐ってもゲルマン人の血だ、このように劣等民族を奴隷として飼いならす力くらいはあるという事だ……全体、傾聴! これよりこの捕虜を研究所へ移送する」



 ――鳥羽或人――

 僕は左腕をひっつかまれ何人もの軍人に囲まれて連れて行かれる。逃げ出す……いや、ここで逃げ出したところで出る先はない。地中深くに逃げ場などはない。なら、話をややこしくせず、このまま耐えれる程度の命令を聞いていくのが得策か。

 僕は倉庫から、人が三人ほど並んで歩ける廊下をしばらく進み、角を右に曲がり、また少し進んだ左手に現れた鋼鉄の自動扉の中へ通された。何層にも扉が重なり、厳重に守られているようだ。部屋の中は広く、薄暗い。幾つかの棚に様々な器具が括りつけられているほか、壁には東西と正面に他の部屋への扉がある。僕はさらに正面の扉に通される。

 その扉の先はさらに薄暗く、部屋の中央のデスクに乗せられたモニターの光がそれを操作する人を照らしていた。


 「おお、それが『真なる鍵』というヤツかい」


 そう語る、モニター画面に顔を照らされた女性は、白衣に身を包み、眼鏡をずらしてこちらを見ていて、いかにも研究者然とした感じだ。他のドイツ軍人よりもずっと自然な美人といった感じの、整った目鼻立ちにうっすらと笑みを浮かべていた。金髪が緩くカールしているのはどうやら寝ぐせで、室内もいくつかのゴミが散乱している。なんというか、技術者は琉鳥栖さんしか知らないのだが、彼が良く場を整える人だったのもあって、よりズボラに思えた。


 「はい、分析室へ運びます」


 「ああ、そうしてくれ……ん? オイオイ、左腕に骨折があるじゃないか、治すのも面倒なんだぞ」


 「例の失敗作が暴れたんですよ」


 「そんなのは訊いちゃいないよ。全く。作業が増えるばかりだ、ヤレヤレ」


 僕は部屋の左側にある自動扉の中へ通される。そこにはいくつかのガラスの筒に液が満たされ、標本のようなモノが置かれていた。手足がなく腹が裂かれ、内臓が展示された女性や狼のような形の巨大な頭部に人間のような体格と毛皮を持った存在、人間の胚の分裂・成長を示した幾つもの小さなケースに、人間の赤子、子供のケースなどが並んでいる。奇妙な人体の美しさと水を通した照明の美しさ、そして胸が悪くなるような残酷さがその部屋には充満していた。生臭さなどはなく、薬臭かった。


 「いつ見ても気味の悪い……。ほら、奥だ、歩け」


 僕はそうせっつかれ、さらに奥の扉へ通される。今度はばかに明るい部屋ですべてが白い。壁も床も白いパネルによって構成され、中央に手術台のようなモノが置かれている。


 「ここにいろ」


 そう言うと軍人たちは去り、扉は勝手に締められる。僕はこの白い部屋に捨て置かれた。ここに来てからずっと不気味なものばかり見てきたが、この部屋はある意味さっきの標本室以上に不気味だ。人間味のないこの船を表すように、この部屋は人間の事を考えて作られてはいない。手洗い用と思しき水道は無駄に装飾され、手術台は厭に簡素なステンレス製で、まるで料理台みたいだ。椅子も赤いクッションに包まれたオーク材の豪華な装飾のあるモノで場違いだ。このモノリスの宇宙船の如き手術室がいかなる設計思想で作られているのかは不明だが、もっと奇妙なのは、そのモノリスと同じく出口が不明になる点だ。さっき入ってきた入り口はもうすっかり壁と同化している。モノトーンの不気味な壁は、扉の縁ひとつない。

 華やかな家具の置かれるモノリスの手術室で軟禁……僕は疲れてきたので、その椅子に座り、この部屋をあの孤独な船長のように眺めながら休むことにした。


 「うっ……」


 左腕の折れた骨が痛む。




 ――〇――

 2022年3月2日18時25分、中華人民共和国山東省済寧市梁山泊にて


 「はぁ、はぁ、はぁ……兄者。無事か」


 王冠のヨトゥムは方眼鏡モノクルに内蔵された通信機に話しかける。彼のダブルのスーツの端々には傷が走り、整髪料で整えられた白髪が少しほどけている。

 

 『……。ああ、こちらは無事だ、遠回りしながら支局へ戻る』


 「了解した。支局で会おう」


 ヨトゥムは通信を終了し、再び走り出す。


 ――王冠のヨトゥム――

 やはり本当に『南極卿』が現れよった。幸いにも『輝く死者の結晶』を悟られることはなかったようだが……。まさかカリオストロがこの動きを見越していたとは思えんが、偶然にしては出来すぎているような気もする。他の支局での輸送に介入した報告は今も着てはいない。日本……。奴があそこまで固執する理由はやはり先日の感知騒ぎの原因『鳥羽或人』だろうか。彼の存在が我々と南極卿、双方の側の動きの起点になっているように思える。カリオストロの奴もまた、彼の存在が確認されてから動いている。

 泥濘の中に佇む幾つかのボロ小屋、その中の基礎のみが残された家の端に残る、東から3番目、5番目、6番目の石畳に手と瞳を近づける。それぞれ生体認証によりロックが外され隠された入口、泥濘の中央の林、そこの大木が開く。――356、ゲマトリア変換の数秘術において真実を示すこの数字は薔薇の各所の支局においても象徴的に利用されている。木に紛れたエレベーターの中で、深呼吸をして息を整える。……右腕にいくつか罅、肩、右膝にも……呪医は出払っているというのに、全く。


 「ヨトゥム様。お疲れ様です。こちらに医療キットが……」


 「よい、大した傷ではない。それより、ギーゼルヘル、日本支局の報告によれば、カリオストロ側に『軍隊』が付いていたそうだが」


 「はい。土御門春奈からの報告にもそのような趣旨のことが。恐らくではありますが、ナチス残党、『アーネンエルベ』かと思われます」


 「フン、なるほど……。彼奴等、我々のような神秘主義者を毛嫌いしている筈だが。何らかの利害一致があったのだろう。奴の事だ、そこに付入り子飼いにしておる筈……」


 だが奴も手元にそのような兵力を置き続ける武力はないはずだ。奴個人はともかく、奴の配下の軍はせいぜいが1中隊程度……手駒としては『アーネンエルベ』は大きすぎる、いくら金だ、物資だ、人質だのを積んだところで『軍』を完全に御することは武力と権力以外には不可能。ましてやあの差別主義者の盗人集団、カリオストロの来歴からして慣れ合う筈などない。ここまでしてカリオストロの奴が欲したのが『真なる鍵』というわけか……。


 「ヨトゥム様、この件に関しての対応は如何いたしましょうか」


 「諜報部からの連絡で日本魔界府秘匿課が動いたことが報告された。おかげで我々の『準備』も進められよう、諜報部に日本支局での『最終戦争』第二段階準備を早急に進めることを指令しろ。陽動作戦と秘密工作作戦実行だ……。フン、カリオストロの奴め、結果を焦りおったわい」


 南極卿はどうやら、『真なる鍵』に対しては過干渉になるようだ。表に奴らが現れることなどここ20年程はなかった、特務指令も50年ぶり! その危機を見抜けぬ、彼奴ではないが今回ばかりは……。


 「一応、日本支局以外の支局に魔力監視に目を光らせるように言っておけ、我々の感知システムでは難しいかもしれんが、どこで奴らが暴れるかぐらいは分かるだろう」


 「かしこまりました」


 燕尾服のギーゼルヘルが闇に消えてゆく。元諜報部、前『秘密の知識ダ・アト』と噂される彼はその出自故か足音、衣擦れ、といった音が無く、存在自体が影であり凪と呼べよう。……カリオストロの術策の失敗……そのはずだ。奴は南極卿に出し抜かれ、ワイルドカードで敗退、正面戦闘で奴に勝ち札はない……。だがそれは最初からそうであるはずだ。私は何か、何か間違いを犯してはいないか。奴の思考に関して、大きな見落としが……。


 「ああ、ヨトゥム、首尾は大丈夫かい」


 汚れを払いながら兄者がエレベーターから出てくる。怪我はないようだ。


 「報告は既に聞き及んでいる。指令も出した。まあ、一旦、茶でも飲みながら話そう、兄者」



 ――



 悪魔博士356:2008,4/20,6:13『これ、繋がってるかい? おーい、ルーデンス君?』


 ルーデンス666:2008,4/20,6:14『朝っぱらから、なんか変なアクセスがあったと思ったら、久しぶりだな。』


 悪魔博士356:2008,4/20,6:14『ちょっと最近忙しかったんだ。』『それより、この回線良いだろ? 前の回線は時限あったけど、今回は制限なし、ずっと使えるよ。』


 ルーデンス666:2008,4/20,6:16『これ、いろんなファイルも送れるね。忙しいわりにこのサイト造ることは手間がかかってんな。』


 悪魔博士356:2008,4/20,6:16『いいじゃないか、使えるんだから。それより、せっかく送れるのだから何かファイル送ってくれよー。』


 ルーデンス666:2008,4/20,6:18『へいへい』『圧縮ファイル 2008_4_18.zip』


 悪魔博士356:2008,4/20,6:20『これ、前に私が教えた防護護符を更に発展させた防護護符だな。利用料払えー。』


 ルーデンス666:2008,4/20,6:20『こないだ幾つか文献送ってやっただろ、めっちゃ手間かかったんだからな、今みたいなサイトないし。』『むしろこっちが何か貰いたいね。』


 悪魔博士356:2008,4/20,6:22『ほらよ、機構設計図だ、ありがたがれ。』『圧縮ファイル 1170_13.zip』


 ルーデンス666:2008,4/20,6:23『こんなの、どこで拾ったんだ? 俺が好きな感じの設計図だけども。』


 悪魔博士356:2008,4/20,6:25『祖父が持っててね。』



 ――琉鳥栖玲央――

 14年前の4月、それまで一か月ほど連絡が付きにくかったアイツが、久々に、俺の機械式計算頭脳のサーバにアクセスしたかと思ったら、思いもよらぬ設計図を得た。それはどうも古いナチスの『潜地艦』で、地中200メートル付近まで潜航可能、全長122メートル、最大高さ18メートル規模の巨大艦で、対地上魚雷を6門搭載した恐るべき最終兵器だった。なんともバカバカしい大艦巨砲主義とロマン主義のごった煮で俺は気に入ったわけだが、どうしてアイツがあんなものをあの時出したのか、今になれば思うところもあったのだろう。



 ――



 ――〇――

 2022年3月3日3時15分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層、研究部門、解剖・解析室にて


 「はっ……うぅ?」



 ――鳥羽或人――

 手術台の上で目が覚めた。首が痛い。寝違え……た。――今、何時だ? 眠りが深かったような気もして、朝早くな気もするが、こういう眠りの際は時間は短くて、深夜のような気が経験則的に感じられる。妙に明るい部屋のせいで、変な時間に目覚めたのか。


 『あー、あー、マイクテスト、マイクテスト、実験体の……えーと、実験体でいいか。実験体君。聞こえるかな?』


 先ほど聴いた女性の声がする。あの、例の悪魔博士という科学者か。頭が痛い……。とんだモノリスに閉じ込められたものだ。


 『ウーン、凄まじい魔力量だ……。潜在量は『月の民』の比じゃあないだろうなぁ。いい素体だよ。じゃ、まずはX線検査だ』


 僕は手術台に手足が拘束されていることに気が付く。俎上の魚というやつか。天井が開き、ロボット・アームのようなモノがせり下ってくる。それにはカメラのような機器などが幾つか備わり、その中の一つである板が僕の身体に押し当てられる。X線と言っていたから、多分そのための器具だろう。そこは『世俗』とそこまで変わらないようだ。


 『む、これはこれは。君、脇腹に違和感は感じないのかね?』


 「ええ? そんなことはありませんけど……何か?」


 思わず訊いてしまった。まあ、いいか。


 『臓器が一個増えている……? 脳だな、これは。形としては。念のため、もう数枚撮らせてもらうよ』


 妙な話になってきた。脇腹に脳? 嚢? 能? 臓器が一個増えた? 確かに、僕は事故に遭ってから、呪医の森さんの診察以外を受けたことはないが、そんな事があり得るのか?  事故に遭うと臓器が一個増える特異体質? 少なくともそれ以前にそんな身体の異常や不調はなかった。筈。


 『おやおや? 脇腹から消えているぞ。オイオイどうなっている? 確かにさっきの写真には写っていたはずだが、機器の故障か? あー、実験体君どうも済まないね、X線検査は後でまたすることにしよう。……じゃあ次は諸々の遺伝子解析だ』


 さっきのロボット・アームが天井に上ってゆき、別のアームが現れる。それは針のような機構を持ち、僕の腕の皮膚を一部こそぎ取るように採取した。ちょっとだけ血が出たが大した傷でもない。だが妙に胸騒ぎと不安さがあった。


 『んー……解析には時間が掛かるから、待機させているのも時間の無駄な気がするね。いっそ生殖細胞の採取も……おや? この遺伝子型。オヤオヤ。オヤオヤオヤオヤ……。済まないね実験体君ちょっと私は席を外させてもらうよ』


 そう言って音声は切れ、ロボット・アームも天井へと戻っていき、天井は今まで何もなかったかのように閉められた。どこにもつなぎ目などは見えない。

 一体なんだったんだ? 人を不安にさせるだけさせて、さっさと消えていったような気さえする。臓器、脳、遺伝子の……。僕に何か、変化があるという事だろうか? 



 ――〇――

 あ、ちょっと或人君、代わってもらえるかな?



 ――鳥羽或人――

 ?

 今どこからか、声がした?

 何時かに聞いたことのある声だ。一体……。



 ――〇――

 おやすみ。寝て醒めたばかりだが、まあゆっくり休みなさい。30分……、35分ほど借りるよ。後でその分は返すさ。



 ――鳥羽或人――

 意識が遠のいていく……。だけどなんだか……。寝入るように……。心地が……。



 ――〇――

 私は腕の拘束具から自分自身の腕を無理矢理引く。この拘束具はどうやら防護護符により強化されているようだ……。バラモン教、かなり古いヴェーダの一節を当て字したものが使われている。まあ、大方奴らがチベット遠征の際に漁ったものの中にあったものを見様見まねで真似したものだろう。記憶の中でのそれとはかなり異なる様相を示している。


 「こんなに不細工でも動くことは動くのだなぁ」


 その術式に介入し、解除しながら、拘束具を破壊し、私……まあ鳥羽或人君の身体を起こす。……確か入り口はこっちだったはず。私はその隙間一つない壁に爪を立て、襖を開くように壁を引きちぎる。こちらにも彼らの術式が掛ってはいたが問題なく介入し、壊せた。


 「やれやれ、術式を焼き壊すと痕跡が残るとはいえ、いちいち介入するのも骨だな」


 いつもの虚しい独り言をしながら、私はその部屋を後にする。そろそろ、この船が揺れ動く頃も近い。『マモン』に早く会わなくては……。



――



 「んん?」



 ――ルーシアン・ゴットハルト・ルプス(悪魔博士)――

 実験体君の居る解析室のカメラも壊れたか。報告で『磁器異常』の発生例があったから多分そのせいか? やれやれ、電子機器も考え物だ。幸いこの船の機構の多くは魔術と機械機構だから支障は少ないだろうが、カメラも魔術式に変えておくべきだったな。これじゃあ、更なる異常個体研究が厳しい。

 私は解析室へ向かうため、扉のパネルを操作する……ん? 動かん。あれ、動かないな。オイオイ、これは魔術式だぞ。どうなっている? パネルは正常……。まさか裏で回線を切った? そんな。あの実験体君が逃げ出したのか? 見えない以上はわからないな。とりあえずパネルを外して……。ああ、本当に魔術が介入されている。アーリア術の中でも口伝ヴェーダの変則文字だぞ。こんなの介入できる人間そうそう居ないはずだ。あの実験体が―― 


 「!?ッ」


 船が、揺れている……。来たのか。思ったよりも早いね、ルーデンス君。


 『総員、戦闘態勢。繰り返す、総員、戦闘態勢。敵襲。これは訓練ではない。コード666、総員配置に就け。コード666』


 非常灯の点灯と共にこの研究部門、主任研究室の鍵はロックされ、内側以外からは入れなくなる。非常用潜地艇二機は出てすぐ隣だが、私には必要ない。


 「やれやれ、不安があるが兎も角、君の姿を見せてもらうよ。ルーデンス君」


 船内各カメラの映像を映す。第一層、右舷前部の廊下のカメラに侵入者4人の顔ぶれが現れる……。一人は大きな帽子を目深に被った、あれは尻尾か、驚いた、本物の『月の民』の獣人か。それに、なんとも妙な格好の僧侶、茶色のスーツを着こなした浅黒い肌の男……。ああ、そして……。そうくるか。装甲板に覆われた魔導式駆動車椅子に武骨な機関銃と重火器ランチャーを装備した男。顔は見えないが……。君がルーデンス君か。



 ――〇――

 彼女はモニター画面にくぎ付けになりながら、淡い光の中で、彼女自身も知らぬ間に笑みをこぼしていた。


 2022年3月3日2時45分、ロシア共和国、極東連邦管区、沿海地方、ウラジヴォストーク市、クラドヴィシェ墓地にて。


 「うー寒ぃ。何だってこんな時間にこんな場所に……。へっきし!」



 ――春沙クラビス――

 『仕事』が立て込んでるってのに俺を呼び出しやがって。全く、南極卿め。呪ってやるぜ。こんなクソ寒い中で突っ立って待ってろってのも、中々の労災案件だ、ま、魔界府役人に労災はないんだが。それにしても来るのが早すぎたか、しくったな、だが残してきたのは他の奴に任せられる仕事だったからいいか。

