魔界王女と第二十話


 俺は目の前にある、封筒を握り締める。

 蹲ったままの姿勢で、その握った拳を玄関の床に叩き付けた。


 何度も何度も。


「クソッ! クソッ! クソッ!!」


 ローザが結婚する? ふざけるなよッ!

 俺のこの思いはどうなるんだよッ!!


「……お、おい大丈夫かよ優人?」

「……大丈夫? 結城くん?」


 蹲る俺に牙央と親鳥の二人が、心配そうに声を掛けて来る。

 言葉が漏れた。


「……帰ってくれ」

「でもよ……」

「……結城くん」


 感情がグチャグチャになっていた俺は、乱暴に吐き捨てる。


「いいから帰ってくれッ!! ……今は一人になりたいんだ」

「……分かった。行こう姫奈」

「う、うん……」


 二人は一旦リビングに私物を取りに戻る。

 再び玄関に戻って来た二人は、自分の靴を履いて遣戸を開けた。


 とそこで、二人が未だに蹲っていた俺に言う。


「……優人。今日はありがとうな。……その、何だ。困ったことがあればいつでも連絡しろよ? いいな?」

「……」

「そうだよ結城くん。私たちは、何時でもあなた達の味方だからね?」

「……」


 お邪魔しましたと二人は言い、遣戸を閉めた。


 俺はフラフラと立ち上がる。

 軋む廊下を幽鬼のように進んでリビングへ。


 ちゃぶ台の上には、ローザがクリスマスプレゼントにくれた黒い毛糸の手袋。

 握り締めてしわくちゃになった白い封筒を、ポケットに仕舞い。 

 手袋を手に取った。


 両手に嵌める。


 暖かかった。


 でも。


 ローザはもう居ない。

 魔界へと帰ってしまった。


 許嫁と結婚する為に。

 俺以外の男の元に。

 行ってしまった。


 だけど、ローザは俺の事が好きとも言っていた。

 本当に? だとしたら両想いだったのか。


 それにローザはこうも言っていた。

 こうなったのも全部俺の所為だと。

 俺がローザの事を、思い出さなかったからだと。


 ローザの事を思い出す?

 何をだ? 今までのローザとの思い出?


 それなら一つも忘れていない。


 じゃあ一体何を思い出せば良いんだ?


 クソッ! 分からない。

 何を思い出せば良いのかさえ分からない。


 俺は思考の坩堝に嵌まり、気が付けば寝落ちしていた。





 ***





「……う……ん? ……あ」


 目を醒ます。

 時計を見れば十時を過ぎていた。


 もう朝か。

 随分と寝坊したな。


 それにちゃぶ台を枕にして眠った所為か、身体が痛い。


 まぁ、今日は日曜だから良かったけど。

 あぁ、そうだ。

 ローザを起こさないと。


 アイツ、俺が起こさないと何時までも眠っているからな。


 眼を擦る。

 ん? そう言えばローザから貰った手袋をしたままだったな。

 手袋を外す。


 痛む身体を解そうと背伸びをして、漏れる欠伸。

 眠気を飛ばした俺は立ち上がる。


 俺はローザの部屋に向かう。


 と襖が開けっ放しだった。


「全く。不用心だな。……おーい、ローザ。起きろ。朝だ……ぞ……」


 部屋の中にローザは居なかった。

 ……そうだよな。

 夢なんかじゃ無いよな。


 これが夢ならば、どれほど良かった事かと思う。

 でも現実にローザは居ない。

 ローザは許嫁との結婚の為、魔界に帰った。


 その瞳を涙で濡らしながら。


 俺はローザの部屋に足を踏み入れようとする。

 と足先に何かが触れた。


 視線を落とすと、そこにはローザにあげたマフラーが。


 マフラーを拾い。

 ぎゅっと強く握り締める。


 泣いている女の子を俺は救えなかった。

 好きな人の涙を拭いてやることも出来なかった。

 これじゃあ、勇者失格だな。


 それにしてもローザの部屋、散らかっているな。

 自分の部屋は自分で掃除するとか言っていたが。

 なんだよ、全然掃除出来て無いじゃないか。


 主夫心が働いた俺は、少しだけでも綺麗にしようと手始めに、畳に落ちていた服を拾う。


「……これは」


 拾った服を広げる。

 フリルの付いた、白いワンピースだった。

 確か、ローザが服を持ってなくてデパートに買いに行った時の奴だっけ?


 この服を着たローザ。

 可愛かったなぁ。


 ん? あそこに転がっているのはドレイクンのぬいぐるみか?

 隣は夏祭りの時に、射的で俺が取ってローザにあげたクマのぬいぐるみ?


 机の上にあるのは俺が文化祭の時にあげた、手作りのネックレス?


