魔界王女と第十二話
チョコバナナを買った俺は、ローザが待つ駐車場に戻る。
しかしそこにローザの姿は無かった。おまけに親鳥の姿も。
ただ、ポツンとクマのぬいぐるみがあるだけだった。
「二人とも何処に言ったんだ? トイレか? ……ん?」
クマのぬいぐるみが何かを持ってる?
俺はぬいぐるみを手に取り、持っている物を確認する。
如何やら、二つ折りにされた紙のようだった。
紙の表面には結城くんへと書かれている。
中にはこう書かれていた。
――――
結城くん。ダークネスロードさんは私が預かったよ。
私ね、結城くんに話したいことがあるの。
だから、下に書いてある場所で待っています。
親鳥姫奈
――――
その下には何処かの住所が書かれていた。
確か此処は。建設が中止になってそのまま放置されてる、廃ビルがあるところじゃないか?
どうしてこんな場所に居るんだ?
それに預かったって……。
この胸がざわつく感じ。
まさか。二人は何か事件に巻き込まれている?
一度その思いを抱いたが最後、胸のざわつきがどんどん大きくなっていく。
「優人。二人はどうしたんだ?」
とトイレから戻って来た牙央が、背後から声を掛けて来た。
「……。悪い牙央ッ! 急用が出来たッ! お前はもう家に帰っていろッ!」
「あ、おいッ! 待てってッ!」
俺は持っていたチョコバナナを牙央に渡して、走り出す。
指定された廃ビルに向かって。
「――ったく。少しは俺の事を頼れよ。俺達、ダチだろうが」
俺は渡されたチョコバナナを頬張る。
やがて食べ終わった俺は、チョコバナナに刺さっていた割り箸をゴミ箱に捨て、軽く屈伸をする。
ポキポキと指の関節を鳴らし、首を左右に倒す。
「……さてと。行きますか」
***
俺は目的の場所に最短距離で向かう。
即ち民家の屋根を伝い、全力で駆け抜ける。
一分も掛からずに目的の廃ビルに着いた。
遠くで祭囃子の音が響くばかりで、周りは不気味なほどに静まり返っている。
いや。魔力感知で、二人の人間が廃ビルの四階に居る事が分かった。
ローザと親鳥だ。それ以外には誰も居ない。
事件に巻き込まれたわけじゃないのか?
それに親鳥の魔力の質が変化している。
一体どういう事だ?
何はともあれ。俺は廃ビルの四階に向かった。
「ローザッ! 親鳥ッ! 無事かッ!? ……ッ!?」
そこには。
帯が解け、浴衣の前が大きくはだけたローザが。全身を黒い蛇の様な影に締め上げられて、拘束されていた。
首が垂れており、解けた深紅の髪が柳の様に流れている。如何やら意識がない様子だ。
ローザの傍には親鳥が居た。
手には、波打つ刀身の短剣が握られている。
短剣からは禍々しい魔力の流れ。
まさか。アレは魔剣か?
何で魔剣を親鳥が持っているんだ? 一体如何やって手に入れた?
とは言え今は、それよりも聞きたい事があった。
「……親鳥。これはお前がやったのか?」
俺の声が何時もより低くなる。
「そうだよ優人くん。ふふっ、凄いでしょ?」
親鳥は妖しく微笑んだ。
「どうしてだ? どうしてこんな事をした?」
「どうして? そんなの決まってるよ。この女が優人くんを、誑かしているからだよ。……私だけのものなのに、優人くんは」
短剣でローザの事を指し示し、親鳥は言葉を漏らす。
「ちょっと待て。俺は親鳥のものになった覚えは無いが?」
「何言っているの? 優人くんは私を守ってくれたよね? 不良に絡まれていた時。私と一度も話した事が無かったのに。身体を張って私を守ってくれたよね? あの時の優人くんかっこよかったなぁ。一目惚れ、だったんだよ? きっとこの人は、運命の赤い糸で結ばれた人なんだって。だから私と赤い糸で結ばれた優人くんは、私だけのものなんだよ? 何人たりとも邪魔出来ないんだよ? 私だけのものなんだよ? 優人くん」
一息にそう言い切った親鳥。
親鳥は息を整え、肺に空気を溜めるとこう言った。
「だからね、優人くん。私のものを横取りしようとしたこの女を、今からここで殺すね?」
「なッ!? 待て親鳥ッ!!」
「どうして? どうして殺しちゃいけないの?」
「……お前のその思いは、今手に持っている魔剣がお前の心を歪ませているからなんだ。だからその魔剣を今すぐこっちに渡せ。そうすればお前は元に戻れる。誰も殺す必要なんて無いんだ」
魔剣。
それは手にした者に力を与え、願いを叶えてくれる願望器。
ただしその願いは、所有者の望まない歪んだ形で成し遂げられる。
「それは違うよ優人くん。私のこの想いは本当だよ? 私は優人くんが好き。なのに優人くんは、私のこの想いを否定するの?」
「それは……」
親鳥が俺を好きだという、その想いを否定するつもりは無い。
だがローザを殺すのは駄目だ。
だって俺が好きなのは……。
……あぁ、そうか。
誰かを好きになるって事は、誰かの好きを否定する事なんだ。
