モフモフハーレムと賄賂

 翌朝起床し、のんびりと身なりを整え、部屋を出たアカネが最初に目にした光景は、モフモフハーレムだった。

 アオイの仕事はマナの専属メイドとして彼女の身の回りの世話をすることだが、それとは別に、屋敷にいる獣人たちのブラッシングも日課としている。

 そうして磨き上げられた腕前は超一流であり、広い廊下では、アオイにブラッシングされている羊獣人を先頭に長蛇の列がなされていた。

 使用人の朝は忙しいため、このようなモフモフハーレムを形成していたら、メイド長や執事長がすっ飛んできて「遊んでないで働け!」と怒鳴るところだろう。

 だが、そうやって使用人を叱るべき彼、彼女らに加えて、とっくにアオイにブラッシングされたはずのマナや、屋敷の主人であるケイまでも列に並んでいるのだ。

 もはや誰にも、モフモフハーレムを止められない。

「次は私の番ですよね、アオイ様! ふふ、ブラッシングと一緒に、モフモフってお耳も撫でてください、アオイ様~!!」

「ちょっと、貴方、それは図々しいんじゃないの? アオイ様はお忙しいから、私だってお耳をモフモフしてもらうのを我慢したのに!」

 ヤギの獣人がズイッと頭を差し出すのを見て、毛並みの整った羊獣人がペシンとひづめで肩を叩いた。

「いったぁ! 何すんのよ~! 自分が意気地いくじなしでモフモフしてって言えなかったからって、ひがまないでくれる?」

 ヤギの獣人が肩を押さえて涙目で抗議するが、羊獣人はフン! と鼻を鳴らす。

「違うわよ! 私は、アオイ様の為を思って『我慢』したの! 無礼ぶれいなアンタと一緒にしないでよ!」

 ひづめを使って互いの肩を押しのけ合い、ポコポコと争い始めるのを見て、アオイが二人の間に割って入った。

「こらこら、そんなに争ってはいけませんよ。それに、わたくしが忙しいからと遠慮する必要はございません。お耳を撫でるのもあわせて、ブラッシングなのですから。ふふ、ふわふわの良いお耳です。それにしても、やはり精神と肉体を合わせた健康というものは大切ですね。こんなにモフつやになって。わたくしは嬉しいですよ」

 まずは羊獣人の耳を撫で、軽く衣服や毛並みの乱れを整えると、それからヤギ獣人も丁寧にブラッシングしてモフモフと耳を撫でる。

 アオイは非常に充実した笑顔を浮かべていた。

 アカネの中で、恋愛が絡む、絡まないに関係なく、複数人から懐かれて奪い合いをされるまでに発展していたら、それは嫉妬すべきハーレムである。

「天誅しちゃおうかな」

 アカネはそっとリュックサックを下ろした。

 R18な同人誌を出すか、荒くれた武器のコレクションを出すか、迷いどころである。

「俺はモフモフじゃなくてサラサラだから、駄目かなあ」

 そう呟くのは、サラサラのたてがみを誇る二足歩行のロバ獣人だ。

 順番が来たらしい彼は、モジモジとアオイの前でひづめり合わせている。

「何をおっしゃるのですか。毛量や毛質による差別など、存在していいわけがございません。モフモフも、サラサラも、すべからくケモ。おいでなさい。美しく磨いて差し上げましょう」

 アオイが慈愛の眼差しで馬用のブラシを取り出すと、ロバ獣人は、

「アオイ様!!」

 と、感極まった声を上げた。

「同人誌コースね」

 ハイライトの消えた瞳でリュックサックの中に手を突っ込もうとした時、

「アカネ様」

 と、背後からレイドに話しかけられた。

 振り返れば、

「おはようございます、アカネ様。どうぞこちらをお持ちください」

 と、爽やかな笑みを浮かべたレイドに、何かを手渡された。

 軽く握れば、クシャッと小さく音が鳴る。

「おはよう、レイド。えっと、これは……もしかして、お金?」

 レイドがアカネに握らせてきたのは、メリクラスム国で流通している紙幣だった。

 メリクラスム国の建国時代、国の運営側に日本人の転生者が混ざっていたこともあり、貨幣の名称やデザイン等が日本のものと酷似していた。

 また、細かい違いはあるが、物価も現代日本のものとそう変わらない。

「一万って、結構な大金よ? 急にどうしたの? おつかい?」

 首を傾げ、取り敢えず紙幣をレイドに返そうとするが、

「いえ、このお金は私のお小遣いから捻出した、アカネ様への賄賂わいろです。ミドリと街中でデートをする許可を頂きたくて。ですので、どうぞお納めください」

 と、レイドは、開きかけたアカネの手のひらを再度包んで紙幣を握らせ、深々と頭を下げた。

 賄賂といえば、真っ先に江戸時代の悪徳商人が浮かび上がる。

「え!? い、いや、いいわよ。別に止めないし。というか、信用無いわねえ、私。別に、ミドリの幸せまで妬まないってば。全く! レイドの中で私は、どれだけゲスな存在になっているのよ!!」

