魔界王女と第十五話
ローザの胸で泣いてスッキリした俺は、ポケットからスマホを取り出す。
画面はバキバキに割れていた。使えるよな?
電源を入れ、確認する。よし。大丈夫そうだ。
そして親鳥と牙央、二人の居場所を退魔局に連絡して、保護してもらえる様に伝えた。
スマホをポケットに仕舞う。
「……さてと。それじゃあ、奴の居るたつのこ山に行きますか」
「待ちなさいユウト」
「ん?」
いざ足を踏み出そうとしたら、ローザに呼び止められた。
「何だよ?」
「アタシにいい考えがあるわ」
いい考え?
「走って向かうより、良い方法がね? ――それは」
言葉の途中で、ローザの全身が唐突に燃え上がる。
炎は燃え上がった時と同じく、唐突に消え失せた。
そこに居たのは、赤いドレスを身に纏ったローザ。大きく空いたドレスの背中から、竜の翼が羽ばたき、尻からは竜の尾が揺蕩う。頭には黒い二対の角が生え、耳は短く尖っている。
閉ざされていた瞼が開く。睫毛にけぶる金の瞳は、瞳孔が縦に割れていた。
吊り上がった目尻には、朱が差している。
赤いヒールを打ち鳴らす。
解けていた深紅の髪を振り払い、ローザは言った。
「――空を飛ぶ事よ」
「は? ちょっと待て。ソレ、大丈夫か?」
「何がよ?」
「だってローザ。お前、高い所苦手なんじゃ……」
たつのこリゾートに行ったとき、ウォータースライダーの頂上で震えていたじゃないか。
「問題無いわ。自分の翼で飛んでいる時は、怖く無いもの」
「そう言うもんか?」
「そう言うもんよ」
なら大丈夫なのか?
とは言え若干、不安は残るが。
「ほら。そう言う事だから、早くアタシに掴まりなさい」
「掴まれったって、何処に掴まれば良いんだよ」
「バカ。アタシの腰に決まっているでしょう? 他に何処があるって言うのよ? 早くしなさい」
他にと言われても、それは答えに困る。
俺は覚悟を決め、ローザの腰に腕を伸ばす。
「……失礼します」
「ひゃッ! ちょっとッ! くすぐったいわよッ!」
「……ごめん」
「謝らなくても良いわよ。それより、もっとしっかり掴まりなさい。落ちたくなければねッ!」
「うおッ!?」
いきなりローザが翼を大きく羽ばたいたかと思ったら、地面を蹴って空に浮かび上がった。慌てて俺は、ローザの腰に巻いていた腕の力を強くする。
「おいッ! 危ないだろうがッ!」
「アハハッ! ユウトがさっさと掴まらないからでしょう?」
「ったく。こっちの気にもなれよな」
もうちょっとで、地面に激突する所だったんだぞ。
それに……。
腕に感じるローザの温もり。
俺の心臓は、早鐘を打っていた。
これは地面に落ちそうだったからでは無い。
ローザの身体に触れている所為だ。
落ち着け俺。
まだ戦いは終わっていないんだぞ。
集中するんだ。
「で、ユウト。たつのこ山ってどっちにあるのよ?」
「分からずに飛び出したのか。……はぁー。あっちだ」
俺は指でたつのこ山の場所を示す。
「ありがとう。……それじゃあ飛ばすわよ? しっかり掴まっていなさい」
「分かっている――ッ!」
ローザは目一杯翼にため込んだ空気を、後方に勢いよく吐き出した。
耳元で空気の弾ける音が鳴り、身体が押さえつけられる感覚。
音の壁を越えた証拠だ。
俺達は音速で空を飛ぶ。
景色が目まぐるしく流れ、気が付けばたつのこ山の山頂に来ていた。
「ここだッ!」
ローザは俺の声に従い、背中の翼を限界まで広げて急制動を掛ける。
身体に数倍の重力が圧し掛かり、俺は歯を食いしばった。
身長差の関係で、俺から先に地面へ足が付く。
続けてローザが、ふわりと隣に着地する。
「悪かったな。待たせて」
「いえ。お構いなく。私も今来た所でしたので」
「ふん。まるでデートの待ち合わせみたいね?」
おい。それは俺も思ったが口に出すなよ。
「そうですッ! これは
おい。その台詞は不味く無いか?
