09:つぎはぎ
気づけば、知らない部屋だった。無機質な天井に、しらじらと光る灯り。
そして、こちらをまじまじと覗き込む知らない顔。眼鏡をかけた、短い髪の若い女性だった。その人は、レンズの下で大きくぎょろりとした目を瞬いたかと思うと、顔を上げて私の視界の外に視線を向ける。
「
「よかった。覚醒の手続きも問題なかったようだな」
続いた声は男性のもので、すぐに別の人物がこちらを覗き込んでくる。見るからに温和そうな顔立ちをした、おそらく四十代くらいの男性。こちらも眼鏡をかけている。男性も女性も白衣を着ており、女性の方は手にタブレット端末をしきりに弄っていた。
白衣の男性は、私の上体を支えて起こしながら、柔らかな声で問いかけてくる。
「おはよう、薊ヶ原さん。気分はどうかな?」
体のあちこちが鈍く痛む。先ほどまでも痛みを感じてこそはいたが、その「痛み」の質が違うというか、何というか。しかも、体をろくに動かすこともできはしなかった。かろうじて指を動かせる程度で、体全体がとにかく重たくて仕方ない。
そう答えようとしたが、唇がひどく乾いていて――それだけではなく、口の中もからからで、まともに声が出なかった。それを察した男性が、すぐに水の入った容器を口元に当ててくれた。
ゆっくりね、と声をかけてくる男性の言葉に従って、一気にではなく、一口ずつ確かめるように飲み下していく。どうも、体全体の機能がまともに働いていないのかもしれない。水一口を飲み下すのも一苦労だ。
何とか喉が潤ったところで、未だ朦朧とする頭で、それでも何とか自分の状況を把握する。どうやら自分がいるのは病室らしい。整えられた白いベッド、腕には点滴。体のあちこちに取り付けられているコードは、傍らのよくわからない機械につながっている。それから、医者のような出で立ちの男性一人と女性一人。「ような」というのは、何とはなしに私のイメージする「医者」のイメージと異なる雰囲気を醸し出しているからだ。
あと、……ついさっきまで、小脇に抱えていたはずのものを、探す。けれど、あの気さくでおしゃべりな生首の姿は、どこにもなかった。
「ここは……?」
かろうじて、声を絞り出す。すると、男性は傍らの椅子に腰かけ、私に視線を合わせる。
「ここは、
――研究施設?
そんな、私の言葉にならない問いを正しく受け止めたらしい男性は、少しだけ眉を下げて言った。
「色々話すべきことはあるんだが……、順を追って説明しよう。まず、私は井槌。それから、こっちは助手の
三崎、と呼ばれた女性が「ちょりーっす」と何ともいえない挨拶とともに片手を挙げる。どう返すのが正解なんだろうな、と思っている間にも、井槌と名乗った男性の話は続いていく。どうやら無視するのが正解らしい。
「さて、薊ヶ原さんは、今から三日前、
「外傷は、ない?」
あの『犯人』に
記憶との齟齬。刀を持った何者かの姿が脳裏に浮かぶ、が――。
「おそらく、薊ヶ原さんは『斬られた』と認識しているのだろうね。それもまた、事実の一つではある。ただし、実際に斬られたのは肉体ではなく、精神だったわけだ」
「精神を、斬るって、どういう」
「君も、夢の中で、『彼』から教わったのではないかな。この世には、人の精神世界に土足で踏み入り、本来ならばあり得ないような干渉を行う能力者が存在する」
――『犯人』は俺の『同類』なんだろうな。
――人の意識に踏み込める、俺よりも正確に特定の記憶を刈り取れる、そういう、『同類』。
長い、長い、夢の中で。『犯人』についてそう分析した『彼』――サンゴくんのことを、思い出していた。
「うちらは、人の精神に踏み込む能力を持つ奴らのことを『
そう言ったのはタブレットをしきりに弄っている三崎さんだった。
「で、薊ヶ原さんを襲ったのは、うちらが『
「『
「そう、人の心に踏み入った挙げ句、その心を斬り刻んでバラバラにする、趣味のわるーいやつさ」
そこまで言われて、はっとする。
どうして今まで気づかなかったのだろう? いや、「気づけなかった」と言った方が正しいのかもしれない。
夢の中で、私は
だが、事実は全く違ったのだ、ということを思い出していた。
だって、私は確かに見ていたはずだ。
棺の中に横たわる、傷一つないまま息を止めた大槻さんを。
明確な死因は不明。内臓にも目立った疾患はなく、不可解な死として処理された。誰のせいでもない、ただの、突然死として。
そう、誰のせいでもない――。大槻さんの親類も、
けれど、私は、それをどうしても信じられなかったのだ。大槻さんが倒れたのだという現場を見て、棺の中の大槻さんの顔を見て、大槻さんは殺されたのだということを、何故かはわからないけれど、確信していた。
