魔界王女と第二話


「刮目しなさいッ!! アタシの名前はローザディア・ダークネスロードッ!! 魔界を統べる王、魔王の娘よッ!! そしてそこに居る冴えない顔の男はアタシの下僕よッ!!」


 左手を腰に当て、右人差し指を俺に向けるローザ。

 その声は教室中に響き渡る。それもそのはず。教室は今、水を打ったように静かだからだ。何言ってんだこいつ状態だ。


 ローザに指差された俺は後ろを確認した。


 悲しいかな。そこに席は無かった。窓際の一番後ろの席だから当然か。


「……おい優人。どういうことだよ。あんな可愛い中二病美少女の下僕っていうのはよ?」


 と俺の前の席に居る、色素の薄い髪の天パ頭の男が小声で話しかけてきた。

 こいつは高校に入ってから出来た友人だ。名前は犬山牙央がおう


「あー。俺の家にホームステイしてるんだよ」

「おいおい。マジかよッ!? あんな美少女と一つ屋根の下でッ!? うらやますぎるッ!!」

「そうでもないぞ。アイツは寝起きの俺の頭を足で踏んづけてくる、ただの暴力女だよ」

「そんなの最高じゃんッ!!」


 確かに一部界隈犬山牙央の人にはご褒美だな。俺にそんな趣味は無いが。


「……え~っと。それじゃあダークネスロードさんはげ――こほん。結城君の隣の席に座ってください」


 おい先生。今俺の事を下僕って言おうとしてただろ。


 ローザは優雅に深紅のツインテ―ルを揺らしながら、自分の席に向かって歩を進める。そして自分の席――ではなく何故か俺の膝の上にちょこんと座った。


 膝が女の子特有の柔らかさに包まれ、ツインテ―ルの毛先が鼻先をくすぐる。ふわり、と甘い香りが揺蕩う。


 その表情はツインテ―ルに隠れて見えない。


「……おい。何で俺の上に座ってるんだ? ローザの席はあっちだろ?」


 と親指で隣の席を差し示す。


「アンタはアタシの下僕なんだから、アタシの椅子になるのは当然でしょ?」

「なわけあるか。大体な、俺はお前の下僕になった覚えはない。それに周りから注目を集めてる」


 周囲を見れば、男子たちが嫉妬と羨望の眼差しで此方を見ていた。中には親の仇を見るような、剣呑なものになっている者まで居る。

 このままでは本当に殺られかねない。


「何よ。有象無象の視線になんて気にする事はないわ」

「ローザが気にしなくても俺が気にするんだよ。だから早く自分の席に座ってくれ」

「……分かったわよ。アンタがそこまで言うなら退いてあげる」


 膝に掛かっていた重みが消え、甘い香りの残滓が漂う。


 危なかった。もう少し女としての自覚を持てよな。こちとら健全な男子高校生なんだぞ。全く。


 それにしても何だこのドキドキは。俺があの暴力女を意識しているってのか? 無いな。これはただ異性に対してのドキドキであって、ローザに対しての奴では無い。

 きっとそうだ。





 ***





「刮目しなさいッ!! アタシの名前はローザディア・ダークネスロードッ!! 魔界を統べる王、魔王の娘よッ!! そしてそこに居る冴えない顔の男はアタシの下僕よッ!!」