「さぁッ! 私と
言っちゃったよこの人。
危ない発言をしたフニルは、ボディービルのようなポージングを取った。
次の瞬間。
燕尾服の白いシャツがはじけ飛ぶ。
筋肉が肥大化し、細身だった身体はやがて筋骨隆々の偉丈夫へと姿を変える。
褐色の肌が、筋肉を岩の様に彩っていた。
「どうですか? これが私の本気の姿ですよ」
「……なぁローザ。ドワーフってあんなにデカいっけ?」
「いいえ。もっと小さいはずよ」
だよな。
それにしては、容貌魁偉すぎやしないか?
「その見識で間違いありませんよ、本来であればね? ですが私には、巨人族の血も流れているのですよ」
巨人族。
魔族でも随一の力自慢。
力が強い魔族は他にも居るが、巨人族はなんといってもその名の通り、身体が大きい。しかしその巨体の為、動きが緩慢であり、此方の攻撃が当てやすい。
だが、巨体故のタフさも兼ね備えている為、生半可な攻撃ではダメージは入らない。
でも、ハーフであるフニルは体の大きさは巨人族の約半分程度。
つまりは動きがその分早くなり、攻撃が当たりづらくなるという事。
さらには、ドワーフ族の手先の器用さも持ち合わせていると来た。
なるほど。本気というのも頷けるな。
「そしてこれが私の最高傑作の魔剣です」
と言ってフニルは掌を翳す。
「
翳した掌に蒼い炎が集う。
炎はやがて一つの形を成す。
現れたソレは、柱だった。
否。それは巨大な剣だった。
大剣。
肉厚な刃を持つ、二メートル以上ありそうな剣。
フニルはそれを片手で軽々と振るい、肩に担いだ。
「なッ!? その剣はお父様の……」
「えぇ。そうですッ! あなたのお父上、いえ歴代の魔王が扱ったとされる魔剣ですッ! ……まぁ、その模造ですがね」
模造とは言え、魔王の剣か。
まさかこんな所で、魔王の剣と勇者の剣がぶつかるなんて。
世の中、何があるか分からないな。
それでも俺は負ける訳には行かない。
俺の大切な人達を傷つけた報い。
しっかりと受けてもらうからな。
「……ローザ。俺が奴の動きを食い止める。だからローザはあの魔法、準備してくれ。そして俺が合図したら撃て。行けるな?」
「えぇ。任せなさい。もう一発お見舞いさせてあげるわ」
俺達はフニルを注視しながら、囁き合う。
「作戦会議は終わりましたか?」
「あぁ」
「えぇ」
「では、先手はそちらからどうぞ」
「言われなくてもッ!」
俺は一息で間合いを殺し、フニルへと聖剣を振り下ろした。
その巨躯からは想像もできない速さで、攻撃を弾くフニル。
「くっ!」
弾かれただけで俺の手や腕が、ビリビリと痺れる。
こんな力でもし攻撃を受けたら、一溜まりも無い。
返す刃が迫る。
俺は身体を反らして攻撃を凌いだ。
ぶぉッと風を切る音が至近で響く。
思わず怯みそうになるが、心を奮い立たせて果敢に懐に入る。
大剣は威力が高いが、それ故に長く大きく重い。
だから懐に入ってしまえば、大剣がもっとも威力が乗る速度で振るえず。
その力を十二分に発揮できない。
さらに長物は懐に入られると、上手く扱う事が出来ない。
つまりは、フニルは攻撃が出来ないのだ。
その証拠にフニルは、俺の攻撃に一方的に晒され――ては居なかった。
何とフニルは器用に大剣の角度を変え、その影に己の身を隠して攻撃を防いでいた。まるで大剣が盾になったかの様。
くそッ!
