魔界王女と第四話
女の子が泣いている。
だが輪郭がぼやけていて、どんな顔をしているか分からなかった。
幼い姿の俺は、女の子を抱き締めて慰める。
女の子が笑う。
楽しそうに。嬉しそうに。
女の子が宣言する。
「ユウトッ! 大人になったらアタシと番になりなさいッ! 絶対なんだからねッ!」
***
懐かしい夢を見た気がする。
夢の内容までは思い出せないが、胸の奥で懐かしさが顔を覗かせていた。
その懐かしさを確かめようと手を伸ばすが、雲を掴むようでまるで手応えがない。
しばらくそうして布団で横になっていたが、諦めて身体を起こす。
寝間着からジャージに着替え、顔を洗い、コップ一杯の水を飲む。
履き慣れたランニングシューズの紐を結び、家を出た。
軒先で軽く準備運動をして、日課のランニングを始める。
昨日は前日に夜更かしをしたせいで起きれず、出来なかった。
それに目が覚めたら、ローザが居たんだっけ。
――ローザディア・ダークネスロード。魔王の娘。
全く。ローザが家に来るなら先に言ってくれよ、親父。
などと昨日の出来事を思い浮かべながら、足を動かす。
三十分ほどのランニングを終え、家に帰って来た俺はそのままの足で併設された道場に入る。
正座の状態で一礼。木刀を手にして立ち上がり、正眼に構える。
風切音を響かせ、型稽古を行う。
この型は勇者の一族である結城家に伝わる一子相伝の剣術、退魔一刀流のものだ。
型を一通り終え、一礼。
木刀を元の場所に戻した俺は、道場の真ん中に立つ。
右手を前に突き出し、目を瞑った。
魂を揺らめく炎とイメージし、その力を引き出す想像をする。
そして。
「……
開眼して
しかし、何も起こらない。
そう。俺は未だに聖剣を抜刀出来た事はない、落ちこぼれだ。
だけどそんな事はあまり気にしていない。
世界の裏で人と魔の戦争が終わって、平和になった今の世界には無用の長物だからだ。
それに聖剣が無くたってそれなりに戦える。
何より、俺は争いごとが嫌いだしな。
さてと。汗掻いたしシャワーでも浴びてスッキリするか。
道場を後にして、風呂場へと向かう。
脱衣所でジャージを脱ぎ、風呂場のドアを開けた。
「「……あ」」
目の前には髪を洗い終わったのか、自身の髪の余計な水分を手で絞っている、起伏の乏しい裸のローザが居た。
振り向くローザの、小ぶりな丘の頂上には小さな突起物。
水滴が肩甲骨から背中を伝い、尻の割れ目へと消えていく。
もう一度言うが、裸のローザが居た。
風呂に入っているんだから当たり前か。
いや、そうじゃ無くて。
この状況は不味い。
これでは俺が、覗きに来た変態になってしまう。
どうする? ここはどうすれば良い?
「……下僕。何か言い残すコトはあるかしら?」
「えっと……」
解かれたローザの深紅の髪がふわりと浮かび上がり、身体に滴っていた水滴が一瞬で蒸発。増大するローザの魔力に俺の肌が泡立つ。
まずいッ!? コイツ、魔法をぶっ放すつもりだッ!!
「その……」
ヤバイヤバイヤバイッ!? な、何か言うんだ俺の口ッ!!
「お、お前の胸。平たいな」
違う違うッ!! そうじゃ、そうじゃ無いッ!!
「……安心しなさい。死なない程度に焼き尽くしてあげるわ。――地獄に繋がれし邪竜よ。今、その枷を解き放たん。さぁ、この世全てを焼き払い、燃やし尽くし、灰燼と帰せ。上級魔法――
突き出された掌から、幾何学的な赤く輝いた魔法陣が浮かび上がる。
劫。と人を一人飲み込むほどの火球が出現。
それは瞬く間に姿を変え、竜の顎へと化す。
顎が開き、空気を燃焼する音が咆哮のように響く。
上級魔法ッ!? 手加減されてるとはいえ、あんなの食らったら一溜まりも無いぞッ!?
俺は瞬時に防御障壁を展開。
「ぐッ”!」
トラックと正面衝突したような衝撃が身体を伝い、思わず数歩後退りする。
ピシリ。
防御障壁にヒビが入った。
マズイッ! このままじゃ……ッ!
