05:旅

「いや、なかなかびっくりしたな」

 甘池アマイケさんと別れ、家に帰ってきて、リュックから顔を出したサンゴくんの第一声がそれだった。

「暢気だなあ、サンゴくんは。私、死ぬかと思ったんだけど」

「でも、無事だったしさ」

「そりゃそうだけど」

 サンゴくんの言うとおり、刀を握った銃刀法違反の輩に襲われた――というのは、私の勘違いだったのかなんなのか、私には怪我一つなかった。どうして気を失ったのかはわからないが、危害を加えられたわけではない、らしい。

 甘池さんにはめちゃくちゃ心配されたし、なんなら病院についていこうか、と言われたが丁重にお断りした。ここまで元気な身で病院の世話になったら、それはいっそ病院の業務の邪魔になるだろうし。

 なお、植物園で倒れたことは、絶対に城守キモリさんには黙っていてほしい、と口酸っぱく言いはしたが、城守さんの口止めを破りまくることに定評のある甘池さんなので、あんまり期待はしないことにしている。

 ともあれ、サンゴくんをリュックから取り出し、テーブルのひつじさんクッションの上へ。クッションが凹んでいたのか顔が少し傾いだので、顎を支えて向きを直してやると、「ありがとう」とサンゴくんは朗らかに笑った。

「アザミさんもゆっくり休んだ方がいい。無事だったとはいえ、疲れたのはそうだろう?」

「言われなくとも、今日はとっとと休みたいところだけど――」

 その前に、冷蔵庫から、炭酸水のボトルと、サンゴくんのためのビールを取り出す。もどきではない、いいやつだ。そして、サンゴくんの分をコップに注ぎ、ストローを添えて差し出してやりながら。

「少しだけ、話を聞きたくて」

 ビール一杯分くらいの時間だけでも、サンゴくんの話を聞いてみたいと思ったのだ。

 私は、大槻オオツキさんがバラバラにされた事件について、あまりにも何も知らなさすぎる。そして、サンゴくんもそうだとばかり思っていたが――、これまでの言動からするに、サンゴくんは案外、私の知らないことを知っているのかもしれない、と。そう思ったのだ。

 樋高ヒダカさんを知っているような素振りを見せたこと。ノイズまみれの銃刀法違反を目にした私に、それが『犯人』であると言い切った上で、「目を閉じて」と声をかけてきたこと。そもそも、大槻さんがバラされた現場に転がっていたことだって、この事件を解決しようとしていることだって。私は、サンゴくんのことを、何ひとつとして知らないのだと今更ながらに気づかされる。

 どうして話を聞かなかったのか、といえば、生首という根本的に現実離れした存在である以上、何もかもが私の理解を超えているのだ、と勝手に思い込んでしまっていたから。ただそれだけ。

 椅子を引いて座る。ペットボトルの蓋を開け、冷えた炭酸水を喉に流し込む。サンゴくんも一口、ビールを飲み下してから改めて私を見やる。つり上がり気味の切れ長の目、さっぱりとした爽やか顔。一言でいえば同じ「きれいな顔」のカテゴリでも、城守さんのきっちり整いすぎて触れがたい――ただし、現実には城守さん自身の態度の悪さにより別の意味での近寄りがたさが付与される――感じとはまた違い、ごく身近な、ちょっとかっこいいお兄さん、という気安い雰囲気がサンゴくんにはある。

 そのサンゴくんが、目を細める。よく見ると意外と睫毛が長いなこの人、もとい首。

「そうだな、バタバタしていたし、落ち着いて話をしていなかったのはそう。何を聞きたいかな?」

「まず……、サンゴくんは、どうして大槻さんが殺された事件を追っているの?」

「最初に言った通り『お役目』だから。もう少し詳しく言えば、とある筋から、この事件を解決するのに手を貸してほしいって言われたのさ。見てのとおり、貸すだけの手はないわけだけど」

 でも、頭を使うことはできる。そう、サンゴくんは言った。

 そういえば「首から上には自信がある」って言ってたっけ。それって頭の良さと、あと顔の良さも自覚してるってことなんだろうな。ただ、そういう言い回しをまるでいやらしく感じさせない辺りが、サンゴくんのさばけた人柄の賜物かもしれない。

