第四章 神様、ゴ冗談でしょう? Surely you're joking, God!

第四章 神様、ゴ冗談でしょう? Surely you're joking, God! 本文

――



【ここに悪魔イエスを聖なる都につれゆき、宮の頂上に立たせて言ふ、『なんぢ若し神の子ならば己が身を下に投げよ。それは

「なんぢの為に御使いたちに命じ給はん。

彼ら手にて汝を支へ、その足を石にうち当つること勿らしめん」

と録されたるなり』イエス言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と、また録されたり』】文語訳聖書マタイ伝福音書四章五節から七節終わり


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 神は賽を投げられることはなく、また神にたのむために賽を投げてはならない。

 故に私は賽を投げる事もなく、ただ彼方の思召おぼしめままに、彼方が与えたもうたものを、さあれ《Amen》とただ、古き教えの民と同じく、承認するのみの者であります。彼方が、本当に、そう、与え錫たのならば。彼方と同じく、遍く者への献身のままに。彼方の贖罪の血濡れた剣として。Āmên《アーメーン》。



――



 ――〇――

 2022年3月8日、10時35分、魔界府黄泉平坂市黄泉区霊魂流留街、民主社会党組合会館にて。


 『コンコン』


 「鳥羽殿―。修練の時間であるぞー。」


 「あ、スイマセン、金剛さん。今出ます」


 ――鳥羽或人――

 僕はCDプレイヤーの電源を切り、ケースにCDをしまう。『ナチス』の一件以来、僕と課長は度々CDやDVDを貸し借りするようになっていた。特に僕は大学時代に借りていたアパートから持ってきた家財も少ないので、課長は僕によく貸してくれている。借りっぱなしはちょっと気が引けるので、どう返そうか。

 そんな風に思いながら、読んでいた本を閉じる。これは金剛さんに貰った魔術の初歩的な理論書だが、どうやら著者も金剛さんらしく、彼が修練の時に言っていたアドバイスが更に補強された形で載っている。今までの修練では金剛さんは僕に集中力を鍛えるために只管打座の訓練や全力で魔力を解放し続ける訓練なんかを続けてきた。確かに集中力や魔力の解放なんかはつかめてきたような気がするけれど、僕の問題は魔力の操作にあるように思う。僕の魔力操作の強弱が甘かったためにあの船の中で僕は一人の人を殺したのだから。大いなる力にはなんとやらと言うように僕はこの力を制御しなくてはならない。もうこれ以上、人を傷つけるわけにはいかないから……。


 「あれ、有馬さん。どうしたんですか」


 玄関に有馬さんが座っていた。相変わらずカーゴパンツに上半身裸で鎖を巻いて、腰のところにガスマスクを着けている。


 「ああ、今日は俺も久々に金剛の修練を受けるんだ」


 「久々?」


 「有馬殿は拙僧のこの『民主社会党会館』で拙僧の門下として指導を受けているのだ。秘匿課に来てからな。最近は修練に来ておらなんだが……。先の鳥羽殿の奪還の際に魔界の近くに襲撃してきた『トロネゲのハゲネ』とかいう薔薇の手先にやられて相当堪えておるのだ。がはは」


 「うるせ!」


 有馬さんが首を掻く。金剛さんは笑っている。


 「ああ……。じゃあ、えっと、今回は有馬さんもここで……」


 「ああいや、鳥羽殿、今回は外での修練だ。ついでに拙僧の用事も潰させてもらう」


 僕たち三人はお寺(?)を出た後、街中を南の方へ歩いて行った。静かでスーパーの遠い住宅街はやがて自然が少し見られるような場所になってゆく。少し舗装の古い道を歩き、鬱蒼とした林を抜けると、突然開けた場所に出る。四階建ての建物と広い駐車スペース、子供が遊びまわっている、遊具が備わった広場が見える。門のようなものが、塀もなく、道路の途中にぽつりと立っていて、新しい看板に『Dom Sierot  われらの家』と書かれている。アルファベットの方は何語かはわからないが、どうやら孤児院のようだ。


 「着いた、着いた。拙僧はこれからちょっと事務仕事があるので有馬殿と鳥羽殿はちょっと待っていてくれ、子供たちと遊んでくれると先生方も助かるだろう」


 そう言って金剛さんは相変わらずニコニコしながら建物に入っていく。


 「……鳥羽ぅ、ガキの面倒って見たことあるか?」


 有馬さんは首を手で揉みながらそう訊いてきた。面倒そうにしている。


 「ああ、いえ、あんまりないですね……」


 「ここのガキはうるせーぞ。礼儀はある程度あるが……。年頃なのか知らねーがやたらマセた奴もいるし……」


 そう言ってため息をついている。広場の方を見ると、駐車場との境にもう何人か子供が集まってこっちを見て手を振ったりしている。


 「有馬おじさんだ」


 「鎖のワンちゃんもいるー!」


 「知らないお兄さんもいるよ」


 などの小さい子たちの声が上がっている。


 「行きましょうよ、有馬さん」


 また、有馬さんは大きいため息をついたあと、フラフラと子供たちの広場の方へ向かう。彼に纏わりついた鎖が広がり、どちらかと言うと動物……。犬のような動きをその鎖一本一本がし始めた。



――



 「失礼、ちょっと遅れたかな?」


 ――〇――

 金剛が会議室にそう言いながら入る。会議室には複数人、まちまちの服装を着た人々が机を囲んでいた。


 「ああ、院長、いえ。まだ予定の五分前です」


 「それは安心……。おやおや、全員揃っているようだな、ちょっと早いがさっさと始めてしまおうか」


 金剛は窓側の空いていた席に座って資料を開いてサッとそれを見通す。そして開始の音頭を取った。


 「では、会議を始めよう。まず初めに、私への今週の報告をお願いしたい」


 一人の教師が手を挙げる。


 「では、山岸先生から、お願いします」


 「はい、今週……。というよりも以前から度々報告していることではありますが、『四江奈里奈よつえな りな』ちゃんに関してのことです……。今週もまた自室にこもりがちで、深く悩んでいるようでした。定期魔力観測でも今週もまた上昇の傾向がみられています。院長の護符による低減効果も薄くなっていて、このまま魔力順応が進むと更に肉体の耐久性や能力の発達が考えられます……」


 金剛は顎髭を撫でながら腕を組み思案する。


 「フム……。そうか、今週もか……。そろそろ拙僧の護符も邪魔にならない程度のものではすまなくなってきておるからな……。一応、今日は拙僧が修練を施している同僚を連れてきておるので、彼らと共に魔力制御をちょっと教えようかと思っているのだ。中でも彼女と鳥羽殿はいい影響を与え合えると思うのだ……。ま、とにかく、会議の後、拙僧も彼女と話すつもりだ」


 「ええ、お願いします。彼女も院長を一番信頼しているようですから。ただ、院長、護符の件は我々としても懸念点が一つあります。昨今、街の方でも高魔力反応がこちらに示されることがあるのが噂になりつつあります。確かに周辺地域の住民とは良好な関係を築けてはいますが、この噂が広がり続ければもしかすると……」


 「魔力狙いの誘拐……。他国でも流行っているようだ。隠者の薔薇関連の団体に高魔力の者を求める集団がいるようでな……。拙僧としても防護範囲は幾重かに増やし続けておるが根本の解決とはいかぬ……。だがこれ以上、彼女に護符を課すのは彼女の身体の自由を脅かしかねん。それは絶対に避けなくてはならん」


 その場の全員が金剛の提言に各々首肯している。


 「とにかく、彼女の件に関しては拙僧は今後も警護と護符の改良、この院の結界の管理面などから対応していくつもりだ。また何か些細なことでもあったら今後も報告を続けてくれ」


 「はい……」


 「次は岸部先生」



――



 「兄ちゃんは院長先生の生徒なの?」


 鳥羽或人:僕を囲む子供たちの一人、男の子がそう訊いてきた。10歳くらいだろうか。


 「ああ、うん。そうだね。色々教えてもらっているよ」


 「いいなぁ。おれも先生に魔術教えてもらいたいんだけど、学校で教わってからっていうんだよね」


 「はは、学校の勉強をちゃんとしていれば、今教えてもらうよりもずっとうまく扱えるからじゃないかな」


 「そうなの?」


 「うん。いろんな勉強が魔術には必要なんだよ」


 実際のところ、魔術を扱う時には言語学を中心に物語、信仰の歴史、科学的な知見、計算式への理解や化学式なんかの広範な知識が必要になってくる。こうした体系的な知識を頭で強く思い浮かべることでより強力な魔術の力、そして魔術的結合が生まれることは今までの経験と金剛さんの説明から明らかだ。どうも広く知られ、検証された『知識』と『言葉』にこそ魔術の力が強く表れているようだった。僕よりも魔力の出力が低い人がほとんどだけれど、僕よりもずっとうまく魔術を扱い、僕の力よりもずっと強い力を発揮する人たちが秘匿課には多い。

 春沙さんなんかは隣に居ても魔力を悟らせないほどに隠すのが巧く、本人の最大魔力も凄く低いながらも他の人たちよりも強い力を発揮しているようだ。それはきっと『術』というモノを巧みに操り、様々な知識を基に魔術的結合を複雑に、そして効率的に紡いでいるからなのだろう。また、『術』を扱わずとも、自身の魔力を体の一部や全体で強く放出することで身体能力を挙げる、あの感覚。あれも流れるように巧い人は僕の様に力の強弱をミスって、人を砕いてしまうようなことはないようだった。僕のような、間違いは。

 子供たちは口々に金剛さんのことを話し始める。


 「院長先生はね、すごいんだよ、友達も大人の先生方もみんな一気に持ち上げて、空を飛べちゃうんだ」


 「こないだなんか、みんなをくるくる観覧車みたいに空になげてまわしてたんだよ。吉田先生がちょっと怖がってたけど」


 子供たちの話しぶりからも金剛さんの凄さがよくわかる。子供たちを傷つけることなく魔力を制御してそうした遊びを行っているようだった。ちょっと危なすぎる気もするけれど。


 「あー、お前、ガスマスク触んな。あ、コラ、ぺス。俺を引っ張んな。ぺス。ステイ。ああ、お前、乗るな乗るな」


 有馬さんは子供にしがみつかれたり乗られたりしている。彼に巻き付いている鎖は先が犬の頭のような形を創り出して、五匹の犬がそれぞれ子供とじゃれているようになっている。周りの孤児院の先生方もほほえましくそれ見ているようだ。


 「あ、院長先生」


 建物から金剛さんが現れる。何人もの子供たちが彼を迎えて集まっていく。彼の隣には小学校高学年に上がりたてくらいの女の子が彼に手を引かれて立っていた。


 「おーおー、皆元気であるか? ちゃんと皆、外で遊んでいるときは水道の水をよく飲むんだぞ」


 集まっている子供の頭を撫でながら金剛さんはその少女の手を引いてこちらにやってくる。


 「鳥羽殿、有馬殿、修練はあっちの森の演習場でやるぞ。ここでは危ない。あ、そうそう、里奈殿、自己紹介できるかな?」


 金剛さんはわざわざ屈みこみ、少女に聞いた。少女はちょっと恥ずかしそうにしながら自己紹介をした。


 「四江奈、里奈です……」


 「初めまして、僕は鳥羽或人です。よろしくおねがいします」


 「よくできました。偉いぞ」


 金剛さんはそう言うと屈んだまま顔を挙げてこっちを見た。


 「二人にはこれから魔力制御の修練を受けてもらうのだが、彼女にそれを見学させてやりたいのだ……。宜しいかな?」


 「ええ、良いですよ。僕は」


 「なんでもいいから早くしてくれ」


 金剛さんは里奈ちゃんの方を見たあと、彼女の手を引いて演習場の方へ向かった。

演習場と称されたその場所は芝のない開けた広場と、暗い森が広がっていた。土に刺さった丸太や鉄の棒などが置かれている。金剛さんは入り口の近くにあるベンチに里奈ちゃんを座らせてこちらに来た。


 「よし、それでは今日は『魔力制御』・『魔力操作』の修練を始めるぞ。まず、魔力制御に当たってだが、鳥羽殿、えー、こちらをば」


 彼は近くの地面に刺さった鉄の棒を指した。


 「この棒を折らずに殴ってもらう。正拳突きで、きちんとあてるのだぞ」


 「え、あ、はい」


 折らないというのなら魔力を込めない、つまり完全に出力を停止する必要がある。でも0か100かなら今の僕にでもできるはずだ。

 僕は棒の前に立ち、足を肩幅ぐらいに開いて、正拳突きを構え、拳を棒に当てる。


 「痛っ」


 完全に遮断したせいで手がじーんと痛む。それはそうだ。鉄の棒なのだから。


 「まー、そういう事だ。魔力制御を行わないと鳥羽殿の身体能力では鉄の棒は手を痛める。有馬殿、手本を見せたまえ」


 有馬さんがやってきて、特に構えることなく、彼が右フックを出す、棒と拳がぶつかるが何の音も出てこない。


 「鳥羽殿、分かったかな?」


 ぶつかる瞬間、一瞬、有馬さんの拳の先の魔力が奇妙な状態になったように思えた。妙な状態だ。魔力が増えるでもなく、むしろ減っているような。だが魔力の無い状態とも違う。


