魔界王女と第八話


「ユウト。早く足を結びなさい」

「はいはい」

「はいは一回よ」

「……はい。結んだぞ」


 俺は赤いハチマキで、自分の左足とローザの右足をまとめて結ぶ。

 第五競技、二人三脚。 

 俺達の出番だ。


 結び終わった俺は、立ち上がるとローザの腰を抱く。

 布越しに伝わる体温、柔らかさ、そして華奢な身体。

 強く抱けば壊れてしまいそうだ。


「ひゃっ!? ちょっ、ちょっとッ!! どこ触ってんのよッ!!」

「どこって……。こうしないと一緒に走れないだろ? それに練習の時に散々触ってたじゃないか。いい加減慣れろよ」

「ユウトがいきなり触るからでしょッ! そ、それに何だか触り方がいやらしいのよッ!」

「そんな事無いだろ。ほら、ローザも早く俺の腰を抱けよ」

「わ、分かったわよッ! 抱けば良いんでしょ、抱けばッ!」


 と言ってローザは乱暴に俺の腰を抱いた。

 そうして俺達は、互いの体温を感じられるほど密着する。


 早鐘を打つ、自分の心臓の鼓動。

 ローザに聞こえやしないかと思いながらも、表面上は平静を装う。


「ほら、抱いたわよッ!」

「よ、よし。ローザ、まずは練習通りに結んでいないほうの足から出すぞ」

「わ、分かったわ」

「――位置に付いて、よーい」


 パンッと開始の合図が、鼓膜を揺らす。


「行くぞッ!」

「えぇッ!」

「「いちッ!」」


 俺達は声を合わせ、同時に結んでいないほうの足を出す。

 よし、良いぞ。だが問題は次だ。

 結んでいないほうは多少ズレてもカバー出来るが、結んである方の足はそうは行かない。


「「にッ!」」


 ローザの足が前に出過ぎて、俺の足がそれに釣られるような形になる。

 俺は慌てて足を合わせようとするが、逆に前に出てしまった。

 まずい。バランスが崩れるッ!


