日本魔界府府庁魔術呪術物品秘匿一課

臆病虚弱

序章 トラックにぶっ飛ばされた僕は星を見つけた ≪Star gazer≫

序章 トラックにぶっ飛ばされた僕は星を見つけた ≪Star gazer≫ 本文

 ――魔術。呪術。まじないのろい。魔法。錬金術。秘術。奇術。古代ローマの歴史書において異教徒(ゾロアスター教徒)の行うよこしまな咒として『Magi』とされたこれら諸術は、実のところは欧州文明圏のみならず人間のあらゆる歴史において、信仰あるいは科学の嚆矢として存在し、ここから人間の全ての技術が生まれてきた。


 近代医学の発展に寄与したパラケルススは錬金術師を自称し賢者の石、人造人間ホムンクルスを造ったと語った。近代力学の祖とも呼べるニュートンは錬金術に執心した。天文学者ライプニッツは占星術を科学的に発展させてみせると豪語した。古代医学においては体液説が主流であり、公衆衛生として日本の有職故実にも取り入れられた陰陽道の方違え、物忌み、神道の穢れなどの思想にある経験主義的な合理性は注目に値する。魔術の印としても知られる六芒星、五芒星は美しい円を描くための数学的に割り出された記号である。


 このように、あらゆる医学、数学、物理学、思想はその根底に魔術的思想が存在し、それは現代においてもそう変わることはない。信仰、占い、祈り、全ては魔術的な行為に他ならない。

 ある種の『魔術』と、現代において呼ばれる『技術』には人間の意思を現実のものとする思想が古今東西あらゆる地域、場所、文化において見られ、消えていった。


 現代科学文明において、これら人間の意思の信仰は技術の中枢から放逐されている。もし、これら人間の意思を結実する技術が体系化され、『力』を持った現実のものであったのならば、我々がその力を今知らないのは不可解だ。――(ピュブリックリュミヌー書院 炉場利斗・著『意志の結実と力学』序文より抜粋)



序章 トラックにぶっ飛ばされた僕は星を見つけた Star gazer


 ――○――

 2022年2月2日午後4時32分、日本国、北海道、阿嘉霧あかむ市、三栖賀みすか大学前バス停にて。三栖賀大学文学部四年生、鳥羽或人とりう あるとは積雪の中バスを待っていた。



 ――鳥羽或人――

 終ぞ、夢を見ることもなく、就活が終わった。正確にはもっと前に終わっていたか。……。もともと何かなりたいものがあったとは言えない。文学部なんていう学部に来て就職先があるだけマシ、だろうか。人と話すことに慣れない男に営業の仕事など務まるはずもない、二十余年生きてきてそのくらいの自身の向き不向きぐらいは知っていたのに……。無理を続けて、何度か倒れて、その度に親に迷惑をかけ、もう、迷惑を掛けてはいけないと何度、思ったことだろう。

 便りの少ない息子が無職で大学を放逐されるようなことが、あってはならない。親にそんな仕打ちをしては、いけない。このような独りよがりの痩せ我慢の末には関わる全ての人々への不幸があることははっきりしている。だけど、僕は……。ある種それを望み、願っているのかもしれない。いっそのこと壊れるまで働いて、少しの金を残して死ねれば――腐るよりマシだろう、と。

 バス停の前に降り積もる雪はどんどん堆く積まれ、僕の膝の高さにまで達しつつある。バスを待つ僕に在るのは屋根だけ。向かい風が凍てつく。バスを待つのも僕だけ。こんな時期にまた積もるのか。

 スマホで交通情報を見て、この猛吹雪でバスが止まったことを確認して、僕は席を立ち、白い沼へ足を踏み入れる。ブーツの中に雪が入らないことはおそらくあり得ない、と覚悟する。特に理由もなく、図書館に来て勉強をしたことを後悔する……。家でひとり腐るよりも落ち着くと思い、天気予報も見ずに家を出て、数時間図書館の利用者が自分以外いないことに気づいて今に至る訳だが、バスを待つ間に僕の気分はすっかりと暗く、塞いでしまった。ヤケクソになって選んだ肌に合わない職業・職場。出席率のせいで芳しくもない成績。講義は休みがちの癖によく図書館にはくる。バイトをする体力さえもない。精神科をすっぽかす。寝坊。不眠。過眠。理由のない断食。頭が痛い。

 ――広い林の中を僕は歩いている。山道。開けた国道だ。除雪した跡の雪山は更に高く、道路は今降った雪により足を掻っ攫う白い沼のようになっている。轍も足跡もない無垢な白い大地は美しく、煩わしい。二月の大雪なんて今まであっただろうか。昨今の気象異常の影響なのだろうか。

 取り留めなくそんなことを考えて、ぼんやりと前を見る。風が強くて目に雪が当たるから、余り前は見ないのだが、車が来るような気がした。だが、ライトの一つも見えないので、きのせいだったの


 『ドガッ』


 突然トラックの前面が僕の目の前にあらわれた。僕はぶつかり、回転し……雪の上に降り落ちた……。血、手――僕の足。紅い臓器……。温かい。――眠い……。


 ――○――

 おお或人よ、しんでしまうとはなさけない! そなたに今一度命をさずけよう! …… なんてね。


 ――鳥羽或人――

 ――どこかで声がした。どこか懐かしくて、ずっと知っていたような。――親戚のおじさんの声みたいな……。そんな……。声……。誰かが……。そこに……。



 __



 ――○――

 『2022年2月2日午後4時44分44秒、北海道阿嘉霧市谷地町国道81号線付近の215号稲荷鳥居にて『高魔力同期反応』を確認。同時刻の国道81号線上にて起きた大型車両人身事故が原因と考えられる。確認後10秒以内に北海道全域の鳥居に同様のものと思われる高魔力同期反応が確認、20秒以内に日本、30秒以内にアジア全域、一分以内に全世界の検知箇所にて同様の高魔力同期反応が検知される。国連秘匿保障委員会は全世界での反応検知後、午後4時50分25秒に日本魔術府派遣特務員「ベアトリーチェ・カントル」へ356号特務指令を通達。』(資料『第356号特務指令報告書』より一部抜粋)


