第一章『瓦斯倫男は魔術の夢を見るか?』(Does Gasoline—man dream of Magic?)

第一章『瓦斯倫男は魔術の夢を見るか?』(Does Gasoline—man dream of Magic?) 本文

 ――



 ――増田太郎ますだ たろう――

 こんな、夢を見た。

 夏だ。夏だってのに涼しくて、コメの収穫が心配されるような夏だった。妹と街の喫茶店で話していた。妹はいつも俺が帰ってくると、家を離れて、その喫茶店に行こうとせがむ。俺は喫茶なんてガラじゃなかったが、いつの間にかそこに、妹が居なくとも足を運ぶようになった。店長の息子がたまにじゃれてくる、あの喫茶店に、俺は居る。


 「……もう、死ぬよ」


 隣に座っている妹が、そう言った。俺は良く呑み込めないまま話した。


 「死ぬって……? そりゃいけないよ」


 「悲しい? 私が死んだら」


 妹はこちらを見ずにそう言った。俺は妹の方を向いているのに、あいつの顔は見えない。


 「悲しいよ。だってお前、大切な家族だもの。妹だもの」


 俺は今、十六の時の俺だ。妹は今、十三の時の妹だ。


 「家族……それで、それだから。……死ぬよ」


 妹の顔は見えない。ずっと話は呑み込めない。


 「どうしたって死ぬんだい。そんなに悲しいのかい?」


 「悲しい……悲しい? わからない。わからないよ。なにが悪いのか。でももう私、悪いから」


 顔が見えなくても、俺には頬に涙がつたっているのがわかった。雲中模索してようやっとそれがわかった。妹の顔は闇の布が掛ったみたいに暗がりの中にある。この喫茶店は今、すごく暗い。


 「君がわからないんじゃ。俺だってわからないよ」


 そう俺が言ったとき。妹の顔は何故か一瞬はっきり見えて。ああ、その顔。その顔はあの時見た。あの時。君が死ぬときに見た、驚いたように見つめて、悲し気な。俺に失望した顔。



 ――



 ――○――

 魔界府府庁所在地『黄泉平坂』

 ……滋賀県に広がる琵琶湖の中央部に存在するこの場所は他の【魔界】同様、魔術の力なくしてこの場所に立ち入ることはできない。


 このような自然界を流れる魔力の力場が生み出した秘境『境界』。世界の各地のこうした場所に魔術師たちや魔力を帯びた生命、物品は隠れ住んでいる。


 ――黄泉平坂市黄泉区。

 魔術によって作り出された防壁によって、湖水を阻み造られた、この『黄泉平坂市』は空から見て円形をした巨大な都市である、この円形の中央を流れる『三途河』を隔てた北部は『黄泉区』と区分され、古くより毒草・薬草の草原や霊魂の寄る辺として知られる。このようなことから、この陰気で岩山の陰が落ちる地域は死霊術師や呪術師、更には流刑地などとして扱われた歴史もあり、今日でも貧窮に在るものがこの区域の『霊魂流留街レイコンリュウルガイ』や『黄泉辺食町ヨモツヘグイ』に多く住み、低所得者層住宅街というよりもスラム街に近しい様相を呈している。


 鳥羽或人はこの黄泉区霊魂流留街の寺社にて、秘匿一課配属後二週間ほど寝食を施されていた。



 2022年2月16日7時58分、魔界府黄泉平坂市黄泉区霊魂流留街、寺社にて。



 「そろそろ出勤であるぞー。鳥羽殿。準備は宜しいかな?」


 ――鳥羽或人――

 重厚な低さながら軽やかな調子の金剛さんの声が、玄関からこちらへ響いてくる。このお寺は天井が高く、どの場所も広いからよく声が響いてくる。僕はいくつかの資料とノート、春沙さんや金剛さんからもらった参考書を入れた鞄を持って部屋の襖を開く。玄関に向かう廊下は新築特有の清涼な匂いが微かにする。左手には本堂が見える。仏像とかはない不思議な本堂だが、運動にはちょうどいいと金剛さんはここでいつも僕に修行をつける。


 「今日もご飯、ごちそうさまでした」


 玄関で待っていた金剛さんは裾の中で腕を組み、晴れやかな笑顔を僕に向ける。彼はいついかなる時であれ、人と喋る時は満点の笑顔を向けて話す。二週間ほどしか付き合いはないが、裏表のない尊敬できる人だと確信できる。格好や考えはずいぶん変わっているが。


 「毎度味気ない朝飯で済まなんだな、何せ炊き出しと共にやるものなのでな。あ、あとこれ弁当。今日はガッツリめに、生姜焼き弁当であるぞ」


 「ありがとうございます。毎日おいしいですよ」


 弁当箱の入った小包を渡してくる。金剛さんはずいぶんと大柄なため、僕にとって標準的な弁当箱が子供用に思える。豊かな袈裟の衣の上からもしっかりとした体格がわかるほどに鍛え上げられた体をしていることも容易に想像がつく。


 「……前々から思っていたんですけど」


 お寺の門を出ながら金剛さんに話を振る。金剛さんの後ろ手に縛られた長い黒髪が揺れ、こちらに少し顔を向ける。金剛さんは話すときどうしてもこちらを向く。歩いているときに話すと危ない気がするが、向こうもおしゃべりなのでもう気にならない。


 「何であるかなぁ?」


 「金剛さんて、お坊さんなんですよね……肉食もされるし、お酒も部屋に置いているようですし、髪も伸ばしているので、その、流派がよくわからなくて。あー、失礼でしたかね」


 金剛さんは首筋を掻きながら笑って語る。


 「いやいや、はは。混乱されるのも無理はない、何しろ拙僧の流派は亜流も亜流。邪道と呼ばれて久しいもの……。む? だが、鳥羽殿、拙僧の寺の名前で大体見当はつくのではないか?」


 僕はこの二週間寝泊まりしたお寺の門にかけられた看板を思い出す。


 「ああ……その、看板の字が達筆すぎてですね……」


 「あ、これはいかんな。がっはっは。気合を入れて描きすぎたようだ。もっと広く知られるために次はゴシック体にでもしようかな……。ま、とにかく拙僧の流派であったな。拙僧の流派は何を隠そう『民主社会主義無神論』。そして寺の名は『民主社会党組合会館』である」


 予想外の答えに思わず、周りに響くような大きな声で『え』と言ってしまった。今なんて言ったんだこの人は? 社会? 民主主義? 無神論? なんでこの人は僧侶を名乗っているんだ?


 「フフフ、皆最初に聞いた時に必ず驚かれる。だが拙僧にとってみれば仏陀もジーザスもモーセも、マルクスもレーニンもルクセンブルクも大して変わらぬ。皆、人を助け、平等を求める……社会主義の考えよ。だが、拙僧は神も仏も要らぬ、人が居ればそれでよい。それが拙僧の流派よ。まあ小賢しい名前は忘れても構わぬ」


 街角を曲がりながら金剛さんは眼を細めてほほ笑む。


 「いえ、そんな。ただちょっと気になっただけなんで、これからも住むことになるところがどんな名前なのかって」


 「がっはっはっは。打ち解けるのに、だいぶかかったようであるな。ま、無理もない。何せ急なことであるからな」


 話しているうちに僕たちは霊魂流留街のバス停へ着いていた。魔界のバスは他の車同様空中道路を飛行する。同じ課の賀茂さんはスクーターで空を走るらしいし、課長なんかは面倒なので自分でちょくちょく空中浮遊術を利用しているという。おかけで道路は歩道と自転車道となっていて、この辺鄙な地域では車道すらないし自転車も滅多に通らない。



 「お、来たようであるな。今日もなかなか入っておる」


 今日やってきたバスは東京を走っていた古いバスを基に改造されたもののようだ、シートの一部は別のバスの物らしく柄が異なっている。つり革も所々色が違う、同じなのはスーツ姿の人々が鞄を持って乗りこんでいることぐらいか。当然と言えば当然かもしれないが浮遊して走行する際の揺れはあまりない。この点はこっちのバスの方が快適かもしれない。


 『鳥羽殿も世俗出身であるが、拙僧も実は世俗出身でな。こういうバスや車を見ると、なんだか懐かしいのだ』


 何時だったか金剛さんは帰りのバスでそう語った。どうやら魔術を自力で会得したり魔力の才にあふれる者は僕のように特例で魔界へと編入されるそうだ。


 ――金剛破戒居士――

 む。あの顔は……。


 『次は、中央台府庁前ぇ、中央台府庁前ぇ』


 ――鳥羽或人――

 窓から見える下の景色がビルと人々の往来となってしばらくして、目的地のアナウンスが入る。ここではいつも多くの人が降車する。僕らと同じ府庁で働いているのだ。


 「あ、鳥羽殿。先に降りたらちょっと待ってほしい。野暮用ができそうだ……」


 金剛さんは降車前、僕に耳打ちした。すると金剛さんは僕との間に一人の人間を置いて降車の列に並んだ。僕は運賃を支払いバスを降りようとした。


 「どけぇっ!」


 「うわっ!?」


 するとその時、僕の後ろに並ぶ男が突如として運賃を支払わず、僕を押しのけてバスを降りようとする。


 ――金剛破戒居士――

 やれやれ、往生際の悪い奴よ。先日見た『不動金縛り』を試してみるか……。


 「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」


 鳥羽或人:ドスっと鈍い音がして、僕の目の前に先ほどまで後ろにいた男が落ちてきた。


 「失礼、拙僧は府庁秘匿一課所属、彼奴は違法団体『隠者の薔薇』構成員の指名手配犯『蟹江鋤矢』である。逃走を図ったため手荒な方法を採った。お騒がせしたな、すまない」


 金剛さんは分厚い本を片手にバスの車内の人々へ説明しつつ降車する。バス車内外の人はこの捕物に拍手しながら金剛さんを称えているようだった。

 目の前のコンクリート地面にたたき落された男は、くの字に体を曲げたまま硬直したようにピクリとも動かない。瞳も口も開いたまま固定されたかのように。


 「以前戦った山伏の呪縛呪文の一部を使ってみたが、なかなか効いたようであるな。これは使える。いやぁ、いいものを知った」


 金剛さんはそのまま男を片手でひょいと持ち上げる。


 「鳥羽殿、先に行っていてくだされ、拙僧は此奴を突き出してくる」


 「ああ、はい、行ってますね」


 「全く、最近は違法団体の活動が多い……」


 ボソッと呟いた後金剛さんは鳥居のある府庁の正面入り口へ向かって行った。



 僕はいつも通り府庁の人気のない裏口へ回り、そのまま廊下から地下室へ続く階段を下りる。幾人か腰に刀を下げたスーツの警備員に挨拶しながら、びっしりとお札や文字、模様の刻まれた壁を横目に仕事部屋へと向かう。冷たい足音を響かせながら地下二階の階段を下りてすぐ左、扉を開くと課長と賀茂さんが既にデスクについていた。


 「あ、おはようございます! 鳥羽さん」


 賀茂さんがすぐに元気に挨拶する。今日も巫女のような服装だ。


 「おはようございます、賀茂さん、課長」


 「……。金剛は?」


 「……。金剛は?」


 相変わらず課長は、つばの広い帽子をしていて瞳が見えない。どんな時でも彼女が帽子を脱ぐ様子を見せたことはない。たとえ室内であっても。


 「あ、金剛さんはさっき指名手配犯を捕まえて引き渡して少し遅れます」


 「珍しく一人で来られたと思ったら、そうなんですね!」


 「……。そいつの所属団体は?」


 少々の沈黙の後次の言葉が来る。深い響きを持った声は一言少し小さな声で語られているにもかかわらずよく聞こえる。


 「あ、ええと『隠者の薔薇』だったかな……」


 「……。そうか、違法団体の名称ぐらいは覚えておけ」


 そう言うと課長はマグカップの珈琲を一口飲み書類作業へ戻った。まだここで働いて二週間ほどだが彼女が感情を見せた場面を僕は見たことがない。

 僕は十二のデスクが並ぶ部屋の北側のデスクへと腰掛ける。丁度賀茂さんの隣だ。……地下階にも関わらずこの部屋には閉塞感が感じられない、東側の課長のデスクの後ろにある壁には外の景色が映し出されている。カメラなのだろうか、それとも魔術によるものなのだろうか。だが地下の閉塞感を感じさせない、好いインテリアだと思う。


 「Hello、おはようございますぅ。鳥羽ちゃんに、賀茂ちゃん、課長ぉ」


 春沙さんが出勤してくる。彼の席は僕の向かいだ。鼻歌交じりに席に着く。続いて技術者の琉鳥栖さん、呪医の森さんが二人で話しながら、やってきた。


 「今日は金剛、居ないのか?」


 琉鳥栖さんはそう言いながら二足歩行車椅子で部屋の南側にある彼の作業スペースへ向かう。毎度不思議に思うのだけれど旋盤や研磨機、はんだごての騒音がこの機械から発せられた事がない、いったいどのような魔術がそこにあるのだろうか。


 「なんだか騒ぎがあったみたいですね」


 森さんの機械音声がバケツの中から流れてくる。穴一つないバケツの中身は二週間経っても僕は知らない。どうやって見ているのだろうか。


 「あ、えーと。金剛さんはですね……」


 「いやいや、遅れてすままなんだ。ちょっと捕物をば」


 金剛さんが丁度出勤してきた。始業時間(九時)丁度。彼のデスクは春沙さんの左隣。今日は神祇寮の二人は来ない日であるようだ。皆はそれぞれ、仕事を始める。賀茂さんや春沙さん、森さんは資料作成のようだ。金剛さんは現場に行く準備として資料を僕の席の後ろの資料棚から探している。琉鳥栖さんはパソコンのような機械の、モニター電源を入れている。この『魔界』ではスマホのような電子通信機は、特別製の外部とつながらない特注品でない限り、禁止されているらしい。


 「……やれやれ……。今日も海川は遅刻か」


 課長のため息交じりの独り言が、例のごとく呟かれるのを聞きながら、僕は後ろの本棚から資料を集め、本日の書類整理作業を開始する。僕がこの二週間回されてきた仕事は、報告書のチェックと書庫への収蔵。その過程で、この課で扱っている『秘匿物品』に対する理解を深めてきた。



――


(※『参考資料 秘匿物品回収報告書【一軒法典】』:

秘匿物品回収報告【一軒法典】

担当者:秘匿一課所属 春沙クラビス/秘匿一課所属 森水都(初期担当者:秘匿二課山川朗貴、秘匿二課 小沢康則)

物品番号:2022032EAjp

物品種別:法則・場所・書籍

物品危険性:安定・封印可能

魔術種別:A群法則術異世界法則術

特殊物品強度:災厄級(常時魔力量1.116*10^2g毎秒、最大瞬間出力3.0*10^4g)

特殊物品処分:本部封印処分(※1)

物品通称:一軒法典

物品外観:書籍状の物品。重量200g程度の革製の表紙、各ページは完全な紙の質感。破損・分解・分析は不能。表表紙には金箔押しとみられるデザインの文字で「法典」と視認者の理解可能な母語で書かれる(※2)。背表紙は表記なし。巻末の出版表記もなし。内容は表表紙と同様に視認者の理解可能な母語で編纂されている。

物品魔力観測:初期観測においては日本支部広域魔力観測計「零番伏見稲荷社」により非常に微弱な魔力を地点JPTSU-199において観測。『近隣地点における何らかの外的要因により本物品の領域が外界に露わになったことで、領域より漏れ出した微弱な魔力を感知したと考察される』(※3)。日本支部における直接観測型魔力計「六式」による魔術強度観測において観測不可能域の強度を観測。本部移送後に強度「災厄級」と認定。類似の領域術物品同様に領域内において高度な魔術強度を有し領域外において観測困難な魔術強度を示す性質を持つ。

物品魔術効能:

①領域について。本物品の効果領域は可変領域であり、本物品が「認識」する「枠」の内部が領域となる。本物品の領域の限界は現時点においては面積19億平方キロメートルまでが観測された(※4)。初期調査において本物品は地点JPTSU-199(市街地)の倒壊した家屋内部に位置し、領域は家屋全体に広がっていた(※5)。回収作業において本物品は特殊ケース内に収容され移送された(※6)。

②対象について。本物品は領域内の生物を対象にとる。領域内の電気信号を有する生命体は完全精神操作状態であり、魔術強度災厄級以上の抵抗強度を有する存在以外はいかなる回避・抵抗・防護術・護符も効能を持たない(※4)。

③具体的な効能について。本物品に記載された『法』について違反と見なされる行為を行った場合、違反者に本物品に記載された『法』に記載される刑罰を与える。裁判などは行われず、完全な罪刑法定主義に基づき刑罰が施行されるようである。