「その『とある筋』については説明できないんだ?」

「別にいいんだけど、アザミさんにはノイズになると思うんだよな。事件そのものとは無関係、ってことは言える。解決できた暁にはきちんと説明する、でもいいかな」

「オーケイ。じゃあ、この話はここまで」

 いつかは知りたいとは思うが、それは今ではないってこと。サンゴくんが積極的に話したがらないなら無理に聞く気もないし、他にも聞きたいことはいっぱいあるのだ。

「あとは、そう、樋高さんについて。私は樋高さんと会ったのはあれが初めてだったけど、サンゴくんは樋高さんのこと、知ってる風だったよね。企業秘密って言ってたけど」

「知ってるのはそう。いい子だよな、本当に。眩しいくらいに」

 いい子、と言うサンゴくんは、何かを懐かしむような面持ちだった。そういえば、サンゴくんっていくつなんだろうな。生首に人間の年齢が当てはまるのかはともかく。それに、樋高さんは樋高さんで、あのやたら目を引く格好やバチバチのメイクのせいで年齢が判然としなかったと思い出す。私とそう変わらないかな、と勝手に思っていたけれど、果たして。

「俺はまだ、ここでのヒカルさんの役割がわからないから、本当に不確かなことしか言えない。ただ、俺個人の見解としては、ヒカルさんは、少なくとも加害の側ではない、と思っている」

「まあ、うちの署にも情報提供者として来たわけだしね。それが加害者ってことはないと思うけど……」

「だけど、アザミさんも刑事ならご存じだろう。『放火犯は現場に戻る』ってさ」

 これは実際によく言われることで、捜査のセオリーの一つでもある。放火に限らず、犯罪を犯した者は現場に戻ってくることが多い。私が大槻さんの殺された現場に足しげく通うのも、何も感傷だけが理由ではなく、犯人が再び戻ってくる可能性に望みをかけているからだ。

「これは、犯行の証拠を残していないか確認するほかに、追及される前に自ら暴露することで心理的な負荷を下げる、という仕組みも働くといわれているけれど――、まあ、この話はいったん横に置いて。当然ヒカルさんについても、その可能性がゼロではなかったわけだ。例えば、自分の関わった事件について、警察の捜査状況を知りに来た、とかね」

 実際、城守さんと甘池さんは「こちらの情報を探りに来たのではないか」と分析していたし、私だってその可能性を考えてなかったわけじゃない、けれど。

「それでも、サンゴくんは、樋高さんが加害者でないと信じている」

「うん。とはいえ、これは本当に『信じている』だけに過ぎない。証拠も何もない。俺が勝手にヒカルさんをそういう人だと認識しているだけさ」

「随分、樋高さんのことを買ってるんだね、サンゴくん」

 想像以上に、サンゴくんの樋高さんに対する評価が高くて驚く。私から見たら、ちょっと変わったひとだな、くらいの認識だったのだけど――。

 すると、サンゴくんは、口の端を歪める。ただ笑っただけ、といえばそれまでだけれども。

「そりゃそう。俺がこんな姿になったのは、ヒカルさんの『おかげ』だからな」

 何故だろう、背筋がぞくりとした。

 一体、サンゴくんと樋高さんにどんな因縁があるっていうんだ。確かに樋高さん、オカルト雑誌の記者って言ってたもんな、生首との親和性は高いのかもしれないけれど……。

「サンゴくんにも、体があったころがあるんだ?」

「もちろん。生まれながらの生首って、なかなかいないんじゃないか?」

 どうなんだろう。何せ私は生まれてこの方、生首というものをサンゴくん以外に見たことがないので曖昧に首を傾げることしかできない。それにしても、人の体がある生首とはつまり普通の人間ということで、サンゴくんにも人間の時代があったということになる。家族や友達、仕事はどうなっているのか、書類上では生きてるのか死んでるのか、気になることがどんどん湧いてくるなあ。