 ――


 午後6時56分現在、国道81号線上にて三名の人影がトラック事故現場にあった。



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 鼻先が冷たい。こんな寒さは久しぶりだ。……ここまで北に出向くことは、日本勤務になってからはなかったからか。外気の匂いは故郷ほど澄んではいないが、やはり寒冷な場所は空気が清涼だ。


 「課長。トラックの運転手、被害者、共に無事です。今被害者の方を森君が診ていますが……。おそらくは被害者の方が今回の『護送対象』でしょう」


 茶色のスーツに帽子、フロックコートを肩に掛けただけの『春沙』がこちらに向かいながらそう語る。コイツはそんな恰好で寒くはないのか……?


 「……そうか。森、まだ被害者は目覚めないのか」


 あの『鳴動』からもうすぐ二時間、『違法団体』の輩が嗅ぎつけて準備の上やってくるのは時間の問題だ。春沙は後ろを振り返り、診察に当たる森の方を見ている。森に関しては処置する際に喋れないのを改善してもらいたいものだが……。


 「まだだそうです……。最悪、無理にでも動かしてしまいましょうか?」


 「……まだ護送車が到着していない。それに、リスクが高すぎる。全世界規模の災害の危険性があるんだぞ。水爆の不発弾だと思え。――トラックの運転手はどこだ」


 「奴さん相当動揺していたようで。もうここは危ないんで、警察と一緒に避難させときました。聴取はやっときましたよ。あともちろん『記憶処理』もね」


 相変わらず段取りの良い奴だ。


 「……それで、対象に関しては?」


 「ええ、それなんですがね……被害者は一回トラックに激突して、トラックも前面へこんで、避けようとしたときのハンドル切りで横転。……被害者はバラバラに吹き飛んだって」


 「……それから?」


 「運転手が眩い光を見た後、トラックから這い出すと、ご覧のように被害者を中心に雪がクレーターみたいに融け切ってて、更に被害者は全く傷も血も出ず寝てるってな感じです。オマケにトラックのへこみやらミラーやらガラスも全部治ってて運転手は放心、しばらくして警察を呼んだそうですよ」


 「……警察への連絡が遅れたのは我々の仕事が減ってありがたいな」




 ――春沙クラビス――

 『ハハ』と乾いた笑いをおれは吐いた。すると課長は突然後ろを振り向いた。どうやら敵が来たようだ。相変わらず『感知』が鋭い。


 「何人くらいですかね」


 おれは課長へ訊いた。おれの『感知能力』じゃあ、ここからの敵さんの数はわからない。課長の『感知』の射程は『魔力認知』なら半径10キロメートル程度……二級相当だったはず。


 「……十……四……くらいか。後五分ほどで護送車が来る。全員揃う。準備しとけ」


 おれは懐のポケットからタロットを取り出し、一枚目を引く。引かれる目はいつも通りの0……愚者ザ・フール


 小アルカナ・タロットの最も少ない数字、0の愚者はジプシーや火星を表す。この『術』は始まりを告げる『愚者』が一番面倒だ。疲れるし。

 詠唱。


 『己の暗愚を呪う愚者よ。笑い化粧で繕う道化よ。願わくば【不幸は知性を呼び覚ます】ことを――秘匿を創れ』


 思考。


 【0.愚者(不幸は知性を呼び覚ます)】


 おれはこの術を使い、倦怠感を得る度に思い出すんだ。己が如何に暗愚で、化粧で繕った道化であるかを。だからこのカードは必ず初めに、おれの心臓ハートに近い場所にある。

 おれは続けざまに二枚目のカードを山から引く。0の次は1。ABC! ドレミくらいに簡単さ(All simple as do re mi)。ま、カードの0と1以外はランダムだがね。

 次に示すのは1……魔術師マジシャン

 詠唱。


 『ヘルメスよ秘匿を抱え駆けろ』


 思考。


 【1.魔術師(ヘルメスのベール)】


 発動により、タロットの山札がおれの思うままに空を舞い散り、目の前に軍隊のように整列する。何度か隊列を変えたりして準備運動。失敗できない仕事だからね。


 「……来たぞ」


 「お、あれですかい」


 空中、上空100メートルほどのところだろうか、遠くから複数の坊主がやってくるのが見える。日本という国はどうしてこう、民間信仰の術師が多いのか。さすがにアフリカなんかの呪術師や祈祷師には劣るが、ここも中々に多い。ミッキョーやらヤマブシやら、どれだけ倒してもやってくる。


 「……ラテン語……。どうやら法王庁ヴァチカンの神父共もいるようだな」


 「ゲェ、課長。それって……ワタクシの担当ですかねぇ」


 「……当然だ」


 神父と相性のいい奴がおれと『アイツ』ぐらいしか1課にはいないとはいえ、何度も何度も神父の相手をしていると辟易する。あいつらあきらめが悪いから嫌なんだよ。と空に目を凝らしていると右の方から『ドガン』と何かが飛来する音がした。感知を超える速度だと?


