11:坂道
街を見下ろせる坂道の上に立つ。
眼下に広がるのは主に住宅であるようで、大きさも色も様々な屋根を持つ家々は、遠くから眺めていることもあってか、どこかおもちゃじみていた。
それとも、本当に……、おもちゃだったり、するのだろうか。近くに寄ってみないとわからないな。
もしくは、これは「遠景」のイメージでしかなく、目に見えている以上に坂道は長く、延々と続いていて、どれだけ歩いても街にたどり着けない、ということだってあるのかもしれない。
夢の中では何でもあり。それを、自分自身の経験をもって思い知らされたわけだから。
「やあ、アザミさん」
声がした。足元から。
いつの間にやらそこにはサンゴくんがいた。しゃがんで、サンゴくんに顔を近づけてみる――視線の高さを合わせる、までは行かないが、それでも声が聞こえやすいように。相変わらずさっぱりとした雰囲気の、それなりに美男といっていいお顔。これで、首だけでなければなあ。無造作に道の上にごろんと転がったその姿は、いびつなボウリングの球のごとし。
「声をかけてくれなきゃ蹴とばしちゃうとこだったぞ」
「それはまずいな、こんなところで蹴とばされたら転がって戻ってこれなくなる」
「下り坂だもんね……」
どれだけ「何でもあり」とはいえ、実際には夢の世界においてもある程度は常識や思い込みに縛られてしまうものだ。「そういうもの」と思っているものを「そうでない」と思い直すのは難しいということだ。私がそう簡単に『
要するに、「球体が下り坂を転がっていく」というイメージを覆すのは、なかなか難しいということだ。
「ともあれ、久しぶり。また会えて嬉しいよ」
「事情は聞いてる?」
「もちろん。
そう、今の私は『
* * *
――もう一人、『
その報を受けたのは、
そんな話を聞かされて、黙っていられるわけがないわけだ。
自分にできることはないか。そう、井槌さんに聞いてみた――、というか、言外に「自分にやらせろ」と迫ったのは言うまでもない。頭ではわかっているのだ、井槌さんたちは『
しかし、そこで
「『
どうも、『
「サンゴは、うちらのサポートさえあれば一人くらいなら持ってけると思う、って言ってたし。井槌、いけるんじゃない?」
「しかし、薊ヶ原さん。君自身も体験したからわかるとは思うが、精神世界に潜るのは、相当の負荷を伴う。それが、自分のものでなく、他者のものであれば――、尚更、難易度も危険度も跳ね上がる」
やたらと積極的な三崎さんに対し、井槌さんは、私を関わらせることに難色を示した。これはもちろん、研究者としての立場もあるのだとは思うが、それ以上に、率直に私のことを心配しているように思えた。おそらく、普通に優しいいい人なのだと思う。
ただ、『
「でも、サンゴくんは、それを『役割』としてこなしてるってことですよね。難易度も危険度も高いことを、課しているんですよね?」
「それを言われると弱いな」
そこでつい一歩引いちゃうあたり、本当にいいひとなんだよな、井槌さん……。
「もちろん、サンゴと君とでは立場も条件も違うから『同じ』とは言えないけれど、薊ヶ原さんの気持ちも、わからないでもないんだ。事件と無関係でないと思えば、当然、気になるだろうしな」
「まあまあ井槌ぃー、何ならお試しでやってみてもいいんじゃない? 正直、部外者のうちらより、よっぽど薊ヶ原さんの方が『
ついでに、さらなる被害者が出てる今、手段選んでる場合でもないでしょ、と。三崎さんはどこか引きつったような笑みを浮かべるのだ。
「サンゴも、薊ヶ原さんとなら是非ともまた組みたいって言ってたしな」
「サンゴくんが?」
「そうそう、調査する側の『
「彼は……、ちょっと、いや、かなり変わっているからね。しかし、そう言っていたのは事実でね、薊ヶ原さんのことを気に入ったようだ。彼は、今までも数多くの調査に携わってはきていたが、潜った相手に興味を持つのは珍しい。『他者の手を借りる』という判断をしたのは初めてだったはずだ」
その辺りの事情はちんぷんかんぷんにせよ、どうもサンゴくんにめちゃくちゃ気に入られているらしい、ということだけはよくよく伝わった。そして、どうやら井槌さんも三崎さんも、サンゴくんにそれなりの信頼を寄せているらしい、ということも。
つまり、ここが押し時ってことだ。
「……なら、『お試し』でいいので、やらせてください。お願いします」
* * *
と、いうわけで、私は『お試し期間』として、サンゴくんの手を借りて――ないものを「借りる」のも変な話ではあるが――、被害者の精神世界に降り立つことになったのだった。
「今回の被害者は、
サンゴくんは足元でぺらぺらと喋る。相変わらずよく回る口である。他のパーツがない分、口で表現しなければ伝わらない部分も数多くあるのだろう……、とは思うが、このお喋り加減は仮に手足があったとしてもそうそう変わらないのかもしれない。