「とにかく、俺は、ヒカルさんが犯罪に加担するような人じゃないと思ってる。そして、嘘を吐くような人ではないとも思ってるから、何らかの情報を握ってるのは確かだと思うんだよな」

「なのに、城守さんと甘池さんが話を聞いても、何も語らなかった、か……」

「話を聞く限り、甘池さんはともかく、城守さんって上司の人、随分クセが強そうだよな。単純に話しづらかった、ってのはありそう」

「まあ、そりゃそう」

 本当にそりゃそうなんだよね。城守さん、捜査官としては優秀なはずなんだけど、対人能力が壊滅的だからな……。

「あー、でも、それだけであのヒカルさんが物怖じするとも思えないんだよな。だってヒカルさんだよ?」

 サンゴくん、樋高さんのこと何だと思ってんだろうな。とはいえ、私が目にした樋高さんも、城守さんにさんざん文句をつけてこそいたが、「物怖じしている」という様子ではなかったと思い出す。なるほど、サンゴくんの言う通り、単純にそれだけが理由とも思えない。

「話さない理由、もしくは話せない理由があったのか」

「その辺りも聞けたらよかったんだけど、結局会えなかったんだよなあ……」

「名刺に連絡先書いてなかったっけ」

「書いてあった電話番号に連絡はしてみたよ、でも、ちょうど電源切ってるのか、全然連絡がつかなくてさ」

 後でもう一度連絡してみるべきかもしれない。名刺をもらった時に、こちらの連絡先も教えておけばよかったか。後悔はいつだって先には立ってくれないものだ。

 炭酸水をもう一口。結局あれから味覚も特に回復の兆しはなく、相変わらず味を感じることができないままだ。果たして味覚は戻ってくるのか、それともこの炭酸の弾ける感じすらわからなくなっていくのか。それはあまりにも憂鬱すぎるってものだ。元気かと問われればいたって元気なのだが、やっぱりどっかで医者の世話になるべきなのかもしれない。

 そんな私につられたのか、サンゴくんもまたストローでビールを吸い上げ、一つ、息をついてから言った。

「しかし、全く手がかりがないっていうのも、変な話だよな。『人をバラバラにする』なんて、そう簡単なことじゃないだろ」

「そう、それなんだよなあ」

 殺人はいついかなる時でも大仕事だ。「解体する」というならなおさら。何で解体するのか、どこで解体するのか、その過程を誰かに見られることもあれば、残された血液の痕跡などでバレることももちろんある。なのに、あの現場にはバラバラにされた大槻さんだけが存在していて、犯人につながる手がかりは何ひとつ残されていなかった。少なくとも私はそう認識している。

「それとも、私が、手がかりを知らされてないだけなのか……」

 その可能性も否定しきれないのだ。城守さんも甘池さんも、他の先輩たちだって、先輩にして相棒でもあった大槻さんを失った私を気遣ってくれているのは、よくわかる。その気遣い故にこそ伝えられていないこともあるのかもしれない。私は、何もかもを知りたいと願っているのに――。

「そうだ、アザミさん」

 ぐるぐると巡りかけていた思考が、差し込まれたサンゴくんの声で一時停止する。

「何?」

「大槻さん、ってどんな人だったのか、聞いてもいいかな」

「大槻さんのこと?」

 そんなことを問われるとは思っていなかったので、思わず目を見開いてしまう。そんな私を見上げるサンゴくんは、クッションに顎を埋める形で、穏やかに微笑んでいる。

「そう。俺は、事件のあらましと、そこで殺されたのが大槻さんという人物である、ということしか知らなくてね」

「でも、私だってあくまで先輩としての大槻さんしか知らないよ。プライベートのこととかは全然」

「いいんだ。言っただろう、俺は刑事じゃないからね、アザミさんの『主観』が聞きたい」

 サンゴくん曰くの「ちょっと違う視点」ってやつか。私とサンゴくんは、事件に対する姿勢が根本的に違う、そういうことなのだと思っている。

 大槻さんと一緒にいた頃のことを思い出そうとすると、どうしても胸が痛む。成すすべもなくバラバラにされてしまうなんて、大槻さんらしくない。けれど、現実に大槻さんはバラバラにされて、私はそれを目にしている――。