 「手を出したまえ」


 僕は金剛さんが差し伸べる手に握手するように手を出した。金剛さんの手は先程の有馬さんの手の様に魔力が奇妙な状態になっている。僕の魔力が吸い込まれるような感覚。


 「拙僧は身体に強く魔力が刻まれておってな、課長や、有穂殿と同じく戦車の砲撃にも生身で耐えられる。本来ならばちょっと手を握る程度の力加減でも鳥羽殿には凄まじい負荷がかかる。だが、現在そうなっていない」


 「魔力が吸い込まれている?」


 「正確には魔力がマイナスになっているのだ。術式に近い技術で、効率も悪いため普段の戦闘に応用するにはかなり修練が必要だが、これにより強大な魔力を有する者や拙僧の様に身体に強い魔力が刻まれている者も衝撃・力を吸収させることで制御することが可能なのだ、例えば……」


 金剛さんは突然僕の胸を殴りつけて来た。だがその衝撃は全く僕に伝わらない。痛みもなく、金剛さんの拳が僕の胸に当たって静止している。


 「このように衝撃を消したり」


 再び金剛さんは僕の腹を殴りつけた、すると今度は逆に金剛さんが後ろに跳ね飛び宙返りした。


 「このように自分自身に衝撃を返したりできる」


 そう言って金剛さんは華麗に着地した。


 「有馬殿は術の方にこの技術を応用しておるがそれでも、素の状態の魔力操作でその扱いを完璧にこなせてはいないようだな」


 金剛さんの目の先にはさっきの鉄の棒がある。よく見ると少しへこんでいる。ちょうど有馬さんが殴りつけた部分だ。


 「う……」


 「まあ、無理はない、身体に魔力が刻まれるような人間は少ないように、魔力があふれるほどある者もそうそう居らぬ、そういった人でもなければこんな技術は常用せん」


 僕たちはそれからしばらくの間、この孤児院の演習場に通うようになっていった。里奈ちゃんは僕たちの修練を眺めながら、金剛さんと話したり、金剛さんに渡された風船を手に持って何やらしているようだった。そして、修練を始めてから一週間ほど経った。


「二人ともそろそろ次のステップに行く頃であるな」


 そう言って金剛さんは僕たちに膨らんだ水風船を渡した。


 「これに右手で魔力を込め、左手で吸収する。これが次のステップだ、慣れてきたら指先で、更に慣れれば指の本数を減らしたまえ、するとこのように……」


 金剛さんは右手の人差し指の先に水風船を乗せる。指先では複雑な魔力の操作により水風船がちょっとだけ宙に浮いているようだった。僕がよく目を凝らしてもどのような操作を行っているのかは正確には判らない。


 「ま、ここまで行くと細胞単位の魔力操作となるので、目や感性の良さが必要となるのだが……。諸君らは最終的に双方人差し指一本で支えられるようになる必要がある」


 そう言っている金剛さんの後ろでは里奈ちゃんが指先で風船を持っている。彼女は僕たちよりも先の修練をしているようだった。


 「何か気になったら拙僧よりも彼女に教えてもらいなさい。同じような位置にいる者の方がわかることもある」


 そう言うと金剛さんは地面に刺さった鉄の棒の先に飛び乗り、片足でその上に立ちながら、足を組んで空気椅子のような姿勢となり懐から本を取り出して読み始めた。読んでいる本は『意志の結実と力学』……? 内容はよくわからないが、寺院で見た気がする。

 

 「ぐお……。これは……」


 有馬さんが両掌で魔力を操作しているが、風船の中の水が少しの力で揺れて割れそうになる。僕もやってみたがこれは本当に精密な魔力の制御が必要だ。少しでも気を抜けばすぐに……。


 『バツン』


 「……。クソッ」


 有馬さんの風船が割れた。


 「風船はいっぱいあるのでな、そこの水道から水を汲んで水風船を作ってくれい」


 有馬さんは金剛さんから風船を受け取るとトボトボ水場に歩いて行く。僕は苦戦しながら掌の魔力双方の均衡を保とうとするが、水の揺らめきは少しのバランスの崩れで大きくなり、それを鎮めようとしてもさらに渦が大きくなるばかりで中々つかめない。そして僕の風船もバチンと勢いよく割れてしまうのだ。

 その後も僕たちはしばらくの間、試してみたが中々掴み切れずにいた。そこで僕はずっと一つの風船を持っている里奈ちゃんにコツを聞くことにした。


 「あ、里奈ちゃん、ちょっといいかな?」


 彼女はゆっくり小さく頷いた。


 「風船をそうやって持っていられるの、すごいね。僕たちなんか割ってばっかりでさ」


 彼女は小さく微笑んだ。


 「里奈ちゃんはどうやって風船を持っているのかな。どんなことでもいいから教えてほしいんだ」


 有馬さんもやってくる。


 「なにかこう、魔力をぶつけあっているんだとか、魔力をどう扱っているのか、感覚みたいなものがあれば教えてくれ」


 有馬さんの鎖がいつの間にか五頭の犬の頭になって彼女に向いていた。里奈ちゃんは風船を置いて、ベンチから鎖の犬の頭を撫でながら言った。


 「ゆっくり……。どっちもゆっくり初めて……。ゆっくり混ぜ合わせるんです」


 「混ぜ合わせるのか……。なるほど? 掻きまわしたりぶつけたりじゃなく」


 「はい……。どっちがどっちかわからなくなるように、こうやって……。水をゆっくり押し出して中で混ぜるみたいに」


 手から流れ出る色水が水中でぼんやりと混ぜ合わされるイメージが僕には浮かんだ。最終的には一つの色になる。どっちがどっちかわからなくなるような……。


 「なるほどな。ちょっとやってみるか……」


 有馬さんは手元の水風船に力をゆっくりと入れる。手元の魔力をちょっとずつ増やし、もう片方をちょっとずつ減らす。今までは瞬間的な魔力の制御をやっていたためにそう言う視点はちょっと抜け落ちていた。掌でのゆっくりとした操作は功を奏して有馬さんは相当魔力を込めるに至っていたが割れることはなく、もう片方の手のマイナス状態の魔力で相殺されていた。


 「でも、そこから先が難しくて……。何か違うみたいなんです」


 里奈ちゃんはそう言って手元の風船に力を籠めた。指先での操作は順調だったが、指を減らすと少しの揺れが生じ、やがて風船は割れた。


 「うーん……」


 僕も風船を指先で持つことには成功したが指を離すことは難しい。減らすときにガクッと魔力の量のバランスが変動してそれを操作するのは瞬間的な操作が必要になる。そんな微細な操作を感覚的にすることはできるのか?


 「イメージ……。混ぜ合わすイメージ。混ざる……。融け合う……。このイメージが大事な気がしますね」


 「そうそう感覚で変わるものでは……。あるか、さっきの例からしても」

僕は『明鏡止水』の言葉を思い出した。鏡のような水、そこに落ちる水滴の波紋、その波紋を制するためにもう一つの波紋が発生する。全く同じ波、波……。


 「波の相殺……。波紋の相殺」


 「同じ形、逆転した周波数の波同士がぶつかることで相殺されて無音になる。波の干渉だな。理論上はこれも同じだ」


 「……。魔力にも形があるの?」


 魔力の波形、考えてみれば魔力も力となるのであれば、少なくとも現実の力になる際に波形を持つはずだ。その時の形……。感覚的にそれを掴めば……。


 「あ」


 里奈ちゃんは風船から指を一本一本放していく。小指、薬指、中指、親指……。


 「すごい、できてるよ」


 「形を同じにして、混ぜ合わせるんです」


 僕たちがその形を認識できるようになるのはもう二三日あとのことだった。



――



 ――〇――

 2022年3月15日ドイツ連邦共和国ヘッセン州カッセル行政管区カッセル群独立市、隠者の薔薇会館(元薔薇十字団会館)にて。


 「兄者。相談があるのだが……」


 王冠のヨトゥムは書庫の戸を叩き、部屋に入るとそう言った。鍵付きの本を読む少年、智慧のヨセフは直ぐに老爺の弟の方を向き本を閉じた。


 「『神聖』の件……かい?」


 ヨトゥムは彼の向かいの椅子に座り頷いた。


 「ああ。既に聞き及んでいるか……。それもある。我々と『神聖』の間の秘密交渉の件で少々……。厄介な取引があったという話だ」


 「それは仕方ない、外交担当はあのカリオストロだ。先の『ナチス』の件も奴の計略の失敗とみえるけれど、奴は妙に余裕だ。奴の手下の『トロネゲのハゲネ』が有穂歩に相当手ひどくやられて帰ってきたのに……。何か『切り札』を隠し持っているように思えるよ」


 ヨトゥムは顎髭を撫でながら答える。


 「それについては私も同意だ。今回の件がそれにつながるのかはわからんが、どうも『神聖』の『大司教』殿はかなり乗り気らしい」


 「取引の交渉材料が『日本魔界府』内の『聖遺物』ならば納得もできるさ。宗教術は僕らも扱っているからよく知っている。信仰心の集積は途轍もない力だ。彼らが僕らのような仇敵と手を組み、『不俱戴天の仇』である『南極卿』と戦うのに加えれば、彼らも同意するだろう」


 「フン! 流石はカリオストロの外交手腕と言ったところか。よくもまあ、彼らの機密たる『聖遺物』の情報を得られたものだ」


 鼻を鳴らしながらヨトゥムは足を組む。


 「それよりも、『ナチス』騒ぎの裏で遂行した日本魔界府の結界の『孔』をこれに使うってことだが、良いのかい? 『孔』は二つあるとはいえ、開けるための『輝く死者の結晶』はそうそう造れないよ」


 「だが、『神聖』の戦力は『来るべき最終戦争』においては必須級の力だ。全世界に展開した組織で我々と同時に一斉攻撃を行えるものはそうそうない。一つは予備であったが、そちらを使う。日本魔界府一つの損害と他すべてと比べれば……」


 「ま、そうだよね。僕もそれが良いと思う、ベストではないけどベターだね。それ以外の問題は……」


 ヨトゥムは指を組み、さらに足を組みなおす。


 「峻厳なるサイエイ……。奴が4月1日に日本支局への出張を出願した。ただでさえその日は慈悲のゲドゥラー、栄光のジュンが日本支局へ訪れる予定があるのにもかかわらず……。理由は奴のいつもの『呪医勧誘』だが、当日に我々の作成した『呪物』の持ち出し任務を請負うことなども示されている。これが意味することは……」


 「カリオストロが4月1日に日本で『何かをする』という事だね、奇しくも当日は『来るべき最終戦争』の予定日であるペサハ中の『新月』の日……。奴は日本魔界府のみを狙って行動するつもりかな?」


 「先の『ナチ』騒動の前後でも全世界的な妨害があった。今回もそれがあるように考えられる。我々の魔界同時攻撃が頓挫するようなことはあってはならない。そうした牽制も奴の術中ではあるがな……」


 「してやられている感が拭えないよね。だが、黄金の教示三名が完全にアチラ側と考えるのは早計だな。特にゲドゥラーは古参だ。場合によっては理解のヴィクトリア以上に信用できるうえに、彼は度々各国を渡り歩いているのもよく見る、ましてや日本は幾度となく訪れている。栄光のジュンは、彼の『ビジネス』なのだろうが……。サイエイに関しては日本魔界府へ並々ならぬ因縁があることは既知だろう? 個々としては不審な点は少ないんだ」


 「サイエイ以外は『最終戦争』時に手持無沙汰の面子だ。遊撃手として各地に展開できる人材も多かったが、この申請で彼らは日本支局でしか動けなくなってしまう。……組織としては、この申請を承諾するのは拒否したいところだが、ゲドゥラー、サイエイは非常に組織内での影響力が大きい……。また、三名は前日まで別の支局で通常の業務に加え、戦争に際して特別に必要な業務を率先してこなしているために、この提案を断ること自体が難しい」


 「断れば黄金の教示内での分断は明らか……。栄光のジュンは組織の法を盾に反論するだろうね、僕の調べた限り、彼の主張は法的に強制することも可能だが、そうした強硬策は得策とは言えないね。他の二名は特に、独立派閥を作り得る人望を以て僕たちに迎合してくれている人たちだ」


 「現状維持……。これがとり得る最良。やはり未だ主導権をカリオストロ側に取られている気がするが……。奴は4月1日に何をするつもりだ? 我々と同じく『魔界』の占領ならば何故我々に妨害を行う?」