④介入術・封印に際する本物品に利用されていた魔術式の特色について。本物品は人為的な操作によって作成されたと思しき本を主体としているが施された魔術は経年による変質により強力なものとなっている。根本にある魔術は200~300年前のフランス語によるものと考えられ、形式はカンボジア(元フランス領地域)方面の伝統的な魔術形式とキリスト教系の黒魔術形式の混淆が見られる。精霊信仰的な側面から周囲の霊魂の残滓や魔力を取り込む効能が偶発的に発生。また、近年のフランス語術式による改造の痕跡も見られ違法団体による撹乱の可能性も考えられている(※2報告書参照。)

⑤効能例。禁則、本物品の全156項目の内60項目が禁則を示す。『第二十五条:万民は、全て、くしゃみをしてはならない。した者は骨を一本折られる。』は実際に初期調査の際に効能を発揮し(※5)、秘匿二課所属 山川朗貴 第二級術師が右足小指を骨折、秘匿二課所属 小沢康則 一級術師が背骨を骨折、全身不随の重傷を負った。また、小沢康則の骨折の際に『第十条:万民は、この空間内の足が接触する床部分に尻をつけてはならない。行ったものは〇〇〇(原文では不明な名称が示される。)となり偉大なる〇〇〇(原文においては不明な名称が示される。)の御許へ還る。』の効能が発現し、小沢康則はヒト型の嘴と羽の生えた生物に変形、同時に昏倒しそのまま三時間後に絶命した(※5)。

回収経緯・概要:本物品の回収において初期調査での「六式」による魔力計測の際、秘匿二課所属 小沢康則 第三級術師が殉職。(※6) 。彼の殉職を受け秘匿課は本調査を一課預かりとした。秘匿一課春沙クラビス、森水都が担当。2022年2月6日9時25分作業開始。作業開始から10分後日本魔界府外縁にて不明な魔力観測が発生、連絡を受けた春沙クラビスが一時帰還(※6)、12時25分介入式魔術的結合阻害封印完了。13時30分護送完了(※6)。2月12日13時15分本部災厄級強度センターへ移送(※1報告書参照)。

※1:物品移送報告2022032jp-13報告書に記載。

※2:認識魔術によるものと推定、効果範囲・効果対象の研究については2022032jp-12報告書に詳細が記載。

※3:初期観測における、指定物品の観測の変化についての研究報告2022032jp-11報告書、3ページ23行目より。

※4:本部特殊研究部門による、災厄級物品研究の研究報告VC20221103-156報告書より。

※5:初期調査報告2022032jp-1報告書より。

※6:回収作業報告2022032jp-2報告書に詳細が記載。)


――



 「書庫整理、頼まれていた分終わりました」


 昼休憩終わりの少し後、僕は頼まれていたすべての仕事を終わらせ、課長に報告した。課長のデスクの、後ろの壁に掛かる絵(?)は午後の日差しさえも完璧に再現している。今日は陽光に照らされた山地が映し出されているようだ。


 「……ご苦労。先ほど『上』から仕事が下され、お前と賀茂……それから……」


 『ドン』と音がして、乱雑に後ろのドアが開いた音がした。振り向くと、例のごとく上半身裸体に、黒いカーゴパンツと黒革のブーツを履いた有馬さんが、自分のデスクに向かって行っているところだった。ガスマスクは腰に、西部ガンマンの銃のように下げられ、ベルトの代わりに赤黒く錆びた鎖が、腰から腕にかけて刺青のような、細かな模様を描いて、肌にぴったりと巻き付いている。


 「……ちょうどいい。海川、賀茂、それから鳥羽、お前たちに任務だ」


 「秘匿物品の回収任務ですか?」


 賀茂さんが僕の後ろから右手を挙げながら課長へ質問する。


 「……そうだ。海川の車で行け。その方が早い」

 

 「あ? 車出すんすかぁ、俺」

 

 座りながらデスクに乗せた足で椅子を押したり引いたりして有馬さんは課長に訊く。


 「……何か問題でもあるか。普段報告書も書かないでいるのに自分の任務に車を出すくらいのこともしないのか?」


 空気が急に重くなる。殺気というやつか圧力のような緊張感が感じられる。


 「なんでもねっすよ。行きます、行きますぅ」


 ばつが悪そうに有馬さんは立ち上がる。


 「はぁ……。今回の任務の対象、そしてこれは二課が作成した調査報告書だ。あと、これは少ないが、警察の記録だ」


 何十枚かの資料を僕は受け取る。すかさず僕の隣に来ていた賀茂さんがまたも右手を挙げて質問する。


 「課長、警察の記録ということは、世俗で一度事件になっているということですか?」


 「……そうだ。行方不明事件ならびに変死事件がいくつか起きている。旧軍関係者が被害者らしい。経験則的な勘だが、今回の物品は『意志を持つタイプ』だろう。お前ら二人はまだこの手の物品の回収は未経験。この仕事で覚えてもらう」


 淡々と言葉が紡がれていくのを、資料を抱えながら眺めていると急に後ろから春沙さんが声を掛ける。


 「課長がこういう時は大体激ヤバ案件だ。君らヒヨッコトリオ、もしかしたら死ぬかもね。ハハハ」


 泣き顔にも見える笑顔で冗談めかして春沙さんがそう語る。賀茂さんは露骨に肝を冷やしたような表情で直立している。有馬さんはとてもうれしそうにニヤニヤとしながら部屋を出ていく。

 ……死ぬかもしれない。

 先に見ていた報告書のような事象が、もし本当に僕らが対処しなければならないものだったら……僕は何度死ぬのだろうか、得体のしれない奇妙な恐怖がどの報告書にも無機質に絡みついていた。秘匿二課の人が報告書内で何人か死んでいた。


 ――○――

 迷ってたって始まらない。行動は迷いを晴らしてくれるさ。


 「え……? 何か言いました?」


 「誰も何も言っていないぞ。空耳か? ……そんなに心配しなさんな。有馬もいるし。君らならダイジョブだ。新人には悪い冗談だったな。ゴメンね」


 ――鳥羽或人――

 春沙さんが口髭を触りながら謝罪の言葉をくれる。さっきのは……唐突に誰かの思考が差し挟まったような感覚。前にも似た感覚を……。


 「おい、さっさと行くぞ。いつまで待たせるつもりだぁ。車出すこっちの身にもなれ!」



――



(※警察捜査報告資料 

 連続失踪事件 捜査報告書 担当者:千葉県警捜査一課所属 松谷ケンイチ

 被害者:神田四郎(105歳)神田睦月(45歳)篠田圭吾(44歳)楠田清三(65歳)

 事件現場:千葉県船山市66-8 老人ホーム『敬老パレス高閣』 千葉県船山市56-9路上 千葉県船山市89-8 楠田清三自宅

事件内容:①2022年2月8日20時30分、高級老人ホーム『敬老パレス高閣』349号室にて全身が28個に切断された神田四郎の惨殺死体が当老人ホームの介護士、佐藤大吾(26)によって発見。通報された。死体は鋭利な刃物で骨ごと切断され、抵抗した跡は全くなかった。心臓、肋骨、顎、両眼球、の部位が5cm間隔で1メートル四方に並べられていた。

 室内は血痕の他、靴跡と凶器と思しき刃物が残っていたが、靴の跡に一致する正規品の靴は存在せず、凶器として現場に残された刃物は正規品に類似のものがあるがスケールが全く合わず、精巧な手製と思われる。その他現場に指紋などは全くない。侵入・脱出経路は割られた窓と推定されている。

②2022年2月9日20時15分、千葉県船山市56-9近くの路上で神田睦月(45)が倒れているところを、近くを通りかかった吉田直正(31)が通報。神田睦月は翌日8時30分に目を覚ました。証言によると『フルフェイスマスクを被り、詰襟の学生服のような服を羽織った奇妙な男性が叫び声を挙げながら飛び掛かり、それに驚いて転倒したところ、その男性が何か掌に持つ刃物で切りつけようと手を振り上げたが、突如うめき声をあげ、はっきりと『済まない、君は関係ない、すまない。』と言って逃げて行ったという。その直後彼は気絶した。』とのこと。

③2022年2月11日20時5分、千葉県船山市89-8楠田清三氏の自宅から『男に襲われている』との通報があり、20時20分に山口博(船山交番勤務)が現場に到着。現場である居間にて蹲る長身のフルフェイスヘルメットのような頭部をした幾つもの管をつけた男を発見。その周辺には腕に切り傷を負った篠田圭吾氏と足に切り傷を負った楠田清三氏が倒れていた。蹲っていた男は飛び上がり、バク転の要領で居間の破られた窓を抜け、外に出ると家の壁を上り、他の家々の屋根を跳躍しながら去っていったと証言している。その男の胸部にはエンジンのようなモノが駆動しており、管から煙を出して、駆動音を響かせていたとも証言している。

 篠田圭吾、楠田清三氏両名の事情聴取を2月13日に予定していたが警視庁の指令により捜査は停止された。

④2022年2月8日未明より船山市内で屋根の間に人影を見る不審人物情報が増加。他にも奇声や動物の惨殺死体の報告が増加した。

捜査経過:これら一連の事件を同一人物による犯行と仮定、周辺住民の聞き取り調査を続けたが2月13日警視庁の指令により全ての操作を停止。上の指令は絶対。クソッタレ。)



――



 ――増田太郎――

 こんな、夢を見た。

 皆が寝静まった夜。俺はふと目を覚まして、居間に出た。電灯が点いていて、母が座っていた。母は寝間着が少し崩れていた。母はおれに気づくと少しぎょっとしたが、すぐにいつもの調子に戻っていた。


 「〇〇〇」


 俺には母の言葉がよくわからなかった。ふわふわとした優しさのある声だったが、何を言っているのかわからない。俺は無視をするのも嫌なのでああとかうんとかの返事で誤魔化した。


 「〇〇〇……〇〇〇。叔父さんがね……〇〇〇、〇〇。雪が〇〇〇。〇〇……」


 母は言葉を続けている。理解が淀んでいるように、俺にはその言葉がほとんど伝わらない。誤魔化した返事がちゃんと話にあっているのかもわからない。俺は台所で水を一杯飲んでからそそくさと部屋に戻ろうとした。


 「寝るの?」


 母の言葉がやっとわかった。


 「ああ。」


 「おやすみなさい。〇〇〇」


 ああ、母の不明な言葉には俺の名前も含まれているのか。俺にはそれが何だか、妙に悲しかった。


 「おやすみ。母さん」


 俺はそのまま部屋に戻った。俺の部屋は皆の寝室から少し離れていた。



――



 ――○――

 2022年2月16日14時25分、日本国千葉県沿岸部上空にて。


 「ちょっと有馬さん、これ世俗の通信機器ですよね? 違法でしょ、この車に積むのは!」


 ――鳥羽或人――

 ピカピカに磨かれた、古いフォルクスワーゲンのワゴン車内で、賀茂さんの怒号が飛ぶ。彼女は運転席ラジオ部分につけられた、YouTubeライブを映すモニターを指さして、僕の右隣の後部座席から身を乗り出して、運転席の有馬さんに顔を向けている。当の有馬さんは別に気にした様子もなく、左のイヤホンから流れる音に耳を傾けている。


 「流石に魔界内では使わねー……。てか、そもそも使えねぇよ」


 「使う使わないじゃあないでしょ! 禁制品なんですってば!」


 「うるっせえ! ライブ聴こえねえだろ!」


 有馬さんは運転しながら、イヤホンの外にまで響くほどの凄い音量で、Vチューバーのライブを流している。

 賀茂さんはそれに負けじと大声で怒り、興奮した様子で握った手を動かしている。窓から見える外の様子は、先ほどまでの空中から普通道へ移り変わり、現在は沿岸の道を走っているようだ、太平洋の穏やかな波間が見えている。もう千葉なのだろうか。


 「……時にお前ら。戦闘で使う手札の情報の出し合いをしないのか? 俺は別に一人でもいいが……」


 「あ、それはやっといた方がいいですね。鳥羽さんもいいですか?」


 けろっとした様子で、さっきまでの興奮を切り替え、僕へと顔を向ける。僕は初任務だからよくわからないが、そういう手の内を出し合ったりするのは、任務前にすることなのだろうか。確かに他の人の術を僕は知らない。


 「ええ、だいじょうぶです。でも、僕はまだ来たばかりで、その、基礎的なものをやっていて、戦闘なんてまだ……」


 「お前にはその面で期待はしてない。戦闘も初めてだって聴いてるからな。当然メインは賀茂と俺になる。見て慣れろ」


 「でもあれだけの魔力量ですから、基礎的な魔術でもすごい『出力』を長時間出せますよ! 私なんて自分の術を使うのに毎週長い儀式が必要なんですよー。コスパ悪いんです。コスパが」


 つい二週間前まで大学生をやっていた僕に、本当にそんなことができるのだろうか。金剛さんから日々教わっている魔術の基礎や、お寺の広間でやる座禅修行なども確かに身体の奥底から力のようなものが溢れ出る感覚があり、金剛さんに教えを受ける術の扱いについても日に日にそれが現実であるという感覚が未だに湧かない。まして、土壇場で僕に何ができるだろう。


 「いやそんな、僕はまだ……」


 「教わって二週間だ、俺たちみたいな生まれた時から教育と一緒に魔術使ってるのとは感覚が違えよ。……金剛は世俗出らしいがな」


 「え、そうなんですか。金剛さん。あの人確か特別指定級魔術師免許持ってましたよね?」


 ぱっと驚いた声を出して賀茂さんが有馬さんを見る。


 「免許? 魔術師って免許制なんですか」


 僕が聴くと有馬さんがちょっと驚いたようにこっちを見て答える。


 「んああ、そうだ。魔術師は一応免許制だ。まあ、強度の低い魔術(※魔術強度は魔術ごとの出力の大きさにより判定される。ここで呼ばれる強度の低い魔術というのは『一般級』に分類される、原則、最大瞬間出力が1ナノグラム程度の出力を持つ魔術。)は魔界の戸籍さえあれば使っていいんだが、ちょっと大荷物動かすようなモンでも普通免許は必要だし、なんかデカイもん造ったりデカイ機械動かしたりするには最低五級が必要なんだよ……」


 「5級は大学を卒業すれば全員取得できますよ」


 「あ、大学卒業資格とも連動しているんですね」


 有馬さんは頭を掻きながら話を続ける。首に掛ったガスマスクのガラス面が日光に反射して、少し眩しい。


 「秘匿課ともなると院卒の四級や、教授職が許される三級とは一線を画するんだ。二級術師でも二課までが限界だ。第一級魔術師免許があって初めて、一課の下っ端ってこった。ちゅうことで、俺もまだまだ下っ端てことよ」


 ――海川有馬――

 そう、まだまだ下っ端……。


 ――鳥羽或人――

 有馬さんが鼻下をこする。


 「実は私、秘匿課の他の人がそれぞれ何級か、あまり知らないんですよね……。金剛さんが特別指定級だって、知らなかったですし」


 首を傾げながら腕組をして賀茂さんは話している。


 「その特別指定級っていうのは、やっぱり違うんですかね」


 僕は有馬さんに尋ねる。彼はハンドルを切って林の国道へ車を進めつつ話を続ける。


 「ああ、第一級までは試験を受けるか、より上級の者の推薦で取得できるが、特別指定級はその級の保持者の推薦と『上』、つまり国連秘匿保障委員会による会議の審査が必要だ……。国際的に認められた者のみが成れる。だから、秘匿一課は世界各州地域に数名のみの配置なんだ。……ちなみにだが、ウチに日本政府から派遣されてる神祇寮の『有穂歩』、ほらあの、フードの黒マスク野郎いただろ、いけすかねえ奴。あいつは特級より上の『特異指定存在』ってやつだ」


 確か僕が保護された際に車に同乗していた二人組の一人だ。この二週間で三回ほどしか出勤していないし、あまり仕事をしているようには見えなかった。


 「それは、どういう括りなんですか」


 僕の質問に呼応して、手を挙げながら賀茂さんが話す。


 「あ、それは私も知ってますよ。『特異指定存在』は『免許』とは異なっていて、あまりにも強大な魔力量・技能から国連が【危険】と認定した人がそう呼ばれるんですよね」


 「ああ、そうだ。あいつらは化物さ……。てかお前もそれだろ、鳥羽」


 急にそういわれて僕はビクッと背中が動いた。


 「ええっ!? そうなんですか」


 「確かに、あれだけの力はそうですよね」


 賀茂さんまでそう言うが全く実感がないので先ほどの魔術の感触と同じく、僕には現実のこととは未だ考えられない。僕のどこに彼らの言う力が在るというのだろうか。


 「まあ、兎にも角にも手札を教え合うぞ、連携したかねえってんなら、俺はそれでもいいが。どうすんだ。目的地近くなってきてるぞ」


 言われてみればもうずいぶんと道を走っている。外の景色は林の中だが時間的に到着は近いだろう。窓の外の林が過ぎ去る様子を見ると……? なんだろうか言い知れない不安が近づくようなそんな気がしてくる。目的地が近づき初めての外での仕事だからだろうか、それにしてはあの林の影からその不安が……。


