最後の甘えん坊

 レイドも呼んで五人で食事をし、それぞれ分かれて風呂も済ませ、後は眠るだけとなった。

 アオイはマナを自室へ送るべく、彼女の隣に並んでゆっくりと歩いている。

「ふふ、今日はお嬢様にお世話されてしまいましたね。髪のお手入れも、肩を揉むのも、完璧でございましたよ。すっかり疲れが吹き飛んでしまいました。このアオイ、一生のほまれにございます」

 慣れないながらも一生懸命にアオイの髪をドライヤーで乾かし、丁寧に櫛を入れた手つきや、肉球でモチモチと揉まれた肩を思い出し、自然と笑みがこぼれ落ちた。

 髪は少し焦げたし、力の入れ方が分からずに立てられた爪が食い込み、アオイの肩がひっそりと負傷したが、そんなものはご愛嬌だ。

 頑張ってくれる姿が何よりも尊く、アオイは本気で喜んでいた。

 彼女が全身から出す幸せなオーラから、それが伝わったのだろう。

 マナは失敗続きで落ち込んでいた表情を明るくし、

「そうでしょう! 私、頑張ったのよ! アオイのヘアオイルだって、私が選んであげたの。良い香りでしょう!」

 と、胸を張った。

 そして、部屋の前までやって来ると、

「それでは、おやすみなさい」

 と、自室に帰ろうとするアオイの袖をキュッと引いた。

「ねえ、アオイ。私、アカネ様やミドリ様に、アオイはモフモフした生き物が大好きだって聞いたのよ。だから、今夜は私を抱っこして眠る栄誉えいよを与えてあげるわ。感謝しなさい」

 フフンと高飛車に笑い、グイグイと袖を引いてアオイを部屋に招き入れる。

 そして、ポフンとベッドに飛び乗ると、ワクワクとした瞳でアオイを見つめた。

 根っからの使用人であれば、主に許可を受けようと己の魂が甘えを許さないだろうが、あいにくアオイはモフモフを愛するだけの一般人なので、

「ふふ、ありがとうございます、お嬢様。温かいですね」

 と、あっさり隣に寝ころぶと、魅惑のモフモフボディーを緩く抱き締めた。

 脳裏によぎるのは、幼い頃に祖母の家で抱き締めながら眠った中型犬だ。

 フカフカと温かないやしに、アオイは目を細める。

「お嬢様。こうして眠るのは、随分と久しぶりですね。寂しくなってしまわれたのですか?」

 アオイが専属メイドになったばかりの頃、マナは意地っ張りな性格とキツイ態度が原因で、使用人たちに恐れられ、孤立していた。

 アオイがマナと使用人たちの間に入り、誤解されやすいマナの態度に解説を付けたり、人との接し方を教えたおかげで、今ではすっかり使用人たちにしたわれているが、あの頃は、寂しくてベッドの中で泣いてばかりだった。

 そんな時、甘いミルクやお菓子を用意してマナを甘やかし、モフモフと頭を撫で、励ましの言葉をかけながら一緒に眠るのが、アオイの仕事だった。

 マナ自身には、

「甘え過ぎたわ。まるで子供みたいだったでしょ。ごめんなさいね」

 と、後から謝られたし、同僚たちにも同情されたのだが、アオイ的にはむしろホクホクとしていた。

 かんぼうなマナに振り回されつつ、彼女を世話して甘やかすのは、最早もはやアオイの趣味であるし、なにより、成長する姿を見守るのが楽しかったのだ。

 今でも、思いがけず怖い話を聞いてしまった時や亡くなった母の夢を見た時には、夜中にアオイを呼び出して一緒に眠っている。

 また、父親が亡くなってしまったばかりの頃は、アオイにベッタリだった。

 だが、精神的に落ち着き始めたおかげか、最近ではその頻度もだいぶ減っていた。

「別に、ただの気分よ。ねえ、アオイ。私ね、初めて貴方にブラッシングをしてもらった時、亡くなったお母様を思い出したの。アオイとお母様は、なんだか似ているのよ」

 マナが身じろぎしたせいでずり落ちた毛布をかけ直し、アオイはキョトンと首を傾げた。

「そうなのですか? 確かに、奥様は人間だったとお聞きしましたが」

 専属メイドという仕事柄、マナについての報告などをするためにも、アオイは何度も書斎に入っていた。

 肖像画は見やすいところに飾られていたため、何度かマナたちの母親、メルの姿を見ていたのだが、おっとりと優しい垂れ目に、ふわふわとした薄桃色の髪を持つ彼女と、勝気な釣り目に鮮やかな金髪のアオイでは、似ても似つかない。

 そう伝えると、

「おバカね、似てる、似てないって、見た目の話だけじゃないのよ」

 と、マナは悪戯いたずらっぽく笑った。

 それからマナは綺麗な瞳に思慕を浮かべ、懐かしい母の姿を思い出した。

「お母様はね、アオイとおんなじで、モフモフした生き物が大好きだったの。それでね、アオイみたいに、毎朝みんなのブラッシングをしていたのよ。私の毛並みを整えてくれる優しい手つきやブラシの使い方が一緒で、お兄様や使用人の皆が、お母様が戻ってきたみたいだって言っていたの」

