この世界どころか、この国は広い

 ルメインの大衆食堂は、昼時はテーブルの一つも空かぬほど賑わっているが、ピークを過ぎれば段々と客足も落ち着き、一時間や二時間程度ならば、居座っても迷惑に思われないほどになる。

 特に、小心者なアカネが定期的に飲み物や軽食を頼むので、ドリンクバーとドリアで半日粘る学生が向けられるような目では見られていない。

 アカネたちは、この店でのんびりと次の行き先を考えていた。

 机に旅行雑誌を広げ、真っ昼間から唐揚げをフルーツ系の酒で流し込むという贅沢ぜいたくぶりだ。

 ちなみに、転生者はメリステム、アカネの場合はユリステムからの祝福で「アチラ」の文字を簡単に読み書きし、どのような言語も話せるようになっている。

 ミドリはそれを利用して古文書の解読などを行っていたのだが、アカネとアオイは「あれ? なんか普通に文字が読めるわ。ラッキー」くらいの勢いで、特に何の意識をすることもなく、能力を利用していた。

「いやー、やっぱり私は、大衆食堂が好きよ。このオイリーさ。美味しいものは脂肪と糖で出来ているって、CMを見たことがあるけど、アレは、まさしくその通りだわ。庶民の胃には庶民のフードが染みわたってたまらないわね。いや、ここの食事を馬鹿にしてるわけでも、高級料理を馬鹿にしてるわけでも無いけどね。こう、馴染なじむって話よ」

 ほろ酔いで少しだけ顔が赤くなったアカネが、満面の笑みを浮かべて頷く。

 屋敷の居心地が悪かったというわけでは決して無く、かつ、仲間が側にいるので、ホームシックになるほどアカネの心は弱っていない。

 だが、それでも彼女は、親近感を抱かせるいやしを求めていた。

 庶民と無難を感じさせる家具や空間がとにかく恋しかったので、少し古びた雰囲気の大衆食堂に飛びついてしまったのだ。

 過去の転生者に影響を受けたのか、お座敷があり、靴を脱げるというところや、自分の尻の下に敷かれているのが座布団だという事実がたまらない。

 今アカネに何が欲しいかと問えば、「布団! お茶! お漬物!」と答えるだろう。

 彼女は心が落ち着く和風が好きである。

 転生前は洋風の物に憧れていたのだが、人の心や趣味、嗜好とは不思議なものだ。

「アカネ殿は、なんというか、巣穴に引きこもって食っちゃ寝し続ける、ハムスターのような性格をしてござるなあ。拙者の中学時代のペット、ハム丸に似てるでござるよ。彼はゲージを開けても全く外に出て来ず、掃除の時に出すと、一目散に陶器のハムスターハウスの中へ隠れて、引きこもり生活を続行していたでござる。めちゃめちゃビビりでござったし」

 動くのが苦手で、魅惑のぽっちゃりボディーを誇っていたゴールデンハムスターのハム丸だが、彼は四年という、ハムスターにしてはそこそこ長い年月を生き、穏やかに天国へと旅立った。

 久しぶりに思い出したペットの冥福めいふくを祈っていると、フライドポテトをかじるアカネがドヤ顔をする。

「確かに私は、チキンでしょぼい小動物系の女よ。でもね、もう、ただの小心者じゃないの! なんたって、今日はスリを捕まえたんだからね!!」

 屋敷から大衆食堂へと移動する道中、アカネは、女性の鞄から財布を盗み取る男性を目撃した。

 これまでのアカネであれば、見間違いだったのではないかと迷い、何度も記憶を振り返り、さらに女性に声をかけるか、あるいは騎士に通報するかで迷っただろう。

 そして、あれこれ考えている内に機会を逃し、寝る時にモヤモヤと後悔し続けたはずだ。

 だが、ユリステムの使者として胸を張れることがしたいと思っていたアカネは、思い切って男性を捕まえ、紋章を見せながら、

「バレてるわよ! 正式な天誅がくだる前に白状しなさい!」

 と、脅してみた。

 すると男性は怯え、あっさりと悪事を白状し、財布を返した後に、見回り中の騎士に連行されていった。

 初の自力によるまともな天誅に、アカネのテンションもうなぎ上りである。

「ねえ、次はどこに行きましょうか。私は、ここなんていいと思うけど。日本をモチーフに作られた観光地なんでしょ? 温泉に浴衣ゆかたにお布団、そして和食。私の求めるいやしが全て詰まっているわね」