 結果、俺達はスタート二歩目で転倒してしまう。

 他の二人組達は二歩、三歩と転ぶこと無く足を運んでいく。


「痛ッ!」

「だ、大丈夫かローザ?」

「……大丈夫よ。それよりユウト、足を出すのが遅いのよ。全く……このままじゃあアタシ達最下位じゃないッ!」


 ローザが足を出すのが速いんだろう。と、喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

 これじゃあ喧嘩した時と同じだ。ここは冷静になって体勢を立て直すべきだ。


「悪かった。今度は遅れないようにするから。それにまだ最下位と決まった訳じゃないだろ? 俺達の練習の成果、見せようじゃないか」

「……そうよね、確かに。……良いわッ! アタシ達の力、見せてあげようじゃないッ!」

「応ッ!」


 俺達は決意新たに、一歩、二歩、三歩と足を進める。

 よし。今度は上手くいった。


「ローザ。俺達、上手く歩けてるぞ」

「えぇ。でもこのスピードじゃあ追いつけないわ。だからもっとスピード上げるわよッ!」

「分かったッ!」


 歩くほどの速度から徐々に早歩きに変わって行く。

 そのまま前を行く、二人組を追い抜いた。

 何だ? この感覚は。


 まるで、俺とローザが一つになったようだ。

 ローザの次の動作が、手に取る様に分かった。

 比翼の鳥みたいに片方が欠ければ、走れないという錯覚にさえ陥る。


 ローザと目が合う。

 目を見開き、驚いたような表情を浮かべていた。

 やがてアタシの口元が不敵に歪む。


 如何やら同じ気持ちのようだな。

 もっと、もっと。速く、疾く。

 走りたい。


 一つになったアタシは、早足から駆け足へと変わる。

 次々と前に居る二人組達を追い抜いていく。


 気が付けば先頭を走っていた。

 目に映るはゴールテープ。

 あぁ、この楽しい時間は終わりか。


 ――そしてゴールした。


「……一着は怒涛の勢いで駆け抜けた、結城&ダークネスロードペアッ!!」


 放送委員の実況の声に、一つになっていたアタシは二人へと戻る。


「ユウトッ! やったわよッ! アタシ達一着よッ!」

「ローザッ! やったぞッ! 俺達一着だッ!」


 テンションが上がった俺達は抱き合う。

 足が未だ結ばれているのも構わず、ぴょんぴょんと身体全体で嬉しさを現した。


 当然、俺達はバランスを崩す。


「きゃっ!」

「おわッ!」


 俺を下敷きに、跨るような恰好になるローザ。


「うぅ……」

「いてて。大丈夫か? ローザ……ん?」


 俺の両手は何やら弾力のあるものを掴んでいた。

 むにむにと揉んでみる。


 マシュマロとこんにゃくを足して二で割ったような、何とも言えない柔らかさ。

 これは尻か? じゃあ一体誰のだ? 俺の尻はもっと筋肉質で硬い。


 という事は……。


「んあっ。ちょッ! どこ触ってんのよッ! 変態ッ!」

「こ、これは不可抗力だってッ! ちょっ! 待てってッ! まだ足が結ばれたままだってッ!」

「わわっ!」


 立ち上がろうとしたローザは体勢を崩して、俺に覆い被さる。

 ローザは俺の頭の横に、壁ドンのように両手を地面に付く。

 互いの顔が息の掛かるほど近付くにあった。


 瑞々しそうな薄桃色の唇。紅潮していくローザの頬。

 揺れ動く金の瞳に映る、真っ赤な俺の顔。


 高鳴る心臓。近付く唇。閉じる瞼。


「――ッ!」


 ローザは勢いよく顔を離し、上体を起こす。

 ふいと顔を反らし、ローザは消え入るような声音でこう言った。


「…………は、早く解きなさいよ」

「…………わ、分かった」


 俺は上体を起こして、足元のハチマキを解く。


「ほ、解いたぞ」

「あ、ありがと」


 気まずい空気が漂う。


「……戻るか」

「……そうね」


 俺達は待機列に戻る。

 前を行くローザの小さな背中。


 さっきのは一体。まさか俺にキスをしようと?

 だとすればローザは俺の事を……。


 それにこの胸の高鳴り。俺はアイツの事をLoveではなくLikeなはずだ。

 だからこの胸の高鳴りは、きっと走ったせいに違いない。


 そう言う事にしよう。





 ***





 アタシは自分の唇に触れる。

 やばいやばいやばいッ!


 もうすぐでユウトとキ、キスするところだったッ!

 まだ、心臓が破裂しそうなほどドキドキしている。


 未遂でこんなになって、本当のキスをしたらどうなっちゃうのよ。

 それにキスのその先も……。


 て、アタシ一体何考えてるのよッ! そう言うのは、け、結婚してからよッ!

 アタシのバカバカバカッ!