……どっかで温まってても罰は当たらねえだろ。どっか、パブでも行って一杯ひっかけるか。ロシアだし近くにあるだろ……。


 「あ、春沙殿、ここであったか」


 クソ寒い中、赤と黒のひらひらした袈裟を着たデカイ男が現れた。寒くないのか、そのイカれた格好。


 「金剛ちゃん早いね。皆はまだかい?」


 「いや、琉鳥栖殿がすごい機械を隠し持っていてな、皆でそれに乗ってきたのだ。こっちだ、すぐ突入するらしいぞ。」


 突入? すぐ? オイオイ、どういうことだ。


 「え? 突入って、ナチか薔薇の居場所が分かったのかい?」


 「ナチの方がわかったようでな。どうも琉鳥栖殿がアドレスを持っていて逆探知できるそうだ」


 ますます訳が分からねえ。まずこの『特務指令』が唐突なのからして、今回の任務は何か妙に引っかかる。

 向かった先には土から潜水艦みたいなのが生えていて、そこに課長とゴツイ車椅子に座る琉鳥栖が居た、二人とも白い息を吐いて話している。


 「……はぁ。つまりお前は十年近く前から、魔界府での禁則事項の秘密通信を行っていた挙句に、今回敵対する組織の技術者と思しき人物と技術交流をずっと行ってきたという事か」


 「そういうことになりますね、おそらくは。……この船もその時の技術を転用して造りましたよ」


 課長は片手で額を抑える。


 「はぁ……。全く……他に何かあるか」


 「今回突入する船の地図です。十四年前のなんで変わっているかもしれませんが」

琉鳥栖がそう言って片手のボタンを操作すると車椅子の前に立体で映像が出現する。


 「大きく三層構造になってます。第一層の後部に指令ブリッジ、第二層後部に機関室、第三層後部に緊急脱出用の潜地艇二機と研究部門。今回の作戦ではこの三つの場所が敵の重要拠点となっています。……ですが、この『潜地艦』装甲として特殊な防護護符が付与されているので、通常の火力兵器や衝撃での攻撃による損壊は絶望的です」


 「防護護符……。ナチの奴らはやっぱドイツ語の術式かい?」


 俺は煙草に火を点けながらそう訊く。風で火が点きにくい。


 「いいや、奴らは『アーリア術』と称する古いヴェーダ聖典の口伝を、無理矢理漢字やサンスクリット語、その他諸々に当て字したキメラ言語を術式に組み込んでいる。それもあって防護護符、奴らの術式への介入は金剛みたいな、そいつの母語と精神に働きかけ動揺させるような形式以外はほぼ不可能だ」


 「拙僧の介入術は対人用であるからな、護符のような、術者から切り離された術式は介入できん」


 金剛は腕を組み、顎髭を弄っている。火はまだ点かない、もうこっちでいいか。俺は指を鳴らして人差し指に火を点す。


 「突入するのなら、それをどうにかする算段はついているのだな」


 「ええ、大丈夫です。侵入方法は幾つか考えましたが、第一に行うのはここ……」

映像の中の潜地艦、上部の側面に近づく、矢印が表示される。


 「へえ、中々凝ってんじゃない、編集どれくらいかかった?」


 「俺の思考を出力するだけだから魔術ですぐだよ。それよりも、ここの、ダストシュートです。ここは変更しにくい機構になっていて多分14年経った今でも変わっていないはずです。このダストシュート、小さいですが、かなりの弱点になっています。ちょっと俺の魚雷を打ち込めばこの船でも入れる穴ができます。他にも穴はありますが、これが一番確実で安全です」


 映像がほかの弱点の部位を示し、結果のシミュレーションを映している。どれもこちら側の危険性や人質である鳥羽君の安否に関わるものだ。


 「……突入に変えることで生まれるメリットは大きい……。分かった、上にはあとで連絡をしておくが、現場判断でさっさと突入しよう。返答を待っていれば不測の事態に繋がり得る。薔薇の介入の可能性もあるからな」


 「おっかなびっくり大胆にするに越したことはないですからねぇ」


 俺は煙を吐く、こういう慢心の無さと思い切りの良さの両立が有穂と俺達の差か……。


 「突入後はどうする? 見たところ右舷左舷で廊下は二手に分かれておるようだが」


 眉を上げ金剛はそう訊く。


 「ブリッジは私が叩く。金剛は廊下の掃除をしていろ、どうせ、お前は時間をかける。二層からの掃除は春沙と琉鳥栖が……」


 「俺は三層に行きます」


 「……お前な……」


 課長がかなりキレている。有馬と相対しているときみたいなキレ方だな。


 「あー、あー、課長、大丈夫ですよ、俺一人で二層全部相手できますから、ね。効率的に掃除していけますから。効率的です」


 灰皿に灰を落としながら俺はそう言った。課長は相変わらず帽子で目が見えないが、不服そうにして話す。


 「……はぁ、もういい、行くぞ」


 そう言って潜水艦の中へ入っていく、その地面から生えた潜水艦は琉鳥栖のためなのか、正面の半球状の部分がぱっくりと開く仕掛けになっている。耐久的に大丈夫なのかは全く不明だが、琉鳥栖の事だ、それ以外の小さい部分でなんか変な失敗をしているのだろう。致命的な部分は安心できる。俺は消臭剤をかけたあと、潜水艦の中に入る、俺が入ったのちそれは勝手に閉まった。


 「中は結構広いんだな」



 ――金剛破戒居士――

 何時の間にか春沙殿が後ろに立っていた。毎度妙に気配がない。流石手練れと言ったところか。匂いもなければ音もない。ヨーロッパ・アフリカで権勢をふるう呪術師集団、『呪塔會』より派遣されたという事もあり、彼の精鋭ぶりは他の魔界の秘匿課と比べても一線を画するだろう。だが、それだけに、彼の性格について引っ掛かる面もある。気のせいであると良いのだが……。


 「出発する。ここから20分程度の地点で合流できそうだ」


 「なんか暇を潰せるものないんですかぁ?」


 春沙殿が帽子を取りながらそう語る。


 「春沙殿トランプ持っておるだろう」

 

 「え、金剛ちゃん、俺のカードは呪物だよ」


 「何か問題があるのか? いや、勿論、嫌ならいいのであるが」


 「しょうがないですねぇー。ポーカーしようか、テキサスホールデム? 面倒だからノーリミットね」


 何処からともなくカードを手元に出現させばらばらと右手から左手へカードを飛ばしている。

 また、それを聞きつけて、奥の部屋からひょっこりと森殿も現れる。彼もまた足音が静かで、存在感を前面に出さない。春沙殿が彼に手札を渡す。


 「ほらほら、課長も、琉鳥栖殿も」


 「……マジで緊張感無いな、作戦前もいつもこうだったのか?」


 琉鳥栖殿は後方支援が基本で突入作戦などに参加することは少ない。彼は自動航行の機能を作動させて、手札を貰う。


 「お前ら毎度毎度……。私は参加しないからな」

 いつものことながら課長は参加せず、艦内にある仮眠室へ向かって行く。毎度作戦前に眠っているがそれも姿勢としてどうなのだろう? それは課長の中でセーフライン内なのだろうか……。おっと、手札が中々良いぞ。黒いスートのクラブのエースにスペードのエース。ワンペアだ。


 「あ、せっかくだし何かかけようか。チップは煙草で代用するけど……。どうする?」


 「それじゃあ最多チップ保持者は他全員から何か贈呈品をねだれるというのはどうかな?」


 拙僧はわざと大きな声で言う。


 「おいおい、いつになく、リスキーだな金剛ちゃん」


 手札をそろえながら春沙殿は笑みを浮かべる、だが彼のポーカーの能力は卓越している。ブラフか否か。

 森殿は本人は寡黙でそのバケツのような帽子も相まって表情が読めないが、割と体に出るタイプ、彼は手札を貰った際に少し肩を驚かせた、今の拙僧の発言にも少々驚いた後、オーケーの手を示した。


 「まあ、俺はそれでもいいけど」


 琉鳥栖殿はさらに感情が読みやすい……。今回の件も何やら私情が強く出ているのが手に取るようにわかる。その感情の根本は本命は恋愛感情、次点で友情、大穴は献身か。ま、余計な詮索は無粋であろう。


 「じゃあ決まりだな」


 「待て」


 課長が起き上がってこっちに来る。オヤオヤ、上手く釣れたようであるな。


 「お前らにやられっぱなしというわけにはいかない。今回は私も参加してやる」


 春沙殿は驚いた様子で課長を見た後、拙僧を見遣る、拙僧はウィンクして合図する。


 「おお、課長が来るとは、いやはや。珍しいこともある」


 課長は手札を貰う。課長殿は目線で物を言うタイプだが、今回は帽子であまり見えん。彼女はおもむろに拙僧に小声で耳打ちをする。


 「その、贈呈品というのは……。その……」


 「贈呈品は後で個別にねだれば良い……。訊かれればアレなものでも、敗者は勝者に従うものであるからな、でもなんでも好きなものを要求されよ」


 小声で伝える。口元がムッと曲がる。図星か。


 「なら手札を私にも寄越せ」


 課長のお手並みはいかなるものか、ポーカーで遊べる機会などそうそうない、鳥羽殿に感謝であるな。

 最初に開かれた二枚の共通札は双方8、クラブとスペード。出だしが上々、今日は中々ノっているようだ。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時33分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層、右舷784番倉庫(独房)にて。


 「おい、どうなっている?」


 アドルフ・ゴットハルト・ルプス:俺は扉の窓から外にいる兵……。アイツは、確か、フランツか……。そいつに状況を聞く、があの野郎はせわしなくどこかへ走って行って、俺の事をいつものごとく無視していく。こんな状況でもぶん殴られなきゃ俺の事すら見ないのか。

 ……この警報、初めて聞くが一応陣形の事は覚えている。侵入者の撃退、廊下に防御陣地を等間隔に造り塹壕戦のように機銃掃射と支援で相手を留め、削る。防衛戦、地の利としても何にしてもこちらに優勢があるのは俺でもわかる。だけどそれは向こうも同じく理解している。その算段が付いたうえで向かって来ている。アイツ、或人だったか、の話では並の兵隊では敵わない強敵、単純な防衛戦じゃあ、直ぐに突破される。人造獣人部隊に、改造人間部隊も動くのなら、勝機も出るだろう、あのクソジジイなら動かすことを打診するだろうが、デブの曹長がそれを許可するか、時間はかかるだろう。

 逃げ出すのなら、混戦が極まってきた頃、その頃なら俺が逃げ出す隙も、俺の武器を盗みだしていく時間もギリギリ取れるか。脱出用の船が残っているかはわからないが、ダメもとで研究部門の奥へ。

 いや……逃げ出さずジジイ共をここでぶち殺すだけ殺して、死ぬか。そっちの方が気分も良さそうだ。

 殺そう。

 俺は扉を引き壊し、開ける。


 『バリバリ、ドガーン』


 突然、天井が割れる音がして、目の前の扉が吹き飛び、廊下に何者かが現れた。装甲で覆われた……車椅子? のようなものが現れる。複数の火器を装備しているが、リロードの機構は考えられていないようにも見える。俺は直ぐに壁に身を隠し、ゆっくりそいつを覗く。

 車椅子野郎は手元のパネルを操作して崩れた廊下をゆっくりと進む。装甲が更に下がり奴の姿も認められなくなる。少しして、停止し、機関銃での攻撃を開始した。1秒間に一体何発の弾を射出しているのか、明らかに掃射用以上の破壊と死を目的とした攻撃性能だ。隣の巨大なライフル状の兵器も同時に発射される、単発式でかなり大きな反動があるが、その分破壊力もすさまじいだろう、おそらく対物ライフル。こんな近場で打ち込むのは恐ろしいが。

 幾つかの流れ弾を俺は避けたりつかみ取ったりした後、対物ライフルの発射から3秒ほどのちに攻撃は止み、奴は敵の居ないことを確認したようで、また前進を始める。今ので、防御陣地が少なくとも一つは崩壊したという事か。このペースだと十数分程度で研究部門まで到達されそうだ。それよりも早く俺が辿り着けるとは思えないが……。とりあえずアイツが去ったので自衛の術である兵器を取りに行く。廊下は10メートルほど、二歩で行けるな。確か俺の武器は……ここだ。扉は鋼鉄製の何やら魔術が掛っているらしいが、殴り壊せば問題はない。呪物結合式の魔力弾倉小銃を拾い上げ、マガジンの魔力充填率とチャンバー内の充填率をチェック、充填済みだ。護符付与済みの鉈を腰に背負い、拳銃をホルスターに納める。

 左舷に移動し迂回しながら行くか、あの男の後を尾行するか。無駄な戦闘は避けたい、尾行するか……研究部門。悪魔博士がそこにいる。俺の、母親が。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時33分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第二層右舷船首付近にて。


 「臨戦態勢! 臨戦態勢、各自防御陣地を造れ、早くしろ! これは訓練じゃないぞ!」


 せわしなく、黒衣の軍隊たちは動き回り、塁を積み、機銃を運び、ヘルメットを着け直し、職務をこなそうとしている。全てが順調に準備されている。天井が裂けるまでは。


 『ドカッ』


 天井が裂け、巨大な装甲の車椅子が現れたのも束の間、更なる爆発と共に、周囲を巻き込みながら車椅子がさらに下へと下がっていく、兵士達のある者は恐慌し頭を抱え爆発に備え、ある者は小銃を構え臨戦態勢となり、ある者は塁の陰に隠れた。二名ほどが爆発に巻き込まれ背中や右半身を吹き飛ばされたのち、廊下は静まり返った。


 「おい、カルロ、お前見てこい」


 不気味なほどに静まり返った廊下、階下までには2メートルほどの差があるため、下の音はその穴から僅かに聞こえる程度。廊下は爆発の影響で電灯が消え、闇に包まれている。哀れな、カルロと呼ばれた兵は震えながらその闇の奥を携帯した電灯で照らし、歩いていく。


 「あ、穴が開いています、上と下、どちらもすごい騒ぎです、う!」


 突然、息の止まったような叫びの後、カルロの声は聞こえなくなる。


 「ど、どうした、おい、カルロ」


 上等兵はそう叫ぶが、何の声も、音すらも帰ってこない。


 「どうしますか」


 「どうするったって、ここで防衛を続けるしか……」


 「裏口が開いておりますよ、上等兵殿」


 スーツの男が上等兵の背後に現れ、彼の両腕と彼の首を右手のカードでするりと切り落とし、血が出る前に闇に消える。目の前の兵士が恐怖の叫びをあげる前に、空に現れるカードがその喉と腕を落とす。春沙クラビス、足音のない男。その真価がここに現れる。


 「ナチの軍隊と言えど、トランプの方だけで充分か……」


 鼻歌交じりにそう呟き、音もなく闇の中で壊滅した一個小隊の死体を見てそう語る。そのこめかみに、ライフル弾が飛来した。


 『ドガッ』


 春沙クラビスのこめかみにライフル弾が直撃し、貫通、穴が開く。それは遥か後方の陣地の感知型スナイパーによるもの。


 「よし、当たった。貫通したぞ」


 「呪術装填済みの徹甲弾頭、対物ライフル。流石に秘匿課と言えど意識外からの攻撃は……! なんだあれは」


 闇の中から現れたのは無数のトランプカードであった。先程のクラビスの姿は数十枚のトランプに姿を変えて襲い掛かってきたのだ。数十枚のトランプがスナイパーを襲う、彼らは小銃を撃ち、カードを撃ち落とさんと機銃手も防御陣地より掃射を開始する。


 「だから裏口が開いてるって、何度言えばわかるんですかァ?」


 機銃手は首をはねられ、スナイパーはカードたちに切り裂かれて行く。春沙クラビスは影のように闇に溶け、一人一人、一つ一つ、防御陣地の人員を確実に闇へと葬り去ってゆく。


 「し、死神、化け者め」


 恐慌状態となり失禁した兵士が小銃を振り捨ててそう叫ぶ、目の前には茶のスーツに身を包んだ死が立っている。


 「私が死神? 化物? くくく、こりゃあ傑作ですな。ナチの親衛隊ともあろう方々が、狂気の軍隊ともあろう御方が、小便を漏らし嗚咽して、この私を死神だと?」


 その一点の汚れもない服をまとった死は、緩い光沢をもつ革靴で兵士の右膝を踏む。


 「今まで何人手に掛けた? 貴様らの親玉は、何人虐げた? 忘れたとは言わせませんよ、ナチの軍人さん……。それに、くくく」


 「うぁあああ」


 ゆっくりと兵士の膝が折られる。パキパキと軽い音が響く。静寂の闇に悲鳴と骨の折れる音だけが存在する。


 「私程度を化け物と言っちゃ、私の同僚は一体何者になるんで? 悪魔ですかあ? 神ですかぁ? ハッハッハッハ」


 『サク』


 その兵士は脳天をするりとカードで断ち切られ、ぱっくりと頭部を両断される。カードには先程から血も脂もついておらず、いずれの斬撃も果てしない速度によるものであることが物語られている。死と呼ばれた男、クラビスの顔は闇に濡れて何も映していない。


 「この私程度を……。ね」


 しじまの中でその言葉だけがこだました。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時33分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第一層、右舷、船首付近にて。


 「では課長、ここからは二手に分かれて……」


 金剛がそう言う間に課長、ベアトリーチェ・カントルはすたすたと右舷の方へ行ってしまった。その右腕は巨大な毛皮に覆われ、背には尾のようなモノが人体に繋がらず浮いて、付いて行っている。


 ――金剛破戒居士――

 ヤレヤレ、ポーカーに勝って調子が良いとはいえ、課長は傍若無人か……。先が思いやられるわい。


 ――〇――

 金剛はわざと下駄を鳴らしながら左舷の廊下へと向かう。その大きな音は大胆不敵に廊下内に響き渡る。それを兵たちが聴き逃すはずはなかった。


 「ってぇ!」


 合図とともに機銃手が『ヒトラーの電ノコ』とも呼ばれた機関銃の発射ボタンに指をかける。空薬莢が熱を帯びながら床に散らばり、銃身に熱が溜まってゆく。その機関銃の弾丸一発一発が正確に金剛の元へ飛来する。金剛は手を前に伸ばし、おもむろに正拳突きを行う。その突きの速度はすさまじく、風がこの密閉された廊下内に走り、その風と共に延々と魔術的結合が兵士たちに結び付けられる。


 「悟れ、子等よ」


 高速で機関銃の弾を摘み取りながら金剛はニヤリと笑いそう呟く。兵士たちは眼を見開き、ある者は頭を抱え、ある者は耳を塞ぎ、ある者は過呼吸を起こしている。



 ――金剛破戒居士――

 『幻惑式精神操作術』【懐疑主義的科学思想(ピュロニズム)】愛おしい苦痛よ


 己の中の疑いと対峙した時、人は苦しみを覚える。なんと素晴らしく甘美な苦悩か、時に自死さえも考えさせるこの責め苦、これこそまさに人生の花。秘するは花といったものよ。


 「ああ、迷える子供たちよ、貴様らの迷いを教えてくれ」



 ――〇――

 金剛はそう語りながら近くの兵士の肩を掴む。その兵士は眼を見開き、金剛の胸ぐらをつかみ、恐怖と哀しみの表情で金剛に尋ねた。


 「俺は、俺達は何故、何故生きている? 意味もなく、機械によって産み落とされた俺達は、人生に何の意味があるんだ?」


 金剛の周りにはそう叫ぶ多くの兵士たちが亡者の川のようになり、這いずり、うなだれ、金剛に縋りついていた。皆が苦悩と悶絶の表情を浮かべている。


 「俺は何だ?」


 「俺は何のために生まれた?」


 「俺は誰だ?」


 「俺は何をしているんだ?」


 「俺はどうすればいいんだ?」



 ――金剛破戒居士――

 ああ、ここの者はやはり迷いあぐねる事すらもできなかった子供たちだった。我が見立ては間違っておらなんだ。


 ――いやはや、仲間が増えそうでラッキーであるな!


