14:月

 ――磯兼イソカネ氏は、あれきり目覚めることがない。

 井槌イヅチさんはしきりに手元の資料を確認しながら言ったものだった。

「どうも、磯兼さんは薊ヶ原アザミガハラさんの見た光景を繰り返し夢に見ているらしい」

 これは、井槌さんが直接確認したわけではなく、脳波やら何やらが、私たちが磯兼さんの精神世界に潜っている間のそれを一定期間で繰り返ししていることから、「こういうことだろう」と判断しているとかなんとか。

「『解体屋バラシヤ』は、磯兼さんの精神の全てをバラバラにしたわけではないんじゃないかって見てんだよね」

 と言ったのは三崎ミサキさん。

「今までの、薊ヶ原さんより前の三人の被害者は、手の付けようがなかった。ほとんど即死と言っていい。肉体が即死してなくとも、精神がバラバラだった」

 けれど、薊ヶ原さんと、今回の磯兼さんは違った、と三崎さんは分析を語っていく。

「薊ヶ原さんの場合は、自分でもわかってると思うけど、『解体屋バラシヤ』についての記憶があやふやになっている。で、磯兼さんの場合は……、詳細はわからないまでも、どうも瑞沢チアキという人物にまつわる記憶に刃を入れられたんじゃないか、って話。これはほとんどサンゴの分析だけどね」

「瑞沢チアキという人物は、薊ヶ原さんが追っていた、失踪した女性ということだったね」

 井槌さんの確認に、ひとつ、頷きを返す。

「はい。ただ、今のところ行方はわかっていないはずです」

「もしかすると、その女性も……、無事ではないのかもしれないな」

 実のところ、私も戻ってきてからずっとそのことについて考えていた。私にとっては見ず知らずの磯兼氏が、行方不明の瑞沢チアキを知っていた。その瑞沢チアキは、何故か磯兼氏の精神世界でバラバラになった。そして磯兼氏は誰とも知らぬその相手に、復讐を誓っていたことを思い出す。

 つまり、磯兼氏は瑞沢チアキが「バラバラにされた」と思っている。それは私が、現実には傷一つなかった大槻さんが「バラバラにされた」と信じていたことによく似ている。この奇妙な符合が、単なる偶然とは思えずにいる。

 三崎さんはとんとんとタブレット端末の縁で己の肩を叩きながら言う。

「その辺りはもうちょい調査しないと何とも言えないけど。サンゴも『単純に考えるのは危険かも』って言ってたし」

 三崎さんはサンゴくんを随分買っているようだ。一方の井槌さんはサンゴくんの名前が出るたびに少々苦々しい顔をするけれど。サンゴくんの能力には一定の共通した評価があり、その能力を買われてサンゴくんは『お役目』を与えられているのだと思うのだけど、それに対するスタンスは人それぞれなのかもしれなかった。

 ついでに、もう一つ。引っかかっていることがある。

「あの、わかれば、でいいんですけど、……どうして、『解体屋バラシヤ』に狙われた大槻さんは死んで、私と磯兼さんはまだ生きてるんでしょう」

 正確には、私の前の三人の被害者が三崎さん曰く「手の付けようがない」ほどのダメージを受けていた、という。だが、私は今こうして現実に目覚めることができている。磯兼さんは――目覚めさせるのは難しい、というのが井槌さんの見立てであるようだが、それでも延命は可能そうだという。大槻さんのように、延命措置のかいなく死を迎えることはなさそうだ、と。

 井槌さんは、私の言葉を受けていつもどこか困っているような印象を受ける顔を、更に困り顔をした。

「ちょっと言いづらいんだがね」

 これはサンゴの受け売りなのだけど、と言いおいてから、井槌さんは語る。

「『解体屋バラシヤ』は、おそらく、回を重ねるごとに、上手く、、、なっているのだと考えられる」

「上手く……?」

「最初は手加減もできずに、ただただ全てをバラバラにするだけだった。だが、回を重ねるにつれ、狙った部分だけをバラせるようになっているのではないか、とね」

 ――例えば、自分にとって不都合な記憶だとか。

 井槌さんの言葉に、思わず強く手を握りしめてしまう。なんてやつだ、上手くなっているということは、つまり慣れてきているってことだろう、人の精神を斬ることに。そして、斬ってしまえば相手が自分の記憶を残すこともない。そうして、今もなお、のうのうと現実世界に生きているのだ、『解体屋バラシヤ』なる殺人鬼は。

 手のひらに爪が食い込む。ただ、ただ、怒りをこらえるのに精いっぱいだった。

 