次々とひび割れていく音が耳朶を打つ。
即席の防御障壁じゃあここらが限界か。
そして破局は訪れる。
防御障壁が砕け散り、竜の顎が爆発。
直撃は避けられたが、爆発の衝撃までは防ぎきれずに身体が浮かび上がる。
吹き飛んだ俺は風呂場の壁をぶち破り、中庭に出た。
数度地面で受け身を取って転がり、両足を地面へ擦り付けて勢いを殺す。
身体が土と煤に塗れる。
「……ゲホッ……ゲホッ……。覗いたのは悪かったとは思うが、裸を見られたぐらいでここまでする奴がいるかッ!?」
「当り前じゃないッ! アタシは魔王の娘なのよ? アタシの裸には希少価値があるのよッ!」
確かに貧乳は希少価値でステータスだからな。
だからって上級魔法をぶっ放すか普通?
修復魔法で治せるとはいえ、とんだ暴力女だよ。
***
「――なぁ、機嫌直せって」
「ふんッ」
あの後壁の穴を修復魔法で治し、シャワーを浴び、朝食を食べ、ローザの服と日用品を買う為にバスに乗ってショッピングモールまで来た。
その間、ローザはほとんど口を利かなかった。
だけどそれは、俺にとって少し有難いこと。
初めてだったのだ。異性の裸を見るのは。
ローザを見る度にあの光景が脳裏をよぎって、話掛けずらかった。
男の俺とはまるで違う女の身体。華奢で丸みを帯びていて、柔らかそう。
て何考えてんだ俺。
あんな貧相な体に興奮するなんて俺はロリコンかよ。
いや違う。俺はナイスバディのお姉さんが好きなんだ。
決して、ロリコンなんかじゃあ無い。
頭を振り、煩悩を払う。
「……と、ここだな」
婦人服売り場に着く。
「じゃあ、俺はそこで待ってるから、適当に服を買ってこい」
「……アンタも来なさいよ下僕」
「いや、俺が行っても女の服の事はよく分からないし」
それに自分の服にだって拘ってないし。
今日着てるのも、カーキ色のチノパンに白いTシャツとグレーのパーカーという無難な服装だし。
「いいから来なさい。焼き尽くされたいの?」
「……分かったよ。行けばいいんだろ」
これ以上機嫌が下がったら、本当に焼き尽くされかねない。
婦人服売り場に入れば、周りには女性の客しかいなかった。
場違いな俺に向けて視線が刺さる。
まるで檻に入れられた猛獣の気分だな。
と此方に気付いた店員の女性が話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。わぁー可愛い彼女さんですねっ!」
「え? いや……」
「彼女さんに絶対この服似合いますよっ!」
店員は手近にある服を取り、見せてくる。
「あ、こっちも似合いそうっ!」
「あの……」
「可愛いっ! じゃあこっちはどう?」
彼女じゃないと言おうとするが、店員は楽しそうに服を選んでいた。
なんでローザは何も言わないんだと顔を見れば、耳まで真っ赤になっていた。
どうしてだ? そんなに俺の彼女と言われるのが嫌なら言えばいいのに。
「この服絶対似合いますよっ! 試着してみて下さいっ!」
「……(こくり)」
ローザは無言で頷き、店員に手を引かれて試着室まで連れて行かれる。
このままここに居ても、あれなので後に付いて行く。
程なくして試着室のカーテンが開き、ローザの姿が露わになった。
「……どう、かしら?」
「きゃーっ! 可愛いっ!」
「……ッ!」
そこには天使が居た。
赤い髪が映える、フリルの付いた白いワンピースを着た天使が。
「なによ。……何か言いなさいよ」
「……か、可愛いと思うぞ。うん」
「ッ!? バ、バカッ!!」
言ってローザはカーテンを勢いよく閉めた。
何で俺は今、罵倒されたんだ? 不味い事でも言ったか?
