15:猫
嫌な予感がする。嫌な予感はするのだが、だからといって避けて通るわけにはいかないのだ。
もう出歩ける程度には回復はしているから、
そこに、再び城守さんが現れたのだった。
綺麗な顔を台無しにしている不機嫌丸出しの面構えは、毎度のことながら病人の見舞いには到底不釣り合いだ。まあ、今回は見舞いが主な目的ではないので、それも当然とはいえるのだが。
「来たぞ、
「順調に回復してますが、まだ検査とか何やらが必要なようで。もうちょい復帰までかかりそうです」
これも方便というやつだ。実際、自分が復帰したところでどれだけ城守さんの役に立てるかは怪しかったが――。
「早く復帰しやがれ、元より手が足りねーのはよくよくわかってんだろ。お前のような奴でも猫の手よりはマシだ」
と、舌打ち交じりに言ってもらえる程度には、城守さんの中で戦力としてカウントされているらしい。ほっと胸をなでおろすが、もしかしてここで戦力外通告を受けて、別の部署に回された方が城守さんの暴言にさらされずに済むのでは……? という気持ちになってしまうの、完全に城守さんの人望なんだよな。
「それで、……瑞沢チアキの話なんですが」
「その件だが」
と言ったところで、城守さんは眼鏡の下で目を細め、病室を見渡す。この場には私と城守さんしかいないのだが、それでも城守さんは深々と溜息をついて言う。
「外に出られるか。ここだと話しづらい」
とても嫌な予感しかしない。
それでも、城守さんについて、病室を出て廊下を行き、そして病院の中庭へ。風はやや肌寒い。上着を着てくればよかったな、と思っていると、城守さんはやはり辺りを警戒するように視線を走らせて、それでもこちらの声が聞こえるような範囲に人の姿が見えないことを確認して、やっと口を開いた。
「瑞沢チアキなら、見つかった」
「見つかったんですか?」
「ああ。だが、バラバラ死体としてな」
「……え?」
バラバラ死体。私は確かにサンゴくんと、「精神をバラバラにする」犯人を追いかけていたはずだが、『
「実際に、肉体が、バラバラにされてたってことですか」
「それ以外に何があるってんだ」
「そりゃそう……、ですよね」
そういうことになる。当然だ。当然だけれども、突如として現実のバラバラ殺人を突き付けられてしまうと、何とも奇妙な心持ちになる。しかも、それが、一連の事件の手がかりを握っているはずの瑞沢チアキの身に起こっていた、なんて。
「死後それなりに経過しているらしいが、まだ詳しい情報は出てきていない」
「一体、どこにいたんですか、瑞沢さん」
「F県の山ん中、でかい湖のほとりに埋められていたとさ」
――湖?
そんな私の心を読んだかのごとく、城守さんは左右が非対称の笑みを浮かべて言う。
「捜査の結果、今までマークされてなかった磯兼コウタという男の名前が挙がってきた。どうも、瑞沢が見つかった湖のそばを不審な様子でうろついてたらしい。そして、よくよく調べてみれば、瑞沢と思しき女と並んでいるところを目撃されていた。どうも、こいつが瑞沢の失踪に関わってるとみて、捜査を進めてたわけだが――」
その磯兼が、昏睡状態で発見されて、この病院に運び込まれたのだ、と、城守さんは言った。その目があまりにも鋭くて、こちらの心の奥底をも覗き込まれているかのようで。黙って城守さんの話を聞いている方が利口なのだろうと思いつつも、つい、口を挟まずにはいられなかった。
「その、磯兼さんは、どうして昏睡状態に?」
「知らん。目覚める気配はなく、容態もよいとは言えないらしい。まあ、原因不明ってことは、お前のように突然目覚めることもあるしな」
それはそうだが、
「そんなわけで、失踪事件が本格的に殺人事件になっちまって、今はとにかくバタバタしてんだ。ああ、俺が話したことは当然ながら部外秘だ、黙ってろよ」
「もちろんです。……それにしても、随分警戒されていますよね」
わざわざ、部屋を離れて外にまで出てくるあたり、どうも城守さんは他の誰かに聞かれることを、一種過剰なまでに警戒している。普段の城守さんらしくもない態度ではある。城守さんは、どちらかといえば常に堂々としていて、何か不都合が起ころうとも己の力でねじ伏せる、そういう性質の人であるから。
すると、城守さんは軽く肩を竦めてみせる。
「最近、どうも嫌な視線を感じることがあってな。陰から誰かが見てるような気配はするんだが、未だに首根っこが掴めてねーんだ」
「それ、ストーカーじゃないんですか?」
「やめろやめろ」
城守さんは、見た目だけは抜群に美人だから、昔は何かを勘違いした輩につきまとわれることがしばしばあったようで。そのため、ストーカーという言葉にはそれはもうめちゃくちゃ嫌な顔をする。
「くそっ、見つけたら二度と立てない体にしてやる」
「それ、警察の人の台詞じゃないですよ」