 「あ、すみません。じゃあ、私から……」


 そういう賀茂さんの方を向いた瞬間。運転席の有馬さんと賀茂さん、そして僕、車内の全員が後部座席向かって右の窓の外へ視線を送った。恐らくは全員が感じたのだろう。先ほどからの不安以上に確信できる、明らかな、冷たい瘴気というべきものに。死角から振り下ろされる棍棒に、頭にぶつかる一瞬前、身構えるかのように、それはきっと僕たち全員に感じられたはずだ。


 ――海川有馬――

 【生きている紐(ケツエキカンセン)】狩人よ、夢から目覚めろ。


 「全員車から降ろせ!」


 ――鳥羽或人――

 有馬さんがそう叫ぶと有馬さんの右腕に巻き付く鎖が蛇のように僕と賀茂さんの腰に巻き付く、左腕に巻き付く鎖は扉を破り車の外へとのびていく。そのすぐ後に車は右側からの大きな衝撃により横転し始める。

僕たちは有馬さんと共に道路へ逃れ、有馬さんの鎖によって、ゆっくり地面へと降ろされた。


 「マイク、ジョン、よくやった、戻れ」


 有馬さんの腕へ鎖が再び纏わりつく。有馬さんの鎖への指令の声色は、まるで動物への指示のように激励の意思を表している。

 横転した車から一つの影がぬるりと現れる。それは概ね人の形をしているようだったが、決定的に違うのは頭部と背中だった。頭部は人のそれよりもずっと幾何学的な形状で工業製品のような趣がある。背中には管のようなものがいくつかあり、まるでバイクの排気口のようだった。


 「あれは……! 今回の秘匿物品か?」


 有馬さんが腕組をしながら語る。僕は今回の任務の対象秘匿物品の情報を思い出す。通称『兵器人間・瓦斯倫男ガソリンマン』前大戦で旧日本軍に関わっていた、魔術研究者の人体実験が生み出した怪物……。


 『戌方伐折羅大将封解急々如律令』


 ――賀茂瀬里奈――

 【阿吽(GRANDIA・ENDIA)】伐折羅大将、駿馬と共に舞え。


 ――鳥羽或人――

 賀茂さんは呪文と共に一枚の五芒星と、六つの横棒線の紋様が描かれた札を地面へと捨てた、すると札の五芒星の文字がひとりでに動き出し『伐折羅大将』の文字へと変化するとともに、二体の、金剛力士像のような存在が出現した。一体は槍を、もう一体は金剛杵を携えている。二体は僕たちの前に陣取り、這い出した『ガソリンマン』に対して注意を向けている。


 「私の『十二神将式神使役術』です。私が使えるのはこれともう一体の『クビラ』だけですけど……」


 賀茂さんが僕にそう説明する中、車から這い出た『ガソリンマン』は現れた二体に対して跳躍し降りかかってくる。

 槍を携える力士は向かい墜ちる奴にそれを突き立てる形を取り、金剛杵を持つ力士は右からそれで殴りつける動きを始める。だが。


 「え!?」


 ――賀茂瀬里奈――

 速すぎる、伐折羅大将たちでは間に合わない!


 ――鳥羽或人――

 奴は放物線を描く自らの移動の軌跡を急速に変化させ、左方向へと空中で旋回、するりと槍と殴打から逃れ、力士たちを背にこちらへとさらなる加速を続け飛んでくる。力士による空振りの衝撃波は木々を薙ぎ、地を破壊している。当たれば相当な破壊力だが、奴はそれを軽々と抜けるスピードだ。

 驚き叫ぶ賀茂さんの横から、有馬さんが僕の方へ鎖を飛ばす。飛んでくる『ガソリンマン』の軌道は僕を向いていたのだ。

 奴と僕の距離はもう数メートル、あの加速度はいったい、今何メートル毎秒だろうか? 一秒経たぬうちに僕は衝突する!


 ――海川有馬――

 させるか!

 【ひずみ(Convex and Concave)】神よ、賽を振れ。


 ――鳥羽或人――

 僕が瞬きをした一瞬、すでに奴は僕を通り過ぎ後ろにいた。

振り向くと『奴』――『ガソリンマン』は困惑した様子で振り返り有馬さんをにらみつけている。

 その姿は、資料そのままながら、何とも奇妙で痛々しいものだった。頭部は仮面のような機械でできており目や鼻、耳などの部位は存在を認められない。口は金属製の歯のようなものがミイラのように枯れた色の歯茎と共にむき出しとなり、ダラダラと涎のようなものが流れている。胸部にはエンジンのような機械が服を貫き露出しており、音を立てて駆動している、背中には幾つもの排気口があり、腕にはジェットエンジンのような機構がある。人型であり、古い学生服のようなもの__おそらくは旧軍の軍服だろう__を身に着けているほか、軍帽のようなものを被っている。露出している土気色の肌の部分は無数の傷と縫合痕が見える。


 「てめえの相手はこの俺だ、探す手間が省けて今日はノー残業デーだぜ! ありがとよぉ! ギャハハハハ!」


 ガスマスクを着用した有馬さんが五本の鎖を振り回しながら、奴の方へとにじり寄っていく。あのマスクのガラス面の奥にある有馬さんの表情は、狂気的な笑みが満ち溢れている。

 ガチャンと音がして奴の腕部分についていたジェット機構が剥がれ落ちる。中から黒鋼の義手のようなものが生えてくる。


 「グ……ギギ」


 金属の軋む音が奴の口から涎のようなものと共に零れる。奴は右腕で自らの服の中から何かを取り出そうとしているようだ。


 「何する気だテメェ、ジャック、ジェフ、ぺス、行け! ギャハッハ!」


 大笑いしながら有馬さんが三本の鎖の先端を飛ばす、赤黒い鎖は、一本はまっすぐ、二本は一本目を中心に螺旋を描き奴の元へ向かう。

 奴は飛んできた鎖がぶつかる寸前に、地面を蹴り、左へ飛ぶとともに右手で服の中から取り出したモノを口へと運んだ。左手で地面を掴み急ブレーキをかけると「ガキン、ガキン」という金属のぶつかる音と共に何かを咀嚼している様子を見せた。別の鎖がまだ奴を追跡している、だが奴は左手のみで自らの体重を支え、地面と平行に停止したのち、鎖の追っ手を避けるようにバク転し、賀茂さんの方へと何十メートルもの跳躍をした、奴は跳躍の際、脚部と左腕の関節をすごい勢いで、文字通り『回転させ』飛び上がったのだ。人体の構造からありえない動きにより、僕たちの場所から遠ざけるように回避を誘導していた有馬さんが、びっくりした様子で鎖を引っ張り、戻す。


 「え、こっち来ますかぁ!?」


 そう叫びつつ、力士たちは既に賀茂さんを守るように囲み、奴を迎える構えを取っている。

 奴は空中で腕をクロスさせ、服をはためかせながら空を滑り降りてくる。その途中、奴の両拳がバリバリと割けドリル状の細長く鋭い棒が血を吹きながら生えてくる、奴は腕を開き、二体の力士たちの頭部を掴む。だが膂力で二体の力士は踏ん張る。すると凄まじい音が鳴り響いた。骨を砕き、肉を搔きまわす掌のドリルの音である。抵抗する力士たちの杖や金剛杵の攻撃は、奴の腕や脚に向けられるが、奴はすぐに脚を間接と『逆回転』させ力士の顎を『上』からの踵落としで砕きながらそれを支えに手を離し、後ろへバク転跳躍する。まるでプロペラのトルク回転のような奴の関節の回転速度と馬力は異常であり、強力な式神であろう二体の力士も頭部のダメージから、血を流さずとも弱っている様子がわかる。


 「今度はこっちに来んのか、猿みてぇに忙しいなぁ!」


 五本の鎖をタコの脚のように使い有馬さんが飛んでくる奴へ向かう。

 奴は空中で腕を回転させ揚力を作り出そうとしている、放物線軌道を歪めるつもりのようだ。


 「無駄だ。バァーカ」


 放射状に四本の鎖が飛び出し、奴の周囲へ展開、幾何学的な模様を描く。有馬さんを支える一本の鎖を残して鎖は奴を完全に取り囲んだ。

奴は藻掻きつつ墜落し、遂に鎖へその身体を触れさせた。


 ――海川有馬――

 【婚約指輪(ニーベルンゲンの環)】この環に誓うぜ。


 「よく捕まえた、えらいぞジョン……。さあ、俺の術で、もうテメェは終わりだぜぇ。ギシシシ」


 ――鳥羽或人――

 がっちりと腰を拘束された奴は鎖に対して手から生えるドリルを当てるなどして抵抗しているが、どうやら無駄なようだとすぐに諦め、標的を有馬さんに絞った。


 「デス・マッチといこうやないのぉ!」


 有馬さんの腕に取り囲む三本の鎖が引き戻り絡みつき戦闘態勢に入ると、彼は奴を拘束する鎖を引っ張る、勢いそのまま鎖の巻き付いた拳を、なすがままに回避することもできず引き込まれた奴の頭部にお見舞いする。鈍い金属音が林の中にこだまし、奴が1メートルほど後方に飛ばされた。だが、すぐさま立ち直った奴は痛みを示さない。


 「お前の痛みとダメージは俺の支配下にある……わかるか? 頭が揺れて気持ち悪ぃだろ? でも痛みはない……だがこうすれば」


 有馬さんがそう言いながら魔力を鎖に込める、とたんに奴は右腕をびくりとさせ抑える。


 「クックック、怖いか? 怖いよなあ。もっと怖がれぇ。へっへっへ」


 有馬さんの挑発に対し奴は即座に姿勢をかがめ、足払いを狙う姿勢を取った、有馬さんもすぐにそれを目で追い、下からの攻撃に警戒する。だが奴はそのまま右腕を地面につけ、支えることで自由になった足を背中、腰、脚部の関節の回転を加えることで、凄まじい勢いをつけて有馬さんの後頭部に蹴りをいれた。

 だが、奇妙なことに有馬さんはそのまま平然と後頭部に付いた奴の脚を掴みだす。まるで痛みも衝撃もないかのように、同時に奴は頭頂部を殴られたかのように頭が垂直下方向に力が掛った、有馬さんにされるがままとなっている。


 ――海川有馬――

 『衝撃ダメージ』! 『痛覚苦痛』! これらは愛し合う俺たち夫婦の間で共有され、俺はてめーの自由な部位にそれを全て『押し付けられる』! 

 これが俺の【婚約指輪(ニーベルンゲンの環)】だぁ!


 「こっからは一方的な虐殺ショーだ。新婚生活仲良くしようぜ♡ グハハハハ!」

 

 ――鳥羽或人――

 有馬さんはそのまま奴の股を自らの後頭部に引き寄せ、そのまま背中から地面へ落とす。


 「シネ!」


 奴は先ほどの自らのダメージが脳天に直撃したことで受けの姿勢を取るのが一瞬遅れ、背中に有馬さんの攻撃が直撃する。奴は地面とぶつかる瞬間、胸部に地面へ押される可能ような強い衝撃を受け、それに伴い背中の配管がいくつか大きな金属の炸裂音と共に割け壊れていった。


 「タイマン無敵の俺にサシでの勝負に持ち込んだのが運の尽きよォ……」


 立ち上がり、鎖で奴を持ちあげながら有馬さんは感慨深げに腕組をしてそう語る。

 ぐったりとした奴は死んでいるのかどうか判別がつかない。


 「あんなとんでもない奴を一人であそこまで一方的に倒すなんて、見直しました!」


 賀茂さんが腕を前にしてこぶしを握りそう語る。


 「やっぱり僕の出る幕は……」


 『ドッ』


 「え?」


 隣の賀茂さんが血を吹きだし倒れる。胸部から血が出ている。


 「! ッ鳥羽、離れろ!」


 有馬さんの叫びに僕はそちらを向く。だがすぐに隣の倒れている賀茂さんから湧き上がる不穏な……『殺気』によってそれは悪手だったことを知る。


 「くくく、誰がやってくれたのかなぁ……?」


 僕が隣を見るとすでに立ち上がっている賀茂さん――いや、賀茂さんらしき女性が後方を見ている。胸部の傷は既に癒えているのか、血が噴き出す様子はなく、傷口が怪しく濡れ、反射している。


 「貫通かぁ……。距離200、いや300で、力学操作? いや、普通にスナイプかなぁ。つまんね。ふふ、まあいいや、死んで」


 冷酷な声色で淡々とそう述べる彼女は手をかざし、ふっと呪文を語る。


 『木生火大凶祈願絶命』


 ――賀茂瀬里美――

 『陰陽易五行操作術:木生火』【絶望を焚べよ(Fahrenheit 451)】焼かれて焦がれて死んじゃって。


 ――鳥羽或人――

 彼女が呪文を唱えたのち、かなり遠くで凄まじい爆発音、絶叫と共に炎の柱が上がるのが見えた。その赤々とした炎に周囲は照らされ、熱気が僕のところにまで感じられる。


 「何アイツ、堅。……軽症で地下に逃げたな」


 「早よォ、離れろ鳥羽!」


 有馬さんの声に反応して飛びのき、僕は賀茂さんから距離を取った。強い殺気の様な気迫を帯びていて、先ほどまでの賀茂さんとは人が違う。二重人格?

 こんなにも変わるのか?

 一体何が起きた?

 彼女は有馬さんの方へ振り向くと、つかつかとそちらへ歩き出した。


 「有馬、ね。早速で悪いけどそいつ、離して」


 「できるかァ! アホウ!」


 有馬さんは先ほどと変わった様子なく話しているが、賀茂さんの方は明らかに様子が違うどころか、声さえ全く違う、表情もどこか高飛車というか……印象が違う。


 「久々の娑婆シャバなんだから、そのサンドバックで遊びたいんだけど。……狙撃手はもう尻尾巻いて地下に逃げちゃったし」


 「これだから『瀬里奈』の奴と組むのは嫌なんだよ! 『瀬里美』ぃ、テメェの言うことを俺が聴いたこと今まであるかぁ? テメェの半分しかねえ脳ミソの記憶引っ張り出しな!」


 「だからいつも力づくで、言う事を聴かせるの。毎回手間がかかって仕方ないでしょ」


 「うるせえ! 俺は負けた事ぁ無ぇ! 今回も一緒じゃボケ!」


 有馬さんが左腕の鎖を飛ばし戦闘態勢を取る、彼女はどこからか取り出した札を地面に投げつける、すると札は灰となり焼失した。その瞬間多くの『魔術的結合』の紐が現われたようにも見えた。


 「手加減できないのはいつもだけど、今日はイラついてるから殺しちゃうかもね」


 ニッコリと無邪気に笑ってそう言うと、突如、有馬さんが殴られたかのように後ろに吹き飛ぶ。


 「っぅはッ……ツァアアッ!」


 すかさず地面に足をめり込ませて踏ん張り、立て直した有馬さんは、上方に鎖を一本向け、振り回しているほか、左右の腕の鎖も展開し周囲に振り回し、もう一本は後方に展開している。最後の一本の鎖は奴を捕らえ続けることに使っている。


 「クソッ! 一本足りねえ!」


 そう言いながら突然、有馬さんは前からの衝撃で倒れ込む、その次の瞬間、鎖が揺らいだ後ろからの攻撃、鎖による防御は総崩れとなり、右から、左からとリンチに遭う。

 それを楽しそうに少しの間眺めた彼女は、有馬さんの拘束が少し緩んだ『奴』に対し興味を移した。


 「有馬よりかは、私と相性がで楽しめそうね……。そっちの奴より慣れてそうだし」


 彼女が拘束を手で外そうと近づいた少しのち、突如奴が動き出した。彼女は楽しそうに戦闘態勢に入ったが奴は即座に跳躍し、僕の方へと着地。そのまま僕の方へ向かってきた。


 「そいつの方が好いって言うの?」


 その叫びも束の間、僕は奴に襲われかける。

 だが、奴は振り上げた腕を止めた。その一瞬、僕は奴と目を合わせた。バイクのヘルメットのような顔の目に当たる部分には微かな光が感じられ、金属製の歯はカタカタと震えている。肩も少し揺れている。それらは僕にこの存在の感じている悲壮感と苦悶を感じさせた。先程までの怒りと殺意に満ちた動きをする漆黒の意思を纏っていた者は、今、突然哀しみに打ちひしがれている。それが僕には直感的に感じられた。


