07:まわる

「だんまりだ」

 と、デスクに戻ってきた城守キモリさんは苛立ちを隠さずに言う。その長くしなやかな指先が、しきりに机の天板を叩いている。

 ……って、あれ?

 デジャヴって言葉がある。既視感って言い換えてもいい。このシーン、絶対見たことあるんだけども。

「マジで何なんだあれ、意味わからん」

 そう吐き捨てる城守さんを、私は知っている。デジャヴってレベルじゃない。だって、この後、私はこう言ったはずだ。

「情報提供者、にお会いしてたんですよね」

 つい先日、自分自身で言った言葉を「繰り返す」。城守さんが「はぁ? 何言ってんだそれは一昨日の話だろ、頭沸いてんのか、それとも蛆でも湧いたか?」という悪口雑言を投げかけてくれることを、期待しなかったといえば嘘になる。いや、悪口雑言は何も嬉しくないのだが、とにかく私の認識が狂っていないということを確認したかったのだ。

 だが、城守さんは。

「そう、『話をしたい』って来てんのに、あの事件には全く触れずに、クソつまんねーオカルトばかりベラベラくっちゃべるもんだから、甘池アマイケだけ置いて帰ってきた」

 どうしようもなく、私の記憶の通りの言葉を投げかけてきたのだった。

 何かがおかしい。だって情報提供者――記者の樋高ヒダカさんが現れたのは一昨日の話。まさか城守さんがそれを忘れるわけがないだろうに。

「どうした、薊ヶ原。んな鳩が豆鉄砲を食ったようなツラして」

「え、いや、あの……」

 しどろもどろになっていると、城守さんが、長い睫毛に縁どられた目を怪訝そうに細める。

 サンゴくんの睫毛も長い方だと思ったが、城守さんはいつ見ても、人間味の薄い容貌をしている。たとえばその目の色も日本人離れしたグレーであり、抜けるような肌の白さも相まって、その「神秘的」と形容したくなる美貌を更に強化している。いつも思うのだけど、なんでこの人刑事なんてやってるんだろうな、俳優とかモデルとかの方がよっぽど向いてるんじゃないかな。いや、この性格だから即座に業界から干されるような気もするが。

 ついでに、生首よりよっぽど神秘的な一般おじさんってどうなんだろうな……?

 ともあれ、城守さんは机に肘をつき、こめかみのあたりを指先でリズミカルに叩きながら言う。

「お前、最近やっぱ変だぞ。……大槻オオツキさんのこと、思い詰めすぎてんじゃないだろうな」

 城守さんから見ても大槻さんは刑事としての「先輩」なので、身内で話すときは「さん」をつけるあたりに、妙な律義さがある。

「そんなつもりでは、ないんですが」

「ま、その辺りは自分じゃわからなかったりするしな」

 だが、と。言いながら、城守さんは長い足を伸ばし、持ち上げた靴の踵を机の天板に載せる。態度としては最悪ながらも、指を組み、真っ直ぐに私を見据えて。

「きつければ頼れ。迷惑に思わない程度には、俺はお前を買っている」

「え、」

 まさか、城守さんの口からそんな優しい言葉が出てくるとは思わなくて、それ以上の声が出なくなる。気遣ってもらえている、とは思っていたが、そこまでの評価を得られているとも思っていなくて――。

 その時、居室の扉が開く。片手にバインダーを抱えた甘池さんが飛び込んできて、がりがりと頭を掻きながら言う。

「うーん、やっぱろくな話してくれませんね。例の事件の話を聞きつけて、こっちの情報を求めて寄ってきただけかもです。どうします、城守さん」

「とっとと追い返せ。二度と顔を見せるなって言っとけ」

「はいはーい」

 そう言って、甘池さんは居室を後にする。この前は、私も甘池さんについていって、樋高さんと顔を合わせることになったのだが、同じことをすべきなのか、それとも。

 と、視線を巡らせたところで……。

「は?」

 目が、合った。

 書類棚の上に無造作に置かれている、サンゴくんと。

 いやいやいやいや、警察署の中に生首がいるってどうなの? 家に生首がいるのも確かにおかしいのだけど。そんな混乱する私に気づいたのか、椅子の背にもたれかかった城守さんが一段と眉間の皺を深めて言う。