 開かれた観光ブックの該当ページには、美しい着物を着てしずしずと町を歩く女性や、団子をかじりながら団扇うちわで顔を仰ぐ男性の写真が載せられている。

 現代日本ではなく、江戸から明治くらいの日本をイメージした観光のための空間であり、中国の文化なども少し混ぜられているようだ。

 青龍刀と日本刀のレプリカが売っている店や、美味しい中華料理の店なども紹介されていた。

 同ページで紹介されている、旅館の美しい景観や観光客たちの和服、日本酒や焼酎しょうちゅう、お刺身などがアカネの心をつかんで放さない。

「拙者たちは、その、ここに行きたいでござる」

 モジモジとミドリが指名した町は、ルメインとそう変わらない雰囲気で、一見すると何の変哲もない場所だ。

 不思議そうに首を傾げていると、ミドリが紹介文を指差した。

 どうやら国内でも有名なカップルの名所があるようだ。

 広場の大木に恋人たちの名前が書かれた紙をくくりつけると、その二人は永遠に結ばれるといわれているらしい。

 また、年に一度のお祭りの日にまじないを行うと、死後も結ばれることが出来るのだとか。

 本を読んでいる間にミドリが見つけたのではなく、昨日のデート中にレイドが教えてくれたらしい。

「あら、可愛い。それなら、出来るだけ祭りの期間中に行きたいわよね。っていうか、ねえ、アオイも会話に混ざろうよ。行きたい場所は無いの?」

 アオイは屋敷を出てからずっとしかばねのような表情で歩き、席に着いてからは一切飲み食いをせず、机に突っ伏している。

 アカネが、ねえ、ねえ! とじゃれるように肩を揺さぶると、ギギギ……と生気のない顔を上げた。

「帰りてえ。お嬢様。あたし、なつかれてるとは思ってたけど、あそこまで好かれてるとは思ってなかったんだよ。まさか、泣かせちまうなんて……うう、帰りてえ。そうだ! 今ならまだ、間に合うよな!」

 モゴモゴとうめき声を上げていたアオイだが、ハッとした表情になると勢いよく立ち上がり、店の外へと向かおうとした。

 それを見たアカネが大慌てで腰に抱き着き、子泣き爺のように全体重をかけて、アオイの移動を食い止める。

「ちょっと! あんな感動的に分かれておいて、それは無いでしょ! それに、一度でも旅に出るって言っちゃったら、取り返しはつきません。アオイはもう、うちの子です! 私だって、アオイが来てくれないかもって思ったら、寂しかったんだから!!」

 アオイの姿が半分以上も本気に見えたので、アカネは嫌々と首を振り、グイグイと腰を引っ張って座るように促した。

 涙目になっており、その仕草はマナよりも子供だ。

「アカネって、結構私たちのこと好きで、寂しがり屋だよな」

 ため息をついて仕方なく座り直すと、困ったように苦笑いを浮かべた。

 ミドリもコクリと頷く。

「そうでござるなあ。アオイ殿が学校をさぼると、しょぼくれていたでござる。拙者が風邪かぜで休んだ時も、ゼリーと学校からのお便りを持って、お見舞いに来たでござるし。『アチラ』に来た時だって、すぐに拙者らを探し始めたでござるしなあ」

