17:額縁

 私一人ではもちろん人の精神世界に入り込むことなど不可能だ。

 井槌イヅチさんたちの協力を得て、なおかつ、人の心に潜る能力者――『潜心者モグリシ』たるサンゴくんに「引っ張って」もらう必要がある。実際に引く手もないのにどうやっているのか、それは私の知ったことではない。「手が使えればもっと確実に多くの人数を引き込めると思うけど」とはサンゴくんの談だが、何もかもサンゴくんの感覚の話でしかない。そういうことだ。

 ともあれ、サンゴくんに手を引かれるように、私は眠り続ける樋高ヒダカさんの夢の中に潜っていく。まさしく「潜る」という言葉がふさわしい。耳が圧迫され、呼吸が不自由になり、本来自分が生きている場所とは別の場所に放り込まれる感覚。その感覚も、あくまで肉体でなく私の心一つで感じているもの、なわけだが。

 そして、意識の上で、瞼を開く、、、、

 途端、視界に飛び込んできたのは、ノイズを纏い、かろうじてシルエットで「長身の男」だとわかる、刀を持った男。それが、今まさに私に向けてゆっくりと歩み寄ってこようとしていた。

「いきなりぃ!?」

「アザミさん! こっちだ!」

 視線はノイズまみれの男――推定『解体屋バラシヤ』の影に向けたまま、一歩、二歩と下がって足元にサンゴくんの姿を捉えた。サンゴくんは、フェルトの絨毯の上に無造作に転がっていた。頬を床につけて横倒しになっている姿はなんともシュールであるが、いくら多少は夢の要素を弄れても、自分では起き上がることすらできないあたり、サンゴくんの絶妙な生首らしさというか、不自由っぷりがうかがえる。

 素早くサンゴくんを抱え上げる。ずっしりとした重みは、しかし私にとっては夢の中における生命線だ。サンゴくんの顎に手をかけて片手に抱え直し、右手を自由にして。

「抵抗しても問題ない?」

「ああ、遠慮なくどうぞ」

 サンゴくんの言葉は軽い調子だが、心強い。私の「抵抗」は、サンゴくんあってこそなのだから。

 迫る『解体屋バラシヤ』に向けて腕を持ち上げる。指先に意識を向けながら、虚空を「掴む」。何もない、私の目にはそう映る空間から、私だけの武器を引きずり出す。一丁の拳銃。現実には訓練でしか握ったことのないそれは、私のために誂えられたかのように手に馴染み、「撃てる」という確信をくれる。

 躊躇いなく引き金を引く。相変わらず反動はほとんどなく、撃てているのかどうかは発砲音とその結果でしかろくに判断できない。

 ただ、どうやら今回もきちんと命中していたようで、刀を振り上げていた『解体屋バラシヤ』のシルエットの頭部に弾痕が穿たれ、次の瞬間にぱんと破裂し、サイケデリックな色をまき散らした。シルエットでよかったな、リアルだったら相当のグロ映像である。

 そのまま、頭部を失ったシルエットが絨毯の上に仰向けに倒れ込んだかと思えば、紙吹雪のような薄片と化し、空気に溶けていく。

 そこまでを見届けて、やっと。

「やっ……た?」

 この手の銃が、正しく役割を果たしたのだと、実感できるわけだ。

「そうだね、気配が消えた。もちろん、これはヒカルさんのイメージとしての『解体屋バラシヤ』だから、『解体屋バラシヤ』本人に影響は及ばないだろうけど」

「ここで撃てば本物も痛がるくらいだとありがたいんだけどなあ」

「死んでればいいのに、じゃないんだな」

「わかってないなあ。私、腐っても警察だよ。それに?」

「それに?」

「死んじゃったら、そこでおしまいでしょ。罪を償わせることだってできない」

 そう、私は、『解体屋バラシヤ』もまた生きて罪を償うべきだ、と思っている。頭一つだけの自由を与えられ、その能力をもって奉仕を続けるサンゴくんのように……、と言ってもサンゴくん、これはこれでちょっと楽しそうだから説得力に欠けるな。

 殺人の罪を抱えた『解体屋バラシヤ』が地獄に落ちるかどうかは知ったことではないが、仮に地獄に落ちるとしても、現世から「逃げる」ような真似を許すつもりはない。

「なるほどな。アザミさんは厳しいな」

「そのくらいのことをしでかしてるってこと。サンゴくんもね」

「反省はしてるんだよ、これでも」

「うーん、説得力皆無」

 能力に替えが利かないとか、比較的温和で扱いやすいとか、サンゴくんが井槌さんたちに使われている理由は色々あるんだろうが、井槌さん、よくサンゴくんを信用して調査に協力させようなんて考えたなあ。

 確かにサンゴくんは献身的に私を助けてくれるし、過去その能力を振るって『解体屋バラシヤ』と変わらない被害を出した殺人犯とは思えないのだが、一方で、今と変わらぬ調子のまま人の心を壊したのだろう、という謎の確信がある。別に捕まったから心を入れ替えたわけではなく、サンゴくんという人は、昔からこういう奴なんじゃないか、と。