 ヨトゥムは顎に手を当て、思案するが明確で論理的な理由が浮かばぬような、疑念に曇った顔をしている。眉が震え、瞳は思案に向き、手は一定のリズムを刻んでいる。


 「……話は戻るんだが……。『聖遺物』はどういうモノだと聞いているんだ、ヨトゥム?」


 「こちらには聞かされていない。現在、魔界府内のある人物の所有物となっているようで、それを盗みだすために『訓戒』の……。『塵殺神父アレッサンドロ』が出るようだ」


 ヨセフは驚愕した様子で聞き返す。


 「アレッサンドロ・アンドレア神父が?」


 「ああ、訓戒の中でも選りすぐりだ。どうやら『神聖』の側の取引相手は『訓戒』担当の大司教らしい。カトリックのほぼすべての戦力が我々に協力する予定だ」


 「あの神父、大の魔術師嫌いの殉教主義者だろ。本当にあいつが動くのか」


 「そうだ。『聖遺物』が相当高名なものと思われる。パフォーマンスの意味もあるのだろうな。『黄金の教示』の一人が嘗て奴に屠られているのだから……」



――



 2022年3月10日15時0分、京都府、伏魔殿にて。


 「瀬里奈、傷はもういいのか」



 ――賀茂瀬里奈――

 振り向くとお父さんが書庫の入り口に立っていた。他の人は見えない。


 「うん、もう一週間も経ってるし。それにあの時の『襲撃』では有穂さんがすぐに来てくれたから、大した傷にはなってないです」


 「そうか……。だが、書庫の整理はお前の仕事じゃないだろう?」


 お父さんはちょっと心配そうにそう言った。昔はこういう雑務を無理してやっていたものだけれど。


 「うん……。でも、こうして本を整理したり、掃除したりしている方が、なんだか落ち着くから……」


 「そうか。それならいいんだが……今日は私以外の幹部は出てないので、好きに居ていいぞ」


 お父さんはそう言って本殿の方へ行った。今日は『再命祭』を行う日なので、本殿の近くには誰もいない。『御館様』、この伏魔殿の主の魂を身体に再固定するこの儀式は定期的に行われていて、陰陽主要家がそれぞれローテーションで担当している。千年近く続くこの儀式は伏魔殿本殿の地下にある万魔宮と呼ばれている怨霊・呪物保管庫の封印術式を保つための儀式で、その日にのみ『御館様』の姿が見られる。

 ……『御館様』はほとんど遺体なのにもかかわらず、その美しい容姿を変えていない。肌や髪は瑞々しい艶を保ち、座禅の様に座っている姿は眠りについているように思える。けれどもそこに呼吸はなく、あるのは私たちが『再命祭』で籠めた魔力と魂に残る魔力だけ……。儀式の途中、十二体の神霊が『御館様』を囲う、あれが『十二神将』。そのすべてを式神として操った陰陽師は後にも先にもたった一人。『安倍晴明』……。『御館様』その人のみ。

 思えばこの書庫では、昔からお父さんが『再命祭』を執り行っている際によく一人でここで本を読んだ。この日は伏魔殿には他の家の人はいないから……。


――『瀬里奈、こんなことでヘタレてちゃ、次期当主なんでしょ』

――『死体の一つや二つ見慣れろよ』

――『万魔宮から取ってきてよ、ホラ、早く』

――『賀茂の次期当主の癖にそんなモンか?』

――『賀茂家なのに私よりも弱いね』


 思い出していくと少し胸が痛くなる。けれどもう、あの人たちは私に構わなくなった。12歳の時に突然。一体何があったんだろう?


書庫や資料の整理が終わった後、儀式も終わったようで、お父さんがまたこちらに来た。


 「瀬里奈。ちょっといいか」


 「? ……何?」


 「ああいや、大したことじゃないんだが。最近、任務外で『土御門』のとこの娘さんが怪我を負ったそうなんだが……。秘匿課の方で何か魔力観測とかはなかったか? 3月2日か、3日辺りのことなんだが……」


 魔力観測……。その日は、丁度鳥羽君たちが岡山で違法団体の摘発をしてたっけ……。他に大きな魔力観測の可能性は……。


 「あんまり思いつかないかな。あ、でも、3日の方は、『隠者の薔薇』の目撃情報と、さっき言った襲撃があった日だね、それ以外は……何にもなかったと思うけど」


 「ああ、そうだよな……。やはりそれ以外はないか……」


 「土御門って……。春奈?」


 「あ、ああ。そうだ。任務外で怪我を負うような人じゃないからちょっと気になったんだ。勿論、土御門や勘解由小路の人たちはただちょっとした怪我だったと言っているんだが……」


 お父さんはちょっと心配しすぎな気がした。いつもはそんなに心配性な気質でもないのに。今回は不思議に思えるほどそのことを気にしているようだった。


 「考えすぎじゃないかな。どの人もそう言っているんでしょ?」


 「ああ……。だがあの日は……。『眞如』の死亡報告もあってちょっと気になりすぎているのかもな……。すまん、忘れてくれ。」


 お父さんはそう言って事務室の方へ歩いて行った。お父さんは少し疲れているのかもしれない。ただでさえ私が魔界府で秘匿一課に行ってしまって、賀茂家でここの仕事をする人がお父さんと数名の親戚だけだというのに、他の家とも最近は上手くいっていない。どの家の家長も私のことを避けているし、問題の根幹には……。なんだか、私がいる様な……。そんな確信が、私にはある……。もっと、強くならなくちゃいけない。ただでさえ、子供のころから良く揶揄われて、負けてばかりだったのだから。お父さんの負担を減らす意味でも、あの秘匿課で成長することで、伏魔殿の任務もこなせる、賀茂家次期当主として恥じない人間になれるはず。



 ――賀茂劉醐(カモ リュウゴ)――

 ……。瀬里奈はああいっていたが……やはり土御門、そしてそれを庇う勘解由小路やウチの一部の分家。あいつ等はかなり怪しい。私自身の予知能力に従うのならば、彼らはかなりのグレー。いや、もしかすると魔界府に対して反抗的な行為に、既に手を染め切っている可能性さえも考えられる。彼らと我々の対立は、あの子の知らぬところだからな……。

 ……もう6年ほど前か。私が『眞如』との死闘から帰ったあの夜……。返り血に濡れた、あの子が……。あんなに悲しい笑顔で土御門家と勘解由小路家の秘伝書を読んでいたあの日……。私の娘が『二人になった日』。……本当にあの日、私は、あの子を……。瀬里美を抱きしめて、事件を瀬里奈から隠したことは、正しかったのか? 血に濡れたあの子の頬に伝った、あの涙を拭ったのは……。だがそれ以外の道は考えられない。あの子をめぐる状況をそれまで私は視てこなかった報いなのだろう。他の家との対立はどの道、避けられはしなかった。

 瀬里奈は、『瀬里美』の事は、どれだけ知っているのだろうか。そのことを聞くことすらも躊躇する私は、人間として、父として、あまりにも弱い。



――



 ――〇――

 2022年3月11日13時24分、東京都千代田境界区神祇寮にて。


 「――というわけだ。宇美部君。君の休みの間に大体の仕事は有穂君が片付けた。君は暫らくはこっちの警備の仕事をこなしてもらう。魔界府の仕事は少し様子見だ」



 ――宇美部来希――

 厭味ったらしい狸ジジイが机を人差し指で叩きながらそう言う。ふごふごと鼻を鳴らす様子はいつ見ても人を苛つかせる。


 「はい……。失礼しました」


 扉を閉め、ため息をつく。久々の出勤で早々、呼び出し説教はあのジジイも暇なのだろう。それにしても、警備か……。霊にやらせれば暇になるばかりで厭なものだ。ここしばらくは神祇寮に依り付くこともなかったので、同僚の顔を見るのも少し新鮮だが……。やはりため息は漏れ出る。歩は僕が怪我で休んでいる間も、相変わらず連勤らしく、暫らく会っていない。合わせる顔もないので丁度いいか。

 休憩室の自販機で水を買っていると、妙な奴らが話しかけてきた。


 「宇美部、俺を覚えているか」


 「え? 誰?」


 ほお骨の特徴的な長身の男……。ガタイはかなり良いし、顔も特徴的なので忘れるようには思えないが、忘れるくらい弱いのか。


 「ああ? この『蔵見』のことを忘れたってのかテメェ!」


 「ああ、まあ、まあ、蔵見君。落ち着いて」


 隣にいた長髪を後ろで結んだ、童顔の……。男か? が止めに入る。彼は確か……。


 「あー、君は何か見たことあるな。飛騨山だっけか」


 飛騨山秀一。中性的な顔立ちに植物とかを媒体とした神道術式を得意とする祓魔部の秀才。……だったかなぁ。あまり同じ部署の奴らの顔と名前は憶えていないのでよくわからない。


 「おや、光栄です。あの『宇美部来希』さんに名前を覚えてもらえるなんて」


 飛騨山はにこやかに笑う。


 「飛騨山テメエ、自分は名前覚えられてるじゃねぇか」


 「お前が弱いからだろ」


 もう一人、別の片目を布で覆ったチビがそう言う。


 「あんだと、桑野テメエ!」


 桑野……。炎のアイツか。なんか部下の間で話題になっていたな。


 「それよりも蔵見君。宇美部さんに用があるんだろ」


 「おお、そうだった。やい、宇美部、ここであったが百年目! 俺とタイマンで勝負だ!」


 「は?」


 何故コイツは田舎のヤンキーみたいなことを言いだすのか。不良マンガじゃないんだぞ。


 「やれやれ……。スミマセン、宇美部さん。でもいい練習になると思うんですよ。病み上がりのリハビリみたいなものとして、演習場で僕たちと模擬戦なんとどうでしょう?」


 見た限りではそれぞれ、そこそこの強さは感じられるが……。


 「三人同時に掛かってくるならやってもいいかな」


 「随分と舐められたもんだぜ……。俺様が貴様を超えて、この神祇寮のトップを張るんじゃ!」


 蔵見とかいう奴がうるさいが、それ以上に桑野とかいうチビがかなり睨み付けてきている。僕の任務失敗から力を計り損ねているのだろう。祓魔部は珍しく実力主義の部署。……丁度いい、圧倒的な力の差を示してやるか。


 「いいでしょう。さあ、皆、行こう」


 飛騨山が他二人を引き連れて歩き出す。僕はペットボトルの水を持ちながら、それについていく。



 僕は地下の広い演習場の真ん中に立ち、買った水を飲んで三人を待っている。


 「待たせたな、ぶっ飛ばしてやる」


 蔵見はサラシに特攻服と見た目通り古の不良スタイルで現れた。今時そんなスタイルかよ……。だが身体の魔力順応度が高い……。かなり打たれ強く、高い身体能力で近接戦を仕掛けるタイプだろう。筋肉のつき方的にも手に持つ武器を扱うタイプか、ポケット内に棒状の……木? 武器にしちゃ短いが、どこかの御神木らしい、魔力は十分、魔術触媒か呪物かな。精神的にも攻撃性が高いわりに、打たれ強さを持つという事はかなり肝が据わっているようだ。意外というか案の定というか、コイツが一番面倒だな。


 桑野のチビは手の内を隠すためか祓魔部制服の上にマントのようなもので体を覆っている……が、僕には無意味。刀を隠しているのがわかるほか、瞳に邪眼術の紋章が刻まれているようだ。布で覆った上に魔術的結合にブラフを混ぜて、巧妙に術式を隠してはいるがそれも僕には簡単に看破できる……。隠し事を見つけるのは得意でね……。コイツも蔵見に負けないほどに肉体の魔力順応が強いが、かなり高出力な術式を持っているようだ。拳の部分にも何やら細工がある。細胞の状態から見て、最大魔力量が高いのに、魔力切れの経験が多いようだね。


 飛騨山はかなり能力の傾斜が少ないようだが、魔力の残留状態と出力傾向から手、口元の魔術的結合錬成痕が多い。呪文術、手印……。呪物の方も注意すべきだな。肉体の力学操作術による簡易的な操作も可能なようだ。術式を身体の中にあらかじめ刻んでおくことで、神経の通っていない髪などを自在に操ることを、消費を抑えて実現できる技術を使っている。


 概ね見ただけでわかる情報はそう言ったところか……。術式の方は出されるまでわからないが……。神道術ならある程度『介入』する準備もしておくか……。真面目に取り合うのも面倒だ。


 「その白い詰襟に泥を塗ってやるよ」


 蔵見が指を鳴らしながらそう言う。ルーティーン。魔力の流れがより流麗になった。これくらいなら一級の良いセン行くんじゃないか。だが。


 「ずいぶんな自信だな」


 『カムヅカサラオホカハヂニモチマカリイデテハラヘヤレトノル』


 僕は大祓詞の文末を諳んじながら、空になったペットボトルを宙に抛(ほう)る。召喚された大怨霊『橘逸勢』がそれを潰し、塵と帰す。


 「わかるかい? 六所御霊が一柱。ほぼ神格の『橘逸勢』。歴史の授業で習ったんじゃないかな」


 圧倒的な魔力に彼ら全員が冷や汗をかいている。ちょっと脅かしすぎたかな。


 「まあ、僕の全力は……。正直こいつらを使役するよりも肉弾戦の方が得意なんだ。大丈夫。君たちが泣きだしたぐらいでやめてやるよ」


 生憎、僕もフラストレーションが溜まっているのでね……。


 「来たまえ」


 手招きする。案の定、蔵見は釣られ、走ってくるが同時に他二人も死角から仕掛けてきた。僕に死角はないんだがなぁ。


 「死角を取って安心しちゃ、二流だ」


 「! ッ」


 桑野が瞬間移動した橘逸勢に蹴り飛ばされる。かなりいい受け身を取ったようで、地面にクレーターができているがそのまま戦闘継続のようだ。飛騨山は微細な種をばら撒いている。珍しい、本当に植物を媒体とするのか。