「おい、それ何だ、部外者を連れ込むんじゃねーよ」

「いや、私も知らないんですけど……」

「誰が連れ込んだのかなんて聞いちゃいねーんだよ、とっとと追い出せ」

 うーん、理不尽とはこのことか。あと、これ部外者っていうか生首なんだけど、全然驚いてないな城守さん。実は私と違って生首を見慣れていたりするんだろうか。それもかなり嫌だな。

 ともあれ、城守さんに逆らってもいいことはないので、サンゴくんを持ち上げる。サンゴくんはにこにこしているが、何か語りかけてくることはなかった。確かに、ここで話でもしようものなら城守さんの不機嫌を助長するだけなので、サンゴくんなりに空気を読んでいるのかもしれない。

「では、失礼しまーす」

 サンゴくんを片手で抱えて部屋を出て、扉を閉め、ちょうど廊下に誰もいないことを確認したところで――黙っていたサンゴくんが口を開いたのだった。

「やあ、アザミさん」

 いつの間にやら当たり前になっていた、朗らかな笑顔に爽やかな声音。改めて、生首という存在にはこれっぽっちも相応しくないいんだよな。こう、不気味さとか神秘的な雰囲気とか、そういうものを重視するなら城守さんの方がよっぽど似合うんじゃないだろうか。口だけは開いてほしくないが。

 しかし、そんなことよりも何よりも、サンゴくんには聞いておかねばならない。

「……これ、どういうこと?」

 もう絶対に一昨日の出来事を繰り返している。けれど、我ながら大した驚きを覚えずに済んでいるのは、既にこれまでに奇妙な事態が目白押しだったからに違いない。生首のサンゴくんに出会ったこと。謎の銃刀法違反に追い回されたこと。果てには部屋にも強襲をかけられたこと。サンゴくん曰く、それらは夢であるらしい――と、いうこと。

「アザミさんが『夢』を自覚したからなのかな。アザミさんの見聞きした出来事が一回りして、ある時点に戻ってきたように見えるな」

 当たり前のように言うが、普通、時間は一方通行なんだぞ。あり得ないことをさらっと言うんじゃない。

 ――いや、きっと、そうではないのか。

「これも、私の夢ってこと?」

 夢であるならば、いくらでも不思議なことは起こりえる。かくして、サンゴくんは頷く代わりにぱちりと片方の瞼を閉じたのだった。ほとんど反射的にウインクができるのは、なかなかの才能だと思うぞ。

「その通り。夢というよりも、アザミさん自身の断片的な記憶をつなぎ合わせたもの、と表現するのが正しいのかもしれないけどね」

 夢、記憶。随分リアルなものだとは思うが、なんかもう今更、これ以上驚くこともないな、と思う。そして、落ち着いて考えてみれば、今までのあれこれだって腑に落ちてくる。

「つまり、私は……、ずっと夢を見てるってこと? サンゴくんと出会った時から、もしくは、それ以前から」

「自分でそれに気づいたなら、言っても大丈夫そうだな。そう、アザミさんは、夢を見ている。長い長い夢を、な」

「長い長い夢ってことは、現実の私って、今どうなってるわけ?」

 単純に夢が長く感じられているだけなのか、現実に長く覚めない夢を見ているのか。そこには大きな違いがある。そして、どうも後者であるらしいことは、続けられたサンゴくんの「察しがいいね」という言葉ではっきりしてしまった。

「ご想像のとおり、アザミさんは、現実には覚めない眠りの中にいる」

「マジかぁ……」

「もっと正確に言うなら、アザミさんは『殺されかけた』んだ。大槻さんを殺害した『犯人』に」

「え?」

「アザミさんも見ただろう? あの、刀を持った人影を。現実のアザミさんは、犯人を追った結果として、あの刀に『斬られた』んだ」

 植物園で、銃刀法違反一号に斬られた、と感じたのは、勘違いじゃなかったということか。背筋がぞくりとして、汗がにじんでくる。自分の部屋で銃刀法違反二号と相対した時と同じだ、何もされていないはずなのに、全身が痛みを訴え始める。これが、斬られた時の痛みだったって、こと――?

