地下室の子供たち

 階段は急である代わりに地下との距離が短く、すぐに地下室へとたどり着いた。

 入った瞬間に鼻を刺すツンとした異臭に、アカネは思わず眉をひそめる。

 そこには、視界に入れるのもはばかられるような酷い空間が広がっていた。

 部屋は冷たくひび割れた石壁に囲まれており、石の床にはちりと砂が積もっている。

 おまけに、ネズミの糞尿も散乱しており、全体的にすすけていて不衛生だ。

 また、部屋は鉄格子で二つに区切られており、数十人いる子供たちは囚人のように牢屋へ閉じ込められている。

 人気が無いところを見るに、まともに機能していないようだが、アカネたちが今立っている場所は、さしずめ看守の見張り部屋といったところだろう。

 牢屋の中には数枚の薄っぺらい布団がかれており、その上に汗や垢で汚れた毛布が散乱している。

 子供たちは唐突に天井から聞こえてきた騒音におびえ、牢屋の奥の方で身を寄せ合って震えていた。

 何を食べさせられているのか、あるいは、何も食べさせてもらえていないのか、彼らは総じて酷くせている。

 また、長袖のシャツと長ズボンを履かされているのだが、その衣服はボロボロで小汚く、経年劣化により生地が固くなっていた。

 袖やズボンのすそから覗く肌には痣ができており、よく見れば唇のはしが切れている者もいた。

 おまけに裸足で、酷く痛々しい姿だ。

 怯えてまともにアカネたちを確認する事もできず、追い詰められた野ネズミのようになっていた彼らだが、アオイが鉄格子をつかんで捻じ曲げ、牢屋の中に入り、

「おい、アオイお姉ちゃんが助けにきてやったぞ! だから、もう大丈夫だ!!」

 と、明るく笑って声をかければ、子供たちは恐怖に歪めていた表情をパァッと明るくし、急いで彼女の元へと駆け寄った。

 一応、身体は拭いているようだが、髪はべたつき、肌には拭いきれない垢が浮いている。

 獣人の子もいるが、そちらも毛がパサついて固まっており、所々にフケが浮いていた。

 明らかに衛生状態が悪い。

 善人でも触れるのを躊躇ちゅうちょしてしまいそうな子供たちを、アオイは笑顔でギュッと抱き寄せ、その頭を撫でた。

 アカネが子供たちを見た時、初めに浮かんだのは子どもたちへの同情で、次いで浮かんだのが彼らを虐待した者たちへの怒りだ。

 それは、ミドリやレイドも同じだろう。

 けれど、アオイはそれに加えて、子供たちへの愛しさなど、他の種類の感情も持っているのかもしれない。

 きっと、アオイの前ではどの子供たちも平等に守るべき対象で、かわいらしいのだろうから。

 子供たちは、アオイ姉ちゃん! アオイ姉ちゃん! とはしゃいでいるのだが、年長者のリーダーと思しき少年が、

「こら、そんなに騒いじゃ駄目だよ。アイツらが来る」

 と、注意をかけた。

 過酷な環境の中、自身も幼いのに、一生懸命に子供たちを統制しようとつとめる少年へ、アオイは勝気な笑顔を見せ、優しく頭を撫でた。

「いいんだ、トム。今日は、ちゃんと姉ちゃんが助けに来たんだ。もう、こんなところにいなくていい。時間はかかるかもしれないが。皆、家に帰れるんだ。今日は美味しいものを食べて、暖かい布団で眠れるんだ」

 両手を広げて近くの子供たちをギュウッと抱き締め、キッパリと宣言すれば、彼らはさらに喜び、その場でジャンプをし始める。

 希望に満ちた瞳で、「どこにいくの?」「何がたべられる?」と好奇心旺盛に問いかけ、「お風呂にも入りたいね」と、子供たち同士で夢に満ちたお喋りに花を咲かせている。

 仮に、ここに現れたのが見知らぬ騎士だったなら、自分たちを助けてくれる可能性があると分かっていても、怯え、逃げまどっただろう。

 半年という期間は人生で見れば短いが、そこに詰め込まれた地獄は、仲間以外の全てを疑わせ、恐怖を覚えさせるには十分すぎるほどだった。

 彼らは、大人の「助けてあげる」を純粋に信じられなくなっていたのだ。

 だが、子供たちはあっさりとアオイの存在を受け入れたし、アオイの方も、子供たちの名前を知っているなど、やけに親しげな様子だ。

「なんか、顔見知りみたいね」

 アカネが首を傾げると、レイドもコクリと頷いた。

「昨日、アオイ様と打ち合わせをしたのですが、屋敷の内部や使用人の待遇、職務内容やそれぞれの子供たちへの接し方など、かなり内部に詳しい様子でした。方法は分かりませんが、おそらくアオイ様は、もう何度も屋敷に侵入し、子供たちとコンタクトをとっていたのだと思います」

