第六章 黄金の道化 Golden Joker

第六章 黄金の道化 Golden Joker 本文

――


 ――春沙クラビス――

 嘘をつくときは、妙にこそばゆいものだ。俺は嘘をつくのは性に合わないようで、いつも必要以上に注意を払う。自然な微笑みを求め、自然な仕草を求め、癖を熟知し、別人へと変貌する。

 嘘をつくのに、理由は、本当は要らないのだろう。

 嘘をつくことは、本当は、ばれてもよいのだろう。

 だが俺はバレちゃいけない嘘を、あれこれと理屈で固められた理由の下でついている。

 バレちゃいけねえ。バレちゃ終わっちまう。

 だが俺の嘘は、本当は誰かに見破られていて、そいつの慈悲で俺は生かされている。

 そんな気が常々してしまうんだ。

 そんなことないはずなのに。

 あいつに限ってそんなことは、ありえないのに。

 だが俺とあいつの差を前にして、俺はあいつに常々怯えちまっている。

 俺が夢想したことを、あいつが全部叶えちまう。

 それがどうしようもなく、羨ましい。

 性に合わないコトを、するしかなかったのかなぁ……。


――


 ――〇――

 2022年4月1日16時49分、日本魔界府黄泉平坂市黄泉平坂区中央台魔界府府庁にて。


 ――鳥羽或人――

 桃源区の中央オフィス通り上空を真っ直ぐ抜ける。空中道路を利用する車は見られない。皆、もう地下のシェルターに避難したのだろうか。東側に見える総合病院では強力な魔力のぶつかり合いと爆発音が聞こえる。何人かの術師と……。琉鳥栖さんの機械が交戦しているようだ。


 眼下の中央通りでも秘匿二課の人々が式神や霊魂を操ったり、呪いを飛ばしたり、刀で応戦したりして、燕尾服のようなモノに身を包んだ術師と戦っている。彼らはよく訓練された術師のようで鉄球や炎の球体を操ったりする術も扱うようだが、基本的には自身の身体の魔力操作と銃器などの魔道兵器を利用して戦っている。


 スーツを着て刀を帯刀した警備課の人々も応戦しているようだが、多くの人は秘匿課に任せ北の方へと向かっているようだ。というのも、北部では多くの人々が防衛陣地を作り砲撃や機銃掃射などを行う軍隊式の戦闘が行われているようで、そちらの人員確保のために向かっているのだろう。前に金剛さんから聞いたが、警備課の人々のスーツは特殊仕様であり、軍隊のような迷彩服への換装がすぐ行える魔術が仕込まれているようだ。既に一部の人はその軍隊のような服装に切り替えている。


 ……? 


 妙な魔力と言うか……波長の人間がかなり多く感じられる……。20……。30……。40? いや、もっと……。

 これは……。見てみれば、化物のような姿へと変貌した人々が、街の路地裏などからよたよたと歩いて大通りに出てきているのがわかる。明らかに生物の形を成していないそれは、人体をめちゃくちゃにつなぎ合わせて作った虫や蟹、魚の仲間に思える。グロテスクで、B級映画のエイリアンのような造形だ。魔力量が非常に高く、一部の秘匿課や警備課の人々が襲われ、交戦しているようだ……。魔術的結合も見えない……一体これは何の術によるものなんだ?


 ……だが、目下の問題は府庁だ。府庁では今も複数名……。18、いや、20人の敵……。燕尾服の軍勢が、府庁2階東北棟部分で警備課と戦闘を繰り広げているようだ。複数人の魔力を用いて防御結界を強固にしている。

 ……時間稼ぎ? 防戦一方で立てこもり。相手は明らかに不利だと思うが、ブラフ? 

 いや、とにかく今は重要な人物や連絡を行う中心となっている府庁の機能を完全にすることが先決だ。到着まであと十数秒か。突撃して結界を破壊しよう。


――


 僕は府庁のビル、東北棟二階の窓に全力で突っ込み、その場所に展開されている、20人の軍勢を守っていた結界を体当たりで割り壊した。


 『バリバリバリバリッ!』


 硬い……。流石は複数人で展開した結界なだけはある。だが、僕は自身からあふれる魔力を、更に密度を濃くして、境界を造り出し、かつて有穂さんがやったように結界を術式ごと焼き切っていく。魔力がぶつかり合い、音を立てて結界が破られてゆく。まるで僕が溶岩を纏っているかのように、僕の境界に触れた彼らの結界が解けて行くのだ。


 「結界解除、攻撃用意! ……突撃!」


 その号令と共に彼ら20人それぞれが僕の周囲あらゆる方向から一斉攻撃を仕掛ける。

 だが、その全てが僕の境界に触れたとたんに、拳は灼け、剣は融け、結合は乱れ、霊は弾け、式神は四散し、エネルギーは消失して、僕の元へ届かない。彼らの攻撃は既に僕にとって意味を為さず、全て予見できるものだった。

 彼らはもれなく全員、僕の境界に取り込まれ、身動き一つ取れなくなった。


 「秘匿一課の鳥羽或人です! 全員捕縛しました!」


 僕は奥でこちらへの攻撃準備をしていた警備課の人々に声を張る。


 「よくやった! こちらへ来てくれ、全員捕縛して尋問する。秘匿一課と言ったな? カントル課長は一階の観測部にいる」


 僕は20人の奇妙な軍勢を警備課の人々に引き渡すと、そのまま階下へ向かった。

 観測部……。一階の奥、大鳥居の奥の部屋だったはずだ。

 僕は廊下から観測部の部屋の扉を急いで開いて入る。ベアトリーチェさんがマイクと共に指示を送っている。部屋には無数のモニターと観測主の人々、VR機械のようなものを付けた術師の人々が専用の台の上で坐禅を組んでいる。機械は複数のモニターに繋がれているようだ。


 「ベアトリーチェさん」


 直ぐに彼女は振り向いた。


 「或人、無事……なようだな。良し。こちらも無事だ。府庁が真っ先に襲撃を受けたのだが、立てこもりに対処する前に他の場所でもテロがあってな……。現場への指示をする必要が出た」


 「これは……。これは、一体。北の方では……」


 彼女はモニターを見遣る。


 「ああ、北では警備課が地下から現れた『薔薇』の軍隊と交戦している。私はテロ対策の方が管轄なので詳細は知らないが……。恐らく、侵入方法は先日の『神聖』の団体と同じ手口だろう。ここを襲撃したテロリストの軍勢は複数の地点で出現しているので異なる侵入手口のようだが……」


 モニター上では中心に大きな円を区分けした黄泉平坂市の地図が示されており、地図上に幾つもの数字が示され、脇にあるブラウン管モニターの番号と連動して、モニターが示す映像の位置をリアルタイムで表示している。稀に映像が切り替わる脇の複数のモニターは、戦闘の様子や人員の配置などを示し、観測主の人が機械で報告書や状況をまとめるなど、忙しなく働いている。


 「ベアトリーチェさん、秘匿課の他の皆さんはどうしているんです?」


 「有馬は黄泉区の電気街でパトロールをしていたが、戦闘に入ったようだ。賀茂は複数の術師との交戦が確認されている。琉鳥栖とハルトは総合病院に現れたテロリストと今も交戦中。有穂がもうすぐ神祇寮から到着する。宇美部は連絡がつかないようだ……。それと春沙も……。森は……。総合病院へ向かっているようだな。」


 ベアトリーチェさんは複数のモニターを指しながら、それぞれの動向を教えてくれる。


 「金剛についてだが……。6番のモニターを見てほしい」


 ベアトリーチェさんがそう言って右のモニターに指をさす。そのモニターには黄泉区霊魂流留街が映し出されている。僕のよく見知った道だ。だが、道すがら警備課や秘匿三課などの人々が鋭利な刃物で斬られたような傷を負い倒れている。


 「金剛の孤児院までの道に複数人、同一の傷を持った負傷者が見つかっている。金剛の孤児院は特例として、奴による強力な結界が張られており、我々の捜索能力の手が及ばず、内情が不明だ。金剛は孤児院から出た様子はないのだが……。地域の避難所にも指定されているだけに不安だ。特に、私の勘が危険を発している」


 「金剛さんなら並の術師に対しては大丈夫だと思いますが……。孤児院の子供もいるし心配ですね。それに、課長の勘が……危険と」


 ベアトリーチェさんの予知能力は鮮鋭で当たることが多い。僕は今朝からの金剛さんの様子もあって少々心配だ。


 「それだけじゃない。この傷を負わせた人間は、ここ、府庁で様々な工作を行った人間と同一視されている。監視カメラの映像に影のみを残すスピードと手際の良さ……。この府庁の構造を知り尽くしているうえ、地下の留置場から複数の『薔薇』関係者を脱走させている」


 まさかこの府庁に潜入しているスパイがいたという事だろうか。金剛さんの元へ向かった方がよさそうだ。


 「ベアトリーチェさん、金剛さんの孤児院へ向かいます。多分、僕がすぐ動ける中で一番速い」


 ベアトリーチェさんは僕を見て頷いた。


 「もし危険な状態だったら、孤児院から近くの避難用地下通路へ誘導しろ。結界の外に出れば我々の目が追える。避難所の扉を限定的に開くことも可能だ」


 そう言って僕の肩に手を少しの間置いて見送ってくれた。


 僕はすぐさま外へ飛び出し、再び空を飛んだ。あの孤児院へ……。

 金剛さん、里奈ちゃん……。


 火災の煙が空に幾つか舞い上がっていた。僕はそれを避けながらも、まっすぐ孤児院へと向かう。不穏な気配を全身で感じながら……。


――


 ――〇――

 2022年4月1日、16時50分、魔界府黄泉平坂市高天原区高級住宅街月詠にて。


 「お前じゃ相手にならんよ」


 「類の言う通り、類は強くなったんだ」


 ――賀茂瀬里奈――

 その声はよく知っている。最近だと聞くことは少なくなったけれど……。子供の頃はよく聞いた。よく似た二つの声……。


 「なぜ、あなたたちがここで……。応援ですか?」


 幸徳井類と雷。伏魔殿の四家のうちの一つ、幸徳井家の家督。早くにお父さんを亡くして、私とよく遊ぶようになった双子の兄弟。しばらく前から、ぱったりと合わなくなってしまったけれど……。


 「馬鹿な……。自分がどういう立場にあるか全然理解してないのね」


 後ろ……。振り返ると三人の男女が立っていた。安部美鶴に実巳、土御門春奈……。私以外の伏魔殿の名家の跡取・家督が揃っている。


 「御託はいい、さっさと殺そう。こうしている間にも仲間の血が流れているんだから……」


 安部実巳がこちらを睨みつけてそう言う。怒りに満ちた瞳……。何故? 何を……。


 「実巳さん……。どうして……」


 「どうして? 君がそれを言うか、賀茂瀬里奈。伏魔殿の汚点である君さえいなくなれば、すべて上手くいく。君の父には失望したよ……。出来損ないの娘を庇い僕たちに無謀にも挑むとはね……」


 心底残念そうな、悲しそうな顔を彼は浮かべる。隣に立つ美鶴は口元を手で隠しながらくつくつと笑っている……。春奈以外は皆、顔に笑みを浮かべている……。いつもと同じ……。話し合いはもう無理だ。


 『戌方伐折羅大将封解急々如律令』


 【阿吽(GRANDIA・ENDIA)】伐折羅大将、駿馬と共に舞え。

 私の正面と背後に金剛力士を形成し、呪符を準備する。


 「春奈、式神で応戦しろ。俺は姉さんと奴の式神を叩く。双子は直接呪いを飛ばせ!」


 実巳が指令を飛ばし向かってくる。美鶴は飛び上がり、私の頭を抜け、振り返る式神の力士の攻撃を華麗に避け、私の背後に降り立った。


 『死ね!』


 類がそう呪詛を発しながら芻霊(呪殺用の藁人形)に釘を打つ。

 ――私の髪の毛は既に芻霊に入れられている!?