 アタシは左手を腰に当て、右人差し指を下僕へと向ける。

 決まったわ。アタシの名乗りに恐れ慄いて声も出ないようね。 


「……え~っと。ダークネスロードさんはげ――こほん。結城君の隣の席に座ってください」


 アタシは優雅に深紅のツインテ―ルを揺らしながら、自分の席に向かって歩を進める。そして自分の席――下僕の膝の上に座った。


 がっしりとした感触がお尻に伝わり、ふわっと爽やかな香りが漂う。

 顔が熱を持っていくのが分かる。


「……おい。何で俺の上に座ってるんだ? ローザの席はあっちだろ」


 アタシの名前を呼ぶ、下僕の声が耳元で響く。心臓がドキドキと高鳴っていく。


「アンタはアタシの下僕なんだから、アタシの椅子になるのは当然でしょ?」

「なわけあるか。大体な、俺はお前の下僕になった覚えはない。それに周りから注目を集めてる」

「何よ、有象無象の視線になんて気にする事ないわ」


 周囲を見れば、いくつかの人間のメスのドロドロとした粘つく視線を感じる。

 コイツはアタシのモノよ。そこで指を咥えて見ていればいいわ。

 そんな自信とは裏腹に、心臓の鼓動は早くなっていく。


「ローザが気にしなくても俺が気にするんだよ。だから早く自分の席に座ってくれ」


 そうね。このまま下僕の膝の上に座っていたら、心臓が持たないわね。……いいわ。ここは下僕の言う通りにさせてあげる。


「……分かったわよ。アンタがそこまで言うなら退いてあげる」


 お尻に感じていた下僕の温もりが消え、爽やかな香りが離れていく。


 自分の席に座ったアタシは俯いて顔に手を当てる。


「ッ~!」


 声にならない声を漏らす。

 危なかったわね。顔から火が出るかと思ったわよ。

 それにまだ心臓がドキドキしてる。


 ……ムカつくわね。アタシがこんな思いしているのに、下僕はアタシの事をなんて。





 ***





 そう、あれはアタシがちょうど七歳の時だったわね。

 アタシは魔王の娘としての責務や周囲からの期待、それら全てに答える為に寝る間も惜しんで努力を重ねてきた。


 でもまだ幼かったアタシはその重責から逃げた。

 城から抜け出し、誰もアタシの事を知らない何処か遠くに行こうとして、気付けば魔界を出て人間界で迷子になっていたわ。


 見知らぬ場所に来て心細くなったアタシは、声を上げて泣いた。見っとも無い話よね。アタシの事を誰も知らない所に行こうとして、いざ自分がその場所に立ってみると逃げ出したかったあの場所が恋しくなるなんて。


 そんな暗闇に居たアタシの心を、温かく照らしてくれたのが下僕だった。

 下僕は、泣いている見ず知らずのアタシを優しく抱きしめてくれたわ。

 アタシが泣き止むまでの間、言葉はなかったけれどその無言は心地いいものだった。


 やがて泣き止んだアタシは、下僕に誘われるがままにいっぱい遊んだ。

 それまでは同年代の子と遊んだ事なんて無い。そんな暇なんて無かったから。


 だから初めての遊びに最初こそぎこちなかったけど、気が付けば自然と笑みがこぼれていた。その間は魔王の娘としての責務や、周囲の期待を気にせずに普通の子供として振る舞えた。


 恋に落ちるのは当然だったわ。

 でもそんな楽しいひと時は終わりを告げる。

 アタシの行方を捜していた、メイドの一人に見つかったからだ。


 そしてアタシは、メイドに連れ帰られる最後の瞬間に下僕にこう言ったわ。


「ユウト、大人になったらアタシとつがいになりなさいッ! 絶対なんだからねッ!」


 だというのにアイツは。アタシの事を覚えていないどころか、下着を覗くなんてッ! 許せないわッ! ……だからアイツの事は下僕って呼ぶ事にしたわ。


 そして思い出させてあげる。アタシの事を。絶対に。

 




 ***





 衝撃的なローザの自己紹介の後、幾人かのクラスメイト達が好奇心から話し掛けた。が、その傲岸不遜な態度により一人また一人と離れていき、昼休みに入る頃にはほとんど声を掛ける者は居なくなっていた。