    *   *   *

 

「だけど、一定の場所を斬り落とせるってことは、その斬り落とされた場所に意味が出てくる、とも考えられる」

「……どういうこと?」

「要するに、『何が奴さんにとって不都合なのか』というのが、斬り落とされた記憶から見えてくるってことさ。単純に全てをバラすよりも、手がかりは増えていると言ってもいい」

 サンゴくんはうっすらと笑う。シンプルながらも上質な、いかにもお高そうなソファの上、首だけの姿でそこにいるサンゴくん。

「だから、磯兼さんの瑞沢さんについての記憶は、『解体屋バラシヤ』にとって不都合なものだと思うんだよな、俺は」

「……つまり、『解体屋バラシヤ』も瑞沢チアキの関係者の可能性が高いってこと?」

「そうでないと、わざわざその記憶だけを斬った意味がわかんないんだよな。もちろん、色んな可能性は考えられるから、単純に『解体屋バラシヤ』が瑞沢さんをバラした、と考えるのは早計なんだろうとは思うけど――」

 可能性は高いよな、と。サンゴくんはぽつりと言う。

「何とか、瑞沢さんが見つかるといいんだけどな」

 それはそう。無事を確認できればそれでよいし、もし無事でなかったとしても――そんな最悪の事態、あってはならないとは思うが、しかしサンゴくんの言葉にも一理あるわけで――一連の事件の手がかりを握っているのは間違いないだろう。

 それもこれも、磯兼さんの精神世界に潜らねばわからなかったことだ。今まで瑞沢チアキが一連の事件に関連しているなんて、思いもしなかったのだから。

「後で、城守キモリさんか甘池アマイケさんあたりに、捜査状況を聞いておくつもり」

「うん、聞いたら教えてほしい。いつでも、井槌さんか三崎さんに言ってくれれば、こういう場を用意してくれるとは思うから」

「それなんだけど」

「うん?」

「ここ、何?」

 今、私は得られた情報の確認のためにサンゴくんと向き合っているわけなのだが、しかし全く知らない場所であった。

 三崎さん曰く「サンゴは一日の半分以上寝てるし、そもそも現実での意志疎通が結構難しくてね」。そりゃそう、現実に首から下の感覚がないってことは、自発的な行動をほとんど制限されてるってことなんだから。首から上がどれだけ冴えてたとしても、単体では生命活動すらままならない、それが現実におけるサンゴくんだ。

「だから、サンゴと喋りたいなら、サンゴに引っ張ってもらって精神世界で喋るのが手っ取り早いかもな」

「精神世界で?」

「うちらは、サンゴの発信する信号を受けとって、そいつを言語化する装置を使って意志疎通してるけど、とにかくテンポが悪くてさ。薊ヶ原さんなら、精神世界に潜る経験もあるし、直接喋った方が早いっしょ」

 もちろん、サンゴがなんかしでかそうとする気配があればすぐ切り離すから、と。三崎さんはあっけらかんと笑ったものだった。

 かくして三崎さんがサンゴくんにコンタクトを取り、私はサンゴくんに「招かれて」ここにいる。

 と、いうわけで、ここが現実でなく、精神世界なのはわかる。しかし、全く知らない光景なのだ。

 きれいに整えられた部屋だ。アイボリーの壁紙には染みひとつなく、天井に灯るライトが、赤みがかったやわらかな光で部屋を照らしている。足元の絨毯は至ってシックなデザインながら、長い毛足が素足に心地よい。私が腰掛けるソファ同様に、相当質のよいものなのだろうな。

 背の低いテーブルには、ウイスキーの瓶が一つ、それから氷の入ったロックグラスが二つ。グラスの半分くらいまでウイスキーが注がれていて、天井から降る光にきらきらと輝いて見える。

 と、まあ、雰囲気はめちゃくちゃよいお部屋なのだが、向き合ってるのが生首なのはどうなんだろうな。

 サンゴくんはにこにこと人好きのする笑みを浮かべて言う。

「俺の部屋だよ。もう少し正確に言うなら、俺がかつて住んでいた部屋の記憶」

「いい生活してたんじゃん」

「そうかな?」

 サンゴくんは不思議そうな声音で言うが、置いてあるものの数こそ少ないが、どれも金のかかったものであることくらいは私でも一目でわかる。例えばこのロックグラス一つとってみたって、割ったら弁償代で私のお財布が死ぬに違いない。

