10:来る

 それからはとにかく「休め」と言われ続けたので、休むしかなかった。

 一度斬られてしまった精神はそう簡単には回復しない、とのことで、実際のところ、鈍い痛みを伴いながら、少しでも油断をすれば心と体が遊離してしまうような、そんな感覚を常に伴っている。

 だから、「肉体を動かす」という当たり前の感覚を思い出す――もしくは「取り戻す」までにも、数日がかかってしまった。今は、無理は利かないとはいえ、立ち歩けるまでには回復していた。元より肉体には何ら問題はないので、感覚を取り戻してしまえばどうということはない。

 それでもまだ、じくじくとした痛みと重さは消えない。ただ、サンゴくんも言っていたが、「長きに渡って付きまとう」というのはこういうことなんだろう。誤魔化し誤魔化し付き合っていくしかなさそうだ。

 そうそう、あれから夢らしい夢は見なかった。見たとしても、「見た」という感覚だけがあり、記憶には残らない程度のどうということはない夢。

 これは、井槌イヅチさんたちが、「余計な夢を見ないように」何かしらの手を考えてくれたのかもしれない。今、この前までのような夢を見れば――、また、囚われてしまうかもしれない、そんな予感があった。二度と、こちら側に戻れなくなるような。

「その感覚は正しいよ」

 感想をこぼした私に、そう言ったのは三崎ミサキさんだった。ここしばらく見ていてわかったのは、井槌さんは『潜心者モグリシ』と呼ばれる能力者の研究の傍ら、各所への交渉や連絡を行うのが主な仕事で、一方の三崎さんはその手の「面倒くさい」仕事を井槌さんに一手に任せ、研究に専念しているらしい、ということ。また、その他にも研究者は何人もいるようなのだが、今のところその姿は遠目に眺めるだけだ。「ちょっと癖の強い人も多いし、薊ヶ原アザミガハラさんには刺激が強いと思って」というのが井槌さんの言。なるほど、人目をはばかるレベルの奇人変人の集まりってことだな。

 ともあれ、三崎さんは今日も今日とてタブレット端末を弄りながら、そこから目を上げすらせずに言うのだった。

「サンゴがやったのはあくまでその場しのぎの対処だからね。まだ、あの夢は薊ヶ原さんの中にある。薊ヶ原さんの中に巣くう『解体屋バラシヤ』のイメージは、今もまだ薊ヶ原さんをバラバラにしようとしてるし、そう簡単に消えてはくれない」

「どうすれば、消えるんです?」

「さあね。サンゴの見立てだと薊ヶ原さんの中の引っ掛かりが完全に解消されれば、忘れるとまではいかなくとも、『解体屋バラシヤ』の影に追われることはなくなるんじゃないかって」

「引っ掛かりを解消、ってことは……」

「『解体屋バラシヤ』の正体を暴いて、事件を解決すること。それ以外にはないね」

 どうも『解体屋バラシヤ』と呼ばれている人物は、被害者が出ていることによって実在は確認されているが、極めて注意深い人物らしく、その足取りは全くの不明だという。今までの被害者にも共通点らしい共通点はなく、唯一――。

「現時点でただ一人の生存者である薊ヶ原さんと、亡くなった大槻オオツキさんに繋がりがある、ということ。これは重要なファクターだと思っている」

 そう言っていた井槌さんのことを思い出す。

 そして、生存者である私が、顔こそ思い出せないとはいえ『解体屋バラシヤ』を観測している、ということそれ自体が重要な手がかりになるのだという。

「とはいえ、その辺りの分析はうちらに任せといて。まずは、薊ヶ原さんはきちんと休む。話はそれから」

 と、いうわけで、もどかしい「休み」の日々が続いているのだった。

 

     *   *   *

 

「薊ヶ原さん! 面会謝絶だって聞いてめちゃくちゃ心配してたんですよ~もう~」

 甘池アマイケさんが私のいる病室を訪れたのは、それから少ししてからのことだった。

 ここは、裏ではとびっきり怪しげな研究をしているが、表向きはごく普通の病院である。井槌さんの判断で面会を許可されたことで、見舞いに来た親にめちゃくちゃ泣かれたり、友達が駆け付けたりと、どうも私自身が思っているよりずっと大ごとになっていたらしい、ということを理解してしまったのだった。いやまあ、確かに、突然倒れて、そのまま意識不明が続いていたって考えると、大ごとだな……。

 と、いうわけで、甘池さんも私が面会ができる程度には回復した、という話を聞いて飛んできたという。

 甘池さんは、年齢でいえば私より結構上のはずであるのだが――確か城守キモリさんや大槻さんの方が近かったはずだ――、少年のような幼さを残す顔をくしゃくしゃにしていた。私が思っていた以上に、甘池さんは私のことを心配してくれていたようだ。

「でも、薊ヶ原さんが倒れたの、原因はよくわからないってお話ですよね」

「あはは、そうらしいです。ちょっと気味悪いですよね」

 と、いうことにしておかないと、面倒くさいことになるのは流石にわかる。まさか『解体屋バラシヤ』とか呼ばれている、人の心をバラバラにする殺人鬼に狙われた、なんて言ったところで「悪い夢でも見たんですか? 大丈夫ですか?」と余計に心配されてしまうだけだ。

