08:鶺鴒
戦う。この、銃刀法違反と?
「無茶を言うなあ」
そりゃあ、これでも警察官の端くれなので、多少は体術の心得もあるけれど、ガチの凶器を持ってる相手と真っ向から立ち向かうのはめちゃくちゃ勇気が要るんだぞ。夢の中だってわかってても、痛いものは痛いみたいだし、そこまで超人的な動きができるとは思えない。
「まあ、そりゃあね。いくら『夢』とはいえ、斬られたら痛いし、そこまで突飛なことはできないんだ。人間はどうしても、己の経験や常識に縛られる。……アザミさん一人ならね」
「ほーう?」
一歩、また一歩。ゆっくり近づいてくる銃刀法違反に対して、じりじりと下がりながらも――今回の遭遇は署の廊下なので、そうそう簡単に追い詰められはしなさそうなのは幸いだ――そう答える私に、腕の中のサンゴくんは言う。
「これが夢だというのは了解してもらえたと思う。でも、一つ、夢の中だとしても明らかに変なものがあるだろ?」
「
喋る生首に付きまとわれる覚えは、どこにもない、ってわけだ。
「その通り。言っただろう、俺は、この事件を解決するためにここにいる。つまり、『アザミさんの夢に入り込んだ』異物なんだ。アザミさんが拒絶しようと思えばすぐにでも追い出せる、そういうもの」
ああ、だから、さっき「手放していい」と言ったのか。私が拒絶の意志を示せば、サンゴくんは私の夢から出ていかねばならなくなる。けれど――。
「一方で、アザミさんが受け入れてさえくれるなら、俺は、『俺の力』を振るうことができる」
「サンゴくんの力って、……例えば、この前みたいに?」
そういうこと、と言い放つサンゴくんは、あっけらかんとしたものだ。
メドゥーサさながら銃刀法違反を固めてみせたり、ありもしない場所に扉を作ったり。それらはあくまで私一人の力ではなく、サンゴくんあってこそだったと思い出す。つまり、サンゴくんがいなければ、私はとっくのとうに「再び」銃刀法違反に斬られていたんだろう。
「それが俺の力。人の夢を弄る力さ」
「……なんか、それだけ聞くとすごく物騒に聞こえるんだけど?」
「ははは、否定はしないよ」
「ちょっとは否定してほしかったなあ」
「どんな力も使いようだからね。ダイナマイトだって、人に使ったら大惨事なわけだが、土木工事に使うなら安全かつ効率のいい作業が可能になる」
まあ、アルフレッド・ノーベルが何を考えてダイナマイトを発明したのかは、もちろん当人に聞かないとわからないけどね、と付け加えるサンゴくん。そういや、ダイナマイトってノーベルって人が作ったものだったっけか。その功績――方向性の正負は問わず――によって築かれた遺産を、ノーベルの遺言に従って「人類のために貢献した者」に与えるのがノーベル賞だとかなんとか聞いたことがある。
「ともあれ、俺は、アザミさんにちょっとした手助けができるってことさ。――ただし、その力はほんの微々たるものでね。首だけじゃなきゃ、もっと色々できるんだけど」
「……首だけなの、関係あるんだ?」
「俺には見てのとおり『手』が足りない。手は大事なパーツだよ、人間が霊長を名乗ってこの世に君臨するのは、脳味噌以上に手によるところが大きい……、と、つい無駄口を叩いてしまうな、悪い癖だ」
サンゴくんがつらつら話している間にも、徐々に銃刀法違反は近づいてきている。一気に踏み込んでこないのは、おそらく、銃刀法違反にそうするだけの必然性がない、ということにこの世界を形作っている私自身が気づいたからだ。
本当は、銃刀法違反には、もはや追いかけてくる理由すらないのだから。
私はどこにも逃げることなどできやしない。追い詰められて斬られるだけ。だって本当は、既に「斬られた」あとであり、ただ、私自身がその瞬間と斬られた事実を完全には思い出せていないから、かろうじて先送りにできているだけで――。
「それでも、アザミさんは今この瞬間、確かに『生きている』んだ。思考できている、想像できている、この世界はまだ維持されている。つまり、まだ手遅れではない」
私の心を読んだのか、それとも読むまでもなく伝わっていたのか。サンゴくんはいたって穏やかな声で言う。
「だから、俺の力を万全に行使するために、アザミさんの
「手を?」
「そう、言葉通り。手、ハンド」
