18:椿

 さて、樋高ヒダカさんがなんだかんだ元気そうなのがわかったところで、私はサンゴくんを手前に抱えなおして、樋高さんに言う。

「私たち、樋高さんが『解体屋バラシヤ』――一連の事件の犯人に襲われて、目が覚めなくなった原因を取り除こうと思ってるんです。それが『解体屋バラシヤ』の正体に迫ることでもあるはずなので」

「なるほどです」

 樋高さんは真剣な表情で頷く。こういう顔されると、樋高さんって実はかなり眼光鋭いってわかるな。素顔のままだったらかなり怖かったかもしれない。

「でも、なんかその辺を思い出そうとすると、頭がぼーっとしちゃうんですよね。体のあちこちも痛いし何なんだろう、って思ってるんですけど。おかしいな、すっごく大事なこと知ってたような気がするんですけど」

 つまり、私と同じ症状ということか。大槻オオツキさんのようにバラバラにされての即死、というわけではないが、精神のどこかしらに刃を入れられ、切断されたのだろう。何かが欠落しているという感覚、そして精神の切断に伴う苦痛として現れる『解体屋バラシヤ』の痕跡が、それを物語っている。

「ただ、そう、あたしの知り合いに、体に異常がないのに突然倒れてそのまま死んじゃった人がいて。で、以前みたいにセンセーの介入を疑ったりして」

「俺はもう手も足も出せないって知ってるでしょ、ヒカルさんは」

「本当に手も足もないとは思わなかったけど! お似合いだよセンセー?」

 サンゴくんを見下ろしてきゃらきゃらと愉快そうに笑ってみせた樋高さんは、すぐに表情を引き締めてこちらに視線を戻した。

「でも、実際センセーの言う通りだし、センセーらしくないとも思ったし。だから、センセーと同じような能力を持った人が暗躍してんじゃないかな、って考えて色々調べてたんですよ」

 その結果、どうやら同じような被害者が立て続けに出ていた、という事実にたどり着いたのだそうだ。

 単独でそこまで調べられるというのは、相当の情報収集能力とコネクションがあるってことなんだろう。オカルト雑誌の記者なんかじゃなくて、それこそもっとずっと向いている仕事があるんじゃなかろうか、この人。

「でも、悔しいなあ、肝心の調べたことが全然思い出せなくて。ちょっと今すぐお役には立てそうにないです。ごめんなさい」

 樋高さんは心底申し訳なさそうに頭を下げる。この人、ぱっと見の印象よりずっと真摯で真面目な人なんだな。サンゴくんが樋高さんを気に入ってる理由が少しわかった気がする。

「そんなことないですよ、樋高さんの状態がわかるだけでもありがたいです。そうだよね、サンゴくん」

「ああ、精神世界の中に『解体屋バラシヤ』が現れていること、ここまで明確に一部分の記憶だけが思い出せない、ということからも、間違いなく『解体屋バラシヤ』と接触していた、っていえるからな」

 サンゴくんは、一回言葉を切って、それから、穏やかな声で言った。

「それに、仮にこれから先も思い出せないとしても、ヒカルさんが、殺されていなくてよかった。……手の届く位置にいるはずなのに、助けられないのは、やっぱりしんどいからさ」

 私はサンゴくんの顔を樋高さんの方に向けているから、サンゴくんがどんな表情をしているのかを知ることはできない。ただ、その声には妙な感慨がこもっているのが、感じられた。

「センセー、伸ばす手もないじゃん」

「そりゃそうだけどさ」

「でもわかるよ、センセーはそういう人だもんな~。そこは変わんなくて安心したよ、っとと」

 樋高さんが声を潜める。また、『解体屋バラシヤ』のシルエットが私たちのすぐ横を行き過ぎる。一人、二人、まだ気配は消えてくれない。

「それにしても、たくさんいますね……」

「そうなんですよ~、あたしもさっき一人殴り倒したんですけど、見ての通り、きりがなくて」

 さらっと言ったなこの人。明らかに殺傷能力のある凶器を持つ相手に立ち向かおうとする度胸、そうそう真似できないぞ。

 サンゴくんが、やや呆れた調子で問いかける。

「危ないことするね。殴り倒したって、素手で?」

「まさか~、あたし、見ての通りか弱いってのは、アザミガハラさんはともかく、センセーならご存じでしょ?」

 きゃらきゃらと笑う樋高さんは、到底か弱そうには見えない。いや、真面目に分析するなら一般的な男性と比べればやや細身かもしれないが、見るからに存在感が強いから、「か弱い」なんて言葉は到底似合わない。そういうことだ。

「だから、その辺に落ちてたバールのようなものでゴンって」

 ほら、と樋高さんが背中から引っ張り出してきたのは、先端が曲がった金属の棒、つまりどこからどう見てもバールだった。バールだとわかりきっていても「ようなもの」をつけるのは様式美だからね。

「普通、精神世界にバールのようなものは落ちてないと思うんだよな」

 サンゴくんも呆気に取られることってあるんだなあ。

「とはいえ、ここはヒカルさんの世界だからな。ヒカルさんくらい『強く思い込む』ことができれば、ある程度の自由は利くのはそう。……ほとんどの場合は無理だけどな?」

 最後に付け加えたのは、私へのフォローだろう。実際、私の時はサンゴくんの力を借りないと武器を手にすることもできなかったわけだしな……。とはいえ、そちらの方がサンゴくんから見ても一般的なのだろう。樋高さんの無意識レベルの「思い込み」がどれだけ強固なのかがわかろうというものだ。