 「wowっ!? …… なんだ金剛チャンか……。護送対象もいるんだからもっと静かに着地しろよ」

 土埃の中からアカと黒のイカレた配色に赤いバラのマークとピースマークがそれぞれ描かれた冒涜的な袈裟を着た大柄な長髪髭面の僧侶…… アイツ無神論者なのになんで僧侶なんだ? そんな奴が仁王立ちで堂々としている。アヴアンギャルドな服と対照的な、いつものニッコリとした笑顔、こんな僧侶は他にはいない、『金剛破戒居士コンゴウハカイコジ』がそこに現れたのだ。


 「いやはや、いやはや、済まなんだな。拙僧の仕事がさっき丁度終わったところでなぁ。招集の指令をすっかり忘れて、急いで飛来してきたもんで。オマケに移動に使った浮遊術が思いのほか制御が難しくてな。がははは。やっぱり見様見真似で術をやるのは良くないな!」


 金剛はケラケラと普段の細い目を更に細めて笑う。おれのように準備の必要がないコイツは、出たとこ勝負ができてうらやましい限りだね。


 「……護送車が来る前に奴らがここに降下する。『十戒』の神父が三名、何れも『翼』を使うクラスの精鋭だ。後は山伏二名、僧侶九名……僧侶と山伏は『古僧會』の連中だろう。意外にも海外の連中と『薔薇』が来ていないな」


 「奴さんの事だ。どっかでもう嗅ぎつけてるはずですがね」




 ――金剛破戒居士――

 クラビス殿は自身の目の前に並ぶカードを何度も整列させながらそう語った。いつものことながら彼の入念な準備の心がけは感心するものがある。プロアスリートが競技前のストレッチを入念に行うが如く、毎度仕事の前はカードのキレを確認しているのであろう。


 「とりあえず拙僧が僧侶全員を先ず相手にしましょうぞ。今、行っても宜しいかな、課長?」


 クラビス殿は1枚のカードに乗り、既に空中に立って迎撃の構えをしている。課長もここで迎える構え……。面倒であるな。


 「……目標はおそらく、ここの被害者……迎撃が望ましい。遠距離攻撃に留めろ」


 「やれやれ、『投射』は苦手なのであるが……」


 拙僧は懐から本を取り出し、起動のための魔力を与える。投射系の呪法……。神道分派の遠当法を使うか。


 『あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい、ざんだりひをん、しかんしきじん、あたらうん、をんぜそ、ざんざんびらり、あうん、ぜつめい、そくぜつ、うん、ざんざんだり、ざんだりはん』


 と唱え一拍拍手を入れる。たちまち拙僧の拍手をした手から『魔術的結合』の糸が射出され、空より襲来する敵共に向かい一直線に進んでゆく。この魔力の文字による糸が敵の5メートルほど手前に到着した瞬間、拙僧は花の開花するイメージを強く想像し、それに呼応して、拙僧が放った『結合』も花開くが如く彼奴等を包む網のように開いたのだ。


 「四人ヒット……。得点(ラン)は二人か。さっすが金剛ちゃん」


 拙僧が『結合』の罠に絡めとられた四名のうち二人は『結合』の『介入』や呪具により切り裂くことで術を逃れたが、他二人は雷に打たれた鳥のように二名の僧侶が墜落していく。巧く逃れたものはもう数十秒でここまでくる。


 「フム。宮地神道の履修済みが居ったか……。訓戒の神父で『翼』持ちは流石に速いな」


 「……来るぞ。護送車は後3分で着く」


 「やりますかぁ」



 ――○――

 飛来した十数の影は粉雪をまき散らしぶつかる。その雪の中で幾つもの銃撃、斬撃が飛び交い爆発音が繰り返される……。


 …………


 午後7時10分、事故現場は騒然とし、『護送車』から出てきた4人が先に居た3名と合流。戦闘は激化する。


 「対象、目覚めました」



 ――鳥羽或人――

 声がした。誰? 誰の声だ? 機械音声……のような、明らかにイントネーションが奇妙だ。ちょっと古い機械音声だ。暑い……。ちょっと頭の後ろがごつごつする。さっきまで僕は……。大学図書館からの帰りで……。吹雪の中で……。前が見えなかった。僕はトラックに…… トラック!僕の周囲は白い雪原の中ぽっかりと僕を中心としたクレーターのように雪が融け、濡れたアスファルトが露出していた。隣にはトラックが無傷で横転していて、道路標識があったところには根本に数センチ程度の鉄の棒だけがあり、その上部はすっかり消えていた。ばっと僕は跳ね起きた。


 「おっと、危ない」


 僕の目と鼻の先に十二枚の美しい絵柄のカードが空に静止した。それらは僕の隣に現れた茶系のスーツの紳士が指を指揮棒のように振ると空を走ってどこからか集まってきたものだ。

スーツの男性は少し皺の見える目元をしていて、口ひげを生やし、浅黒い肌に、青い瞳が印象的だ。シルクの白手袋をはめた左手にはカードが……『1 Magician(魔術師)』という文字とローブを纏った男性が手から靄を出している姿が描かれている。所謂タロットカードというモノだろうか。


 『ガキン! ガン! ガン! キン! ガン! ガン! ガキン! ガキン! ガン! ガン! ガガン!』


 突然、僕の目の前に静止していたカードから金属同士がぶつかり合う音が鳴る。それは丁度十二回。カードの枚数と同じだった。


 「流石あの量だと流れ弾も凄まじい」


 スーツの彼が手をスッと前に出し、カードたちが空を前進する。彼もまたカードと同じく滑るように、足を動かさず前進していく、彼は一枚のカードに立つことで空中に浮いていた。


