17:額縁
私一人ではもちろん人の精神世界に入り込むことなど不可能だ。
ともあれ、サンゴくんに手を引かれるように、私は眠り続ける
そして、意識の上で、
途端、視界に飛び込んできたのは、ノイズを纏い、かろうじてシルエットで「長身の男」だとわかる、刀を持った男。それが、今まさに私に向けてゆっくりと歩み寄ってこようとしていた。
「いきなりぃ!?」
「アザミさん! こっちだ!」
視線はノイズまみれの男――推定『
素早くサンゴくんを抱え上げる。ずっしりとした重みは、しかし私にとっては夢の中における生命線だ。サンゴくんの顎に手をかけて片手に抱え直し、右手を自由にして。
「抵抗しても問題ない?」
「ああ、遠慮なくどうぞ」
サンゴくんの言葉は軽い調子だが、心強い。私の「抵抗」は、サンゴくんあってこそなのだから。
迫る『
躊躇いなく引き金を引く。相変わらず反動はほとんどなく、撃てているのかどうかは発砲音とその結果でしかろくに判断できない。
ただ、どうやら今回もきちんと命中していたようで、刀を振り上げていた『
そのまま、頭部を失ったシルエットが絨毯の上に仰向けに倒れ込んだかと思えば、紙吹雪のような薄片と化し、空気に溶けていく。
そこまでを見届けて、やっと。
「やっ……た?」
この手の銃が、正しく役割を果たしたのだと、実感できるわけだ。
「そうだね、気配が消えた。もちろん、これはヒカルさんのイメージとしての『
「ここで撃てば本物も痛がるくらいだとありがたいんだけどなあ」
「死んでればいいのに、じゃないんだな」
「わかってないなあ。私、腐っても警察だよ。それに?」
「それに?」
「死んじゃったら、そこでおしまいでしょ。罪を償わせることだってできない」
そう、私は、『
殺人の罪を抱えた『
「なるほどな。アザミさんは厳しいな」
「そのくらいのことをしでかしてるってこと。サンゴくんもね」
「反省はしてるんだよ、これでも」
「うーん、説得力皆無」
能力に替えが利かないとか、比較的温和で扱いやすいとか、サンゴくんが井槌さんたちに使われている理由は色々あるんだろうが、井槌さん、よくサンゴくんを信用して調査に協力させようなんて考えたなあ。
確かにサンゴくんは献身的に私を助けてくれるし、過去その能力を振るって『
「まあ、説得力がないのはわかってるから、行動で示していくよ」
示し続けていく、と言い換えとこうか、とサンゴくんはウインクする。
「一度でも行動で示すことを止めてしまえば、二度目はないってわかってるつもりさ」
井槌さん曰く、『
「サンゴのように、こちらの研究に協力的な者は稀有だけど」
そう苦笑してみせた井槌さんに、「そりゃそう」と答えたものだ。そんな人権のない扱いされて、いい気分でいられる奴は相当頭のネジが足りていない。つまりサンゴくんのことだが。
「まあ、サンゴも、いつ気が変わるかはわからないからな。
その場合、サンゴくんはどうなるのか、と聞いたところ、井槌さんは常にうっすら浮かべている苦笑を数段深めて言ったのだった。
「能力の研究は続けるが、二度と、サンゴの自由意志を許すことはなくなるだろうな」
サンゴくん曰くの「二度目はない」というのはそういうことだ。
「さて、アザミさん。ここはどこだと思う?」
サンゴくんの言葉にふと我に返る。言われるまでもなく樋高さんの精神世界――なわけだが、質問の意味はそういうことじゃない、と一拍遅れて気づく。辺りを見渡して、自分の記憶の中にある光景と照らし合わせて。
「美術館……、かな」
俺にもそう見える、とサンゴくんは私に抱えられたまま軽く顎を引いた。
天井は高く、灯りらしいものは見えないのだが、不思議と一定の明るさを保っている空間。複雑に折れ曲がった回廊の壁には立派な額縁が並んでおり、そこには色々な絵が飾られている。油絵、水彩画、版画にラフスケッチ、はたまた写真まで「絵」の種類は様々だが、描かれているものはもっと様々だった。
「これはUFO? 街中のなんかよくわかんない足跡に、心霊写真。こっちの影は何だろ」
「ネッシーじゃないかな。でも、この写真見る限り日本国内っぽいな」
「そういや樋高さんってオカルト雑誌の記者だっけか。こういう現実離れしたもの、本気で信じてるのかな」
ただ、現実らしくない、って意味では樋高さんの見た目が一番現実から乖離していたような気がする。ここに飾られている絵は、現実とはかけ離れているものの、周囲に溶け込んでいるようには見えるから。それが作られた調和なのかどうかは、私には判断がつかなかったが。
額縁に飾られた絵の他には、台座に載せられたこれまた奇妙な物体たち。キャプションがついていないため、それぞれが「何」であるかすら定かでないものがほとんどだ。あ、これはクリスタルスカルかな。
「信じているのか、否か。その辺りは、ヒカルさん本人に聞けるのが一番いいんだけど――」
と、サンゴくんの言葉が急に止まった。何かと思ってサンゴくんの見つめている方を見れば、ノイズを纏ったひょろりとしたシルエットが、また一人、曲がり角から現れようとしていた。
手にした銃を握る手が汗ばむ。果たして、次は上手くやれるだろうか。あくまで、生理的な反応は私自身のイメージに過ぎないとわかっていても、手が冷えていくのを止めることができない。