 ――〇――

 金剛は満足げに笑うと、キッと目を見開き、眉を怒らせて、その兵士を殴る。


 「他人に自分の人生の意味を聞いてんじゃねー! バカチンがぁ!」


 金剛は本気の怒りの形相でその兵士の胸ぐらを掴み返し、顔を近づけて大声で叫ぶ。


 「貴様は赤の他人に死ねと言われれば死ぬのか!? え? 貴様の人生の責任は全部その他人のせいか? あ? ふざけるんじゃない! このバカタレ! 手前の人生の責任ぐらい自分で取れ! 手前のケツは手前で拭け! 人から与えられるものは知識と倫理と心だけだ! 意味など他人に求めるな! 自分に求めろ! 他人のせいにしてキレるな! ブチキレて他人を襲う奴は最悪だ! 今の拙僧みたいにな!」


 矛盾した物言いと共に、周囲の兵士もバシバシとシバいていく、ヘルメット越しにゲンコツを入れ、小銃で尻を叩き、地団駄を踏み鳴らす。だがそのどれもが、一度では生傷にならないように注意が払われていることは、それを食らったすべてのものが知っていた。


 「う、うるせえ! テメエがこうさせたんだろうが!」


 兵士の何人かはナイフを取り出し、金剛の腹へとそれを突き立てる。だが魔力を帯びたその刃も、金剛の魔力に適合しすぎた鋼よりも固い肉体の前に砕ける。金剛は抵抗する者をデコピンで倒す。気力を失って倒れたままの者もいれば、何度も立ち上がり抵抗を続けようとして軽く倒され続ける者もいた。金剛はそう言う者を払う時、本当に楽しそうな表情を見せた。


 「こうして弱い者らを倒すのは楽しいし、人が苦しむのを見るのは愉悦だ。だが拙僧は人が苦しみの中で幸福をつかみ取った時の様子の方が見ていて楽しい。死ぬよりも生きる方が絶対に良いように! 貴様らは貴様らの幸福を掴むのだ、それが拙僧と対立するモノなら受けて立とう、そうでないならさっさと去ね。悩みが聴いてほしくば喜んで聴こう、面白そうだからな。ガハハハハ」


 根気強くそう言い続け、話しかけて見れば、そこにいる兵士一人一人の話を聴いていくので、いつしか逃げ出さなかった兵が円状になり正座をして話をするのを待つようになった。そこにいる兵士全員が、この男の奇妙な雰囲気に吞まれ、もう既に術式の効果が解けていながらに彼を待ち望むようになっていた。


 「全く、ここの教育者はどうなっておる。聞けば皆軍隊式以外の、倫理的知識がないではないか。古臭いアーリア至上主義などとほざきよってからに……。まだそんなことを言う者はそこに直れい! 拙僧がぶん殴って止めてやる! 知識がなければ紹介しよう!」


 「何? ほかの隊員からいじめられるだと? そいつを連れてこい、一発ぶん殴ってから腹を割って話し合わせてやる。ほらいくぞ……」


 「人殺しの感触で震えが? それは当然である。人間向き不向きというやつがあるのだ。たとえ貴様が遺伝子調整された超人だろうと精神の超人さには達し得ることは出来ぬものよ。何が好きか? 何をしたいか? 問うてみたまえ、それが問えねば、とにかく何かやってみたまえ、まあ、何事もやってみなくては……」


 「おお、2班のクリスがちょっと気になっている? ほほう、そう言うのは先ず距 離をゆっくり詰めていくのが大事であるぞ。勿論、貴殿のやり方でだがな。恋と言うのはいつでもいいモノだ、拙僧も昔な……」




 「……おい、左舷(コッチ)の第一、第二、第三防衛部隊からの連絡がないが、ここは大丈夫なのか?」


 第一層左舷廊下の中部を守る部隊の隊長が通信兵に訊く。通信兵は通信機に耳を傾けながら答える。


 「右舷の現状はもっとひどいですよ、ただ歩いてくるだけの女を止められずに死屍累々だそうです」


 「ただ歩いて来るだけ? ……なんだそれは?」


 通信兵は肩をすくめる。


 「そのままの意味だそうで。ただ歩いているだけの女に轢き殺され、塁が破壊されるんです、鉄板も装甲もバターみたいに引き裂いて歩いて行ってしまうそうですよ」


 「……想像ができんな。他の層もそんな状態なのか?」


 「さあ、別階層は備え付けの通信機器じゃないとわかりません、エレベーターか、兵舎の方に行かないと……? た、隊長! 前方に不審な……」


 通信兵は言葉を逡巡した。体調も振り返る。


 「おい、あれは何だ?!」


 そこには不敵に笑みを浮かべる赤と黒の奇妙な袈裟の僧侶に導かれた、幾人もの兵士たちが、僧侶による強力な術式に守られながら何の武器も持たずに防御拠点へ前進している様子だった。


 「さあ! 第一層左舷、第四防衛部隊の諸君! 攻撃したまえ! 拙僧らは逃げも隠れもしない、諸君らの攻撃を全て受け取り、諸君らの心を知ろう! 諸君らがあくまで戦うというのなら、拙僧らは心行くまで戦おう! 諸君らが逃げるというのなら、拙僧らは追わない! 諸君らが拙僧らについて来るというのなら、拙僧らは受け入れよう! 諸君らが迷っているというのなら、拙僧らが話を聴こう! 迷いが晴れぬというのなら拙僧らと来たまえ! 拙僧らは逃げも隠れもしない! さあ、闘争だ! 戦おう! 拙僧らとで戦い合おう! 生きるために! よりよく生きるために! より多くが生きるために!」


 『うぉおおおお!』


 数十人に過ぎない軍隊ながら、士気は明らかに僧侶らが上だった。その中には何度も殴られた痕が残るものや骨を折った者もいた、全員武装は捨て、素手で殴り合うつもりである。先の防衛部隊の何人かは逃げ、数名は失神するまで殴られたが、共に来た数十人は金剛にその場で感化され残ったもの。金剛は自らの不殺を貫く男であり、敵を味方につけることもいとわず、しかし時に暴力的で、殴り合いを話し合いと呼び、話し合いを闘争と呼ぶ、狂った男である。

 銃弾の雨が金剛へと降り注ぐ、袈裟の袖を振り、銃弾を摘み取り、後ろに続く人々を防護しながら、自らは幾つかの弾で傷つき、それでも屈託ない笑みを浮かべながら、ゆっくりと前に進み、彼は再びあの術を使う。


 「悟れ、子等よ」


 

――



 ――〇――

 2022年3月3日3時35分、第一層、右舷船首付近にて。


 それは重機のようだった。大型掘削機で木々が薙ぎ倒されてゆくような、果てしない力量差、蹂躙オーバーキルであった。

 ベアトリーチェ・カントルは一定の感覚で歩き続けていた、規定されたライン、まっすぐと今まで進んできた直線をずっと歩き続けている。その線上にある全ての物は彼女にぶつかる瞬間に塵灰となっていた。銃弾も、魔術障壁も、防塁も、鋼鉄も、壁も、皆等しく壊れ、毀損され、死んだ。それを彼女は興味なさげに、見向きもせず、ただただ前へ歩いていた。


 「クソッ、人獣(ヴェア・ヴォルフ)の化け物め」


 ただ歩く彼女に既に五つの防御陣地が突破され、弾丸の跳弾により全員が死滅していた。放たれた弾丸は、彼女の尾に似た浮遊する器官により磁場がねじ曲げられ、加速し、複数の兵のヘルメットを凶暴に貫く、まるで生きた獣のように。

 彼女が歩みを進める度に死体は増えてゆく、革靴の音が鳴り続け、様々な兵の掃射、斉射の音頭、猛り、叫び、恐怖、嗚咽、そして、誰もが黙り、革靴の音が鳴り続ける。



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 少し前は……。弾を弾くにも、もう少し気を張った。人を壊す時にはその責任を感じたものだった。いつの間にか何も感じなくなった。職務、職務。私は職務で人を殺す。人殺し……。だがそれが何だ? 私の奥底には最初から獣が居る。それを飼いならして生きている。人を殺す人間と人を食べる獣……。その間に、何の違いがあるのか?



 ――〇――

 彼女の思いに感応してか、空間内に尾のような器官と同じく浮遊した手のようなモノが左右で出現する。そして彼女の身体は白い毛皮で覆われた獣のような姿へと変貌してゆく。鋭い爪、牙のある口、瞳の光彩は変わらず輝き、月のような光を持っている。



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 ブレるな。父と約束したはずだ。人を食らう化物にはならないと、私の一方的な約束、でも、それでも、そこを超えればもう。全てが均されてしまう。全てが同じになってしまう。愛する者も憎む者も。それは駄目だ。だから、だから……。



 ――〇――

 まるで意に介さず、指を振るのみで簡単に兵を殺して行く、全滅、全滅、全滅。だが、八番目の防衛陣地にて、変化が起きた。


 「……お前たちは何だ?」


 ベアトリーチェ・カントルは眼を見開き、その部隊に訊いた。


 「……あんたと同じ、人狼(ヴェア・ヴォルフ)さ。さあ、ゲームを始めようか、先輩」


 金の毛皮、尾が生え、爪を持った、魔力の強い部隊。それぞれが力むと、その身体を変容させ、筋肉が膨張していく。


 「……人狼(ヴェア・ヴォルフ)?」


 人狼部隊の兵は狭い廊下内で最適な姿を選択し、三方向から同時攻撃を測る。踏み込みにより鋼鉄の床に足跡が形成された。圧縮された筋肉には無駄がなく、敏捷性の高い質の筋肉を纏っている、強力な魔力操作も相まって、初速度は衝撃波を発生させるほどである。


 『まずは一発、貰った!』


 兵士の攻撃により彼女の頬に一筋の傷がつく。


 「……私は人狼(ヴェア・ヴォルフ)などではない」


 「え?」


 攻撃をした兵たちは振り向いた、しかし、そこに彼女の姿はない。彼女は万全の状態で振り向いた彼らの背後に立ち、兵の一人の頭部は既に彼女の右手の中にあった。兵たちが気配を察知して、彼女を見ると、その兵の身体は二人の兵の間でゆっくりと倒れ、地面に触れると微細な欠片になって、硝子の人形の様に崩れた。


 「……私は『月の民』……。そこらの犬どもとは訳が違う」


 片手で兵士の頭を卵のように握りつぶす、同時に、彼女の隣に浮かんでいた左右の手が、他二名の兵士を同じように握りつぶす、抵抗する間もなく、ぱきょりと軽い音を立てて二人の兵士は死体がミンチになり死んだ。

 彼女は頬から流れた血を拭い、手袋に付いたそれを舐めとった。心なしか彼女の頬が紅潮しているようにも見えた。拭った後に傷はもうなくなっている。


 「う……うおおおお! 怯むな! 倒せ!」


 残った4名の兵士が全力で彼女の方へ向かい攻撃を仕掛ける、彼女の幽霊のように神出鬼没な手腕と浮遊する掌により兵士たちは、捻じ曲げられ、握りつぶされ、磁場によって頭部が爆散させられる。脳漿と血と体液の混じった液体がそこら中に撒かれ、彼女はその中を歩きながら、熱っぽい息を吐き、本人も与り知らぬ笑みを浮かべていた。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時39分、第一層、指令ブリッジにて。


 「ええい、まだ繋がらんのか!」


 マモンは樫の机に拳を叩き付ける。飲みかけのウィスキーが氷と共に音を立てる。


 「何しろ緊急の連絡ですから、数時間は連絡がつかないこともあり得ます。現在は三時なものですからね」


 煽るように彼はそう言う。


 「……くっ。悪魔博士、聴こえるか」


 『ええ、聴こえておりますよ、曹長殿』


 「カメラの様子はどうだ、もう一人ぐらいは撃退しただろうか」


 『全然! 全く歯が立っておりません、それどころか離反者まで現れている始末ですよ、アッハッハッハ』


 「!! ぅっ! 何ぃ……!」


 マモンは再び机に拳を振り下ろし怒りを露わにする、呼吸を乱し、冷や汗をかき、肩を震わせ、憤死するかにも思える様子だ。


 『これは全部隊を投入した方が良いですよ。総力戦、総力戦。フフフフ』


 「小娘が、馬鹿にしおって……。クソッ、アッツァツェル軍曹、他の軍曹はどうしている?」


 「モロク軍曹の人狼部隊は全層のポッド内で待機しております。本人は第一層ここのブリッジ門前を守護しています。ベリア軍曹は第三層の研究部門前のエレベーター通信室で全体の指揮を取っております。……私の兵器人間部隊は第二層の準備ポッド内に格納されており、試験運用は既に一部完了しているので動かすことはできますが」


 「動かせ、貴様も出撃だ。通信が終われば私は脱出のために動く、護衛の任務があるとモロクに伝えて置け」


 「はい」



 ――アッツァツェル・ルシュト――

 フン、やっと機械デブのお守りから解放か、次のお守り役は機械フェチのデブ専野郎のモロクで良かったな。それにしてもあの機械デブ、流石に金は欲しいのか脱出前にも商談とは。恐れ入るな。ま、俺もかなりヤバいようであれば、ここにある研究成果や設計図、金を持ってズラがるか、薔薇に掛け合えば拾ってもらえるだろう。



 ――〇――

 彼は手袋をはめ直しながらブリッジを後にし、廊下へと出る。廊下の先の門を電子キーで開くとそこには若い兵士がロングコートの襟を立て、ポケットに手を突っ込んで立っていた。髪は金で肌は浅黒い、そして瞳は月のように輝いている。


 「あ、アッツァツェル軍曹。お疲れ様です」


 「伝令だ。マモン曹長が脱出する際の護衛役をお前に任じるそうだ。よかったな」


 「はっ! この命に代えてもお守りします!」



 ――アッツァツェル・ルシュト――

 そこまで言えるのは中々、兵士は見習うべきものなのだろうが、俺は別にこの場所やこの組織の理念やらに思い入れはないので、妙に滑稽に見える。ここまで純粋だともはや喜劇だな。


 「じゃあ、俺は降りて部隊を指揮する。お前の方も部隊を派遣したのか?」


 「ええ、左右2部隊ずつですが、ここの防衛は精鋭2部隊で」


 「そうか。じゃ、頑張んな」


 「ええ、ジーク・ハイル!」


 「ヤー、ジーク・ハイル」



 ――



 『ンンン。ああ、失礼、ちょっと遅れましたな、マモン殿、緊急連絡とは何用かな?』



 ――〇――

 通信が始まり、カリオストロの声が部屋内に響く。


 「秘匿課だ! 我々の艦に秘匿課が入り込んできたのだ! 取引は場所を変えざる負えない状態だ。済まないがロシアでの取引は――」


 『ハッハッハ、大丈夫ですよマモン殿。そう焦らずとも』


 「ああ、ありがとう、カリオストロ氏、取引に金額の変更はあるか? まあ、多少の減額も覚悟はしているので――」


 『いやいや、大丈夫です。何せ金なんて全く用意していませんから』


 「――は?」


 ぽかんとマモンは黒いモニター画面を見つめる。


 『最初から、金なんて用意しておりませんし、ウラジヴォストークには誰も居ません。だってあなた達は只の捨て駒なんですから』


 「――は……。は?」


 マモンは震え、冷や汗をその肉体の残る半身でかきはじめた。


 『ユダヤ系秘儀を主に扱う魔術師結社【隠者の薔薇】が、ナチス残党のユダヤ差別団体と正式に手を組むはずないじゃありませんか。あなたは始めも、今も、私の私的な手駒にして、捨て駒なんですよ。マモン殿。くっくっくっく』