 「痛むところはありませんか」


 先程の機械音声が再び聞こえる。僕の右隣にバケツのようなモノを被った白衣の、聴診器を首から下げた……医者? がその声の主のようだ。細長い手足に、手提げカバンのようなモノに入った……レジスター? 機械式計算機? のようなモノをガチャガチャと操作している。


 「あ……はい、痛みはないです」


 心ここにあらずで、返事をする。その間にも僕の周囲では金属の炸裂音やぶつかる音、爆発音がする。意味が分からない。

 頭がはっきりとしてきた。周囲を見回すと先程のスーツの男性が祭服(キャソック)姿の男たちと対峙している。男たちは天使の翼のように見立てているのか、背に大量の拳銃が浮かび、雨のように弾丸を射出し、右手には分厚い本を抱えている。彼らの左手からは電撃の槍のようなモノが飛びだし、スーツの男性はそれをカードで防いだり、カードを指揮して当てたりして攻撃したほか、空いた右手で電撃の槍を撫でることで消したり、逆に相手へ向けたりしている。

 どうやら周囲には他にも神父姿の人、果てには袈裟を着た僧侶がもっと珍妙な姿の人々と争っているようだ。状況が理解し難い。

 その中でも最も奇妙な姿をしているのは、ガスマスク姿の半裸の、がっしりとした筋肉に包まれた男性が体や手に五本の赤黒い鎖? を巻きつけながら、その鎖を触手のように木から木へ飛ばし、アメコミヒーローよろしく移動している。鎖には二名の袈裟姿の坊主頭……。恐らくは僧侶であろう人が縛られており、軽々と運ばれている。一名の僧侶が彼を追い、少し離れてもう一名の僧侶が足を組み座って手で何かを象った印を手で表しながら念仏か何かを唱えている。周囲の地面や木々がガスマスクの男性を追うように大きな力で壊されている。目を凝らすとうっすらとそこには暴れる人形の姿が見える、何かきらきら光る紐の様なモノで座る僧侶と繋がっていることが分かる。


 他にも目立つ人が居る。四人もの僧侶に囲まれている、奇妙な袈裟を着た……髭面の男性が居た。彼は周囲の坊主姿で髭一つない整った僧侶たちとは全く異なり、腰元まで伸びる長い髪を後ろで結びポニーテールのようにしている。髭はある程度整えられているが、しっかりと生え、額に古傷があった。また、彼の瞳は糸のようにニッコリと細められている。彼の袈裟は赤のものと黒いものが半々になっており、黒地の片方には白いピースマークがでかでかと示されているほか、もう片方の赤地には赤いバラの大きなマークが示されていて、がっちりとした体躯が袈裟の上からでもわかる。

 彼は右手に分厚い本を持ち、周囲の僧侶たちが念仏を唱え、掌から放つ炎の縄などに対して、その本をひょいと振り下ろす。すると、凄まじい風圧が発生し、火を消した。そしてその炎とそっくり同じものを、その手に持つ書を開いて同じく念仏のようなものを唱えることで再現して相手にけしかけていた。周囲には二、三人の僧侶が彼に倒されたのか気絶したり、痙攣したりしている。


 また、地面をよく見ると幾つかのお札のようなモノや紋章のようなモノがある。それに触れた僧侶の一人が、その地面の札から現れた、とがった岩に足先を貫かれ、ぎゃっと叫んだ。お札がどこからか、一枚一枚パラパラと空を滑り地面に流れてきているようだ。

 僕はひらりと札が舞い込んでくるのを見て、その元の方を向いた。この札は僕の後ろに立っていた女性が撒いていた。その女性は神社の巫女さんのような服装で、僕と同じくらい、20代くらいの若さのようだ。長い黒髪を後ろの方で少し結っている。彼女の手もとでは何か羅針盤のようなモノが操作されていて、たまに袖口から札を取り出して空へ滑るように飛ばしている。


 彼女の更に後方には、見たことのない型の黒く大きな車が停車されていて、そこによりかかって二人の男性が周囲の状況を気にも留めずに談笑している。さっきの女性と同じく、僕と同じくらいの年齢のようだ。一人はフードパーカーにジーンズ、首から特徴的な宝石のようなモノが下げられたネックレスをして、口元には黒いマスクをしている。もう一人は白い詰襟の制服のような服をかっしりと身に着け、手にも白い絹の手袋をはめ、髪型も前髪を後ろへしっかりと撫で付け、側面が刈り整えられている……何よりその人が特異なのは和弓を片手に持っている点だ。矢筒などは持っていない。


 

 「――外傷なし、火傷なし、完全な無傷どころか生まれ変わったみたいな異常な健康体です。魔力残存と周囲の状況から、彼が魔力源で間違いないでしょう。課長、護送は直ぐにでも可能です」


 機械音声が再び聞こえる。反響音から察するにやはりあの医師のような人が被るバケツのようなモノの内部が音源なのだろう。


 「……わかった。『森』、お前がそのまま対象を先導してやれ」


 何時の間にか僕の目の前には背丈が見上げるほど高い――2メートルほどあるだろうか――女性が立っていた。つばの広い黒い帽子を目深に被り、黒革のトレンチコートや黒革手袋、黒革のブーツと黒一色に身を包んだ、その姿はこのような中でも目立っていた。そして僕が見上げた際に見えた彼女の顔は美しい瑠璃色の瞳とガラス細工のように透き通った髪と睫が印象的だった。