その時、ぐい、と手を引かれた。
まさか後ろにももう一人? と、思って慌てて振り向けば。
「こっちに隠れて。早く」
低く、囁くようでいて鋭い声。そこにいたのは、
「樋高さん?」
病室で目にしたしょうゆ顔の平凡な面構えと全く一致しない、ばっちり派手なメイクを施した顔に、華やかなカラーの――そして、おそらく意図的に輪郭や首筋のラインを隠すデザインの――ウィッグ。そして、ふんだんにフリルやリボンをあしらった、まさしく二次元から飛び出してきたような姿をした、樋高さんだった。
樋高さんは、ラメを載せた長い睫毛に縁どられた目を見開き、それからにっこり笑うのだった。
「誰かと思えばアザミガハラさん。あっすごいすごい、その拳銃、本物ですか? かっこいー」
と、いたって明るく言いながらも、そんな指先でものが持てるのか、と疑いたくなるような長いネイルをあしらった手で屈むように指示してくる。
ちょうど、展示物の台座と台座の隙間、陰になっている部分にすっぽり収まる形だ。そして、息を殺しているうちに、目の前をノイズを帯びたシルエットが行きすぎる。視線を真っ直ぐ前に向け、台座には全く目もくれなかったため、存在には気づかれずに済んだようだ。
が、その数秒後、今度は逆の方向からやってきたシルエットが横切った。行って引き返してきたのか、それとも。
「二人、いや、ここにはもっとたくさんいるのか、『
サンゴくんが呟く。私の夢の時には、『
と、思考を巡らせていると。
「うわあ……」
樋高さんの何とも言えない声が意識に滑り込んできた。見れば、樋高さんは私が小脇に抱えたサンゴくんを凝視していた。
サンゴくんは切れ長の目を細めて、朗らかに笑う。
「やあ、ヒカルさん。久しぶり」
「いやー、どしたのセンセー、随分面白いかっこしてるね?」
――先生?
サンゴくんって、もしかして、元々は「先生」なんて呼ばれ方をする職種だったのか。
よくよく考えてみると、私はサンゴくんの本名も年齢も職業も聞かされていないと気づく。生首を見てもその発想にはならないし、現実における姿を見た今でも、とにかく現実味がないノリで接してくるから、「社会に生きてきた人間」であるという実感がないのである。
樋高さんを見上げたサンゴくんは、笑みを崩さずに言う。
「いやはや、ヒカルさんの活躍のおかげで、俺は首から上だけになってしまってね」
「つまり、『イジリテ』も形無しってわけね。あたし、センセーのお手手は綺麗で大好きだったから、ちょっと残念だけど」
でもセンセーの場合、その手がまさしく「凶器」だもんね、と。樋高さんはキュートかつ不敵に笑うのだった。
「……『イジリテ』?」
「そですよ、アザミガハラさん。この人、今はこんなかわいいかっこしてるけど、実は人の心ん中を覗き込んで、手でぎゅっぎゅってして、全然別の形にしちゃう、とびっきりこわーいエスパーなんですよ?」
――手。
言われてみれば、サンゴくんは「手」がないと力がろくに使えないって言ってたな。その「手」を使わせないために、現実世界でも精神世界でも首から下の存在を認識させないようにしている、と。どうやら、樋高さんもそのことを言っているらしい。
「だから捕まるまでは『
私に軽くウインクしてみせてから、サンゴくんは改めて樋高さんに視線を向け直す。
「今はその手がないわけだから、安心してくれたまえよ、ヒカルさん」
「わっかんないじゃーん、そんなこと言いながらずっと逃げおおせてたんだからさ、センセーは」
と、頬を膨らませて言って、それからはっとした顔で言った。
「えっ、つまり、センセーがそんなかっこでにいるってことは、ここって……、あたしの心ん中だったりする?」
「そうだね。君は『
普通なら、にわかに信じられるような話ではあるまい。しかし、元々サンゴくんが「エスパー」であるということを知っているのに加えて、『
「ってことは、ってことはさぁ、見たってこと!? あたしの素顔!」
そう、頭を抱えて言い放ったのだった。
「俺は見てないけど、アザミさんは」
「やだ~! 絶対にそれだけは見られたくなかったのに~! せめて
うん、三崎さんに何一つ期待しちゃいけないということは、私も確信をもって頷ける。
それにしても、だ。
「やっぱりそこが重要なんだ……」
思わず呟いてしまった私に、樋高さんはびしりと指を突き付けてくる。
「モストインポータント! ですよ! 忘れてくださいね、アザミガハラさん! あたしとのお約束ですっ!」
うーん、そう言われると逆に忘れられないような気はするのだけど、それでも。
「わかりました、お約束です」
と答えた私は、きっと笑っていたのだと思う。
だって、とてもほっとしたのだ。樋高さんの心の中において、樋高さん自身が生き生きしている、ということに。私たちと語らってくれている、ということに。それは、樋高さんの心がまだ生きることを諦めていないということに、他ならなかったから。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、樋高さんは「よし!」と一つ、満面の笑みで頷いたのだった。
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