 ……呪詛返しを……。いや、速い、間に合わない。防御だ。


 「ッ!」


 強力な呪が私の元へ結合と共に飛び込む。正面の力士は実巳の剣技に押されている。後ろの力士は美鶴の素早い動きに対応しきれず頭部に上段回し蹴り……。からの後ろ蹴り。


 「まだまだ、俺らの恨みはこんなものじゃない!」


 類は隣に立つ雷から護符による保護と強化を受けている。魔力を共有……? 双子や血縁は魔術により特殊な効果の対象に取りやすいけれど、ここまで魔力を繋ぐのは珍しい……。単なる一卵性双生児以上のつながり? まずい、また呪いが来る。今度こそ呪詛返しをしなきゃ体がもたない……。


 「勝負ありだ。悪魔め」


 正面の力士がやられた! 賽の目状にズタズタに切られて消えてしまった。

姉弟共になんて速さ! 

 ――刀を受ける防御……。

 そうすれば呪いが防御しきれない! 

 呪いを防御すると刀が防御しきれない! 

 どうすれば、どうすれば……。


 「!」


 刀を腕で受け止める……。刀身が骨に達し、バリバリと音がする。


 「馬鹿な!」


 「ウウッ……」


 呪の衝撃が全身に響く、どの攻撃も致命傷ではない……。左腕は斬られて使えないけれど。


 『仰ぎねがわくば、彼らに災厄あれ』


 『鎮宅霊符反転呪符』を右手で実巳につける。実巳の左手に呪いが溜まる。その瞬間後ろから美鶴の蹴りが私の頸椎に飛んでくる。式神を避けて私への攻撃を優先した……。


 私は後ろへ回し蹴りを仕掛ける……。振り向く途中、鳥の式神が私にぶつかり、私は空中へ跳ね飛ばされる。春奈の式神!


 「あっはははは! パワーはあっても複数人には勝てないのよ!」


 美鶴が四方から突撃する式神を足場に空中で私に足技による攻撃を仕掛ける。

私は無詠唱の護符魔術で式神の突撃を防御しつつ、空中で足場を作り、美鶴の攻撃を躱す。


 ――安部美鶴あべ みつる――

 無詠唱術!? まだ瀬里美になってないのに……。私たちを超えたっていうの? あの愚図が……。認めない!


 『水生木大吉、祈願円満』


 『五段祈祷式身体強化術』【水のように優しく】力で岩をも穿つ


 ――賀茂瀬里奈――

 呪文と共に美鶴の右肩に刻まれた晴明桔梗印の護符が輝く。安部家相伝術の護符……。その理論を組み込んだ身体強化の術のようで、さっきよりもスピードとパワーが数段挙がっている。私の無詠唱魔術による防御など貫通し、素早い連打を正確に肢体に打ち込んでくる。左腕の回復に魔力を回しすぎた……。全身の防御が薄まってしまっている。それに……。

 わざと痛みを与えてきている……。昔のように。


 「ホラホラ! 昔みたいに虐めてやるよッ! どちらが上か! えぇ? 言ってみろッ! このッ!」


 ……昔から、この人の言う事は理解できない。上か下か。そんなものが何になるというの? 

 虚しいだけの言葉を吐かせて、自分の痩せたプライドを回復させようと……。


 ――今、私は何を思って……。

 いや、とにかく目の前の状況を……。


 「はぁ……。遊んでちゃダメだろ、姉さん」


 背中をざっくりと斬られる。足場を失った私は地上へ墜落してゆく。


 「春奈ッ! 攻撃の手を緩めるなァッ、死体も残さずズタズタにしろッ!」


 その声にビクッと、春奈が反応し、式神が一瞬遅れて動き出し、私に襲い掛かる。双子の準備も進み、新しい芻霊を取り出している……。まだまだ……。


 『亥方宮比羅大将封解救急如律令。』


 『陰陽薬師十二神将調伏式神術:伐折羅大将神霊八卦式操作』【海に帰れたらいいのに】


 地面にワニに乗った武将が水とともに現れる。聖なるガンジスの水流を再現した水神クンビーラの姿と薬師如来十二神将の姿を併せ持つ、私の操れる二種の式神のもう片方……。ガンジスの水の勢いに押され、実巳と美鶴は後退、春奈も高所へと逃れる。


 「面制圧型か……」


 「瀬里奈ごときに十二神将が二体も……ッ!」


 美鶴が壁を蹴り私に向かってくる。


 「認・め・な・い!」


 『木生火大吉、祈願円満!』


 呪文と共に左肩にも晴明桔梗印が輝く。拳の一振りで凄まじい風圧が発生し、水や瓦礫を薙ぐ……。


 「後ろ!?」


 美鶴が声をあげ振り返る。水中から伐折羅大将の片割れが姿を現す。美鶴が倒さなかった分を、隠しておいた、消えた方の武器も残った式神が受け継ぎ使う! 力士の手に出現した槍が美鶴の背を指す。


 「くっ……」


 致命傷を避け、鳥の式神が力士に突撃し動きを封じる。だけれど、こちらにはクビラが……。


 「消えろ、クソワニぃ!」


 雷を背負った……類? 遠隔からの呪いじゃない! 直接式神に攻撃? クビラは尾を振り、とびかかる類の顎を的確に揺らす。類は明らかにスピードに追い付けていない……。いや、違う! これは。


 「『撫で物』からの芻霊!」


 類の顎に魔術結合が結ばれた形代が現れ、クビラへ付着し、ダメージがクビラへと向かう。自分のダメージを相手に押し付ける、これが類の術式の応用形……。


 「全部お前らに押し付けるんだよぉ……何もかも。トラウマも全ェン部、お前らのせいだからなぁあああ!」


 明らかに『撫で物』で無効化できる許容量を超えたダメージがクビラへ帰っている。何らかの増幅が為されている! 

 防御と共に強化を類に引っ付いている雷の方が行っている……? 

 クビラはひるむことなく連打を続ける、類は痛みのない機械の様にクビラへダメージの呪いによる押し付けを続ける。傷により各所で血が流れ、形代による『撫で物』で少し回復し、また傷つけられる……。


 「ええい! さっさと消えろ!」


 実巳がクビラへ斬撃を飛ばす。刀に呪符を施すことで衝撃波を造り出し、切断力を増している……。左手は呪いの効果で満足に動かないはずなのに、クビラの尾が斬られた。

 私は呪符を取り出して実巳、類、そしてこちらへ壁を蹴って再び向かってくる美鶴に投げつける。


 『救急如律令!』


 呪符は呪いと共に爆裂する。呪を扱う類と左腕が呪われた実巳が特に大規模な爆発となった。

 呪文の簡略化……もっと効率化しなきゃ……。

 一手遅れた。

 爆炎の中から飛んでくる斬撃と現れた美鶴の拳を見ながら、私はぼんやりとそう考えた。負け……。

 やっぱり私は、彼らにはいつものように……。


 「オラオラオラオラ! ボロ雑巾になれ!」


 ――安部美鶴――

 二発、三発、四発、実巳の斬撃、五発目、六発目……。七……。スカッた? そんなはずは……。


 「美鶴!?」


 ――安部実巳あべ さねみ――

 気付けば俺の足元に美鶴が倒れていた。吹き飛んできたのか。水しぶきがずいぶん遅れて飛んだ気がした。

 式神が消え、ゆっくりと水も消えて行く……。

 奴は死んだわけじゃない……。

 昔、一度見たあの恐怖……。

 僕たちが除かなければならない悪魔が目覚めたのだ……。

 賀茂家は根絶しなければならない……。

 あの悪魔に味方する者は同罪だ。

 俺たちを蹂躙する様子を楽しむ様子は、悪魔と言わずしてなんと呼ぶ? 

 春奈は気が引けるようだが……。人を殺すのとは違う、僕たちは正義の鉄槌を、奴に下さねばならない。

 僕たちが幼少の頃に開花した、あの悪魔に。


 「……はん。雑魚が群れただけで、随分調子に乗ってるみたいね。その様子だと瀬里奈にも、ギリギリの勝負だったみたいだけど」


 「殺してやる賀茂瀬里美……絶ッ対に殺してやるゥッ……ッ!」


 そう吐き捨てながら姉さんは直ぐに起き上がり、空中に浮遊し笑みを浮かべる奴に飛び掛かった。


 『火生土大吉、祈願円満』『土生金大吉、祈願円満』『金生水大吉、祈願円満』


 五つの晴明桔梗印が姉さんの身体に浮かび上がり、巨大な晴明桔梗印が完成する。そうだ、出し惜しみは無しだ、全力で奴を殺しに行く。

 俺は春奈を……。姉さんを……。皆を。奴から守るんだ! 

 皆、俺に力をくれ、俺の腕に、奴を殺す力をくれ!


 『救急如律令奉導誓願何不成就乎』

 【八百万型斬撃流】

 俺の無意識にあらかじめ設定された八百手の亜音速の斬撃が繰り出され、奴の元へ飛んで行く。

 類も果敢に飛び掛かる。

 だが、奴はそれらの攻撃がぶつかる一瞬前まで、呑気に爪を弄っていた。そしてぶつかる直前に指を鳴らし、魔術的結合の介入によって俺の攻撃を全て跳ね除けると、姉さんを蹴りひとつで20メートルほど後方へ吹き飛ばし、飛び掛かる類の顔面を左手で掴み、頭蓋骨を壊さんとミシミシとゆっくり、万力のようにゆっくり力を入れている。


 「ァアアァックゥゥ、いた……。痛いぃ……ッ。アアアァァアッ、痛い、痛いぃぃッ」


 「……? 妙に硬い……。なんかしてるの? ……雷の方ね」


 雷の方は滝の様に汗をかきながら、類に繋がる形代に全力で防護術を施している。

 ――チャンスだ。まだまだ全力を畳みかける。

 一撃でも、一瞬でも時間を稼ぐ!

 俺達は賀茂瀬里美に再び全力での攻撃を開始した。


――


 ――〇――

 2022年4月1日16時50分、魔界府黄泉平坂市高天原区素戔嗚、黄泉平坂総合病院入り口にて。


 ――琉鳥栖玲央――

 厄介だ……。

 雑兵と言えど、あのナチスの時とは比べ物にならないほどの練度の魔術師が揃っている。二級……。一級相当のもちらほら揃っている。

 戦い方は杓子定規だが、集団で、しかも特別指定級相当の上位術師のサポートがあるうえで……。


 ――いや、泣き言は言ってられん。とにかくこの機関銃のクールダウンの際にレーザー砲のリチャージが間に合ってくれれば……。

 一瞬でも遅れれば奴らはその隙を突いて来る。クソッ……。


 一課のみんなはまだなのか?


 ふわふわと最小限の動きで機関銃の魔力弾を躱すあのジジイ……。あのか細い肉体にとんでもないパワーと魔力を有し、俺の銃撃の数々を受け流し、躱していく。

 レーザーで逃げ場をなくして、どうにか一瞬ぶち当てても、ほとんど無傷で耐えたあの規格外の身体耐久力。

 恐ろしいジジイだ……。

 味方へ術式を飛ばしている……。恐らく何か強力な護符だろう。奴が来てから格段に敵の動きが良くなった。機関銃の魔力弾すら躱すことも増え、おれの無駄撃ちが増えた。


 奴らは俺の消耗を狙っている。

 病院を狙うテロリストどもめ……。『あいつ』には指一本触れさせんぞ。


 ――弾切れがあと二秒で来る。


 まだ、くそ、まだチャージが溜まらない。

 クソったれ。間に合わん。

 グレネードランチャー数発じゃ敵の足止めに不十分だ。


 ――慈悲のゲドゥラー――

 そろそろ奴の弾も尽きる頃か……。さて、次の奴の手は……。 


 ! 