 「……『賀茂』、お前も護送車に乗れ、私も対象と乗る」


 医師に『課長』と呼ばれた彼女は先程の巫女服の女性にそう言った。巫女の女性は即座に「はいっ」と元気よく返事をした。その返事を聞いてすぐ、『課長』は前方で暴れまわっているスーツの男性や奇妙な袈裟の男性、上半身裸体のガスマスク男に向けて命じた。


 「『春沙』、『金剛』、『海川』、そのまま足止めを続けろ、こちらは護送を開始する。予定した時刻まで足止めに集中しろ」


 彼女はそのまま振り向き、車へと歩きだしていく。僕の隣も医師も僕に手を差し伸べて


 「こちらへ、安全な場所まで護送します」


 という機械音声を発した。

 僕はそのまま立ち上がる。


 「――畏れよ。『呪術師』。私は告発する。主の道を欺く者は家畜の様に悲鳴を上げて死ね!」


 僕はその声が発せられる一瞬前、異様な気配を感じ、後ろを振り向いた。その言葉と共に先ほど見た翼の神父たち三人が、僕の丁度後ろに浮くスーツの男性に向けて、両手に携えた槍先のような奇妙な形状の刃物を振る。一糸乱れぬ三人の連携は四方よりスーツの彼に降り注ぐ。右。左。上。下。後ろ。全方向だ。されど彼は右手に挟んだカードと縦横無尽に宙を舞うカードとでそれらを一度に弾く。それを予見していたかのように、神父たちは翼を広げ、その翼を構成する無数の拳銃で、光線のように、一斉に弾丸を射出した。


 「仰々しい物言いしといて、部外者まで巻き込むなよ。だから減るんだぞ、信者」


 ニヤリと笑みをこぼしながら、スーツの彼の周囲に幾つもの軌道を描くカードが巡る。カードの姿を捉えることは不可能。音速に達するという銃弾を、音速を超える速度で防いでいるというのだろうか。

 一つ。また一つと金属破裂音と共に潰れた弾丸が地に落ちる。彼はヴェールのごとく纏わりついたカードの残像の中央で目を瞑り、集中したような表情を浮かべている。

 銃撃の終焉と共に、彼は眼を見開き、カードが一瞬、彼を中心に円状の整列をしたのち、一斉に放射された。その射出と共に、彼はその後方に位置する神父に向け空を滑るように移動し、振り返る動きの勢いのまま、カードで切りつけた。

 神父は驚きつつも剣で防御。だが、そのまますかさず神父の死角よりカードが飛来し、神父の顎へ攻撃が入る。

 鋭いカードだが、打撃のようなダメージがあったようだ。

 神父は体勢を崩しかけ、その隙に彼は重心の移動した神父の左足を蹴り飛ばし、他のカードが、地面へと倒れる神父を宙へ浮かすようにアッパーのような上への衝撃を与える。そのままその神父は身動きの取れない状態で、数枚のカードにより空中でリンチされる形となった。彼はそのまま他の神父からの攻撃を防ぎ、戦闘へともつれ込む。


 「ほら、はやく」


 僕は医師に手をひかれるままに中腰で、怯えながら車の方向へ急ぐ。戦争映画の塹壕戦だ。


 「圧制者に与する愚か者めが! 貴様のような道を穢す者にはァ、即ち因果応報の凄惨が待っておるわ! 臨兵闘者皆陣烈在前! 切り裂け鎌鼬ィ!」


 僕の、向かって左側の方から、そのような叫びが聞こえた。天狗のような服装の僧侶? が手でいくつかの印を結んだ後、空中を幾度も切る動作をした。その空を切る手からうっすらと光る糸のようなモノが伸びていくような気がした。その方向には、先ほどこちらに居た袈裟姿の長髪髭面の精悍な男性が笑みを浮かべ、立っている。


 「フハ! その意気や良し! だが甘い。そのまま返すぞ」


 分厚い本を左手に持った袈裟の彼はそう言いながら、右の手でさっきの僧に向け手で空を掴み天地をくるっと返すような動作をする。彼の異形の袈裟が風に一瞬靡いた。彼の本から、また先程の何か薄い糸のようなモノが僕には見えた。すると向こうの僧侶は慌てて手で印を結び呪文のようなモノを叫んだが、すぐ次の瞬間に胸が切り裂かれたような傷を出現させ「ギャッ」と叫び地面に倒れ伏した。袈裟の彼はそのまま地を蹴り、空へ跳躍していった、地面には足跡が地割れの中央にくっきりとついている。

 僕は土埃の中、逃れるように車の中へ乗りこんだ。車は運転席・助手席と後部席とに窓付きの壁で仕切られていて、運転席には丸眼鏡を掛けたスーツ姿の肥えた男性が座っていた。後部座席は広々とした空間になっており、リムジンのような座席の配置が為されていた。


 「あ、真ん中に座ってください」


 先程見た巫女姿の女性……。『賀茂』と呼ばれていた彼女がそう言った。僕は言われるまま座ると、『課長』と呼ばれていた人が最後に乗りこむ。『課長』と呼ばれている女性は身長200センチほどであろう大きな体でもそこまで窮屈さを感じないほどこの車は大きい。

 僕の手をひいていた医師は前方の助手席にいつの間にか座っていた。よく見れば彼も『課長』と呼ばれる人に近い大きさで、前方の助手席は少々窮屈そうだ。

 車が動き出す。何だか走行しているようには思えない。むしろエレベーターに乗ったような浮遊感があった。


 「あの……。この状況はどういう……」


 やはりまだ、意識がはっきりしていないのか。それとも状況に面食らいすぎたのか、僕は曖昧な問いを投げかけてしまった。

 