 押し殺すような笑い声が響き渡る。


 「今までの金はどこから」


 『あんな、はした金、私の財で事足りますよ。我々は世界団体ですよ? アメリカの旧トラストやヨーロッパの有名貴族家、その他、世界中のあらゆる名家とも交流がある。ああ、あなた方はそこら辺に随分、疎いようですね、ま、無理もない、怯えて、隠れ、生きているわけですからな』


 「お前の大切な『鍵』は」


 『別に今直ぐに手に入れる必要はないので、ブラフとして使ったまでですよ、効果は上々のようですね。秘匿課は全員で襲撃ですかな、あ、いや、五分以上もっているという事は全員ではないようですな、ま、主力が来ただけ良いとしましょう。ハッハッハ』


 「捨て駒だと……小僧、私を舐めよって……! 貴様の生まれる以前から私は南極卿と戦い生き延びてきた! 絶対に貴様に目にもの見せてくれるわ!」


 彼は口の端から泡を出しながら激昂し、唾を飛ばす。


 『ハッハッハッハ! まるで自分が歴戦の戦士のようにおっしゃる。ただ敗走して、80年近く引きこもり震えていただけの老人が! 貴方はやはり愚かで面白い。ハッハッハ。元はと言えば自分の所業が招いたタネでしょう、【アーネンエルベ親衛隊特務警備隊】の曹長殿? 貴殿の身勝手な研究でフランスを始め多くの魔界から物品や人々が攫われ、奪われ、殺され、壊され、犯された……。それを我々が忘れるとでも? このカリオストロ伯爵家が忘れるとでもお思いで? クックック、だとすれば貴方、愚鈍が過ぎますぞ。脳ミソの腐敗はその機械でも防げなかったようですな!』


 「くっ、小僧、貴様に必ず、必ず、貴様の先祖と同じ苦しみを味合わせてやるからな!」


 「へえ、そりゃすごい」



 ――〇――

 私がそう言った後、指を鳴らすと同時に、通信は途絶える。マモンは驚愕の表情を再び、その顔に浮かべる。半分が機械に置換され、もう半分は醜く肥えたドイツ人。あの大戦の時と相変わりはない。


 「……ああ……な……何故おまえが」


 「私は人に見られちゃ、まずいんだよ、マモン君。知ってるだろ? 私の事は、さっきも通信での話題に出してくれていたしね」



 ――ゴットロープ・マモン――

 奴の顔はあの時と同じく判別できない、ドイツ人のような、全く異なる人種のような、容姿が見えながらに不明な存在、我々の信念を根本から揺るがす存在。私を80年近く追い続ける悪魔。魔界を統べる王たる存在!


 「失礼な、別にどこも統治しちゃいないよ。バランサーさ、調停者バランサー


 「黙れ、南極卿! 貴様は我々を身勝手な理由で追い詰め、壊滅させようと」


 「身勝手? 秘匿技術を大戦に持ち出そうとした条約違反者を、ただぶちのめして均衡を保っただけだよ。おかげで条約の重要性を各国首脳に提示できたし、結果は良かった。だが、君たちは許される存在ではない、全身全霊で以てぶちのめすべき存在と私が認定できる存在なのだよ。ふふふ」


 「貴様、私を殺すのか、そうやって貴様は私を」


 「またまた失礼な思い込みを……。別に君が死んだって、誰が死んだって、私はちょっと悲しむだけで、どうでもいいが、私は不殺主義と決めているんだ。人間としての倫理、進化の過程で手にした理性の賜物を愛でているのさ、だから安心してくれ、君は死なないよ、ただ【識る】だけだ」


 「やめろ、近づくな、私に近寄るな」


 私の魔術、『世界法則術式』【補正(メアリー・スー)】により逃げた先に私が現れる、私の存在性は世界に偏在する。


 「ああ、ああ、触れるな、私に触るな、やめてくれ、やめてくれ」


 「どうして? 君はどうして生きている? なんでそんなに必死に生きているんだい?さあ教えてくれ、君の事を私に教えてくれ、私の全ても君に教えてあげよう」


 手が彼の機械の中へするすると入ってゆき、彼の脳髄へと到達する。彼の思考機能を支える神経細胞という名の電子装置に私のそれを繋げる。


 『神経操作術直結』【外部注入論(インセイン)】さあ、お話の時間だ


 「ああ、ああ……」


 見えるだろう? ゴットロープ・マモン。宇宙の全てが、私の経験してきた那由他の彼方の世界線ループの全てが、君の脳へと直接流れ込み、君の情報体である魂を無限に肥大化させてゆく、この感触が、分かるかな? 見えるだろう?



 ――ゴットロープ・マモン――

 私だ、あそこに私がいる、私、私……? 死んでいる、何度も死んでいる。嗚咽し、悲鳴を上げ、死んでいる。露助アカのT34に踏みつぶされて、蛙野郎フランス抵抗者レジスタンスに撃ち抜かれて、劣等人種ユダヤ人の裏切り者に背中を刺されて、ああ、私の人生が、いや、他の人間もいる、もっと他の、私を殺した者共の人生も、ああ、死んでいく、死んでいく、取るに足らないゴミのように死んでいく、死んでいく。ゴミ……。ゴミだったのか、我々は……。ああ、ああ、ああ。



 ――〇――

 ヤレヤレ、最期まで思考はつまらない。だがその表情は面白いね。

マモンは床に倒れた。脳細胞が負荷により焼き切れて行っている。だが死にはしない、私が刻んだ肉体再生術式によって彼の脳はリフレッシュされ、常に正常な状態へと回される、外から叩き壊さない限り、彼の寿命の尽きるまで、ずっと。


 「さようならマモン君、他の世界線ループではこんな風じゃないと良いね」


 私は研究部門へ帰るため、エレベーターへと向かう。私自身のお話はここで一区切りだ。



――



 悪魔博士356:2013,1/3,18:13『やあ、調子はどうだい。こっちは今まで立て込んでてね。しばらく連絡できなくってごめんね。』


 ルーデンス666:20013,1/3,18:14『別にそんな謝らなくても大丈夫だぞ。それより何だ、改まって。』


 悪魔博士356:2013,1/3,18:15『いやいや、久しぶりで君が寂しがっていたんじゃないかってね。』『それよりこの仕様書を見てくれよ』『圧縮ファイル 2013_1_3_12.zip』


 ルーデンス666:2013,1/3,18:25『発生工学、苦手なんだけど。』『まあ、評価できるところだけ言わせてもらうとだな。血縁術式や生得術式の効能の原点を遺伝子に求めるというのは、幾つか見たことはあるが、遺伝スポイトキメラで逆遺伝学的にその要因を探知する発想は俺も見たことはない。だけど、因子を発現させた個体の術式効果の伸びはそこまでではないと思うぞ。血縁術式や生得術式の多くはその後の環境要因や本人の気質に大きく影響を受けることは、その術式を運用している側では結構定説になりつつある。まあその術式を扱う者自体、多くは違法術師だがな。』


 悪魔博士356:2013,1/3,18:26『やっぱそうだよなー、良い線いくとは思うんだがねぇ。それに遺伝子スポイトによる逆遺伝学での因子調査の段階で結構データにばらつきがあってね、未知の因子の可能性が高いんだが、遺伝子が本当に影響しているのかわからないんだよ。【アレ】の完全なクローンができていないし、魔力観測的に妙な数値が出てるから何らかの魔術が関与している可能性があるんだがね。』


 ルーデンス666:2013,1/3,18:27『血縁術式の雛型の一つの【血族呪術】じゃない? 末代までの祟り系の術は結構シビアな判定らしいぞ。』


 悪魔博士356:2013,1/3,18:28『でもそれって、良くて四代、短くて二代で魔力切れするだろ、それにそこまで強くない。でもこの場合かなり強い魔力観測が起きてるんだ、しかも結合の形がない。非言語結合らしいんだよね。』


 ルーデンス666:2013,1/3,18:29『自然発生物品みたいに何時かの誰かの執念がそこに淀んでいるのか、あるいはもっと複雑な術式か、そもそも人間によるものっぽくないな。うーん。俺にはやっぱりわからん。』


 悪魔博士356:2013,1/3,18:30『いや、私も分からんからこの仕様の作品も割と出来は良くないよ。完成品ではあるけど。』


 ルーデンス666:2013,1/3,18:31『まあ、運用はできるし、実力はあるだろうが……よくわからねえというのが実情か、ま、どんな製品もそんなもんよ。エンジンだって、まだまだいくらでも効率化できるんだから。完成して運用できるだけいいぜ、目標は完全に達成してるんだから。俺は無理。』


 悪魔博士356:2013,1/3,18:33『それもそうだな。ありがとう。』


 ――琉鳥栖玲央――

 その日見た製品仕様書と論文は、明らかに人の遺伝子を改造し、量産する物だった。俺ならそんな製品を世に出すようなことはしないだろう。寝覚めが悪い。だが、アイツはそうではないようだった。今までの言動からも別にそんなことを気にするタイプでもないことを知っていたし、俺の関係のないところでどんな罪が行われようとも、どうでもいいし、アイツがそれを罪と思わないのなら、俺にできることなどは特にない。

 ――倫理を問うべきだった?

 いやいや、俺がそうやってお節介にもズカズカとアイツの元に立ち入って、教えを与える様な、そんな問い方じゃあない。……それとなく。それとなくアイツに何か、何かを伝えるべきだった。ゆっくりと、何年もかけて、そんな気がしないでもない。

 ――でもそんなこと、する必要もわからなかったし、することもできなかった。だからその話はさっさと忘れよう。――そう思っていた。



 ――



 ――〇――

 2022年3月3日3時48分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層右舷廊下第五防衛陣地地点にて。



 ――琉鳥栖玲央――

 制圧完了。それにしても、すごい血の量だ。椅子の車輪を後で整備しなければ……ああ、面倒だ。アームで死体を退けるのに時間もかかる。春沙か金剛に付き添いを頼むべきだったか? まあ、金剛はともかく、春沙はさっさと階を一掃してしまってマズいかもしれんな。

 ――気配、前からくる。新手か。戦力の逐次投入は悪手だと思うが……。

 刹那、装甲板が切り裂かれる。爪の痕。人狼部隊三人か。


 「クックック、対象を補足した。さっさと来い、火力支援で押していくぞ」


 『了解。直ぐに向かう』


 複数の攻撃が装甲に傷をつける。護符による防護を削るとは、中々の出力。術か? ……だが。


 「行くぞ、ゲーア、オルテガ。同時攻撃だ」


 三方向からの攻撃。残像のように影が伸び、三名の人獣が爪を俺の装甲車椅子に向ける。


 『自動運行モード起動。標的を補足。六号戦姫、発進します』


 俺の椅子の後部格納庫より一体の小さな兵が出撃する。三人の人獣の攻撃する瞬間に火砲攻撃により一名の頭部を焼く。俺はそれと同時に左2番アームに搭載された『ルーデンス生体結合シグマ・ジョイント式重機関銃』を掃射ばらまく。残った二名は回避に専念し始める。速さだけはあるようだ。頭部に攻撃を食らった方も、何発か掃射を食らいながらも立ち上がり回避を始める。



 ――ノア・オルテガ・アベル――

 機銃掃射、一発一発がなんて威力! あの銃自体が呪物なのか、それとも呪物の銃弾をあれだけ多く集めたというのか? 魔術による護符の付与された弾丸の製造、その製造コストも高いはず。これだけの掃射、持ってあと数十秒、長くても一分、その間ならば俺たちの魔力量も持つ、マシューの傷も問題ない状態。あの小さなロボットは俺たち全員ではなくマシューだけを追っている。ならば俺達は奴を叩く!


 ――琉鳥栖玲央――

 六号戦姫は俺の横から主砲アハト・アハトでの支援砲撃により奴らの内の一人を少しずつ押している。ちょこまかと動き回り俺の機銃のリロードを虎視眈々と待っている。良いだろう、お前らのカタログでないスペックを試してやる。



 ――ノア・オルテガ・アベル――

 長い……。長すぎる、かれこれ一分以上奴は機関銃を掃射している。奴の機関銃は一体どうなっている?



 ――マシュー・バーン――

 この感触、この傷。間違いない。


 「魔術による力学操作術の弾だ!」


 「正解! ご褒美だ!」


 『自動運行モード起動。標的を補足。五号戦姫、発進します』


 ――琉鳥栖玲央――

 五号が俺の格納庫から飛び出し、六号と反対側の俺の隣に陣取り、火砲支援を開始。それと同じくして俺の右アームに搭載された『ルーデンス生体結合シグマ・ジョイント式熱線照射砲』の充填も完了。そのトリガーを引く。

 一斉に火砲が放たれ、その間を機関銃の弾丸が埋め、レーザーの太い熱線が粉塵を分け真っ直ぐに突っ切る。そして相手の一人一人が銃弾と砲撃により一瞬の停止をしたところを、レーザー照射を当てることで、溶かす。


 「うぁあああああああああ」


 湯煎されるチョコレートのように一人、また一人と溶け、焼け焦げ、灰になる。最後の一人を完全に灰にし、レーザーのトリガーを離す。人の焦げた悪臭と煙、そして灰の影だけがそこに残っている。


 『50メートル圏内での認証外魔力反応なし、通常護衛モードを続けます』


 どうやら廊下の先まで破壊しつくしてしまったようだ。機関銃の『生体蓄魔器シグマ・ドライブ』の残存魔力も少し低くなっている。レーザー砲の方も充填に時間が掛かりそうだ。

 『生体蓄魔器シグマ・ドライブ』、遺伝子改造を施した生物の細胞を培養し生殖細胞を造り、それを体外授精させ、更に培養……。ある程度までしか成長できない胚を魔力のバッテリーとして利用するものだが、やはり再生効率はかなり問題がある。保存が利き、有機体であるから生成のコストがある程度低いことは美点だが、更なる効率化を検討する必要アリだな。流石に遺伝子改造と人工胚生成を端折る訳にはいかないが……。どうしたものかな。

 そんなことを考えながら俺は車椅子を進める。今度は邪魔な死体や血が無くて進みやすい。


 『後方より高魔力反応確認、高速で生物が接近しています。』


 警告が表示、音声でも確認。俺はタイヤを駆動させ後ろを向く。高速で後ろから人、また人狼部隊か……いや、違う、あれは。


 「死体?」


 でたらめに四肢や胴、首が繋がり、臓物や脳髄液などを振るい落としながら、生きているのか死んでいるのか不明な人体の塊が何十人分も伴って、『波』がこちらに飛来してきている。俺はすかさず機関銃を撃つが、塊の全てを、ぶつかる前に撃ち落とすのは難しい。


 「六号、火力支援を開始しろ」


 『了解。火力支援を開始します。目標、前方飛翔物』


 六号戦姫のアハト・アハトにより多くの肉塊が撃ち落とされる、このペースなら。


 『後方より高魔力反応確認、高速で生物が接近しています。』


 「何ッ!?」


 後ろを見遣ると多くの肉塊と共に老兵が走ってきている。感知の弱い俺でも明らかに魔力量が高いことがわかる。幹部か何かか? クソッ。


 「五号、火力支援を開始しろ。 全戦姫一斉出撃」


 『六号戦姫Ⅱ型、七号戦姫、五号戦姫、四号戦姫、発進します』


 発進と共にグッと体に負荷を感じる。やはり魔力量的に全機出撃はキツイ。特に七号が重量と能力的にかなり取られる。だが、あの死体の波を一斉砲撃で破壊するにはこれ以外にはないだろう。


 「全戦姫、一斉砲撃用意……。撃て!」


 前方、後方、同時に魔導榴弾が発射され、炸裂する音が鳴り響く。死体の多くは焼け焦げ、灰となり、塵となり、焼失する。


 「全体、突撃」


 後方の死体の山が燃えた煙から人狼と人間の混成部隊が現れ、銃撃を行いながら突撃をしてくる。正面の死体はブラフ兼防壁か。

 五号と四号が連続的に火砲を発射し、端から敵を削る。俺の旋回は人狼の進撃に間に合わない。数発貰うか、防御は大丈夫か? 装甲は、あと数発、耐えられる。

 人狼部隊三名はまっすぐこちらに……。向かっていない、俺を囲むように移動して、っ!  灰を使って印を、結界術か! しまった!