 「すまない」


 たどたどしい言葉で奴はそう言うと跳躍し林の中へ消えていった。


 「逃げるなぁ! 卑怯者!」


 賀茂さんらしき人がそう叫び奴を追おうとしている、丁度そこに有馬さんの鎖がとびかかり、賀茂さんの足を捕らえた。


 「オラァ、賀茂ぉ……今攻撃するとお前にダメージを飛ばして気絶させてやるぜ、ゲハハハ! ゴホッエホッ……」


 口を少し切ったようで血を流している有馬さんがそう呼び掛ける。


 「チッ、毎度毎度少し『あいつら』に任せているうちに捕まえてくる……一体どうやってんの? 『魔術的結合』も見えないし。いい加減教えなさいよ」


 「やなこった、鳥羽! そいつ黙らせろ! なんかあるだろ、金剛に教わった術が! 最悪重症でもヨシ!」


 突然呼び出されて驚いたが、やるしかない。姿が賀茂さんに似ているので少し気は引けるが性格は全く違う、別人だ。

 そう言い聞かせながら僕は金剛さんに教わったことを思い出す。



 ――「集中、これに尽きる。とにかく頭の中で魔術の理論を反芻しながら媒体……。つまり呪文や物品に思いを込める。君が先日までの坐禅で見つけたあの『力』の感覚と共に。そうするとこのように……うっすらと言葉の紐の様なものができるのだ。これが『魔術的結合』、魔術の核となるものである、いわば対象と術者・媒体を繋ぐ運命の赤い糸」


 金剛さんはお寺の本道広間の畳の上で、正座しながら僕にそう講義していた。金剛さんの隣には大きな仏像が置かれており、胸の部分がべっこりとへこみ、そこに金剛さんの手から言葉でできた紐の様なものがつながっている。つい先ほど、彼は手を様々な形にすることで触れることなく隣の仏像を凹ませたのだ。


 「思いながら行動するだけで……こうなるのですか」


 「ああ、その通り。そしてこれは人間の誰しもが持っている能力……というよりもこれは『技術』なのだ。鳥羽殿。貴殿には潜在的にすさまじい力があるために数時間程度の簡単な訓練で十分だが、世の人もたいてい、2、3年訓練すればこれを行う準備段階は完了しているのであるぞ。そのあとは『理論』だ。」


 「『理論』?」


 「そう、言葉を尽くして時に狂信的に、時に懐疑的に、自らの行う魔術に対してどのような科学的な理論背景や術の基になる伝承、伝説的背景があるかを心の中に強く思い出し、反芻するのだ。時には、複数あるそれを言葉によって繋いだり、別の言語で表したり、そうすることで魔術は開発と発動が行われるのである。ま、さっさと使いたいなら脳内で反芻しながら呪文を言う! 物に思いを込める! 魔力を出す! それだけである。」


 「は、はぁ。」


 「それでは、できるまでとにかく練習、できたら500回達成まで繰り返す! それが終われば別の修行が待っているぞ」


 「は、はい!」――



 思い出せ、今使う魔術の理論。練習では完璧とまでは言えないが、成功率は高かった。

 麻酔、眠り、ヒュプノス、ヒポクラテス、神経細胞チャネル、膜電位、塩化物イオン、カリウムイオン、イオン勾配、脂質膜、ラフト構造……。


 『麻酔物質生成神経操作術』【ヒュプノスの一撃】


 僕は術を使うための麻酔薬のメカニズムや麻酔作用に関わる物質の物質組成、構造式、ヒュプノスの伝説や神話を反芻しながら、呪文を言うために口を開いた。

 その瞬間、僕の手元から先ほどまで思考していた言葉が紐のようなものがいつの間にか伸びている。有馬さんと取っ組み合っている賀茂さんがその紐に背中が触れたようで、突然気絶した。


 「うおっ……!? 気絶したか。鳥羽、お前……」


 「あ、あれ、あ、すいません、有馬さん、僕、この術は金剛さんに教わった時一回しか使ったことなくて……。別の術は偶にしかこうはならなくて、呪文言う前に発動しちゃったみたいです。」


 「……。お前、やっぱ『特異』だな」


 「え?」


 有馬さんは賀茂さんを担ぎながら片手間で横転した車を正位置に戻している。


 「今の『無言魔術』は熟達した使い手か、お前や神祇寮の有穂……それにコイツみたいな溢れ出すレベルの魔力量の者の特権だ。頭の中で考えただけでそれが実行できる。その想像が精密なほど威力も増す。なにより高速連撃が可能……ま、その分燃費が悪いし、『魔術的結合』の『言語』が読みやすいんだが……」


 「あ、そうなんですか。金剛さん特に何も言ってなかったんで……」


 「俺とかが教えると思って、言ってないんだろ。実際そうなったし」


 賀茂さんを後部座席に乗せ、有馬さんがエンジンをかけると、車は見る見るうちにへこみや割れた窓を、時を戻すように修復していく。


 「――賀茂さんは、いったいどういう……」


 「見ての通り、コイツは重傷を負うと別人格に切り替わる……。元のアイツは第一級魔術師だが、切り替わったコイツはお前と同じ『特異指定存在』だ。寝るか気絶させりゃ落ち着く。別人格の方の『瀬里美』はテンションによっては今日みたいに敵対するが、味方になることもある。稀だがな。……『瀬里奈』の方が『瀬里美』について知ってるのかはわからん。喋ろうとしない」


 端的に説明を終えた有馬さんは車を出す用意をするためにガスマスクを外し、一息つくと運転するために前方を見やった、すると顔をしかめ、車に入ろうとする僕に顎で向こうの方を示した。


 「……ちょっと君たち、いいかね? あの、『機械野郎』のことで話があるんだ」


 声を掛けてきたのはトレンチコートにスーツを着た中年の男性だった。その右手には警察手帳が開かれ、僕たちの車の前に堂々と立っている。年齢的にベテランの刑事なのだろう。


 「……やれやれ、仕事がまた増えるのかよ。」



(※資料 日本魔界府府庁所蔵旧帝国陸軍科学研究所第五科篠田研究室特別研究員・楠田五郎研究報告書の一部

試作品百五号『兵器人間』研究報告

試作品番号:百五号

試作品名称:兵器人間・瓦斯倫男

実験許可:帝国陸軍神田四郎中尉・帝国陸軍科学研究所第五科長篠田十三

試作品概要:魔力による疑似生命の作成を目的とした改造。魔術構成としては各種霊媒術を中心とした亜細亜諸呪術により小型の模擬エンジン構造内で魔力による内燃機関を再現、これは人体を利用した怨念、血縁的呪などを利用し更に力を強めている、この内燃機関によって起動される力場を各箇所に魔力や機構を介し伝達する。各種機構に身体の一部を組み込むことで生体変容術を機械機構の動力とする。手を変形させる機構においては神祇寮によって報告された物質の形状を類似したものに変化させる『伏魔殿』陰陽師の秘術を転用。

試作品性能:試作品は完全な『呪物』へと昇華した。一種の受肉体に見られる魂の複合と固着が見られ、遺体の一部は半不朽体となっている。武双については道具を摂食することで掌にそれを模した兵装を再現することが可能であり、その幅はエンジンからドライバーに至るまであらゆるものを再現可能。また腕部、脚部、頭部が鋼鉄製の義体であり、単純な格闘性能も高い。視力はなく、魔力感知により周囲の状況を把握する、これにより暗所での行動も可能である他、半径10メートル圏内は全く死角がない。

実験内容;【検閲済み】

篠田十三科長による試作品実験停止命令の内容:以下の理由により試作品百五号の実験の停止及び試作品の破棄を命じる。壱、量産が不可能。本試作品の呪物化の機構は人身御供を前提とし、尚且つ再現性の低いものとなっているほか、改造に必要な鋼鉄は現状入手困難である。弐、大量破壊能力の不足。本試作品には単独での破壊効果は低く、白兵能力のみに特化した兵器でありながら、材料と費用が一体ごとに戦闘機一機分以上かかるため、費用に見合わぬ性能と判断できる。)



――



 ――増田太郎――

 こんな、夢を見た。

 暑い。蒸し暑い密林だった。俺たちは敵の砲撃を受け、仲間の身体が弾けるところを目の当たりにした後、何人もの男たちが小銃を片手に持ったまま死んでいくところを見た。撤退の伝令の後、俺たちは生き残った者たちと共に歩き始めた。一晩、二晩、ただでさえ配給される飯は少なく。後方に戻ってもさらなる撤退。行軍の中で負傷者は死に、前線でさらに死に、なんでもない時に飢餓で死ぬ。とうとう俺の番が回ってきただけだった。


 「少尉殿。歩けますか」


 「……。松谷……。健吾。健吾か」


 「俺が背負います」


 血に濡れた視界の中で、健吾は俺の腕と足に包帯として布を巻き、そのまま俺を背負って後方へと離脱を開始した。


 「健吾。置いていけ。俺は、もう、使えん」


 「少尉殿はまだ生きている。少尉殿を見過ごして行けん」


 息も絶え絶えにそう語る。


 「健吾。お前まで死ぬことはない」


 「……。『正しい人を陥れるのが世の常だ』あんたはそう言った」


 「……。ああ、そうだ」


 この前線にくる以前も、来てからも、俺はその惨状を見てばかりで、気が滅入りながら部下にそう愚痴ったものだ。


 「『だからこそ、その人を守れる人であれ』そう言ったのもあんただ」


 「はは。……。だからって今。死にかけ背負って共倒れかい? お前。それは……」


 「俺はその言葉をその時、信じたんだ。今も信じてる。明日も信じる。何十年後も信じる。俺の息子にも言ってやる。俺の孫にも伝え聞かせてやる」

 

 「そうか。……。死ぬなよ」


 「言われなくても死んでたまるか。俺は帰ったら警官になってやる。今言った言葉を知らない奴にまで伝え聞かせてやるんだ」


 「はは、いいぞ。そうしてくれ……」


 そのまま健吾は、数十キロ離れた野戦病院に一晩中歩き詰めて俺を運んだ。俺はそのまま本土へ送還され、大病院で看護されることになったが、健吾は負傷も少なかったため、そのまま南方戦線の後方に回された。俺はその後、あいつがどうなったか知らない。



――



 ――〇――

 2022年2月16日15時38分、千葉県船山市今臼町レコード喫茶『Purple』にて。


 「俺なら、奴の足跡がわかる」


 ――鳥羽或人――

 コーヒーカップを右手に刑事はそう語った。古いジャズ喫茶の店内は各種コーヒーの豊かな香りと、古めかしいレコードから流れる音楽に包まれ、黒々としたニス塗りのカウンターでは、店長と思しき老人が静かにたたずんでいる。僕と有馬さんそして先ほど起きた賀茂さんは刑事の向かいで、同じくコーヒーを前にしながら話を黙って聞く。賀茂さんは凄く不服そうな顔でコーヒーカップを片手に持っている。


 「お前らが何であるかは知らんし、詮索もしない、それが【ヤバイ】ことだってのは、俺でもわかる。あれだったら、全て終わった後、記憶をいじる様な事をしてくれても構わない……。そんなことができるのならな。とにかく、俺はこの事件を最後まで追いたいだけなんだ。ホシの確保はあんたらで構わないから」


 「……。ふん、お前。松谷ケンイチって奴か」


 有馬さんがスマホを見ながら彼に訊く。片耳はイヤホンが付けられている。多分ライブ配信を見ているのだろう。先程目覚めた賀茂さんが、それをばつが悪そうに、じろじろと睨んでいる。


 「なぜそれを?」


 刑事はコーヒーカップを白いテーブルクロスの上に置きながら訊いた。


 「この件に当たっていた前任の担当刑事だろ、資料に名前があった。……正直俺らはお前ぇみてーな一般人(パンピー)を巻き込んじゃいけねえ立場だ」


 賀茂さんはさらに不服そうな目で有馬さんを見る。『どの口が』とも言いたそうにコーヒーカップと皿を持って啜っている。


 「そこを何とか……」


 「だが……」


 有馬さんは優麗にコーヒーを啜ると続けた。


 「俺は規則破りの常習犯でな。今だって仕事中に推しのライブを見てる。ちょっとくらいの間なら目ぇ瞑ることぐらいできる。おめえの協力具合でな」

多分、有馬さんは警察資料に載っていない細かい情報を得るほかに、雑務とか情報集めのための聞き込みとかを彼に押し付けたいのだろう。数時間共に居るだけの僕でも彼の考え方が何となく透けて見える。


 「ありがとう。さっきの事を見れば、事件解決自体は君たちにしかなしえないことは俺にだってわかる。早速、奴について、ここ数日の聞き込みと……この店での聞き取りで分かったことを共有しよう」


 そう言った後、松谷刑事は煙草を取り出してこちらを見てくる。有馬さんは手を出してどうぞと示す。賀茂さんはさらに顔をしかめるが、同じくどうぞと手を示した。僕も同じく示す。


 「すまんな。なにぶん、込み入っていて……」


 煙草を咥えてマッチで火を点けて紫煙を燻らせる。辺りに煙草の香が広がる。煙を吐いたのち、灰皿を自分の手元に持ってきて、話を始める。


 「俺は足で稼ぐ刑事でな。調書だの報告書だの書くのはいつも後回しで、苦手なんだ。今回の事件も、この市の家やコンビニ、商店、量販店に至るまで徹底的に聞き込みして回った。いつもなら数十件回れば追うべき言葉も結構わかってくるもんだが、今回はなかなかそうはいかねえもんで。変な影、奇声、屋根伝いに渡る『怪人』だのなんだの、都市伝説じみたことばかり巡ってくる。その証言ともいえるか怪しいモノがやたらと多いもんだから、俺はそこにハナを利かせてな……。その情報を中心に探ることを始めたんだ。するとそう言った『怪人』目撃情報はこの辺りに集中している。そんでもって聞き込みを続けると『だいたい16時頃、この店の周辺をフルフェイスマスクの変なバイカーが歩いている』といった証言が複数確認できた。だから俺は丁度昨日、この店のマスターに聞き込みを行ったんだ……」



 ……


 「ええ、その特徴の方でしたら、昨日も来られましたよ」


 ――松谷健一――

 マスターの表情はあっけからんとしていて、とても口頭で述べた異常な特徴を持った人物を指しているようには思えなかった。旧知の友人を語る様な……そんな素振りだった。


 「その方――失礼ながら、マスターのお知合いですか?」


 「いえ、その、なんと言いましょうか。……懐かしい人によく似ていたものですから、その、雰囲気が」


 訊けばマスターはこの店の二代目で、戦前の時代からこの店で手伝いをしていたのだという。その時代によく来る客の一人に軍人として出征していった青年が居たのだ。


 「名前は、どうだったか。なにせ80年近く前の事ですから。家族思いのお兄さんでした……。家族思いの……。ご家族ともども戦争の疎開でどこかへ行かれたようで、出征されてからはお兄さんともご家族とも連絡つかずになってしまい、もう何十年も経ってしまいました」


 マスターのその瞳は憧憬を見るような輝きの後、俯いた忘却の色に淀んだ。そこにあったのは失望か、それとも……。


 「……それが、この人だと?」


 「いえ、そのお兄さんかどうかは、昨日来られたお客様はただミルクコーヒーを飲まれてしばらくしてから帰られたので」


 「では、何故?」


 「――何故でしょう。偶々そんな気がしただけ……ということなのでしょうか。背丈や、歩き方、動き、それらを含めた印象ですかね。ですが彼はあの時よりもずっと悲しそうな姿だったと感じました。あの時のお兄さんにはなかった悲しみが……無理もない……。すみません、あまり有益とは言えない話でしたね」

 そのマスターの証言の反面、俺は確信めいたものを直観していた。マスターは何かを知っている。まだ、彼自身が信じ切れていないだけだ。


 「いえ、大変参考になりました」


 ……



 「……とまあ、まだまだ言っていないことがマスターにはあるように俺はニラんでいる。だが、確証……。お前らの見た『機械野郎』がそのマスターの語る相手だという確証も、マスターの記憶の相手が機械野郎である確証もない。だから俺は『奴』と思しき客が来る時間帯に『奴』の姿を見たうえで、マスターに訊きこむか……できればマスターを介して『奴』の話を聞いてみようと思っていた。だが先程の凶暴性をみると……下手に刺激してここで戦闘ドンパチなんてのは俺も君たちも望まんだろ。少なくとも君たちにはもうそろそろ店外に出て様子を見てほしい」


 ――海川有馬――

 経験十分、か。めんどくせえ手間がずいぶん省けた。どのみちこっちも消耗を回復しねえといけねえ。賀茂を撃った奴の詳細も分からねえ。……信用してみるか。


 「……会計はお前持ちだからな。俺は車で待ってる」


 ――鳥羽或人――

 有馬さんはそう言ってすっくと立ちあがりイヤホンを両耳に着け店外へ出ていく。


 「あ、ちょっと、待ってくださいよ」


 賀茂さんも追って出ていくので僕も出ることにした。


 「松谷さん、何かあったら呼んでください。僕は店の路地で賀茂さんと待機してるので」


 「ああ、よろしく頼む」


 僕は有馬さんを追った賀茂さんを引き留めて、店横の路地へ入った。


 「さっきの怪人が来ると思うと、やっぱり有馬さんが居た方が良いと思いますけど……」


 賀茂さんがそう提言する。僕も同意見だが有馬さんを呼びに行くよりも前に『奴』が店の前に現れた。



 ――松谷健一――

 奴は口元をマフラーで覆い隠し、少しよろけた様な歩き方をしていた。カウンターに座った奴にマスターは何も言わずコーヒーを淹れる。奴が一口目を飲んだところで、俺は声を掛ける。


 「どうも……すいませんがね。少し聞きたい事があるんですが、宜しいですかね」


 「……」


 「私ね、刑事でして……。自分は松谷ってんですが……」


 「松谷……。松谷!」


 奴が、がばっと翻ってこちらを向く。

 

 「……似ている。健吾に、似ている……」


 健吾……?