 「食らえコノヤロー!」


 蔵見が振りかぶって殴ってくる。力学操作術による刀状の武器の模倣、こいつが無詠唱まで習得しているとは思えないので手……。いや、一丁前に柄を隠し持っていたか……ポケットの中の棒状の物。あれを媒体とした術、呪物による魔力補填が入った奴の渾身の一撃。やはり呪物でもあったか。問題ない、手で受ける。


 「! ッあああ?!」


 「へし折ってやる」


 5人分の霊魂を籠めた手で奴の術による見えざる刀の刀身を握り、魔術的結合をつかみ取る。……? 妙だな。この結合に刻まれた術式の内容は、かなり……。読み難い。神道系の術じゃないのか? 介入術によって無力化は無理だな。


 「へっ、へし折れねえのが自慢の刀よ!」


 膂力で仰け反り奴は必死に僕の手を振り払おうとしている。後ろから飛騨山の攻撃。茨鞭か。植物を急成長させる術……。


 「なっ」


 僕は暇なもう片方の手で鞭をつかみ取る。棘は僕の手の圧力に負けて、へこみ、僕を傷つけることはない。グイっと飛騨山をこちらに引き込み、持ち上げる。その瞬間に彼の髪がうねり僕の首に纏わりつこうと広がったが、僕はそれを予見し簡単にかわす。そしてそのまま投げ飛ばし、コイツを蔵見に当てる。


 「うおおぉ?!」


 思わず蔵見は術を引っ込め、受け身を取る。


 「及第点だ。だが不合格」


 僕は指鉄砲を作って霊魂10人分を発射する構えを取る。


 「お、橘逸勢が圧されているか。凄いね」


 桑野の方で、刀を利用した近接戦闘と黒い焔の術による攻撃に橘逸勢怨霊が少々押されている。やはり拳に炎を纏わせる印か何かが入っているのか、火力によって怨霊が圧され気味……? 奴の術式にも祓魔の効能を持つ大祓詞が含まれているようだな。本来ならば霊魂操作術は神道などの悪霊退散効果を多く持つ宗教術に不利……。だが、それも強度と使いようだ。


 「うおおおおお、呪殺久遠衣壊波じゅさつくおんえこうはぁ!」


 黒い焔が桑野の手から放たれ、怨霊に襲い掛かる。

 そこへ僕は指を向け溜められた霊魂十人分の力を解き放つ。


「甘い!」


 飛騨山が蒔いた種が弾道中の地面から発芽し、魔力に吸い寄せられるかのように僕の霊魂弾に向かう。魔力探知するホーミング式ね。ならば。


 「散弾だ」


 僕が指鉄砲の形から手を広げる。霊魂弾は突如数十発の弾に拡散し各々が軌道を変えながら桑野の方へと向かう。三発分が植物に食われたが、七発、桑野へと直撃。怨霊は黒い焔に飲まれているが防御態勢で構えるのみ。


 「まだまだですよ。宇美部さん」


 飛騨山は茨の鞭を自身の腕に巻き付け、近接攻撃へと切り替える。中々筋はいい。僕はボクシングスタイルの躱しの構えに切り替える。あの茨の棘、身体に密着することで更に強化されている。当たったとしてダメージは少ないが妙な小細工があれば嫌なのでね。

 そして後ろから機会を伺っていた蔵見が僕の真後ろから再び刀を振り下ろしている。桑野は呪文を詠唱中……? なんだあの呪文は。神道術のはずだが、聞いたことがない。秘伝? だが、こいつ等は貴族家の中でも新参の家系……。まあいい。

 僕は攻撃を避けつつ、背中から倒れるようにして後ろ手に身体を支え、正面の飛騨山の足元に、浴びせ蹴りに近い蹴りを入れ、奴の体勢を崩す。僕が地面に尻をつく中、片手を真後ろの蔵見へ向け、霊魂弾を二発発射。全員の位置が手に取るように、見ずともわかる。蔵見の顎と腹に霊魂弾は命中。もう二発、やってくる飛騨山へ正中線……。胸と喉。命中。飛騨山は衝撃で身じろぐ。桑野は……。


 「呪殺大兄剣じゅさつおおえのつるぎ!!」


 刀身を撫で、黒い焔を纏わせて、桑野はこちらへ……。疾いな。怨霊は黒い焔にまだ包まれている。ならば。


 「!?」



 ――桑野永くわの えい――

 宇美部が消えた! 俺の邪眼から! 


 「チェックだ」


 3発……。頸椎、背中、腰、三発、食らった! どういうことだ……。速い!? 俺が見失うだと……?


 「中々やるようだが、まだまだだね……」



 ――宇美部来希――

 蔵見がフラフラと起き上がり、刀を両手で構えながらこちらへゆっくりと近づいてくる。


 「クラァ! マダマダヤッテやんよぉ! 男、蔵見和真ぁ、ここで負けるわけがねぇ!」


 予想通りのタフさ。他の連中は……。機会を伺うと同時に回復。ケンに回る方針かな。


 「肉弾戦はそっちの方が、部が悪」


 「オラァ!」


 バット振りで奴は切りつけてくる。僕は当たる前に上段蹴りを奴のこめかみに叩き付けながら肘で刀身を上から押し付ける。

 ……地下……。三メートル程度。飛騨山が地下に植物を通し、僕の足をからめ捕ろうとしているのがわかる。それくらいなら感知範囲。悪いが地下には悪い思い出があってね。敏感なんだ。僕は振り上げた足を下に振り下ろし地面を叩き割る。魔力によって変形した異形の植物が地表へとまろび出る。次は桑野! 流血を零しながらこちらへ風を切り瓦礫の合間を縫って最短距離で詰めてきた。黒い焔が僕を包む。魔術的結合から生成されたこの黒の焔は重さを持つ熱。こちらの魔力を食らい燃焼していく。


 『術式解放:橘逸勢怨霊』


 僕が焔に飲まれる中で指を鳴らす。僕の後ろに橘逸勢怨霊が現れ、僕に掛かる焔を除き、僕の動きへ同期する。外部魔力源にして行動拡張。時限式だが。

 刀による攻撃は怨霊の腕で受け止め、僕は霊魂を惜しみなく乗せたジャブを撃ちまくる。重さは霊魂によって担保される。僕はただ速く、疾く、拳を打ち込むだけでいい。四つの腕による攻防一体の早業の中で何とか食らいつく桑野だったが僕の右脚の蹴りにより体勢を崩し、額に怨霊の一撃を食らった桑野は地面に直下した。


 「……オイオイ、参ったって言ってくれなきゃ……。やりすぎちゃったじゃん」


 倒れた三人はむくりと起き上がる。相当固かった。流石は祓魔部ウチの上位層と言ったところか。


 「くっそぅ……。こんなにも……。遠いのか」


 「宇美部さん、ありがとうございました……。正直僕たちは三人同時なら宇美部さんの本気を引き出せると思っていたんです」


 僕は怨霊を帰還させ、服の埃を払った。


 「それはそれは……。まあいい運動にはなったよ」


 瓦礫の中に落ちた桑野に手を貸す。


 「くっ……。負けだ」


 「後に残る怪我しねえように、クソッ、気遣いやがって……」


 「はは、皆一応僕の部下なんだからそりゃそうさ。ま、君たちも魔界の一級術師くらいはあるから、見込みアリだね。また誘ってくれ。最近はフラストレーションが溜まりやすくてね……」


 「総務部の北島さんが僕たちに宇美部さんが手合わせしてくれるかもって教えてくれたんですよ」


 飛騨山が藪から棒にそう言った。


 「北島……。君たち彼女と仲がいいのかい」


 「ああまあ、サークルみたいなものがあるんですよ。神祇寮の中で、それで」


 「……聞いたことないな」


 「公開されたモノではないんです。僕たちもその詳細全ては知らないんですが。総務とか保管とか、部署をまたいだ交流ができるんで、招待された人は大抵入っていますよ」


 性質上、魔界の住民、かつ、旧華族出身者の多い職場。当然そう言ったサークル活動と言うのも増える……。という事か。仕事人間の家に生まれるとそういうものにも疎くなってしまう。


 「そうか……。北島さんに僕も聞いてみるか……」


 「……演習場の瓦礫の片づけはどうするんだ?」


 「ああ、君たちは任務に戻って行ってくれ、片づけは全部僕がやっておくよ。手数は多いからね」


 既に十人分の霊魂が作業にかかっている。


 「あ、おい、もう移動の時間近いぞ」


 「ちッ……。これは借りだな」


 「宇美部さんありがとうございます。また僕たち手合わせお願いすると思うので、これからもよろしくお願いします」


 「ああ、いってらっしゃい」


 三人組は上階への扉へ入っていく、白熱灯の光が温かかった。



――



 ――〇――

 2022年3月14日13時24分、ヴァチカン市国、サン・ピエトロ・メンシス(聖ペテロの月)にて。


 「……神父アレッサンドロ・アンドレアよ。私に何用かな?」


 大司教はその地位を示す赤紫の帯を纏ったキャソック姿に、特異な黒いカロッタを被っている。皮張りの古めかしい聖書を抱え、目の前につくばう神父に目を落としている。彼の瞳は深い緑色に輝き、大司教にしては若く艶のある白い肌が蝋燭の光に反射している。


 「……大司教シモーネ・デ・メディチ……。此度、我々『訓戒第一機動部隊』が仰せつかった『日本魔界府からの【聖遺物】奪還作戦』の任務について、明らかにしておきたい点があり、伺った次第であります……」


 「……そう改まりすぎないでくれ、神父アレッサンドロ。今の時代、神父と司教、信徒と聖職者、そこには身分の差もなければ、主の愛の差もない」


 「それは重々に……ですがわたくしはこれに慣れております故……」


 「……フム……ならば仕方あるまい……。して、今回の任務についてだが……。如何様な質問があるのかな?」


 「……【聖遺物】……。主の与えたもうた奇跡のしるし、そのもの……。それがあの日本魔界府の……。【僧金剛破戒居士】の孤児院、その孤児の中にあると言うことが、真に確証あることだという納得。それをわたくしは、求めているのです」


 大司教は皮張りの聖書を撫で、神父に目を落とし続け言う。


 「……確証はある。【四江奈里奈】は日本のカトリック信者の元に生まれ、生まれながらにその手に【聖痕(スティグマ)】が確認されている。それは彼女の『覚醒』により鮮血が流れ出す奇跡の賜物だ。これだけでも聖人認定の第一条件は満たしている。また、言葉を覚えたころには『預言』と『幻視』が確認されていることも教会資料にて確認できる。記録映像まである。些か疑りすぎではとも思うがな……。【聖遺物】に関しての証拠は……。こちらに来たまえ」


 大司教は神父を引き連れ、自室へと向かった。燭台の蝋燭と天井の青のステンドグラスの光が射す廊下を行き、扉を開く。


 「これだ。この写真」



 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 大司教が示した写真には少女の掌の聖痕、そして背に示された法力(魔力)によって描かれた【ベツレヘムの星(六芒星)】……。レントゲン写真で示された、子供の体内にある法力を帯びた【聖釘】……。見る者が観ればわかる……。主の恩寵を示すしるしだ。


 「聖釘に関しては外科手術の痕跡はない。自然発生だ。ベツレヘムの星、聖痕に関しても同じ……。彼女は魔界に居てはならないのだ。我々カトリック世界に元より生き、あった者だ。『さらばカイザルのものはカイザルに、神の物は神に納めよ』取り戻し、主の意志のままに在るべき姿に戻さねばならない。殊にあの無神論者の下に、神の恩寵物を置くのは危険極まりない」


 ……それが、主の意志ならば……。


 「Āmên《アーメーン》、そうあるのならば、そのように……」


 大司教は爽やかに笑う。


 「ああ、Āmên《アーメーン》」



 ――〇――

 地下の冷たい空気の中、神父は大司教の部屋を後にして、自らの寮へと戻る。自身の中にある予見めいた違和感に胸中を苛立たせながら……。




――



『吾知る汝は一切の事をなすを得たまふ、また如何なる意志にても成す能はざる無し 無知をもて道を蔽ふ者は誰ぞや斯く我は自ら了解ざる事を言ひ、自ら知らざる測り難き事を述べたり 請ふ聴き給へ、我言ふところあらん、我なんぢに問まつらん、我に答へ給へ われ汝の事を耳にて聞きゐたりしが今は目をもて汝を見たてまつる 是をもて我みづから恨み、塵灰の中にて悔ゆ』旧約聖書 ヨブ記 四十二章 二節から六節終わり、より


 ――アレッサンドロ――

 全知全能たる神の意志は我等に知ることは不可能。この世の悪も善も主は平等に愛し、平等に裁く。運命という主の糸車の糸は、全てが主の意志によって巡り続ける。俺はその中の一本に過ぎない。主の聖名に於いて動く俺であろうと、主の聖名を知り得ぬものであろうと。

 俺はただの一本の糸、主の紡がれる世界という絹の構成物として、ただただ伏して祈り、ただただ、責務を果たす。そこに疑念を抱いてはならない。抱いては、ならない。思ってはならない。