 アオイが慣れた手つきで、ポケットからいくつもお菓子を取り出す。

 彼女が雑貨屋で買っていた品物だ。

 その個数は子どもたちの人数にぴったりで、好みも把握しているようだった。

 よく見れば、こっそりと隠すように、小さなぬいぐるみを抱えている子供もいる。

 きっとアオイは、お菓子以外にも様々な支援物資を送って、こっそりと子供たちを手助けしていたのだろう。

 子供たちの絶望に染まった瞳が完全には濁りきらず、このような酷い状況で死者が出ていない理由をさっせられた。

『そうか、あのアオイに、子供たちを完全に放置なんて無理だもんね。法に触れたって、アンタはできる限りをしようとするわよね』

 誰よりも正義感が強く、一度決めたことを曲げない親友だ。

 特に、その正義は、自分に親しい者と子供たちを守る時に発揮される。

 高校の頃は法を犯してまで、というドラマティックな事件は起こらなかったが、その心の強さは日常から見てとれた。

「アオイは、保育園の先生もいいけど、警察官も似合うよね」

「実際の警察はしがらみが多いそうでござるから、即刻解雇か、お左遷でござろうけどな」

「言えてる」

 子供たちに囲まれるアオイを見て、アカネたちは微笑み合った。

 だいぶ緩んだ空気を引き締めるように、アオイは両手をパンと叩いて乾いた音を出す。

 子供たちが興味津々にアオイを見た。

「さあ、皆、気分は落ち着いたな。あたしと一緒に来た、お姉ちゃんとお兄ちゃんがいるだろ? 知らない人だから怖く見えるかもしれないけど、三人は姉ちゃんの大切な友達で、皆いい奴らなんだ。特に、あそこのモモンガみたいな格好をしているお姉ちゃんと、その彼氏のカッコいいお兄ちゃんは、あたしの代わりにみんなの怪我や体調不良を治して、安全な場所まで連れて行ってくれる。ちゃんと二人の言うことを聞くんだぞ」

 ほとんどの子供はコクリと頷いたのだが、一人だけ、小柄こがらな男の子がアオイの袖を引いて首を横に振った。

「アオイ姉ちゃん、俺、昨日、大人の使用人に『ちゃんと働かなきゃ切るぞ!』って、脅されたの。あのお兄ちゃん、剣を持ってる。本当に、危ない人じゃない?」

 アオイが出した騒音を合図に、騎士たちも屋敷に入り込み、本格的に襲撃作戦を開始した。

 屋敷内はハチの巣をつついたような騒ぎになっており、いつ使用人らが子供たちの元へ訪れてもおかしくない。

 屋敷の裏にも騎士が配置されているはずなので、順調にいけば使う予定は無いが、レイドは万が一の護身用として、騎士用の片手剣を腰から下げていた。

 使用人がどのような脅し方をしたのかは分からないが、相当、恐ろしい思いをしたに違いない。

 少年はレイドの剣を見ると「怖かった……」と首を押さえて涙目になり、それから、ギュムッとアオイにしがみついて震えた。

 アオイは静かにかがみ、少年と目線を合わせる。

「大丈夫だ、マーク。あれは、悪い大人を倒すために持ってるんだ。マークたちみたいな、かわいい子供たちを切るための剣じゃない。そうだろ?」

 アオイがレイドに目配せをすると、彼は真面目な表情でコクリと頷いた。

「ええ。私は、子どもは切りません。それに、使う時以外は仕舞ったままでいますから、そんなに危なくもありませんよ」

 作り笑いは苦手なようで、安心を与える笑みは作れなかったが、穏やかな声は確かにマークに届いたようだ。

 マークは頷くと、レイドに駆け寄って手を繋いだ。

「さて、それでは拙者たちは、魔法で子供たちの傷をいやしてから喫茶店まで誘導するでござるよ」

「ああ、二人とも、頼んだからな」

 ミドリが「了解でござる!」と、おどけて敬礼をすれば、アオイもニヤッと笑って敬礼を返す。

 アカネとアオイは屋敷の主人らに天誅を下すべく、内部へ繋がる階段を駆け上がった。

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