 「チェックだ、下等人種」


 『ジーク・ハイル! ハイル・ヒトラー!』


 ローマ式敬礼を行いながら、お決まりのフレーズを呪文として全員で詠唱する。



 ――ベリア・シュタイナー――

 『アーリア式結界術』【千年帝国(Mefo-Wechsel)】



 ――琉鳥栖玲央――

 灰によって造られた結界術式が焼き付けられ魔術的結合による拘束が俺の車椅子に縛り付けられる。これは……。


 「さあ、全体斉射陣形を取れ」


 一斉射撃の態勢を部隊は形成し、全ての銃口が俺の元へと向く。時間がない。結界による魔力相乗効果、人狼部隊による強力な連続攻撃、一斉射撃、装甲がもたない。クソッ。戦姫シリーズとの魔術的結合も結界内では効力が弱すぎる。詰みか。


 「全体、撃てぇ!」



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時49分、『ラインハルト・ハイドリヒ』第二層左舷廊下船尾付近。



 ――アッツァツェル・ルシュト――

 不気味だ……エレベーターホールから直接、動力室前の兵器人間格納庫を開き、部隊を率いて廊下に出てきたが、その間もずっと、そして今も。静かすぎる。通信の反応もなし。ここにも人狼部隊は出張ってきていたはずだ。何故応答しない?  やられたか? 早すぎる。だが、廊下を見ても暗がりになり奥が見えない。相当の手練れがこの階を荒らしまわったという事か……。


 「先に行け」


 廊下へ隊員たちが出る、人体の構造もまちまちの異形の集団が廊下へ現れてゆく。機動部隊である兵器人間部隊は、こういう状況では兎に角進むほかない。他階に派遣された部隊は人狼部隊に機動性は劣るが火力としては十分だろうが……なるべく俺はエレベーターから離れたくはないな。


 「高魔力反応確認! 接敵!」


 見ると茶色のスーツを着た口髭の伊達男が部隊の目の前に現れ、身体の周囲の空中にトランプを広げ、それを部隊へ飛ばしてきていた。


 「オヤオヤ、硬いねぇ」


 全身を装甲で覆った兵器人間にトランプは引き裂き、護符による装甲をぱっくりと割っていくが、致命傷にはならない。胸部に機関銃を搭載した機銃手たちが男へ鉛球を食らわせる。その瞬間にその男の姿は数枚のトランプとなり、ばらばらと、空を舞い、我々を刺す。

 負傷者は少ない、戦闘継続可能。標的はトランプの結合を見るに……結合が甚(いた)く見難いな……見えた……右舷か。


 「右舷廊下へ進め、火砲搭載者は前方に砲撃、依然殿は私だ」


 進軍しつつ、トランプや前方に火砲による砲撃がなされる、トランプは榴弾の爆裂を器用に避け、廊下奥へ引っ込んでゆく。誘い込まれているようだな。通路の退路を塞ぐ方針か? 問題ない。


 「接敵! 近接部隊接近開始します!」


 「機銃手、準備完了!」

 

 「射撃しろ、火砲部隊A班は後方確認、それ以外は火力支援」


 前方に揺らめくスーツの男の姿、近接部隊が攻撃を開始し、機銃手の弾丸が発射される。奴はそれらをトランプ……ではない、あれはタロットカード? 


 「さあ、今日の運勢はどうかな?」


 男は右手にカードを示す。魔術師のカード。弾丸が全て先程のトランプの比ではないスピードで舞うタロットカードによって撃ち落とされる。


 「16タワーの正位置、破滅と厄災。残念ながら……」


 『奢れる者に天からの罰を』


 ラテン語? 聖書術式も使うというのか。

 


 ――春沙クラビス――

 【16.塔(バベルの倒壊)】罪深い者に罰を


 俺は古いラテン語聖書のバベルの話を思い出す。魔術的結合が呪文と共に紡がれ、俺の身体を中心に、雷が走る。俺の周囲に近づいたプロペラやら槍やら、チェーンソーやら妙な武装を体にくっつけたバカみたいな改造人間が感電していく。俺は後ろに飛びのこうと身構える、他の蚊みたいな改造人間や蜘蛛みたいな改造人間を掴み感電させる。それぞれのモーターや機械類がオーバーヒートやショートを起こし、爆発し、壊れていく。



 ――アッツァツェル・ルシュト――

 近接部隊は全滅か。相性が悪い。カードによる遠距離攻撃の防御は依然として続いている。火砲によりどかすしかない。


 「火砲部隊、全員奴を狙え!」


 「後方に高魔力反応確認! そちらに火砲砲撃を行います!」


 後方? 何が居る? 


 『呪歌と共に楽士を引き連れ、かつて敗れたジンよ、来たれ。貴様の失ったものを再び顕せ』



 ――春沙クラビス――

 【なぞなぞクイズ(ズマヴィエナー)】のハートのエースを務めますは、アフリカニジェール川流域の神霊『ジン・キバル』による精霊呪術でござい。


 「満足するまでお召し上がりください」


 アッツァツェル・ルシュト:奴が電気を帯びながら妙な言語を語り、指を鳴らしてそう語ると、後方に現れた竜のような霊魂が、太鼓とギターのリズムに乗って、巨大な洪水となって襲ってきた。アフリカの精霊呪術師シャーマンでもあるってのか? なんて知識量と手数……。この感触は、水? 実体の? いや、魔力で仮想されたもの……。奴は電気を帯びている。あの電圧はマズい! 

 濁流にのまれ、全体は奴の身体から発せられる電気によって感電する。流石に直接触れた場合の比ではないが、装甲を無視したダメージが兵たちに与えられる。

だが、俺は違う!



 ――春沙クラビス――

 濁流にのまれる中の一匹が両肘のジェット噴射のような機構を使い、流れから脱する。奴は司令者……幹部級かな?



 ――アッツァツェル・ルシュト――

 濁流と電気は俺の脱出の後に立ち消え、何事もなかったかのように神霊は消失する。奴の魔力量は少ない……持久戦は苦手そうだな。残存兵力は5名ほどか、まだまだ残っている。削り切れるか。


 「まだまだ幾らでもカードはありますよ、ブリキの隊長殿」


 奴は笑いながらカードをシャッフルしている。


 「舐めるなよ」


 俺はジェットパンチにより、奴との距離を詰め、音速連撃を開始する。予め設定した攻撃軌道マクロにより認識能力を超えた速度の連撃を奴にお見舞いする!


 「ミスター。足元にご注意ください」


 奴は指を鳴らし一歩後ろに下がる、奴の踏んでいた位置に一枚のトランプカードがある。そこから巨大な蛇が顕れる。俺は構わず連打を続ける。呑み込まれるが……ダメージ無し? 透過する霊体タイプ……ブラフか? いや、体内で衝撃波だ!

 俺の連打の一部は奴のタロットカードに防御される。カードは異様に硬く、素早い。あれ自体がかなり強力な呪物だ。先のトランプの比ではないような魔力を認める。


 「グハッ……」


 あの蛇は縦横無尽に移動して、正確に俺の身体のみを目掛けて呑み込んでくる! 上から下から、長い蛇の胴体、霊体の内部にて全方向から衝撃波を与えられる。撤退! 撤退だ! 兵をぶつけて俺だけ逃げる!


 「突撃ぃ!」


 俺はブリキの兵隊共に突撃命令を出す、蛇の神霊はその瞬間に立ち消え、俺が踏んだトランプの中へ納まるとそのトランプが浮き上がり、あのスーツ野郎の袖口から零れ出たトランプカードと共に俺の兵隊に向け、拡散する。兵たちは各々防ぐが、俺は無防備。クソッ、また噴射しなければ、しかし、魔力が……! 

 俺はスーツ野郎と逆の方向へ噴射し、逃亡を決意した。こんな野郎に構っていられるか。


 「ブリキは固いね、逃げる囮には絶好だな。ミスター」


 その声は遥か後方へと去って行く。初速では俺のが速い……。だが奴はグングン近づいてくる。カードに乗って移動していやがる。


 「足が遅いのが囮には難点だったね、隊長さん……。出たタロットは『隠者』の逆位置。はっは。消極的、無計画、陰湿、今の君にぴったりだ。」


 『反逆の隠者よ、その罪により枯れて朽ち果てよ』



 ――春沙クラビス――

 【9,隠者(反逆の宝瓶)】反逆者に罰を。


 アッツァツェル・ルシュト:再び奴の何語か混濁した呪文を耳にする。これ以上の逃げの噴射はこのままでは奴との戦闘に響く、振りほどくことはできない。クソッ。戦うしかないか。

 俺は腕の噴出口を進行方向側に向け、ジェットによる蹴りを……。


 「不用意だぜ」


 奴は俺にカードを投げつける。それは先のトランプよろしく生き物のように俺に目掛けするりと向かってきた。だがぴたっと、俺に引っ付くのみで切りつけるような行動はない。

 なんだ、これは。吸い取られる? 魔力が吸い取られている。まずい。


 「さらに不用意だ、ミスター」


 俺が事前に攻撃軌道マクロを組んでいない動きをしたせいで、奴は俺の攻撃を確認し対応できたようだ。奴はタロットを挟んだ指で俺の蹴りに立ち向かう、鋭いカミソリのような見えざる刃がそのカードには付与されている。俺の右足にそれを防ぐ術はない。ならば。

 ここから攻撃軌道マクロを始めればよい!

 俺は残る魔力を全て使った、奴に無制限の連続攻撃を開始する。俺の右脚は奴の攻撃を逸らし、そこから事前に用意した動作を組み合わせた、俺の全力の動きを再現する。圧倒的な魔力量的優位! 初動のいくつかはタロットにより防御されるが、それ以降は面的防御、崩しも入っていく。次第に押してゆき、削り切れるはずだ。奴の防御を、魔力を削り、身体に届……もう少しで……。ジェット噴射機構が火を噴く、肘のエンジンが火を噴く、左腕が熱で吹き飛ぶ、まだ、まだだ……右腕が残っている、脚もある。まだだ……全力を……ああ、消える……すべて出し切る。俺の方が、魔力量は圧倒しているのに……おれの方が……終わりだ……。


 「当たったね」


 俺の右腕は、ぽすりと奴の胸に当たる。もう力がない。立つことも難しい。


 「じゃあ、隊長君、華々しく散り給え」


 「けけ、それは俺の部下だけだ」


 『カッ』


 瞬く間に閃光が世界を覆い、廊下の全てを吹き飛ばす。俺は爆風に巻き込まれ、廊下の壁にぶつかり、床に転がる。

 緊急自爆指令。兵器人間の司令官である俺のみ装置なしで、できる指令。指令装置は俺の体内にある。この階の全兵器人間が一斉に爆散するのだ。


 「クックック……。あのスーツ野郎……。スーツを駄目にしてやったぜ。ケッケッケ……」


 俺は這いずってエレベーターホール……、いや、動力室へ向かう。あの野郎のような奴らが蔓延る船内、こちらが圧倒的不利。なら全員道連れにしてやる。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時52分、第一層、エレベーターホール、ブリッジ正門前にて。


 「……また出来損ないか」



 ――モロク・ルニウス――

 その女は血に濡れていた。銀のような髪に淀んだ血の色がとても綺麗だったが、明らかに僕たちを狩りに来た者だった。


 「出来損ないとは失礼な、悪魔博士による最高傑作。人狼部隊隊長『変性の』モロク・ルニウス軍曹です。マモン曹長をお守りするため、お姉さんには退場してもらいます」


 久しぶりだな……。始めから全力を出すのは。


 「周りが邪魔だろう、広く使おう」


 その女は少し、しゃがんだような姿勢で跳躍を思わせると僕の目にも初速が見えない速さでその後ろに控える衛星らと共に、僕の周囲に控えていた人狼部隊を全て体当たりで殺した。部隊員は為す術なく死んだ。変身の時間も与えない。まあ、僕以外には避けられんさ。

 三つの衛星を操る『ベールア』か……、流石は魔界の絶滅民族『月の民』だ。劣化コピーでは太刀打ちできない。が。


 「ほう……。少しはやるようだな」


 僕は部隊を襲った手のような二つの衛星の攻撃を躱し、空中で軽く三発それぞれに蹴りを入れ飛ばす。急停止した奴本体は何でもないようにこちらを観戦している。


 「まだまだ、僕はあんたと同じ……。『月の民』の血を持っているんだぜ」


 完全なる『ベールア』の遺伝子。その情報が僕の身体には刻まれている! 


 「君たちの変身の秘密、魔術を僕たちは解明したのだ!」


 『月の光よ、我らの真の姿を顕せ、我らの父の姿を顕せ』


 いつそらんじでも、奇妙な言語だ。セムでもハムでもない、何にも似ていない言語……。これこそが『月の民』の言葉! 我らがアーネンエルベが嘗て手にしたという成果! これにより僕の身体は変質していく。

 上半身と下半身が分離し、背から羽のように衛星が生え二つに分離する、手も分離と複製により四つの衛星が生じる。それらは空中に浮遊し魔術的結合によって繋がれている。人知を超えた、理の外の存在! さあ、『月の民』よ。お前の力を見せてくれ。本物とやらの力を。


 「……呆れたな」


 「挑発してる場合かな」


 9つのバラバラの身体のうち5つが巨大な口を開き奴を襲う、全方向、同時攻撃、初速で仕留める! 


 「捕った!」


 魔力によって強化された牙が奴の身体に食い込む、奴は動くことすらもしない!


 動く……こ……と……。

 嘘だろ……牙が通じない。

 何だ、この身体は? 

 鋼鉄ですらも易々と壊すこの魔力を帯びた牙が。


 「貴様ら、よく知らん魔術を嬉々としてそれを知るものに使っておいて、対策されないわけがないだろう? それにしても、眷属をばら撒くだけで、よく勝てると思ったな」


 右腕にかみついた衛星が奴の指に掴まれる。奴の衛星を捕らえた僕の衛星も硬直……。いや、どろりと崩れている。眷属? 何のことだ?


 「その本性を明かしてやろう、貴様の眷属の、魂の姿を」


 『月の光よ、彼らの真の姿を顕せ、彼らの父の姿を顕せ、醜く蕩けた、古き山の獣を顕せ』


 単語単位では聴きなじみがある呪歌だが……。後半はラテン語か? それよりも、奴に触れる僕の衛星たちが、一つ一つ溶けていく! 黒々とした奇怪な粘液へと変貌していく! 


 「自らの身体の一部を眷属に変え、衛星とする。それ自体はその血に刻まれた呪の一部……。だがそれを『制御』するのは『人間』の『技術』だ、覚えておくといい『ベールア』貴様のそれは猿真似であることもな」


 「くっ……この、くそが!」


 残った四つ、上半身に爪のある手を再生して攻撃、下半身は蹴りによる足の爪の攻撃、手の衛星が加速を加えて奴の身体を殴りつける……。牙で足りないなら、加速で。


 「面倒だ、纏まれ」


 奴は手で自らを支え、流れの様な脚捌きで僕の身体たちを撃ち返し、床の一点に僕の身体たちをめり込ませた。内臓にダメージ、くそ、吐血が。曹長……!

 奴の呪文が聞こえてくる。さっきのと同じ、衛星の身体変容を促されたか。それにしては、僕の身体が……大きい?


 「フン。獣らしい醜い見た目になったな」


 僕の身体は灰色の、脂っぽい肌に覆われ、体躯は大きく、しかし、ゆびが三つ。人間の身体ではない。


 『僕は、僕の身体は一体』


 「ほら、貴様の今の姿を見ると良い。鏡だ」


 奴は服の内ポケットから手鏡を取り出すと僕へ向ける。そこには頭のない、潰れたヒキガエルのような巨大で灰色の、化け物が居た。首の部分には口のような孔があり、そこには無数の蠢く触手が僕の呼吸と口の動きに合わせてうぞうぞと変化している。僕に合わせて、僕は、僕はこんな……。嘘だ、嘘だ。僕は選ばれた人間。真に優れた、遺伝子の優れた人間なんだ! マモン様だってそう言っていた! 悪魔博士だってそう言っていた! 僕は選ばれたエリートなんだって! 皆!


 「先祖返りの秘法。これは無力化のための術だ。【同族】のな……。愚かにも知を捨てた者を統べるためにある。ちょうど今のお前のような、愚かな者を」


 『殺してやる、殺してやる、殺して褒められるんだ、マモン様に。お前は絶対に殺さなきゃいけない奴なんだ!』


 無意識に手元にあった、黒い粘液で構成された槍を持つ、妙に馴染む、それもそうか、元は僕の体の一部、これはむしろ、僕にとっては、きっと、良いことだ。さっきよりも筋肉の力を感じる。生きている力を感じる。大きなものの力を感じる! そうだ、エリートなんだ、変身もしていない奴に今の僕が負けるはずない! 大きさだって奴の倍ある!


 「蝕め」


 奴はぼそりとそう呟いた。怪鳥の鳴き声のような、テケリとした声が聞こえ、僕の持った槍が僕の手を呑み込む、何だ、これは、この……玉虫色のような、つやを取り戻したその漆黒は、中から無数の瞳が溢れ出して、僕を見つめて呑み込もうとしている。


 「そのまま砕けろ」


 僕の腹に奴は蹴りを勢いよく仕掛け、僕は抗うこともできず、吹き飛ばされる。背で門が壊れる。背が、お腹が、お腹が、穴が開いたぁ。ああ。ああああ。


 「流石は月の獣。固いな」



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 埃の中、二つの鋼鉄の自動扉を吹き飛ばし、奇妙な臓物をまろび出しながら、そのぶくぶくとした、できの悪いヒキガエルは藻掻いていた。だが、臓物を出す穴はその粘性の脂肪により塞がりつつある。その無数の触手によって構成された頭部は何かを見つけたように、部屋の奥、崩れた机の先を向いた。そこには死んだように虚空を見つめ、血涙と鼻血、涎を垂らす、ブクブクと汚く太ったドイツ人の男が壁に体重を預けて座っていた。頭の半分は機械でもう半分は随分と老けている。これがここの指導者か? 