 「なぜその名を……」


 松谷健吾と言えば俺の祖父の名だ。戦時中兵士として出兵し、戦後は刑事として働いた……そういや、よく、戦争の戦線での話をしてくれたっけ。上官の言葉。『正しい人を陥れるのが世の常だ。』だかって……。


 「もしかしてあんた……」


 「そうか……松谷健吾は無事だったか……」


 奴の声色に震えが混ざっている。こんなにも人間的な感性が、機械的な身体から感じられる。壊れそうな物を大事に持ち上げるように、奴は珈琲を啜った。



 ――鳥羽或人――

 ふと、後ろを振り向いた。急に振り向きたくなった……。というよりも何か嫌な気配を後ろに感じた、賀茂さんも僕の隣で同じく振り向いている。殺気などではない、何か、嫌な予感のようなモノが後ろに淀んでいたから……。振り向いた先には路地の薄暗い風景が広がるだけ。建物の隙間の空から注ぐ光が、地面を照らしている。その地面の影が、ぬるりと盛り上がる、いや、盛り上がるのではなく、土管のような何かがぬるりと這い出てくるような、そんな動きが輪郭にあった。そのままその大きな管のような影がハッチのように開き、地面から人が出てきた。


 「だから、特別指定級が出ていると言っているだろう。そちらの協力を要請する。私だけでは不確定要素が多いうえに、我々の魔力観測では特異指定存在レベルの高魔力反応をだな……」


 そう言いながら黒革のトレンチコートに背中に大きなライフルを背負い、制帽を被った西欧人が、トランシーバーのような機械と何らかの大掛かりな機械を抱えて現れる。彼は外に上半身を上げきると僕たちに気づき、通信を切り上げ、抱えた機械のボタンをいくつか押した後、それをハッチの中に棄てて、こちらに向かって飛び掛かってきた。

 西欧的な掘りの深い顔つきに青い目が光り、帽子の端から金髪の見える彼はその飛び掛かる刹那、口が裂け、凶暴な牙が露わになり、毛皮のような質感の肌をその顔の口元に表していった。驚くほど滑らかに変化するその姿は人獣というべきものだ。腰元のホルスターから特徴的な拳銃を取り出し、賀茂さんへ向けて躊躇いなく発射する。そのまま彼は僕の方へと拳を振り上げる。その拳は何時の間にか鋭利な爪と毛皮に覆われた奇妙な手となり僕に降りかかってきた。


 「……。救急如律令」


 賀茂さんは弾丸の軌道を予測したように避け、袖口から札を彼に飛ばしていた。彼は視線を賀茂さんの方へ向ける。僕は振り下ろされる爪の軌道をなんとなく感じ取り、寸でのところで避ける、感覚の鋭敏さが増してきているような気がする。振り下ろされた爪は剃刀の隙間のような孔を地面にクッキリとつけ、罅などの無駄な傷は全くなかった。

 賀茂さんの放った札は大きな炸裂音と共に、微細な礫を彼の顔めがけて飛ばした。目くらましといったところか。

 彼は後ろに飛び下がり、それを避けるとそのままハッチの中に逃れ、蓋を占めた。その行動と同時に、隣の店舗の扉が開き、中から『ガソリンマン』が飛び出して、電柱を上り、住宅の屋根へ飛び移り去っていく。振り向けばあのハッチも地面へと潜っていって消えてしまった。僕は急いで『ガソリンマン』の後を追おうとする。


 「鳥羽さん、つかまって」


 賀茂さんの声と共に彼女の手が差し伸べられる、僕はそれを取ると、そのまま彼女と共に空へと舞い上がって行った。


 「護符に乗ってください。これ作るの結構時間かかるんで大変なんですよ。時間制限もあるし。出しづらいし。でもこれなら、あいつに追いつくことはできると思います」


 畳一畳分くらいの大きさの札に僕たちは乗っていた。どこからこんな大掛かりなものを取り出したのか不明だが、無数の折り目からどこかに折りたたまれていたことは想像できる。空を滑るように進む感覚は少々気分が良い。


 「あの海外の人は一体なんなんでしょうね」


 僕は賀茂さんに投げかけた。


 「うーん……。傭兵のような事をしている呪術師や魔術師は世界中に居て、たまに私たちも相手するのですが……。あの格好、最近活動が活発になっている『アーネンエルベ』とかいう組織かもしれませんね」


 「『アーネンエルベ』? ドイツ語か何かですか」


 「ドイツの大戦期の残党の集まりらしいです。50年位前に大きな事件をいくつか行って以降は、たまに違法な傭兵業社として名前が挙がるくらいでしたけど、最近それを名乗る団体の秘匿物品倉庫襲撃や物品の窃盗が多発しているようです。先月も日本でこの組織と二課の職員との戦闘があったみたいですね。銃器の改造や人体の変化を得意としているみたいです」


 「さっきの獣みたいな形態がそうなんですね」



 僕たちが話しているうちに屋根伝いに森の方へと逃れる『ガソリンマン』の姿が見えてきた。奴は屋根から屋根へ宙返りや長い跳躍を繰り返し、猿のように俊敏な移動を繰り返している。


 「もうすぐとどきます!」


 少し、また少しと距離が縮まっていく、奴のパルクールの動きも留まることなく続いている。次の屋根、また次の屋根、そして次の屋根で僕たちの手がとどく!


「あっ!」


 突如奴は僕たちの視界から消える。森だ。下に降りたのち、森に逃げたのだ。僕たちが追っているうちに森の領域へ近づきすぎていたのか。


 「見失っちゃいましたね。感知にもかからない……」


 そう言いながら賀茂さんは奴の消えた方角へ僕たちの乗る紙を飛ばす。今度は上から目視を交えて探すようだ。あれだけの速さは森の中でもそのままなのだろうか。だとすると打つ手はないように思えるが……


 「鳥羽さん後ろ!」


 僕は後ろを振り向く間もなく、両脇から腕を通され、首をロックされる。手は金属で冷たく、硬かった。そのまま僕は賀茂さんから遠ざかり地面へと落ちていく、奴が後ろへ倒れるように体重を移動したのだ。奴は木々の枝に何度か着地しながら跳躍を繰り返し、目が回りそうな速さで森の木々の間を抜けていく。僕は捕まったままだ。しばらく森を進んだのち、ここがどこだかわからない場所で止まり、僕は地面にゆっくり降ろされる。


 「突然襲うような風になってしまってすまない」


 その声は先程も聞いたが、その時よりもずっと明瞭な響きを持っていた。僕の目の前にはつい一時間程前まで僕たちと対峙していた怪人そのままの姿の男が、だがあの時よりもしっかりとした理性を持つ人間として話しかけてきていた。


 「え、えと」


 「今、私に敵意はない。先程は君たちに随分な無礼を働いてしまって済まなかった。……今までの事件は、錯乱によるものであり、君たちを襲ったのは『操られていた』……と言っても信じてもらえないだろう。また、私に落ち度があることには変わりない。申し訳ない」


 彼は膝をつき頭を下げる。


 「え、あ、いやいや、そんな。……『操られていた』って言うのは誰にですか?」


 彼は頭を上げる。


 「君たちが先ほど襲われていた男。……私にも詳細はわからんが、奴の制帽にははっきりとナチの『鍵十字』があった。恐らくは私の身体の改造の秘密か何かを握っているのだろう」


 怒りと嘲りの念に燃える声だった。僕はどの道選択肢は多くないが彼の話を訊けるうちに、不明瞭な点を訊きだすために彼への質問を考え始めた。



 ――



 ――増田太郎――

 こんな、夢を見た。

 俺は叔父と釣りをしていた。東京湾が見える海辺。日差しが強くても潮風が涼しい。


 「太郎は偉いよ。家族を大事にしているし、生計まで案じて……勉学に励んで。そんな息子を得た太助は幸せ者だ」


 叔父は良く俺を褒める。親父もよくその時引き合いに出される。俺は相槌を打ちながら、竿が引くのをじっと待っていた。


 「あいつがお前ぐらいの時はそんな風じゃなかったからなぁ。誰に似たんだろうなお前は。俺か?」


 冗談めかした調子でそう言う。確かに俺が構ってもらう機会が多いのは叔父の方だ、親父はあまり、サシで顔を合わせる機会が少ない。


 「叔父さんに似たのかもね」


 そう言うと叔父さんは一瞬ビクッとした後。俺に向けて笑いかけた。竿に何か引っかかったのか?と思っていると俺の竿が引き出した。


 「お、そらデカいな。網あるぞ、網、ホラ」


 でかい魚を網に入れ、引き上げる叔父の顔は、どこか神妙で、だが妙に笑顔で、この魚に何かあるのかと勘ぐってしまいたくなるものだった。

 網から出してみた魚は親父の死体だった。俺はそのことに魚を網から出すまで全く気付かなかった。



 ――



 ――〇――

 2022年2月16日16時25分、千葉県船山市市役所駐車場にて。


 「で? あったのか」


 ――松谷健一――

 俺が車に戻ると、海川がすぐにそう訊いてきた。


 「ああ、確認できた。『増田太郎』は確かにここの辺りに住んでいた。戦時中までは」


 「あんたのとこのジジイがその『増田太郎』ってのの部下ってことも?」


 「ああ、確かだ」


 シートベルトを締める。喫茶店で突然『機械の男』が逃げ出した後、俺は市役所で戸籍を調べるために、海川と共に行動した。彼もどうやら仲間から手紙のようなモノで連絡があったようで(このご時世に手紙で連絡というのは何とも奇妙だが)俺の調べものに付き合うことに問題はなかったようだ。


 「家族構成は父、母、妹、叔父。一家は地主だったらしい。父に逮捕歴があるほかに目立つところは……戦時中に突如として特高に一家が逮捕、その後行方不明になっている点か。逮捕の理由は国家反逆罪。増田太郎自身にも嫌疑が掛けられているようだが、軍法会議などの記録はなし。戦後に訴訟などを起こす親族もおらず、そのまま忘却の彼方ってところか。……被害者の一人で唯一の死者、『神田四郎』は直属の上官のようだ。ここが肝だろうな。後の被害者も親や祖父なんかに軍事関係の研究機関関係者が多いが……この『楠田』って奴らはそれ以上の記録がない……。公的記録も不自然に消えている」


 「ああ、そりゃそうだ、そいつらはこっちの世界の企業関係者だからな。戦後に魔界加盟した魔術軍産複合体篠田重工の重役……」


 有馬はエンジンをかけながら何でもないようにそう語る。


 「……マジかよ。それって――」


 「ああ、それ以上詮索するとアンタの首が飛ぶぜ。記憶は後でおれらが消すがね」


 「ご忠告どうも」


 何をされるか不明瞭すぎて不気味だ。人間の記憶を弄れる人間なんてこの世に存在していいモノなのか?


 「それにしても熱心なこって。なんか、あいつと喫茶店で会ってから熱の入れ具合が違うぜ、アンタ」


 カーテレビの画面を操作しながらそう訊いてくる。


 「ああ。さっきも言ったように俺の爺さんの上官だからな。よく話に訊いていてね。俺以外のココの刑事もそうとわかりゃ俺みたいになるぜ。あの爺さん言いふらしてるからなその上官の話」


 「……へェ。そらさぞすごい話なんだろうな。」


 「いやぁ、まあ、凄惨さはすさまじいものがあるがね。何せ本当に南方戦線で戦って負傷しながら上官背負って帰ってきた男だから。だがそれよりもそのあとの話が大事なんだよ」


 「あと?」


 「そう、あの爺さんこの話をするたびにその後少尉が行方も知れず、人事管理をしていた上官に掛け合っても知らんの一点張り、オマケに遺族は行方不明。これはあんまりにも少尉が報われねえって言って毎度泣くんだよ。それで俺たちに必ず『正しい人を陥れるのが世の常だ。だからこそ、その人を守れる人であれ。』っていうのを言って聞かせてくる。事務作業とかでテキトウこいたら必ず言うんだ。交通課だのの連中はほんと耳にタコができてるよ」


 「……なるほどな。よくわかったよ。次はどうする?」


 「……とりあえず喫茶店に戻って、マスターに話を更に聞いてみるつもりだ。ホシはおそらく増田太郎その人。マスターの知り合いがその人だってんなら、あの時言わなかったことも……」


 突然窓がコンコンと鳴る。外には先ほども見た手紙のようなモノが窓に張り付いていた。


 「……はぁ?」


 窓を開けて手紙の封を乱雑に開け、手紙を読んだ海川が思わずそう言った。


 「松谷、喫茶店でお前を降ろしたら俺は森の方に向かう。とりあえずスマホで連絡取れるようにしておこう。少し急ぐ」


 そう言って海川は俺と連絡先を交換したのち、車を出した。



 ――〇――

 2022年2月16日16時30分……。千葉県船山市因間町の山林にて


 「……南方戦線での帰還後、俺は本土の病院へ移送された」


 ――鳥羽或人――

 彼……増田太郎さんは機械の腕を軋ませながらそう語った。彼は僕の前に座り込み、僕もまた同じく座って話を聴く。そろそろ夕方か。木々の中で少し開けたこの場所は鬱蒼とした森のどの位置かは僕にはわからない。

 僕は黙って彼の話にそのまま耳を傾ける。



――



 「増田太郎少尉。これは君の軍人としての忠義にかかわる質問であるのだが……。よろしいかね?」


 「はい。中尉殿。――忠義と言いますと、私は帝国陸軍軍人として全身全霊を賭して前線に参加し、恥ずかしながらこの負傷を負い内地へ戻ってまいりましたが……」


 「そう、少尉。その君の負傷を誇示せぬ、その大和魂を評価しての質問なのだよ。―― このまま本題といこう。私は『楠田五郎』博士という登戸研究所新任教授の試作兵器に、軍人として協力しているのだがね。君、君が再び『軍人』として戦地で活躍することができる……と言ったら君は我々に協力してくれるだろうか?」


 「……見ての通り私は片足と片手を落とした、軍人として役に立たなくなった男です。これでもあなた方に協力できることがあるとは考えられないのですが」


 「いやいや、十分、十分だよ増田少尉。君一人で何人もの、この皇国の臣民が助かるのだよ、増田少尉。宜しければ、先ずここに記名してもらいたいのだが」


 ――増田太郎――

 彼の渡した書類には『手術同意書』と書かれていたほか、登戸研究所第五科篠田研究室だか、その他何だかの名前や研究室名が連ねられ、それぞれの許可印が押されていた。


 「……私でよければ」


 私はあの時、私がこのまま生き残ったところで傾きかけの家計の負担になると考え。――ああ、そう、家族。家族の事ばかりだった、あの時の私は。――そう考えて怪しげな、この契約を承諾した。少し前まで特攻という言葉を心底嫌って、軍部でその話題が俄かに出始めていることを部下に愚痴を言っていた私でも、自分事となってしまえば、このように、特攻精神というモノを持つのは不思議なものだ。