 ……はぁー。アタシはこんなにユウトのことを想っているのに、何でアイツはアタシの事を思い出さないのよ。


 こうなったらアタシから言おうかしら? いや、駄目よ。お父様と約束したじゃない。アタシのことを、ユウトが自分で思い出すこと。

 それが、許嫁との婚約を無かったことにする条件なんだから。


 タイムリミットは十二月二十五日。アタシの十七回目の誕生日。

 その日までにユウトがアタシの事を思い出さなければ、アタシは許嫁と婚約を結ぶことになる。


 絶対にそんなのは嫌だ。


 だからユウト。


 早くアタシの事を。


 思い出してよ……。





 ***





 最終競技、リレー。

 各組の各学年から男女二名ずつ計四人、総勢十二人で行われる。

 体育祭の最後にふさわしい競技。


 紅組の二年である俺のクラスからは俺とローザ、サッカー部の男子と園芸部の女子が参加する。因みにローザはアンカーで俺はその前、第五走者だ。


 開始直前。各組は円陣を組む。

 紅組も例外ではなく、肩を抱き合い円陣を組んだ。

 三年生の先輩の男子が代表して、号令を掛ける。


「泣いても笑っても、これが最後の競技だ。今までの練習の成果を出し切って、がんばろう。紅組ーッ!」

「「最高ーッ!!」」

「紅組ーッ!!」

「「最強ーッ!!」」

「紅組~?」

「「優勝ーッ!!」」

「「「オーー!!」」」


 片足を上げ、強く地面を踏み鳴らす。

 円陣を解いたそれぞれの組は、二百メートルトラックの二つの開始地点に二グループずつに分かれる。


「ユウト。バトンタッチ、ミスするんじゃないわよ?」

「そっちこそミスするなよ?」


 俺とローザは、突き出した互いの拳を合わせる。


「それじゃあ頑張れよ、ローザ」

「えぇ。ユウトも頑張るのよ」


 拳を離し、背中を向けてそれぞれの開始地点へと向かう。


 第一走者が開始位置に付く。

 各組から二名ずつ出るが、これはそれぞれ別のチームで走る。

 つまり各組は、二つのチームから出来ているという事だ。


 そして俺とローザは同じチームであり、このチームの第一走者の開始位置は第六レーン。最も外側の、一番不利な位置だった。


「――位置に付いて。よーい」


 やがて最終競技の火蓋が。


「――」


 撃って落とされた。

 一斉にスタートした走者達は、有利な内側に入ろうとして団子状態になる。

 俺のチームの第一走者は、集団の後方に付いた。


 そのままカーブに差し掛かり、集団が縦長になっていく。

 再び直線に戻り、第二走者達はバトンを受け取る為に駆け足になる。

 次々にバトンが第二走者に渡されていき、俺のチームは五番目だった。


 だが、健闘した第二走者は二位でバトンを次に渡す。

 しかし第三走者で順位は再び五位に転落。


 続く第四走者は途中で転んでしまい、俺にバトンが渡る頃には最下位になってしまう。


 バトンを受け取った俺は、半周近く引き離された距離を全速力で駆け抜ける。

 ふと、俺は思った。何でこんなにも全力になっているんだ? 俺は優劣が付く争いが嫌いなのに。


 なのに。


 何故、こんなにも全力で走っている? ……あぁ、そうか。ローザか。ローザが居るから、ローザに勝って欲しいから。俺はこんなにも全力なのか。


 ローザの事を気に入っているから。……でも、一方で何かが違う気がする。何だ? この感じは?


 そのモヤモヤした感じを振り払うように、俺は脚を動かす。

 兎に角。今は走る事に集中しよう。


 俺は走った。ひたすらに走った。


 目の前を行く五位の走者の背中。俺は必死に喰らい付くも届かない。

 強化魔法を掛ければこんな距離。一瞬で詰められるのに。


 まぁ、そんなのはズルだよな。そんなんで勝っても、ローザはきっと喜んでくれないだろう。だから、走ろう。そのままの脚で。


 でも届かない。

 大きく距離を詰める事は出来たが、それでもまだ最下位だ。


 と視界にローザが入る。

 ローザはバトンを受け取る為、駆け足になった。


「ローザッ! 後は頼んだぞッ!」

「任せなさいッ!」


 バトンがローザの手に。


 渡った。


 グンとギアを上げ、ローザは駆ける。

 深紅のツインテ―ルが軌跡となり、彗星の様に尾を引く。


 いや違う。

 これは大空を駆け抜ける、赤い竜の靡く尾だ。

 他に並び立つものが居ない、自由に大空を飛ぶ竜。


 そんな風に飛べたら、どんなに気持ちいいか。


 竜は次々と他の鳥たちを追い抜き、先頭を走っていた鳥の喉笛に噛み付く。

 鳥は抜け出そうと藻掻くが、竜はお構いなしに喉笛を噛み千切った。


 つまりは――。


「――紅組が今、一着でゴールッ!!」


 ローザの勝ちだ。


 ローザは最下位から、怒涛の追い上げを見せて一着でゴールした。

 はは。凄いなローザは。


 リレーに参加した紅組の皆に、ローザはもみくちゃにされる。


 それを少し離れた位置で見ている俺。


 人垣の隙間から這い出て来たローザが、こっちに気が付く。


「ユウトッ! アタシやったわよッ!」


 と言って喜色を浮かべて駆け寄り、その勢いのまま俺に抱きついて来た。

 俺は三回回って勢いを殺す。


「とっ、そうだな。よくやったよ。ローザ」

「えへへ」


 抱きついたままローザは、花が咲いた様な笑みで見上げて来る。良かった。俺も頑張った甲斐があった。ローザのこんな可愛い笑顔を見れたんだから。


 とは言え、あまりの眩しさに俺は目を反らした。

 頬が熱を持つ。


 何だこの気持ちは。胸が締め付けられるようでいて、ポカポカと温かい。

 まさかこれは……。


 俺はそんな事無いと、頭を振る。


「? どうしたのユウト?」

「……いや」


 とそこで気付く。ローザがまだ俺に抱きついていることに。

 俺は努めて冷静に言う。


「あー。その、何時まで抱き締めてるんだ?」

「ッ! バカッ!」


 なんで俺は罵倒されたんだ?