「良かったですね。彼氏さんに褒めてもらえて」
その後も様々な服を試着したローザを俺は、その都度褒めて行く。
店員や客に温かい目で見られ、俺が恥ずかしさで死にそうになった頃にようやく試着が終わる。
結局ローザは店員に勧められて試着した十着近い服を全て購入した。
俺は荷物持ちとして服が入った袋を持つ。
「……ふぅ。疲れた」
「……そうね」
婦人服売り場を出た俺たちは、ショッピングモール内に設置されたベンチで休んでいた。
「喉乾いたな。何か飲み物でも自販機で買ってくるか。ローザも要るか?」
「えぇ。甘いものが飲みたいわ」
「分かった。ちょっと行ってくる」
近くにある自販機に向かう。
俺は缶コーヒーで良いか。
ローザは甘いものが良いって言ってたっけ。
いちごオレで良いか。
購入した飲み物を手に、さっきのベンチに戻ると。
「――あれ? その制服この近くのだよね? 今一人なの?」
「だったらさ。お兄さんたちと遊ばない?」
「何でアンタたちと遊ばなきゃいけないのよ。お断りよ」
「えー良いじゃん。遊ぼうよ。ね?」
「そうそう。遊ぼうよー」
「聞こえなかったのかしら? お断りよ。さっさと失せなさい」
「……あ? なんだとこのアマッ!」
「……コイツ。舐めた口利きやがってッ!」
ローザとガラの悪い二人組の大学生ぐらいの男達が、言い合っていた。
険悪な空気になり、男の一人が手を上げそうになる。
俺は瞬時に間合いを詰め、横合いから男の振り上げた腕の手首を掴む。
「あー。女の子に手を上げるのは駄目だろ。お兄さん?」
「あん? 何だテメェ? 離しやがれッ!」
男は強引に手を振り解くと、こっちに殴りかかって来た。
拳を反らし、足を掛け、相手の勢いを利用して投げ飛ばす。
「か”は”ッ”!」
背中を打った男は、肺の空気を強制的に吐き出される。
「何しやがるッ! テメェッ!」
もう一人の男が殴りかかって来た。
寸前で躱し、相手の腕を取り、背中に回して極める。
「ぐう”ッ”!?」
「あのさ、俺は争いが嫌いなんだよ。まだ続けるのか?」
男の耳元にドスの効いた声で囁く。
「つ、続けないッ! だ、だから早く腕を離してくれぇッ!」
「……分かった」
男を解放する。たたらを踏んだ男は、未だ倒れていた男を起こして足早に去って行った。
「……ふぅ。大丈夫だったかローザ?」
「べ、別にアンタに助けられなくても良かったんだからねッ! ア、アレくらいアタシ一人でも平気なんだからッ!」
だろうな。家の壁に穴を空けるような暴力性を持っているもんな。
じゃあ何で俺はコイツを助けたんだ? それに気付いたら勝手に身体が動いていたし。うーん。分からない。……まぁ、いいか。
「……ほら。甘い飲み物だ」
「……あ、ありがと」
ローザにいちごオレを渡して隣に座る。
俺は缶コーヒーのプルタブを開け、口を付けた。
コーヒーの芳ばしい香りが、鼻を突き抜けていく。
ふと隣を見れば、缶を両手で持ってチビチビといちごオレを飲むローザの姿。
そうだよな。こうして黙ってれば美少女だもんな。そりゃあ話し掛けたくもなるか。でもコイツの中には獰猛な竜が住んでいる。
不用意に近付けば、火傷では済まされない。
そのことは、俺が身を持って知ってるからな。
「さてと。次は日用品を……ってもう昼か」
缶コーヒーを飲み干し、ショッピングモールにある時計を見れば十二時半を過ぎていた。
「昼飯、何にするかな」
「甘いもの飲んだから、しょぱいものを食べたくなって来たわ」
「しょっぱいものか……ならラーメンか」
「らーめん? なにそれ」
頭に? を浮かべて小首を傾げるローザ。
「あぁ、豚骨や魚介で作ったスープに小麦粉で出来た麺を入れて、ソレを啜って食べるんだよ」
「ふぅん。美味しそうね」
「美味いぞ」
なんたって世界に誇る日本食だからな。
***
ショッピングモールのフードコートに到着。
お昼時という事もあって客で溢れていた。
今日は休日の為、家族連れが多く見受けられる。
ファストフード、パスタ、ピザ、うどん、中華料理。
ハンバーグや丼物。いろんな料理を出す店が並んでいる。
いい匂いに食欲を刺激されつつ、目当てのラーメンを売っている店の前に着く。
「ここだな」
壁に張られたメニューを見れば、あっさり系からこってり系まで幅広い種類がある。さらにはトッピングも豊富だ。
どれにするか。うーん、ここはがっつり行きたいから豚骨にするか。
トッピングはチャーシューかな。
「ローザは何にするか決まったか?」
「えぇ」