 その男は私をすぐに『楠田五郎』という工学教授に引き合わせた。楠田はねじくれた髪が奔放に伸び、厚い眼鏡を掛け、口髭をぼうぼうに伸ばした、白衣の不審な男だった。紙たばこを常に咥え、貧乏ゆすりが激しく、口ごもったような返答しかしないような様子で、私はあまりいい気味はしなかったが、私を引き合わせた上官によると医者であり、工学博士でありまたその他諸学に精通するという。

 私は彼に言われるままに『回復のための施術』と称した幾度もの実験と改造を受けることとなった。

 初めは失った手足を復活させる、奇跡のような手術だった。今よりもずっとぎこちない動きだったが、私につけられた鋼鉄の義手は拳銃の操作や銃の解体までできるほどに精巧な動きが可能であった。すっかり気を良くした私はその次の手術もそのまま受けてしまった。

 二度目の手術は私の元あった手足を完全に義手義足に挿げ替えるものであり、これには私も当惑した。だが彼らは『元のモノ以上の力を引き出せる上に、元のモノに比べて強固な肉体を得られたのだから』と私をなだめた。そして次はこれらを調整するだけだと嘯き、私を次の手術へと誘ったのだ。

 三度目、これから目を覚ますと私は他の者たちと同じ場所にいた。そこは多くの、胸に機械が取り付けられ、ピクリとも体を動かさずに、ただただ呻き声をあげる何人もの男たちが並べられている場所だった。


 「おッ。……お目覚めのようだね、えーと、そうそう増田少尉だったか」


 そこにはあの上官、神田四郎中尉と楠田が立っていた。


 「これはいい結果でしたよ、中尉殿。見てくださいこの性能を」


 恍惚とした表情で楠田は軍人に資料を見せていた。


 「うん、うん。これならあの実験もできそうですな」


 「家族構成は母、父、妹、叔父。うん、これだけあれば足りるだろう。特高に掛け合って国家反逆罪で処刑したことにしましょう」


 「話が早くて助かりますな。うん、君も感謝したまえよ。ダルマ君。君はこれから皇国のための決戦兵器の礎となるのだから。南方戦線で君の小隊が失態を演じた分の、『私の不名誉』はこれで回収できる。いやはや、ゴミも使いようだな! ハハハ!」


 私はその間も口を動かすことも、身体の一切の自由を失った状態でただただ彼らの言葉の意味を考え、怒りのような困惑のような、何を言っているのかわからずに、ただ、侮辱されていることだけを理解して、混乱してそのまま気を失った。

 次に目覚めた時……あれは……悪夢だ。

 家族が。目の前に……。ああ、これ以上思い出すとマズい。


 「これが君の心臓となるエンジン……。君はガソリンで動くのだ」


 私は……家族の……。


 「ただのガソリンではないぞ、家族からの憎悪、君からの憎悪、心という魔力で君は動くのだ! ……。どうやら君、結構恨まれているらしいぞぉ? ええ? 全く人の心とは恐ろしいモノだよ。孝行者も行き過ぎれば疎ましい! まったく、鈍感というのは罪だな! はっは!」


 興奮した様子で楠田は生きたまま俺の家族を解体していた。

 母の屍が……。


 「こんな母さんでごめんね。太郎」


 父の肉が……。


 「太郎。お前は俺の自慢の息子だ」


 妹……雪の骨が……。


 「お兄ちゃん。行っちゃうの」


 叔父の臓物が……。


 「太郎、お前は自由に生きていいんだぞ」


 身体に埋め込まれている……。


 「資料によると、貴様の家族は不義密通、姦通相姦と相当なものらしいぞ……! はは、いい素体だよ試作品君。君からの恨みも十分だ。恨みってのはな、どこに向かうかなんて時間によってわからなくなる。ただただ、いい刺激が脳に掛っている事実だけが残るのだ。くくく」


 奴らは解体の様子と私自身の改造手術の様子をわざわざ私に見せつけ、苦痛の下で奇妙な儀式を遂行し、私の胸のエンジンに家族の脳を乱雑に全て納めたのだ。……それ以来だ。私は頭の中で家族の声が聞こえるようになった。奇妙な夢を見て、我を忘れるようにもなった。声は、夢は、いつもいつも同じことを。同じ言葉ばかりを話す。いつだって私の中で繰り言をする。いつだって俺の夢を侵害する。どうしたって俺は、どうしたって俺は生きてちゃいけないんだって! うるさいんだよ!


 「君は我が研究初めての成果物。――名付けよう――『兵器人間、瓦斯倫男(ガソリンマン)』! 憎悪で動く兵器人間だ! フハハハハハ!」



――



 『お兄ちゃんは何も知らなかったくせに』

 『あんたは心配しなくていいの。叔父さんとは仲がいいだけ』

 『お前、俺と雪の事、黙ってろよ』

 『そんなことお前が知らなくていいんだよ!』


 おれは……何も知らなかった。おれは……あの時死ぬべきだったのか? 信じた者に裏切られていたことを知る前に、俺の守ったものに殺される前に。


 「そうだ」「そうだ」「そうだ」「そうだ」

 「能天気」「能無し」「役立たず」「薄情者」


 そうか……。そうか……そうだよな。俺なんかがのうのうと生き残って。



 ――鳥羽或人――

 彼は頭を抱え、そのままガリガリと金属が削れる音を立てながら頭を掻き、倒れ込み、頭を地面に打ち付け始めた。話の後半からは彼の言うことも支離滅裂になっていたが、僕にはどうしてかそれが、彼の話の情景と繋がって、余計に深く、彼の話を理解できた気がした。


 「落ち着いてください。増田さん、落ち着いて。大丈夫です。大丈夫ですから。喫茶店のマスターがあなたをきっと待っています。だから落ち着いて」


 彼の肩は震えていた。僕は先ほどの話の最後の言葉で、彼と家族との間に何かがあったことを察したが、それがどんな確執なのかはわからなかった。だが悶え苦しむ彼の姿と彼と初めて会った時の寂しそうな雰囲気を思い出して、僕は以前の僕を少しだけ思い出した。

 孤独……。

 彼のように家族と確執があったわけではない。凄惨な戦闘を生き抜いたわけでもない。人体実験を受けたわけでもない。だから僕がこう思うのはおこがましいのかもしれない。高慢なのかもしれない。だけれども、僕は彼に共感するところを強く感じている。的外れな共感は相手への侮辱足りえるだろう。けれど彼はずっと、すごく、寂しそうに思えた。信じていたものに裏切られる感覚は、それを恐れる気持ちに似ているのかもしれない。


 「すまない……。すまない」


 彼の方を抱きながら先の話で見えてきた物事を僕は整理する。彼が恐らく自ら手に掛けた唯一の被害者『神田四郎』は、彼の上官、話に出てきた神田中尉だろう。また、殺すのを踏みとどまったと考えられる他の被害者は全て楠田、篠田と実験資料にも、話にも挙がっていた名前だ。更に先程の『錯乱していた』という言葉……。あの時の戦闘でも彼は今の彼とはかけ離れた精神状態であったと考えられる。あの状態になると彼は我を忘れ、復讐鬼として敵を探し襲うのだろう。だが、そうするとどうして僕たちは襲われたのか――。


 「ハァ、ハァ、ハァ……。失礼。また、恥ずかしいところを見せた」


 彼はゆっくりと息を吐き、僕を見た。


 「……君の疑問はまだ解決していないだろう。私があのナチに操られていたこと……」


 「ええ、操られていた……。というのは錯乱して、被害者を襲ったのとは異なるという事ですか」


 彼は頷く。


 「その通り。私は、数日前に目覚めた。目覚めた時は森の中に居た。地中深くから掘り起こした缶の中に私は押し込まれていて、起きた時、そこに既に妙な輩が数名立っていた。その時の記憶は曖昧だが、そいつらは皆鍵十字の記章をつけていたのでおそらく君たちが見たあの軍人と同じ組織、ナチの輩だろう」


 彼は頭に手を当て、抱えるような姿勢を取った。


 「次の記憶は奴らから逃れた先で始まっている。逃れたことは覚えているが、他の事は奇妙な夢を見ていたこと以外分からない。そして私がその夢を見ている間に、私は一人目の被害者……。あの老人を殺していた。我に返り現場を見回したとき、私は最悪の気分だった。彼の転がる頭を見た時、あの中尉、神田であることは分かったが恨む気持ち以上にこのような下劣な事件を私が行ったことが嫌だった」


 彼は片方の拳を握り、金属の軋みを鳴らしていた。


 「その後も私が突如夢を見る度に、私は錯乱の中で人を襲った。だが、最初の襲撃以外は踏みとどまることができた。恐らくではあるが錯乱した私が一抹の理性でその襲った相手が似ているが本人ではないことを悟り、踏み留めていたのだろう。目覚めてから日を追うごとにその錯乱は安定し、三日ほど前から私はそのような錯乱状態に陥ることは無くなった」


 「……。では一体どうして僕たちを」


 「あの男が私の前に現れたのは今日の事だ。正午ごろに黒い軍服の奴が私の事をどうやって見つけたのかは知らないが、地下より現れ、妙な機械を操作して、私は動けなくなった……。その後、記憶も曖昧になり、またあの夢を見るようになった。あの機械……。おそらく改造によって私には凶暴化する機構が組まれており、それのスイッチを遠隔で操作できる機能だと思われる。遠隔操作というのは突飛な考えかもしれないが、この時代ならあるいは可能だろう。先程も喫茶店で突如操られる感覚を覚え、急いで脱出した」


 確かに軍服の西欧人は何らかの機械を操作していた。彼が喫茶店を飛び出す直前に、あの軍人は機械を使って彼に何らかの操作を行なおうとして、それが僕たちの介入で取りやめになり、彼が飛び出したのか。


 「私はできることならばもう消え去りたい。本来ならばここに生きているべきでない人間だ。私を知るものなどもう、この世界には居やしないだろう。……君たちはどうやら私を捕らえに来たようすだが、私の願いを聞いてくれるだろうか」


 彼の悲痛な叫びは、背景を知ってこそ僕に切迫した判断を迫る。肯定すべきか? 否定すべきか? そんな判断は僕に許されていない。けれど彼は判断を僕に委ねている。


 「それは、僕が決めることではないんです。けれど、僕たちがあなたを保護すれば一般の人を巻き込むことは絶対になくなります。そこは安心してください」


 「……。そうだな。先ず、優先すべき事項はそこだ。奴らは明らかに私を、兵器として扱っている。君たちはそうでないことは君を見れば信用できる気がする」


 夕暮れに差し掛かっている。有馬さんたちは僕を見つけられるだろうか。このまま、ここでじっとしているのも……だが。



 突如、先程も感じた嫌な予感が感じられる。これが第六感というモノなのか。だがそれは上と下、天空と地下から同時に感じられた。


 「何だ!?」


 増田さんの叫びと共に、僕は後ろに飛びのき、彼もまた僕とは別に飛びのき、樹上へと昇った。僕たちのいた場所にはゆっくりと地中から赤いバルブのようなモノが浮かび上がってきた。更に黒い金属製のハッチがそのバルブの下に現れる。すぐにそのハッチにつながる鋼鉄の体躯が露わになり、僕はその正体を悟った。


 「潜水艦か!?」


 ハッチが開き、中から先ほどの西欧人の男が相変わらずの黒衣と軍帽のようなものを被って現れた。片手には通信機、もう片方には先ほど見た機械が握られている。


 「ああ。ああ……。あああああ!」


 増田さんが苦しみの叫びをあげ始めた。


 「こちら、JPアイン、『兵器人間プロトタイプ』の回収作業を開始する。『栄光ホド』、直ぐに直接支援ダイレクトサポートに入られよ」


 ぎこちない日本語で何者かと通信をすると奴はこちらへ向けて、もう片方の手でアンテナの付いた機械を操作している。


 「叫ぶな。Arschloch(クソッタレ)、動きがわるいぞ! こらっ! 電波悪いのか?」


 ドイツ語のような言葉を口走りながら黒衣の男は機械を操作し続ける。


 「アアアアア! 殺す、殺す、嫌だ。死ね、ダメだ。くたばれ、ダメだッ屑共がァぁあ!」


 凶暴な呪詛を叫びながら増田さんは再びあの、獣の様な状態へと戻ってゆく。彼の度々語った『錯乱』というのはこのような状態を示しているのだろうか。僕たちと戦っていた時以上の錯乱状態だ。


 「やめろ!」


 僕はそう言いながら目の黒衣の男に対して金剛さんに教わった別の術を試みる。だが、先程から上空に感じていた嫌な予感が、強大なプレッシャーに変化し、降り注ぐことを僕は予見した。


 「おおっと、残念」


 突如その声と共に僕の周囲に六つの柱が空から地面へと突き刺さり、中国語のような魔術的結合の文字が空間いっぱいに満たされる。地面に六芒星が浮かび上がり十二支の漢字も浮かんでくる。僕の掌から放たれかけた魔術の文字の紐は、満たされた言葉の海の中でバラバラに砕け散っていく。


 「隠者の薔薇、『黄金の教示』が一人、栄光ホドのジュン。タダイマ参上。不甲斐無き同胞、ナチの親衛隊崩れ共の任務を、片手間に補助シにまいりまシタ。国連の飼い犬のポチ君はここで死ぬヨ。かわいそうにネ」


 独特なイントネーションと共に僕の目の前に瞬時に現れたその人は、袖口の広い中華的な服に身を包み、目元は黒髪で隠れているが口元はにやにやと笑みを浮かべている。身長は僕よりもかなり低いがふわりと空中に浮遊して僕より高い位置で寝そべっている。

 彼はそのまま重力を無視しながら、武術の『型』のような構えを取ったのち、空間をグッと左右の手で捻じ切るようなそぶりを見せた。その瞬間僕は脚部と胸部にそれぞれ左右へすさまじい圧力を感じた。周囲を包む文字の海が割れるかのような動きを見せ、柱に囲まれた中にある木々、草、すべてのものが僕と同じく圧力、というよりも『空間のずれ』を受け左右へそれぞれグッとずれていく。大地には亀裂が入り、巨大な穴が六つの柱に仕切られた空間内にさながら断層のようなモノが開きつつある。

 その間に黒衣の男はおとなしくなった増田さんを艦の中へ入れ、自らもそこへ入った。


 「オヤ、オヤオヤオヤオヤ。君、特別指定術師カナぁ? オカシいネェ。硬い、硬いゾ。魔力的に硬イ。……ワタシの『結界術』内の『法』に干渉するホド……。君、もしや『鍵』カナぁ?」


 素振りを止め、空中で足組をしながら浮遊する男は袖口からスマホを取り出して僕を撮影した。僕は必死に身をよじるが髪の毛一つとして動かすことはできない。


 「ウーン、こちらの干渉は封じ込めマデが限界……。コレは間違いナイネ。『カリオストロ』の言っていた『鍵』ダ! 急用できちゃったナ、どーシヨーかナぁ。コイツ。輸送はきついカナ?」


 「こちらの回収任務は完了した。……どうした、秘匿一課の始末をしてくれるんじゃ……」


 ハッチから黒衣の男がそう話しながら現れる。

 彼は次の瞬間、胸から槍を突き出し、血を吹きだした。背中に背負ったライフルが金属の裂ける音を鳴らす。


 「ウウッ!?」


 「遅いです!」


 賀茂さんの声と共に、現れた槍の主である金剛力士の式神が貫いた傷口を広げんと槍を上へ押し上げる姿勢を取る。


 「ウチの新入りに、何しとんじゃボケぇ!」


 奇襲だ! ガスマスクをつけた有馬さんが樹上から飛び降りて浮遊する男に向かって殴りかかる。三本の鎖が彼の背中から木々に巻き付き支え、二本が両手に巻き付けられている。


 「日本魔界府秘匿課の雑魚じゃナイカ。特別指定以下は名前おぼえてナイんだヨネ、ワタシ」


 そう言いながら、浮遊する男は腕を有馬さんの方へ向け指を鳴らす。すると有馬さんの目の前に突如として鋭利な鉄の針が発生し彼に向け飛びかかっていく。


 「甘い!」


 ――海川有馬――

 【ひずみ(Convex and Concave)】賽を振れ。


 ――鳥羽或人――

 飛び出した針の軌道は奇妙に有馬さんを迂回するようにねじ曲がり後ろへ飛び去って行く。有馬さんは拳を奴の顔面へ叩き付けんと振り下ろす。


 「残念」


 にやりとしながら術者は再び指を鳴らした。

 すると有馬さんと僕の位置がぬるりと為す術なく入れ替わり、有馬さんの胴体が下半身と真っ二つに割れる。だが、苦悶の表情を浮かべながらも必死で動こうとする有馬さんを見るに、どうやら有馬さんの胴体からは血が落ちることはなく、痛みはあれど無事なようだ。あれは僕に掛けられていた術なのだろうか。