「薊ヶ原さん、大槻さんが亡くなられた後から、寝る間も惜しんで働いてましたもんね。過労もあったのかもしれませんよね」

 僕らの方でフォローできず申し訳ない、と頭を下げる甘池さんは、言葉の通り、心底申しわけなさそうでこちらの方が恐縮してしまう。

「いえ、城守さんや甘池さんにはとても心配してもらえてたのはわかってましたから。誰のせいでもないですよ」

 正確には、何もかもが大槻さんを殺して今もなお逃げおおせている『解体屋バラシヤ』のせい、ということなのだから、甘池さんを責めるのはお門違いというものだ。

 そこで、甘池さんがはたと我に返ったようにいう。

「そうだ、城守さんも手持ちの仕事が一段落したら来るって言ってましてね」

「城守さんが?」

 あの人、あれでめちゃくちゃ忙しいはずではなかったか。それを言ったら甘池さんもそうなのだけど、何となく甘池さんならふらっと持ち場を離れても許されるような、そういう謎の認識がある。これも、甘池さんの纏うゆるい空気がなせる業かもしれない。

「城守さんも、薊ヶ原さんが倒れたって聞いて気が気じゃないって様子だったんですよ。いやー、薊ヶ原さんに見せられなくて残念です」

「うーん、倒れてたら見えないですもんね」

 それはかなり残念だ。城守さん、常にあのクソデカ態度だとばかり思っていたから。「気が気じゃない」って顔の城守さん、見たすぎるじゃん……。

「でも、薊ヶ原さんがそれなりに元気そうで安心しましたよ……っと」

 控えめに響くノックの音。そして、こちらの返事もろくに待たずに扉が開く。

「邪魔するぞ、薊ヶ原。甘池もいるな」

 甘池さんの言うとおり、やってきたのは城守さんであった。見舞いにきたとは思えない不機嫌そうな面構えは、あまりにもいつも通りすぎて一周回ってほっとするわけだが……。

 もしかして、今の甘池さんの話、聞かれてたのでは?

 そんな私の危惧など知らぬとばかりに、城守さんが口を開く。

「もう体の方は平気なのか?」

「随分回復してきました。もう少しで退院できるだろう、とのことで」

「そうか」

 そこで、城守さんは一旦黙った。果たして何を言われるのだろう、と戦々恐々としていると、城守さんの眉間の皺がもう一段深まった……、気がした。

「無理はするなよ。復帰は、完全に回復してからで構わん」

「すみません、もう、大槻さんもいないのに、ご迷惑をかけます」

「その、大槻さんのことだが。倒れる前のお前は、妙なことを言っていたな。結局見つかったのか、『大槻さんが殺害された』証拠とやらは」

 城守さんの言葉に、どきりとする。そう、私は大槻さんが「殺された」ということを疑わなかったし、それを城守さんと甘池さんにも訴えていたのだ。大槻さんの死は自然死ではありえない、あまりにも不可解な事件である以上、正式に捜査をすべきだと。

 もちろん、その時点で何一つ「殺人」につながる証拠などありはしなくて、城守さんは「一時的な気の迷いだろ」と取り合わなかったし、甘池さんも話こそ聞いてくれてはいたが、まるで本気にしてはくれなかったと思い出す。

 それはそうだ、夢の中の私が向き合ったこと、目覚めてからの私が知らされたことは、どう考えても警察の管轄ではない。むしろ、下手にしゃべれば私の頭の正常を疑われかねない。

 だから、今の私は城守さんにこう言うしかないのだ。

「いえ。……城守さんの言うとおり、大槻さんが亡くなったことを納得できなかった私の、単なる気の迷いだったのだと、思います」

「そうか」

 城守さんは表情一つ変えずにそれだけを言った。よかったとも、悪かったとも言わず、ただ私の言葉を受け止めてくれたことに、内心胸をなで下ろす。

 ――しかし、その一方で、城守さんの斜め後ろに立つ甘池さんは妙な顔をしていた。いや、いつも通りの気の抜けた顔と言ってしまえばそれまでなのだが、何となく、こちらを探るような目つきに見えた、気が……?

「ともあれ、回復しつつあるならいい。無理はされたくないが、とっとと治せよ」

「城守さん、それ、また薊ヶ原さんが頑張りすぎて倒れたら、今度こそ俺が監督責任を取る羽目になるからやめろ、って意味じゃないですか?」

 甘池さんの茶々に、城守さんは答えなかった。ただ、無言で甘池さんの耳を掴んでひねりあげ、そのまま引きずっていくだけで。

「いだだだだちょっと横暴! 横暴! パワハラですよパワハラ! あっあっまた来ますね、薊ヶ原さん!」

 めちゃくちゃ痛そうなのだが、それでもこちらへの挨拶を欠かさない甘池さんのガッツには感服する。まあ、城守さんの神経を逆撫でするのがよくない、と言ってしまえばそれまでなのだが。

 かくして、城守さんと甘池さんが去り、病室には静寂が戻った。

 結局、城守さんたちには本当のことを言えなかったが、それは仕方ない。元より、城守さんたちを頼ることができない事件なのだから。

 サンゴくんは言った、「これから」なのだと。夢と現実、双方から事件を追わねば解決には届かないはずだ、と。そして、それができるのは、あくまでサンゴくんではなくて私なのだ、と。

 ついでに。

 そもそも、私自身が、周りに頼ってばかりは性に合わない。

 ――そういうことだ。

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