そして、この妄想とも言うべき確信は――、どうやら単なる「妄想」ではなかったらしい。井槌さんはひとつ頷いて、三崎さんの言葉を継ぐ。
「『
「大槻さんも含まれる、ということですね」
「その通り。ここに運び込まれた時は、大槻氏にはかろうじて息があった。しかし、既に目覚めることが不可能なほどにバラされていた」
「己を生かす意志までも斬り刻まれてたってわけだ。結果として、延命措置のかいもなく大槻氏は息を引き取った」
もちろん、こんな話、オカルトにもほどがあるからね、表向きには突然死として処理するしかないんだけど――そう、三崎さんは言った。
「しかし、そのような能力を行使する『
ここまではわかっていただけたかな、という井槌さんに、浅く頷く。
もちろん、こんな話、普通に聞かされていたら「ふざけるな」と叫んでいたはずだ。大槻さんの死を馬鹿にされてるとしか思えなかっただろう。
でも、私はもう知ってしまった。私自身の精神に巣くっていた『犯人』――『
そういうものは、確かに「いる」。いるということを、否定できない。『
「でも、それなら……、どうして、私は助かったんですか?」
今の話が正しければ、私もまた『
実はこの状況まで夢なんだ、と言われたらどうしようか。
しかし、流石にそんなことはないようで、井槌さんは眼鏡の下で眼を細めてみせる。
「まず、発見が早かった、というのが最大の理由。また、他の被害者に比べると、言い方は悪いが
「ほら、肉体でも、すぱっと切れた指は上手くすれば繋がるじゃん、そんな感じ。パーツはほとんど揃っていたし、綺麗にバラされてたから、繋げるのも比較的容易だったってこと」
「……なんかすっごく複雑ですね」
三崎さんの補足には、つい苦い顔をしてしまう。つまり、今の私の心は一回斬られてバラバラになったものを、つぎはぎして何とか元通りにした状態ってことか。依然として朦朧としているのも、傷もないのに痛みを感じているのも、バラバラなものをつなげ直した影響なのかもしれない。
「ま、サンゴに感謝するといいよ。今のところ『そこにあるものを弄る』ことに関してあいつに勝る『
三崎さんの言葉にはっとする。
そうだ、サンゴくん。
「今、サンゴくんは、どこにいるんです? 斬られてから目覚めるまで、何から何までサンゴくんのお世話になったってことですよね。サンゴくんにもきちんとお礼をしたいんですけど……」
すると、三崎さんは井槌さんを振り返った。どこか問いかけるような視線に対して、井槌さんは曖昧な笑みを口元に浮かべる。
「薊ヶ原さんを治療して、目覚めさせる手続きがかなりの強行軍だったからね。今は別の場所で休んでいるよ」
それは、多分、嘘ではないのだろうけども。
「だから、まずは、薊ヶ原さんもゆっくり休んでほしい。夢の中でも、疲れることの連続だっただろうからね」
何かを誤魔化すような口振りだと、思った。
サンゴくんについて話すことに、何か不都合があるのだろうか? そんな私の内心の疑問符に気づいていないのか――もしくは気づいていてあえて黙っているのか、井槌さんは己の胸元に手を当てる。
「それでは、我々は一旦失礼するよ。定期的に様子を見にくるつもりだけど、もし何か困ったことや異変があれば、手元のボタンを使ってほしい。すぐに駆けつけるからね」
井槌さんの言葉に従って、かろうじて動く指先で手元を探れば、確かにナースコールを思わせるボタンがあるのがわかった。まだ身体はまともに動かないが、これを押すくらいなら不可能ではなさそうだ。
それでは、と。井槌さんは丁寧に頭を下げて部屋を出ていった。しばしタブレットと睨み合っていた三崎さんも、「おっと」と我に返って井槌さんの後に続こうとする。
ただ、もう一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあって。「あの」と呼び止めると、三崎さんは扉に手をかけた姿勢のままくるりと振り向いた。
「なーに?」
「サンゴくんって、現実でも生首……、ってことはないですよね?」
だって、そんなのあまりにも現実からかけ離れている。夢から覚めても夢の中、というわけでもない以上、流石に「生首」という姿形は、精神を斬るための刀を提げた『
三崎さんは、私の想像に反して、にまりと笑ってみせたのだった。
「まー、今や似たようなもんだけどね?」
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