 マズい!


 「散れぇい!」


 ――琉鳥栖玲央――

 ジジイがそう叫ぶと10人のうちの5名が何かに気づいたように両端に散る。そこへ間髪入れず上から機械が飛来してくる。

 俺のガレージに納めていたG型巡洋艦級戦姫『モンスター』! 

 ハルトが持ってきたな! 

 調整中なのに!


 「主砲は打つなよ! 建物が耐えられん! 『あいつ』と避難者になんかあったら、お前ぶっ殺すからな!」


 『うっせえ! わかっとるわ!』


 あいつは生意気な調子でマイク越しにそう言う。

 ……『モンスター』は戦姫シリーズとしての外装の施工ができておらず、ロボット・フレームと装甲板がむき出しの状態だ。特に性能に問題はないが不満に思える。未完成品を引っ張り出しやがって……。

 12メートル規模のロボットで、主兵装である砲は80センチ列車砲と同威力の魔力弾を発射可能。クールダウンは30分程度、モデルの数倍の装填速度を実現した。副兵装も15センチりゅう弾砲二門、MG151機関銃二門を魔力弾とΣドライブ改装を施し搭載、最大装甲厚250ミリメートル、圧倒的な機動性と安定のため脚部にはキャタピラを搭載、ビジュアルも内部と足回りを原作に寄せた。俺の最高傑作の予定が……まあいい、こういう武骨ロボットも嫌いじゃないからな。


 あいつは腕部に搭載された機関銃と砲を惜しげもなくぶっぱなし五人の燕尾服のテロリストを吹き飛ばした。俺は散り散りになったテロリストどもが『モンスター』の関節部分を狙うのを見逃さず、グレネードランチャーで進路を妨害、そのうちに近づく敵をあいつが殴り飛ばしていく。


 『運転席が密閉されて暑ぃ。エアコンの効きが悪いぞ、おっさん!』


 「うるせー! 調整中だって張り紙してただろ! 文句言うな!」


 『密閉されてると空気が悪くなンだよッとぉッ!』


 テロリストがまた一人殴り飛ばされる。近接戦はそんなに想定してないんだよ!

想定外運用はやめてくれ、整備がキツイ。


 俺のグレネードランチャーでまた一人が吹き飛ぶ。抑制攻撃も意外と当たるものだ。


 「ぬぅうん!」


 相変わらずジジイはふらふらと浮遊して全ての攻撃、弾幕を避け、攻撃の機会を探っている。だが『モンスター』の主砲なら、確実に奴の身体にダメージを与えられる。


 「広いところに誘導しろ、奴は俺のレーザーも効かん」


 『チッ……。どう誘導しろってんだ、よっ!』


 ハルトは飛び膝蹴りを繰り出しジジイが避ける。

 オイオイ、想定外の挙動はやめろ……。関節部が死ぬ……。

 ジジイは恐らく予知能力によって攻撃を察知して避けている。恐ろしい集中力と魔力によってその防衛は成り立っているが……。

 防戦一方ならいずれは瓦解する! 

 このまま押し込んで……。


 「カァッ! 天啓ナリ!」


 ジジイが突然目をカッ開いて叫び、座禅を解いてこちらにドロップキックを繰り出してきた。目にも留まらぬ速さで長い距離を詰め、俺の車椅子の装甲板を一気に叩き割って来た。なんて奴だ!


 『逃げろッ、おっさん!』


 ハルトはチョップのような形でジジイを叩きつけようと、俺の目の前ギリギリにアームを振り下げたが、ジジイはぬるりと跳躍と浮遊、そして体の柔らかさを生かし、纏わりつくようにアームを昇りつめて、関節部に連打を仕掛けた。


 「アァアアアアアァアァアア!」


 『ガガガガガガガガガッ』


 叫びと共に連打を続け関節部に確かなダメージを与えたのち、振り払う動作が開始されたのに気づき、離脱した。

 空中で座禅を組み、何事もなかったかのように落ち着き払った瞑想へと戻る。なんて集中力と羞恥心の無さだ。

 ハルトは殴りを回避され続けながらマイク越しに語る。


 『……関節部にかなりダメージが入った。スマン』


 「謝る必要ねえよ。あとで全部俺が直す。思いっきりやってけ」


 俺はレーザー砲のチャージを確認した。奴を突破するには……。どうすれば……。


――


 ――〇――

 2022年4月1日16時50分、魔界府黄泉平坂市黄泉区電電道通りにて。


 「ウィンドウショッピングを邪魔しやがって……。電化製品はここらじゃ、この街でしか買えねぇんだよ! ふざけんな!」


 ――海川有馬――

 ハゲのスーツ姿のマッチョ野郎が空から飛来してきて、俺のオキニの店をぶっ壊しやがった。意味が分からねえ、クソッタレ!


 「心配するな兄ちゃん、直ぐに店も必要なくなる……。今、死ぬんだからな」


 左腕の黒い義手、特徴的なサングラスとハゲ……。鳥羽奪還の時に戦闘になった……。


 「お前は……俺が恋しくなったのか、タコ入道!」


 「減らず口も利けなくなるぜ……」


 オレはガスマスクを着ける……。戦闘開始の合図、バチクソぶっ殺しの合図!


 『精神スイッチ』【アメリカン・サイコ】ブッ、殺、死!


 ――トロネゲのハゲネ――

 魔力量が格段に上がった……。平常時を極限まで弱め、戦闘時に魔力を拡張する制約式の護符か……問題ない。


 『俺の左腕はガトリング砲!!』【AVALANCHE】ハチの巣になンな


 ――俺のガトリングを食らえ!


 ――海川有馬――

 突如、奴の左腕がグニャグニャと変貌しミニガンのような銃器へと変貌! 

 俺は全ての鎖を展開し、瓦礫と壁に三本程鎖を刺し、左へ思いっきり回避!

 奴の左腕から無数の魔力弾が勢いよくぶっ放される。


 たかが一発一発がなんて威力!


 アスファルト舗装を抉り取り砂粒に変えていきやがる。

 俺は自由な方のジョンとぺスの鎖を使い、瓦礫を奴に二方向から放り投げ、同時に奴の死角を取り俺自身を近づける。


 「フンぬゥッ!」


 奴は回し蹴りにより瓦礫を破壊し、俺を見定め、周囲を破壊しながらガトリングの射線をこちらへ向ける。

 させるかボケ。

 ジャックの鎖を奴の左腕へ飛ばす。支えが二つになるが問題ない。


 「おおっと」


 奴の左腕はぬるりと形状を変化し、液体のように穴をあけて俺の鎖を避ける。そして、そのまま俺に銃口を向け、魔力弾をぶっ放してきやがった。


 「ジョン、ぺス、防御!」


 俺は腕で魔力弾を防御する姿勢をとる。二発ほど俺の腕が攻撃されたが、ジョンとぺスの鎖が防御に入る。鎖があれば防御可能……。まだ骨は完全にイカレてはいない!


 「うおおおおおおお!」


 無慈悲な斉射が俺の腕に響く。前は魔力弾の光で見えねぇが魔力は捉えられる。ならば、マイクとジャックの鎖を地中へ……。地下から近付けば……。行けるはずだ。


 !


 前腕の骨が逝きかけている……。

 使えなくなる前に……。

 地中から鎖で……。

 捕らえる!


 「!」


 「グへへへ……。捕らえたぜ、オッサン!」


 『仮想依り代式呪術』【婚約指輪(Der Ring des Nibelungen)】この環に誓うぜ


 これで奴の攻撃をすべて奴に返す……。食らえボケ!


 ――トロネゲのハゲネ――

 複雑な術式……。鎖の呪物に巧妙に隠されたもう一つの術式があるのか……。抜けられない。

 奴に当てた魔力弾が俺の元へ跳ね返ってくる……? 

 厳しいヘヴィだな。コイツは。


 「ハゲ親父解体ショーだぜ! 万雷の拍手を鳴らせッ! テメエの悲鳴でなぁ!」


 複数の鎖が鞭のようにしなり俺の身体へぶつかる。

 ……奴の魔力量……。秘匿一課にしては少ない……。

 攻撃のダメージと衝撃の反射の際に魔力が消費される……。


 ――致命的だな、そのシステム……。


 「オラァアアアアア!」


 ――海川有馬――

 !ッ 

 気づきやがったか、俺の【婚約指輪】の能力に……。

 奴は俺に向けて魔力弾を撃ちまくる。俺は食らった分のダメージと衝撃を奴にフィードバックさせるが、ゴリゴリと俺の魔力を消費させちまう。

 俺は回避と共に鎖による鞭打ちの攻撃を緩めなかったが、それでも手数は減る。奴の魔力量はバケモンだ。いずれは圧し負けちまう……。

 どうするべきか……。


 ――いや、このまま真っ直ぐアイツをボコボコに殴り倒す!


 「何ィ!?」


 ――トロネゲのハゲネ――

 奴は俺の魔力弾の回避を止め、全身に食らいながら俺に突撃してきた。

 奴の鎖が俺の銃に絡みつき、俺の攻撃が一時阻害される。

 奴の受けたダメージは計り知れん! 

 俺に衝撃を返してもいない! 

 ダメージ覚悟で突っ込んできやがった! 

 手前も俺と同じく肝が据わってるようだな……!


 「ははは、男と男の殴り合いといこうか、クソガキ」


 「テメエの玉ァ潰してやるよ、ハゲ入道」


 ――海川有馬――

 奴は左腕を黒い拳へと変化させ、ノーガードで俺の顎を狙う。


 ――上等だ。


 俺は左腕に鎖を巻き付け、奴の顎をノーガードで狙う。

 金剛直伝のノーガード戦術で俺に敵うと思うなよタコ山ぁ!


 『ゴォン! ガン! ドガアン!』


 「ウグェッ!」


 「ウガァッ!」


 一打一打、重い金属のぶつかるような音が奴と俺から発せられる。

地響きが起きそうな重いパンチだ。

 真のタフな漢を決める戦いってか?

 鼻血や吐血なんぞ気にしてられっか、俺はオキニの店壊されて、街もズタボロにされとんじゃボケ!


 「ゥウゥォ……」


 奴のサングラスがバキバキに割れ吹き飛ぶ、破片が俺の拳と奴の顔面に刺さる。


 「ハァ……ハァ……」


 「どうした坊主、まだ俺は魔力ビンビンだぜ……」


 「うるせぇ……。これで終わりにしてやるよ!」


 俺は拳を奴の顎に向けアッパーを繰り出す。


 「グゥ……」


 奴は首をガクッと震わせ、後ろへ倒れ……。

 クソッ、倒れねぇ……!