捕まえるとかじゃなくて、まず自分で殴る蹴るの暴行を加えるつもり満々か、この人。私刑は許されないんだけどわかってんのかな城守さん。
「とにかく、薊ヶ原も気をつけろよ。くれぐれも変な奴に絡まれるんじゃねーぞ」
うーん、もはや手遅れかもしれん。
変な奴、という言葉に、私のことを妙に気に入っているらしい、おしゃべりな生首のことを考えずにはいられなかったのだった。
* * *
「やっほー、薊ヶ原さん。上司は帰ったんだ?」
部屋の扉に手をかけたその時、ちょうど廊下を通りがかったらしい
「そうですね。……どうも、瑞沢さんが、殺害されてたらしいとわかりまして」
いくらそのあたりの情報を共有しないと話が進まないとはいえ、城守さんから
「黙ってろ」と言われた内容を即座に話してしまえるあたり、私も
「うわっ、マジか。その話、中で詳しく聞かせてくれる? 井槌もすぐ呼ぶわ」
「お願いします」
三崎さんが携帯端末を取り出し、部屋に入りながら井槌さんのアドレス宛に電話をかけようとする。
しかし、どうも井槌さんの方も取り込み中なのか何なのか、何度かけても井槌さんを捕まえることができないようだった。
「くそっ、さっぱり出ねーな。あいつ寝てんじゃなかろうな」
「まあまあ、もう少し待てば折り返してくれるんじゃないですかね」
しばらくここで見ていてわかったのだが、研究員としては三崎さんの方が井槌さんよりずっと後輩であることは間違いなさそうだ。では、この三崎さんの態度は井槌さんの親しみやすい雰囲気がそうさせているのだろうか。言い換えれば、井槌さんが三崎さんに全力で舐められてる、ということになるわけだが。
「しゃーない、詳しい話は井槌が来てからね。何ならサンゴにも遠隔で聞いてもらえるように声かけとくか」
「ありがとうございます」
ぽちぽちとスマホを弄る三崎さん。どうやらサンゴくんと直接会話をするのは難しいが、サンゴくんの目が覚めていれば、こちらの話してる内容を聞く程度のことはできるらしい。誰よりもサンゴくんに知っていてもらいたかったのでありがたい。
――これほどまで、サンゴくんやここの研究員たちを信頼してよいのか、とは思わなくもないのだが、『
「そうだ、うちからも一つ薊ヶ原さんに話したいことあったんだわ、すっかり忘れてたんだけども」
不意に、スマホを弄る三崎さんが顔も上げずに言う。
「何ですか?」
「昨日だったかな、もう一人のなよっとした刑事を見たんだよね、病院の近くで」
「甘池さんですか?」
なよっとした、って言い方はどうかと思うが、しかし甘池さんの形容としては極めて正しいんだよな。頭の中に甘池さんの気の抜けた顔がぱっと思い浮かぶもの。
「そう、ヒカルちゃんとおしゃべりしててさ」
「……え?」
「ヒカルちゃん。
「いや、それはわかります、わかりますけど」
三崎さんは樋高さんのことヒカルちゃんって呼んでるんだなあ、ってそうじゃないんだよ。
「あの、やたらめったら派手で明るい記者の樋高さんのことですよね? 三崎さん、お知り合いなんですか」
「そりゃあもう、ヒカルちゃんはサンゴの事件にがっつり関わってたからね。今やマブダチだよマブダチ」
「そういや、サンゴくんもそんなこと言ってたな……」
樋高さんは、サンゴくんを今の姿にした張本人だということだから、要するに、サンゴくんがこの施設に囚われるきっかけを作ったのが、他でもない樋高さんだということなんだろう。
それはまあ、後できちんとサンゴくんから話を聞くにしても、だ。
「樋高さんと甘池さんが一緒にいたってことですか」
「うん、みょーにピリピリした雰囲気だったから、声はかけらんなかったんだけど」
私が植物園に行ったのは樋高さんに会うためだった、はずだ。しかし、現実には私は植物園に倒れているところを発見されている。つまり、私はおそらく夢の通りに樋高さんには会えず、代わりに現れた『
いや、夢の中では甘池さんが私を助け起こしてくれていたが、現実ではどうだったのだっけか……? どうもこの辺りの記憶が、『
とにかく、樋高さんと甘池さんが一緒にいたということに、妙な胸騒ぎがする。どちらも、私が斬られたあの日の出来事に無関係ではないのだから――。
「二人は、その後どうしたんですか?」
「あ、見てない。いやー、この辺で見かけないかわいい猫ちゃん見つけちゃって、そっちに気を取られて」
「もー!」
三崎さんらしいっちゃらしいけども!
その時、三崎さんのスマホがけたたましく鳴った。「井槌だ」と言って三崎さんがスマホに耳を当てる。
「連絡遅いんだよ井槌~、こっちは薊ヶ原さんが重要な話持ってきて……、って、あ?」
早口でまくしたてていた三崎さんが、ぴたりと言葉を止める。目を見開き、ぽかんとした顔になって。
「ヒカルちゃんが? 意識不明で搬送されてきたって?」
そう、言ったのだった。
「……え?」
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