 「……状況が呑み込めていないようだな。……記憶の方はどうだ。ゆっくりでいい、今日は何をしていたか思い出せるか?」

 

 『課長』がそう僕に問いかける。


 「今日は……。そうだ……。大学の図書館で時間を潰した後、バスを待って……。吹雪でバスが来なくて。そう、確か4時終わり頃に歩いて帰っているときに、トラックに轢かれたんだ。僕は……死んだ?」


 「……その事故については我々も詳しく知るところではないが……。その、轢かれたあと、奇妙な現象はなかったか? 例えば、誰かの声がした、などの……」


 つばの広い帽子を車内でも脱がない彼女の表情は口元のみだが、何かを察したような感情が読み取れた。


 「声? 声、声! 確かに何か、誰かに話しかけられました。知らない声、いや、知らないようで知っている声……。変な感じです。やっぱりまだ混乱しているのでしょうか……」


 「……フム。いや、十分有用な情報だ。後で報告書のためにいくつかまた質問するが。差し当たって君に言うべきことは、我々……『魔界府府庁秘匿一課』の事だ」


 「魔界……府」


 奥の方に座る二人組の男性の片方が語り掛けてくる。白い詰襟の方だ。


 「君が先ほど見た通り、この世界には所謂、怪奇乱心、魔法、超能力……。我々の言うところでの『魔術』と呼ばれる技術が存在するワケだ。我々『秘匿課』は君たちのような『世俗』の人々から魔術の物品、呪い、霊魂なんかを隠し、回収し、封印する仕事を行っている」


 「呪い、霊魂……。そんなものが本当に……」


 「ああそうとも。線香を焚き、祝詞を詠み、お祓いして、おまじないや占いをする仕事さ。これで、税金で賃金を貰っているのはかなり笑えるだろ?」


 冗談めかして彼はそう言った。もう片方の黒いマスクをした方の彼も話始める。


 「おれたちは『魔界府』……一応この日本国内にある、二つ目の『府』に住んでいる。こういう『魔術』を伝統的に使ってきたり、研究したりしてきた人々の隠れ住む場所を世界的に『魔界』と呼んでるんだ」


 魔法……。いや、『魔術』。確かに先程、僕が見たものは正にそう呼ぶべき超常だった。


 「……君はこれから我々『秘匿一課』に保護され『魔界府』へ行くことになる。理由は君の『存在』が少々…… 厄介な事を引き起こしかねないからだ」

 

 「『存在』……?」


 「……あれだけ凄まじい力を得て、実感がないというのも奇妙な話だ。君の『存在』を君に分かりやすいスケールで話せば、『世界中にその実践性能が知れ渡っている兵器』それが君だ……。『大陸間弾道核ミサイル』『水素爆弾』『衛星兵器』『君』。そんな具合だ」


 「い、一体なんだってそんな、そんなこと皆が知っているんですか」


 僕は話の規模感から話題の中心が僕であることに実感を持てなくなっている。錚々たる兵器に並ぶ中に自分が要ることよりも、それが知れ渡っている末節に気を取られているのがその証拠だ。


 「その理由は……。君はおそらく、一度『事故死』した。その際に、我々の観測装置、いや、世界中の魔術師が君の莫大な『魔力』を感じ取ったのだ。この規模の観測が行われるような莫大なエネルギーは、武器として使えばこの地球全てに影響を与える規模の超常の力になり得るだろう……。我々『国連秘匿保障委員会』の『条約』にしたがわない『違法団体』は君の力を狙い、先程のような襲撃を繰り返すだろう」


 「あなたたちは……。日本政府の役人じゃないんですか、国連なんですか」


 またも僕は末節を気にした。


 「ああ、課長である私『ベアトリーチェ・カントル』は直接の国連派遣員であり、ならびにこの『秘匿一課課員』は全員、国連の『秘匿保障委員会』という秘密の会議によって承認を得ている……。世界の『魔術師』はこの組織が打ち出した『条約』と呼ばれる法律を守り暮らしているのだが……。魔術の秘匿や『魔界』の領域を出る際には免許と審査が必要であるなどの規定だ。これを守らない『違法団体』、『違法術師』を取り締まることも我々秘匿課の仕事になっている」


 「違法団体にはいくつか大きな団体があって、最近それらが結託し始めてるんです。『隠者の薔薇』、『青き血の新秩序』……。とにかく、あなたが今『世俗』に戻るのは危ないんです」


 『賀茂』さんがそう付け加える。詰襟の彼もさらに付け加えて語る。


 「補足だが……。さっきの神父や僧侶。あれは『神聖』と呼ばれる輩で、奴らは違法団体ではない。昔から私たち『魔界』の魔術師たちと対立するカトリックや仏教僧の類だな。日本(ウチの国)の僧侶たちは神聖かどうかも違法団体かどうかグレーなんだが、神父…… 『訓戒』と呼ばれる組織はヴァチカン法王庁の組織で国際的にも秘密裏に認可されている。ICPO(インターポール)とCIAのような…… のとはちょっとと違うかもしれないけど、ま、公然の敵だね」


 「……このように、君を狙う組織は多い。我々としては君を強制的に従わせるつもりはない。『訓戒』の側を選んでもらっても構わない……。何を見て、どう感じたか、君の主観に任せるつもりだ。」