 「残念だったな……。兄ちゃん……。こっからは俺のターンだぜ……!」


 奴の義手が凶暴な黒鋼の爪を生やす。

 魔術に使える分の、俺の魔力はもう、残り少ない……。

 厳しいぜ……。全く……。


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時3分、日本国滋賀県琵琶湖近隣にて。


 「結構な大混戦になってきたケド……。マダ行っちゃダメ?」


 栄光のジュンは頭の後ろに腕を組みながらふわふわと空中に浮遊して、琵琶湖の中央部を眺めている。


 「ダメですね。もう少し場が混乱してから向かいます。まあまあ、そう焦らずに、じっくりといきましょう……。フッフッフ……」


 カリオストロは木の枝に立ち、孔雀扇で口元を隠しながら常に、にたりと笑い続けている。そのまなざしには軍隊の隊伍、死んでゆく兵卒たち、自らの私兵による複数地点での爆破テロ、秘匿課の倒れる姿、私兵の死んでゆく様が映っている。その混乱をじっくりと楽しむように、眼を逸らさずじっくりと眺め、笑みを浮かべ続けている。


 ――栄光のジュン――

 悪趣味だネ……全く……。ダガ、金払いは良い。稀代の詐欺師、家財のほとんどをナチに奪われた没落魔界貴族の家系。その家柄のみで先祖の如く詐欺詐称。山師のような美辞麗句で青き血の新秩序、隠者の薔薇とのコネを創り上げ、呪物オークションやグレーな取引で財を築いた……。凄まじい商才だ。そのおこぼれを貰い続けられるからワタシはこいつが何をしようがどうでもいいんだけどネ。

 単なる戦闘員以上の役職を持たないワタシは黄金の教示の中でも『戦闘』以外の能力での評価はナイ……。中国支局の末端、世俗出身、アジアとヨーロッパ系の混血児……。ワタシがこの隠者の薔薇という世界で信用できるのは『金』とワタシ自身の『力』ノミ……。

 今回の仕事は200億の大仕事。多少のクライアントの要望は安請け合いしちゃうヨ。


 ――〇――

 栄光のジュンは文庫本を開き、読み始める。琵琶湖の周辺ではゆったりとした時間が流れている。その湖の中央では人々が死に、苦しむ地獄が繰り広げられているというのに……。


――


 2022年4月1日17時15分、日本魔界府黄泉平坂市黄泉区金剛破戒居士私有地結界内孤児院『Dom Sierot  われらの家』にて。


 ――鳥羽或人――

 僕は急いで道を進んだ。結界内は凄い戦闘の余波で地響きや爆発音が聞こえる……。一体どんな人物が金剛さんと戦闘を繰り広げているのか、里奈ちゃんや孤児院の皆は無事なのか?

 森の道を抜け駐車場へ出る。少し舗装が壊れている……。戦闘は演習場の方か……?

 孤児院の中は……先生方の姿が見える。


 「鳥羽さん! 院長は演習場で敵と戦っています!」


 「できれば避難の準備をしておいてください!」


 「里奈ちゃんが……。里奈ちゃんを守って院長先生が戦っているんです!」


 敵の狙いは里奈ちゃんか!


 「わかりました、僕も向かいます、とにかく、避難の準備を!」


 僕は広場を駆け、演習場へと入る……。

 金剛さんが血を流して傷ついている……。こんな姿を見るのは初めてだ……。相手は一体……。


 「或人さん!」


 里奈ちゃんが駆けてくる。


 「院長先生が、あのおじさんに負けそう……」


 里奈ちゃんが泣きそうになりながら僕の服を掴んでそう言った。


 「大丈夫、金剛さんは強いから……。おじさん……?」


 僕は演習場の奥、木々の合間を縫う影のような人影に目を凝らす。


 ……?


 いや、見間違いだ……。


 そんな筈はない……。


 嘘だ……。


 だって、あの人は……。


 「春……沙さん……?」


 影はぴたりと止まり、その姿を現す。

 茶色のスーツとトリルビー帽子に身を包み、口髭を付けた浅黒い肌、真っ白なシャツ、空色のネクタイ……。シルクの手袋をはめて、両手でカードをパラパラと切っている。半透明のバリアのようなものが展開されているが、その姿は見間違えようがない……。


 「鳥羽君、正ッ解ッ! 裏切者、その一はわたくし、春沙クラビス……。またの名を、『秘匿されたる知識(ダ・アト)』クラビスです……。隠者の薔薇諜報員『カニス』及び黄金の教示13番目、秘密のメンバーでございます! 以後お見知りおきを……」


 ニヤリと笑いを浮かべ彼は丁寧にお辞儀する……。張り付いた笑みに見えるのは、今まで僕が見た彼の笑顔が偽りだったから……?


 「鳥羽殿……。そこに留まれ……。春沙殿のスピードには拙僧でやっと追いつける……。どんな罠が張られているかもわからぬ……。動くな……」


 金剛さんが片膝をついてそう語る……。罠……。


 「その通り! 下手に逃げようものならば、あの孤児院ごとドカン! なんてこともあり得るわけです……。ショーを黙ってご覧ください……。特等席でね!」


 彼は左手でカードを金剛さんに投げつける。強力な呪物、凄まじいスピード、精密な動作、金剛さんを翻弄するのが頷ける技巧に長けた魔術師だ。

 金剛さんの周囲を縦横無尽にカードが飛び回る。金剛さんはぶつかってくるそれらを正確に魔力操作で相殺しているが、相手のカードは術式によって動いている。魔力効率は段違いで、術式が優位だ。金剛さんの圧倒的な魔力量でトントンに持ち込めるだろうか……。


 「ヌウゥ……。フフフ……流石だ、春沙殿ぉ! フッハハハハ!」


 「ご冗談を! クソも効いてない癖によ!」


 二人は共に真正の笑顔で戦っている。春沙さんの張り付いた笑顔は消え、直ぐに闘争の本能の中の笑いへと変貌している。その中に僕は一抹の不安を覚えた。


――


 ――〇――

 2022年4月1日16時45分、日本魔界府黄泉平坂市黄泉区金剛破戒居士私有地結界内孤児院『Dom Sierot  われらの家』にて。


 『己の暗愚を呪う愚者よ。笑い化粧で繕う道化よ。願わくば【不幸は知性を呼び覚ます】ことを。秘匿を創れ。』


 ――春沙クラビス――

 【0.愚者(不幸は知性を呼び覚ます)】


 『ヘルメスよ秘匿を抱え駆けろ』


 【1.魔術師(ヘルメスのベール)】


 これらがお決まりの仕事の合図。嘘つきの印……。


 「よお……。金剛ちゃん……」


 「子供たちと遊んでもらうのは嬉しいが……。今は緊急事態故、外に連れ出されるのは困るな……春沙殿」


 「先生!」


 ――○――

 四江奈里奈が金剛へ駆け寄る。春沙はそれを静止することもない。ただじっと金剛を見ている。


 「危ないから少し離れておきなさい……。大丈夫、ここは安全だ……」


 そう言って金剛は彼女にベンチを指さした。彼女は心配そうな顔をしながらも、そちらへ向かう。


 「逃がさないのかい?」


 「その必要はない、逃がそうとすれば春沙殿はまた、心にもない嘘をつき、傷つく」


 春沙は黙って金剛を見る。双方が真っ直ぐ見つめ合っている。


 「……そうかい……。あんたは俺の事がお見通しだって言いたいのか? 高慢だぜ、それは」


 春沙クラビスは皮肉に笑いながらカードを切る。


 「お見通し? 何のことやら、拙僧は拙僧の思ったことをただ述べるだけ、言わなくてよいことは言わないが……。貴殿にはそれが必要と見えたまでよ」


 金剛は拳を打ち合わせる。ガンガンと音が響く。

 春沙はカードを一枚引きそれを見る。


 ――春沙クラビス――

 20『審判』の逆位置……。意味は、悔恨や行き詰まり、悪い報せ……。再起不能(リタイア)。


 「『外れ』だったぜ……金剛ちゃん……。俺の術はこのカード『大アルカナ』と『小アルカナ』合わせて78種の術を使う。今回術式を使うのは『大アルカナ』のみ……。22種類の術だ。既に2種類、【0.愚者】【1.魔術師】を発動している。カードは種類によって同時発動が可能なものと不可能なものがある……。この0と1は常に併存可能なカードだ……」


 「【手の内の開示】と【条件設定】は呪術師の基本……と言ったところか……。拙僧相手に呪いを飛ばすおつもりか?」


 「フッフ……一応、呪術師でもあるのでね……」


 手の内を見せる事で術式効率を一段階向上。条件設定、『小アルカナ』の術を使わない事でもう一段階向上させる。相手は『最強』準備は万全に。


 【20.審判(最後の審判)】『真偽は誰も知らない、サイコロで決めるのだろう』


 「――金剛ちゃん、俺の目的、分かるかい?」


 審判の能力、それは真贋判定、あらゆるものの俺にとっての真偽を判別する。俺の知覚能力の無意識的な働きから真偽を判定する能力、的中率は9割9分! 

 何故当たるのか?

 俺にもわからねぇ!

 俺は意外と洞察力がいいのかもしれねぇな。


 「分からん、だが今まで何か隠しておったことは分かる!」


 反応なし……。真実か!

 まだ計画はバレちゃいねぇ。やっぱこうやって真贋判定使えるのは便利だぜ……。

金剛は地面を蹴り、突撃を開始してきやがった。俺は【1.魔術師(ヘルメスのベール)】の術によりタロットカードを操作する。しばらくは情報収集しつつ、お茶を濁すか……。


 金剛に向け十枚のカードが発射。しかしそれらは金剛の拳や蹴りで相殺される。


 ――金剛破戒居士――

 タロットが数枚少ない……。絵柄が見えず、巧妙に隠されてはいるが、いくつかは罠に回しているようだな。カードを操り、神霊を操る彼の術式は手数の多さが厄介!

 いつ何が飛び出してきてもおかしくはない……。


 「オラァ!」


 ――春沙クラビス――

 金剛が飛び込んでくる。近接狙いか。ちょっとは乗ってやるよ。

ドロップキックめいた攻撃を三枚のカードで防衛、右手のカードで金剛の足首を斬る!

 ――これを避けるか!

 勘が冴えてるね!


 ――金剛破戒居士――

 ドロップキックから空中で静止、直接攻撃を避ける。半回転しながら拙僧は襲い来る他の浮遊カードを空中で防御する。魔力操作対術式操作、拙僧の消耗は確定……。何たる攻撃技術、魔力効率を極限まで効率化を目指しスピードで威力をつけているな……。それに攻撃部位の的確さ、天晴れと言ったところか。


 「なにニヤついてんだ、オラ!」


 「本気の闘争はいつだって楽しいからな!」


 ――春沙クラビス――

 奴の言葉に偽りはない……。無数の俺のカードに切りつけられ、俺に裏切られ、戦いながら奴は笑っている。


 失望は?

 信頼の崩壊は?

 絶望は?


 「俺に失望してんじゃねえのかっ!」


 審判のカードで俺は奴に切りかかる。細く、鋭く練った魔力の刃、奴の皮膚の薄皮を裂く、まだまだ届かないか……。


 「失望? 何故? 拙僧は今も春沙殿を信頼し、友だと思っている!」


 奴の拳が俺の顔面をかすめる。鼻先に血が滲む。

 『審判』の反応は無し、真実……。

 コイツはどこまでも……。

 どこまでも真っすぐ……。


 「俺はお前の孤児院からあの子を誘拐した犯罪者。お前の信頼を破壊して楽しくなってるクソ野郎だぜ!」


 「何を言おうが拙僧は、嘘はつかない。沈黙か真実か、それだけだ」


 ニッと笑い俺の腹へ目掛けて膝蹴りをかましてくる。俺は衝撃をいなしながら奴の軸足へトランプを複数、潜伏させていた分を発射する。

 『審判』はその言葉を『真』ととらえた。少なくとも奴の心には一点の曇りなく、真実しかない。

 『審判』の効果は使い物にならねえや。

 嘘つきばかりと思っていたんだがな……。


 俺は膝蹴りの衝撃そのまま、くるりと一回転してから着地する。大アルカナのカードは俺の元に集まり俺はそこから一枚引く。いいの出ろよ。


 【2.女教皇】『秘密に溶け込む甘美なる智慧』

 

 金剛破戒居士:春沙殿が気配ごと空中に消えて行く。透明化?

 否、同化だ。空気の波長と色彩・魔力を同化し姿を消したな!