 樋高さんは「それってあたしが思いこみの激しい、しちめんどくさいやつってこと?」と頬を膨らませてみせてから、長い爪で己の顎を撫でる。

「でも、さっきは不意打ちできたからともかく、全員殴り倒すのは現実的じゃないのはあたしだってわかりますよ。それともアザミガハラさんが、実は拳銃一丁で広野を渡り歩く凄腕のガンマンだったり?」

「ないない、絶対ない」

 なんで突然西部劇の世界になるのか。

「それに、ここにうろついてる影を倒すことが、ヒカルさんの覚醒に繋がるとも限らないからな」

「そうなの?」

「アザミさんのときは、アザミさん自身が『解体屋バラシヤ』のことを知り得なかったこと、そして現実に抵抗することもできなかった無念が、アザミさんの覚醒を妨げていた」

 だから、私が自分の力で『解体屋バラシヤ』を退けたことをきっかけに、夢から覚めることができた――そう、サンゴくんは語る。

「でも、ヒカルさんが同じとは限らない。むしろ違う可能性の方が高いと思ってる。アザミさんとヒカルさんとでは、『解体屋バラシヤ』を追う理由も違うわけだしね」

「ふむふむ。それじゃ、あたしの頭ん中で何が引っかかってるのかを、探して回る必要があるってことですね」

「話が早くて助かるよ」

 ここの主たる樋高さんが協力的なのはありがたい。そもそも、こうして樋高さん本人と話ができているのも、磯兼さんのときとは異なるわけだ。サンゴくんの話を信じるならば、樋高さんには目覚める意志がある、助けを求めて外側からの来訪者に手を伸ばす意志がある、そういうことなのだろう。

「あっ、でも、あたしの心、センセーとアザミガハラさんに丸裸にされちゃうってこと? 素顔見られるのと同じくらいやだな~」

「全てを暴くなんて俺にだって不可能だよ、安心して。それに、素顔を見られるのとそう変わんないなら、アザミさんに素顔見られてるんだし、もう恥ずかしくないんじゃないか?」

「センセー、デリカシーってもんが足りないんだよなあ。アザミガハラさん、この人どう思います? やっぱどーかと思いますよね!」

 樋高さんの問いかけに、重々しく頷きを返す。

「今のは、サンゴくんが悪いな」

「あっアザミさんが味方になってくれない」

 いつだって味方をするとは思わないでいただきたい。サンゴくん、ちょっと雑なんだよなあ、そういうとこが。

「でもサンゴくん、樋高さんを目覚めさせる方法を探すと言っても、闇雲にあちこち動き回るつもり? 手がかりとかないのかな」

「ひとつ、気になることはあるから、そこから攻めてみたいんだよな」

「ほう?」

 私だけでなく、樋高さんも不思議そうな顔をしたところを見るに、樋高さんにも心当たりはないらしい。

 サンゴくんは私の腕の中で、少しだけ困ったような気配を醸し出す。

「ただ、それを確かめるためには、ここから出て行く必要がある」

 つまり、この、『解体屋バラシヤ』の影がひしめく中に躍り出ろってことだ。なかなか無謀なことを言う。

 しかし、樋高さんはにこっと笑って、手元のバールのようなものを握りしめるのだ。

「そりゃそうだよね~。いいよ、あたしは何をすればいい?」

 何も、この状況に危険を感じていないわけではあるまい。むしろ、危険性を十分に理解した上での覚悟完了、という顔だ。この人、かわいらしい見かけに反して前世は武士とかじゃないだろうな。

 そして、サンゴくんはどうやら樋高さんのそういう性質をよくよく理解しているらしく、溜息混じりに言うのだった。

「ヒカルさんは、とりあえず俺たちから離れないでくれるかな? いくら俺たちが頑張っても、ヒカルさんが率先して危険な目に遭ってたら世話ないからさ」

「おーけー。でもほら、あたし自身のことなのに、人任せにしてばっかりもやだからさ。お役には立つよ、センセー」

 と、樋高さんはばちーんとウインクする。ウインクに関してはサンゴくんの方が上手いかもしれないな、と思った。すっごくどうでもいい話だが。

「それじゃ……、とりあえず、俺の言う方に向かってくれるかな、アザミさん。ヒカルさんは離れずついてきてほしい」

「サンゴくんの言う方にって、簡単に言うなあ」

 だって今、ちょうど件の影が通り過ぎたとこだよ、一拍間違ってたら斬られてたぞ、これ。

「まあ、見つからなければ斬られないだろ。焦らず、落ち着いていこう」

「見つかって、斬られたら?」

「俺と同じになるかも? 首がぽとっとね」

 椿の花のように、胴体と切り離されてぽろりと絨毯に落ちる自分の首を想像してしまう。

「形だけ見れば同じかもしれないけど、その場合私はまず死んでるんだよね」

「ははは、俺だってこの状態から斬られたら流石に生きてられないから、お揃いだな」

 嫌すぎるお揃いだ。心底そう思いながら立ち上がり――、一歩を踏み出す。

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