此方が優勢なはずなのに、逆に此方が追い詰められている様な感覚だ。
だがそれもここまで。
「ローザッ!」
俺は叫ぶ。
攻撃の合図を。
「――
竜が咆哮を上げる。
顎を開き、一直線に向かってくる。
俺は攻撃の手を止め、その場から離脱。
フニルは後ろを振り返った。
竜がその巨躯を飲み込む。
閃光。
空気が震え、衝撃波が周りの木々を揺らす。
煙が吹き散らされ、中からフニルが現れる。
無傷だった。
フニルは身体に付いた煤を手で払う。
「中々いい魔法でしたね。お陰で身体が温まりましたよ。感謝しないといけませんね。ローザディア王女殿下ッ!」
と言ってローザを標的にしたフニル。
一気に間合いを無くし、大剣を振り下ろす。
危ないッ!
だがローザは背中の翼を羽ばたかせ、
ローザの居た場所に大剣が叩き付けられた。
地面が小さく陥没し、その威力を物語る。
「――咲け、咲け、咲き誇れ。炎の徒花よ。散らせ、散らせ、舞い散らせ。中級魔法――
赤い魔法陣が展開し、高速で回転。
その中心から炎の弾丸がバラ撒かれる。
剣を振り下ろした体勢だったフニルは、空いた手で顔を庇う。
弾着。
炎弾が着弾する度に、幾つもの小さな爆発が巻き起こり、煙が敵の視界を覆う。
隙を付き、俺は背後から奇襲を仕掛ける。
聖剣の切っ先が、フニルの背中に突き刺さった。
しかし、それ以上聖剣が突き刺さらない。
これは。
まさか背中の筋肉で剣を挟み込んでいるのか?
白刃取りみたいに?
俺は引き抜こうとするが、ビクともしなかった。
「痛いですねぇ。それに背後から奇襲なんて、勇者らしくないです、よッ!」
「グハッ!?」
「ユウトッ!?」
フニルの後ろ蹴りを、まともに腹に喰らう。
だが、意地でも聖剣からは手を離さない。
お陰で聖剣が、フニルの背中から抜けた。
と同時に俺は大きく後方へと、吹き飛ばされる。
そのまま俺は、近くの木の幹に背中から激突した。
瞬間。
俺の首を太い指が掴む。
フニルだ。
フニルは指の力を強め、首を絞める。
「カハッ」
「ほら。どうしたんですか? 私を
「……はな……せ」
俺は聖剣を取り落とし、首を絞めている手を退けようと藻掻く。
両手で外そうとするも、まるで外れる様子は無い。
不味い……。
……意識が遠のいて。
身体に力が……入ら……な、く……。
「――
掠れる視界の中で、赤が煌めく。
「ぐぅッ!」
フニルが呻きを上げ、首が解放された。
地面に四つん這いになる。
「ゲホッ……ゲホッ……」
激しく咳込んで空気を取り入れようと、口が忙しなく動く。
「ユウトッ! 大丈夫ッ!」
「……な……なん……とか……な」
心配そうに覗き込むローザ。
俺は聖剣を拾い、ローザの肩を借りて立ち上がった。
ローザの右手には、魔剣が握られていた。
柄に赤い宝石が嵌めこまれ、鍔と刀身の間に少しの隙間が空いた長剣。
「……お前。魔剣を使えたのか?」
「えぇ。たった今ね?」
「……そうか」
俺のピンチで覚醒したのか?