 拙僧に攻撃を仕掛けるカードも少ない。伏兵による攻撃を用意している……。

 どこだ、拙僧の感知ならば春沙殿の微細な同化も感知し得るはず……。空気の波長、振動、動き……。無数のカードの連撃の中で探り寄せる……。

 そこか!


 「やはりいい目だ、見えすぎるくらいね」


 !

 カードが突然現れた!

 カードも透明化、ノーマーク……。


 「ぬぅうお!」


 拙僧は左足首に裂傷、だが拙僧も殴りつけ、春沙殿の顎を揺らす!

 クリーンヒットはできん、春沙殿の特殊な体術により全ての攻撃がいなされている!


 「くらってばっかなワケねえじゃん」


 ――春沙クラビス――

 【13.死神】『静止とは死。死は冷たく、何一つ残さない、まるで嘘のように』


 ――金剛破戒居士――

 春沙殿の左手にタロットカードが挟められている。絵柄……。死神デス13!

 拙僧にそのカードが近づくと拙僧の体温が奪われてゆく。熱を奪う冷気の力か!

 マズい、凄まじい勢いで拙僧の細胞の活動が停止していく。

 魔力により熱を……。


 「ぬぅうん! 拙僧、人間火力発電所なればァア!」


 体温を上げる。傷ついた方の足にも力を入れ踏ん張り、体勢を持ち直す。

二撃目、拳を春沙殿の腹へ。


 「軽い」


 春沙殿に受けられる。相手の正確無比かつ術式化された高効率魔力防御。こちら側も体温上昇に魔力を使いすぎたか……。

 三発目の拳、しかしカードが拙僧の拳の軌道を邪魔するか……。

 ならば!


 「うぐぇッ!」


 ――春沙クラビス――

 コイツ、傷ついた方の足で。

 ――俺がそれを見逃すはずねえだろ。ああ知ってるよ、お前が傷上等だってこともよ!

 知ってるさ!

 食らいやがれコンチクショウ!

 俺は奴の蹴りを腕で受け、空中のカードで奴の傷を重点的に抉る。奴は眉ひとつ動かさず、よりその脚に力を籠める。

 出血!

 金剛の野郎が傷から血を流すところなんぞ初めてかもしれない!

 こんな俺でも通用する!

 出し惜しみはできねえ!


 「っとぉッ」


 俺は奴の蹴りの勢いを使い空中できりもみ回転を行う、カードに乗り、少し離れ、俺は奴に空中のカードで攻撃を加えながら、再び適当なカードを引く。


 【15.悪魔(バフォメットの衛星)】『黒魔術の宿命。魂と引き換えに君の願いを叶えよう』


 ――金剛破戒居士――

 彼の隣に山羊頭のボールのようなマスコットが現れた。それはこちらへ向かうにしたがって人間大の大きさとなり、六つの腕を持つ翼の生えた山羊頭の悪魔バフォメットへと変化して、こちらに攻撃してきた。

 黒魔術?

 黒魔術の神霊を召喚するのは難しいはずだが……。

 自律行動型、強度はかなり高い。術式は恐らく……。

 結合を確認。

 キリスト教反転型と悪魔崇拝系の宗教術が組み込まれている、だが不明な文字……。

 これは、ロマ語!


 「ロマの一族……。中々興味深いな」


 六の腕から繰り出される連撃に対処しながら、カードによる拙僧の防御を削る攻撃に耐える。着実に拙僧の魔力は削られて行っている。


 「その通り、母がロマの出身でしてね。タロットも一族の最も貴重な財産の一つさ」


 拙僧は山羊頭の角をむんずとつかみ、膝で体の正中線を的確に破壊。だが悪魔はそれを振り払い拙僧へタックルを仕掛けた。


 「いい術だ、そのタロットもいい強度だ、誇りがあるのだな」


 拙僧はタックルからするりと奴の後ろへ抜け出し、悪魔の後ろを取ると、組み付き、羽をへし折ったのちに巴投げを繰り出す。目標は勿論、春沙殿だ。


 ――春沙クラビス――

 あの悪魔バフォメットを投げただと?

 相変わらずヤバイ膂力、だがこれもブラフだ、奴は悪魔の後ろで追撃を狙ってこちらに来ている。ならば。


 【14.節制(大天使の衛星)】『倹約続きの人生よ、なんて嘯き贅沢三昧』


 【9.隠者】『反逆の隠者よ、その罪により枯れて朽ち果てよ』


 悪魔は消失し俺の隣に大天使の衛星が発生する。天使は透明なガラスのような姿となり翼のバリアで俺を守る。悪魔の影が消え、突っ切ってくる金剛の拳が大天使の翼を殴るが、無力。音もなることなく、その後の連打も無力化され、金剛は俺のカードの渦に襲われる。また、奴の魔力はどんどん俺の方へと吸収されてゆく。そのまま奴は距離をとる。『隠者』は打ち止め、節制はまだまだ続く、アイツの次の手は何を……。


 「或人さん!」


 ……来たか……。


――


 『いつか、あなたにも本当に信頼できる人が現れる。その人との出会いを大切にしなさい』


 ぼんやりと古い母の言葉の記憶を思い出す。母は俺にロマ族の知恵を授けて亡くなった。父もしばらく前に亡くなったと聞く。

 ……俺はこのロマに伝わる魔術の知識を利用して、占いなんかで日銭を稼ぎ、旅をして廻った。母から聞いたロマ族の伝統的な生活、それに少しあこがれて……。世の中は信用できない奴らが多い。嘘を見抜くこともできるこのタロットで、俺は人を騙してきた。

 知識。それだけが俺の求めるものだ。もっと多くを。もっと多くの知識を俺は求めている。魔力の才のない俺は、あの黄金の教示の連中や違法術師の連中に勝つために知識が要る。誰よりも、誰よりも優れた知識が。


 複数の団体を転々として、魔術知識を盗み、知り、そして団体を裏切る……。裏切者がこの俺の二つ名。そんな中、それに目を付けた『薔薇』は俺に秘匿エージェント『カニス』へ勧誘してきた。裏切りが職務のこの仕事は、俺の肌によく馴染む。より多くの知識を得られて、俺はさらに強くなった。

 元老院の連中は、どこからか俺の事を聴きつけて、黄金の教示の一人を暗殺させた。『秘匿されたる知識(ダ・アト)』と呼ばれたそいつは俺よりずっと魔力の才に溢れ、強く、そしてそこが脆弱だった。敵を作りすぎた奴は暗殺を気にしていたようだが、俺に正面からやられた。奴の絶対の自信が揺らぐ瞬間は、俺に対してトドメを刺さんとする瞬間に訪れたのだ。

 俺は拍手に包まれ、『秘匿されたる知識(ダ・アト)』という名前を着せられ……。それでも職務は変わらない。

 元老院の奴らがカリオストロを支持し、俺が奴の指令を間接的に従うことになっても、何も変わらない。

 この日本魔界府秘匿課に来ても、何も、変わらない。

 俺はいつだってワイルド・カード、道化(ジョーカー)だ。

 一番厭な時に裏切りは来る。誰にとっても一番、厭な時に。


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時15分日本魔界府黄泉平坂市高天原区月詠にて。


 「ああぁあ!」


 「姉さん!」


 安部実巳:あの悪魔は姉さんの折れた左腕を無理矢理曲げ、どこまで曲がるか楽しんでいる。

 類は雷のおかげでほとんど無敵であることから、奴の不可視の式神に殴り続けられている。

 俺は両足を折られ、刀をへし折られ、攻撃することすらもままならない……。


 「春奈! 助けてくれ!」


 呆然と立ち尽くしている春奈に俺は叫ぶ。何をやっているんだ、アイツ! さっさと動け! いつも瀬里奈を殴る時に文句を言いやがって、自分勝手な……。後で躾けておかなきゃならない……。クソッ……。せめて刀……。武器があれば。


 ――土御門春奈――

 呼吸が浅い。視界が揺れる……。遠くで美鶴の叫び声……。なんで、なんでこんなことになっちゃったんだろう……。昔は皆、普通だったのに。なんでこんな、殺し合いみたいなことをしなきゃいけなくなっちゃったんだろう。私は何もしていないのに。何も知らない!

 何も知りたくない!

 ただ実巳と居たいだけなのに!


 ――幸徳井雷かでい らい――

 どうすれば……。ああ!

 少しでも防御術と回復が遅れれば類がやられる!

 類! 類! 僕の世界で唯一の兄弟が! 僕の愛する人が! そんな! この形代に紐づけられた類の魂が弱っている……。

ダメダメダメダメ。僕からこれ以上奪わないで! 僕のプライドを、あの女が、あの女! あいつがすべて奪ったせいだ!

 ちょっと顔がいいからってすぐ付け上がりやがって! 顔の下には僕たちを弄ぶ下衆な本性があったんだ! そうに決まってる! だから僕たちをフッたんだ! そうでなきゃそんなことはしない! 可哀そうな僕たちを慰める親もいない! 可哀そうな僕たちは奴を殺さなきゃならない、こんな惨めな目に合うのは全てアイツのせいだ!


 ――安部美鶴――

 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い! ああああ! 肉が引きちぎれる! 骨が砕ける! 骨の裂ける軽い音がする! あああ! 殺す、殺す、殺す! 生意気にも私たちに逆らって! 私たちの事を虐げている! こんな理不尽なことは……。あああ! 私たちの目の前で土下座してた、汚い便所掃除の女が……。こんな、この強くなった私の腕をおおおお! 殺す、殺す、殺す、殺す!


 ――幸徳井類かでい るい――

 削られる! 息ができない! 殺される! 見えない式神が俺を殺すために殴り続けている! 防御も意味を為していない! 

雷の奴何やってる! 回復も追っつかなくなっている!

 マズいマズいマズい、無敵のはずの俺の術が、魂に干渉する俺の最強無敵の術がッ! 俺のモノになるはずだったあのアマが! 畜生ぉ……!

 俺をフりやがって、あの女ァ……。俺をコケにしやがって、あの女ァ……。ずっとへこへこ低姿勢でいりゃいいんだよクソが……。俺に逆らい、断り、拒絶しやがって。絶対に殺してやる! 俺を見下しやがって、殺してやる! 底辺の癖に、雑魚の癖に、バカの癖に、イカレの癖に!


 『祈願呪殺、救急如律令』


 俺は無限に続く不可視の軍団の連打の中で掴み取った、アイツの髪を織り込んだ芻霊に呪いを籠める。

 殴られ、途切れ途切れの呪文は何とか力を持ち、奴へと強力な呪いを飛ばす、ここの全員が協力した呪殺の呪いだ! 

 不意打ちを食らいやがれ、クソブス!


 「何これ」


 奴は美鶴の腕を投げ捨てるように放し、俺の放った呪殺の魔術的結合を指でつついた。俺の結合や奴の魔力の前で削りに削られ、奴の指に触れるまでにはミミズのような小さなものとなっており、つつかれた衝撃で崩れ去った。俺は負けたのだ。いや、俺達は最初から負けていたのだ。


 ――安部美鶴――

 もう私たちに抵抗する手段は残されていない。負けた……。


 ――幸徳井雷――

 僕の魔力ももうすぐ尽きる……。僕らの負け。


 ――土御門春奈――

 もうここから一刻も早く逃げ出したい、瀬里美はあの有穂に匹敵する化物だ、もう負けでいい。


 ――安部実巳――

 俺はもう戦う術を持たない。俺達の負け……。


 だが、『俺達以外の手』はまだ残っている。


 『我らが魂の一部を使い、この者を封印せよ』


 ――賀茂瀬里美――

 妙な言語……。ラテン語? の呪文を突然こいつらは一斉に唱えた。こいつらの配置……。五芒星? 

