魔界王女と第六話
「……はぁー。何やってんだろアタシ」
深い溜息を吐く。
アイツと喧嘩をしたアタシは、あの後体操服姿のまま学校から帰って、そのままの足でここにやって来た。
両脚を抱え、膝に顎を乗せる。
アタシは今、公園にある大きな竜の滑り台の尻尾の先端に居た。
ここはアイツと幼い頃に遊んだ場所だ。
アイツと喧嘩して逃げ込む場所がここって。
つくづくアタシって一途よね。
だというのにアイツは。
アタシの事を覚えていない所か、アタシの事を暴力女って呼んでッ!
大体アイツがアタシの下着を覗いたり、裸を見るのがいけないんでしょッ!
そんな奴を下僕って呼んで何が悪いのよ。
……あ。
そう言えば裸で思い出したけど。
決してムキムキというわけでは無いけれど、しなやかで力強い。
見た目ではなく実用性を重視した身体。
それにアイツの大事な所も……。
「……っ!」
な、何考えてるのよアタシッ!!
思わず邪な事を考えてしまい、顔が火照る。
深紅のツインテ―ルを揺らし、煩悩を振り払う。
「あれあれ~? キミ、一人でどうしたの~?」
「おいアレ。この近くの高校の
「ほんとダ。エロいナ」
と下世話に声を掛けてくる、三人組の魔族のオス。
こういう所は魔族も人間も変わらないわね。
アタシは嫌悪感を全面に出した声音で、言葉を吐き出す。
「話し掛けないでくれるかしら? アンタ達みたいな、盛りの付いた犬なんかと一緒に居たくないわ」
「……へ~、キミ。生意気だね~」
「おー怖い怖い」
「へへへっ。じゅるり。分からせ甲斐があるナ」
と言うなり間延びした口調の男が、アタシの髪を掴んで引っ張る。
引っ張られた痛みに思わず、立ち上がった。
「痛ッ!」
「これから、どんな声で鳴くか楽しみだね~」
「離しなさいよッ! その汚らしい手でアタシの髪に触れないでよッ!」
アタシは男の手を叩いて振り払う。
「痛いなぁ~。……どうやらキミには、お仕置きが必要なようだね~」
男がそう言い、片手を上げたかと思うとアタシの頬を叩いた。
「ッ!?」
お父様にも叩かれた事無いのに。
「何すんのよッ! ――ッ!?」
今度は反対の頬を叩かれた。
痛みで目尻に涙を湛えながら、男を睨み付ける。
「いいね~その顔~。お仕置き甲斐があるよ~」
「――退きやがれッ!! この下衆野郎ッ!!」
「「「「ッ!?」」」」
***
ローザの所に魔力反応が三つ増えた。
不味いな。魔族か。
まぁ。ローザなら何とかしそうだが、急ぐに超した事は無い。
俺は足に力を籠めてママチャリのペダルを踏み、立ち漕ぎする。
暫くして、たつのこ公園の入り口が見えてくる。
入口の奥。大きな竜の滑り台の尻尾。
街灯に照らされたローザと、それを取り囲む三人の魔族。
内一人はローザの深紅の髪を引っ張っていた。
ローザはその男の手を振り払う。
振り払われた男はローザの頬を叩いた。
今度は反対側を叩く。
ローザの目尻には涙らしきものがあり、街灯の光を反射している。
瞬間。俺の中のナニカが湧き上がり、身体を突き動かす。
「――退きやがれッ!! この下衆野郎ッ!!」
「「「「ッ!?」」」」
ローザと三人の魔族の男が同時に振り向く。
俺は魔族の男達に、ママチャリごと突っ込む。
しかし魔族の男達は、人間離れした身体能力でその場から大きく距離を取った。
ママチャリを進行方向に対して真横にして、横滑りしながら急制動を掛ける。
砂埃が舞う中、停止したママチャリのスタンドを足で降ろす。
「ローザッ!? 大丈夫かッ!?」
「……へ、平気よ……ッ」
ローザに駆け寄り、声を掛ける。
その両頬は赤くなっていた。