「まあ、説得力がないのはわかってるから、行動で示していくよ」

 示し続けていく、と言い換えとこうか、とサンゴくんはウインクする。

「一度でも行動で示すことを止めてしまえば、二度目はないってわかってるつもりさ」

 井槌さん曰く、『潜心者モグリシ』のうち、能力を持ってはいるが微弱な者、制限をかけることができる者、もしくは使う気がない者に関しては一定の監視付きで社会生活が可能なのだそうだ。しかし、サンゴくんのように強大な能力を振るい、取り返しのつかないことをしでかした輩は、もはや社会的には死んだのと同然の扱いになっているのだという。公式には、二度と病院から出てこられないほどの重病である、だとか、刑務所の奥深くに捕まっている、だとか、そういう声明を出す。けれど、実態としては井槌さんたち『潜心者モグリシ』の研究者の手によって、貴重な実験体として扱われる。

「サンゴのように、こちらの研究に協力的な者は稀有だけど」

 そう苦笑してみせた井槌さんに、「そりゃそう」と答えたものだ。そんな人権のない扱いされて、いい気分でいられる奴は相当頭のネジが足りていない。つまりサンゴくんのことだが。

「まあ、サンゴも、いつ気が変わるかはわからないからな。薊ヶ原アザミガハラさんもくれぐれも気をつけて。サンゴに限ってそうおかしなことはしでかさないと思っているが、もし、少しでも変な挙動をしたら、すぐにでも脱出すること」

 その場合、サンゴくんはどうなるのか、と聞いたところ、井槌さんは常にうっすら浮かべている苦笑を数段深めて言ったのだった。

「能力の研究は続けるが、二度と、サンゴの自由意志を許すことはなくなるだろうな」

 サンゴくん曰くの「二度目はない」というのはそういうことだ。

「さて、アザミさん。ここはどこだと思う?」

 サンゴくんの言葉にふと我に返る。言われるまでもなく樋高さんの精神世界――なわけだが、質問の意味はそういうことじゃない、と一拍遅れて気づく。辺りを見渡して、自分の記憶の中にある光景と照らし合わせて。

「美術館……、かな」

 俺にもそう見える、とサンゴくんは私に抱えられたまま軽く顎を引いた。

 天井は高く、灯りらしいものは見えないのだが、不思議と一定の明るさを保っている空間。複雑に折れ曲がった回廊の壁には立派な額縁が並んでおり、そこには色々な絵が飾られている。油絵、水彩画、版画にラフスケッチ、はたまた写真まで「絵」の種類は様々だが、描かれているものはもっと様々だった。

「これはUFO? 街中のなんかよくわかんない足跡に、心霊写真。こっちの影は何だろ」

「ネッシーじゃないかな。でも、この写真見る限り日本国内っぽいな」

「そういや樋高さんってオカルト雑誌の記者だっけか。こういう現実離れしたもの、本気で信じてるのかな」

 ただ、現実らしくない、って意味では樋高さんの見た目が一番現実から乖離していたような気がする。ここに飾られている絵は、現実とはかけ離れているものの、周囲に溶け込んでいるようには見えるから。それが作られた調和なのかどうかは、私には判断がつかなかったが。

 額縁に飾られた絵の他には、台座に載せられたこれまた奇妙な物体たち。キャプションがついていないため、それぞれが「何」であるかすら定かでないものがほとんどだ。あ、これはクリスタルスカルかな。

「信じているのか、否か。その辺りは、ヒカルさん本人に聞けるのが一番いいんだけど――」

 と、サンゴくんの言葉が急に止まった。何かと思ってサンゴくんの見つめている方を見れば、ノイズを纏ったひょろりとしたシルエットが、また一人、曲がり角から現れようとしていた。

 手にした銃を握る手が汗ばむ。果たして、次は上手くやれるだろうか。あくまで、生理的な反応は私自身のイメージに過ぎないとわかっていても、手が冷えていくのを止めることができない。

 その時、ぐい、と手を引かれた。

 まさか後ろにももう一人? と、思って慌てて振り向けば。

「こっちに隠れて。早く」

 低く、囁くようでいて鋭い声。そこにいたのは、

「樋高さん?」

 病室で目にしたしょうゆ顔の平凡な面構えと全く一致しない、ばっちり派手なメイクを施した顔に、華やかなカラーの――そして、おそらく意図的に輪郭や首筋のラインを隠すデザインの――ウィッグ。そして、ふんだんにフリルやリボンをあしらった、まさしく二次元から飛び出してきたような姿をした、樋高さんだった。

 樋高さんは、ラメを載せた長い睫毛に縁どられた目を見開き、それからにっこり笑うのだった。

「誰かと思えばアザミガハラさん。あっすごいすごい、その拳銃、本物ですか? かっこいー」

 と、いたって明るく言いながらも、そんな指先でものが持てるのか、と疑いたくなるような長いネイルをあしらった手で屈むように指示してくる。

 ちょうど、展示物の台座と台座の隙間、陰になっている部分にすっぽり収まる形だ。そして、息を殺しているうちに、目の前をノイズを帯びたシルエットが行きすぎる。視線を真っ直ぐ前に向け、台座には全く目もくれなかったため、存在には気づかれずに済んだようだ。