 クズ共を頂点に完璧な五芒星が床に現れる。魔術的結合が……。いや、もう間に合わない。クズ共の術中……。でも私の、魔力なら……。問題なく焼き切って……。突破……。


 ――安部実巳――

 奴が動く前に魔術的結合が奴の神経に作用し気絶させる。

 数秒耐えた……。とんでもない奴だ。神経に直接作用しているんだぞ……。そして俺達の造り出した紋章は奴のみを納める水晶の結晶のような結界となり封印が完了する……。青き血の新秩序の術式だ。

 出来ればこの手で殺したかったが、仕方がない、『薔薇』のカリオストロのプランに従い、奴らの『儀式』を待つ。確か俺達は二番目か三番目だったか……。まだしばらく時間はありそうだ……。


 「雷! さっさと私の骨折に回復術をしなさい! 痛いんだから!」


 「うるさい! 類が先! 女は最後!」


 姉さんや雷はまだ元気がありそうだ……。すぐ回復するだろう。


 「実巳……。回復呪符をすぐに使うね」


 春奈が駆け寄ってくる。


 「春奈……。もう少し近くに……」


 「え?」


 春奈が俺に寄ってくる。


 『ガッ』


 俺は春奈の顔を殴る。


 「なんで瀬里美になった途端に式神の動きが止まった?」


 「そ、それは、それは、こ、こ、こ、怖かったから……」


 「お前は怖かったらサッサとあいつに従うのか? そんなのはいけないよなぁ!」


 『ゴッ』


 もう一発殴る。ちょっと多かったかな? まあいいや。


 「うぅう……」


 「なぁ? そう思うんだよな?」


 『ダン!』


 地面をたたく。


 「はい……。そう、そうです」


 「分かればいいんだよ……。怪我はないよな?」


 「私は……。大丈夫、ごめんなさい」


 良かった、賀茂に傷つけられてはいないみたいだ。


 「謝らなくていいんだよ。次あったら骨を折って躾けるだけだから。それよりも回復呪符は姉さんに先に回してくれ。これ以上放置されるとちょっとうるさいからな。はは」


 賀茂がいなくなれば、この素晴らしいコミュニティーに戻れる。伏魔殿の団結力は再び戻ってくる。帰って監禁している賀茂劉醐を殺せば、次の伏魔殿のトップは土御門家の家督、春奈に移る。そうなれば俺が実質トップになれる。なんとしてもこの作戦を成功させるんだ。輝かしい明日の為に!

 皆が努力してきた今までが報いになる、皆の希望の為に俺は戦う。


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時20分日本魔界府黄泉平坂市黄泉区金剛破戒居士私有地結界内孤児院『Dom Sierot  われらの家』にて。


 ――鳥羽或人――

 金剛さんは春沙さんの強力な防御……。あの半透明な天使の羽に無力化されながら、複数のカードが蜂の群れの様に金剛さんに襲い掛かっている、だが金剛さんは連打を止めない。彼の眼には確かな勝機が映っているのか、それとも……。


 「マジかよ! お前ぇ!」


 「やればできる! やってできなくても! それで良い!」


 金剛さんは拳によりそのバリアを破壊した。愚直な攻撃、守らぬ姿。その全てが金剛さんの性格を示しているようだ。


 ――春沙クラビス――

 【19.太陽(永遠の青春)】『輝かしい栄光は、見る人の目を潰す』


 ――鳥羽或人――

 バリアが崩れ去る中、春沙さんの右手に示されたカードから眩い光と共にレーザーが発射される。僕のレーザーよりも出力が大きく線が細い、金剛さん……!

 彼は額でそのレーザーを受け止め、そのパワーに足で踏ん張ることで抗っている。白目をむいて凄まじい力を額と足に集中させている。


 ――春沙クラビス――

 【8.力(ヘラクレスの勇気)】『力の名誉か、偽りの武勲か』


 ――鳥羽或人――

 春沙さんは三方向に魔力の力場を発生させ、エネルギーの力積により後方へ真っすぐ飛んで行く。


 戦線離脱?


 いや、彼は森の中で飛び回り、影の様に残像を引き動いている。金剛さんは直ぐに飛んで行き、その影を追う。ぶつかり合い、互いに一撃を入れ、春沙さんが再び逃げ、金剛さんが追う、だんだんとそのスピードと頻度は上がってゆく。拳とカードで火花が散り、金剛さんから滴る血がその戦いの熾烈さを物語る。


 ――春沙クラビス――

 【5.教皇(ジプシープリンス)】『信条と恵みをふりまくがいい、それが無限という嘘と共に』


 ――鳥羽或人――

 金剛さんが突如凄まじい重圧を受け地面に深々と埋まる。なんという、威力!地面に人を杭の様に打ち込むなんて!


 「こんなもんでお前が倒れねぇのは知ってるぜ!」


 ――春沙クラビス――

 【12.吊られた男(使徒)】『罪人の最期は吊られて死ぬのだろう、だが正直者の末路も同じではないか』

 拘束の呪いが奴に向かう。呪い……。奴を呪えるだけの恨みが俺にあるのか……?

 試してみりゃいいんだよ!


 【11.正義(ジャスティス)】『正義は勝つ、なんてね』


 俺の呪いが奴に向かう。恨み、痛み、苦しみ、奴に向けて渦巻くすべての感情をこの呪いにぶつける!


 ――〇――

 呪術師が扱う【呪い】は対象に対して渦巻く術者とそれ以外の人々の感情を糧に強化される術である。対象がより怨念や憎悪、喜びや感謝を人々から受けていればその呪いの強さは強力なものとなる。ただし、術者自身が攻撃の呪いならば相手への憎悪を、祝福の呪いならば相手への敬意や愛を、強く向けなければ、全ての呪いの強さを享受することはできない。対象への他者の思いは善も悪も同じである、それは術者がいて初めてその呪いの『意味』を創り上げるからである。

 故に苦しみを与える呪いについて、強い憎悪を術者が対象へ向けられないのならば、どんな高名な呪術師でも力を発揮できずに終わる。


 ――鳥羽或人――

 春沙さんがカードを引くと呪いの塊が金剛さんへと渦を巻き現れる。怨嗟の塊。悪意の塊だと直感的に理解できる。それは金剛さんに触れると世界中に広がるかのように魔術的結合を花開かせる。

 金剛さんへの人々の思い、それが金剛さんへと襲い掛かる。

 だが、それはあまりにも、暖かく、優しいものに見えた。


 「春沙さん……! もうやめてください!」


 「……俺はな、お前らを最初から騙していたんだ! すべて計画の内だ! 鳥羽、お前が拉致されるのも、あの潜地艦を俺が自爆させるための計画の一部さ! そして、俺がこの戦いを終えれば、お前と……。お前の隣にいるその娘を、生贄に捧げる算段なんだよ!」


 悲痛な叫びが響く。金剛さんへ呪いが溜まってゆく。金剛さんはそれにたいして、手を広げ受け入れる姿勢をとっている。


 「嘘だ! 春沙さん、そんな無理はしないでくれ! 春沙さんがどうして金剛さんと戦わなきゃいけないんだ? 春沙さんは今嘘をついている!」


 春沙さんが歯を食いしばる。


 「うるさいガキが……!」


 「フッフッフッフ……」


 金剛さんが不敵に笑う。まだ呪いの渦は止まっていない、渦の大きさはこの結界内部を全て埋め尽くしてしまうほどであった。いや、それだけではとどまらない、あまりにも多い世界中からの愛憎が金剛さんの身体へと一気に入り込んでゆく。


 「これで呪術師とは笑わせる! 自らの感情に向き合え! 春沙殿が本当に向けるべき感情はこんなものではない! 偽りの拳は拙僧の魂には届かん! すべてかすり傷に留まろうぞ……!」


 笑みを浮かべそう語り、金剛さんは内側から大爆発を起こす。どのような呪いが向けられたにせよ、こんな巨大な呪いの力が向けられれば金剛さんは……。


 ――春沙クラビス――

 ……偽りの拳は奴の魂には届かない……。そうか……。俺の持つ感情は憎悪じゃない……か。


 「フッフッフッフッフ……はっはっはっは! そうだ、俺は、俺は間違った、間違っていたんだ!」


 他人に嘘をつくために、下手な嘘を隠すために、俺は俺自身をいつの間にか騙していた、その嘘は俺の誇りさえ偽って、中途半端なモノにした!


 「喝!」


 ――鳥羽或人――

 土煙はその一言の風圧で全て吹き飛び、直立した金剛さんが現れる。

その目はしっかりと春沙さんを見据えている。さっきまで笑っていた春沙さんは、ゆっくりと金剛さんに目を受ける。その瞳は不安さや怯えがありながら……。でも真っすぐに見据えている。


 ――春沙クラビス――

 俺は今、お前に……。お前に勝利したい……! 


 「俺はお前に勝利したい、ゴミのような、才能のない俺が、特別指定級術師の中で、最も強いと呼ばれるお前に、うち克ちたいんだ!」


 金剛はニッと笑う。いつものアイツの笑いだ。


 「ならば来い。全力を打ち込め。全ての術を使え。その全てを拙僧が受け切り、拙僧が勝つ!」


 「最高だぜ……。最高の好敵手ライバルだぜ、金剛ちゃん!」


 【14.戦車(凱旋王)】『しもべを従え気を良くする、そんな哀しみ』


 【16.塔】『奢れる者に天からの罰を』


 ――金剛破戒居士――

 馬に引かれる戦車チャリオット

 霊体の戦車が現れ、同時に春沙殿が電気を帯びて今まで以上のスピードで飛び掛かってくる。遂に完全なる近接戦へ移行するか!

 雷のように鋭く、電気の帯びた彼の攻撃!

 20手以上の様々な体勢による連撃が拙僧に降り注ぐ。魔力による防御でも電撃は防げず、ダメージは蓄積する。そしてフィニッシュに霊体の戦車突撃!

 拙僧が防御の身に徹することになるとは……。


 「いいコンボだ!」


 連撃の終わり、春沙殿の術が切り替わるタイミングに拙僧は拳を思いっきり彼の額に殴りつける。


 ――春沙クラビス――

 知ってるぜ、金剛ちゃん。この瞬間に、お前は対応できる。お前は俺より強いから。お前は俺より、攻撃がちょっと速いから……。


 【3.皇帝(ジプシー・キング)】『帝王の権力は砕けない、民衆の目が覚めぬ限りは』



 ――金剛破戒居士――

 硬いッ!!

 身体の硬質化により拙僧の攻撃が通っていない……だと!? 


 ――春沙クラビス――

 【10.運命の輪(ホイール・オブ・フォーチュン)】『巡る運命は報いさえも入れ替えてしまう』


 ――金剛破戒居士――

 突如として春沙殿の位置、拙僧の位置、空間内の様々な物体の位置が組み変わるようにずれて変化してゆく。これは一体……?


 ――春沙クラビス――

 【6.恋人(エロース)】『優柔不断な私は道を踏み外した』


 ――金剛破戒居士――

 変化する空間内で魔術的結合が飛んでくる……。興奮作用のある神経操作術?

 特に問題はない、受ける。


 ――春沙クラビス――

 【3.女帝】『無慈悲な指令も何のその、報われなくとも進み続ける』


 ――金剛破戒居士――

 今度は催眠術式、強度は強いが、問題ない!


 「自傷しろ!」


 拙僧はどこからか聞こえる春沙殿の指令により自身の顎と胸を思いっきり殴りつける、だがそれだけ、拙僧にも拙僧の身体は破壊できぬ。問題はない!

 術式の結合がそれだけで解ける……。いや、変質か!


 ――春沙クラビス――

 【18.月(魔王)】『欺瞞に満ちた夜が来る』


 ――金剛破戒居士――

 結合の術式が変化……幻覚作用……!