 『曹長、モロク曹長……。僕は、僕は強いんです。強いんです。だから安心してください。だからほめてください。曹長……』


 何処から流れてくるのか不明な声を発しながら、醜い灰色の塊はその男の元へ這いずる。

 こんな……。こんなものを見せるな。この兵は、まだ精神さえも未熟ではないか。クソッ不完全な『人狼』、『月の民』……兵器としては十分なのだろう。だがこれはどうやって作られたというのか。この人間は、どのように育ったのか。ここにいるのは一体なんなのか。私がゴミのように踏んだ人間は、ここにいると事を強いられた……。ブレるな。ブレるな。今更だ……。分かっている……。始めから、分かっている……。

 灰色の塊が動かなくなり、死んだ。ぬらぬらとした死体は、脂が溶けているように思える。玉虫色の輝きを持つ黒い粘液が少しずつその死体を蝕み、取り込んでいっている。私はそれを封じ、手順を踏んで殺す。一点に集まる指令ののち、尾の衛星の磁力で脳を破壊する。そうして『それ』は只の黒い粘液から、床のシミへと変化してゆく。

 ……この機械の男は……。恐らくはゴットロープ・マモン。このSSの曹長。この船の所有者、軍隊の長だが、あの月の獣にゆすられて、仰向けに倒れ、自らの肉の重さで、喉がつぶれ、窒息死していた。


 「ちっ……後味の悪い……」


 そう呟くと後ろのエレベーターホールから機械を体に巡らした兵士共がぞろぞろと現れ、死体に構うことなく火砲を撃ってくる。どいつもこいつも、血の通っていない肉ばかりなのか? 一匹くらい食らってしまっても、良いのではないか? 榴弾が衛星の磁力により奴らの方へ曲がり、炸裂する。それでも奴らは止まらない。その黒鋼の装甲の下には、本当に血が通っているのか? 生命の証たる、鮮血が……。喉を鳴らして私は右足を踏み込む。

 目的を見失うな。或人……。アイツを取り戻すことを……。



――



 ――〇――

 2022年3月3日3時56分、『ラインハルト・ハイドリヒ』三層研究部門、主任研究員室にて。



 ――ルーシアン・ゴットハルト・ルプス――

 生体を電池のように使う……。中々考えたものだな、ルーデンス君。

 私の生体工学の知見も多分に利用されている。なんだ、こちらが訊いてばかりかと思ったら君も使っていたんだな。もっと成熟した個体を利用した場合は……。いやむしろ脳を含めた神経細胞のみを培養したものを複数利用することで、更なる効率化が図れるように思えるぞ。それに……。

 あれは、ベリア軍曹、だったな多分。結界術師で確か、相互協力型の術を使う、魔導兵部門については、兵器以外は私の管轄外だ……。高火力放射による壁の破壊か。かなりの火力だがこっちには生体による外部魔力機構はないようだな。火力で壁は壊したが……。人狼部隊の機動力には劣るか。結界が張られた……。そのまま……。

 不思議な気分だ。今、何かが失われるような……何だ? これは。装甲が削られ、私の人狼たちが私の期待通りの成果を上げて、彼を……彼を追い詰めている。冷や汗? 何故? 私の期待は、製品に対する期待は……。震え? 何故だ。何故。ああ、そうか、結界術が成功するからか。じゃあ止めなきゃ。止めなきゃならない。止めに行かなきゃ。いや、何故だ?  結界術は確かに私の管轄外だが、そんなに製品スペックの観戦に拘らなくても……。何故、こんなに、止めに入ろうと思える? いや、無駄な逡巡はやめてとにかく、走ろう。ここから出て、あそこへ。



 ――琉鳥栖玲央――

 幸いにも防御装甲の護符は刻み文字と紋章による強固なものだ。早々は割られない。武装を格納し完全防御状態に移行すれば、後数分は持つ。が、それだけだ。この結界の内部で俺の兵器が攻撃を行うことは難しいだろう。かといって移動することも人狼部隊の攻撃では不可能。この装甲の外へ俺が何か術を使うことも不可能だろう。雪崩の中の洞穴と言ったところか。

 万事休す。外部の状況ももうすぐ見えなくなる。俺の魔力もさっきのでかなり……クソッ。もう少しなんだ。もう少しで手が届くはずなんだ。俺にこれを打破する力が在れば。有穂や課長や、金剛や春沙、森くん……。アイツらみたいな力が在れば。膨大な魔力があれば、俺は、成し遂げられたのかもしれないのか? 


 「フフッ……そんなの俺じゃあねえ……」


 装甲に罅が入る。ああ、思ったよりも早い。結界術式に何か細工があったのか。だが、意外と、気分はいいかもな。ダメもとで、抵抗してやるか。ククク。そいつはいいかもな。後悔なんかをこの棺桶でグダグダしているよりも。ハハハ。金剛みたいなこと言ってるな。俺。

 操作盤に手をかけ、戦闘態勢を開始する。再び周囲の状況が俺の前に表示され、増援の人狼部隊の三名が丁度攻撃を仕掛ける。ちょうどいい。まだ変形中だが、そんなの知るか、ぶっ放してやる。接射なら攻撃できるかもな。食らえクソッタレ!


 『ドガッ』


 装甲内部からレーザー砲が発射され、装甲を抜き、結界内にレーザーが出現。驚いた様子の人狼部隊の前に、レーザーはごくごく小さな、針のような直径となってしまっていた。結界による減衰、それに気づいた奴らはニヤリと笑いを浮かべ俺の装甲を破壊する。砕け散る装甲板、俺の元へ部屋の光が射しこむ。

 目の前にいた人狼は、目を見開き、俺の喉元へその爪を振り下ろし。その爪が俺の首に触れかけ、その爪はその瞬間に灰となった。奴は焼失した。俺のレーザー砲によって。いつの間にか減衰がなくなっている。

 俺はそのまま機関砲のトリガーを引く、人狼共は突然のことに狼狽し、そのまま何発か被弾する。レーザー砲で的確に一体を打ち抜く。結界はもうない。何故? とにかくこいつを殺す。


 「悪魔博士! 貴様ァッ、何をしている!」


 老人の叫びがこだまする。俺は戦姫シリーズの起動を確認。二体で人狼を足止めし、もう二体で天井を破壊する。最後の二体でその老人へ火砲をぶち込む。俺は砕かれた装甲の間から銃弾を何発も食らう。だが、俺の一斉掃射により、状況はかき乱される。ここの天井の強度……。改装さえなけりゃ、これで壊れる。熱湯やら鉄骨やらが落ちて、くる。狙い通り場は混乱。兵どもの足止め、数名の轢死。だがあの老兵は俺の火力攻撃を食らいながらも直撃を避け、瓦礫を躱しながらこちらへ来た。一騎打ちか、受けて立とう。

 老兵は二丁の拳銃を連射する。魔力式。奴の魔力は膨大。というかコレは術式の媒体に過ぎないな。弾数無限と考えてもいい。的確に装甲の隙間を狙おうと地面を蹴り、跳躍し、壁を蹴り、装甲の隙間から狙える俺の脚に何発も食らわせてくる。だが何にも感じない。こんな時ぐらいだ。脚(これ)が役立つのは。戦姫シリーズによる散発的な火力支援、だが、かなり避けられる。機関銃の弾を大雑把だが避ける爺だ。火砲のノロさじゃ難しい。予知能力も奴のが上か。ならば避ける場所を限定させるしか。


 『ダン』


 俺の後ろから一発、ジジイに向けて魔力弾が放たれた。それはジジイの頬をかすめ、隙を作る。


 「今だ!」


 レーザー砲が空中にて奴の脚を捕らえる。奴は迷いなく左足を断ち、こちらに拳銃を連射しながら突撃を仕掛ける。装甲がひび割れ、破壊され、砕け散り、全ての装甲がなくなる。俺の車椅子が砕かれる。銃も間に合わない! そんなの知るか! 必要ない!


 「うわあああああああ!」


 俺は絶叫しながら、飛び掛かる奴の顔面を渾身の魔力を込めてぶん殴る。奴はアッパーを食らったようにエビぞりで床に墜ちる。期せずして不意討ちになったようだ。


 「はぁ、はぁ……悪魔博士……? アイツは、どこだ?」


 灰と瓦礫にまみれた周囲を見渡す。


 「ルーデンス君……」


 瓦礫の中で、数時間前に聞いた声がした。俺は動かない車椅子から、ベルトを外して、這い出る。瓦礫の中へ、どこだ。どれがアイツだ。姿なんて知らないのに。どうやって探せば。

 瓦礫の中でアイツを見つけた。始めて見た姿だったが、すぐに分かった。俺は醜くも地を這って、そこへ向かった。もう、なりふりなんてどうでもいい。



 ――



 悪魔博士356:2022,3/2,2:11『君ってどんな顔してるの。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:11『藪から棒だな。急にどうした。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:11『十年以上も話してる人の顔ぐらい気になることもあるさ。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:12『それもそう、か。』『金髪碧眼のイケメン高身長で運動神経抜群。なんてのは。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:12『流石の私でも嘘だとわかるよ、そんなのは。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:12『顔の見えない相手に位は、見栄張りたいのよ。そっちはどうなんだよ。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:13『私? 私は、金髪碧眼の身長175センチ、白人の女だよ。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:13『そっちも盛ってるだろ。高身長だし。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:13『別に盛ってないよ。周りからすれば背低いし。君の方は明らかに日本人なのに金髪碧眼とかいうから。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:14『ハーフとかの可能性あるだろ。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:14『可能性って言ってる時点で自白しているじゃないか。かわいい。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:14『それでも俺は見栄を張るぞ。ここ位は見栄を張りたいんだよ。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:15『じゃあ、普段の服装を教えてくれよ。』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:15『大抵はスーツだ、ベスト付きの。作業の時はシャツに作業用のエプロン。ネクタイは日替わり、スーツの色は基本黒。帽子は気分によって変える。』


 悪魔博士356:2022,3/2,2:16『意外とかっちり着てるんだね。拘りでもあるのかい?』


 ルーデンス666:2022,3/2,2:16『スーツを着ていれば、もっとマシな人間になった気がするから。』



 ――琉鳥栖玲央――

 思えば。アイツが研究以外のことを俺と話すようになったのはこのチャットを開発してからだった。最初の頃は技術交流ばかりで要件さえ書けばいいような。そんな文体。俺もそれが良いと思っていた。だがいつしか俺たちは、どうでもいいような会話を重ね、冗談を飛ばしあい、そしていつの間にか、それぞれの現実を知りたがるようになっていた。今じゃ四六時中話しているような、そんなことになっていた。

 つい、さっきまでは。



 ――



 ――〇――

 2022年3月3日、3時58分『ラインハルト・ハイドリヒ』研究部門分析室にて。


 「ンあ……。うぇ、口の中が……」



 ――鳥羽或人――

 二度寝の後の口の中の不快感がある。妙に気持ちの悪い味だ……ここは……確か……。僕は色々、あの『悪魔博士』に検査をされたんだ。そうだ。手や腹を見る。改造手術みたいなのはされていないようだ……。というか、今は……。部屋が妙に薄暗いし、何より扉が壊れて開いている。分析室。この部屋が白いおかげで薄暗くとも周囲の状況が何となくわかる……。何があった? とにかくここを出られるのなら出てみようか。上手くいけば逃げ出せるかもしれない。

 気味の悪い検体がポッドの中に浮く廊下を歩いて、また、壊れた扉を見つける。その真上にはずっと上へとつながる穴が綺麗に開いていた。真円ともいえるそれは元からそこにあったかのようにそこに開いているが、僕が入った時には存在しなかった。なんだ? これは。

 僕が上を仰ぎ見ながら、研究室に不用意に出る。

 誰もそこにはいない。パソコンのようなものがデスクの上で空虚に明かりを示している。不意にそれを見ると、そこには監視カメラの映像のようなものが幾つも映されている……。金剛さんが兵士を引き連れ高らかに笑いながら、兵士たちと会話して廊下を進んでいる? ? 何をしているんだろう? 二層と示されている画面には夥しい数の頭が真っ二つに割れた死体が、あちこちに映し出されている。僕はその情景を認識して少し寒気がした。この画面……。二層の動力室? には動く人が……。黒衣の兵士が操作盤にもたれかかっている。もう一人の人影も見える……。


 『自爆指令シーケンス認証、シーケンスシステムをロードしています』


 画面上に映し出される。自爆? これは、これは金剛さんたちに伝えなくては、でも上の層にはどうやって。

 そう考えた刹那、僕の目には第三層のカメラを映す画面と琉鳥栖さん、ハルト君の姿が映る。近くだ!

 僕は急いで部屋を飛び出した。

 ……廊下は死体だらけ。これは……僕のために?

 いや、とにかくこの先、まずはこの先の僕の仲間に合わなければ。


 「クソッ日本人! 死ね!」


 その叫びが聞こえる前に僕はそちらに振り返っていた。死体の山の中からライフルを構えた黒衣の兵士が飛び出すところを目の当たりにする。僕は撃たれた弾丸の軌道がはっきりと手に取るようにわかり、それに当たらぬように体を躱す。だが彼は、そのまま銃を発射しながら突撃し、僕を必ず殺すというような目つきで襲い掛かってくる。何とかなるか? 

 僕は『力学操作術』を発動する。手の指を摘まむように出して、ライフルを横から狙撃するように、最低限の力で……。


 「ウッ、まだまだぁ『インドラよ、我に与えよ』」


 ライフルをレーザーのような放射で壊した僕に、彼は何やら呪文のような事を口走りながら殴りかかってきた。僕はその攻撃を受ける。その拳が触れた場所に強い熱を感じた。魔術か何かか? 拳の当たった僕のシャツの左腕が拳の形に燃える。僕は彼の腹に拳を振るう。最低限度の力、最低限度の力で、どうか、壊れないでくれ。僕のそんな祈りは無意味で、彼の腹は軽い音を立てて吹き飛び、彼の上半身は宙を二回転して地面の死体の山に墜ちた。


 「はぁ、はぁ、はぁ……」


 僕は腕の炎を払う。……クソッ……。とにかく、とにかく琉鳥栖さんに会わなくては。僕は手を震わせながら死体の山を掻き分けて進んだ。



――



――『自爆指令シーケンスの認証は完了しました。システムのロード中』


 ――〇――

 第二層動力室の操作パネルの一つを前にして頭が二つに割られたアッツァツェルの死体が倒れていた。その手は指紋認証に添えられている。その顔は絶望と哀しみを示したままにぴったりと半分になっていた。まるで自身の努力が徒労であったことを耳元で囁かれたかのように。



――



 2022年3月3日、4時00分『ラインハルト・ハイドリヒ』第三層右舷廊下にて。



 ――ルーシアン・ゴットハルト・ルプス――

 結界術は完全に同一言語の外部からの介入術に弱い。だからこそ、使い手は主要な術式部分を複数言語で紡いだり、介入対策を施している。

 だが、我々は違う。我々は術を複数言語で紡ぐ術を知らない。ドイツ語と魔術用の言語以外を学ぶ気がない。教務担当の、あのベリア軍曹が熱狂的なアーリア至上主義者であるがために。下位言語を学ぶ必要性などないとしている。だから、あのベリア軍曹は私に結界術を破られたのだ……。ふっふっふ。バカだな。私は。意味も分からずに、彼を助け、瓦礫に巻き込まれ、起き上がることができない。彼が来ているのは、私のためではないかもしれないのに。ただの仕事で、私のことなんて、見ていないかもしれないのに。

 ああ。バカだな。こんな感情に絆されて。危険に突っ込んで。このまま死ぬのか。それもまた。悪くないと思えるのは。面白いな。ハッハッハ……。


 「……大丈夫か」


 抱えられる。柔らかい手の感触。おずおずとした、低い声。目を開くと、少し破れた帽子を被った、男が居た。


 「俺だ、ルーデンス666。お前の通信相手だ」


 「ハハハ……。見栄を張るとか言ってたくせに、意外と悪くない顔じゃないか」


 名前を聞いて、最初に浮かんだのは、そんな、バカな言葉だった。


 「お前の方こそ、ホントに美女なのかよ、ハハ……ずっと嘘だと思ってたよ」


 彼の後ろに、ベリア軍曹が見えた。よろめきながら、彼の頭へ銃口を向ける。


 「後ろ!」


 彼の頭を抱えるように、起き上がる。力が、足りない、入らない、でも、それでも。


 「アーリア人の恥さらしの売女め! 貴様も死ねい!」


 ベリアがそのトリガーに指をかけ、引こうとした瞬間、一発の銃声が響き、奴の銃を持った腕が吹き飛ぶ。奴は驚愕の表情で左腕を抱える。続いて脚が吹き飛び、瓦礫の中へ落ちる。奴の後ろには、少年が立っていた。誰だろう? あまり見ない顔だ。


 「貴様ァ~ッ……っ! クソッ、『便所のシミ』のッ……。出来損ないがぁっ。この儂をぉ、この儂を殺そうというのか、思いあがるなよ出来損ないィ!」


 ――『ハルト』アドルフ・ゴットハルト・ルプス――

 芋虫のように、のた打ち回りながら、機械部品と血肉が飛び散り、ベリアのクソジジイの情けない声がひょろひょろと聞こえる。いつもの罵倒、いつもの呼び名。だが、景色はいつもと違って、頗る、頗る良いものだ。


 「命乞いをしろよ、ジジイ。俺の名前を呼んで、靴を舐めて、命乞いをしろ」


 俺はジジイの元へ近づき、壊れた左腕を踏みつける。


 「あぁぁああァ! クソッ、クソッ、マモンのスペアとして生まれた癖に、その職務さえも全うできない、失敗作にィこの儂がァ、くッ、遜(へりくだ)るわけないだろう! 舐めるな『便所のし』」


 顔面を殴る。生身の部分を、強く。


 「ペッ……。カスめェ、出来損ないのォ、魔力のないガキがっ。この……」


 奴は右腕の銃を最後の力を振り絞るように俺に向けようとするが、俺はそちらを見るまでもなく、銃で吹き飛ばす。声にならない絶叫の息が、吐かれる。


 「クソ、この『便所の』」


 殴る。


 「ああ、クソ、もうやめてくれ。くそ」


 殴る。


 「ああ、やめ」


 殴る。


 「まて、すまな」


 殴る。


 「あやまるから」


 殴る。


 「もう、歯が」


 殴る。


 「も、申し訳ございませんでした」


 奴は泣いて、謝りだした。俺は殴る構えを取る。奴は恐怖で、身をすくませる。


 「儂が……。儂が悪かった、すまなかった、だから命だけは」


 『パン』


 撃ち殺した。引き金は軽く、奴の頭は軽く吹き飛んだ。血を吹きだす胴体だけが滑稽に残る。復讐。胸がスッとする。あのクソジジイが死んだ。復讐。そして、その復讐はいつもと同じ、スッとした後に、いつもと同じにすぐ戻る。あのクソジジイの滑稽な最期でも、同じ。マイナスがゼロに、いや、マイナスが少しのマイナスに、戻るだけだった。

 俺は振り返り、車椅子に乗っていた男と……、そいつに抱えられる女……。悪魔博士を見た。


 「おい、悪魔博士。俺を覚えているか」


 「……すまない、誰だ?」


 奴は俺をはっきりと見てそう言った。心底、不思議そうに。俺は、俺の、おれの母親と言うのは、嘘だったのか?