 「え、選んでもよいと言われても……。その、どちらもよく知らないというか……。別に僕自身は今のところ不満はないと言いますか……。それよりも、僕は家族にどう伝えれば」

実のところ、それ以外の事はどうでもよい。大学はもう講義などないし、就職も全く乗り気ではなかった。僕がこの世界に唯一繋ぎ止められているものは家族だけで、それ以外は何もない。空虚な人生だったのだから。


 「一年程は会えないだろう。幸い我々と公然と対立する『神聖』は日本(この国)では勢力も弱く、君の家族が取り入られることはない。違法団体に関しては今回の戦闘に参加していなかったために同行は不明だが、措置としては魔力的な監視や警備を優先的に増やして安全は保障しよう。いざとなれば……。あの場所なら自衛隊も駆けつけやすい。……手紙でも時おり出すと良い。公務員に就職ということになるからな。安定した仕事の上、忙しいという会えない理由にもなる、何より嘘ではないからな」


 僕はふっと息をついた。妙な話と情景を見すぎて興奮しすぎていたのか、心なしか息が上がっていた。だがすぐに疑念を浮かべて前の『課長』と呼ばれる女性を向いた。


 「嘘ではない……?」


 「……日本魔界府府庁魔術呪術物品秘匿一課へようこそ。新人君。君の採用面接は合格。明日から即戦力でお仕事だ」


 「ええっ?」


 すぐに隣の『賀茂』さんが小さく手を挙げながら話しはじめる。


 「よろしくおねがいします。えっと、自己紹介まだでしたね。私は『賀茂瀬里奈』、陰陽師です。出身は京都の方で、先月ここに入ったばかりです。新人同士頑張りましょうね。私の方がちょっと先輩ですけど」


 僕に握手してくるが、まだ僕は事態を呑み込み切れていない。だが会話はそのままの流れで車内のメンバーの自己紹介が回りだした。詰襟の彼が話す。


 「宮内庁外部特務機関『神祇寮』の宇美部来希(うみべ らいき)だ。ま、政府の監査って奴でね。日本政府から直々にここへ、隣のコイツと一緒に派遣されてきている」


 隣のフードの彼を親指で指す。そのまま続けてその彼が自己紹介をはじめた。


 「同じく『神祇寮』の有穂歩(ありほ あゆむ)。コイツの金魚のフンやってる。コイツとおんなじでこの課にはたまに顔出す程度。好きなものは騒ぎと酒。よろしくねー」


 前の方の席から機械音声が聞こえてきた。


 「技術班の医療・封印担当やっている森水都(もり みずと)です。一応、世俗の国際医師資格と魔界(こっち)の呪医免許持ってる、医者です。よろしくおねがいします」


 運転席に座る恰幅の良いスーツ姿の男性からも話しかけられる。


 「同じく、技術班の研究・開発・修理担当、琉鳥栖玲央(るとす れお)だ。君は他の馬鹿どもみたいに備品とか道具とかむやみにぶっ壊さないでくれよぉ。修理するのは俺なんだ。最近は車の整備まで押し付けられてきて、こっちは手一杯なんだよ」


 その言葉を聞いた途端、車の扉が開く。すごい風に吸い込まれそうになり、その扉の外を見ると遥か天空、雲の上にこの車が走行していることがはっきりと分かった。また、その扉を開いた主が先ほど戦闘していた奇異な袈裟の男性と上半身裸体の男性であることも空中に袈裟の彼が直立し、裸の彼が鎖を車内に触手のように這わせてずるずると車内に入ってきた事で分かった。


 「うわ、お前らデカいんだから入って来んなよ、車内狭くなるだろー」


 有穂さんがそう文句を言う。


 「良いではないか、こっちは結構揉まれてきたのだ」


 ずいずいと有穂さんを押して彼らがどかどか座る。後から来たスーツの彼が扉を閉めてその近くに座る。


 「敵さん全員尻尾巻いて逃げなさりましたよ。全員満身創痍で増援あると面倒なんで追いませんでした。……もう説明終わって、自己紹介続いてたカンジ?」


 「丁度俺がお前らの文句を言ってたとこだ。空中で車の扉開くな。扉ぶっ飛んだらどうする」


 「あそう。ごめんね。じゃ俺の自己紹介するね」


 殆んど意に介していない謝罪と共にスーツの彼の自己紹介が続く。


 「俺は春沙(はるさ)クラビス。欧州の『呪塔會(じゅとうかい)』っていう陰気な呪術師の協会から派遣された、呪術師さ。呪われた物品なんかは俺、蒐集しているから見つけたら破片だけでもくれよ。見ての通り外国人、イギリス人だよ」


 帽子を取りながら微笑して彼はそう語った。続いて袈裟の彼が語りだす。


 「次は拙僧でよろしいかな。拙僧、金剛破戒居士(こんごうはかいこじ)と申す僧侶である。まあ、見ての通り通例の仏道に進む者ではない、破戒僧などと呼ばれることもある。拙僧は特に戒律もなく、別に布教する気もないので、安心してくれ。好物は、肉、ホルモン、甘いモノ。えーとあと何かあったかな。ま、飯は何でも食べる。出身は君と同じ北海道だ。同郷同士仲よくしよう!」


 握手を求められて、そのまま受け入れる。意外と握手は優しく、手は想像以上に柔らかかった。金剛さんに小突かれて、ガスマスクを外して頭の後ろに手を回して我関せずといった様子の上裸の彼は自己紹介する。