「資料は一通り見たよ。商社の営業職とのことだったけど、あの面構えだと舐められてそうだなぁ」
何とはなしに同情してしまう。私も刑事という肩書を持っているわけだが、何せ女性警察官の中でも背は低い方だし、化粧っ気が足りないからか「学生さん?」と問われることもしばしばで、どうしても先輩たちに比べて舐めてかかられることが多い。まあ、この舐められやすい顔のおかげで相手のガードを下げられることもあるので、一長一短ってところだが。
果たして、この磯兼氏はどうだったのか。坂道に立っているだけでは、どうにもよくわからない。いくら「精神世界」とはいえ、その人の全てが一目でわかるというわけではないのだ。何なら、その一端ですら把握できるかどうか。
それでも、私の夢の中に巣くっていた銃刀法違反のように、この夢の中にも『
「それじゃあ、早速、調査を始めようか。アザミさん、運んでもらってもいいかな」
「いいけど、今までは精神世界に潜ったら一人で調査してたんだよね。どうやって移動してたの?」
「一時的に浮かんだり、瞬間移動みたいな真似はできなくもないんだけど……、どうにも、疲れるんだよな。疲れてると、調査のパワーも落ちちゃうってものでさ」
アザミさんのように自由に手が使えれば俄然楽なんだけどね、とサンゴくんはウインクする。うーん、気障ったらしい仕草がよく似合う生首だこと。
「そんなわけで、頼むよ」
「はいはい」
サンゴくんの頭を、両手で抱える。片方の手で頭の上の方を支えて、もう片方の手で顎を掴む。持ち上げてみれば、相変わらずずっしりとした重みが手にかかる。人の頭、一つ分の重さ。精神世界、という、現実でないこの場においても、サンゴくんは「人の頭一つ」としてカウントされている。それとも私一人がその認識に囚われているだけなのか。
――現実には、サンゴくんは決して「頭一つ」の存在ではないのだけれど。
井槌さんに『お試し期間』を承認されたところで、三崎さんは現実のサンゴくんに会っていくか、と聞いてきた。もちろん、と答えた結果連れていかれた先は、病院の地下だった。もはやそこは「病室」ではなく、「研究所」――そして、どこか「監獄」めいてもいた。
そして、私は、ガラス越しにサンゴくんと顔を合わせたのだ。
殺風景な狭い部屋の中、ベッドに横たわったサンゴくんは瞼を閉じて、眠りに落ちていたけれど。
その身体は白い拘束衣で自由を奪われており、その上で更にベッドに縛り付けられている。そして、その頭からは何本もの配線が延びていて、傍らの機械につながっている。
呆然とする私に、三崎さんは淡々と言ったものだ。
「『
サンゴくんが『
ただ、サンゴくんがどんな犯罪者であったにせよ、こんな姿にされてる辺り、人権とかどうなってるんだ? いや、『
「こんな目に遭っててもうちらにやたら協力的だし、腕がめちゃくちゃいいのは確か。だが、どうしても頭のネジが緩い奴でさ。だから、極端な行動に出られないように、現実でも精神世界でも行動を制限してるってわけ。具体的には、首から下の感覚を取り上げてる」
なるほど、だから、夢の中では生首という「形」をしていたのか。
サンゴくんは言っていた、「手」がないと万全な力を発揮できない、と。それは、意図的に奪われたものだったのだ。数多の他者をその
「どうしたんだい、アザミさん?」
サンゴくんが、私の目を真っ直ぐに見つめてきたことで、我に返る。
爽やかな顔に、明るい声。それでも、どうやら『
とはいえ、言われたその瞬間は驚いたしぞっとしたものの、こうやって実際にサンゴくんと向き合ってみると、案外落ち着いて向き合えてしまうものだ。今のところ、サンゴくんには助けられているばかりで、サンゴくんがしてきたことを知らなかった、というのが大きいのだろうが。
「いや、サンゴくんはさ、どうしてこの『お役目』を受けてるのかなーって思ってさ」
かつて、サンゴくんに事件に関わるモチベーションを訪ねた時は、『お役目』だと答えてくれたけれど。実際にサンゴくんの置かれている状況を知ってしまえば、その『お役目』を素直にこなしている理由の方がわからなくなってくる。
しかし、サンゴくんはあっけらかんと言うのだ。
「今の俺には、他にできることもないしね。なら、俺の力が役立つことを精いっぱいやるのが一番気持ちがいい、それだけさ」
「……ほんと、いいやつだなあ、サンゴくんは」
「いやいや、本当にいいやつは、人は殺さないもんだよ」
そりゃそうだけど、と溜息交じりに肩を竦める私に、サンゴくんは相変わらずの調子で笑いかけてくるだけだった。
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