 だがここに一人。尚も声を掛ける人物が居た。

 俺の友人。犬山牙央がおうだ。


 牙央は自分の席を立つと、ローザの席に近付く。


「ダークネスロードさん。一緒にお食事でもいかが? ……ついでに優人も」


 恭しくお辞儀をして見せ、チラリと隣の席の俺に顔を向ける。


「ついでとか言うなら一人で行けよ」


 俺はおまけの玩具か何かかよ。


「そんな事言わないでくれよ。な?」


 言って牙央は俺を教室の隅に呼び寄せ、肩を引き寄せると耳元で囁く。


「……お前も知ってるだろ? 俺こんな見た目だけど、女子と二人っきりでなんて話した事なんか無いって事。だからさ、一人にしないでくれよ」

「ならいい機会だし、これを最初の一回目にすればいいじゃないか」

「いきなり話せと言われても、心の準備が……」

「なにが心の準備だよ。お前が話し掛けといて」

「――アタシの事を放っておいて、何をコソコソ話してるのかしら?」


 とそこで、俺たちの後ろで仁王立ちになったローザが声を上げた。

 牙央は暫く口をパクパクさせたかと思うと、こう言い放つ。


「な、何って、ナニだよ」

「おい」

「いてっ」


 平手で牙央の頭を引っ叩く。

 変な事を言うんじゃない。


「? どういう意味よ。それ」

「あー。ローザは知らなくていいぞ」

「いいから教えなさいよ。下僕」


 尚も引き下がらないローザ。

 俺は強引に話を戻す。


「それより、何を話してたかだけど。俺の事は良いから、コイツとローザで飯に行けって話だよ」


 朝からキャンキャン五月蝿い奴が居たから、俺は一人で静かに飯が食いたいんだよ。


「お、おいッ! それじゃあ話が……んんーッ!?」


 咄嗟に牙央の首に手を回して引き寄せ、口元を手で押さえる。


「んーッ! んーッ!」

「ねえ。ソイツ、今何か言おうとしてなかった?」

「空耳じゃないか?」

「んーッ! んーッ!」

「そうかしら?」

「そうだよ」


 ちらりと牙央を見遣る。真っ赤な顔でまだ何か言おうとモゴモゴしていた。

 許せ牙央。コイツにナニの意味を教えない為だ。そして俺が、一人静かに飯を食う為だ。


「まぁいいわ。で。アタシとコイツが一緒に飯に行けって? 何言ってるのよ。アタシが行くなら、アンタも一緒に行くに決まってるじゃない。アンタはアタシの下僕なんだから」

「またそれかよ。俺はお前の下僕になった覚えは無いんだけどな」

「アンタに無くてもアタシにはあるのよ」

「んーッ! んーッ!」


 どういう意味だよそれ。


「まぁまぁ二人とも落ち着いて」

「んーッ! んーッ!」


 そしてここにもう一人。声を掛ける人物が居た。

 牙央と同じく高校に入ってから出来た、異性の友人。

 親鳥姫奈ひなだ。


 腰まで伸びる烏の濡れ羽色の黒髪に、吸い込まれるような黒い瞳を縁取る垂れ目。

 優し気な顔の下には、グレーのブレザーを押し上げるエベレスト級の双丘が聳え立っている。


「あぁ、親鳥か」

「なによ、アンタ」

「んーッ! んーッ!」

「ここは一つ。ダークネスロードさんの留学を祝って、皆でお昼に行くのはどうかな?」

「……ふん。人間のメスにしては良い心掛けね?」

「おい。親鳥まで……」

「んーッ! んーッ!」


 一人で静かに飯を食わせてくれないのか?


「ね? 結城くんもそれで良いよね?」


 親鳥は身を乗り出し、人差し指を頬に当てて首を傾げて見せた。

 前傾姿勢になったことにより、エベレストを抑え込んでいるブラウスのボタンの虐待現場を目撃してしまう。


「いや……俺は一人静かに……」

「ね? 良いでしょ?」

「んーッ! んーッ!」

「ほら。犬山くんもこう言ってるし」

「……あ」


 そう言えば牙央の口元をずっと押えてたんだ。

 顔を覗けば真っ赤になっていた為、俺は慌てて解放する。


「ぷはーーッ!! ゼェ……ハァ……ゼェ……ハァ……お、おいッ! 優人ッ! 死ぬとこだったぞ今ッ!」

「ごめんごめん」

「ごめんで済んだら警察なんか要らないだろうがッ!」

「ふふっ。結城くんと犬山くんって本当に仲いいよね」


 口元に手を当て、小さく笑みを零した親鳥。


「へへッ。仲が良いってよ優人」

「何でそんなに嬉しそうなんだよ。気持ち悪いぞ」

「気持ち悪いわね。このオス」

「あはは。……それでね、ダークネスロードさんの留学を祝って皆でお昼に行こうかと思ったんだけど。結城くんは迷惑だったかな?」


 親鳥さんは人差し指同士をくっ付けたり離したりしながら、上目遣いで此方を伺う。くっ。その上目遣いは卑怯だぞ。


「め、迷惑なんかじゃないよッ! な? 二人も良いよな?」


 そして何で牙央が答えてるんだよ。


「構わないわ。だってアタシの事を祝ってくれるのよね?」

「俺は……」


 言い淀んだ俺へ三者三葉の視線が刺さる。

 ローザの有無を言わせない意思の強い視線。

 牙央の捨てられた子犬のような視線。

 親鳥の潤んだような視線。


 クソ。こんなの断れないだろ。……さらば、オレのぼっち飯。


「……俺も構わない」


 返答を聴いた三人はある者は薄い胸を張り、ある者は尻尾があったなら千切れんばかりに振って喜び、ある者はほっと大きな胸を撫で下ろした。


「よぉしッ!! それじゃあレッツラゴーッ!!」

「ふんッ」

「……おう」

「おー」


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