「話しづらければいいよ、無理させたいわけでもない」

「ううん、私も、……聞いてほしいと思ってる」

 大槻さんのこと。私の横にいた、ちょっと口うるさい、けれど偉大なる先輩のこと。

「大槻さんは、本当に絵に描いたような『ベテラン刑事』ってやつでね。リーダーの城守さんよりも年齢は上だけど、上に立つより現場を駆け回っている方が性に合ってる、ってタイプの人。自分でもそう言ってた」

「じゃあ、それこそアザミさんとは親子くらい年齢が違うってことかな」

「そうなるね。だから、大槻さんからは、相当クソ生意気な小娘に見えてたと思う。それでも、ひよっこの私にいろんなことを根気強く教えてくれた。刑事としての仕事、技術、それに心構え」

 本当に色々なことを教わったな、と思う。刑事としての仕事もそうだが、人としての在り方とか、それこそ仕事とは全く関係のないことも含めて。

 大槻さんと組んでいた時間はそう長いものではなかったが、その間に得られたものは、とても大きい。私の人生を少しだけ変えてしまう程度には。だから、私は大槻さんを理不尽かつ冒涜的な死に追いやった犯人を許すことはできない。そういうことだ。

 そうして、決意を新たにする私に。

「アザミさんにとって、大槻さんは、とても素敵な先輩なんだな」

 投げかけられた、サンゴくんの言葉が、あまりにも優しくて。喉の奥が熱くなって、胸が締め付けられるような心地がした。もし、気を張ってなかったら、涙の一つもこぼれてしまっていたかもしれない。

 大槻さんの死は多くの人に悼まれていたし、上司や先輩たちは相棒を失った私をわかりやすく気遣ってくれている。だけど、「私にとっての大槻さん」の姿を改めて共有してくれる人はいなかったのだ、と、いうことに今更ながらに気づく。

「サンゴくんは、優しいね」

 ぽつり、かろうじて、言葉をこぼす。それ以上を言ったら、本当に感情があふれ出してしまいそうだったから。

 サンゴくんは、「そうかな」と目を細める。もし、その首が自由に動いたなら、小首を傾げてみせていたのかもしれない。

「でも、アザミさんの話しぶりでよくわかるよ。大槻さん、いい人だったんだろうな、ってさ。もしかして、そのキーホルダーも、大槻さんからのもらい物かな」

「目ざといなぁ」

「アザミさんの趣味ではなさそうだな、と思って」

 そう、私の家の鍵には、でっかいキーホルダーがついている。北海道土産の、木彫りの熊のキーホルダー。もちろん堂々とシャケを咥えた姿だ。

「大槻さん、独り身だったからさ。いろんなとこに出かけるのが趣味だったんだよね。それで、毎度お土産買ってきてくれたんだけど、いかんせん、センスがなあ」

「じゃあ、あのこけしも?」

「そう、大槻さんの宮城土産」

 棚の上にちょんと鎮座している、何とも味のある顔のこけしが、私たちをちょっと高い位置から睥睨している。私、これでも一応はうら若き乙女なんだけど、果たして大槻さんからはどう見えていたんだろうな。私くらいの年頃の女は、こういうものを喜ぶと、本気で思っていたんだろうか。

 その答えを知ることは、二度とできないわけだけれども。

「次の仕事が終わったら、それこそ、大槻さんのおすすめの場所を旅するのも悪くないかな、って思ってたんだけどなぁ……」

「旅、いいね。この事件が終わったら、遠くに出かけるのもいいんじゃないかな」

 気分も変わるだろうしな、と付け加えたサンゴくんは、柔らかく微笑んでいる。その時には、サンゴくんはまだうちにいるんだろうか。事件が終わったら、サンゴくんがどうするつもりなのか、私はまだ知らない、けれど。

「そうだね、この事件が終わったら」

 テーブルの上に置いていた、キーホルダーの熊を握りしめて。事件の解決を、改めて誓うのだ。

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