 僕は術者の目の前で相変わらず磔のように体が動かせずにいる。地中深くに生きたまま埋められているような、そんな気がする。


 「相当厄介な術を使うようダガ……。ワタシの結界内では身動きとれず意味ナイ。この中はワタシの世界。ワタシの空間だ」


 よく見れば有馬さんに無数の魔術的結合が縄のように彼を縛っている。この結界内を満たしているものを自在にあの男が操っているのだ。だがどうしてか僕の周囲のそれは薄くなってきているようだ。そしてその範囲はゆっくりと広がっている。



 ――〇――

 結界術とは魔術的意匠の紋様や柱、縄、糸などの『空間の仕切り』によって隔てられた結界の内部にて効果を発揮する術である。領域内は通例の術を使うことは勿論、術者もしくは物体・人物などに対し、『常時』何らかの効能などを齎すことや一定の『法則ルール』を課すること、通常以上に手間コストを省いて術を使用することなどが可能である。

 それは結界の特徴に由来しており、結界内は他の魔術的結合を阻害するように結界術そのものの魔術的結合で満たされている。これを術者は自在に操り、複数の魔術簡単に必中させることも、単純に動きを止めることも可能である。これを破るには尋常ならざる魔力や技能、あるいは結界内部で結界を作り出すほかない。

 通例、結界術の展開にはいくつかの儀式や呪文、結界を仕切る境界の印などを必要とするが、強力無比にして選りすぐりの英才『栄光のジュン』は成層圏に結界を常駐し利用するときに地上へ落とす移動式の結界を開発しその手間コストを事前に支払っているのだ。



 「……サテ」


 ――鳥羽或人――

 奴は再び構えのような姿を取り、一種の舞のような演武を取った、すると天空より、現在柱の刺さっている地面の更に外に八本の柱が飛来し、土煙を舞い上げて、地面へと突き刺さる。そして直ちに、正八角形の図形が外縁に表示され、六本の柱の外に居た賀茂さんが、そのまま魔術的結合に絡めとられてしまった。

 奴はその手を、戦う賀茂さんの式神と黒衣の男に向け、招くような動作を行う。すると黒衣の男が立つ地面から、三名ほどが入れる小ぶりの潜水艦のようなものが、甲板に乗る賀茂さんと男と共に空中へ浮かび上がり奴の目の前に留められた。


 「君もなんか不穏ダナ。あ、『賀茂瀬里奈』って奴カ。思い出シタ、災害だってネ」


 賀茂さんは苦しそうな表情で藻掻こうとしているが手足は空中で微動だにしない。式神の方は先ほどからぐったりと倒れ動かなくなっている。


 「この猿どもに回収の予定はないはずだがなぜ殺さない?」


 そう語る黒衣の男の胸の傷は、何事もなかったかのように癒え。服も元通りとなっている。


 「君たち『ナチ』には関係ないことダ。『我々』にとって『兵器人間』よりもっと大事なモノなのだヨ『鍵』というのは」


 といって奴は僕と賀茂さんを指す。


 「とにかく、潜水艇を地面に乗せてくれ。俺は帰る。それとも送ってくれるつもりなのか?」


 そう言いながら黒衣の男は潜水艇のハッチを開く、そこからは思いもよらない轟音が鳴り響いた。


 「おいおい、どうなってる!」


 「オヤオヤ。そうくるカァ」


 黒衣の男は潜水艇内から飛び出した影によって顎を強打され潜水艇から地面へ倒れ墜ちた。その影の主は、増田さんだ。


 「どうやら、こっちにいる硬いポチ君がやってくれたようだネ。磁場の局所的異常、我が結合の海を縫うように……。結界も薄まっているナ。コレはマズい」


 そう僕を見ながら呟いた奴は、影となって弾丸のように飛び掛かる増田さんの攻撃を、浮遊し、ふわりふわりと避けている。増田さんの攻撃の軌道はどんどん加速し増えていく。捌き切るのがやっとのように見えるが。どこか表情には余裕がある。


 「コッチは非番なんだガ~。激戦はゴメンだヨぉ~」


 「おいまさか逃げる気か、俺の任務はどうする?」


 黒衣の男はそう言いながら、何でもないようなそぶりで、全身から血を吹きだしながら白い殻の様なモノを体内から露出し外骨格のように身にまとっている。体積は明らかに増幅し元の身長の倍の4メートルほどのエイリアンのような化け物となっている。増田さんはそちらの方へ目標を変更し、そちらへ向かい始める。


 「動かれる前に邪魔なのを一匹……」


 そう言うと奴は黒衣の男だったものに襲い掛かる増田さんの前で、手による印を結ぶ。すると凄まじい突風が吹き、増田さんはそれを避けるべく動こうとしたが一瞬遅く、為すすべなく横風に巻かれ後方へ数十メートル吹き飛ばされた。

奴はそれに一瞥もくれず、そのまま上下の半身に分かれた有馬さんへ向け武道演武を行い始め中国語のような呪文を語り始める。


 『好像耶和華在忿怒中所傾覆的索多玛、蛾摩拉、押瑪、洗扁一樣』


 ――栄光ホドのジュン――

 【ソドムとゴモラの火(ネツィヴ・メラー)】


 ――鳥羽或人――

 最後の呪文と共に手をかっと有馬さんへ向け突き出す。明らかにあの手から何か強力な攻撃が放たれる。僕には確信めいたものがあり、それを防ぐためがむしゃらに藻掻いて、周囲に舞う文字の海を掻き分け、水中を泳ぐように射線上へと躍り出た。


 「!? ッ何ダ?」



 ――〇――

 特異指定存在と呼ばれる存在は国連秘匿保障委員会決議によって認定される者である。一般に選考基準は公開されていないが、魔界の者たちは共通して特異指定存在をこう認識している。


 『全世界級の災害』


 特異指定存在は他の秘匿物品と同じく、存在するだけで人類の驚異となり得る存在である。

 ――それは、彼、鳥羽或人も例外ではない。



 ――栄光ホドのジュン――

 何が起きた?


 「がはぁ……はぁ、はぁ……ぅっ……」


 瓦礫……土埃? 前が見えん。地面が……抉れている。確か『完全詠唱』した私の【ネツィヴ・メラー】を放つ一瞬、あの秘匿課の新人――『鍵』と思われる男が射線上に出て。しかし、確かに仕留めたはずだ。……。そのあとは……。


 「!?」


 結界の柱が三本も割れている!? 私の結界の中で? まさか、それほどまでの出力を……。私の結界外であれば破壊規模は山ひとつでは足りぬほどの…… 奴も私と同じく『至高の虚無』の選ばれし『鍵』どころではない……『災害』。いや、もしくはそれ以上の。『真なる鍵』というのか!?


 「ガハ……ゴフ……」


 吐血、口内の傷だとは思うが……左腕の感覚がない、とれてはいないな。全身に火傷。……爆発か?

 

 「有馬さん、しっかりしてください。」


 ……どうやら奴は無事。これは、まずい。私一人では手に負えん。初めてだ。まさかこんなところで先日の『世界中での魔力感知騒ぎ』の張本人と出くわすとは。情報を持ち帰らねば。黄金の教示……『至高の虚無』へ『真なる鍵』の報告をせねば……!



 「……鳥羽。お前、無事……か」


 ――鳥羽或人――

 かすれた声で有馬さんはそう語る。胴体は無事にくっついているが右肩の一部が結晶になって脆くなっている。これは……岩塩?


 「はい、どうやら僕には効かなかったようです」


 「まさか、お前は完全に結晶に……」


 後方で人の気配がして、僕たち二人はすぐさまそちらへ臨戦態勢を取った。

 見ると先ほどの結界術師がボロ雑巾のようになりながら、刺さっていた柱と共に空へ浮かび上がっていく。


 「バルトルト! こちらハ離脱する! 回収作戦が不可能なら逆探知されル前に逃げロ!」


 そう言い残すと遥か上空へ柱と共にジェット機のような速度で消え去っていく。逃走?あれほど驚異的な存在が案外あっさりと逃げ帰るのか。


 「――有馬さん、或人さん、こちらへ、私一人では無理です!」


 すぐ上方、といっても僕たちは先ほど僕がいたところ中心にできた巨大なクレーターの底にいたのだが、賀茂さんの呼ぶ声がした。


 ――海川有馬――

 右肩の修復はすぐには無理……。賀茂は機動性に難あり……。術の連発もあって俺の魔力が厳しいな。――魔力不足。クソッタレ。


 「鳥羽、連携は俺が合わせる。お前がメインだ」


 ――鳥羽或人――

 有馬さんが僕の胸に拳を当てる。そこにはいつもの有馬さんに感じる力強さはなく、限界を感じさせる。


 「……っはい」


 右肩に鎖を這わせた有馬さんと共に賀茂さんの声の方へ向かう。

 巨大な白い骨の化け物が、二体の賀茂さんの式神と競り合っている。化け物は体中に体内から出た骨の突起によって守られ、腕、胴体、足、頭部、あらゆる場所が甲虫のように強固な外骨格に覆われている。節に至っても微細な骨の防護が甲冑のように纏われ、自然物とは到底思えぬ合理的な防衛能力を示している。


 「くっ……。土生金大凶、呪詛成就、救急如律令!」


 化物の周囲の土が金属の針へと変化し賀茂さんの両のこぶしを握る動作と共に奴へと襲い掛かる。また、二体の式神は左右から挟む形で武器による攻撃を仕掛けている。だが、奴は蹲(うずくま)るような姿勢を取ったのち、針と二体の式神の攻撃が入る瞬間に勢いをつけ腕を開き、攻撃を受けた。

 白い外骨格が音を立てて破れ、鮮血が辺りを舞う。だが、それは腕への式神の攻撃のみ、針は奴の装甲に罅を入れるのみでとどまりそのまま奴の動きによって壊される。腕の傷も貫いたものの、奴の神経系には至らず、奴はその貫通した傷口をそのままにそれぞれの式神の腕と武具を掴んだ。すると奴の腕の装甲が、貫かれた孔がボロボロと壊れながらも成長していく。孔に刺さる式神の腕と武具を巻き込み傷つけ、更に成長した突起部分が式神二体をそれぞれ針のむしろで包むように呑み込んだ。二体の身動きは完全に封じられたようだ。

 僕はすかさず手を前に出し金剛さんから習ったもう一つの術『力学操作術』を発揮する。


 「!? ッでかい!」


 ――海川有馬――

 巨大な魔力の柱が横へ一直線に伸びていくように、白色のバケモンへ襲い掛かっていた。バカタレのバケモンはその自慢の腕を二体の式神を仕留めるのに使い、針によって脚部の防護装甲も傷つけられ、足止めを受けていた。賀茂にそれを狙う戦闘脳はない。まぐれだろう。少なくとも瀬里奈では。……無限の魔力を持つ者はいない。ましてや生体機能の『骨』の成長を異常に促進するなんてのは、そうポンポンやっちまえば息切れがクる。

 俺のつたない魔力感知能力でも、奴が魔力操作の達人なんかではないこと、術式自体の持つ魔力が莫大だが、本人の負担も大きいことは見ればわかる。どんな特殊な種族であろうとも魔力切れはある。――奴の最大魔力はどれぐらいだろうか、二級クラスなら100,200g……一級なら、1000や2000g……。今の消費魔力は秒間10g以上は確実。息切れは十分狙える。特別指定級は絶望的だが……。


 ――賀茂瀬里奈――

 奴は変化してから3分程度、私の連続攻撃に耐えてきた。こんな魔術を扱う敵は見たことがない。自らの持つ生物の形を大きく逸脱した変身術。それを詠唱もなく、するすると行う。けれど、あの鳥羽さんの攻撃、無詠唱であの規模も前例がない。本来の力学操作には光を伴うほどのエネルギー量はない、大量な無駄が生じているともいえるけれど、それ以上に放つ量が膨大だ。そのエネルギーのほとんどが自前の魔力……何もかもが規格外。


 ――鳥羽或人――

 力を掌から水鉄砲のように解放するような感覚、僕の脳内で紡がれた数々の言葉が掌から放たれ、束となって奴の胸へと突き刺さる。そこには光さえ見えてきた。

 奴は胸の装甲をグングンと増やし、破片が飛び散るなかで生み出すのを繰り返し、何とか圧力を防ぎきろうと苦心している。反面、僕は反作用のようなモノは特に感じない、周囲へ力が分散しているのか、それとも……。ともかく奴は釘付けになっている。僕は有馬さんへ顔を向ける。


 「ダメ押しだァ! 行くぞォ賀茂ォ!」


 『土生金、祈願大吉。救急如律令』


 走り出した有馬さんの先に四本の針のようにとがった鉄の槍が現れる。有馬さんは跳躍し、四本の鎖が武骨な槍を地面から引き抜きそのまま奴の頭部へと各々が襲い掛かる。四本の槍により奴の頭部と思しき外骨格は破壊され素肌と思しき白色が現われる。


 「もう一ァ発!」


 有馬さんは右の拳に鎖を纏わせ塩の結晶を零しながら振り下ろした。


 「動け! 伐折羅!」


 賀茂さんの命令と共に奴に捕まれた左右の式神が動きを再開し自らを貫く骨の刃へ罅を入れる。


 「砕けろ、デカブツ!」


 僕の術による攻撃が止み、巨大な怪物のズタズタになった毛皮と血と骨の残骸は、赤と白に彩られた瓦礫の山のような状態になっている。再生はもうできないようだ。


 「……まだ……まだだぁ! Japanr(日本人ども)!」


 驚くべきことに口を開いて笑いながら、両手の式神を握りつぶし、頭部の有馬さんを振りほどこうと頭を振り、手で払いのける。有馬さんは地面に叩き付けられ、大地がその衝撃で盛り下がっている。


 「鳥羽! 奴にもう一発!」


 有馬さんの叫びに応じ僕はもう一度先ほどの攻撃を試みる、だがそれよりも先に、奴の頭部は卵のように割れ、巨大な体躯は一瞬で真っ二つに割け、血が後から思い出したように噴出した。


 「ぁあ、ぁああAAAAAAAA! Sturmscharführer(親衛隊特務曹長殿)! Sieg Heil(ジーク・ハイル)!」


 あまりにも遅い断末魔と共に赤い血の雨に濡れた『ガソリンマン』がその巨大な死体の山の正面にこちらを向いて立っている。前が開けられた軍服の上着が風になびき、肩で息を切らす。両腕は刀のように鋭く長い刃物となっているがそれはすぐに地面へ落ち、鉄の義手が姿を現す。


 「増田……さん」


 「すべて……すべてだ。……全てが偽りなのだ。……偽り? 何が、何が偽り? ここは? 俺は? 何だ? ああ、はは。うるさい。うるさい!」


 むき出しになった口からはダラダラと液体が滴っている。意味不明な、しかし彼の内情を吐露した独り言がぶつぶつと流れ出ている。


 「……話し合いは無理そうだ、賀茂、鳥羽。動けるか」


 有馬さんは全身に鎖を纏い、立ち上がる。


 「私は大丈夫です。魔力もまだ……。有馬さんこそ……」


 賀茂さんがそう伺う。


 「魔力……くっ……。魔力か……」


 有馬さんはそう言うと眼をそらし、『ガソリンマン』の方へ向く。僕には有馬さんが心なしか弱っているように感じられた。その感じは傷や、おそらく折れているであろう肋骨、腕、足などの状態、土埃に巻かれ汚れた身体によるイメージというよりも、もっと直感的な観測で、いうなれば先程の『魔術的結合』の観測に近い。どうやらこれが魔力というものの感知であるようだ。


 「……俺は拘束役に専念する。時間がない。さっさと捕まえねえと奴がまた逃げるかもしれねえ。……壊すんじゃねえぞ。待っている奴が居るからな」


 その言葉の真意はわからないが、彼に待つ人が居ることを伝えなくてはならないことを僕は直ぐに理解した。ここで彼は死んでは……壊れてはいけない。


 「それは……詳細は後ですね。とにかく止めないと」


 僕は賀茂さんの方を見る。


 「少なくとも今は話が通じる相手じゃないようですね。数時間前みたいに」


 そう言って賀茂さんが懐からいくつかの札を出しながら『ガソリンマン』の方を見る。そこに先程までの増田さんの姿を見ることはできない。最初に出逢ったときの怪人がそこに立っている。


 「来ます」


 賀茂さんがそう言う。


 「くるか」


 有馬さんの言葉の後、彼は地面を蹴りこちらへ弾丸のごとく向かってきた。標的は完全に僕。まっすぐ一直線に僕へ向かってきている。いけるか?

