聖女の奇跡と磨き上げられる小物

 チートというだけあって、ミドリの魔法は素早く効果的だ。

 病におかされて息も絶え絶えとなり、薄目を開けるのもやっとだったケイが、今では普通に起き上がってリンゴを食べている。

 しかも、皮すらむいていないリンゴを丸ごと一つ、両手でつかんでむさぼっていた。

 冬眠前に必死になってクルミをかち割り、中身を貪るリスのような風格がある。

「ちょっと、お兄様! みっともないですよ。お礼も言わずにリンゴにがっつくだなんて。それに、お病気が治ったばかりなのに!」

 マナは目元を赤く染めてケイを叱るのだが、彼の方は何も答えず、一心不乱に食事を続けている。

 同じ種族であり、彼の妹であるマナは恥ずかしくて仕方がない様子だが、モフモフ、モコモコの獣人がリンゴを頬張る姿は、人間の目にはかなり愛らしく映った。

 そのため、アオイはもちろんのこと、アカネたちの目元も優しく緩んでいる。

「皆様、大変申し訳ございません。兄は、普段はこのような礼儀知らずでは無いのですが」

 申し訳なさそうに目線を下げ、それからキッとケイを睨みつけるマナに、ミドリがフルフルと首を振った。

「いえいえ、気にしないでくだされ。一種の反動というか、その、申し上げにくいでござるが、死のふちにあるものほど、魔法での回復後に食欲を感じるでござる。普段は礼儀正しい方がこうなるということは、よほどでござるゆえ、むしろいたわってあげてほしいでござるよ」

 ケイは、ここ数日間まともな食事をとっていなかった。

 そのような状態でいきなり固形物をとると、普通はお腹を壊してしまい、最悪の場合には死んでしまう。

 だが、ミドリの魔法は対象者をいやした後もしばらく体内に宿り、その肉体を守り続けるため、急な食事による身体への負担などは一切ない。

 むしろ、心ゆくまでカロリーを与えた方が良いらしい。

 再びマナが頭を下げていると、ケイが一つ目のリンゴを食べ終えた。

 そして、今までリンゴしか見えていなかった瞳に一瞬だけ光が戻ったのだが、

「ハッ! 僕は何を!? うっ! まだお腹が空いて、いや、でも、ご挨拶を! ムガモゴ」

 といった調子で、すぐにリンゴが積まれたバスケットに手を伸ばし、今度は両手でわしづかんで食べ始めた。

「お兄様、聖女様たちがご無礼を許してくださるそうなので、そのままリンゴでも食べ続けていてください」

 コクコクと頷くケイにため息をつくと、マナは改めてアカネたちの方を向き、ピシリと背筋を伸ばした。

「皆様、兄の病をいやしていただき、まことに感謝いたします。おかげで、我がラーティス家には再び平穏が訪れることでしょう。このご恩は、いつか必ずや返して見せます。また、小規模で身内向けのものではございますが、今夜、兄の回復を祝うパーティーを行いますので、ぜひともご参加ください。それに、宿が決まっていらっしゃらないようでしたら、ぜひ我が家にお泊りください」

 外はオレンジに染まり始め、夜が近づいている。

 これから宿を探すのはかなり厳しいため、マナの提案は非常に有り難かった。

 だが、急に瀕死ひんしの主人が回復し、様々な意味で屋敷内が混乱している中、客人の対応だけならばまだしも、今からパーティーを開催するというのは無茶ではなかろうか。

 特に、レイドは城で働く騎士だったため、パーティーというものが緻密ちみつな計画と入念な準備によってり行われるのだと知っていた。

 そのため、

「有難い申し出ですが、泊めていただけるだけで十分ですよ」

 と、やんわりとパーティーを断ってみたのだが、そんなレイドの気遣いにマナはしたたかに微笑んだ。

「大丈夫ですわ。我が屋敷の使用人、特に獣人たちはとにかくパワフルで、お祝い事が大好きなのです。お兄様が回復したと分かったら、何故回復したのか、とか、ディル叔父様をどうするのか、といった事柄を全て吹っ飛ばして浮かれ、今すぐにでもパーティーを始めかねない勢いになってしまいましたもの。むしろ、早く準備をなさらなければ、皆様の方が乗り遅れてしまいますわ」