食べたいモノが決まった俺達は、食券を買って店の店員に渡す。
引き換えに番号が掛かれた紙を渡される。
俺の番号は百六十二。ローザの番号は百六十三。
渡された紙を持って、空いている席に座る。
「で、ローザは何を頼んだんだ?」
「塩ラーメンよ。トッピングは野菜炒めね」
「しょっぱいものが食べたいからって塩かよ」
「何よ。文句でもあるの?」
「いーや、別に?」
と他愛無い話を交わすこと暫し。
俺とローザの番号が続けて呼ばれた。
席を立ち、取りに行く。
それぞれ、トレイに乗った注文したラーメンを持って席に戻る。
「良し。じゃあ食べるか」
「えぇ」
二人、手を合わせる。
「「いただきます」」
まずはスープを一口。
口に入れた瞬間。豚骨の濃厚なうま味が、舌の味蕾を殴り付けて来た。
美味い。
続いて箸で麺を掬い上げる。フーフーと息を吹き掛け、一気に啜っていく。
嚙み締めれば、麺の小麦と豚骨スープのうま味が混ざり合い、ハーモニーを奏でる。口の中が幸せだ。
と、これも忘れてはいけない。
俺はトッピングのチャーシューを、豚骨スープに一度沈めてから一口齧り付く。
じゅわぁとたんぱくな豚の油が口一杯に広がり、口の中が楽園と化す。
マジで美味い。
ふとローザの方を見れば、ちゅるちゅると麺を啜って頬に手を当ててメシの顔になっていた。
「んーッ! 美味しいわッ! こんな美味しいもの人間界にあるのねッ! アタシ気に入ったわッ!」
そうか。それは何よりだ。
こうして俺たちは暫くの間、至福のひと時を過ごす。
「……ご馳走様でした。ふぅー。美味かった」
「……ご馳走様でした。こんなに美味しいものがあるなら、もっと早くに教えなさいよ下僕」
「ふっ。そんなに気に入ったのか?」
「えぇ。毎日でも食べたいわ」
それは……。
「そんなに食べたら太るぞ」
「ウッ! それは不味いわね……」
ローザは俯き、自分の腹を擦った。
まぁ、ローザはもう少し身体に肉を付けた方が良いと思うけど。
特に胸とかな。
「ねぇ。今、アタシに対して失礼な事考えなかった?」
「……いや考えてないな」
「何よ、その間は」
金色の訝しんだ視線を寄越すローザ。
まさか。コイツ俺の心を読んだのか? いや無いな。サトリ系の魔族じゃあるまいし。
「と、そろそろ行くぞ。まだ日用品の買い出しが終わってないんだから」
「話を逸らしたわね」
何とか事の追求を躱した俺は、ローザと共にショッピングモールを周って日用品の買い出しを行う。
一通り買いたいモノが買えた俺達は、ショッピングモールの出入り口に向かって通りを歩いていた。
とローザが歩みを止める。
目の前には、たくさんのぬいぐるみが積み上げられたUFOキャッチャー。
透明なケースに両手を付き、ある一点を見つめるローザ。
金の瞳に映っていたのは、如何やら赤い蜥蜴のぬいぐるみだった。
「……かわいい……っ」
ドレイクン。この町のご当地キャラクターだ。そしてこのドレイクンには番のドラコがいるらしい。
にしても可愛いかコイツ? 首元には枷が嵌められ、その目はラリっていた。
とても可愛いとは思えない。むしろキモい。
「何だ? コイツが欲しいのか?」
「べ、別に欲しくなんてないわよッ! ただ見てるだけよッ!」
「……そうか」
口ではこう言っているが、その眼は物欲しそうにチラチラとドレイクンに向けられている。しょうがない、取ってやるか。裸を覗いたお詫びにな。
「何してるのよ下僕」
「別に? ただ取ろうとしてるだけだ」
俺はUFOキャッチャーに硬貨を入れて、レバーを操作する。
取り出し口に近い、ドレイクンに狙いを付けてアームを降下。
ドレイクンの足にアームを引っ掻けて釣り上げる。
アームが開いてドレイクンが取り出し口に落下した。
ドレイクンを手に取って、ローザに渡す。
「ほら。コイツはお前にやる」
「別にアタシは……」
「今朝のお詫びだ。これで機嫌を直してくれ」
「……そ、そう言う事なら受け取ってやってもいいわッ! ふんッ!」
ローザは引っ手繰るようにして、ドレイクンを受け取った。
ドレイクンをぎゅっと両手で胸に抱いて、にへらとだらしなく頬が緩んでいく。
「えへへ……」
どうやら、機嫌が直ってくれたようで良かった。
あれ? なんで俺は機嫌を直してくれた事に安堵してるんだ? ローザに嫌われたく無かったのか?
まさかな。
それに、この胸の高鳴りは一体……?
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