 アオイが仮病で学校を休むと、

「アオイがいなくてつまらない」

 とか、

「校庭で素振りしなくていいの?」

 といったメッセージをアプリで送信され続け、しまいにはスタンプを十個くらい連続で送られるという、非常にうるさい事件が頻発した。

 その結果、学校は面倒だがアカネはもっと面倒くさいという結論に至り、アオイはほとんど学校を休まなくなった。

 ミドリのお見舞いに関しては、彼女の体調を気遣い、お便りなどを渡したらすぐに帰ったのだが、玄関先まで見送りに来たのに対して、何度も振り返りながら手を振っていた。

 どうやらその日、アオイも学校を休んでいて本当に寂しかったらしい。

 ミドリは名残惜しそうにするアカネを見て、

「アカネ殿、心配もあるんでござろうが、基本的には、拙者の顔を見たかっただけなんでござるな」

 と、苦笑いした。

 二人から何とも言えない生温かい視線を向けられ、照れて真っ赤になったアカネは、

「う、そ、そうよ。別にいいでしょ、友達が好きな事くらい! それよりも、アオイも目的地の候補を出してよ」

 と、強引に話を引き戻し、アオイに観光ブックを手渡した。

 初め、アオイは興味がなさそうにペラペラと観光ブックを捲っていたのだが、急にビシッと固まると、その記事を熱心に読み始めた。

「お前ら、これ見てみろよ! この町の存在、知ってたか!? こんなん、桃源郷のパラダイスだろ!?」

 ペシペシとガイドブックのページを叩き、酷く興奮した様子で三人に見せたのは、住民の八割以上が獣人の町の特集だ。

 背丈の小さな兎獣人や、二メートル近い身長を誇る狼獣人などが、楽しそうに町を歩いている。

 獣人向けの日用品や贅沢品、サービスなどが集まる町として紹介されているため、他の場所に住む獣人を目当てにした観光地なのかと思いきや、獣人目当ての人間もターゲットにしているようだ。

 獣人メイドと執事におもてなししてもらえる喫茶店や、獣人なりきりセットが売られている店などが紹介されていた。

 マニアックなところでいくと、獣人の毛から作られたぬいぐるみの売っている雑貨店や、肉球によるマッサージの店も紹介されている。

 また、両手でグッドサインを作っている獣人の隣には、

「人間に友好的な獣人がたくさん! 皆遊びにきてね!!」

 と、太文字で書かれている。

 しかも、街頭インタビューでは、

「モフモフでカッコイイ獣人たちがたくさん! 私も恋人をゲットしちゃいました!」

 というコメントもよせられていた。

 映っている男性も、アオイ好みの者が多いようだ。

 口元に手を当て、真剣な目つきで写真を見つめながら、

「エッチな胸元だな。大きめに開いたシャツの胸元から、フサフサ、モフモフの毛が惜しみなく出てやがる。これが流行のファッションなら、あたしのツボを押さえすぎだろ。今すぐ行きてえ。顔を埋めて、嗅ぎまわしたくてたまらねえな」

 と、ブツブツと呟いていた。

 そして真剣な表情のまま、彼女の視線が、獣人男性のたくましい胸とモフモフの尻尾が生えたお尻の間を、忙しなく行ったり来たりし始める。

 その姿は研究資料を読み込み、熱心に調査を進める学者のようだが、見た目に騙されてはいけない。

 彼女はただの変態である。

「よし!! もう、ここまで来たら、是が非でも恋人を捕まえるぞ! そして、モフモフでラブラブな生活を送り、お嬢様にも彼氏の写真を送るんだ! 今はお嬢様に好きな男性なんていないけど、いつかできるかもしれないし。その時が来たら、お嬢様たちの可愛らしいカップルの話を拝聴しつつ、あたしも惚気のろけるんだ!!」