 「海川有馬(うみかわ あるま)。去年一課に転属してきた」


 そう言ってすぐ目を瞑ってしまった。課長さんが口を開く。


 「……さて、一通り自己紹介も終わったな」


 「え、課長、ご自身がまだでしょう?」


 宇美部さんが囃すようにそう言いだす。


 「そうですよー。新人君に、自己紹介して下さーい」


 有穂さんがそれに乗っかる。


 「……」


 何だか課長さんから凄まじい圧を感じる。口をへの字に歪ませているようだ。怒っている…… とは不思議と思えない。


 「……国連秘匿保障委員会東アジアセクター日本派遣員、秘匿一課課長のベアトリーチェ・カントルだ。……よろしく」


 「よろしくおねがいします……。って、僕、ここで働くんですか?」


 課長さんはゆっくり口を開く。


 「……『上』からの指示でな……。不満ならこちらから掛け合うこともできるが……。」


 「その、さっきみたいな、『魔術』なんて、僕には」


 「だが君は事実凄まじい魔力を今も有している。二時間前の『爆発』と比べると随分と小さいが、徐々に君の『力』は開花していく。今も感じるよ、君の才能の開花を。それに、魔術など時間さえかければどんな人間でも扱えるものさ」


 宇美部さんがはっきりと断言する。春沙さんが続けて話す。


 「この課の誰もが君を歓迎している。『魔術』についてなら俺たちが一つ一つ教えてってやるさ」

 金剛さんがさらに続ける。


 「基礎に関しては拙僧が全て教えて進ぜよう。何百人もの生徒に教えた事もある。君なら一週間もあれば初歩的な『魔術』を扱えるだろう。安心していいぞ」


 課長さんがおずおずと話をはじめる。


 「……こちらとしても人手は常に不足している。初めは研修期間みたいなものだ。半月ほどは書類作業をしてもらうつもりだが……どうだろうか」


 「えっと……」


 特に断る理由、そんなものは思い浮かばなかった。家族の安全は一応保障されているようだし、今の生活に名残惜しさはない。なにより、無理して得た就職先なんかよりもずっと興味深く、面白そうなことが始まりそうなこの仕事に、どうやら僕はワクワクしてもいるようだ。


 「まず、自己紹介……からですかね」


 「……ふっ。そうだな。まだ、訊いていなかった」


 歓迎の笑みがその場の人々にあふれた。


 「鳥羽或人(とりう あると)です。出身は北海道、大学は阿嘉霧市立三栖賀大学文学部英文学科です。えと。趣味は映画鑑賞と読書です。よろしくおねがいします……」


 「……秘匿一課へようこそ。新人君」

 

………



 ――〇――

 2022年2月4日午後2時35分。日本魔界府府庁秘匿通信室。

 

「……以上が今回の特務指令の報告になります。対象は我々秘匿一課に所属という事でよろしいのですね?」


 「ああ、その通り。指令通り、そのまま課員として育て上げてくれ。もちろん実戦にも出てもらう予定でもある。育成担当は炉場……じゃなくて金剛だったか」


 「……何故敢えてこんな危険な指令を? 本部で他物品と同じく管理……とまではいかなくとも、我々ならばもっと安全な選択肢が……」


 「カントル君。君は『卿』の決定された指令を疑うのかな?」



 ――ベアトリーチェ・カントル――

 目の前のモニタに映る相手の表情は通例通り、判別し難い。西洋人コーカソイドのような、東洋人モンゴロイドのような、中東人オーストラロイドのような、黒人ネグロイドのような……電子機器を通した通信にさえ彼らの『認識阻害』が影響しているというのだろうか。何故、わざわざモニターをつけているのか。『上』の人間はいつも理解し難い行動を採る。


 「……いえ。ただ私にはこの行動の目的も予想しているシナリオとやらも皆目、見当がつかないだけです」


 「カントル君。『卿』の指令は、絶対だ。『卿』は全ての事象を鑑みて、調和のために指令を下される。それを検討するのは君たちの仕事ではない。……のは君も知るところだろう」


 落ち着き払い、ゆったりとした口調で、優しささえ感じられる低い音が響く。語気に荒さはなく、怒りもなく、受容の心が感じられる。いつもその声色は、通話が終われば淡い夢のように過ぎ去っていく。再び思い出すことができない。夢の中の住人を上官に持つ人間にしかない奇妙なストレスはどう発散すればいいのか? 私にはわからないし、共感者も永遠に表れないだろう。


 「……はい、失礼しました。『執務官コンスル』殿」


 「いやいや、こちらこそ失礼。我々としても今回の指令の理由として答えられる回答がこれ以外ないのだよ。ともかくとして、我々の指令は今後も対象『鳥羽或人』君を課員として育成していてくれ。次の指令は然るべき時に送るのでね」


 「……はい。了解しました」


 通信終了のラテン語が画面上に表示される。後ろの自動扉が開き、密室が解放される。核シェルターのように強靭なこの部屋は今の奇妙な姿を隠すため、ではなぜそんな姿を何故晒すのか……? 言い知れない恐怖を思わせるあの奇異な雰囲気で我々を飼いならすためか、私を試すためか、私を信頼するためか……。毎度私はそう悩み、通信に現れた表情を思い出そうとして、記憶にノイズがかかったように、彼……彼女?いや、彼だったはずだ。の、顔を全く思い出せずに終わるのだ。うっすらと通信の内容をかろうじて思い出して、私は暗いモニター室を後にする。後ろで自動扉が勝手に閉まり、あの部屋の入り口は壁と一体化して誰にも見えなくなる。私にすら、次にどこにあの扉が現われて開くのかは不明なのだ。



〈序章 完〉

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