つまり、比喩ではなく、私の手が必要だって言っているのか。
「俺の力は手の動きと感覚に依存するものでね。つまり、首だけだとろくに使えないわけだけど……」
「私の手を貸せば、マシになるってことね。どうすればいい?」
「話が早くて助かるよ」
サンゴくんはくつくつと喉を鳴らして、それから言った。
「打ち倒すべき相手から、目を逸らさないで」
言われなくとも、視線を逸らした覚えはない。あと一歩、踏み込まれれば刀が届く、そんな位置にまで迫ってきている銃刀法違反を睨みつける。
「手を伸ばして、前に出して。そして」
――そこに『ある』ものを、掴む。
言われたとおりに前に向けて手を伸ばすも、そこはどう考えても虚空なわけで、掴めるものがあるわけがない。
ない、はずなのに。
「触ってみて。ほら、『ある』だろう?」
サンゴくんの言葉に導かれるように、指に意識を向けたとき、視界には何も映っていないはずなのに、確かに指に何かが触れた。あたたかくもなければ冷たくもない。柔らかくもなければ硬くもない。そんな、不思議な手触りの、姿も形も定かではない何かを、掴んでいる。
「そのまま、引き抜く」
頭で考えるよりも先に、腕が動いていた。力を込めて掴んだものを引いてみると、虚空から現れたのは一丁の拳銃だった。
支給されてるものと同じ、見慣れた姿形をしているが、しかし、その手触りは私の知っている拳銃のそれとはまるで違う。軽くはないが重たさもなく、手のひらに吸い付くようで。まさしく私一人のためにあつらえられているかのように、手に馴染む。
「なるほど、いいね。それが、アザミさんの『武器』ってことだ」
使い方はわかるかな、というサンゴくんに、ひとつ、頷く。サンゴくんを小脇に抱えながらでは、習ってもいない片手撃ちになってしまうが、不思議と「撃てる」という確信があった。
銃を握った片手を伸ばす。
銃口を、銃刀法違反――『犯人』に向ける。
一歩、大きく踏み込んで、こちらを斬り捨てようと刀を振り上げるそれに向かって。
大槻さんを殺した相手を前に、そうすることができなかった、かつての私の代わりに。
引き金を、引く。
銃声は思ったよりずっと軽く、手に掛かる負荷も思ったようなものではなかった。
だから、放った銃弾が『犯人』に命中したのかも発砲の瞬間にはわからなかった、けれど。
刀を振り上げた姿勢のまま『犯人』は固まり、一拍の後に、ぴしり、と。胸に穿たれた弾痕を中心に、ひびが走っていく。ぐらりとその細長い体が傾いだかと思えば、ひびの入った箇所からノイズを撒き散らしながら、音もなく床の上に倒れ込んだ。
「……っ!」
ほとんど反射的に、手にした銃を投げ出して、倒れ込んだ『犯人』に飛びついていた。その肩を押さえつけ、顔を確かめてやろうと覗き込んで――。
そこに、何もないことを、知る。
顔のあるはずの場所に渦巻くのは、サイケデリックな色。サンゴくんの首の断面を見たときの色とよく似ていた。
「やっぱり、アザミさんには認識ができない。……見ていなかったのか、忘れようとしてるのか、それとも」
腕の中のサンゴくんが、ぽつりと言う。
「姿形の認識もろとも『斬り捨てられた』か」
「……そんなことが、可能なの?」
「普通は不可能だよ。人の心に踏みいって、特定の記憶だけを抹消するなんて、あまりにもファンタジーにすぎるだろ?」
けれど、「普通でない」場合もあるのだと、私は既に知っている。まさしく、今この瞬間に知らしめられたといってもいい。
「でも……、サンゴくんには、できるってことか」
私の記憶には存在しない、生首のサンゴくん。どうやら外部から私の夢の中に入り込んでおり、私の夢をある程度自由に書き換えることができるらしい、サンゴくん。そのサンゴくんならば、私から『犯人』の記憶だけを切り落とすことだって、不可能ではないのでは?
そんな私の言葉に、サンゴくんが顎を引いたのが、手のひらに伝わってくる。首肯したつもりなのだろう。
「そうだな、アザミさんは正しいよ。それが俺の能力だからね」
ぞくり、とする。サンゴくんの手にかかれば、私の記憶などいくらでも改竄できるということなのか。では、今こうして話しているのも、サンゴくんが私にそう見せているだけで、実際には――?