「……俺はローザの事が好きだ」
「え?」
親鳥が目を見開く。
気付けば俺は、自分の想いを吐露していた。
「初めて出会った時は、五月蝿い奴だとしか思っていなかった。だけど、一緒に生活している内にその思いは変わって行った。一緒に買い物に行ったり、互いに喧嘩して仲直りしたり、体育祭で優勝したり、プールで遊んだり、祭りに行ったり。どれもかけがえのないローザとの思い出だ。気付けば俺は、ローザを好きになっていた」
一息にそこまで言う。
息継ぎをし、続けて言った。
「……だからごめん。親鳥のその思いには応えられない。俺は……お前の好きを否定する」
「……そっか」
親鳥の頬を、静かに涙が伝う。
コンクリートの床に落ちゆく涙が、月光に反射して煌めく。
そして落ちた涙は、コンクリートの床を湿らす。
手の甲で乱暴に目元を拭う親鳥。
「あはは。私、フラれちゃったんだ。優斗くんはこの女を選ぶんだ。そっか。……ならこの女と結ばれる前に……優人くん。私と一緒に……死んでよ?」
目が虚ろになった親鳥は、乾いた笑みを零す。
「待て。何でそうなる?」
「何でって。優斗くんは私のものにならないって言うし。だったら一緒に死んで、あの世で結ばれるしか無いよね? ……大丈夫。私達は運命の赤い糸で結ばれているから。きっとあの世でも出会えるよ」
マズい。これが魔剣が叶える願いの正体か。
俺と一緒に死んで、あの世で結ばれる。
それが親鳥が魔剣に願った、願望の末路。
「……だから優人くん。私が――殺してあげるッ!!」
「くッ!?」
身体が動かないッ!?
自分の足元を見れば、親鳥の影と繋がっており、脚が影の蛇に囚われていた。
影縛りかッ!?
クソッ! どうすれば良いんだッ!
このままじゃあ抵抗できずに殺されるッ!
そしたら親鳥も……ッ!
こんな時、俺が聖剣を使えれば。
だが俺は、未だに聖剣を扱えない落ちこぼれだ。
願った所で結果は変わらない。
俺はここで……死ぬ。
であるならば、親鳥のその思いを受け止めようと俺は。
視線を最後まで逸らさない覚悟で、親鳥を見据える。
親鳥は虚ろな瞳で泣いていた。
走る度に零れ落ちた涙が、月光に照らされて軌跡を作る。
俺は何も出来なかった。
その涙を拭ってやる事も。
その想いに答える事も。
俺は何も出来なかった。
ただ黙って、見ているしか出来なかった。
俺は何も出来ずに死ぬ。
……ローザ。
「――止めろぉぉぉぉぉぉッ!!」
その時、ふっと俺の視線を遮る背中が現れた。
ソイツの名前は……。
「牙央ッ!?」
「ぐッ! ……へへっ。おうよ。俺様、参上だぜ」
俺が刺される筈だった凶刃は、牙央の腹部に埋まる。
「……どうして?」
「あ? ダチのピンチに駆けつけるのがそんなに変か?」
「だからって、たかが出会って一年半ぐらいの友達に、命まで張る奴がいるか?」
「何言ってやがる。ダチに時間なんて関係ねぇ。それにダチはなぁ、命を張るだけの価値があるんだぜ? 覚えときな。……ゲホッ……ゲホッ!」
「牙央ッ!」
牙央は咳と共に吐血する。
コンクリートの床に撒かれた血は、どす黒い色をしていた。
「……犬山くん? ……何で?」
親鳥は震えた声で言う。
「ん? 何でって。そりゃあ、あれだ。愛だよ、愛」
「あい?」
「そうだ、愛だ。俺はお前が……いや、姫奈の事が好きだッ!」
「へ?」
親鳥は間の抜けた声を上げる。
そうだったのか。初めて知った。
「好き? 犬山くんが……私を?」
「あぁそうだ。世界一。いや宇宙一大好きだ。だから姫奈が誰かを殺すなんて事、して欲しくない。それが理由だ」
「すき? どうして? なんで? すき? すきすきすき? す、き? ……うぐッ! うぅ……うぁぁぁぁぁぁッ!!」
牙央に埋まった魔剣を勢いよく引き抜く親鳥。
飛び散った血が、白い頬を彩る。
親鳥は血の付いた魔剣を持ったまま、後退りして床にへたり込み。
背を丸めて、慟哭した。
同時に、俺とローザを拘束していた影が消える。
「ぐッ! ……初めては……優しくしてくれよな、姫奈……」
「牙央ッ!」
俺は倒れ込む牙央を受け止め、床にゆっくりと下ろす。
「待ってろ牙央ッ! 今、治すからなッ!」
「心配すんな……これぐらいの傷、どうって事ないぜ……ゲホッ……ゲホッ!」
「いいから喋るなッ! 傷口が広がるだろッ!」
牙央の傷口に手を翳し、魔力を練り上げる。
「癒し手の巫女の名の元に願う。かの者の傷を癒し、安息を与えたまえ。上級魔法――
掌から魔法陣が広がり、傷口が柔らかい光に包まれた。
逆再生をするみたいに傷口が塞がっていく。
「……へへっ。さすが勇者の末裔だな、優人は」
「ッ!? どうしてそれを……」
牙央には秘密にしていた筈だが。
「実は俺。魔界からお前を監視する為に送られた、監視役なんだわ」
「何だと?」
じゃあ俺と出会ってからの日々は全部ウソなのか?