 「アドルフ・ゴットハルト・ルプス……」


 「ああ……。君か。曹長の内臓スペアとして頼まれて、失敗した時の……。私が興味本位で産んだ子か」


 それで奴は話を終えた。おれに、興味は、ないようだった。俺は、いつまでも『便所のシミ』か……。

 仕方ない。殺すか。


 「何言ってんだ……?」


 奴を抱えた男は、奴に、驚きながらそう言った。


 「14年位前、私が忙しかった時期が会ったろう? ……ゲホッ……。その時に、産んだ。代理母出産の代理母役をやっただけだ。何か、子に対して感情が芽生えるかと思ったが……ゲホッ……」


 淡々とそう語って、奴は目を瞑った。ああ、俺に興味なんてないんだな。ははは。

 俺は奴に銃口を向ける。


 「やめろ。それだけはやめてくれ。俺を撃ってからにしてくれ」


 男はそう言いながら、奴を庇うように、身体を手で引き摺る。歩けないのか……。こいつも、他人のために犠牲になれるというのか?


 「彼女が君にしたことを許せというつもりはない。だが撃つんなら俺を先に撃て」

 何を言っている? 何を……。なぜ人のために死のうとできる? 何が、何が違う? なぜおれを……。こいつは、俺を、見ている? どうしておれは、そう思った?


 「彼女が君にしたことの罪は計り知れないだろう、怒るのは尤もだ。だが、撃つなら、俺を撃ってからにしてくれ」


 奴は真っすぐ俺を見る。何を知って、そう言うんだ? 俺の何を知って、俺の何がわかって……。だが、俺はその目を見て、引き金を引けなかった。何故だ? まっすぐおれの事を見る目は、あの独房に入っていた日本人とそいつの目だけだった。俺は初めて、人の目に留まったような、気がした。


 「ハルト君!」


 後ろを振り返ると、エレベーターホールの方から、さっきの日本人が現れた。俺の折った左腕は、何故か直っていた。


 「! 鳥羽君か?」


 「あ、琉鳥栖さん。あの、伝えなきゃいけないことが」


 男は頷く。


 「ちょっと待ってくれ、彼が……」


 「もういい」


 おれは、銃をホルスターに納めた。


 「独りにしてくれ」


 おれはエレベーターホールとは逆の方へ走っていった。何故そうしたのかはよくわからない。どうしておれは泣いていたのかも、よく、分からなかった。



 ――鳥羽或人――

 ハルト君は走って奥へ行ってしまった。追いかけようとしたが、琉鳥栖さんが女性、よく見れば、僕を収監していた研究者が気を失っている? その人を抱えて車椅子のない状態にあるのを見かけて、とどまった。


 「琉鳥栖さん、車椅子は」


 「ああ、そこにある。何かに引っかかっているせいで動かしにくいが、大丈夫だ」


 「いや、とりあえず僕、車椅子もってきます、琉鳥栖さん。あ、それと、自爆システムが起動するとかで、早く移動しましょう」


 「何ぃ!」


 僕は車椅子を持ち上げる。重い! だが魔力を操作することで、この重量も、持てる。一体何キロあるのだろう、これは、100、200はあるぞ。おまけにたくさんの部品や、アーム、装甲版のようなものまでついている。琉鳥栖さんの元に、それを置き、そこへ琉鳥栖さんごと乗せる。女性は動かない、もう失神しているのか、それとも……。


 「自爆……。よりも、鳥羽、お前、今までどこにいた?」


 彼は膝の上で女性を抱え、もう片方の手で操作盤を動かしながらそう訊いた。車椅子につけられたアームが動き出し、地面を掴み、蜘蛛の脚のように瓦礫の間を抜けられるような形態へと変化していく。


 「ああ、えっと、研究部門の分析室? という部屋に、その人に収監されてました。いつの間にか扉が壊れて、開いていて……。パソコンを見ると自爆がどうこう言っていて。急いで出てきてみれば、瓦礫だらけで……」


 「俺達が突入した際の揺れとか、サイレンは?」


 「揺れは何となく、でもサイレン? は分からないです、なんだか、気絶していたみたいで……」


 「そうか、それじゃあ、とにかく早く上でみんなと合流……」


 『自爆指令。10分以内に脱出してください。自爆指令がオーダーされました。10分以内に脱出してください』


 アナウンスが警告され、サイレンが流れる。ドイツ語? 


 「10分か、時間はあるが……。アイツのことが」


 「ぼ、僕、ハルト君を追います、エレベーターホールで待っててください!」


 「あ、おい! 待て、俺も」


 僕は走って、ハルト君が向かった方へ向かう。



 ――アドルフ・ゴットハルト・ルプス――

 何なんだ。クソッ、おれは、おれは、クソッ。


 『自爆指令。9分以内に脱出してください。自爆指令がオーダーされました。9分以内に脱出してください』


 この船と一緒に砕けてなくなる、それでもいい。もう、俺にはこの場所しかない、この場所、この糞みたいな場所にしか、俺の、俺の世界はないんだ。クソッ、クソッ。ゴミのような、ゴミのようなおれは、ゴミとして死ぬんだ。誰にも見られない『便所のシミ』の、ゴミみたいな人生だ!


 「待って!」


 「っ!」


 俺は床の血液で滑り、転んで倒れる。クソッ。


 「俺にかまうな日本人が! 誰も! 誰も俺の事なんか見ちゃいなかった! 生みの親も! 育てた人間も! ゴミとしても見ちゃいなかった! そんな奴をぶっ殺すこともできなかった! そんな何でもない人間を、笑うんだろ! お前も! お前も俺を見下して! 存在さえもすぐに忘れるんだ! ああ、そうだ、忘れてくれ! このゴミみたいな世界と一緒に、忘れてくれ! 存在しない人間なんだ! 俺は!」


 俺は振り向いて、目を開く。そこには、おれを見る目があった。おれを見ているのか? お前は……。お前たちは。アイツは、おれを見て、悲しそうな顔をしていた。


 「……何があったのか、僕にはわからないけれど……。僕の尊敬する人が、言ったんだ。『どんな理由だろうと死ぬことよりも生きることは絶対良いコトだ』って。その言葉の意味が『そう』だとは思わないけれど……。僕には君がなぜそうなっているのか、分からないけれど。僕は君と話して楽しかったから、生きてほしい」


 アイツは手を差し出した。


 「だから、僕と一緒に来てくれないか? 生きて出られたら、君の話をもっと聞きたい」


 「でも……。おれは」


 車椅子に乗ったさっきの男が、博士を抱えながら来た。5分しかないって、言ってただろ。なんでお前も、こっちに来てるんだよ、反対だろ、脱出経路は。


 「よかった。えっと、ハルト君、か。一緒に脱出しよう。俺の車椅子に掴まってくれ、その方が早い」


 「どうして……。どうしてわざわざこっちに」


 「子供を見過ごせるわけないだろ、ましてやこいつが知らずに犯した罪を……。とにかく来い、死んじまえば全部パアだ。復讐でもなんでも」


 「さ、ハルト君、こっちだ」


 おれは差し伸べられた左手を、掴んだ。その手は温かかった。始めて人の手に触れた、そう気づいた。


 「ン? ああ! 鳥羽殿に琉鳥栖殿ではないか! 三層に居ったか!」



 ――鳥羽或人――

 エレベーターホールでは金剛さんが黒ずくめの軍隊を誘導していた。奥の研究部門の扉へ、何人かが入って行った後のようで、さっきまで金剛さんは彼らに手を振っていた。


 「金剛さん、何をしてるんですか?」


 「お前の担当は一層だろうが!」


 琉鳥栖さんが驚いてそう言う。


 「ああ、いやいや、拙僧が導いた兵たちがちゃんと脱出できるように見送りをしておったのだ、何でも脱出用の潜地艇があったのでな。だが、もう全員乗った。今のが、最後の分だ」


 「導いたって……。あの軍隊をですか?」


 三層のそこら中に黒衣の軍隊の死体が、散乱していた。前に見た増田さんを操っていた軍服の男に似た人々……。あんな人々の心をつかんだというのか。


 「ああ、話して見れば根は善良な者が多かった。逃げ出した者も、話し合えなかった者もいるが、拙僧の助けを、待っていた者は、導いた。やれることはやったさ。さ、さっさと上へ行くぞ!」


 金剛さんは僕らのしがみついている車椅子を片手でガシッと掴んで軽く浮かせる。


 「え? ちょっと金剛さん?」


 「おい、急にはやめ」


 「何なんだ、コイツ!?」


 「振り落とされぬようしっかり掴まれい! 一気に抜けるぞぉ!」


 金剛さんはそう言った後、すぐに跳躍、天井をスライムを掻き分けるように貫き、二層の床、天井、そして一層へと跳びぬけた。


 「落とされてはおらぬな。ヨシ、このまま廊下へ……」


 エレベーターが開き、春沙さんが出てくる。


 「おっ、金剛ちゃんに琉鳥栖ちゃん。鳥羽君ゲットしたか……。なんか大所帯だね」


 ぴしっとした茶のスーツには全く汚れが付いていない。おろしたての様にきれいだ。金剛さんの改造袈裟も破れ目はないが少し煤などで汚れているのに。


 「ハッハッハ。下で兵の脱出を誘導しておってバッタリ会ったのだ。そうそう、琉鳥栖殿、脱出艇の定員は大丈夫なのだな?」


 「ああ、問題ない。それより降ろし――」


 「じゃ、行くぞ!」


 金剛さんは奇妙な音と衝撃波を出すほどの速さで廊下を駆け抜け、脱出艇の前でピタッと止まる。踏みとどまった床は下駄の形にめり込んでおり、鋼鉄の壁がその衝撃でへこんだ。


 「脱出艇が壊れたらどうすんだ!」


 車椅子から身を乗り出して、琉鳥栖さんがそう言った。


 「ああ、すまなんだ。急いでしまうとつい……。あっはっはっは」


 金剛さんは僕たちの乗った車椅子を片手で降ろしながら、首を搔いた、すぐ後で春沙さんも来ていたようで、いつの間にか彼がこの場に居た。脱出艇はその部屋の中に半分ほど突き刺さっていた。部屋はボロボロだったが、脱出艇は傷一つない。


 「来たか。全員いるな……」


 脱出艇の上に課長が脚を組んで座っていた。その表情は心なしか、いつもより暗く、悲しそうに感じた。


 「ああ、これで全員だ」


 琉鳥栖さんがそう言って、ポケットから機械を取り出し、スイッチを押す、脱出艇の前面が開き、彼の車椅子が入れるスロープが現れた。


 「……悪いが、入りにくいので降りてくれないか」


 「あ、スイマセン」


 僕とハルト君は車椅子から下りる。脱出艇の中から、森さんがひょっこりと現れた。


 「あ、負傷者はいらっしゃいますか? とりあえず僕の防衛結界は解除しますが……」


 機械音声と共に彼は右手の指を鳴らした、すると脱出艇の幾つかの地点で魔術的結合が一瞬光を放ち消えた。何か罠のようなものでも張っていたのか?


 「水都君! こっちに負傷者!」


 琉鳥栖さんはそう叫びながらスロープを上って行った。森さんは慌てて琉鳥栖さんと共に脱出艇の奥へと引っ込んでいった。


 「……人数が多いことは、聞かない方がいいか?」


 課長はそう言う。やっぱり声が少し疲れているように聞こえた。


 「拙僧がいる状況で脱出メンバーが増えない方が不思議であろう? ま、今回は琉鳥栖殿と鳥羽殿の手柄だがな」


 「……そうだな」


 金剛さんは僕にウィンクした。


 「あーあ、今回は結構ヤバかった。金剛ちゃんはどう?」


 春沙さんが伸びをしながら金剛さんと共に脱出艇へ入ってゆく。


 「拙僧? 拙僧の方は……」


 皆が入ってゆく中でハルト君が……。僕が振り向くと、後ろで彼は黙って俯きながら立っていた。


 「行こう、ハルト君」


 部屋を向いているハルト君へ手を差し出す。


 「……本当に、いいのか?」


 彼はおずおずと僕の目を見て言った。僕が答えようとすると。


 「おーい、お二方、早く入れー。結構時間がないぞー!」


 金剛さんたちが手招きしている。


 「ほら、皆、歓迎してる。大丈夫、行こう」


 僕たちは脱出艇に乗りこんだ。扉が閉じる前、爆発一分前のアナウンスが鳴り響いた。



 ――〇――

 潜地艦『ラインハルト・ハイドリヒ』は3月3日4時17分、北海道沖の日本海地下200メートル地点にて爆発。近隣では微小な地震が発生した。



 2022年3月2日18時34分、東京都千代田境界区、宇美部邸にて。


 千代田区一番宮内庁庁舎の周辺には複雑な境界結界により秘匿された神祇寮庁舎と神祇寮官職名家の幾つかの家屋を擁する『千代田境界区』が存在する。宇美部家は先の大戦時の神祇寮にて、敗戦の連合国魔界協力会議に際し伏魔殿と共に協力条約を結び、戦後の『魔界』の体制と『秘匿課』の設立に貢献したために戦後、魔界府有数の名家として挙げられる。1953年に宇美部家は千代田境界区へ居を移し、以降一族は神祇寮長官に度々就任した。現在の長官は川辺家現当主・川辺博永かわべ ひろながが務めるが、副長官は宇美部篤郎うみべ とくろうが務める。


 『とぅるるるる……。とぅるるるる……。ガチャ……』


 「私だ。何だ?」


 「若旦那様、神祇寮総務部の北島優未様がお見舞いに来られております。」


 「断れ」


 「一度お断りしたのですが、お仕事のことで非常に重大なご報告があるとのことです……」


 「はぁ……通せ」


 ――宇美部来希――

 全く。応急処置後と言っても怪我人に仕事で何を伝えるというのか。ただでさえ、僕の生活スペースはほとんど人を入れないようにしているというのに、アイツらは何かと理由をつけて……。まあいい、どうせ、動けない身だ。


 「失礼します、神祇寮総務部の……」


 「能書きはいいよ、さっさと入って」


 僕とそう変わらないくらいのスーツ姿の女性が入ってきた。総務部の北島……。確か総務部は人員が多かったが、彼女のことは何となく覚えている。神祇寮で何人かのグループ……。祓魔部ウチや封印部、予知部、物品管理部の何人かが集まっていた所によく居たように思える。思えばあれは何の集まりだったのか。その何人かは度々僕の家を訪ねていた。何なんだ。パーソナルスペース侵害同盟か? 新手の『追い出し』か?


 「失礼します……。宇美部特務長官、こちら、川辺長官からの今回の『おがみ衆』件の報告書に関する通達です」


 「……ああ、どうも……。それだけ?」


 「仕事の件は」


 彼女はそう言うと微笑した。


 「……? あのねぇ、君、僕は今、療養中で、あまり人には会いたくなくてね。プライベートの話ならまた今度……」


 「先の仕事の失敗について、どうお考えですか」


 ……。


 「君、北島……。優未さん、だったかな。」


 彼女は首肯した。


 「北島さん、僕は先程プライベートの話はまた今度と言った。それは分かっているかな?」


 「質問の」


 「質問しているのは僕だ」


 彼女の表情は一切変わらない。何が言いたい? 何がしたい? 別部署ながら神祇寮の幹部である僕の評価を著しく下げてまで……。冷静になれ、冷静に……。


 「有穂さんだけであれば……。敗北はなかったと、川辺長官は言っていました。上層部でかなり問題視されています」


 「……ふーっ……。何が目的だ? 何がしたい? アドバイスか? だとすればやり方があまりにも、あまりにも、へたっぴだよ、ハハ」


 「川辺長官は、ご存じのように人を見る才はないと私は思っています」


 とつとつと語る。食えないな。


 「フン。それじゃ、何か? 君は僕に才能があるとでもいうつもりかい? それは凄い、君には見る目がある、congratulation! Excellent! これで満足したかい」


 「その通りです。貴方には、才能がある。貴方自身はそれに気が付いていない。有穂さん以上であると断言できます」


 は?