 自分の性格の悪さには自覚のあるアカネだが、そこまで酷くはないぞ! と憤慨した。

 しかし、レイドの方は至って冷静である。

「お言葉ですが、今、アオイ様に理不尽な天誅を下されようとしていましたよね。それを見て、ああ、やはり、このお方には一万以上のお金を握らせなければならないな、と私の直感がささやきました。必要でしたら、あと二枚ほど出せますが」

 革製の長財布から一万円札をチラチラとさせるレイドを見て、アカネは無言でリュックサックを背負い直した。

 まあ、アオイが築き上げているのが、アカネの目指すハーレムとは異なる種類のものであり、かつ、彼女自身があまりケモナー属性を持っていないからこそ、天誅を中止できたのだが。

 これでミドリのようなチーレムを作り上げていたら、「そうよ! 私はゲスよ!」と、勢いで一万円札を奪い取り、堂々とアオイの性癖を晒し上げただろう。

 ただ、彼女は短気なチキンなので、奪い取ってしまった一万円札には罪悪感が湧き、後から相当する値段の物を購入して返しただろうが。

 なんとも締まらない女性である。

 アカネとしては、天誅を取りやめた時点で賄賂の話も終わったつもりだったのだが、レイドの方は、いまいち彼女を信用しきれていないようだ。

 未だにお札をチラチラとさせている。

「いや、だからいらないって。あ! そうだ! それなら、賄賂は良いからさ、なんか、安っぽい普段着でも買ってきてよ。一般市民Aが着てそうなやつ。今日でも、別の日でもいいからさ。無難であればあるほどいいな。あ、お金は国の資金から出してね」

 アカネは、ずっと国から支給された上等な衣服に矮小わいしょうな心臓を震わせていた。

 アオイとの観光ついでに衣服を購入しようかとも思っていたのだが、町で食べ歩きやスイーツ巡りをし、いくつか趣味の店にも寄り、かつお土産も購入するなど、かなり盛りだくさんに予定を立てていたため、とてもそのような時間は持てそうになかった。

 そのため、三日以内を目安に購入しておいてもらえれば、とても助かる。

 無駄に衣服を購入しては荷物がかさばるのでは? という意見もあるだろうが、実は、そこについては心配が要らない。

 昨日、ケイの回復を「聖女の魔法とユリステム様による思し召し」と言い張って信仰を集めたおかげか、アカネのリュックサックに新機能が追加されたのだ。

 それは某猫型ロボットのポケットに似た機能で、生物以外の物体であり、かつリュックサックに入る大きさならば、その性質や量などを問わず、無限に物を出し入れできるという機能だ。

 かなり便利な機能で、発覚直後にアカネは荷物係となった。

 ただ、己がうっかりさんだという自覚のあるアカネは、国からの支援金を引き出せるキャッシュカードの所持だけは拒否しており、現在も引き続きレイドが持っている。

 ともかく、レイドの方も服の購入で納得したらしく、「分かりました」と頷くと、一枚のメモ用紙を渡してきた。

 そこには、いくつかの店舗や場所の名前が書かれている。

 どうやら、レイドは屋敷の使用人たちに情報収集を行い、ルメインのデートスポットなどを聞き出していたらしい。

「いい雰囲気が台無しになるから、ここには来るなってこと?」

 普段は皆で旅をしているのだから仕方がないとしても、デートの時くらいはロマンティックな気分にひたりたいのだろう。

 それに、レイドは旅での手続きや雑用のほとんどを請け負っており、仕事の質も高い。

 彼がいるからこそスムーズに旅が進んでいるのであり、雑な性格のアカネと、ずっと城に住んでいた世間知らずなミドリでは、昨日の内にルメインに到着できたかさえも怪しい。

 感謝の意も込めて、今日は全力で放置しておくべきだろう。

「はい。その、申し訳ありませんが」

 遠慮がちに頭を下げるレイドに、アカネは気にしなくていいよ、と笑った。

「謝らなくて大丈夫よ。確かに、私とかアオイがいたら、ね? って感じだし。今日は、この付近には近寄らないようにするって」

 グッと親指を立てれば、レイドはホッと頷いた。

 ただ、一つだけ、アカネには引っかかることがある。

 いくら見た目が可愛くなったとはいえ、一人称は拙者、語尾がござる、ドゥフッと笑ってしまう女性と、ロマンティックな雰囲気を作ることはできるのだろうか。

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