しかし、抱えたサンゴくんを見れば、サンゴくんは、なんとも困ったような顔をしていた。
「ただし、俺でも正確にこなすのは難しいんだよな。特に今の俺じゃあ絶対に無理」
「そうなんだ?」
「証明するのは難しいけどね。でも、アザミさんの疑うようなことは、少なくとも『俺には』不可能なんだ」
どうやら、一瞬でもサンゴくんを疑ったのが伝わってしまっていたらしい。同じ夢の中にいるのだから、こちらの考えてることはある程度筒抜けなのかもしれない。
では、サンゴくんがやったわけでない、という言葉を信じるなら?
「おそらく、『犯人』は俺の『同類』なんだろうな。人の意識に踏み込める、俺よりも正確に特定の記憶を刈り取れる、そういう、『同類』」
同類。これが……?
そんな疑問符を浮かべながら、組み伏せたままだった『犯人』を見下ろせば、その姿が突如として音もなく破裂して、色とりどりの、紙吹雪のような薄片が宙に舞った。
いや、『犯人』だけではない。私がいる廊下の壁も床も何もかもがばらばらに崩れ落ちてゆき、私はサンゴくんもろとも虚空に放り出される。色のない虚空に渦巻く紙吹雪は、やがて無数の鳥の姿に変化して、あちこちに飛び去ってゆく。
「夢が終わる」
腕の中のサンゴくんが言った。
「アザミさんを縛っていたのは、『犯人』の記憶だった。『犯人』のことを思い出さなければならない、その思いがアザミさんの覚醒を妨げていた」
アザミさんは、無意識に、ずっと答えを探していたんだろうな。
そう、囁くサンゴくんの声は、ひどく優しかった。
「でも、アザミさんは今、そもそもが『思い出せない』ものなのだと自覚した」
「ああ……、そっか」
私は『犯人』に斬り捨てられた時点で、もう、それが何者なのかを思い出せるはずがなかったのだ。それを自覚してしまえば、夢の中に留まって答えを探し続ける理由もない。
「でも、それじゃあ……、もう、『犯人』は見つからないのかな」
必死に探し求めた手がかりも、結局は「存在しない」ことがわかっただけ。それなら、目覚めても何も変わらないのではないか、そう思った時、サンゴくんが朗らかに笑いかけてくる。
「まさか。言っただろ、俺は、この事件を解決するためにいる。アザミさんの夢だけが事件の『手がかり』じゃない」
――むしろ、ここからが本番さ。
サンゴくんの声は、決して耳にうるさくはないのに、とてもよく響いた。
「夢も現実もひっくるめて、一つ一つ確かめていくんだ。それが、これから現実に生きていくアザミさんの役目だと、俺は思ってる」
「夢も現実も、ひっくるめて……」
「アザミさんにはそれができる。そして、それは、俺にはできないことだ」
その声に、わずか。何かを懐かしむような、感傷を噛みしめるような。そんな響きを覚えたのは、私の気のせいだろうか?
頭の中の問いに対する答えはもたらされないまま、サンゴくんがくい、と顎を動かす。
「さあ、帰ろうか。アザミさんの現実に」
「帰ろう、って言っても……、どっちに?」
何せ、道らしい道などどこにもなく、色鮮やかな鳥たちはてんでばらばらの方に飛んでゆくばかり。これでは、だだっ広い、天井も床もない空間に浮かんだまま途方に暮れるばかりだ。
すると、サンゴくんの視線が一点に向けられる。
「ノーヒントってことはないよ、アザミさんに目覚める意志があるならね」
サンゴくんの視線を追って、足元に目を落とすと……、そこには、黒と白、それからグレーが混ざり合ったような色の小鳥が一羽、どこに飛び立つことなくちょこんと立っていた。何もない場所に「立つ」というのも変な話だが、それはこちらも同様ということだ。
ぴこぴこと動く長い尻尾がかわいらしいこの鳥、あちこちで見かけるやつだと思うのだけど、名前は――。
「セキレイだね。古くから色んな名前で呼ばれる鳥だけど……」
「ああ、そっか、そうだった」
無意識に、覚えていたのかもしれない。
セキレイの異名の一つは「ミチオシエドリ」。私の前に立った小さな鳥は、尻尾を振りながら、光の指す方に向かって歩いていく。虚空を踏んで、しかし確かな足取りで。
サンゴくんを抱え直し、見えない足跡を踏むようにして、一歩。
私は、引き返すことのできない「これから」に向けて、歩み始める。
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