16:面

「らしくないなあ、ヒカルさん」

 サンゴくんの第一声はそれだった。

 私とサンゴくんは、窓の外に大きな月が輝くサンゴくんの部屋――精神世界で向き合っている。今日のお供は流石にお酒ではなく、可愛らしいティーカップに入った、温かな紅茶だ。座り心地の良いソファに深く腰掛け、横に無造作に乗っている、生首のサンゴくんを見やる。その面構えは、いつになく険しい。

 記者の樋高ヒダカヒカルさんが意識を失った状態で運ばれてきて、一日。井槌イヅチさんたちが検査をした結果、どうも私や磯兼イソカネさんと同様に、精神を一部バラされているように思われた。そのため、私とサンゴくんに、樋高さんの精神世界への出動要請が出たのだった。

 しかし、ここに至るまでに色々と情報が錯綜しており、またサンゴくんは樋高さんについてよく知っているとのことだったので、事前に一旦サンゴくんと直接話をしておこう、という話になったのだ。

 磯兼さんの時には結局見ていただけで何もできなかったが、今回は単に『解体屋』の情報を得るだけではなく、せめて何か……、樋高さんの助けになれるように。そのためにも、多少は樋高さんという人について知っておく必要があると思ったのだ。

 とはいえ、まず、一つ。どうしても言いたいことがあって、口を開く。

「っていうかさ、サンゴくん」

「何かな?」

「樋高さんって、男性だったんだ!?」

 それはもうめちゃくちゃびっくりした。別に男性だからどうこう、というつもりはないが、井槌さんに連れられて眠る樋高さんと顔を合わせた時、同姓同名の別人としか思えなかった。

 元々サンゴくんの起こした事件を通して樋高さんとも面識があるらしい井槌さんと三崎ミサキさんから同一人物と証言してもらって、やっと私の見た樋高さんだと信じるしかなくなった、というレベル。

 いや、だって、町中で見ても全く印象に残らないと言い切れるしょうゆ顔の男性と、あのやたら派手で愛らしく、二次元の世界から飛び出してきたような、それこそ唯一無二の個性を発揮していた人と同一人物だなんて、誰が想像できよう。確かに樋高さん、よくよく見るとちょっと骨太な印象だなとは思ってたけれども……!

 しかし、サンゴくんは「ああ」と当然のように言う。

「そっか、アザミさんは知らなかったのか。びっくりするよな、俺も最初全然気づかなかったし」

「サンゴくんですら気づかなかったのか……」

 人の心に潜る、なんて規格外の能力を持つサンゴくんですら印象を操作されていた、ということなのだから、つまり、樋高さんの方がサンゴくんより一枚も二枚も上手だということだ。

 もし無事に目が覚めたなら、化粧のやり方とか教わりたいな。別に樋高さんほど極端なものを求めているわけではないのだが、本来の己に仮面をかぶせるように、自分の理想とする形に「化ける」のが上手いということは、素直に尊敬に値する。

「ヒカルさん、素顔見られたって聞いたらめちゃくちゃ恥ずかしがるだろうな。俺も直接は見たことないんだ」

「そうなんだ、徹底してるなあ」

「だから、余計にらしくないなって思うよ。ヒカルさん、ああ見えてとっても警戒心の強い人でさ、勘も鋭いから、なかなか付け入る隙がない方だと思ってたんだけど」

 ぶつぶつと言うサンゴくんは眉を寄せて目を細めており、いつにない気迫に満ち満ちている。いや、気迫というか、これは……。

「サンゴくん、怒ってる?」

 サンゴくんはぱちぱちと瞬きをして、それから少々ばつが悪そうに苦笑してみせた。

「そう見えたかな」

「かなり。眉間の皺がすごーい」

 苦笑を浮かべてみせてもまだまだ皺が寄っている眉間を親指でぐりぐりしてやる。「わー」と気の抜けた声を上げてみせたサンゴくんは、私が手を離した時には、もう今まで通りのサンゴくんだった。

「こういう仕事だから、平常心が大事だとは思ってるんだけどな。流石に今回はイラっと来たな」

「サンゴくんは、本当に樋高さんのことが好きなんだねえ」

 つい、茶化すような言い回しになってしまったが、別に茶化したかったわけではないのだ。単純に、サンゴくんが樋高さんを特別に思っているらしいということがそこかしこから伝わってきて、なおかつ、その「特別」が決して悪い評価ではなさそうで。だから、一番近い表現が「好き」なのかな、と思った。それだけの話。

 ただ、サンゴくんにとってそれはどうも引っ掛かりを覚える言葉だったらしく、「うーん」と唸る。自由に首を動かせたなら首をひねっていたに違いない。

「好き……、っていうか、何だろうな。俺をやり込めたんだから、俺以外の奴に殺されるのは筋違いだろ、みたいな?」

「完全に、ターゲットに執着する殺人鬼の台詞なんだわそれ」

「何せ俺、殺人鬼だったからね」

「笑えないジョークなんだよね。とはいえ、『だった』ってことは今はその気はないんだ」

 そりゃそう、とサンゴくんはへらりと笑う。別に好き好んで殺す趣味があるわけじゃないからね、と。

「とはいえ、殺意がないことを証明しろ、って言われても困るけど」

「まー、これからの行動で示してくれればそれでいいよ」

 実のところ、証明されるまでもなく、サンゴくんは殺人を嗜好するタイプではない、とは思っている。もちろん、これはサンゴくんと共に過ごしたほんの少しの時間からの分析でしかないから、私が全然サンゴくんの本質を見ていないということもありうる。それでも、少なくとも私の前にいるサンゴくんは、事件の解明にごくごく真摯な姿勢でいるから。行動で示してくれている限りは、私はサンゴくんを疑わないと決めている。