――



 ――〇――

 2022年3月17日12時00分、日本魔界府府庁秘匿一課事務室にて。


 「よし……。お、もう昼か……」


 ――鳥羽或人――

 丁度お昼になり、昼休憩として朝、金剛さんに貰った弁当を食べようと鞄を開いた。

 その時、突然建物内でサイレンの音が鳴り響いた。


 『緊急警報、緊急警報、高魔力反応検知。魔力強度メガトン級の高魔力反応を検知、警備課は臨戦態勢へ移行してください』


 事務室の外が騒がしくなる。僕は初めてのことに驚いて、咄嗟に課長の方を見た。


 「……出るぞ」


 課長はマグカップを置き、弁当をしまって、帽子を被った。僕も弁当をしまって、扉を出る課長の後に続いた。今日は森さんと琉鳥栖さん、春沙さんが任務に出ている。有馬さんは相変わらず、出勤はまだだ。賀茂さんは、お昼は下の街でいつもすませているようだ、金剛さんはお昼休憩はいつも孤児院に顔を出しているようで今日も……。意外とこの事務所でお昼を食べる人は少なく、いつも課長と二人になっている。

 廊下は警備課のスーツに刀を差した職員の方々が走っていた。課長はそこまで焦る素振りはなく、階段の方へ行き、そのまま二階まで、階段を上った。確か二階には魔力観測局だったか……。そんなような名前の部署があったと思う。

 二階は大部分が事務スペースになっているようで仕切りは少なく、デスクが多く並んでいた。多くの人がせわしなく行き交っていたが、課長を見ると事務員の一人が、慌てて走り去り、誰かを連れてきた。


 「ああ、よかった、呼び出すところだったんです」


 汗を拭いながらスーツに身を包んだ職員……。刀の携帯はない……。その人が話す。


 「黄泉区の東端の孤児院で魔力観測です。あそこは複雑な結界が張られてるようなんですがそれも破られているようで……。ウチの観測役の報告で『聖書』術式の要素が確認されています。『特別指定』かもしれません。メガトン級強度の魔術を扱う相手じゃ、警備課を向かわせるのはかえって……」


 「……孤児院……。恐らくウチの職員の一人がそこに既に向かっている。他の職員も向かわせるが陽動の可能性も考慮し、警備課には全体の監視を強化するよう言ってくれ……。おい、或人」


 「あ、はいっ」


 「金剛から魔力操作については習っているな」


 「え、あ、はい」


 「では現場に向かう、お前なら大抵の魔術は魔力操作で対処できる。有穂の術式破壊は見ているだろう?」


 「はい。金剛さんからも一度実戦させてもらいました……。とにかく無理矢理魔力で押しつぶすだけでしたけれど……」


 「それができるのは今この魔界ではお前ぐらいだ。とにかく急ぐぞ」


 そう言うと課長は僕を持ち上げて、窓を開き、外へ飛び出した。すごいスピードで課長は空中を駆ける。始めて見る魔術結合が課長の足の方に見える。どのような術なのか。府庁の建物が高台にあるのも相まって僕たちは魔界府の市内を見渡せるほどに高い場所を駆けている。空中を走る自動車よりもずっと高い。東の方の森、そこで煙が出ている。


 「複数人居るな……。有馬、金剛が対処している。或人、投げるぞ」


 「え? 投げるって……」


 課長は僕を片手でひょいとつかみあげると、大きく振りかぶって僕を空中からその現場へ投げ飛ばした。

 

 『スパァン!』


 ちょっとした衝撃波が出た気がする。僕は前に金剛さんから教わった魔力の防護で全身を守りながら凄まじい風圧の中で空気を押し切りながら地面に着地した。不思議といつ着地姿勢を取ればよいかが事前にわかる……。無茶というのはやれば慣れていくものなのかもしれない。


 『ストッ』


 魔力による衝撃の吸収により僕は安全かつ非常に消音で着地した。


 「うぉおお!? 鳥羽か」


 「丁度良い。鳥羽殿、拙僧の動きをよく見ておけ、貴殿ならもう、適応できよう」


 着地して直ぐの僕は状況が呑み込めないが、有馬さんと金剛さんが臨戦態勢で僕の後ろに対峙していることがわかる。

 僕は後ろを振り向く。ここは、演習場の広場、12人の神父のような恰好をして、本や武器を抱えた人々が立っている。二月、ここに来るときに見た人たちにそっくりだ。その奥には一人の少女が眠りながら抱えられている……。里奈ちゃんか!

 金剛さんが相手の間合いなど気にせずズカズカと彼らの元に歩いてゆく、手を広げいつでもかかってこいと言いたげな風に。12人の内、里奈ちゃんを抱えた人と他五人が逃げ去る。その他の、正面に立つ3名以外の神父たちはその姿に気圧され、少し後ろにたじろいでしまう。

 フッ……。と突然、正面中央に立っていた金髪のサングラスをした中年の神父が消えた。いや、動いたのだ。地面を蹴り出した初速が僕の目には追えなかった。金剛さんは攻撃を食らったようで衝撃により顔を少し上げた、顎に攻撃を食らったようだ。だが彼の顔は普段と同じ笑みが浮かび、しっかりと攻撃者をその目で追っている。その次の瞬間、神父が金剛さんの前で顎に左からの強烈なアッパーを食らった像が映る。

 金剛さんは更に次の瞬間には右頬に小さな切り傷が、だが次の瞬間には神父が右の胸にストレートを食らっている姿が、パラパラ漫画のように互いの攻撃を食らった瞬間だけが僕の目に飛び込んでくる。

 だがゆっくりと僕はその状況に対応するかのようにその間で起きることが理解されて行く。金剛さんは神父の右手にある奇妙なナイフで斬られる攻撃を、軌道を読むことで、上体を少し動かして避け、それに連動して右足を振り上げる事で、相手の脇腹へ蹴りかかる、そのまま足を蹴り込んで相手を倒すつもりらしい、だが神父の方は左腕に逆手で持たれた同じナイフで金剛さんの支えになる左足を狙う。金剛さんは予定を変更し右足を蹴り上げたのち、後ろに体の重心を移動してヘッドブリッジを行う、これにより足を蹴り上げたところから更に上げ、左足もそれに応じて上げる。この人は首で自分の体重を支えられるというのか。両手では二手による与願印の後合掌が結ばれており、神父に向けてその瞬間に魔力の縄が発射された。


 ――金剛破戒居士――

 『オン・アモキャ・ビジャヤ・ウン・ハッタ』 不空羂索観音アモーガパーシャ


 ――鳥羽或人――

 神父は縄を回避するために跳躍、宙返りのような姿勢を取り、回転時に金剛さんの身体へ向け刃をたてた。

 僕は予見と感知の総合的な判断からこれらの動きを読み取り、神父が回転し刃を立てた瞬間に横から最大出力の『力学操作術』による魔力の放出を行った。回転中の神父は動きを見切られたことを悟り、攻撃の姿勢から腕による防御姿勢を空中で行う。森を消し飛ばす勢いのレーザー砲のような攻撃が彼を襲う。

 金剛さんが脚を地面に置いた瞬間、僕は彼が正面の敵に向かおうとしていることを悟り、術を解く。あの神父は少しの火傷でダメージを受けながらもまだまだ動けるようだった。僕が止めるか。……有馬さんは他の神父に攻撃を仕掛けている。


 『幸福なるかな、貧しき者よ、神の国は汝らの有なり。』


 何語かわからない呪文が神父たちから発せられるのが聞こえた。横目に見ると五名の神父がこちらに向かっている。金剛さんが飛んできてその五名の一人にドロップキックを放ち、その人を支えにしたようにふわりと隣の人へ、みぞおちに乗り、そのまま地面に叩き付ける。


 ――金剛破戒居士――

 魔術的結合の確認はできない。先程の聖句は最も汎用性の高い一句。結界術、護符、祝福、回復奇蹟、全てあり得るが……。ブラフか? 複数人で? ! アレッサンドロ神父、動くか……!


 ――鳥羽或人――

 僕は今前で吹き飛ばした神父の方から悪寒を感じ、そちらを向く。彼は笑みを浮かべて幾千枚の紙を辺りに撒いていた。結界? ならば焼き切る用意を……。


 『我すでに世に勝てり』


 ピタッと紙が空中に静止する。それは轍の様に続き、僕と金剛さんの間を塞いでいる。これは。魔術的結合。だが結界じゃない!

 神父は僕目掛けてその紙の壁に垂直に駆けてくる。なぜわざわざ壁を歩く? 一体何が狙いだ? 結界ではない。壊したところで……。マズい、術への集中の方が……。

 金剛破戒居士:聖書術による介入が難しい壁、魔術的結合の言語は古代ギリシャ語に統一されており、付け入るスキは少ない……。流石だな、だが問題ない。

 僕の目の前で神父はその奇妙な形状のナイフを振り上げる。すると後ろで紙の壁が吹き飛びそこから金剛さんが現れ、歩いてくる。魔術的結合のぴったりとした連なりは金剛さんの手でバラバラに分解されている。あれが介入術か……。地面からは幾つもの棘が生え、歩くたびに金剛さんの足を傷つけるが、お構いなしに笑みを浮かべながら駆け寄り、僕の腕を切りつけた神父の腰をホールドした。


 「辺獄リンボでも見てきなされ」


 「悪いがもう見飽きた」


 神父は不敵に笑う。そのまま金剛さんはジャーマン・スープレックスにより神父の頭部を地面に叩き付けクレーターを作り、周囲を破壊しつつ埋め込む。だが、神父は負けじと金剛さんの背や腕にナイフを突き刺していた。金剛さんの技が決まる一瞬前、壁となっていた紙が彼の歩いた部分から金剛さんの身体へ纏わりつき、一気に彼を覆った。

 ――金剛破戒居士――

 奴め、事前に触れていた場所のみの結合を器用に書き換えておったな。くくく。愉悦愉悦。


 ――鳥羽或人――

 後ろ、右、上! 僕はその壁が開かれた瞬間に気配を察知した。三方向から三人の神父たちが攻撃を仕掛けてきている。後ろと右の神父のスピードとパワーは対処可能、上の人は回避可能。僕は後ろと右から振られるナイフを両手で弾くことでいなし、上から振り下ろされるナイフをすんでで避け――られない! 空中で軌道を変えた?! その神父は空中で胴を振り、ぐるりとナイフを僕の左腕に切りつけた。魔力をナイフ弾きのため両手の先に集中していたことが災いして僕の腕には切り傷ができた。彼はまだ攻撃を続ける気か。


 「オラ、食らえ、ボケ!」


 「!? ッ、何ぃッ」


 横から鎖が飛んできて、その神父の頭上に鎖の端が到達すると彼は意味が分からないというふうに戸惑い、その隙に鎖に絡めとられる。凄まじい魔力が彼の頭上で一瞬発生したようだが、一体どんな術か一見では分からなかった。

 他二人も鎖によって絡めとられ、右方向、有馬さんの方へ引き寄せられる。

 金剛さんは。

 彼は紙に書きこまれている強い魔力による呪縛に介入し、しなだれた紙をバリバリと引き裂いている。その間にあの強力な神父は地面を割って地下を進み、金剛さんの手を逃れ、有馬さんの方へと逃れた。

 次のターゲットは有馬さんか? 

 見ると有馬さんは既に他三人の神父と戦っており、二名を鎖で拘束している。発砲の音も聞こえる……。さっき捕らえた一人は脱出したのか?


 「有馬さん、後ろだ!」


 金剛さんと互角だった神父は有馬さんに向かいながらナイフを、どこから出したのか何本もふり投げる。有馬さんは二本の鎖でそれを叩き落とす、他の神父三名による連携突撃に有馬さんが回避のため木に引っ掛けた鎖を引き跳躍をした。瞬間、そのことを知っていたかのように先程の神父は有馬さんの向かう方向へと既に跳躍していた。有馬さんは今、直接攻撃には無防備になっている、これはマズい! 僕がここから狙い撃つか? 否、間に合わない!

 神父は有馬さんの腹に重い一撃を入れ、間髪入れず頸椎に上から蹴りを入れる。だが、ダメージと衝撃は鎖で縛られた二名の神父へ。それでもなお神父の連打は続く。あのスピードでの連打。おまけに他の神父による銃弾を避けなければならない。僕は援護として有馬さんへ銃撃する神父へレーザーを当てる。やはり素早い、決定打にならない! 有馬さんは正確にダメージを流しきれず、徐々に彼へのダメージが蓄積している。彼自身の魔力量が底を尽き、このままではダメージを逃がしきれない。


 「『十字架につけよ、十字架に付けよ』」


 振り返ると、金剛さんが嬉しそうにそう語りながら、大地を蹴り、裂き、瓦礫に魔力を纏わせて吹き飛ばし、神父たちへ面での攻撃を行う。一発一発が榴弾のようなそれは三名の神父たちには直撃し、彼らに重い傷を負わせた。有馬さんを狙った神父は怒りの形相でナイフを投げると同時に呪文を発する。


 『イスラエルの幼かりしとき我これを愛しぬ我わが子をエジプトより呼びいだしたり』


 またあの紙が現れ、今度は彼を含んだ四人の神父を包み、その礫を防いだ。

次の瞬間。紙がパラりと、風に吹かれ、去ると、もう既にそこには誰もいなかった。敵が去った?