 ローザは身体を離すと、そそくさとその場を去っていく。


 俺は頬に手を当てる。まだ熱かった。それに心臓の鼓動も早い。

 まさか、本当に俺は……。





 ――あ、因みに優勝したのは俺達の紅組です。





 ***





 体育祭が終わり、私は帰り道を一人で歩いていた。

 親指の爪を噛み、ブツブツと心の中で呪詛を吐く。


 許さない許さない許さないユルサナイ。

 結城くんとあんなに近付くなんてッ!!

 さらにはキ、キスまでしようとしてッ!!


 許さない。絶対に許さない。

 あんな奴、早く居なくなれば良いのに。


「あぁッ! その独りよがりな愛憎ッ! 何と浅ましく、醜く、卑しいッ!!」

「ッ!? だ、誰ですか貴方は」


 不意に現れた、褐色の肌を持った黒髪の男。

 男は恭しくお辞儀をする。


「申し遅れました。私は鍛冶師ドヴェルグのフニルと申します。以後お見知りおきを」

「はぁ。そうですか。それじゃあ失礼します」


 この男から得体の知れない薄気味悪さを感じ、私は早足に横を通り過ぎる。

 だが。気が付けば目の前には、フニルと名乗った男が居た。


「あぁッ! 待ってください。貴女には思いを寄せているお方が居るのでしょう?」

「ッ!」

「そしてそのお方を横取りしようとしている、泥棒猫には居なくなって欲しいと。違いますか?」

「それは……」


 そんなの居なくなって欲しいに決まっている。

 だって、結城くんは私だけのものなんだから。


 あの時、私を助けてくれた運命の相手なんだから。

 誰にも渡したくは無い。いや、渡してなるものか。


「そうでしょうッ! そうでしょうッ! 私ならその願い。叶えてあげられますよ?」


 こんな薄気味悪くて胡散臭い男が? 一体どうやって?


「こうするんですよ」


 そう言って男は、いつの間にか持っていた波打つ刀身のナイフを、私の胸に突き立てる。


「ッ!? ……?」


 予想していた痛みが無く、私は困惑する。

 目線を下に向ければ、刺さったままのナイフがそこにはあった。


「一体何を――」


 続きを言い終わる前に突然、全身を電撃に打たれた様な激痛が襲う。


「――がぁぁぁァァァッ!!」


 一体どれぐらいの間、激痛に襲われていたのか。

 私は気が付けば、膝を地面に付けて蹲っていた。

 いつの間にか、胸に刺さっていたナイフも消えている。


「ハァ……ハァ……い、一体何を……したん……ですか?」

「貴女の身体を鞘として、私が作った魔剣を納刀したんですよ」

「まけん?」

「そうです。魔剣です。今の貴女なら、その力を感じ取れるはずです」


 力。確かに身体の奥底から力が湧き上がってくる。

 これなら、私だけの結城くんを奪おうとする泥棒猫を……。


「あぁ。ですがまだ、あなたの身体に魔剣が馴染んでいませんので、馴染むまでは魔剣の力を使わない様にお願いします」

「どれぐらいで馴染むんですか?」

「そうですねぇ。だいたい二か月ぐらいですかね」

「ずいぶん長いですね」

「えぇ。人間が魔剣を使うには、時間が必要なんですよ。……では私はそろそろ失礼いたします。ぜひその魔剣で貴女の願い、叶えて下さい」

「……はい」

「それでは」


 そう言って男は踵を返して去っていく。

 といきなり突風が吹き、私は顔を腕で覆う。

 風が止んで腕を下ろせば、既に男の姿は何処にも無かった。


 私は胸に手を当てる。


「……待っててね。結城くん。……泥棒猫は私が……」

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