 サンゴくんは、もう一度、ぱちぱちと激しく瞬きして。それから、表情をやわらげた。

「ありがとう、アザミさん」

「別に感謝される理由もないけど、ありがたく受け取っとくよ」

「アザミさんのそういうとこ、好ましいと思うよ」

「ありがと」

 そんな、軽いやり取りを経て、改めてソファの上のサンゴくんに向き合う。

「で、サンゴくん。どうして樋高さんが狙われたんだと思う?」

「まあ、十中八九、『解体屋バラシヤ』のしっぽを掴んだから、じゃないかな。いや、ずっと掴んではいたんだと思うけど。樋高さんが警察署を訪ねたのも、そのあたりの情報を握ってたからだろうし」

 そうか、私は夢の中で「バラバラ殺人の犯人に関わる情報提供者」と認識していて、今の今までも混乱して記憶していたが、真実は違うのだ。

「樋高さんは、大槻オオツキさんの死因が、単なる突然死なんかじゃなくて、精神をバラされての死だと気づいてたってこと……?」

「ヒカルさんは『他者の精神に潜り、弄れる人間が存在する』ってことも、それによって死に至る可能性も知ってるからな。おそらく、今までも不審に思っていて、大槻さんが突然亡くなったあたりで確信に至ったんだろう。もしくは、そう確信するだけの場面を目撃したか」

「……でも、城守キモリさんたちには門前払いを食らった」

 そりゃそうだ、樋高さんがどれだけ『潜心者モグリシ』の存在を知っていて警鐘を鳴らしたところで本気に取ってもらえるわけがない。オカルト雑誌の記者、という肩書きがその胡散臭さに更に拍車をかけたところもありそうだ。

 しかし、話はそこで終わりではない。

「そんな中、ただ一人だけ、ヒカルさんの話に食いついたのが、アザミさんだったわけだな」

「樋高さんは、私と話をするために、植物園に私を呼び出した……、けど、私はそこで『解体屋バラシヤ』に襲われた」

「これだけだとヒカルさんめちゃくちゃ怪しいけどな」

「確かに?」

 だが、その樋高さんも被害者となった以上、樋高さんが犯人である可能性は一旦捨ててよいだろう。

「樋高さん、大槻さんの事件前後から井槌さんたちともそれなりに頻繁にコンタクトを取ってたみたいだよね。でも、私が倒れたあたりから連絡がなかったって」

 このあたりは井槌さんや三崎さんが教えてくれたことだった。

 樋高さんは井槌さんたちにとっては「部外者」であるため――サンゴくんが起こした事件を経て、井槌さんは樋高さんを自分たちのチームに誘ったのだが、断わられたのだそうだ――、詳細は教えられなかったものの、サンゴくんと同じような『潜心者モグリシ』が関連している可能性が高い旨はそれとなく伝えていたらしい、のだが。

「その間、ヒカルさんが何をしてたのかも気になるとこだな。ヒカルさん、無茶するからなあ」

「樋高さんが過去に何したのかは知らないけど、サンゴくんの中の樋高さんのイメージは何となく見えてきた気がするよ」

 とにかく、一人でガンガン行動できてしまうタイプの人なんだろうな。物怖じという言葉を知らず、不可解な現象を前にしても頭から否定するのではなく、存在そのものを認めた上で、迎え撃ったあげくに暴き出す、ような。

「うん、そんな感じだな」

「さらっと心覗くのやめてくんないかな」

「ごめんごめん」

 全く悪いと思ってない面だな、それは。

「とにかく、俺個人の感情もあるにはあるけど、そうでなくてもヒカルさんには確かめたいことがたくさんあるわけだ」

「そうだね。そのためにも……、目覚めてもらうのが一番いいわけだけど」

「まあ、助けられるかどうかは『解体屋バラシヤ』がどう斬ったのかにも関わってくるから、楽観視はしないようにはするよ。けど」

 ――希望は、失ってはならない。

 サンゴくんは、そう言った。

「今、助けられないとしても、俺がもっと上手くやれるようになれば。もしくは井槌さんたちの研究が進めば。『潜心者モグリシ』に傷つけられた者を治療できる可能性だって、皆無ではない」

 細められた切れ長の目は、酷く真剣な色を帯びていた。

「その可能性を閉ざさないためにも。まずは俺とアザミさんで挑んでみよう。助けられる、助けられないにかかわらず、ね」

「言われなくとも」

 私は一つ、頷きを返す。

 今はとにかく『解体屋バラシヤ』を捕まえることを最優先に考えてしまいがちだが、それでも、私だって助けられるはずの人を一人でも多く助けたい。その思いを捨てたつもりはないし、そもそも、助けを求める誰かに手を伸ばすために、今の仕事を志したのは間違いないのだ。

 もちろん、手遅れのことの方が多いし、伸ばした手を払われることもある。

 それでも、それでも、だ。

「やってもいないことを、端からできないって決めつけるのは、バカのすることだからね。今ばかりは、サンゴくんの手になるよ」

 それは、きっと。

 今まさに傷つき眠る樋高さんだけでなく、その樋高さんを特別に思っているだろう、サンゴくんに手を伸ばすことでもあるだろうから。

 かくして、サンゴくんは微笑んだ。どこか無邪気に、嬉しそうに。

「ありがとう、アザミさん。アザミさんの手を借りられるなら、百人力だな」

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