 が、その数秒後、今度は逆の方向からやってきたシルエットが横切った。行って引き返してきたのか、それとも。

「二人、いや、ここにはもっとたくさんいるのか、『解体屋バラシヤ』の影が」

 サンゴくんが呟く。私の夢の時には、『解体屋バラシヤ』はあらゆる場所に現れたが、それでも一人を撃った時点で夢から覚めることができた。だが、今回はそうではないらしい。無数の『解体屋バラシヤ』の目をかいくぐりながら、別の解を探す必要がある、そういうことなのかもしれない。

 と、思考を巡らせていると。

「うわあ……」

 樋高さんの何とも言えない声が意識に滑り込んできた。見れば、樋高さんは私が小脇に抱えたサンゴくんを凝視していた。

 サンゴくんは切れ長の目を細めて、朗らかに笑う。

「やあ、ヒカルさん。久しぶり」

「いやー、どしたのセンセー、随分面白いかっこしてるね?」

 ――先生?

 サンゴくんって、もしかして、元々は「先生」なんて呼ばれ方をする職種だったのか。

 よくよく考えてみると、私はサンゴくんの本名も年齢も職業も聞かされていないと気づく。生首を見てもその発想にはならないし、現実における姿を見た今でも、とにかく現実味がないノリで接してくるから、「社会に生きてきた人間」であるという実感がないのである。

 樋高さんを見上げたサンゴくんは、笑みを崩さずに言う。

「いやはや、ヒカルさんの活躍のおかげで、俺は首から上だけになってしまってね」

「つまり、『イジリテ』も形無しってわけね。あたし、センセーのお手手は綺麗で大好きだったから、ちょっと残念だけど」

 でもセンセーの場合、その手がまさしく「凶器」だもんね、と。樋高さんはキュートかつ不敵に笑うのだった。

「……『イジリテ』?」

「そですよ、アザミガハラさん。この人、今はこんなかわいいかっこしてるけど、実は人の心ん中を覗き込んで、手でぎゅっぎゅってして、全然別の形にしちゃう、とびっきりこわーいエスパーなんですよ?」

 ――手。

 言われてみれば、サンゴくんは「手」がないと力がろくに使えないって言ってたな。その「手」を使わせないために、現実世界でも精神世界でも首から下の存在を認識させないようにしている、と。どうやら、樋高さんもそのことを言っているらしい。

「だから捕まるまでは『玩弄手イジリテ』と呼ばれていてね」

 私に軽くウインクしてみせてから、サンゴくんは改めて樋高さんに視線を向け直す。

「今はその手がないわけだから、安心してくれたまえよ、ヒカルさん」

「わっかんないじゃーん、そんなこと言いながらずっと逃げおおせてたんだからさ、センセーは」

 と、頬を膨らませて言って、それからはっとした顔で言った。

「えっ、つまり、センセーがそんなかっこでにいるってことは、ここって……、あたしの心ん中だったりする?」

「そうだね。君は『解体屋バラシヤ』と呼ばれる、所謂とびっきりこわーいエスパーにやられて、昏睡状態にある。俺とアザミさんは、『解体屋バラシヤ』の手がかりを得るため、そして君を助けるためにここに来たんだ」

 普通なら、にわかに信じられるような話ではあるまい。しかし、元々サンゴくんが「エスパー」であるということを知っているのに加えて、『解体屋バラシヤ』の存在にも気づきつつある様子だった樋高さんだ。そう驚くことでもないのか……、と、思いきや、顔面が蒼白になり、わなわなと握った拳が震えている。大丈夫だろうか、と思ったその時。

「ってことは、ってことはさぁ、見たってこと!? あたしの素顔!」

 そう、頭を抱えて言い放ったのだった。

「俺は見てないけど、アザミさんは」

「やだ~! 絶対にそれだけは見られたくなかったのに~! せめて三崎ミサキちゃん辺り気を遣ってほしかっ……、無理だな……」

 うん、三崎さんに何一つ期待しちゃいけないということは、私も確信をもって頷ける。

 それにしても、だ。

「やっぱりそこが重要なんだ……」

 思わず呟いてしまった私に、樋高さんはびしりと指を突き付けてくる。

「モストインポータント! ですよ! 忘れてくださいね、アザミガハラさん! あたしとのお約束ですっ!」

 うーん、そう言われると逆に忘れられないような気はするのだけど、それでも。

「わかりました、お約束です」

 と答えた私は、きっと笑っていたのだと思う。

 だって、とてもほっとしたのだ。樋高さんの心の中において、樋高さん自身が生き生きしている、ということに。私たちと語らってくれている、ということに。それは、樋高さんの心がまだ生きることを諦めていないということに、他ならなかったから。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、樋高さんは「よし!」と一つ、満面の笑みで頷いたのだった。

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