「……そうか。なぁアンタら。女の子に手を上げちゃあ駄目って、教わらなかったのか?」
俺は両手の拳を握り締め、男達を睨み付けた。
「ん~。教わらなかったな~。だって女は男の玩具でしょ~?」
「アニキの言う通りだぜ」
「うんウン。女は玩具なんダナ」
「……よく分かった。アンタらが下衆野郎だって事がな。……争いは嫌いだが、一発殴らせろ」
女の子を玩具扱いするコイツらの事を、俺は許せなかった。
ローザに暴力を振るった事が、俺は許せなかった。
俺は両手を組んで、指の骨を鳴らす。
「へ~、人間風情がね~」
「キキキッ。三人に勝てる訳ないだろ」
「無謀なんダナ」
確かにそうかもな。なんせ夜は魔族の力が増す時間帯だからな。
その魔族が三人。しかも俺は数える位にしか、実戦経験を積んでいない。
おまけに未だに聖剣を扱えないと来た。
だからって、ここでローザを見捨てて逃げるなんて選択肢は端から無い。
ローザとまだ仲直りしてないしな。
それに……。
「やって見なきゃ分からないだろう?」
俺は腰を軽く落とし、手招きした。
「キーッ! 二度とその口を聞けなくしてやるぜッ!」
猿顔の男が見る見るうちに、文字通りの猿顔になる。
さらに上半身の服が弾け飛び、茶色い毛に覆われた筋骨隆々の上半身が露わになった。尻からは、短毛の細長い尻尾を揺らしている。
次の瞬間。猿男は飛び掛かって来た。
頭上で両手を組んで掲げていた両腕を、俺に向けて振り下ろす。
俺はその攻撃を十分引き付けてから、後ろにステップを踏んで躱す。
寸前までいた地面が陥没し、砂埃が噴煙のように上がって視界が遮られる。
と砂埃の中から拳が飛んできた。
紙一重で身を捻り、前進しながら避ける。
懐に潜り込んだ俺は、前進の勢いを乗せた肘打ちを鳩尾に突き刺す。
「ガハ”ッ”!」
猿男は苦悶の声を吐き出し、後ろにたたらを踏む。
俺は肉薄して、痛みで下がった猿男の顎を掌底で突き上げて仰け反らせる。
その顎先に、ハイキックを浴びせて脳を揺らす。
意識を吹き飛ばされた猿男は、どう、と地面に仰向けに倒れた。
猿男の身体が人間へと戻る。
「……ふぅ」
よし。まずは一人目。
意外と戦えているな俺。
さて、次の相手は……。
「ッ!?」
俺が慢心して油断した隙に、いつの間にか接近していた巨躯の男に突進され、押し倒される。
「ブヒヒッ! 捕まえたんダナ」
「くッ!」
馬乗りして来た男の顔は豚の頭になっていた。
抜け出そうと藻掻くが、豚男の巨躯に押しつぶされてそれは叶わない。
「その顔、グチャグチャにするんダナ」
豚男は腕を引き絞ると、張り手を繰り出してきた。
「ぐっ”!」
俺は咄嗟に両腕で顔をガード。
あまりの威力に両腕がびりびりと痺れる。
痺れが収まらない内に、再び張り手の衝撃が両腕を襲う。
「い”ッ”!」
マズイッ! このままじゃッ!
身体強化の魔法を掛けてあるとはいえ、何時まで持つか。
クソッ! どうする? 逃げ出そうにも、身体が拘束されたままじゃ無理だ。
畜生ッ! こんな時に聖剣があれば……ッ!
無いもの強請りをしたところで、聖剣が使えるようになる筈も無く。
只々、時間だけが過ぎていった。
……詰みか。
こんなところで俺は死ぬのか。
泣いている女の子一人守れずに。
「――諦めるんじゃないわよッ!! 燃え上がりて撃ち穿て。初級魔法――
ローザの声が聞こえ、次いで豚男の顔面に火の弾丸が直撃。
顔が燃え上がり、両手で火を消そうと必死になる豚男。
諦めるな、か。
ははっ。泣いている女の子に活を入れられるなんてな。
そうだよな。こんなところで諦める訳には行かないよなッ!!