 メルはアオイと同じケモナーで、大の獣人好きだった。

 その勢いは、お見合いで夫に一目ぼれし、屋敷には獣人の使用人が多いと聞いて、一も二もなく結婚を決めたほどだ。

 そのため、朝忙しく働いてくれる皆へのご褒美と称して使用人たちにブラッシングを施し、至福の時を過ごしていた。

 ちなみに、これはアオイも同じだが、頼まれれば人間の髪も丁寧に手入れしてくれる。

 彼女らのお目当ては獣人のモフモフとした毛だが、同時に、人間と獣人を差別するような取り扱いはしたくないようだ。

 特にアオイは根っからの世話好きなので、かなり可愛い髪型や格好良い髪型に仕上げてくれる。

 アオイがモフモフモコモコの毛皮や、そこに隠された筋肉質な体、獣らしいワイルドな外見に惹かれるのに対して、メルの方は、獣人としては背丈が小さめの、小動物や狐のような可愛らしい外見に惹かれている。

 そのため、獣人に対する好みなどは異なるが、そうであるからこそ互いの性癖に学ぶべきところがあり、メルが生きていれば、三日三晩、獣人について語り明かしただろう。

 二人でコソコソと、獣人系のエロ本だって買いに行ったかもしれない。

 非常におっとりとしたメルと気の強いアオイでは、一見すると似ても似つかないが、意外と共通点が多かったのだ。

「お母様はね、眠る時に頭を撫でてくれたのよ」

 チラッとアオイを見てからツンと顔をそむければ、

「そうでございましたか」

 と、優しい笑みを浮かべて、丁寧に頭を撫でる。

 マナはフカフカの口元に笑みを浮かべていたのだが、不意に目線を落とした。

「ねえ、アオイ。アオイは、アカネ様たちと一緒に旅に出るの? 私を、置いて行ってしまうの?」

 小さく出された問いに、アオイはすぐに答えを出せなかった。

 彼女自身も、昨日からずっと迷っていたからだ。

 理想の獣人を探すという目的も半分程度は本気なのだが、それよりも何よりも、久々にアカネたちと再会し、行動を共にしたのが、どうしようもなく楽しかったのだ。

 ゆるめの社畜として日々を消費していたアカネに比べると、ミドリもアオイも転生後の人生を謳歌おうかしていた。

 だが、それでも、二人にはどこか物足りなさがあった。

 日本にいた頃は、三人で作り上げた空間だけが互いの居場所だったのだと、後になって気が付いた。

『お嬢様はもうご立派になられたし、ディルの野郎についても、大体片付いた。屑屋敷からも子供たちは救い出したし、あたしがここを離れられない理由は無い。無いんだけれど、あたしはこの屋敷も大好きだから、やっぱり、離れるのは寂しいんだよな……』

 過去の仲間たちはもちろん大切だが、懸命に築き上げてきた今も大切だ。

 どちらがより大切かなんて、アオイには分からなかった。

 悩んだまま、マナの表情を盗み見る。

 彼女は酷く不安げで、じっとアオイのことを見つめ続けていた。

「……検討中でございます」

 マナがアオイに懐いていることは明白で、嘘でも「どこにも行かない」と言えば、彼女はホッと安心して眠っただろう。

 だが、アオイ自身が迷っていて、彼女の元から去る可能性がある以上、軽はずみに言葉を出しては誠実さに欠く。

 甘く優しい言葉を裏切りの残酷な嘘へと変えぬよう、少し迷った後、静かにそう答えれば、マナはふんわりと優しい笑みを見せた。

「そう。あのね、私、アオイの嘘をつかないところが好きよ。アオイはね、初めて会った時から、ずっとそうだったの。私が幼いからって、子供だましが通用するって考えは無かった。甘い嘘も、ごますりも無くて、だから、信用できたの。そうして、一生懸命に私や皆のことを考えてくれるところが、好きだわ」

 少し頬を染め、照れながら言うと、マナはモフモフとアオイの胸に顔を埋めた。

 そして、アオイの背に回した腕に力を込め、ギュウッと抱き着く。

「なんだか、今日のお嬢様は素直な甘えん坊さんですね」

 まるで、子供返りしたかのような仕草にアオイがクスクスと笑うと、

「あら、いつもの私が素直じゃないみたいな言い方ね」

 と、不機嫌に口元をゆがめた後、ふふふ、と笑って瞳を閉じた。

 しばらくすれば、呼吸音が寝息に近づく。

「ねえ、アオイ。私ね、貴方の主だから、貴方よりも先に、貴方の選択が分かるのよ」

 アオイの思考が眠気でぼけ始めた頃、マナはそっと呟いた。

 そして、

「だから、今日は、最後の甘えん坊なのよ」

 と、続けて出された言葉を聞く前に、アオイは眠りに落ちた。

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