 めちゃくちゃ金あったんだろうなあ。うらやましい。ただ、そのうらやましい立場をサンゴくんは自分自身の手で捨て去った、ということもまた事実のはずで。

「まあ、何もかも、何もかも、過去の話だからな」

 かつてそこにいた、という記憶だけで形作られた、空想の部屋。今はもうどこにもないのだろう、部屋。

 グラスを手にして、琥珀色の液体を口に含んでみる。酒のよしあしは元よりよくわからないが、それ以前にやはり味を感じられなかった。焼けるようなアルコールの気配だけが、喉を行きすぎる。

「まだ、味はわからないかな」

 こちらが何を言うでもなく、サンゴくんは私の考えていることを言い当ててみせる。サンゴくんのテリトリーゆえに、私の思ってることも筒抜けなのか――と思いはしたが、今の場合、単に顔に出てしまっただけかもしれない。

「そうだね。現実でもそうだし、夢の世界でもそう」

「生命に直接は関わらないにせよ、愉快ではないだろうね。心理的なものだとは思うけど、はっきり理由がわからないと対処もできないから、困ったもんだよな」

 サンゴくんは苦笑いしてみせた。サンゴくんはベタベタと同情を振り回してくるようなことはないが、さりげなく私を気遣ってくれるところがありがたいと思う。

 もう一口、ウイスキーを舐めて。

「まあ、サンゴくんの言うとおり、味がなくても何とか食べてはいるからね。……事件が終わったら、戻ってくるといいけど」

 それとも、私の味覚は『解体屋バラシヤ』の記憶もろとも斬り落とされて死んでしまったのか。その場合は、もうちょい真面目に自分の状態と向き合わないとな、とは思う。

 とにかく、今はそんなことを意識している場合ではない。味がしなくとも『解体屋バラシヤ』を追いかけるのに支障はない、そういうことだ。

 サンゴくんは苦笑を浮かべたまま目を細めてみせる。

「アザミさんは、もっと自分を大事にするといいよ」

「してるつもりだけどな」

「俺からはそう見えないってこと。きっと、アザミさんを見てる、周りの人もさ」

 そういうとこも、「ほっとけない」っていう一種の魅力なのかもしれないけどね、とサンゴくんは言った。そんなに私、心配に見えるのかな。ちょっと自分の振る舞いを見直した方がいいのかもしれない。

 サンゴくんの視線を受け止めるのもちょっと気恥ずかしくて、傍らに視線を向ける。

 部屋の一面は大きな窓になっていて、黒々とした夜空が広がっている。そこに浮かぶのは、いやに大きな満月だ。クレーターの凹凸もはっきり見えるあたり、この部屋の主であるサンゴくんは「月」の解像度が高いのかもしれない。

「随分大きいね」

「そうだな。……前に、とある人に、『満月の夜が似合う』って言われたことがあって、それを忘れられずにいるのかもしれない」

「なんで満月なの?」

「何一つ欠けてなくて、いつだって満足している。そう見えるってさ。実際、当時の俺は幸せだったよ、充実してた」

 でも、それなら太陽に例えたっていいわけだ。よく晴れた、雲一つない、完璧な昼。輝かしい日々を送ってたというなら、その方がよっぽど似合うと思うのだけど。

 視線を戻してみれば、サンゴくんは、どこか遠くを見るような目をしていた。ここにはいない誰かを、見つめているような。

「あとは、多分。その人にはとっくに見えてたんだろうなあ、俺がイカれてるって」

 ――ご存知かな。月というのは、狂気の象徴として知られているわけだけども。

 サンゴくんの言葉に、背筋がぞくりとする。

 確かに聞いたことはある。「ルナ」は月を示す言葉だが、「ルナティック」は「気が狂っている」ことを示す形容詞だ。古くから、特に西洋では月とは狂気や不安定の象徴として扱われている。

 だから、この窓を覆うほどの巨大な月は、サンゴくんの心の有様そのものなのかもしれなかった。

 ただ、それが人の身には大きすぎる狂気であろうとも。

 こうやって見てるだけなら、ただ綺麗なだけだな、と、思う。

「そうだ、アザミさん」

「何?」

「アザミさんが来るからって、せっかくお酒を用意したはいいんだけど、これじゃあ俺は全然飲めなくてさ」

「お酒は用意できるのにそこはコントロールできないもんなの?」

 どうしても、体があった頃の感覚が抜け切れてないから上手くイメージできないんだよな、とへらへら笑うサンゴくんのために、とりあえず虚空からストローを取り出してグラスにさし、サンゴくんの口元まで持って行ってやるのだった。

 ストローでウイスキー、絶対ヤバい酔い方すると思うんだけどな。

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