 無数の触手と目玉、月に向かい吠える獣……。不定形の幾何学模様……。無限なる数式……。拙僧の経験したことのある狂気的な情景が次々と浮かび、目の前に質量さえ感じられる姿で現れる……。だが拙僧にはもう怯えはない。次の術は何だ?

 どんな術であろうとも。


 「全て受け止めて見せるッ……!」


 ――春沙クラビス――

 【17.星(シリウス)】『欺瞞を破壊しろ』


 「……?」


 ――金剛破戒居士――

 拙僧を包んでいた幻覚が崩れ、元の演習場の情景が戻る。目の前には春沙殿が立ち、一枚のカードを示している。


 「……これに耐えた者はいない……。これが正真正銘、最後の術だ。俺の全身全霊を籠め、今ある全魔力を解放する……。俺は……これでお前に勝つ」


 フフフ……。全力とは楽しいものだ……。いつだってそうだ!


 「受けて立つ……。かかってこいやァ!」


 ――鳥羽或人――

 がちっと金剛さんが拳を合わせ、気合を入れる。春沙さんは全魔力をあのカードに集中させる。カードが光り輝き、大地が鳴動し、空が割れる……。一体何が始まるというのだ?


 『笑い化粧の道化も終わり、その化粧の下の顔を示せ。己の暗愚を知る愚者よ、それこそ知の極点と知れ。願わくば【不幸は知性を呼び覚ます】ことを。世界よ、秘匿を破れ』


 ――春沙クラビス――

 【21.世界】


 ――鳥羽或人――

 春沙さんの右手で示すカードの先に小さな光を放つ点が現れる。その点は金剛さんへ向かい、そのまま彼の鼻先に触れる。

 その瞬間、金剛さんは光の柱に包まれた。大地と空を貫くその柱は周辺の磁場や重力すらも歪め、瓦礫や大地が割れた破片を重力に逆らって浮かべ、近づいた全てを破壊し尽くした。目の前に立つ春沙さんはジッとその光の柱を見つめ続けている。

そして、その破壊が全て終息すると。


 そこには物質という物質が消失していた。……浮遊して仁王立ちする金剛さん以外のものは全て。


 金剛さんは、衣服も何もかもズタズタになりながら、様々な傷と火傷を負いながらも仁王立ちしていた。


 「……原子核融合を制御する俺の術……。俺の魔力ももう底を尽きる……。お前の魔力はまだ余裕がある……。勝負ありだな……」


 「その通り、勝負ありだ……。はっはっは!」


 そう叫んだ金剛さんはぷつりと糸が切れたように気絶し穴の底へと落ちて行く。


 「こ、金剛さん!」


 僕は穴の中へ急いで浮遊術で飛び込み、気絶した金剛さんを拾い上げた。僕が引き上げる頃には金剛さんは気が付いて、穴を出るなり春沙さんに話しかけた。


 「春沙殿の勝ちだ! いやあ、久々に負けた!」


 春沙さんは笑みを浮かべたが、すぐに悲し気な顔を浮かべた。


 「……裏切者の罪は消えない」


 金剛さんはムッとして言い返す。


 「何を言うか! 正当な勝負で勝利した者はそんな事は言わない。それに罪は……」


 言いかけた後、金剛さんは何かに気づいたように振り向き、そちらへ向かう。

 僕が振り向くと、そこには隠者の薔薇の構成員……。見覚えがある……。『蟹江鋤矢』金剛さんがずいぶん前にバスの中で捕まえた隠者の薔薇の一員だ!

 そいつは里奈ちゃんを魔術か何かで眠らせ、紋章の上で呪文を唱え、儀式を行っている。一体何をするつもりだ?


 「まずい! やめろ!」


 春沙さんがそう叫んだとたん、里奈ちゃんがその紋章の上で空中に浮遊し、掌の痣が消え去っていった。

 彼女の後ろには大きな逆十字が現れ、その更に後ろに巨大な背骨……。肋骨……。見上げれば頭蓋骨が……。その骨には肉が生えてゆき、やがて皮膚が……。それは巨大な悪魔のような姿をした人間だった。顔ははっきりと見える。だがその顔は認識できなかった。誰でもあって誰でもない顔だった。記憶の中では靄がかかったようにわからなくなる。恐ろしい顔……。憤怒の顔を示した、巨大な人間だ!

 里奈ちゃんは奴の身体の中へ取り込まれてしまった。

 あれは一体……。僕の感知能力ではあの大地から生える巨人の中がわからない!

 あまりにも強大過ぎる魔力のせいで感知が利かない。この周辺でさえも判別が難しくなっている。


 「俺の……俺の責任だ……。金剛ちゃん、鳥羽君。ここは俺が責任を……」


 「ふん!」


 金剛さんが地面に足を叩き付ける。魔術的結合が地面に飛散し、それを這って結界へと向かう。また、僕たちにも結び付いていく。


 「金剛さん?」


 「鳥羽殿、春沙殿、全力で生きろ、自分を通せ! 自分を大切にすることは自分以外の為になるのだぞ。拙僧には難しかったが……。まあ、また会おう!」


 ニッコリと笑みを浮かべて金剛さんはそう言った。

 僕たちはその魔術結合に引っ張られ、結界の外縁へと飛ばされる。


 「やめろ! 金剛ちゃん! お前も来なきゃ駄目だ!」


 「金剛さん! 金剛さん!」


 さよならなんて、金剛さんは言わない。また会おうと必ず言う。それが彼の信念なのだろう。見た事もない規模の魔力に包まれた金剛さんはいつものように笑って、親指をしっかりと立てていた。


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時23分、魔界府黄泉平坂市高天原区素戔嗚、黄泉平坂総合病院入り口にて。


 ――アドルフ・ゴットハルト・ルプス――

 完全にあの干物ジジイのペースだ。各関節駆動部を的確に攻撃し、完全に攻撃を避け、躱し、いなす。

 あのジジイが奇声を発したら奴の攻撃の合図、見きることは可能な筈……。だが丁度、琉鳥栖のオッサンと俺のタイミングが最悪の時に必ず攻撃を仕掛けてくる。


 ――何とか奴のペースを乱す必要がある。戦闘はダンスみたいなものだ。リズムはそれぞれにある。敵に合わせちゃ終いだが、味方には合わせて行かなきゃならない。

俺は合わせた事はないが……癪だが……琉鳥栖のオッサンと合わせなきゃならない。あのジジイのリズムを破壊しなきゃならない。


 「ピッチ上げるぞ、文句垂れてないで動けよオッサン!」


 「格闘戦は考慮した機体じゃねーんだよ! 俺もお前も!」


 俺が機体の性能を120%引き出してやる。こんな体格してりゃ格闘性能もそこそこあンだろ!

 関節の駆動部がぶっ壊れる寸前だろうが知ったことか!

 キャタピラだろうと蹴りは出せる、拳がなかろうと殴りは出せる、マシンカラテだ、食らえ!


 ――琉鳥栖玲央――

 ふざけた使い方しやがって、当たってねえからいいものの、腕部の大砲で殴るのはやめてくれ!

 クソッ、もうどうにでもなれ、どうせ食らわないんだ。逃げ場を減らす支援砲をありったけぶち込んでやるよ!


 ――慈悲のゲドゥラー――

 ピッチが変わった……。機械の傀儡の連撃精度がどんどん向上してゆく……退路を塞ぐ砲撃も隙間が減ってきよった……。おかげで天啓による回避も厳しさが……。


 ッ!?

 この魔力は……!


 「復活したァアアア!」


 ――アドルフ・ゴットハルト・ルプス――

 ジジイが突如止まって叫ぶ。逃すかこのチャンス。全力で拳をぶつけてやる!


 ――琉鳥栖玲央――

 レーザーとグレネードランチャーのおかわりだ! たらふく食いやがれガリガリジジイ!


 アドルフ・ゴットハルト・ルプス:このまま砲をゼロ距離でぶっ放す! マシンカラテ・パイルバンカーで派手な火葬にしてやるよ!


 『ドガァアアアアンッ!』


 副砲弾の炸裂……。モニターは黒煙に包まれ、ジジイの姿は見えない。消し飛んだか? 


 「上だ!」


 あのジジイ……。怪我は負っているが……。空中で上に向け手を上げ開いている……。枝みたいな体でなんて硬さをしてやがる。


 「オオォ……。『至高の三無』よ……。そこにおられるのですね……。オオォ……。蒼褪めた聖者よ……。ここに居られるのですね……。ああ! 導きが私の元に降り立つ! ああ! 天啓よ! 天啓よ! 私を蒼褪めた聖者に導き給え!」


 ジジイは大粒の涙を流して意味不明な叫びを発し、黄泉区の方へぶっ飛んでいった……。一体何だったんだ?


 「……ハルト、まだ敵の応援が来ている。ここの安全を確保するぞ……。そのあとは、その機体で他の場所へ応援に行く……」


 『……言われなくても解ってるよ、琉鳥栖のオッサン』


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時23分、魔界府黄泉平坂市黄泉区電電道通りにて。


 「こいつ……。なんて硬さだ……」


 ――トロネゲのハゲネ――

 硬さ……。いや、根性というべきだ。数十分にわたり、俺は奴にこの黒鋼の爪で攻撃を加え、奴の身体をずたずたに引き裂き、拷問じみたあらゆる責め苦を試した。

 ……だが奴は俺の拘束を解かず、稀に俺にそのダメージと傷を返してきやがる……。優勢であるこの俺が奴より堪えてきている……。こんな術師と長く戦わなかった先月の俺はラッキーだったようだな……。

 コイツはあの賀茂瀬里美よりもある意味でヤバイ……。


 「ガッハァ……ハァ……ハァ……。どうだぁ? 新しい体験だろ? 自分の拷問を自分で体験するってのはよォ……ええ? ビビってんじゃねーのか? テメェの拷問センスによ! ハッハッハ!」


 「クソガキが……。まだ減らず口を叩くか……」


 ……恐怖。初めてだぜ、こんな恐怖は。ただ任務のため忠実に動いてきた、カリオストロ様の忠実な剣として職務を果たしてきた俺が……。

 何人もの魔術師を壊し、殺してきたこの俺が……。

 目の前の満身創痍の若造に恐怖を抱いている。


 ――ベテランの勘が言っている。コイツは殺すべき!

 今ここで!

 ……しかしどうやって?

 こいつは致命的なダメージを確実に回避する。致命傷を俺に返してきやがる。現に俺は数発の裂傷を既に負っている……クソッタレが……打つ手なしなのは双方ってところか……。ならば……。


 『天地来球殺ヘルヘブンスフィラキルゥ!』


 ――海川有馬――

 奴の左腕が複数の球体に分裂し魔力弾と共にぶつかり合い、ランダムな攻撃へと変化した。奴自身ににも制御されていない! 完全なランダム攻撃か! 


 「上と下! 右と左! 無限同時攻撃! 骨ごとひきミンチにしてやるわ!」


 トロネゲのハゲネ:奴の骨がへし折れる音が続く、腕、足、肋骨、まだまだ! 致命打には程遠い!

 食らえ!

 折れろ!

 死に晒せ!


 「ウウウリリリリィイイイ!」


 ダメージが鎖を通して俺に返ってくる!

 弾ける骨!

 肉! 

 野郎、まだこんなに魔力を温存してやがったのか! 


 「オラァ! 首括りやがれぇ!」


 奴は折れた腕を鎖で無理矢理動かし、俺の首へ鎖を掛け、引いた!

 まだこんな膂力が! 

 どんな根性してやがるコイツ!


 「ウウウウリリリリヤァアアアア!」


 『ゴキッ』


 ――海川有馬――

 ……攻撃が止まった……死んだか?

 しばらく経ってから俺はゆっくり振り向く。口から血を流すハゲは目を血走らせ剥いたまま鎖に寄りかかってぐったりとしている。黒い鉄球も辺りに転がっている……死んだ?