 「有馬さん!」


 僕が彼に駆け寄ると有馬さんは口から流れる血を拭って。


 「早く行け、あいつが攫われてるんだ。追え。俺は大丈夫だ」

と言う。金剛さんが有馬さんに札を投げる。


 「簡易回復護符である。鳥羽殿、行こう」


 そう言ってそのまま奴の痕跡である紙と魔術的結合追っていく。僕も金剛さんについていく。


 「……。はぁ……。もっと鍛えるか……」



 「――あれはどういう人たちなんですか」


 僕は森の中を走りながら、金剛さんに聞く。


 「フム……。『訓戒』。所謂エクソシストと呼ばれる存在だ。我々魔術師と戦う存在、相容れない存在と言ったところか。恐らくは『隠者の薔薇』以上に……。特に拙僧は全世界の宗教系団体から指名手配されているからな」


 相変わらずこういう話になると、この人からは何か突飛な出来事ばかり飛び出してくる。普段の言動は尊敬できる人だが、やっぱりとても危険な人なのではないかと思えてしまう。


 「ま、拙僧も若い頃は無茶をしたものよ。今はちょっと挑発する程度に留めておる」


 やっぱりよくない大人だ。


 「……あ、あの、なんで里奈ちゃんが」


 「む、ああ、彼女は拙僧が半ば攫ったようなものだからな。取り返しに来たのだろう」


 「ええ、それじゃあ」


 「拙僧としては彼らの言い分も分からんでもないが、あの親の元に戻すのは不健全極まりない。彼らの『上』の目的も恐らくはあの親たちと変わらぬ……。いや、もっと酷いものだろう……」


 金剛さんに一抹の殺気が感じられた。それは純粋な怒りからくるもので、その怒りは明らかに彼自身のためのもではなく、里奈ちゃんのためのものだった。


 「!」


 森の奥、結界の端に到達した僕たちは、森の茂みの中に隠れた洞穴を見つける。入り口は人一人が入れる程度だが、中は広いようだ。


 「急ごう」


 金剛さんはそう言って穴へ入っていく。僕もそれに続いて地下へと入る。しばらく進むとトンネルの様にしっかりと開けた道に出る。ご丁寧にランタンが吊り下げられ、灯りが確保されている。


 「さあ行こう。もしかすると境界結界の『孔』が開かれているやもしれん」


 湿った空気の中、トンネルを歩く音だけがこだまする中で、僕たちは結界を見た。バリアのような半透明の壁、複雑な魔術的結合によって構築されているそれには人一人分の『孔』が開いていた。


 「魔界を構築する境界結界は自然発生の物に一部手を加える形で成立している。故にそれに傷をつけるには途方もない魔力が必要不可欠……。それを秘密の内に行うのは通常の人間業ではない……。『サピエンティア・オクリースのピラミッド』、『ソロモンの鍵』、『サムディ男爵の杖』、『輝く死者の結晶』……。とにかく製造の困難な呪物を利用した可能性が高いな」


 金剛さんはさっさとそこを通り抜けていく、僕は通り過ぎる前にちょっとその半透明の壁に触れた、魔力の反発でちょっと静電気のようなものが起き、痛かった。近くで見ただけでも強大な魔力で、作られたそれは、今まで見たどの術よりも強いような気がした。



――



 ――〇――

 2022年3月17日12時15分、滋賀県高島市朽木大野方面にて。


 「全員出たな」

 アレッサンドロ・アンドレア神父は残った部隊の人数を確認すると洞穴に渡らせている魔術的結合に触れ、自らの手で『介入』を行い、文章に終始の句を挟み、術式の効力を無力化した。それに呼応して連鎖的に洞穴の壁は崩落し、道は無くなった。


 「さあ、早く行くぞ。合流地点ランデブー・ポイントは比叡山の山中だったな」


 「はい……。しかし……アレッサンドロ神父、この仕事は……」


 少女を抱える若い神父が言葉を濁しながらそう言った。白髪の神父が彼を睨む。発言した若い部隊員の頬にその神父の拳銃が向けられる。


 「任務は絶対だ、次に疑念を呈さば、貴様を殺す」


 老人はそう言うと撃鉄を引く。アレッサンドロ神父は静止する。


 「任務を遅れさせるな。脱出には一刻を争う。粛清の審判は任務後だ、アマデーオ神父」


 彼はそう語ったのち、四江奈里奈を抱える神父の元へ近づく。


 「傷つけるなよ、我らの本懐を忘れるな。万全の状態で主の導きの元に子を帰すのだ……。行くぞ」


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 そうだ……。彼女は主のもの。奴らは魔のもの。我らは魔に奪われたものを元に戻すのみ……。あの無神論者の冒涜者が行った罪、その被害者を救う者なのだ……。あの孤児院の子らには傷はないはずだ。一人の教師も深手ではない。魔界のものは迷い子のなれ果て、反抗すれば我らは容赦しない……。それが我等、それが私。ただその旨に則り、ただそれに従う、主の鉄槌なのだ……。


 ――〇――

 彼らは里奈を抱える神父を中心に周囲を防護する形で陣形を組んで走り出した。全員が幻術に対抗するために祝福が付与された眼鏡やサングラスを着用し、周囲の魔力事象に気を張らせ、隠匿された魔術的結合に対抗するために周囲を確認している。そのため最高速の移動ではないようだ。一般世俗人からの目を隠すために自身らにも隠匿護符を張り、慎重に進軍している。景色は野から山中へと移り、林の中を野生の鹿よりも早く、木々の間をすり抜け、若干浮くことにより足跡も足音もほとんどなく、山を一直線に抜けて行く。


 「……? だ、だれ?」


 「! マズい、起きたか」


 少女は恐怖と緊張から静止している。神父たちは進軍を止めず抱えた神父が対応する。


 「四江奈里奈さん。大丈夫ですよ。私たちは君のお父さんとお母さんに頼まれて来た神父です。君をご両親のもとにお迎えするために来たのです」


 少女の震えは止まることはない。猜疑と恐怖の目が神父たちに向けられている。彼女は恐怖から何かを語ることもなく、暴れることもない。


 「や、山岸先生は? 怪我してた……」


 「それも大丈夫です。安心して。それよりも、ご両親が待ってますよ」


 声色を務めて柔らかに、彼らは微笑みかける。言葉の中に嘘は混ぜない。それは彼らの中にある善良性がそうさせるのか、彼らの教義がそうさせるのか。


 「……お父さんと、お母さんが……。待ってるんですか」


 「ええ、もちろん。あなたがいなくなってからご両親は悲しんでいたんですよ」


 「……」


 少女は先程よりも困惑の色を強めた。心配している風でもある。


 「何か、気になることがあるのですか? ご両親のことは私たちがよく知っています。どれだけ心配していたかも、聴いていますよ」


 「本当?」


 心配そうにそう訊く。


 「本当ですとも……。何か、聴きたいことはありませんか?」


 「お父さんとお母さんは怒って、いませんか」


 「それは……怒っていませんとも……」


 少女は安心した様子を見せた。


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 ……。任務は変わらない。任務の目的も、我々には関係ない。我々はただ伏して、主に付き従う事だけを……。


 「お祈りを忘れた罰を……。ちゃんと自分でもしようとしたんだけど……。院長先生が止めて……」


 ぽつりぽつりと少女は……。自らの罪を告白していっている。……告白か。


 「アレッサンドロ神父……」


 少女を抱える若いヨセフ神父がこちらを見る。罪……。これが罪なのか?


 「嘘はついてません。でも、お父さんとお母さんがどれを嘘というかわからないから……」


 罪……。違う、罪は聖書によるものではない。罪は人が決める事でもない。罪は主が決められる。


 「大丈夫ですよ。きっとご両親は怒りません。怒っていませんから……」


 「でも……。前は……。私が悪い人間だからって罰を……」


 焦るように、少女が語っている。焦るように……。遥か昔に私が保護した子供たちの様に。忘れようと思っていた子供たちの顔……。不安な顔をしたリナルディ……。フランチェスコ……。エンマ……。ソフィア……。私は……。


 「……その罰と言うのは……」


 「ひざまずいて……。それから」


 「もういい」


 もういい。それ以上訊く必要はない。私はもう、救うべきものも救えない。いや、救われた者を毀損することしかできない。主の思召すこと……。こんなことが? こんなことを? 『子打つべからず』など聖句のどこにもない。いやそれが本質ではない。この任務の果てに主の世界が、主の救いが、そこにあるのか? 考える必要などない。目の前のものを見る必要はない。思考を止めろ、目を潰せ、俺は武器だ。ただの武器だ。主の振り下ろす武器なのだ。主の思召すところなど俺達にはわからない。わかることはない。俺達は……! 上から!


 「上方から巨大魔力、防御陣形!」


 上空には青白い光が見える。かなり遠い……。攻撃……? 奴ら遂になりふり構わず……。ちがう!


 「わっはっはっはっは! 迎えに来たぞ!」


 金剛破戒居士! レーザー放射に乗って来たというのか……。


 「全員戦闘態勢!」


 『これらの日の患難ののち直ちに日は暗く、月は光を放たず、星は空より隕ち、天の万象、ふるひ動かん。』マタイ伝福音書24章29節。


 聖書一枚一枚が我々の周囲に展開し、力を得る。主の祝福による法力、聖句の神秘、これにより我らは奇蹟を拝領し、ここに顕す。

 拳銃を持つ隊士たちが祝福済みの純銀弾を撃ち込む。


 「ぬうぅン! 拙僧まるで人間火力発電所なれば! はっは!」


 奴はそう言いながら回転を自らに加えドリルのような要領で笑い声をあげて突撃してくる。元より効きの悪い銃弾がまるで効かず回転に弾かれて行く。とんでもない奴め……。くくく。


 「引き付ける! 行け!」


 俺は奴に向かい聖書と共に奴を空中で迎え撃つ。


 『念・波・妙・法・力・環・著・於・本・人』


 高速回転しながら、指で空中を文字を書くように切る動作を見せ奴は呪文を放った。


 ――金剛破戒居士――

 『九字十字法・御罰切断術』


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 回転の渦の中から無数の斬撃が飛び去り、器用にも隊士たちを追い、襲ってゆく。俺の操作する聖書が幾つかの斬撃を受け止めたが、威力が調整されている分、奇妙にも、防げば増える効果を持つ斬撃になっている。その代わり、防がれた際には奴にも同等の斬撃が返る効果があるようだ。つまり通常ならば奴は斬撃が増えるほど不利になる。だが奴は嬉々として斬撃を増やし続ける。魔術的結合が奴にどんどんと斬撃を返し奴は回転の中でみるみる内に傷ついていく。隊士たちは『輸送役』を庇い、あるいは避けるのに失敗して次々に深い傷を負う。狙いは精確無比。護送対象は全く無傷。

 俺は奴の傷に態々銃剣バヨネットをあてがい、渾身の攻撃をくらわす。


 「当たらんなぁあ……?」


 俺の攻撃は奴の皮膚に触れる前に防がれる。神聖術への防護祝福!? 俺の銃剣バヨネットにある『中枢教カトリック』の……。『主による祝福』と同質の術……。反転形式が使われている!?


「貴様らの手の内はほとんど知っている。それにな……。迷えるものの攻撃など、拙僧には当たらんのだよ!」


 奴はドリルの様に回転を続けつつ、拳を俺の方に向け顔面を殴りつける。俺の武器は奴に当たらない……。奴は俺達の教えに介入するどころか、全てをモノにし、俺達にできないことをしてのける……。俺達の教え……。俺達の教え? ……。違う、違う、違う! 違う!


 「主の教えだ!」


 主の御子と父なる主の教えだ! 俺達のものになったことなどただの一度たりともない! 俺達が主の教えをモノにすることも、奴が、奴原がモノにすることも、決してない! ヨブ記の記す通り主なる大いなるものの計画は我々に知ることは不可能! だからこそ我らが知れるのはただ在ることのみ、ただ在るのみ、ただそう在るのみ、ただ然るのみ(Āmên)! Āmên! Āmên!


 俺は銃剣を捨て、拳で奴の顔を殴りつけた。奴の後ろを押すレーザーはもう消えている。回転も止まっている。


 「貴様を刺し殺せねぇんなら、殴り殺してやるまでだ……」


 「はっはっは! いい感じだ、凄くいい感じた!」


 奴と俺は互いに互いの顔を打たせ、殴りつけ合い落下していった。俺の蹴りが奴の体躯を後方に吹き飛ばし。俺の設置した聖書に触れる。


 「聖職者がピンボールとは、貴殿も案外、遊んでるじゃないか!」


 奴は俺の聖書に触れたことで『神罰の雷』を食らう。そして、奴の身体はそのまま吹き飛ばされ、次に設置されている聖書へ、空中を奴の身体が廻り、法力が切れるまで、聖書断片に触れ、雷を食らい、衝撃により別の聖書断片へと吹き飛ばされ続ける仕組みだ。だが奴は二度ほど雷を食らった後、衝撃で飛ぶ軌道を無理矢理変更しこちらに飛び掛かって来た。そうでなくては!