 かつ、かつ、と足音が聞こえてくる。

 痛む体を叱咤して、振り返る。

 そこには、ぎらぎらと輝く刀を提げた、ノイズを纏った人影が。

 警察署という空間には場違い極まりないが、これが夢だというならば、もはや納得せざるを得ない。銃刀法違反の人影が現れることも、この場に私以外の誰もいないことも。大槻さんをバラバラにして、私を斬ったという『犯人』が、そこにいる。これもあくまで「本人」ではなく、私のイメージの中の存在なのだろうが。

「アザミさん。一つだけ、質問していいかな」

 腕の中で、サンゴくんが言う。こんな切羽詰まったタイミングで一体何を、と思いはしたが、その声がひどく真剣に聞こえたから、銃刀法違反三号を見つめたまま、「何?」とだけ、返す。

「アザミさんの苦痛は、現実のものだ。仮にここを切り抜けても、長きに渡って付きまとうだろう。だから」

 ――諦めることも、できる。

 そう、サンゴくんは静かな声で言った。

 その間にも一歩、また一歩と銃刀法違反三号は近づいてくる。それでも、サンゴくんはよく通る声で続けるのだ。

「俺も、他の誰も、アザミさんを責めやしないよ。アザミさんは、十二分に戦った。大槻さんの死と向かい合って、全力で捜査を続けた。だからこそ、『犯人』に辿り着くこともできたんだと思ってる」

 なるほど、この苦痛は夢の中だけのものではない。むしろ、現実の私が感じている苦痛が、夢に持ち込まれているという方が正しいのか。確かに、これがずっと続くというなら、正直めちゃくちゃきつい。今はサンゴくんの手前もあってかろうじて堪えているけれど、既に手も足も情けなく震えている。今すぐ何もかもを投げ出して、床にのたうち回りたい。

「諦めていい。楽になりたい。そう思うなら、俺を手放すといい。今すぐ楽になれる。でも」

 ちらりと、脇に抱えたサンゴくんに視線を落とす。サンゴくんは、視線だけでこちらを見上げて、――穏やかに、微笑んでいた。

「もし、これからも『抗おう』というなら。もう少しだけ、俺を手放さないでほしい」

 わかってないなあ、サンゴくん。

「……そんなの、」

 痛みなんて、苦しみなんて。歯を食いしばって、堪えられる間は、どうってことないのだ。

 むしろ――。

「諦める方が嫌に決まってるじゃない!」

 諦めた、という思いを抱えて眠りに落ちる方が、自分自身を許せないに決まっている!

 サンゴくんの顎を強く握る。もしかしたら爪が食い込んだかもしれないが、知ったことか。どうせ夢の中なのだから、大したことはない……、と、思いたい。サンゴくんが「いててて」って言ってるの聞こえちゃったけど。

 改めて、銃刀法違反三号と向き合う。相変わらず姿も判然としないが、それは私の中の『犯人』の記憶が、おそらくかなり曖昧なものだからだ。見えなかったのか、それとも忘れようとしたのか、とにかく、私は『犯人』の姿を正しく描くことができないらしい。どうせ顔を合わせたなら、もっとばっちり目に焼き付けておけばよかった、と悔しく思う。

 それでも、サンゴくんは明るい声で言うのだ。

「オーケイ。それじゃあ、今だけ、俺の言葉を信じて、動いてもらってもいいかな」

「いいけど。……何をする気?」

「戦うのさ。君に、目覚めてもらうために」

 迫りくる銃刀法違反三号を睨んでいたから、流石にサンゴくんに視線を移すことはできなかったけれど。

 きっと、気障ったらしくウインクしていたに違いなかった。

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