 いや……。まだだ、賀茂や他の術師と戦い、俺と戦った後、余裕綽々で戦線離脱したこのハゲ野郎がこれくらいじゃ死なねえ……。ぶっ殺しきってやる。


 「緩めるわけねぇだろ! 狸野郎ォ!」


 思いっきり鎖を引っ張る。折れた骨が粉砕していく。壊れていく。それでも、それでも……!


 「ご苦労、ハゲネ。計画第二段階だ」


 「!?」


 突如目の前に白スーツのいけ好かない野郎が現れるとともに、俺の目の前に黒い玉が……。小さな瞳のマークが付けられた直径20センチほどの球体が出現し俺の額を小突いた、焼き印? 額に火傷を負ったらしい、その球体に『1.反』と示され、俺はその瞬間にその球体から反発するように後方へ吹き飛ばされた。鎖は簡単にはずれる……魔力切れだ。

 回復を……。


 「【大真球(デウス・エクス・マキナ)】20メートルほど飛ばします。それでは御機嫌よう……」


 白スーツ野郎はゆったりとお辞儀する。俺は鎖をとっかかりにひっかけ何とか踏ん張ろうとするが、今度は俺を引っ張る力が後方から感じる……。その方向には『1.順』と書かれたさっきの玉に似た物があった。恐らく反発と引き寄せの磁石のような力を再現する能力……。シンプルだが強い……。


 占術の運命力作用を利用した術式か何かだろう。機運操作を力学作用に再解釈した術はかなり強力だ……。信仰心がかなり溜まっているらしいからな……。俺の鎖もそろそろ厳しい……。クソッタレ……。俺は鎖を解き、磁石に引き寄せられる砂鉄の様に球体へ引き寄せられていった。球体は『反』の字へ切り替わり、俺は更に後方へ吹き飛ばされてゆく。

 俺の負けか……。またしても……。


 「……ハゲネ。お前が手古摺るとは……」


 「フゥーッ……黄金の教示に匹敵し得る、恐るべき精神力の敵でした……。近接戦においては賀茂瀬里美以上の驚異でしょう……」


 「……フフフ……。何事も計画通りには行かぬものよ……。だが計画は結実しかけている。見よ、あの御姿を! あれこそが『至高の三無』その一柱の顕現よ! さあ、次なる『復活』を見届けよう! 向かうぞ、『賀茂瀬里美』の場所へ!」


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時28分1秒、魔界府黄泉平坂市黄泉区霊魂流留街元孤児院前『サタン』封印結界にて。


 結界の中、金剛さんの影を見失い、僕たちは結界の外へ外へと引っ張られてゆく。巨大な悪魔の姿は結界内の中央に鎮座し目を閉じているようだ。胴体が地面から生えるようになっており、その胴体の下の地面には魔法陣のような紋章が血のような赤い何かで塗られ、じわじわと大きくなっていっている。紋章が生き物のように蠢いている。


 遠く孤児院の子供たちや先生方も僕と同じ方向へ引っ張られているのが見える。

金剛さんはこの結界であの巨大な悪魔を足止めする封印にしようとしている。あの悪魔はゆっくりと瞳を開け、僕をはっきりと目で追った。


 『真なる鍵よ……』


 僕を見てそう言った気がしたが、直ぐに僕たちは結界の外へ出た。

 僕たちは結界の外の道路へゆっくりと優しく、降ろされた。僕たちが降りた少し後、あの『蟹江鋤矢』が気絶した状態で結界内からはじき出された。

 直後に結界は封印結界となり何人たりとも出入りを許さない強固な牢獄となった。


 「……蟹江を含めた隠者の薔薇のエージェント、『カニス』を脱獄、招集したのは俺だ……。金剛ちゃんがこんな目に合うのは全部俺の責任だ……」


 春沙さんがアスファルトに拳を振るう。魔力切れからアスファルトを壊すことはない。


 「俺が……クソッ……俺は死ななきゃならないんだ!」


 「……春沙さん。金剛さんが言おうとした、『罪』についてのこと……。思い出して、考えてください」


 「……『罪は』……。あいつなら……。なんて言うか……くうッ……」


 ――春沙クラビス――

 そんなのは判り切っている。あいつとの付き合いがそう長くなくとも、誰だってわかる。ましてや付き合いの長い俺ははっきりとわかる。


 「罪は、償う事で初めて成立する……。そんなトコだろ……。償うさ……。一生かけてもな」


 春沙さんは立ち上がり、僕へ近づく。


 「……鳥羽君、言いそびれていたが……。『裏切者』はもう一人いる」


 「え?」


――


 ――〇――

 2022年4月1日17時20分、日本魔界府黄泉平坂市高天原区瓊瓊杵、結界入り口にて。


 ――有穂歩――

 一体どうなってんだ、これは。神祇寮のオッサンの連絡が遅すぎるぞ……。もうかなり経っているじゃねえか。神祇寮に攻めてきた軍隊なんて、俺が五分もありゃ全滅できたのに……。この量は……。


 ――神祇寮内に裏切者の可能性?

 あり得るな。伏魔殿の連中は賀茂ちゃんが秘匿課へ出勤している以外、音沙汰がない、あそこにもネズミが居るのか……。来希との連絡を阻害しているのも、多分そのネズミどもだな……。


 ああ!

 ムカつくぜ……。最近は来希とも会えてないし、仕事詰めでイライラしてんだ。


 「!?」


 「当たり散らすぜ、悪いな、テロリスト」


 俺は一瞬で近くの雑魚を引き潰していく。ザコ、ザコ、ザコ、ザコ、こんなのに俺の仲間たちが傷つけられていく、雑魚が……。群れやがって!

 俺の魔力に高速でぶつかり跳ね飛ばされて潰されて行く雑魚ばかり、俺はビルを割り、道路のない場所を道路にしてゆく。


 邪魔だ!


 紙粘土みたいにビルを引きちぎり、中に隠れるザコどもを弾き飛ばし、秘匿課の奴らを地面に下ろす……。

 病院にオフィス、テロリストどもはあまりにも弱すぎて自分より弱いと自分が思い込んでいる者しか狙えない。

 まっとうに働いてるやつら以下のザコであることに気づかないほどに弱い。弱い。

 俺は知っている。努力して、耐え忍び、俺に比肩しようとする奴を。

 弱さを知っている奴は強い。

 強さに溺れる奴は弱い。

 弱さに奢る奴は救えない。

 おれは強さに溺れ、何度も負けてきた。


 『おろちのひれ、御霊振、ふるべゆらゆら。』


 大蛇の幻影によりこのオフィス街に潜伏していた20人ほどの術師が索敵できた。霊魂による幻影を知覚した奴へ魔術的結合が飛ぶ仕組みになっているこの術は、来希が術式の一部を教えてくれたものだ……。

 アイツの索敵能力に頼らなくてもいいようにと、アイツが俺に教えた。確かに俺は今、アイツに頼らずに索敵できているが、範囲はずっと狭い。

 大蛇はビルを透過し、街を廻り、術師をあぶり出していく。


 『ちがえしのたま、御霊振、ふるべゆらゆら。』


 俺はあらかた捜索し終えた大蛇の幻影が持つ結合を重力幻影へ切り替える。これで身動きが出来なくなった……。


 「一気に行くぜ」


 俺はビル街をトップスピードで駆け巡り、高速で各所に潰れる燕尾服のコスプレ野郎を蹴り飛ばして一か所へ飛ばした。ものの五分程度でこの地区のほとんどのコスプレ軍団を処理できた。


 「有穂さん、天照の方の大通りで神祇寮の三名が苦戦しているようです……。中央の監視指令室からの通達で……」


 ビルから出てきた秘匿課の一人が通信式神と共にこちらへ駆けながら通達してきた。


 「三人……アイツらか……。わかった、今すぐ向かう。この瓊瓊杵地区の一掃は完了している。皆は素戔嗚すさのおの総合病院か月詠に行ってくれ。天照は俺が居るからすぐ一掃される」


 「は、はい、わかりました。ご武運を!」


 「ああ! そっちこそ、死ぬなよ!」


 俺達の部下のあの三人、先に来ていたのか……。確か来希と任務に出ていたと聞いていたが、来希がこの騒ぎを感知して、アイツらを引つれてきたのか……。それで来希があいつら三人に天照地区を任せて他の場所へ……。ってトコだな。三人が苦戦するということは、敵は特別指定級相当術師の可能性が高い、複数人の可能性もある。

一か月ぶりに本気を出すか……。



 「! おい、お前ら……」


 道路の真ん中で桑野と飛騨山が倒れている。殴打痕……。魔力的攻撃の後もある。霊魂操作術……。

 だがこの物理的な攻撃の痕は何だ?

 相当強力な攻撃痕……。魔界の生物にも思える。動物操作は珍しいが手ごわいと聞くな……。


 「有穂さん……。蔵見が……。あの人に……。あなたも危ない……」


 「おいおい……。大丈夫だ、俺が負けるわけないだろ? 安心しろ、俺が敵を粉砕してやる、よく見てろ……」


 「違う……あの人は……。あなたはあの人を倒せない……」


 何を……。


 「よっ、歩」


 来希の声……。妙に明るい……。最近は暗かったのに……。

見上げると来希が朗らかに笑い、手を挙げている。詰襟の前を開けて、肩に羽織の様に掛けている。その純白の服は、来季の拘り……。だが戦場の返り血のせいか、来季の服は真っ赤に染まっている。

 インナーの黒いシャツ姿で髪も解けている……。どうした?


 「……ああ、来希。ここにいたのか」


 「心配したんだろ……。お前はいつも、いつも僕のことを心配して、しゃしゃり出てきやがるからな……」


 「来希? どうしたんだ?」


 「ああそうさ! 僕は君なしじゃ、使えない弱者だった! その通りだ!」


 来希が急に眉を跳ね上げ、キッと怒りをあらわにする。普段そんなキレ方はしない。


 「な、なにキレてんだ……? それよりも、蔵見、蔵見を知らないか? 一緒だったんだろ?」


 「ああ、そうそう、蔵見ね。蔵見、良い奴だよな。実直で、バカだけど、まっすぐでね……」


 演技じみた笑いを浮かべて大げさな仕草で思い出している。何をしているんだ?


 「でも僕の仲間にならなかった、なのでこうなった」


 来希が指を鳴らすと、ビルの路地から、人間の骨と皮で構成された四足歩行の化け物が現れる。そいつは妙に伸ばされた背骨に、四つの腕を持ち、後ろ腕と脚で体を支え、肋骨が羽の様に開いている。内臓のない生物のような姿で、気味が悪い。

そいつは前の右腕でボロボロの蔵見の髪を、ひっつかんで引き摺っている……。


 「こいつら僕に歯向かってきた癖に、僕の眷属にも勝てなかったんだぜ? 笑えるよな、歩。お前なら笑ってくれるよな?」


 「……何言ってんだ……? 来希……。何だよ……これは」


 来希の表情が消える。


 「何って……。僕の眷属だ。弱者を強くしてやったんだ。弱者が嫌いなお前のために、皆が強くなれる世界を俺は作るんだ。選ばれた血筋だけが人間として残り、選ばれなかった弱者は強い眷属、奴隷としてこの世界を支える。『完璧な秩序ヒエラルキー』を作るんだよ……」


 ああ、そんな……嘘だ……。嘘だ……。


 「それが僕たち『青き血の新秩序』の目指す世界。選ばれたる者たちによる、完璧な世界。僕は教えてもらったんだ、総務部にいた『新秩序』のメンバーに、そして日本支部へと行き……」


 親父さん……俺は間違っていたのかな……俺は何を間違えたのかな……。


〈第六章 完〉

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