 俺は空中に浮かぶ20枚の聖書の断片で俺の周囲を囲う。


 「有刺鉄線デスマッチか! ワッハッハ、凄くいいぞ、素敵だ!」


 小さな火傷を全身に負った金剛がそう言いながらドロップキックを俺の頭目掛けて仕掛ける。


 「死ぬまでやろうか、冒涜者」



――



 ――鳥羽或人――

 僕は金剛さんの言った通り、里奈ちゃんを抱えている神父の方へと向かう……。突然崩落した洞穴を、僕を引っ張りながら泳ぐように地中を進んだ金剛さんだったが、地上に出た瞬間、里奈ちゃんの位置を察知し、僕を抱えて飛び上がった……。どうやら里奈ちゃんの魔力はある種の特別な『波長』があるようで、僕も今はそれを感知している。有穂さんや賀茂さん……。そしてあの『栄光のジュン』に感じた強大な魔力の中にある『特殊な波長』それは僕のものと似ているというが……。

 とにかく僕は習いたてで効率の悪く、とんでもない出力で運用している『空中浮遊術』で里奈ちゃんの波長を追っている。いったい今時速百何キロなのか分からない。

……さっき金剛さんを僕の術で吹き飛ばしたのは、大丈夫だったのだろうか? 金剛さんの事だから無事ではあるだろうが、そのまま敵陣に突っ込んでいくのは、確かに空中浮遊よりもずっと早いが……。いや、今はとにかく探すのに集中しよう。


 下には山が広がっている。今まで見てきた山とは雰囲気が少し……。これは……。魔術的結合! 結界か? もしや『比叡山』に入ったという事か。確かに歴史的にも魔術の力や自然の結界が生まれてもおかしくない場所だ。ここには特殊な……。『緩やかな結界』があるという事か……。だが、周囲を見てみると。なるほど、この結界を利用して人為的にさらに強力な結界を創り出している地点もちらほら見れる。ああいった結界に入られると『感知』では追えなくなるのは以前宇美部さんが言っていた。まだ追えている間に……。目視で確認……。あそこだ! 山間の小さな影、隊伍は既に5名。僕に……。倒せるか? いや、僕がやらなきゃならない、じゃないと里奈ちゃんが!


 「うおおおお!」


 僕は後ろに向け『力学操作術』のレーザーを放ち僕自身の身体を押した。空中浮遊術の出力をはるかに超えた瞬間出力と、慣れた術の効率により、僕は金剛さんを撃ち出したときの如く、空を切り裂き、神父たちの元へと体当たりの特攻を仕掛けた。前に出た三人の神父たちは明らかに防御力不足、ここで強い破壊が起きれば被害が大きすぎて里奈ちゃんも危ない。だが……。今の僕は今までとは違う。さっきと同じだ、僕は体外の魔力の波長を反転させ、奴らと衝突する前から減速と衝撃の吸収を行う。奴らの防御力を、奴らを壊さない程度に上回る……。だいたい、このくらい、いつもの攻撃の二十分の一の力……。


 「うぉ!」


 三人の神父たちは肉体の形を保ち、裂傷などない状態で後ろに吹き飛んで、地面にたたきつけられた……。良かった。殺してはいない。


 「小僧、調子に乗るな」


 老神父が僕の瞳目掛けて寸分狂わない銃撃を二発仕掛けてきた、殺気がなく、予知も難しい。銃撃と同時に素早い走りでこちらに向かっている。

瞳に弾丸が当たり弾ける瞬間、僕の右手に奴の手が触れた感触がした。ただ触れただけ。その前の予備動作は見えなかった。奴は僕の後ろに移動している。僕はすぐさま奴の方を向いたが、その瞬間に自身の右手の違和感に気づいた。

右手が、痩せている?


 「お若いの、諦めな。主の奇跡は何も、癒すのみではない……。逆転させることもまた可能。それは貴様が良く知っておろう……」


 枯れるように僕の右腕が痩せてゆく。酸によって溶ける様な苦痛が感じられてくる。複数の病気や毒に一気に侵されているような。


 「左腕、右足、左足。負けを認め逃げるのは許すぞ、さもなくば瘴気により死するのみ……。賢明な判」


 僕は迷わず左腕で殴りつけた。なんとか奴の反応速度よりも速く動ける、金剛さんの動きに順応しかけているのだ。だが奴も右腕で何とか僕の腕を掴もうとする。僕は奴の無防備な右ひじに蹴りを仕掛ける……。痛っ! 奴の左手の銃撃が僕の痩せた右腕に当たった。通常ならばたいしたことはないはずだが、今は全身が硬直するほどの痛み、僕の左腕も、奴の右手に触れられ、奴の掌に現れた奇妙な痣が僕の腕の中へ侵入した。僕の左腕は右と同じく力を失っていく。


 「次は右脚だ」


 奴は再び僕の右腕を狙い、拳銃のトリガーを引こうとしている。こんな時、金剛さんならば、金剛さんならば……。金剛さんならばこうする!


 「何ぃ!」


 僕は魔力を右腕に全力で流し込み、その腕で奴の顔面へ拳を振るわんと、振り上げる。筋肉の大きな筋の一本一本がぶちぶちと引き裂かれるような痛みを、歯を食いしばって堪えて、渾身の魔力を右手に目いっぱい注ぎ込む。何らかの魔術によって僕の右腕にはさっき見た様な魔術的な印が刻まれ、それが僕の右腕の生命力……。魔力を奪い取っているようだ。だがそれならそれでいい。いくらでも吸わせてやる。はち切れるまで。

 相当な魔力が吸い上げられてゆく。そのすべてがこの印に収まりきるというのか? そんなにも奴らの術は強大なのか? いや、この魔力の流れ……。隠された魔術的結合がうっすらと浮かび上がる。それは奴の『左手』に繋がっている。あそこから魔力がその手に持つ銃に流れ、僕に発射されていたのか。銃撃も馬鹿にならないわけだ。


 「馬鹿め、発射してしまえば……」


 『パァン!』


 「何っ」


 銃が爆発! 僕の渾身の魔力の集中が奴の銃の許容量を超えた。そして奴の左手に莫大な魔力が溜まる。奴は僕の拳を顔面に受ける寸前、その左腕も銃と同じく爆発した。僕はそのままの勢いで奴を殴り付け、遥か後方へと吹き飛ばした。ギリギリ生きてはいる……。筈だ。老人を殴ったのは初めてだから勝手がわからない……。遠くで瓦礫の崩れる音がする……。大丈夫だと思おう。

 里奈ちゃんは……。少し向こうで気配が消えた……。恐らく結界に入ったのだろう。急がないと。



――



 「里奈、よかった、無事だったんだな、怪我はないか?」


 ――〇――

 プロペラの音が鳴る中。少女の両親は大司教に連れられ、ヘリコプターの外で、少女を待っていた。神父に抱えられた少女は久方ぶりに観た父と母の方を見ている。


 「……」


 「さあ、こちらへ、プロペラに注意して。さあ早く。もう大丈夫だ」


 メディチ大司教が手招きをする。少女は動かず、抱える神父に話しかける。


 「まだ……。院長先生たちにお別れを……」


 「それは……」


 「里奈ちゃん!」


 ――鳥羽或人――

 まだヘリコプターには乗っていない。間に合うか?

 説得?

 できるか?

 金剛さんが連れ出したというのが本当なら……それは絶望的かもしれない。


 ――あれがあの子の両親?

 両親は健在、金剛さんは連れ出したと言っている。それなら……なおのこと。いや、だが、あの金剛さんがそこまで他者をないがしろにするのは、ありえない。何か、何か裏がある。そのはずだ。


 「里奈ちゃん! 待って、待ってくれ」


 「オヤオヤ、誰かは知らないが、誘拐犯の仲間かな?」


 両親と思しき人たちの隣に立つ、若い男……。笑みを浮かべているが、金剛さんのような笑みではない。あれは、妙に爽やかな……。信用できない感じの笑いだ。


 「人の娘を奪っておいて、待てとは何だ! 反教の呪術師め!」


 父親と思しき人が先程までの柔和な感じから、僕を見て一変させる。母親と思しき人物も態度を変え、怒りをあらわにする。


 「私たちの愛する娘を奪い、洗脳し、偽りの教えを説いた癖に!」


 隣に立つ司教……。と思しき男が静止する。


 「まあまあ、ご両親。そう怒りをあらわにせずに……。主の愛の下に水に流そう。ただ、邪魔するというのなら止めるまでだが」


 司教は手を前に出し祈る様な姿を見せた。


 『ウヅの地にヨブと名くる人あり其人と為完全かつ正しくして神を畏れ悪に遠ざかる』


 呪文が聞こえると共に僕は結界内の結合が書き換わるのを感知した。ならば焼き切るまで……。強い出力で僕の身体に触れる結合を焼き払う。

 「ふっふっふ……。無駄だ、この術は君に向けたものではない」


 「何を……」


 「ああ……。ああ……」


 里奈ちゃんが結合の中で慄くのを見た、それは僕を見て恐れている姿だ。


 「彼女に何を……」


 「悪魔は悪魔の姿をしなければならない、君は今、サタンの手のものなのだよ! 魔の者の本性を見せているだけだ。それと……」


 「痛い……。痛い……」


 里奈ちゃんが突然、痛みを訴え始める。彼女を抱えている神父は苦しげな表情で目を瞑っている。


 「お前……。なんてことを」


 「【受難】だよ。【受難】……神聖なる道に戻るには苦難を受け入れなくては。正しき道を行くためには、主の深遠かつ不可解な運命を受け入れるほかないのだ。彼女は以前からこれを乗り越えてきたのだから、また同じくするまで」


 両親たちも頷いている。里奈ちゃんは蹲って震え、ぼそりと呟いている。


 「ごめんなさい……。ごめんなさい……。もう、逃げません……。もう、お願いしません……」


 この……!


 「おおっと、私に近づけば彼女はさらに苦しむことになるぞ? 我々は彼女の『完成』が近づくのでそれでもよいが……」


 もう奴を殴り倒す以外に方法はない。殴り倒す……。いや、もうズタズタに破壊してしまってもいいのかもしれない。手加減など不要。こんな奴らに、こんな奴らに。僕のレーザーならば司教ごとあの二人だって吹き飛ばせるはずだ……。


 ――〇――

 本当に君はそれでいいのか?


 ――鳥羽或人――

 ……?

 また、あの声が耳に……。誰だ? どこにいる?


 『バリバリバリバリ』


 後ろから何かが破れる音がした。振り向くと、僕の魔力で薄くなった結界を右手で引きちぎり、破壊しながらなだれ込んでくる、あの金髪の強力な神父と掴みあい、蹴ったり殴ったりの攻防を繰り返す金剛さんがそこにいた。


 「しゃぁああッ! コノヤロー!」


 金剛さんは神父を蹴り飛ばす。神父の身体が結界内の結合をボコボコ壊しながら地面を抉ってゆく。


 「アレッサンドロ神父、貴方ほどの男がこの結界になぜ入る様な……」


 司教が困惑した顔で神父を呼ぶ。神父はそんなものが全く聞こえないかのように狂乱した様子で金剛さんに向かってゆく、その姿勢は犬のようで、先程よりも更に凶暴性が増している。


 「ぐるるるるぁああああ!」


 神父は金剛さんを掴み、巴投げを極める。金剛さんは避けもせず、しかとその投げを受けて、ヘリの方へと投げ出される。途中軌道が妙に変わり、そのまま結界をずたずたに引き裂きながら司教の方へとぶつかりに行く。丁度ドロップキックのような姿勢で司教にぶつかり、彼の胸を直撃した。


 「何っ!? うぐぉ!?」


 予想だにしていない攻撃に司教はそのまま倒れ込む。


 「ぐおおおおおおおお!」


 神父は咆哮しながら手を金剛さんに向ける。すると後方から、またあの紙が十数枚飛来し、金剛さんの周りに展開される。


 「はっはっは! 楽しいな! アレッサンドロ神父、楽しいぞ! 鳥羽殿! 里奈殿! 拙僧とアレッサンドロ神父の雄姿、とくと見届けよ!」


 金剛さんはプロレスのロープワークの要領で、紙にわざと触れ、電撃を受ける。その電気が帯電したまま、その紙から発せられる衝撃を利用して神父へと飛び掛かる。神父もそれを避けることなくしっかりと攻撃を受ける。


 「ガハッ……。エホッ……。うう。何をして、何をしている、アレッサンドロ神父! そんな、遊んでいないで任務を」


 『ドガッ』


 放り投げられた金剛さんがまたしても奇妙な軌道でリング外の司教にぶつかる。


 「グェッ!」


 金剛さんはそれを踏みつけてリングへ戻る。踏まれた司教はあっけなく失神しているようだ。結界も崩壊してゆき、里奈ちゃんも解放されている。両親らは恐怖し硬直しているようだ。


 「さぁ! 応援だ! 応援!」


 金剛さんはコールを要求する。あっけに取られている里奈ちゃんの両親をよそに、僕は金剛さんへ声援を送る。何となく、意図というか空気が伝わる。


 「金剛さん! 頑張れぇ!」


 金剛さんのタックルが炸裂し、倒れ込んだ神父へ、そのまま締め技へと移行する。逆エビ固めだ!