 マナが鋭く分厚い爪をカンカンと叩き合わせると、ケイの部屋に瞳をキラキラと輝かせた獣人メイドや執事たちが押し寄せる。

「人間のおめかしなんて、久しぶりじゃない!? 奥様以来よ! お二人とも、大変可愛らしいわ。人間のスベスベで綺麗なお肌には、どんな色やお洋服が映えるかしら」

「それに、お化粧もできるから楽しいわね。男性の方も、きっとスマートなスーツがお似合いだわ。ああ、凄く楽しみ!!」

 特に初めに入って来た二人がはしゃいでいて、既に化粧箱やアクセサリーケースを両手に抱えている。

 彼女らは二人一組になってアカネたちをそれぞれの衣裳部屋へ連行すると、ドレスや装飾品の山から最も似合いそうなものを探し出し、次々に着せていく。

「キャー! ほっそりとした腰や腕が素敵だわ。ヒールを履いた足元やブレスレットがキラめく手首も素敵よ! 私たちじゃ、こうはいかないもの! ねえ、目元も、もっとキラキラさせちゃいましょうよ」

「いいわね、最高だわ! あ! ねえねえ、こっちのフリルたっぷりのドレスだって、逆にありなんじゃない? キャー! やっぱり!! とっても可愛らしくて、素敵だわー!!」

 アカネの担当は、ケイの部屋で特に浮かれていた二人だ。

 鼻息荒く興奮している彼女らの勢いに圧倒され、甲斐甲斐かいがいしい世話に申し訳なさを感じたり、褒められて照れたりする余裕もない。

 最終的にアカネは、黒いシックなマーメイドドレスに身を包み、所々にラメやビーズがちりばめられたかかとの高い靴を履き、髪や耳元を真珠の装飾品で飾るという、かなり豪華ごうかな姿になった。

 目元などもラメでキラキラと輝いており、一見すると派手なように見えるが、全体的には大人っぽく落ち着きのある雰囲気でまとめられているため、黙っていれば気品ある美しい女性だ。

 メイドたちに褒めそやされながら部屋の外へ連れ出され、気が付けば大広間に到着していた。

 会場では、真っ白いテーブルクロスが掛けられた丸いテーブルの上に豪華な料理が並んでおり、開けた広間の中央では、音楽家たちの奏でる優雅なリズムに合わせて数組がワルツを踊っている。

 頭上には大きなシャンデリアもあり、非常にきらびやかな雰囲気なのだが、パーティーを楽しんでいる者の多くは一生懸命にめかしこんだ使用人たちだった。

 今でこそ大きな商家しょうかとなったラーティス家だが、元々は、金銭的な事情で実家から追い出された貴族と、その友人であり元使用人の青年が二人で始めた小さな店屋だ。

 そのため「使用人は友であり家族、そして、家で守るべき存在」というのが家訓になっている。

 とはいえ、互いに馴れ馴れしく接していてはトラブルやサボリのもととなるため、基本的には主人と使用人の上下関係が徹底されている。

 だが、秩序を守りつつも家訓を守る方法として、ラーティス家では、定期的に使用人が参加できるパーティーを行うのが慣例となっていた。

 無礼講とまではいかないが、使用人たちは老若男女問わずお洒落しゃれをして、主人たちと同じように広間で食事を楽しみ、ダンスを踊り、楽しく談笑することが出来る。

 また、使用人たちのパーティー参加については交代制がとられていて、約半数がパーティーに参加、もう半数が仕事をすることになっているのだが、仕事をする側が参加者に大袈裟おおげさにかしずき、貴族と従者ごっこをして遊ぶ者たちもいた。

 会場は、アカネたち三人がじゃれ合って遊んでいた頃のような、温かく楽しい雰囲気に満ちており、おかげでアカネも気兼ねなくパーティーを楽しむことが出来た。

 そんな彼女は、ムシャムシャとごちそうを頬張り、食に執念を燃やしている。

 胃も舌も庶民なので、美味しい料理もあれば、高級かつお洒落しゃれであるがゆえにイマイチと感じる料理もある。

 とりあえず、緑や紫などの見慣れない色をしたソースがかかっている料理とイメージに反する温度の料理を避け、白い大皿に料理を盛っていく。

 出来上がったのは、ローストビーフと何らかのマリネ、スモークサーモン、ハンバーグ、フライドポテトなどが乗った、豪勢ごうせいなお子様プレートである。

 もちろん、デザートのプリンも忘れてはいない。

 さらに理想に近づけるべく、パスタを吟味していると、

「おっ、ビビり散らかしてるかと思ったら、結構楽しんでるじゃん。でも、男性と踊るでもなく、使用人に囲まれてちやほやされるでもなく、ひたすらメシ食ってる辺り、本当にアカネらしいよな」