そんなに俺の事を……。
いや、恐らく友人としてだろうな。
それでも十分嬉しいが。
「あぁッ! 私の右手がッ! 魔剣を作る大切な右手がッ! ……許しませんッ!! 貴方方は絶対にこの私がッ! 今ッ! 此処でッ! 殺すッ!!」
俺達から距離を取っていたフニルが叫ぶ。
その右手は切断されていた。
斬られたのだ。
ローザの魔剣で。
フニルは徐に、大剣の切っ先を自身の胸に向け。
勢いよく、突き刺した。
「グガァァァァァァッ!!」
絶叫が山に響き渡る。
これは。
親鳥の時と同じだ。
魔剣の暴走。
フニルはそれを起こした。
劫、とフニルの巨躯が蒼い炎に包まれる。
そして蒼い炎の塊は、空へと飛び上がった。
満月を覆いつくす程、その炎は大きさを膨張。
やがて炎は内側から、掃き散らされる。
満月を背に現れたのは。
一匹の巨大な竜だった。
漆黒の鱗に覆われた巨大な竜。
御伽噺に出てくる悪い竜。
黒竜は咆哮を上げる。
「――――ッ!!」
しかしその咆哮は。
祭りのメインイベントである花火によって打ち消され、その声を聴く者は俺達以外には居ない。
さらに竜の姿も、夜闇に溶け込む漆黒の鱗により、その姿を隠す。
黒竜は俺達を、憎しみの籠った瞳で睥睨する。
顎を閉じたまま、腹の底に響くような声が轟く。
『この姿にはなりたく無かったのですが。貴方方を、塵の一つも残さずに殺す為です。致し方ありませんね。……私の全身全霊で以って、貴方方を殺して差し上げますよッ!』
フニルは顎を開く。
口内に圧縮された蒼い炎が集う。
「……ローザ」
「……えぇ」
俺とローザはそれぞれ、手にした聖剣と魔剣を掲げた。
切っ先同士を互いに突き合わせる。
「俺達の全力。行くぞ」
「任せなさい」
魔力を聖剣に流し込む。
聖剣は光の渦を巻き、ローザの魔剣は燃え上がった。
フニルは叫ぶ。
『――
俺は叫ぶ。
「――
ローザは叫ぶ
「――
三者の声の叫びが重なった。
『
「「
フニルの圧縮された蒼い炎は、流星と化す。
俺が放った光の渦は、ローザの放った炎の龍を取り巻き、光の鱗となった。
天から堕ちる流星に、昇り龍はその顎で喰らい付く。
ぐんと俺達に、流星の重さが圧し掛かった。
足元の地面がひび割れ、クレーターが出来上がる。
それでも俺達は歯を食いしばり、決して膝は付かない。
『ハハハハハハッ! どうですッ! これが私の全力ですッ! たとえ貴方方が束になった所で、この私には敵いませんよッ!』
フニルの言う通り、俺達の龍は流星に押されていた。
さらにぐんと、重さが身体に圧し掛かる。
だが……。
「……そんなの」
「……やって見なきゃ」
「「
俺達の気合に龍が答える。
徐々にだが、確実に流星を押し返し始めた。
『くッ! 鬱陶しいんですよッ! 貴方達はッ!』
フニルが咆える。
呼応して流星が勢いを増す。
僅かな拮抗の末、龍が再び押し返される。
再び圧し掛かる重さ。
ローザが膝を付きそうになる。
俺は聖剣を持ち替え、空いた手でローザの腰を抱いて支えた。
此方を見上げたローザは。
「ありがとう」
と言った。
ローザの手が俺の腰に回される。
「でもね。ユウトだけに背負わせないわッ! アタシも一緒よッ!」
「……助かる」
そうだよな。俺達は一緒だ。
一緒にアイツをぶっ飛ばすんだ。
『それですよそれッ! 何故、下らない感情の為に他人に自分の命を捧げるんですッ! 間違っていますよそんなのッ!』
「確かに。間違っているかもな」
『だったらッ! 何故、その感情を捨てようとしないんですかッ!』
「そんなの――」
俺の言葉をローザが引き継ぐ。
「――そんなの決まっているじゃないッ! 感情を捨てたら、それはもう何も感じないって事でしょうッ!? そんなの……死んでいるのと何も変わらないじゃないッ!」
龍が押し返す。
そうだな。
ローザの言う通りだ。
フニルが反論する。
『それは違うッ! 感情を捨てれば、そんな思いを抱く事も無いんですよッ!』
流星が押し返す。
「そうね。……でもね? だからこそアタシは、この感情を決して捨てたりなんかしたくないわッ!」
『どうしてですかッ!』
代わりに俺が答えた。
「そんなの。――生きていたいからに決まってんだろうがッ! 感情が無ければ生を謳歌する事も死を恐れる事も出来ないッ! だったらそんなの糞くらえだッ! ……だから」
「「
龍が押し返す。
『……そうですか。なら私は……その感情を否定するッ!!』
流星が押し返す。
さらに押し返す。
もっと押し返す。
尚も押し返す。
骨が軋むほど、俺達に重さが圧し掛かる。
それでも俺達は諦める事はしない。
だから、力の限り叫んだ。
「「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」」
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