俺と友達なのも?
「あぁ、心配するな。最初こそウソを吐いていたが、ウソを吐き続ける内に何時しか、ウソが
「……そうか」
その言葉に俺は安心する。
ん? 待てよ。だとしたら牙央は人間じゃなくて魔族なのか?
「お前は……」
「っと。如何やら、呑気に駄弁ってる暇はないみたいだな。肩、貸してくれ」
「あぁ」
俺は牙央を肩で支え、立ち上がった。
視線を親鳥に向ければ、何やらブツブツと呟きながら同じく立ち上がる。
「私の願い。叶えなきゃ。私の願い。ワタシノネガイ。カナエナキャ、カナエナキャ、カナエナキャ」
壊れたラジオの様に、同じ言葉ばかりを繰り返す親鳥。
徐に親鳥は手にしていた魔剣を逆手に持ち、自身に向けた。
「一体何を……」
「止めるんだッ! 姫奈ッ!」
牙央の静止も空しく、親鳥は魔剣を自分の胸に突き立てる。
「がァァァァァァッ!!」
ぶわっと親鳥の結っていた黒髪が解けて舞い上がり、黒く可視化された魔力が噴出。着ていた浴衣が弾け飛んだ。
足元の影が蠢き、いくつもの影の蛇が裸体に巻き付く。
やがて影の蛇は全身を飲み込み、さらに足元の影がドームを作って、親鳥の姿を完全に覆い隠す。
辺りが静寂に包まれる。
ピシリ。
影のドームにヒビが入った。
まるで雛鳥が卵の殻を内から破る様に。
ピシリ。
またヒビが入る。
まるで稲妻が空を走るみたいに。
次々と連鎖的にヒビが入って行き、そして。
影のドームは粉々に砕け散った。
砕け散った影が鏡の如く、月光を受けてキラキラと輝きを放つ。
その只中に親鳥は居た。
全身を黒いドレスが覆い、空いた背中からは漆黒の翼が羽ばたいている。
尻からは、蛇の様に細長い尻尾が揺蕩う。
足元は、烏の様な鋭い鉤爪の付いたものになっていた。
閉じられていた瞼が開く。
露わになったその眼は、白目が黒く染まって黒目が赤く光り、瞳孔が縦に割れていた。
「牙央。これって……」
「あぁ、魔剣の暴走だな」
暴走。
魔剣が所有者を乗っ取り、所有者を自らの手足として動かす。
その動きは、手にした魔剣を最も正確に扱う為に最適化された動き。
即ち、達人の技。
しかし所有者の身体はこれに付いて行けず、動く度に壊れていく。
だから魔剣は所有者の身体を造り替える。
それが親鳥の今の姿だ。
乗っ取られた者を助ける方法は……無い。
「いや、あるじゃねえか。優人。お前の聖剣がな」
「何言っているんだ? 俺は聖剣が未だに使えない、落ちこぼれだぞ?」
なのに聖剣を使えって言うのか?
「それこそ何言っているんだよ? ……お前。聖剣、使えるんだろ?」
「……」
「しらばっくれるんじゃねぇッ! 魔界の諜報機関で調べはとっくに付いているんだよッ! なのに何で聖剣を使わないッ!」
牙央は声を荒げ、肩を貸していた俺を突き飛ばす。
怪我が治ったばかりで本調子ではない牙央は、反動でたたらを踏む。
そんなの決まってるだろ。
「……俺は争いが嫌いだからだ。だから、
「そうだな。確かに聖剣は
と言って牙央は頭を下げた。
ポタポタとコンクリートの床が濡れていく。
俺は争いが嫌いだ。誰かが不幸になる争いが嫌いだ。
でも……。
友達が悲しむのはもっと嫌いだ。
「……分かった」
「本当かッ! ありがとうッ! 優人ッ!」
頭を上げた牙央の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「涙を拭けよ。牙央」
「泣いてなんかいねぇよ」
牙央は乱暴に目元を拭う。
「頼んだぞ。優人」
「あぁ」
俺は掌を翳し、
「
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