 と、メイド服姿のアオイが苦笑いで話しかけてきた。

「何よ! しゃーないでしょ、モテないんだから。大体、パーティーの醍醐味だいごみってのは、普段食べられないグルメを堪能することにあるのよ! っていうか、あれ? アオイはお仕事なのね。あ、それナポリタンっぽい。乗せるわ」

 グルメを探求すると豪語ごうごするわりに、プレートの料理は馴染なじみのある物ばかりだ。

 アカネは、アオイが持って来た大皿から赤っぽいトマトのパスタを取り分け、満面の笑みを浮かべた。

「いやー、あたしは、お嬢様の面倒を見てあげたいからさ、わざと仕事側に行ったんだ。可愛いんだよ、使用人たちに囲まれて、高飛車たかびしゃにアワアワとおしゃべりするお嬢様。普段は立場のせいで高慢にしてるけど、本当は寂しがり屋で、使用人が大好きな人だから。しかし、そのプレート良いな。モフモコなロリショタに似合いすぎだろ」

 気が弱く、何を食べたらいいのか分からずにモジモジとしているお子様たちへ渡すべく、アオイもプレートを作り始めた。

 まずはマナの分を作るつもりらしい。

「お! アオイ、分かってるじゃない。やっぱ、一番おいしいのは偏食な子供たちもにっこりのお子様プレートよ。ところでさ、ミドリとレイドを見てない? なんか、さっきから見当たらないのよね」

 ローストビーフをかじりながら問えば、アオイは呆れたような表情を浮かべた。

「お前な……アイツら、さっきまであんなに目立ってたのに、見てなかったのかよ。食に目がくらみすぎだろ」

 ミドリとレイドは好奇心旺盛な使用人たちとおしゃべりを楽しんだ後、食事もそこそこに、広間の中央でワルツを踊った。

 ダンス自体は簡単なものであったし、ミドリたちの技術もさほど高かったわけではない。

 しかし、仮にも城で暮らしていた彼女らには気品が備わっており、優雅で人をき付ける魅力があった。

 また、楽しげな表情やダンス映えする美しい衣装も相まって、一時的に広間の人々の視線を独り占めにしたのだ。

 おまけにダンス終了後、レイドはミドリの指先に口づけ、二人でバルコニーの方へ向かった。

 次に帰ってくる時には、十中八九、恋人となっていることだろう。

 アオイの言う通り、すっかり飲食に夢中になっていたアカネはミドリたちの恋模様など全く見ていなかったので、驚いてパチパチとまばたきをした。

『思ったより進展が早いわ。ござるのくせに! ってのは、さすがにひがみすぎか。まあ、別に、ミドリが幸せになるのは良いんだけどね。それより、今日からミドリを拝んだら、モテパワーかハーレムパワーを拝借できないかな』

 不憫なようで意外と充実している親友が羨ましい。

 アカネはユリステムの使者として、毎朝、祈りと感謝を捧げることにしているのだが、そこにミドリを追加するか否か、検討中だ。

「アイツらは実にいい仕事をしたね。何せ、恋愛模様が気になってた獣人たちの内、数組がソワソワしだしてさ、恋人になった子たちもいるっぽいんだよ。自分が恋愛するなら人間×ケモが至高だけど、眺める分にはケモ×ケモも最高なんだよな。ああ、このネタで、むこう数十年は酒を飲めるし、ご飯も何杯だって食えるね。あー、尊い」

 アオイは、顎に手を当ててウンウンと頷くと、今度は仲睦なかむつまじくパーティーを楽しむ獣人たちに目を向け、合掌した。

 実に充実したメイドライフを送っているようだ。

「私たちは、もうしばらくしたら次の町に行く予定だけどさ、アオイはどうする? 私たちについてくる? それとも、ここに残る?」

 出来ることなら一緒に旅をしたいが、アオイが拒否をするならば無理強いはできないだろう。

 アカネの言葉にアオイは、う~んと唸って眉間に皺を寄せた。

「マジで、めちゃめちゃ迷うんだよな。充実した獣人摂取生活と、お前らと一緒に旅をしながら、理想のエッチ獣人を探す生活……ちょっと、一旦保留にしてもいいか? 休みをもらったし、明日一日、悩む時間をくれ」

 どちらにせよ、獣人を求める欲望一直線な生活を送るつもりのようだ。

 悩む理由がアオイらしいなと笑いながら、アカネは頷いた。

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