ローザの魔法のお陰で、豚男の拘束が緩む。
その隙を付いて俺は下半身を引き抜き、膝を身体に引き付けた。
解放。
伸ばされた脚は、豚男の火傷で爛れた顔面を蹴り上げる。
「ブゴッ”!」
俺は蹴りの勢いを利用して立ち上がった。
吹き飛ばされた豚男は弧を描き、地面に落下。
白目をむいて気絶した豚男の頭が元に戻っていく。
まさかローザに助けられるなんて。不甲斐ないが礼を言っておかないとな。
「……ッ!? ローザッ!!」
「え?」
「動かないでね~。動いたらどうなるか分かるよね~?」
ローザの背後から最後の一人になった男が現れて、白く細いローザの首筋に血のナイフを突きつけていた。
コイツ……吸血鬼かッ!
「クソッ!!」
「キミ。人間のくせに中々やるね~。どうかな? この僕の下僕にならない? そうしたらこの玩具を返しても良いよ~。まぁ、僕が楽しんだ後だけどね~」
吸血鬼の男は、自身の金髪を掻き上げてそう宣う。
「誰がお前なんかの下僕になるかよ。下衆野郎」
「へーそんなこと言って良いの~? この子を返して欲しいんじゃないの~?」
いちいち癪に障る喋り方だな……。
にしても返して欲しい、か。そんなの当たり前だ。
何だかんだ言って、俺はコイツの事が気に入っているらしいからな。
だけど少しでも動けば、ローザの身が危ない。
どうする? 何か策はないか?
「――ねぇ、アタシ抜きで何を話してるのかしら?」
とそれまで黙っていたローザが口を開いた。
声音には余裕すら感じられる。
「うるさいよ~。人質は黙っててね~」
「誰が人質ですって?」
「ん~?」
瞬間。ローザの纏っていた雰囲気が変わった。
「いいわ。なら教えてあげる。アタシが誰かってコトをね」
「ッ!?」
風が無いのに深紅のツインテールが靡き、ローザの内から膨大な魔力が溢れ出て、赤く可視化される。
余波で近くに居た吸血鬼の男の腕が、燃え上がった。
吸血鬼の男は大きく距離を取り、燃え上がった腕を血のナイフで切断。
切断された腕は激しく燃え、やがて消し炭になり灰燼に帰す。
ローザから溢れ出る赤く可視化された魔力は、その姿を炎へと変えてローザを包み込む。炎が渦を巻き、燃焼された空気が竜の咆哮を上げた。
離れた場所に居る俺の元にも、炎の熱量が伝わってくる。
とローザの纏う炎が一際大きく燃え上がったかと思ったら、ロウソクの火を消すみたいにふっと消えた。
側頭部から生える二対の黒角。短く尖った耳。背中から羽ばたく竜の翼。そして尻から伸びる竜の尾は、優雅に揺蕩う。閉じられていた瞼が開き、顕れた金の瞳。瞳孔は縦に割れ、吊り上がった目尻には朱が差す。
その身体を覆うのは、大胆に背中が開いた燃えるような深紅のドレス。
ザッと地面を踏みしめるは、赤のヒール。
手で払い靡いた深紅の髪は、火の粉が舞い散る。
「――刮目しなさいッ!! アタシの名前はローザディア・ダークネスロードッ!! 魔界を統べる王、魔王の娘よッ!! そしてコイツはアタシの下僕よッ!! アンタなんかにやらないわッ!!」
魔族としての本来の姿が、そこには在った。
……あと、ローザの下僕になった覚えは無い。
「な、なんでこんな所に魔王の娘が……」
吸血鬼の男は声を震わせ、一歩後退る。
「そんな事、アンタが知る必要はないわ。だって今からアンタを焼き尽くすんだから」
「ヒッ!?」
腰を抜かした吸血鬼の男は、無様に地面を這い蹲る。
「――地獄に繋がれし邪竜よ。今その枷を解き放たん。さぁ、この世全てを焼き尽くし、燃やし尽くし、灰燼と帰せ。上級魔法、
翳したローザの掌から赤い魔法陣が浮かび、人一人を飲み込む火球が出現。
瞬く間に竜の顎へと姿を変え、空気を燃焼する音が咆哮となる。
「や、やめ――」
口を開きかけた吸血鬼の男は、しかし最後まで言葉を紡げずに竜の顎に飲み込まれた。
閃光。
爆発。
煙が晴れ、未だ原型を留めている吸血鬼の男が現れる。
これ、死んで無いよな。
俺は堪らずローザに声を掛けた。
「お、おい……」
「殺してはいないわ。表面を焼いただけよ。所謂レアってやつね」
ステーキじゃないんだから……。