 「アレッサンドロ神父! 負けないでください!」


 里奈ちゃんを抱えていた神父もまた声援を送る。神父は地面を殴り壊し、金剛さんのホールドを利用して向かい合い、そのまま金剛さんの首関節を極めに来た。


 「うおおおおおお!」


 そのまま金剛さんはスープレックスへ! 一進一退、くんずほぐれつの攻防は両者、流血なく、回避もなく、互いに互いの魔力を削る派手な泥仕合を続けた。技の応酬とその奇妙にも流血しない姿には、狂乱に見えた神父の様子も、その根底に金剛さんとの奇妙な絆が芽生えていることを僕に悟らせた。人の少ない会場は今、一体感に包まれている。


 「うぐ……」


 ホールドを抜け、神父への次の攻撃を準備した金剛さんは突如、片膝をつく。


 「金剛さん!」


 「院長先生、負けないで!」


 里奈ちゃんがリングの外で叫ぶ。


 「はぁ……はぁ……はぁ……。冒涜者ァ……勝負あったな……」


 「くっくっく。はっはっはっは! まだまだ、これからよ」


 「はぁ……はぁ……一つ聞く」


 「ククク……なんだ?」


 「貴様はあの二人の信徒を襲ったのか?」


 「……襲ったようなものともいえる……。児童相談所の努力も徒労に終わり、里奈殿の魔力の暴走によって彼らが負傷した際にな。拙僧は手当てしたが、彼らは拙僧と里奈殿を攻撃した。拙僧は彼らに手を上げた事はない。そのまま里奈殿を誘拐したがな……。彼らの怒りもよくわかる。里奈殿にはある程度の神学知識も教えはしたが、積極的ではないし、拙僧は何より、無神論者だ。彼らからすれば、洗脳しているようにも見えよう……。信仰は里奈殿が選ぶべき、拙僧は勝手にそう考えたのだ」


 「……フン……。それは誓って本当か?」


 「拙僧は無神論者。神には誓わぬ。信じたくば、信じよ、信じたくなければ、嘘と罵れ」


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 不殺、寛容、自己犠牲……。我々の美徳を無神論者が持っている。いや、無神論者も持っている……。そう言えるようにならねばな……。


 「……無神論者を信じるのはこれっきりだ……」


 ――鳥羽或人――

 何やら話したあと、神父は金剛さんを掴む。だが、金剛さんは叫び、逆に神父を掴みあげる。


 「院長先生!」


 「金剛さん!」


 『いっけええええ!』


 「うおおおおおおおおお!」


 咆哮と共に神父の身体を完全に持ち上げた金剛さんは最後の技ツームストン・パイルドライバーを完全に極める。神父は、金剛さんが手を離すとその場に倒れる。金剛さんが鼻血を拭っているとき、彼は何かつぶやいた。


 「……今回は譲ってやる。……特例だ」


 「……ありがとう。いい勝負だった」


 金剛さんが手を差し出し、神父はその顔を見ずに、倒れたまま握手した。そして神父は呪文を唱える。


 『イスラエルの幼かりしとき我これを愛しぬ我わが子をエジプトより呼びいだしたり』


 その直ぐ後に、リングを創り出していた紙は司教と神父、里奈ちゃんの両親たち、そしてヘリコプターを包み、去って行った。そう遠くへは行っていないのだろう。だが、追う気はしなかった。


 「院長先生……」


 里奈ちゃんが金剛さんに近づく。金剛さんは屈みこんで里奈ちゃんと話す。


 「里奈殿……。済まない、ご両親は……」


 「私が悪いから、お父さんとお母さんは私の事、会いたくなくなったの?」


 「それは違う。里奈殿は悪い点などない。むしろ良い子過ぎるくらいだ。だが、里奈殿……。ご両親は君に会える準備がまだなのだ……」


 「準備?」


 「人は人を傷つけずに愛するには準備が要る。里奈殿が魔力の制御を学んだように、ご両親は愛の制御を学ばねばならないのだ。そうでなければ、以前の様に、里奈殿を言葉や、暴力によって傷つけてしまう。里奈殿が耐え続けることになってしまう。それは、いずれ、彼ら自身を大きく傷つけてしまうのだ」


 「私が耐えれば……」


 「なるほど、さすがは里奈殿。聡明で優しい子だ。だが、里奈殿、貴殿が耐えるのを拙僧は見ていて耐え難い。鳥羽殿や、山岸先生や、他の先生、孤児院の子たちや、友達も見ていたくはないのではないか?」


 「……」


 「君は優しい。すべて受け入れてしまうほどに」


 「私は……。先生みたいになりたい。そうすれば、みんな心配せずに。お父さんとお母さんに会いに行ける」


 金剛さんは優しく微笑んだ。


 「そうかもしれないな……。君の思い描く姿になれるように、拙僧も、先生方も皆、君を手助けする……。さあ、帰ろうか」


 「うん」


 ――金剛破戒居士――

 何を想い、何を考え、何を選択するか……。それはもっと先でいい。今はただ、学び、ただ、遊び、ただ、喜んで……。


 ――鳥羽或人――

 金剛さんは里奈ちゃんの手を取り振り返って僕を見る。


 「鳥羽殿も、ご苦労だったな」


 そう言って彼は朗らかに笑いかけた。僕は何か、大事なものを教えられた気がした。



――



 ――〇――

 2022年3月17日21時11分、東京都千代田境界区宇美部邸にて。


 「何の用?」


 ――宇美部来希――

 父さんが僕を呼び出すのは珍しい。いつもは仕事か、稽古か……。夕食を共にした機会も少ない、顔を見るのも久しぶりな気がする。相変わらずの仏頂面でデスクに座って手を組んでいる。


 「調子はどうだ? 最近、部署でお前の評判を聞くぞ……」


 「調子か……。いいとは言えないね。デスクワークばかりだし」


 歩は離れて行っている気がするし……。


 「歩が心配していたが……。部下からの評判は良くなっている。人望はこの仕事では特に重要だ。今まで、部下との交流が薄すぎたともいえる。歩の方にも言っているんだが、中々な……。ともかく、今は少しの間、事務仕事に専念していてくれ」


 歩が僕のことを父さんに……。懐かしいな。昔は付きっきりだったから。だが、今は本当に心配しているのかは疑わしいね。連絡もあまり寄越さない。まるで避けているかのように……。父を通してか……。


 「雑談がしたかったわけじゃないだろ?」


 「……ああ。本題はだな。そろそろお前も腰を落ち着けるというか……。いい縁談があるんだが」


 「縁談? ちょっと待ってくれ、父さん。僕はまだ21だ。気が早いよ」


 「だが、お前の手が空いている時期はそうあるものでもない。それに、気が早いというのも違う。この業界では一般的な年齢よりも少し遅れているくらいだ。引く手は数多だが……」


 「いやいや、父さん、とにかく、僕はまだ結婚は」


 「……そうか、まあ、お前がそう言うのならいい」


 表情一つ変えずに淡々とそう言う。僕にも彼のそういった一面が遺伝しているような気がして少し怖い。その目の奥の感情は失望なのか? 諦めなのか? 彼の中での僕は一体……。


 「もう話は終わりかい?」


 「ああ……。うっ……。ゴホッゲホッ……」


 父さんは咳を続けている。体調が芳しくないというのは執事からたまに聞いていたが……。


 「大丈夫?」


 「ああ、げほっ……。最近喘息になったようでな……。大丈夫だ、ンンッ……。はぁ……」


 「そう……。じゃあ、戻るよ」


 「ああ、おやすみ……」


 僕は部屋を出る。体調の悪化もあって、僕の縁談を進めたいのだろうか。そうであるなら少し僕は親不孝なのかもしれない。だが、今時縁談と言うのも……。いや、それよりも今、執事でさえ自分の部屋に寄せ付けない僕が結婚などと言うのは考えられないという事の方が大きい。期待に応えられないばかりなのは心苦しいが……。こればかりは……。


 「若旦那様……。その」


 「何?」


 執事の禰冝田が廊下で声を掛けてくる。少し心配した様子だ。


 「顔色が優れないようですが……」


 「え? あ、そんなにか……。確かに、最近はよく眠れないけれど……」


 最近……。三年前から眠りは浅いが、ここ最近は特に眠れない。眠る前は、惨めだ。


 「休暇を取られてはいかがでしょうか。有穂様とお出かけなさるなどは……」


 「はは、彼は忙しいよ。だが、ま、休暇を取るのは悪くない。ちょうど上も取ってほしそうだったしね、考えとくよ。おやすみ」


 禰冝田は深くお辞儀した。僕は自分の部屋へ、長い長い家の廊下を歩いて進んだ。赤い絨毯が、今日は妙に長く感じられた。



 翌日、父さんは死んだ。いや、正確には昨日、22時ごろに倒れ、20分後に発見され、そのまま病院へ搬送、23時50分に死亡確認が為された。だが、それは僕にはどうでもよいことだ。僕は久しぶりに熟睡して、眠りこけていたのだから。肝心な時に僕はそういう失敗を続ける。これまでも、これからも。せめて葬式では失敗はしたくないな。せめて……。



――



 ――〇――

 2022年3月17日18時41分、ローマ教皇庁大使館地下特別聖別領域にて。


 「……つまり、今回の任務について、君たち一、訓戒の部隊が、大司教であり、司令官である私を告発しようという事かね?」


 メディチ大司教は不愉快そうに椅子に深々と腰掛け、七名の隊士を睨む。


 「はい。今回の任務について、不可解な点が幾つか私にも報告が為されていましたが、法王の無謬を信じ、その認可の元の任務ならば、と任務を進めておりましたが……。今しがたの大使との確認により、法王はおろか、枢機卿団の一部以外にそのような任務は通達されていないことが発覚し、告発することが決定いたしました」


 「……規定上は問題ない。私は法王より権限を委任されている。その私の任務が信用できないと?」


 「信用するかしないか、ではなく手続き上の不明瞭点を報告し、枢機卿団の猊下方に判別して頂くのです」


 「……いいだろう。確かに、この任務を含めた『計画』は私の一部独断で進めるところも大きかった。それはこの件の性質から長期的な影響を考えたうえでのことだが……。判断を枢機卿猊下方にお任せしよう……。ただ君たち自身にもこの告発という形式をとったことへの責任があることを忘れないように。即刻処刑……。は、猊下は望まれにならないだろうが、相応の覚悟を……」


 大司教は一層の睨みを利かせ、そのすぐあと、すっきりとした笑顔を顔に浮かべた。隊士たちは別の部屋へと出てゆく。


 「すみません。アレッサンドロ神父。僕がこうした調査を続けたばかりに……」


 若い神父がアレッサンドロ神父へ駆け寄り、そう語った。


 「ヨセフ神父、良いのです。あなたは私たちの任務に忠実であったためにこうした調査を続けたはずです。その心には一点の曇りもなく、主の御前に差し出せるものであるはず。ならば、それでよいのです……。それにこれは私が望んだ告訴……。そして、皆も同じ意志を示した……。我々それぞれが同じく責任を負うことです」


 アマデーオ老神父がアレッサンドロ神父の肩を叩く。


 「お前ひとりに責任を押し付けるわけにはいかん。我々一人一人が疑問に感じたことをお前が最初に言った。それだけだ。あとはご聖断にお任せするしかない、やるだけはやった」


 「……お任せ……か……」


 ――アレッサンドロ・アンドレア――

 主は賽を振らない。我々は主の知を知ることはない。己の意志の決定が主にどう映るのか……。そんなことは我らには知る由もなく。だからこそ、我々は藻掻き、努力し、意志の元に信ずる道を征き、それを主の御前に裁いて頂く……。そう、お任せするほかないのだな……。

 自分の道を征く男よ……。次は負けんぞ。フフッ。


 ――〇――

 男たちの顔は先程の大司教とは異なり、穏やかなものだった。



――



資料:南極卿財団信仰根絶局神聖世界監査部報告・3月17日『訓戒』第1特務部隊による日本魔界府への襲撃事件に関する調査報告書

資料作成・調査:南極卿財団信仰根絶局・局員V・666号

―― 事後調査による法王庁人事資料:ローマ控訴院における秘匿裁判及び諸宗教対話省、聖職者省、総務省の枢機卿による特別談合の結果、訓戒最高管理指揮者シモーネ・デ・メディチ大司教は教会法典、カノン法における諸習慣法に対しての違法性は視られず、一貫して教会全体の安定と神聖世界の保全に寄与する自身の職務を全うするべくして任務を下命したことが認められ、不問とされた。告発者は『訓戒』の原則に従い告発の責務を問われたが、内赦院による教皇の恩赦が認められ、人事異動にとどまった。

 以下異動報告に基づく、アレッサンドロ・アンドレア神父は大阪大司教区第105部隊に転属―― アマデーオ・ヴァッカレッツァ神父は東京大司教区第104部隊に転属―― ヨセフ・コンファロニエーリ神父はパリ大司教区第25部隊へ転属―― 本件において不審な点は秘匿裁判の他、三つの省庁の枢機卿による特別談合が採られた点にあり、通例の信徒の告発による裁判とは大きく異なり、その詳細もまた謎に包まれている。この不審点から今後ともこの件に関する調査を続けることとする。


〈第四章 完〉



引用元文献

・文語訳 新約聖書 詩篇付き 岩波書店 2014年1月16日第一刷発行

・文語訳 旧約聖書Ⅲ 諸書 岩波書店 2015年10月16日第一刷発行

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