 グッと立ち上がり、観光ブックを握り締めながら堂々と宣言する。

 獣人と新たな目標のおかげで、かなり旅に前向きになったらしい。

 アオイの明るい笑顔に、アカネはホッと胸を撫で下ろした。

「出揃ったわね。それじゃあ、順番を決めましょうか」

 期限も行き先も指定されていない旅なので、よほどの理由が無い限り、メンバーが行きたいと思った場所にはどこにでも行くつもりなのだが、問題はそのルートである。

 アカネたちはメリクラスム国の地理に明るくない。

 地図を読んだり、細かい計画を立てたりすることが苦手なので、基本的にはレイドに予定を組んでもらうつもりだ。

 レイドの方もそれが自分の仕事だと思っているので、アカネからいくつか地図帳などを出してもらうと、黙々と調べものを始めた。

 アオイは相当テンションが上がっているらしく、頬を真っ赤にして鼻息を荒くしながら、

「そしたら、やっぱ、あたしのが一番最初だろ。町で捕まえた彼氏と温泉行って、浴衣ゆかたから溢れる胸元のモフを、思う存分、拝ませていただくんだ! お風呂上りにブラッシングして、マッサージで全身のコリをほぐして、肉球にオイルを塗ってあげたいなあ。おはしの使い方、分かんないだろうから、手取り足取り教えて、ついでに後ろからギュッと……へへ……あおってたら、襲われちゃうかなあ。襲うのもいいけど、襲われるのもありだよな」

 と、楽しい妄想に花を咲かせている。

 お世話好きのアオイは、己の彼氏をこれでもかというほど磨き上げ、コンテストで優勝するほどの美しい毛並みをつくり出すのが夢だ。

 加えて、彼氏に対しては、ブラッシング中のラッキースケベも狙っているらしい。

 片目に「獣人」、もう片方の目には「色欲」と書いてある。

「やっぱ、原動力は性欲じゃない」

「流石アオイ殿、我々の中で最もスケベでござる」

 元気になりすぎて空中をモフモフと撫でまわし始めるアオイに、アカネとミドリは苦笑いを浮かべた。

 ダラダラと取り留めのないおしゃべりを続けていると、複数の資料を使って調べ物を続けていたレイドが、三人に声をかけた。

「一通り調べてみたのですが、アオイ様の言う通り、初めは獣人の町で良いかもしれません。ここから一番場所が近いようです。列車の乗り継ぎも、そう大変ではありませんし」

 手元のメモ用紙には、列車の乗り継ぎや途中にある町村などの情報が、簡単に書かれている。

 調べ物を始めてから数十分と経っていないのだが、既に、今すぐ出発しても問題のない程度には予定を立ててあるらしい。

 レイドの優秀さを再確認して、アカネが目を丸くしていると、

「よっしゃ、ありがとう、レイド! 決まりだな! ほら、お前ら行くぞ!!」

 と、上機嫌なアオイが、グシャグシャとレイドの頭を撫でた。

 それから残っていた物を適当につまみ、氷でだいぶ薄まった果実酒を一気飲みすると、意気揚々と店外へと向かって行く。

「ちょ、アオイ、落ち着きなさいって! 急がなくても町は逃げないわよ! ごめん、レイド、先に出るわ」

 レイドが無言で財布を取り出し、頷くのを確認しつつ、急いでアオイを追いかけた。

「全くアンタは、次の行き先も列車もよく分かってないくせに!」

 小走りになって彼女に追いつき、咳き込みながら文句を言うと、アオイは「ごめん、ごめん」と軽い調子で謝っている。

 手の甲で汗を拭い、リュックサックから取り出したペットボトルの水を飲んだ時、ふいに視界に入った空はどこまでも続く青色だ。

 書店で観光ブックを買った時に気が付いたのだが、メリクラスム王国は、アカネたちのいる中央と東西南北で五つにエリアを区切って、それぞれに何冊も観光ブックが用意されるほど広い国だ。

 エリアによって文化も大きく異なるらしく、国内旅行をするだけでも様々な学びや経験を得られることだろう。

 行ってみたい場所についても挙げればきりがないし、もしもこの国に飽きてしまったら、世界を旅するのも面白い。

 それに、ありとあらゆる場所で我武者羅に人助けをし、ユリステムの布教をしまくれば、彼女が姉と再会できる日もそう遠くないはずだ。

 逃げ出すほど辛くはない、けれど、たいして楽しくもない日々を消費していたアカネにとって、ずっと会いたかった大切な仲間たちがいて、自由に過ごせる今が愛おしい。

 改めてユリステムに感謝すると、小走りでアカネたちに合流したミドリやレイドと共に、駅まで歩き出した。

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私はチート無しなのに、チーレム築いている親友とモフモフ獣人に囲まれている親友がムカつくので、天誅してきます。 宙色紅葉(そらいろもみじ) 週2投稿 @SorairoMomiji

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