「それにコイツは吸血鬼だから、この程度じゃあ死なないわよ。アンタも知ってるでしょ?」
「……まぁ」
手足を切断されたとしても元通りに再生し、たとえ頭を切り離されたとしても、生きていられる。それが吸血鬼という、魔族の中でも一番しぶとい種族だ。
とは言えビジュアル的には焼死体にしか見えない。
「……そういえばさ。さっき俺の事、下僕ってまた呼んだだろ?」
「な、何よッ! 下僕を下僕って呼んで何が悪いのよッ!?」
ローザが睨みつけてくる。
そうだな。
「いや、別に構わないよ」
「え?」
口をぽかーんと開けるローザ。
「どうやら俺は、ローザの事が気に入っているらしい。だから別に下僕と呼んでも構わない。……でも。仮にとは言え、一緒に暮らしてるんだ。どうせなら対等な関係でいたいだろ? だから俺の事は名前で呼んでくれると嬉しい。それにもう、ローザの事を暴力女だなんて呼ばないからさ」
照れ隠しに頬を搔き、自分の心の内を吐露する俺。
「ッ!? ……何よ……アタシの事――癖に」
「ん? 何か言ったか?」
俺に背中を向け、何やらごにょごにょと口にするローザ。
何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
「ふんッ! 別に?」
鼻息を鳴らし、こちらに振り返る。
「ま、まぁ? アンタがそこまで言うのなら? アンタの事を名前で呼んであげても? べ、別に良いわよ?」
「本当か? なら早速呼んでみてくれ」
「……ゆっ、ゆゆゆゆゆゆ」
「ゆ?」
ローザは壊れたラジオの様に、同じ言葉を繰り返す。
恥ずかしいのか、ローザの顔がどんどん赤くなっていく。
「……ゆっ、ユウト……ッ」
「んー? 聞こえないなー?」
「ユ、ユウトって言ってんでしょうッ!! バカッ!!」
ユウトか。
思わず揶揄ってしまったが、名前を呼ばれて何だかソワソワする。
決して嫌な感じではなく、寧ろ心地がいい。
それに何だか、ローザに罵倒されるのが癖になって来た気がする。
決して俺はマゾヒストではないはずだが。
あぁ、やっぱり俺はローザの事が気に入っているらしい。
これは恋とはまた別の好きだと思う。
「あー、その、何だ。……改めてこれからよろしくな。ローザ」
俺は手を差し出す。
「何よ急に改まっちゃって。……でもまぁ。アタシからもよろしくお願いするわ。……ユウト」
ぎこちなく俺の手を握るローザ。
細く小さいその手は柔らかく、陽の光の様に温かった。
手を離す。
ローザの温もりが、残滓となって掌に残る。
「……そう言えば。何時までその姿でいるんだ?」
人間界でその姿は目立ちすぎる。
「? あぁ、そうだったわね。今、戻すわ」
言ってローザの身体が炎に包まれ、瞬時に消えると人間の姿に戻っていた。
だが、そう。
街灯に照らされたローザは、一糸纏わぬ裸体だった。
思わず直視しそうになるも、慌てて後ろを向く。
俺は上着の黒いパーカーを脱ぐと、後ろを向いたままローザに突き出す。
「コレを着てくれ。今すぐにだ」
「どうしてよ」
「自分の姿を見て見ろ」
「? ……ッ!?」
上着が引っ手繰られる。
「何見てんのよッ! バカバカバカッ!?」
ポカポカと控えめに俺の背中を叩くローザ。
「悪かったって。でもしょうがないだろ? 人間に戻ったら裸になるとか聞いていないし……」
「バカバカバカ……もう、ユウトに二回も裸を見られたじゃない……」
「でもローザも俺の裸を見てるし……。何ならもう一回見るか? そうすればお互いにプラマイゼロだろ?」
「ッ!? バカッ!! 変態ッ!!」
こうして喧嘩した俺たちは仲直り? を果たしたのだった。
因みに三人の魔族の男は、俺が退魔局という対魔族秘匿機関に連絡を入れ、駆け付けた職員に身柄を引き渡した。
その後、彼らがどうなったかは知らない。
***
「――結城くんは私のものなのに……ユルサナイ」
木陰から、二人を見ている少女が一人。
その瞳は暗く昏く、深淵の様に黒かった。
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