 「さっきから、こちらが冷静に聞いていれば……。僕のことを腐すのはいくらでも勝手にすればいい、だが、歩よりも僕が上だと? ふざけるな! お前に歩の何がわかる! あいつの術を見たことがあるのか? 一回でも食らったことはあるのか? あいつの魔力の震えを催す鳴動を、自分の術が子供の遊びのように感じられるあいつの膨大な出力を、あいつの無限と思えるバカバカしいくらいに無法な魔力量を、感じたことがあるのか? あいつ以外のこの国の全ての術師を感知し、全員があいつより下だという事を毎日のように感じたことがあるのか? そんなこともないくせにあいつのことを」


 「貴方はあるのでしょう? 貴方にはそれができる。彼の魔力の才を全て見てとって、この国の全ての術師と比べられる……。貴方に見えていないのは唯一人、貴方だけ」


 真に迫る妙な目つきで彼女はそう語る。


 「ただ目がいいだけだ。それでも追いつけやしない。それどころか、ここからもあいつは……。僕には僕の立場が良く見えている。自分のことは自分が一番よく知っているさ」


 「あなたの霊魂操作術はここの相伝ではないでしょう?」


 「……神祇寮の書庫にある文献は全て読んだ。それ以外の霊魂操作術に関わる文献も手の届くすべてを……」


 「『我々』は神祇寮にはない、門外不出の相伝術式の知識を所有しています。当然、霊魂操作術についても、他には全く見られない知識を収蔵しています。貴方の『感知』なら、最高効率で最大限の出力を引き出す、最強の術師になれます」


 「ハハハ、最強? 全く止してくれよ、そんな……。ガキじゃあるまいし、そんな……」


 「有穂さんは弱い人には興味がないように思えますが」


 「……はぁ……。今回の件は他言しないから、いったん帰ってくれないか。一週間後、僕が回復したくらいに、また来てくれ」


 彼女はすんなりと帰った。

 さっきまで……彼女は明らかに自覚がありながら、僕を逆撫でしていた……歩は弱い者には興味ない……。か。僕の父は偉大で、強く、僕と歩を育てた。この広い屋敷で、僕らは育った……。あいつがこの家を去ってからもう3年か。やっぱり、僕が弱かったからか? 僕が……。


――



 ――〇――

 2022年3月3日12時56分、フランス、リヨン市『旧エジプト・メイソンリーフランス会館』にて


 『【秘匿された知識ダ・アト】の報告により日本魔界府での工作は完了したとのことでしたが、こちらの方でも計画の完了が確認できました。魔界府との交戦も完了。別地点で神祇寮と魔界を攻撃しつつ、ロシア経由でフランスへ帰還する予定です』


 「ウン。宜しい。神祇寮の方を強めに痛めつけて置け、どうせ派遣されるのは哀れな無知者だ、殺しても構わん」


 『はい。では、偉大なる【至高の三無】のために』


 通信画面が終了する。カリオストロは部屋の柱時計を見遣り、室内電話の受話器を取る。


 「私だ。もう来ているかね? ああ、通したまえ。はは。いつになく冴えているだろう? ああ、お茶請けはスコーンとクローテッドクリームでいい」


 受話器を置くと、カリオストロは鏡でスーツを直し、髪と髭を整えた。そののち、応対用のソファに座ると、ドアのノックが鳴った。


 「どうぞ」


 燕尾服の執事と共に杖をついた老人、黄金の教示が一人【『慈悲ケセド』のゲドゥラー】である。幾千もの皺が刻まれた痩せこけた顔にある瞳は、強い斜視のようで左右瞳孔がかなり離れて動いている、だがその顔はカリオストロを怪訝に見つめているようである。長い白髪をなびかせ。風に吹かれる布の様にゆらゆらと彼は歩く。彼は腰に一枚布を巻いたのみで、それ以外は裸で、筋張り、骨ばったガリガリの身体は一種の神秘性を帯びるほどに余計な肉も、必要な肉も認められない、インドのヨーガ探究者のような姿をしている。また、身体には幾つもの紋様の刺青が彫られており、首からは様々な護符が下げられている。


 「ゲドゥラー師、よくいらっしゃいました。ささ、こちらへ、お掛けください」


 ゲドゥラーは肯定のうなりと共にふわりとソファに掛ける。まるで空中に浮遊しているかのように動きはゆったりと、重みがない。だがそのうなった声には大きな力が秘められていることがあらゆるものにはっきりと分かった。


 「紅茶は如何ですかな?」


 「ああ、貰おうか」


 執事はゲドゥラーの前のローテーブルに紅茶の注がれたティーカップを差し出す。カリオストロの前にも配膳され、スコーンとクローテッドクリームがそれぞれに置かれる。

 ゲドゥラーはちょっと一口紅茶を飲む。そのティーカップの紅茶は持ち上げられるとも波紋は起らず、啜られようとも凪の中にいるかのように静かであった。


 「……単刀直入に本題に入るが」


 ゲドゥラーはティーカップを置くと、杖に手を置き、深い声でそう語った。杖は彼と同じく年代を深く刻み込んだ奇妙な樹木の杖で、強力な魔力を帯びる呪物であることは明白であった。


 「カリオストロよ……。儂が来た理由は他でもない、先の緊急幹部会で儂が行った【預言】について、貴様は儂以上に知っていることがあるな」


 「ゲドゥラー殿、わたくしはただ予感がしたに過ぎません。全ては【至高の三無アイン・ソフ・オウル】の思召す成り行きのままですよ」


 「……貴様はまた、のらりくらりと……。まあよい。儂は勝手に質問させてもらうが。あの時の預言はチベットの、儂の結界内で行っておった訳だが、全員が知っているように、あの時の預言は何かの干渉を受け、途切れたものになっておった……。儂がこの100年近く預言を受けてきて初めての事だ。貴様はそれについて何か知っておるか」


 「干渉ですか……。そもそも干渉というのが奇妙な話ですよ。あの【『王国たる《マルクト》』クリスチャン・ローゼンクロイツ】による世界最高の保護結界が張られている我々の支局内でしょう? 流石にわたくしにはそんな、南極卿を超える力はございませんよ。ハッハッハ……。何らかの呪物や魔術物品の仕業でしょうかねぇ……。そういえばヨトゥム殿らが『来るべき最終戦争』のために『輝く死者の結晶』を集めておりましたねえ……」


 カリオストロは扇子を扇ぐ。


 「フン……。それ以上はよい。貴様の話はあっちこっち飛びすぎる……。聴き方が悪かった……。別のことを伺おう、貴様は【至高の三無】と交信を行ったな?」


 「ええ、ゲドゥラー師ほどの力はございませんのでかなり準備を要しますが……」


 「……では【蒼褪めた聖者】についてはどうだ?」


 カリオストロは一瞬固まる。直ぐに扇を口元に置き、眉を上げて神妙に喋り始める。


 「蒼褪めた聖者……。というのは前々から仰られているようですが、どういうモノなのでしょうか?」


 「……古い言い伝えだ。【月の民】を従える、『死なない人間』……。呪塔會では『四呪詛』と呼ばれる呪いの祖とも混同されておる」


 「『異形』『瘴気』『狂気』『死』四つの呪いの要素を世界にもたらした最も古い呪い……。ヨーロッパとアフリカの呪術師たちの伝説ですな。混同を同一の起源ととらえておられるという事ですか」


 「そういう事だな……。儂の解釈においては。……儂の故郷には、大陸の西の果ての島にある、『高い城に住む男』とも、『複数にして個』、とも呼ばれて……っ! ゥオオオ?!」


 「!? ゲドゥラー師!?」


 突然ゲドゥラーは天を仰ぎ、空中で浮遊し座禅を組む、髪はどこからともなく吹く風に靡き、手は開かれていた。杖が彼の正面に浮遊し何らかの儀式の媒体となっているように光り輝いていた。


 『断罪されるべき者たちの審判の時は近い、心せよ! カリオストロよ! 【来るべき最終戦争】は【4月1日】である。勝利の冠を頂き、平等なる飢餓に苛まれ、赤き戦争の剣が振り下ろされ、夥しい無名者の死が来る!』


 ゲドゥラーは目と口、耳から光を放ちながらどこからともなくその声を発する。預言が終わり、光が絶え、椅子にゆっくりと落ちると、ゲドゥラーは額に汗をかき、驚愕の表情を示す。カリオストロは口髭を触り、口角を上げ、扇で口元を隠して笑っている。


 「……預言……! 【至高の三無】は、なぜこんな場所で……」


 「ゲドゥラー師、今の預言は、明らかにわたくしに向けられたものでしたな。師に隠してはおけません、わたくしは先述の通り【至高の三無】よりの預言を度々賜っているのです。それ故にわたくしは、ヨトゥム殿と対立するような立ち回りをせざるを得ないのです。彼の動きは、些か、【至高の三無】への忠誠よりも形式を重視しております故……」


 「儂は……あの預言の光の中に……【蒼褪めた聖者】を見た!」


 眼を剥いて彼は語った。今彼は興奮の中に居る。


 「カリオストロよ……。儂はこの預言を受けたからには、貴様に協力せざるを得ぬ。儂は【蒼褪めた聖者】を追いこの組織にて魔術を極めた身……貴様と共にあれば【蒼褪めた聖者】の足跡を追えるやもしれぬからな……。だがヨトゥムとの明確な対立は立場上避けたい」


 「ええ、ええ、勿論、わたくしも不本意でありますから、どうして強要できましょうか。ましてや黄金の教示の古参、ゲドゥラー師でございます、勿論、悪辣な任務などは回しませんとも」


 勝利のカリオストロ:天命はこのカリオストロにあり。来る4月1日に遂に私は【勝利のカリオストロ】は王冠を頂き、日本魔界府を支配する!



――



 ――〇――

 2022年3月3日6時15分、ルーデンス小型潜地艦にて



 ――鳥羽或人――

 脱出してからしばらく経った。皆疲れて眠っている。金剛さんは床で大の字になって眠っているし、ハルト君も床で眠っている。春沙さんは壁にもたれ器用に立って眠っている。琉鳥栖さんと森さんは潜地艦の奥の個室であの研究者の女性の治療に当たり続けているようだった。

 ハルト君……。彼を助け出した……。というよりも奪い取ってきた僕たちだが、彼は初めて触れる広い社会にどんな感想を抱くのだろうか。冷涼で、広い社会。僕は世俗の社会に出る前にこの魔界へ来て、こっちでは仲間がいる。けれど、彼は……。だからと言ってあの彼が嘗ていた場所は決して良い場所とは言えない。ならばこうする以外に最善はないはずだ。

 最善……。僕はちょっと憔悴しているようだな。眠ることもできない。あの死屍累々の山を見て、人を殺めればそれもそうなるか。あの場所で僕に銃を突き付けていた人間、敵対的だったとはいえ生きていた人間があの死体の山として積み上げられ、一人が僕の手でぐちゃぐちゃになっている様子は厭なものだ……。いや、厳密には厭なものだと思いたいのだ。彼ら一人一人のことに思いを馳せて、そのような状態にさせた責任を自分に求めるのは、この死んだ彼らへの償いのように感じている。元はといえば僕が連れ去られなければ彼らは死ぬことはなかったのではないか? 

 眠れぬ僕は課長の様子が少し気になって、操縦室の奥、個室やトイレ、機関室に入る扉の手前、簡易ベッドのある仮眠室で僕はひそやかに扉を開いた。課長、ベアトリーチェさんがそこで横になっていたが僕が扉を開くと直ぐに反応が返ってきた。


 「或……。鳥羽か、何か用か」


 「あ、いえ、特に、あの、少し、なんだか、普段よりも疲れていたようだったので気になっただけです、邪魔するつもりは……」


 「いや、丁度眠れなかったところだ……。最近は眠れていたんだが……」


 課長は起き上がった、珍しく帽子は外され、簡易ベッドの上に置かれていた。コートやジャケットも同じく置かれていた。銀に思える美しい髪と睫、月を思わせる瞳がよりはっきりと見えて、僕は少し緊張した。


 「あの……。課長は、その、こうした、人と戦うような任務は……」


 「この課に派遣されてから、幾度となく人を手にかけてきた。基本的にこの仕事で相手取る違法団体などは捕縛することが推奨されている……。索敵必殺は相当数の違法行為を重ねたテロリストのみだ……。だがそんな団体が、あらゆる場所にごまんといる。……私はそう言う輩を……。いや、そう言う輩と目された輩を手に掛けてきた……。金剛なんかは過ぎたことを気にするなと言うように思えるが、私はそうはいかん」


 彼女は微笑を浮かべてそう言った。


 「その……。悩みというか……。心の内で対立とかがある、感じでしょうか」


 「対立……そうだな。その言葉がふさわしいな。迷い、と言うよりも、胸の内での対立だ。良く気付くな」


 「ああ、いえ、その、何となくというか」


 「……私は【月の民】という民族の出でな……。人狼と呼ばれた者に似た存在だ」


 人狼、おとぎ話、童話の定番のキャラクターと思っていたそれが、存在するというのはこの魔界の世界ではもう驚かないような事に思えるが、現実感は例によって感じられない。だが、その僕の考えを知ってか、彼女は左手を差し出してそれがみるみるうちに髪と同じく銀色の毛皮に覆われ、爪を持った、獣のものに変わる姿を見せた。


 「奴らの……。数週間前に奴らの一人をお前も見ただろう? あれに近しい。だが、我々はもっと原始的な変身の力を有している、ともすれば身も心も飲まれてしまうような……。人食いの獣の力。どうだ? 悍ましいだろう?」


 課長は自嘲気味に笑った。

 増田さんを襲ったあの化け物の力……あのような姿に飲まれる可能性がある生活というのはどういうモノなのだろうか。根底の異なる生活というのは、常に恐怖が介在しているという事なのか、日常のなかでふと思い出し、じっとりと汗をかく恐怖の経験、僕は何となくそれを思い出した。些細なトラウマを思い出す体験、そのトラウマは、昔自分が人に迷惑をかけた記憶。他人。課長が恐れているのはきっと……。


 「他の人のために優しい気遣いをされているんですね、課長」


 「……」


 課長はちょっと驚いたようにこっちを見た。そして少し笑って言った。


 「それに気づいてそう言うお前もな」


 僕は少し、思ってもみなかった返しに驚いて、少し恥ずかしくなって、返しに困り課長の方を見つめた。


 「柄にもないコトを言って驚かせたか?」


 課長はそう言って笑った。思えば課長が笑っている様子は滅多に見たことがなかった。仕事以外の話をする機会も。


 「いえ、そんな。そもそも人となりも、まだ知れてませんし……その」


 「……そうだな。確かに、お前とこうして雑談する機会はなかったな。連日忙しくてな……最近は趣味の映画を観る暇もない」


 「映画ですか。いいですね。僕もこっちに来る前はよく見ましたよ。こっちでもその、世俗の映画は流通してるんですか」


 「ああ、一応映画館はある……。魔界企業の一部が世俗から放映権を取ってきているようだな。私は、故郷ではそう言うのがなかったのもあって、専ら古いDVDだが……」


 彼女は腕を組みながら指で二の腕をコツコツと叩く、机をたたくときもある、話すときの癖のようで本人はあまり気にしていない。


 「古い映画は好きですよ。フランスのヌーヴェル・ヴァーグ期の映画なんかはよく見ますし、アメリカ映画もの西部劇からアクション、『レザヴォア・ドッグス』みたいなクライムまで、なんでも」


 「……趣味が合いそうだな、私もフランス映画なら『気狂いピエロ』、アメリカ映画なら『レザヴォア』が好きだ。ま、最近は眠ることもままならんので観れてはいないが」


 「僕もよく眠れなくなりますね。忙しいと……。音楽を聴いたりして気を紛らわしてますよ、聴くのは眠るのに向かないプログレとか、なんですけどね……。ほんとに眠るときは静かめのクラッシック掛けます」


 「フン。その歳でプログレは珍しいな。一応私は故郷がイギリスの方だが……。その私でさえも周りで聴いている者は少なかった」


 「そうですよね……。世代的に、少し古いモノを集めたりするのが趣味なんです。原点を言えば、近くにあったからなじみ深いってだけなんですけどね」


 「触れて見ればその良さに気づくなんてことはよくあるな、その機会が多かったのだろう。……ところで、その、映画なんだが、『大人は判ってくれない』観た事あるか」


 「ああ、それはまだですね。フランソワ・トリュフォー監督は『華氏451』は観たんですけど、それ以外はまだ中々手が出せてないんですよ」


 「私も最近DVDを手にしたばかりでな。今度貸そう」


 課長は嬉しそうにそう言った。



 ――

 


 「なあ……ルーデンス君……」


 「無理するな。今さっき、水都君……呪医の応急処置が終わったばかりなんだ、安静にしとけ」


 「君は……君は私が、罪をおかしたと、あの時……」


 「……気にしていたのか」


 「まあね……罪、か……何か規定があるのかい? それとも……」


 「俺は、俺達のような技術者や研究者は、どの分野であれ、規範を以て技術に向き合っていると思っている。倫理や思想や哲学やら……そう言ったものがないまぜの……。俺は人を殺す兵器を造るし、それで偶に人を殺す。だがそこにも、規定はある。超えてはならないものや、やってはならないことも」


 「……よく、分からないな……。私もそれを守るべきなのかい?」


 「それを考えるのは俺じゃない、君だ……。同僚の受け売りだが、『他人から教えられることは知識だけ』だ。その知識を得たうえで君がどうするか、君がどう決めるかだ。だが君は、まだ、知識を得ていない」


 「……ふふふ、また君に教わるものが増えた」


 「俺は専門家じゃない……同僚にもっとそう言うのが得意な奴が居るから、そいつに――」


 「君がいい……。なんだか、君じゃなきゃ、嫌なんだ」


 「……そうか、それなら、わかった」


 「ふふふ……。ゲホッ……。ふふふ」


 「安静にしてろ、まだ、安全とは言えないんだから」


 「……このまま……しばらく……」


 「いるさ」


 ――琉鳥栖玲央――

 彼女を救ったことはきっと、自分勝手なことなのだろう。何故、あのナチをゴミの様に殺して、彼女だけは助けたのか? それは俺の知り合いだったから。わざわざ汚さなくてもいい手を自ら汚して、俺は、彼女の元へ行った。彼女は他の幹部たちと何が違う? 他の兵士たちと何が違う? そう何か違うところはないのだろう。あの『ハルト』にした所業や、人狼部隊の創生、兵器人間の改造、人間のクローン、先代の仕事を継いだとはいえ、彼女に倫理的知識がなかったとはいえ、それは許される行為ではない。他の幹部たちと同じく、いや、それ以上に罪深いのかもしれない。

 だが、それは、俺にとってどうでもいいことだった。ただ彼女が生きて、俺が満足すれば……。それでよい。けれど、いや、だからこそ、あのハルトのことについても、俺はやらねばならないことがあるようにも――

 いや、先のことは今はいい……。まずはこの、船が、このまま無事に、彼女の命あるうちに魔界へ向かえればそれでいい。それ以外は、どうでもいい。この手の中の温もりが、失われなければ。


 ――



〈第三章 完〉

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