 ローザの部屋を見回す。

 目に入るどれもが、俺があげた物で溢れていた。


 そっか。

 そうだよな。

 ローザ、魔界から私物を一切持って来なかったもんな。


 当たり前か。


 にしても。


「……もう少し丁寧に扱えよ」


 俺があげた物だぞ。

 俺が……。


「……ッ!」


 瞬間。

 ローザとの思い出が、走馬灯の様に頭を駆け巡る。


 居ても立っても居られなくなった俺。

 手に持っていた、マフラーとワンピースを綺麗に畳んで机に置くと。


 ――駆け出す。


 ローザとの思い出の場所へと向かって。





 ***





 ――まず最初に向かったのはデパートだった。

 婦人服売り場に向かう。

 この場所で白いワンピースを買ったんだっけか。


 それで疲れた俺達は、ここのベンチで休んだっけ。

 で、俺が飲み物を買いに行って、戻ってきたら一人だったローザが二人の男に絡まれていた。


 だけど気が付いたら俺が助けに入っていて、ローザは無事で済んだんだよな。

 あの時は何で、身体が勝手に動いたかよく分からなかったが。

 今なら分かる。


 俺がローザに惹かれていたからだ。

 ただ、当時はまだそれが恋心だと気付いていなかっただけ。


 そして昼時になって、ここのフードコートでラーメンを食べたんだよな。

 俺は豚骨でローザが塩。


 ラーメンを気に入ったローザは毎日でも食べたいって言って、俺がそれじゃあ太るぞって言ったっけ。


 あの時は焦ったなぁ。

 俺が内心でローザの胸はもう少し脂肪がついても良い。とか考えていたら、ローザに何か失礼な事を考えているんじゃないかと勘繰られた。


 本当。ローザがサトリ系の魔族じゃ無くて良かったよ。

 だが今ではローザのあの小ぶりな胸も、良いと思っている。


 で、最後に買い出しを終えてデパートの出入り口に向かってたら。

 ローザがドレイクンのぬいぐるみを、欲しそうに見つめていたんだよな。


 俺が取ってあげたら、嬉しそうにしてたっけ。

 あの時の笑顔は今でも忘れていない。


 ――次に俺は、夏祭りが行われていた大通りに向かった。


 射的の景品だったクマのぬいぐるみをローザにあげたり。

 ローザが両手どころか口にも食べ物を持っていたり。


 あの時は楽しかったなぁ。

 それにローザの浴衣姿。


 いつもとは違った格好だからか、妙に魅力的だった。

 ……でも。


 楽しいひと時は、唐突に終わりを迎える。

 魔剣を手に入れた親鳥がローザを攫ったのだ。


 俺は急いで後を追い、廃ビルの四階で二人を見つけた。

 実は親鳥は俺の事が好きで、その思いを魔剣によって歪められ、ローザを殺すことでその思いを叶えようとしていたのだ。


 だが俺は親鳥の好きを否定して、ローザが好きだと己の気持ちを暴露する。

 それにより親鳥は、ローザを殺すことから俺と心中して願いを叶えようとした。


 だが牙央がそれを止め、己の気持ちを親鳥に伝えたんだ。

 お前の事が好きだと。


 そして感情がグチャグチャになった親鳥は、魔剣を暴走させる。

 何やかんやで俺は聖剣でその魔剣を壊し、親鳥を呪縛から解放。


 でも。

 安堵したのも束の間。

 親鳥に魔剣を渡した黒幕の男が現れたのだ。


 ――鍛冶師ドヴェルグのフニル。


 人間界からも魔界からも、指名手配される極悪の犯罪者。

 とてつも無く手強かった。


 なんせ最後には黒い竜になったんだからな。

 だが、俺とローザが力を合わせて何とか倒すことが出来た。


 あの時は、みんな死んじゃうんじゃ無いかと思って怖かった。

 本当にみんな無事で良かった。


 本当に。

 ローザが無事で。


 ――次に俺が向かったのは、たつのこ公園だ。


 放課後、体育祭の二人三脚の練習中に俺とローザは喧嘩をした。

 練習が上手くいかず、その苛立ちをぶつけてしまった。


 俺の事は下僕と呼ぶなと。

 じゃないとローザの事を暴力女って呼ぶぞと。


 俺と喧嘩別れしたローザは、この公園で三人の魔族の男に絡まれていた。

 一人の魔族の男がローザにビンタしている所を見た俺は、身体が勝手に動いていた。


 そしてそこで、ローザの魔族としての姿を目にする。

 黒い角に羽ばたく竜の翼。揺蕩う竜の尾。


 全身を包む赤のドレス。


 傲岸不遜なローザを体現したかのような姿。

 ……だが。


 人間の姿に戻たローザは。

 素っ裸だった。


 まぁ、そんな少し抜けた所もローザの魅力ではあるが。


 ローザの裸か。

 この時は、ローザの裸を見るのは二回目か。

 と言いつつ、これ以降はローザの裸を見た事無いけどな。


 でも一回目の時は二回目の時より、もろにローザの裸を見てしまった。


 此方に振り向くローザの、小ぶりな丘の頂点には小さい突起物。

 水滴が肩甲骨から背中に流れ、尻の割れ目に消えていく。


 て、こんな時に何考えているんだ俺はッ!?