 僕は両手に先程と同じく術を使う意識を集中し、彼の突進する腕を掴もうと手を伸ばす。彼のそれまでの勢いを相殺するように、僕の『力学操作術(衝撃波)』が発動される。

 彼は僕の掌の前でピタッと静止したと思うと彼の羽織る服が突風に吹かれたように後ろ手に翻る。そのまま彼は空中で仰け反り地に倒れるかと思ったがそのまま両手で身体を支えバク転の要領で足蹴りを僕の顎に向けて繰り出す。僕はそのまま自分の手を彼に向け、再び手から先ほどの操作を繰り返し、彼の胴体を狙った。

 彼は人形のように地面にぶつかったのち上へ跳ね飛び、いくつかの部品が外れ、ガラガラと音を立てて落としている。だが、それでもなお彼は地面に落ちる際に足を支えに左方向へ回転、僕の死角へ目で追えない速さで潜り込み僕の方へ攻撃を試みる。



 ――賀茂瀬里奈――

 或人さんの死角に潜り込んだ奴へ私は羅盤による簡易的な方位結界を展開した。奴の立つ方向に凶、左側には大凶……。準備不足で彼には足止め程度にしかならない。しかし結界の展開に呼応して一瞬彼の動きは止まり、右側へ避けた。すぐに持ち直して隙間を縫うように或人さんへ向かって行く。期待通り彼の行動は遅れた。霊符をばら撒き更に相手の行動を制限、呪文は当たる速さじゃない……。奴は私や有馬さんには目もくれない。或人さんだけを追っている。それしか見えていないかのように。



 ――鳥羽或人――

 賀茂さんが広げた札の隙間を縫う彼の影を、僕が振り向き見た時、僕の背後に立った有馬さんが拳を振り、影の主は頭部にその攻撃を受けた。頭部の装甲が先ほどの僕の攻撃で壊れかけていたのだろう、そのままチェーンに巻き込まれ顔の右側が崩れる。露出した彼の顔はほぼ白骨で、爛れた襤褸切れのような皮、虚空が広がる眼の孔がそこにあった。

 有馬さんと『ガソリンマン』の二人が同じく地面に倒れる。


 「クソっ、縛れ、ぺス……」


 だがそれでも『ガソリンマン』は止まらない。装甲が壊れ、頭蓋骨にさえ罅や孔が空きかけている頭を震わしながら地面から跳ね起き、後ろへバク転し、やや遅い鎖から逃れる。機動力は衰えていない。


 「増田さん! やめろ! 壊れてしまう!」


 口から流れる液体の量が増えている。淀んだ血が滲んでいる。あれは彼の涙のように思えてくる。彼はもはや自らの苦悶の叫びさえも上げずただ人体を震わせつつ攻撃を仕掛ける兵器のようだ。

 再び彼は僕の死角へもぐるため周囲を跳躍や疾走を繰り返している。その速度は先程と変わらない、だが僕は視界の外に回る彼の位置がわかるようになっていた。彼が、飛ぶ度、疾駆する度、右頭部に受けた攻撃の傷が広がり頭蓋骨の破片が地面に落ちるのが感じられる。

 彼の攻撃に対しこれ以上攻撃すれば彼は完全に壊れる。……こんな僕を標的とするのなら……。そう考えた僕は彼に背後を晒した。


 「或人さん!?」


 「鳥羽! おまえ、バカ野郎!」


 彼の攻撃が向かってくることが僕の背後に瞳があるように僕には知覚できた。視界がはっきりとするような感覚の延長。そんな感覚の中で僕は彼の攻撃が胸を貫く寸前に避ける。

 

 『ドスッビチャビチャッ……』


 「くッ……!」


 僕は脇腹を彼の腕に貫かれながらも彼を掴む。術なしでは力が足りない。振りほどかれる――


 「捕まえろ」


 有馬さんは僕の行動に先んじて鎖の一つを広げ僕の方へ向けていたようだ。すぐさま鎖によって彼は捕縛される。


 「鳥羽……お前、自分をダシに……」


 息切れしながら有馬さんがそう語る。


 「じっとしててください。すぐに処置します」


 賀茂さんが僕の傷口に札を張りいくつかの呪文を早々と唱える。傷が完全に癒えることはないが痛みは引き、彼女は縫合を施した。


 「応急処置です。戻ったら森さんに診てもらってください」


 ちょっと怒ったような声で言う。


 「いてて、ハハ、スイマセン無茶しちゃって」


 「……もう、全く……」


 ――賀茂瀬里奈――

 ――この人はこの応急処置で助かるということを知らずに自らを差し出した。もし、私が応急処置の術を持っていなかったら? もし、致命的な傷だとしたらどうしたのだろう……。この人は自分でどうにかしたのだろうか……? 痛みは確実に感じている、筈。滲んでいる汗がその証拠。けれど彼は私や有馬さんへ笑みを絶やすことがない。この人の何がここまで……意識が混濁して混乱しているとはいえ自分を殺そうとする相手に……。自らを犠牲にできるというのだろう。


 「今度から俺はおまえにも目を光らせる必要があることが分かった……。一人で無茶するな馬鹿野郎」


 ――海川有馬――

 オレが言えた話ではないが。だがあまりにも自己犠牲が過ぎる。あの金剛の野郎みてぇだが、それともちょっと違うな。底がないってのは同じだがどうも……向こう見ずだ。


 「……殺してくれ……」


 ――鳥羽或人――

 右側頭部が完全に壊れているというのに『ガソリンマン』は身じろぎながらも言葉を絞り出した。口からは血が流れ続けている。オイルのように濁り、黒くなった血だ。彼の理性が戻りつつあるのか、そのわずかな理性でさえも死を懇願するのか。


 「俺はだれからも……。すまない。……お前らにまた俺は……」


 彼の口から流れる血液は留まることなく、彼の言葉を詰まらせ、呼吸を度々止める。


 「増田さん……大丈夫です」


 「俺の手は血に濡れ、俺の身体は呪われ、俺の生まれさえ呪われている。俺の事を想うものなど初めからこの世界にはいなかった。……いや……。俺がそれを信じてさえいれば、この世界には俺を信じる人がいた。だが今は。今はもう、俺はだれも信じられない。俺を知るものも、もう、誰もいない」


 有馬さんが向こうを見る。ちょうど先程有馬さんたちが駆けつけてきた方角だ。


 「それは違う!」


 松田刑事が走り駆けよってくる。


 「まだ死んじゃいないか。大丈夫か」


 「……健吾。……お前はあれから……生き残れたのか?」


 松谷刑事は彼の目の位置の孔を見つめた。そこには瞳はなく。暗い空洞が広がるだけだ。


 「……ああ、太郎さん。生き残った。生き残れたさ。あんたを抱えて、前線から逃れて、あんたを病院に送った後、あんたを随分探したんだ。クソッタレの上官は死んだの一点張りだったが、『俺はあんたを信じていた。』……」


 「俺の言った『正しい人を陥れるのが世の常だ。』って愚痴は正しかったよ……」


 「『だからこそ、それを守れる人であれ』……だろ? 太郎さん」


 松谷刑事は微笑みながらそう答えた。


 「ああ、俺がそういったんだっけな。そうか……。俺の言葉は残ったのか……」


 「ああ、勿論だよ、息子も、孫も、同僚も、部下もみんな、俺たちはそれをずっと聞いて、聞かされて。そんで言い聞かせて……あんたは俺たちを救ってきたんだ。あんたの上官のような腐った人間にならずに済んだんだ。あんたは俺たちを救ってきたんだよ」


 「俺はそんなにできた人間じゃない――家族に恨まれてたことも分からん鈍感野郎さ……。俺を慕ってくれた奴らにはそんな姿見せられねえさ」


 「……知っていましたよ」


 「……? 誰だ……? すまん、目が見えないんだ。……気配しか……。ああ……。懐かしいな」


 「お兄さん。覚えてますか。よく、コーヒー飲みながら、妹さんと、私と遊んでくれましたね」


 「ああ、喫茶店の……あの子だね。……こんな俺を知っていたなら……。お笑いだっただろう」


 「そんなわけないでしょう。そんなわけ……。あなたは私には聖人のような人だ。いまだに、いまだに恨みを、いわれのない恨みを向けられて、それを真摯に受け止めておられるのですから」


 「……大したものではない。弱いだけだ」


 「弱くありません、弱くなんかありません。あなたが何をしました? 家族に。私は知っています。あなたが家族の事をどんなに思っていたか。どんなにやさしい顔で語っていたか。どんな表情で家族に接していたか。その家族がどんなに後ろ暗い秘密を抱えていたのか……それを敢えて黙っていたのか。知っています。あなたを知るだれもがあなたを慕っていました。今だって」


 「今……」


 「今だってあなたを救いたいと、彼らがあなたを止めたのでしょう? 彼に至っては大きな傷を抱えて、あなたを全力で止めた。それでもなお、あなたを恨んでいるように思えません」


 「そうです。僕は恨んでなんかいませんよ」


 「……俺も別に恨んじゃいねえよ、仕事だしな」


 「わ、私も別に恨んでませんよ」


 「……俺は……」


 「独りにならないでください。あなたは、いつも独りで苦しもうとする。独りでどこかへ行こうとする。黙って苦しもうとする。……あなたを慕う人は苦しみますよ」


 「……信じられる……」


 「?」


 「君を……戦友を……俺は今、信じられる」


 「お兄さん」


 「君のおかげで。戦友……いや、今までの全てのおかげで……。私は。……親父の馬鹿野郎! お袋の馬鹿野郎! 叔父さんの馬鹿野郎! ……辛かったよなァ……雪……」


 「太郎さん……」


 「……恨みの心も、愛する心も、ここにあったのか。……忘れられていなかったのか。君たちのおかげで、私は今、生き返ったようだ」


 『ガソリンマン』……いや、増田太郎さんの頭蓋骨が灰のように崩れていく。流れ出る血液は赤々と鮮やかな色をしている。


 「……体を張って俺を止めた……若者よ」


 「はい」


 「……あまり無茶はするな。『正しい人を陥れるのが世の常だ』。私のようになるな。君はどうやら私と似た……私と同じ人種だと、あの時、君の腹を抉った時思ったよ。君もその経験はあるだろう?」


 「……」


 「老婆心が過ぎたかもしれんが……この心を晴らした君への贈り物だと思ってくれ。君は一人にはなるな」


 「太郎さん」


 「お兄さん」


 「さよなら。……夢から覚めるような気分だ。あっちで家族と話してくるよ。……先ず妹以外一発殴ってやるさ。はは」


 そこには壊れたエンジンの残骸が残るだけだった。エンジンの残骸は乾ききっていてオイルやガソリンなどは一滴も流れていない。血液も何もかも、一滴も存在しなかった。



 ――――― 



 「……潜水艇一隻の喪失、JP(日本派遣)エージェント、バルトルト・フォーフェン伍長の殉職。……損害が大きい。たかが旧世代試作兵器一つの確保に伍長を向かわせる必要があったのかね。伍長クラス一人にいくらかけたと思っている。……これは管理責任ではないのかね。『モロク軍曹』?」


 ――〇――

 頭部の右半分が機械となった、眼鏡の肥った男が葉巻を指に挟みながら、机の前に立つ男に聴いた。立っている男は黒いコートに身を包み、鷲と鍵十字の記章をあしらった制帽を目深に被っている。


 「特務曹長。先述の通りこの任務は『隠者の薔薇』との契約に含まれたものです。責任とおっしゃられるのならば彼らが先んじて戦線離脱したことにこそ責任があるように小官には思われますが」


 軍曹と呼ばれた男は毅然として目の前の肥えた男に意見した。葉巻を吸いながら、デスクの革張りの椅子に座っている男は軍服とは思えない黒いスーツに白い手袋をはめ、身なりは非常にいい。


 「そう、そうだ。……『カリオストロ氏』、そのところはどうなのかね? 君たち『隠者の薔薇』の最上級エージェントによる幹部会である『黄金の教示』のメンバーがバックアップにつきながらその任を放棄して戦線離脱とは、これはどうなのかね。うん?」


 葉巻の灰を金の灰皿に落としながら、男は向かいの壁に設置されたモニターへ語り掛ける。モニターには何も映ってはいないが明朗な男性の声が返ってくる。


 「――先程も説明いたしましたように、マモン殿。我々の中でも最も早急にバックアップに入れる、『栄光のジュン』が任務に就いたわけですが、彼は『特別指定級』を三名同時に屠った実績を持つ実力者です。通常ならば途中離脱などはあり得ませぬ。しかしながら、我々に会議要請を行った彼は、その時右腕を折られ、全身が焼け爛れた状態だったのです。ご理解いただけますかな。不測の事態が起こったのですよ」


 「不測……不測ねぇ……」


 思慮深げにそう言いながら男は紫煙を燻らす。


 「マモン殿。これを機に我々は『黄金の教示』全体として日本の調査に動き出す予定です。責任追及もよろしいですが、我々としてはこの件のお詫びとしていくつかのお心づけを、報酬とは別にさせていただきます。そのうえで、今後の協力を引き続きお願いしたいのですよ」


 「フム……。心付け、ね」


 男は指で机をつつきながら、葉巻を眺める。


 「ええ、勿論、親衛隊特務曹長マモン殿、『個人』にも別口でお心づけをば」


 「……まあ、幹部というのはお互い大変ですからな。責任追及はやめにしましょう。うん」


 にやにやと笑いながら男は葉巻を灰皿に押し付け、手を開く。


 「お心遣い感謝します。差し当たってお願いしたいことは、今はございませんが、先ほど言ったようにこれから会議がありまして、それ次第でまた、依頼の方させていただきます。では失礼」


 「ああ、いつもどうも。ジーク・ハイル」


 モニタが壁へ収容されてゆく。肥った男が椅子に深く座り革の擦れる音が部屋に響く。


 「……フン。成金の劣等人種ユダヤかぶれめ」


 「取引は継続するおつもりですか」


 男はニヤリと下品に笑いながら葉巻を吸う。


 「当然だ。利用できるのなら利用する。……だが最後には優秀な民族である我々ゲルマン人が勝利する。奴は隠しているつもりらしいが、こちらには奴らの『鍵』とやらの情報があるのだからな。必ずや、あの山師の鼻をあかしてやる」


 「『悪魔博士』からの報告では『新型』の配備に少々遅れがあるようです。また、『例の件』で……」


 「私は医者か? それとも科学者か? 私にどうしろというのかね?」


 「……博士にこの件はまだ一任するということでよろしいでしょうか」


 「ああ、そう言っておけ」


 「はい。では。失礼しました。ジーク・ハイル」


 そう言って部屋を出た軍人は扉をしっかり閉めると舌打ちをしたのち、この部屋に入った者が皆、唾を吐きかける位置に唾を吐きかけた。そのままの足取りで鋼鉄の冷たい廊下に金属のぶつかり合うような足音を鳴らし、自動扉を幾つか抜けて、とある部屋に入った。


 「『悪魔博士』……首尾はどうでしょうか」


 幾つかのモニターの光を背景に、絶え間なくタイピングの音が鳴り続ける。室内は電燈がまぶしいくらいに明るく、いくつかの机に様々な電子機器の基盤や工具、人体の一部などが乱雑に捨て置かれている。


 「……『アッツァツェル軍曹』。開発は現物の『兵器人間』がないから難航しているようだね。今の出来は本来性能の55%ってとこ。もう私の『超人シリーズ』を素直に量産する方が良いように思えるけど」


 声の主は話しながら退屈気に椅子を足で右左に回転させている。


 「それは『失敗作』のせいで却下されたでしょう。私を始め、三幹部や怪人部隊、獣人部隊は一人につき必要な検体が多すぎるんです。やっとの思いで闇市場やら隠者の薔薇やらをめぐり、ひとり検体を見つけるだけで我々の数年分の予算が消えたのですから。それにあの『失敗作』の件も……」


 「わかったよ。兵器人間、納期に間に合うように量産型の低性能な奴をお出ししますよ。いつものようにねー」


 黙って出ていく男を横目に『悪魔博士』と呼ばれた人物はタイピングを続ける。モニターに映されているアプリケーションは先程とは変わってチャットだ。メッセージのやり取りが流れてゆく。


 ――悪魔博士――

 ――『失敗作』ほど愛おしくなるのはなぜだろう。この画面の先の彼なら。その答えを持っているだろうか。今まで失敗したことのなかった私と異なる彼なら……。


 ――〇――

 地の底の闇の底に潜むそれは今も何処かへ進み続けている、百を超す奇異な軍人たちの生活を内包して。巨大な鉄の塊が深淵の中で蠢き、その側面には大々的な赤い四角形、その中央の白丸の中に黒い鍵十字がはっきりと描かれている。



〈第一章 完〉

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