  

 頭に浮かぶ煩悩を追い払う為、俺は両頬を叩く。


「痛ッ!」


 頬の痛みのお陰で、頭がスッキリとした。


 だけれど。

 こんなにも俺の心を揺さぶるローザは。


 もう居ない。


「……わッ!?」


 ベンチに座る俺の少し離れた所。

 走って来た幼い女の子が派手に転んだ。


 身体を起こした女の子はその場に座り込む。


「……うぅ……痛いよぉ……うぅ……うわぁぁぁぁぁぁんッ!!」


 そして泣いた。

 俺はその女の子を助けようと、腰を浮かすも。


 如何やらその心配はいらない様だった。


 と言うのも、後から同い年くらいの男の子が女の子の元に、駆け寄って来たからだ。俺は浮かした腰を戻す。


 男の子は女の子を抱き締める。何やら耳元で声を掛けながら。

 女の子は、抱き締められて安心したのか泣き止んだ。


 やるじゃないか少年。

 たとえ世界を救えなくても君は、目の前の女の子を救った勇者だよ。


 それに引き替え俺は……。


 ……ん? 何だこの感覚は。

 この光景、前にも何処かで……?





 ***





 ――幼い少年は逃げ出す。

 無理もない。


 この年頃は遊び盛りであり、厳しく辛い修行をほっぽり出すのは当たり前だろう。


 少年は勇者だった。

 正確には勇者の末裔の一族に生まれた、次期勇者ではあるが。


 その日、少年は当代の勇者である父親の扱きに嫌気がさし、逃げ出した。

 親子に取ってそれは日常だった。


 だからか、父親も無理に連れ戻そうとはしなかった。

 しかしその日、その日常はいい意味で瓦解する事になる。


 少年はいつもの逃げ場所である、公園に来ていた。

 公園の中央には、竜を象った大きな滑り台。


 この滑り台の天辺から見下ろす景色が、少年は好きだった。まるで自分が、偉くなったような気分になれるから。公園を、自分の物にしたみたいになれるから。


 その日も少年は、迷いなく滑り台に向かう。

 天辺にはだれも居ない。


 でも竜の尻尾には女の子が居た。

 足を抱え込み、膝に顔を埋めて泣く女の子が。


 女の子の髪は見たことも無いぐらい、鮮烈な深紅の色をしている。

 まるで、炎のようだと少年は思った。


 でもその炎は、今にも消えてしまいそうな程に弱弱しい。

 少年はその火を絶やさない様に、優しく抱き締める。


 言葉は無かった。いや、要らなかった。


 やがて女の子は泣き止み、炎の勢いはその輝きを増す。


 少年は名を名乗る。

 女の子はさっきまで泣いていたとは思えない程、自信に満ちた声で言った。


「――かちゅもくしなさいッ!! アタシの名前はロ―ザデャッ……ローザディア・ダークネスロードッ!! 魔界をちゅべる魔王の娘よッ!!」


 だが自信に満ちている声音に反し、所々舌足らずだった。


「じゃあ、ローザだねッ!」

「気安くよばないでよッ!」

「どうして? 名前を知ったんだからもう友達でしょ?」

「ッ!? ……ともだち?」

「うんッ! 友達ッ! ぼくとローザはもう友達だよッ! だからぼくのことはユウトって呼んでッ!」

「……ともだち。初めての友達……」

「ほらッ! 一緒に遊ぼうよッ!」

「……うんッ!! ユウトッ!!」


 こうして幼い子供特有の、出会ってすぐに友達を作る程度の能力で、少年と女の子は友達になった。


 二人は滑り台を滑ったり、ブランコを漕いだり、シーソーに乗ったり。

 砂場で魔王の城を作ったり。


 かくれんぼや、鬼ごっこ。だるまさんが転んだに、けんけんぱ。

 五時のチャイムがなるまで、たくさん遊んだ。


 女の子は笑顔だった。

 少年も笑顔だった。


 それでも、お別れはやってくる。


 女の子を連れ戻しに、メイドがやって来たのだ。

 女の子は一瞬、悲しそうな顔になる。


 でもすぐに、笑顔になってこう言った。


「ユウトッ!! 大人になったらアタシの番になりなさいッ!! 絶対なんだからねッ!!」


 少年は答えた。


「うんッ!! 絶対にローザの事をお嫁さんお姫様にするッ!! だからねッ! その時は絶対にぼくが迎えに行くよッ!! 待っててねッ!!」

「うんッ!!」


 二人はお互いに手を振る。


「ローザッ!! バイバイッ!!」

「ユウトッ!! バイバイッ!!」


 二人は別れの挨拶をする。

 再び出会う、その日まで。


 翌日。

 少年は、父親の扱きから逃げ出さなかった。


 好きな女の子を守れるくらい強くなる為、決して逃げ出さなかった。


 お姫様を救う、勇者となる為に。

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