19:置き去り

 うろつく『解体屋バラシヤ』たちの視界に入らないように――「目」らしき部位も見えない連中に人並みの視界があるかは怪しかったが、どうも私たちと目に見える範囲はそう変わらないどころか、やや視野が狭いように思えた――、ところどころに置かれた展示物の台座に隠れながら、じわじわと移動する。

「もう少し先、頼むよ」

 運ばれているサンゴくんは呑気なものだ。私が気づいてない『解体屋バラシヤ』の位置を教えてくれはするものの、基本的には私に運ばれるがままなのだから。

「どこまで行けばいいの?」

「さっき、ここに潜ってすぐ、ちらっと見えた絵が気になってね」

「ふーん?」

 ちらりと振り返れば、半歩後ろからついてきている樋高ヒダカさんが首を傾げていた。ひらひらふわふわしたかわいらしい格好に、無骨なバールのようなものがよく似合っている。似合っているのはどうかと思うのだが、似合ってしまうのだから仕方ない。似合い方は確実にアニメや漫画のそれではあるが。

 樋高さんは辺りをきょろきょろ見渡しながら言う。

「でも、面白いな~、ここがあたしの心の中なんだ?」

「そのうちの、ごく一部だけどね。知っている場所かな?」

「昔よく通ってた美術館がモデルになってるんじゃないかな? 懐かしいな~」

 なるほど、それなりにディテールが正確なのは、樋高さん自身に縁がある場所だからなのか。私の場合は仕事場と自宅、そして植物園と事件に関連するものばかりであったが、その辺りの差がどこから出てきているのか、興味深くはある。

 また、それとは別に、樋高さんという人そのものにも、興味が出てきているのも、確か。

「美術、好きなんですか?」

「好きですけど、昔っからもっぱら見る専ですね。美術品そのものはもちろん素敵なんですけど、それができた背景とか、作ったひとの人となりとか! そういうのを調べながら見るのが好きなんですよね。物語が好き、って言えばいいのかな」

 物語――。作り話、という意味ではなく、その背景や歴史を含めた文脈という意味の物語ということか。私なんかは、美術品を目にしたところで「きれい」だとか「すごい」だとかいう感想で終わってしまうけれど、樋高さんはそうじゃないってことだ。そもそも「調べる」ということが苦じゃないタイプなんだろうな。

 と、すると。

「こういうのも……、物語が好き、ということですか」

 こういうの、というのは壁に掛けられている絵や台に置かれた品のことだ。現実の美術館に置かれる美術品と違い、それらはかなり胡散臭く見える。樋高さんが生業として追いかけているもの。ほとんどの人間からは「眉唾」だとか「嘘」だとか言われるのだろう、オカルトの住人たち、もしくはそこから生み出された何がしか。

 樋高さんは「そうですよ~」と満面の笑みになる。

「オカルトって、突き詰めるとめちゃくちゃ面白いんですよ? うちの記者たちってスタンスはそれぞれなんですけど、あたしは本当でも作り話でも構わない方ですね~。その発生の要因、伝播の仕方。そういうのを追いかけてるうちに、点と点が線になる瞬間とかめちゃくちゃ脳汁出ます」

 うきうきとした様子で言う樋高さんだが、目を見るとマジだということがよくよくわかってしまう。やっぱり眼光鋭いなこの人。

「何か、記者ってより、いわゆる『探偵』ですよね、樋高さん……」

 いわゆる、というのは要するに提示された謎を追いかけ解決する、「フィクションとしての探偵」ってことだ。確かに樋高さんのいう「物語」にはそういう側面があろう。それぞれの情報は単なる点でしかないが、線でつないでいくことで、ひとつながりの物語になる。それは、同時にそのものが抱えている謎を解くということに他ならない、わけだ。

 私の腕の中で、絶賛私の心理的肩こりを増進させているサンゴくんが、溜息一つ。

「ヒカルさん、このノリで俺が人を殺してたこと突き止めてきたんだよな。情け容赦というものがない」

「サンゴくんは反省してるんじゃなかったの?」

 それはどう考えても反省してない輩の台詞だぞ。ちらりとサンゴくんを見下ろせば、サンゴくんはその切れ長の目を細めて、うっすらと笑みを浮かべていた。何を考えているのか、さっぱりわからないツラだ。

「許されないことをしたとは思っているよ。同じことは繰り返してはならないし、罪は償うべきだとも」

「ほんとに相変わらずだな~センセーは。真面目は真面目なんだけどなーんかズレてんだよな~」

 ああ、なるほど、私の中にあった違和感が、樋高さんの言葉でやっと腑に落ちた心地がした。

 サンゴくんは「ズレている」のだ。サンゴくん自身の言葉は嘘ではないのだろう。サンゴくんなりに反省をしているだろうし、同じことを繰り返すまいと誓ってもいるのだろう。けれど、どうも真実味に欠けて見えてしまうのは、私が考える「反省」の姿とはズレがあるからだろう。それは何も反省の姿勢に限らず、他の全てにおいても。

 別にそれが悪いというつもりはない、「反省」という言葉で私が想像している姿だってごくごく勝手なもので、サンゴくんがそれに従う道理もない。ただ、サンゴくんの場合、私を含めた大概の人の感覚からズレているんだろう。

 そして、おそらくサンゴくん自身もそのズレにはある程度自覚的で、故にこう言うのだ。

「うんうん、俺が人でなしなのは今に始まってないからね。だから、行動で示すしかないってこと」

 ――一度でも行動で示すことを止めてしまえば、二度目はないってわかってるつもりさ。

 そうも言っていたはずだ。

 サンゴくんは「行動」という言葉をよく使う。誰も人の心を真に見通すことなんて――それこそ実際に「見通せる」はずのサンゴくんにだってできなくて、故にこそ誰の目にもそう見える行動を心がけるしかない、そういうことだ。少なくとも、サンゴくんには自分のしてきたことを償う意志はあるんだろうな。やり方はともかくとしても。本当の意味で「償う」ことなんてできやしないとしても。

 樋高さんはそっぽを向いて、「殊勝で何より」と鼻を鳴らす。やや不機嫌そうに見えたのは、果たして気のせいか、否か。

 この二人の間に何があったんだろうなあ。どうもサンゴくんは樋高さんを高く評価しているが、樋高さんはサンゴくんにいい印象を持っていないらしい。サンゴくんのしてきたことを漏れ聞く限りは当然だが。とはいえ、軽口を叩く程度には打ち解けているようでもあって、何とも不思議な関係である。

「さて、この辺りだったと思うけど……、アザミさん、右から来るぞ!」

 サンゴくんの声が鋭さを帯びる。右、という言葉に頭で考えるよりも体が先にそちらを向く。いつの間にか、音もなく迫っていた『解体屋バラシヤ』の影が、手にした刀を振り上げていた、が。

 私と『解体屋バラシヤ』の間に割って入った樋高さんが、手にしたバールのようなもので振り下ろされた刀を受け止める。金属と金属がぶつかり合う音。接触した部分から火花――ではなく、サイケデリックな色が飛び散る。そのまま、樋高さんは厚底のブーツで一歩大きく踏み込んで、『解体屋バラシヤ』の刀を弾き返した。樋高さんの勢いに押されて体勢を崩した『解体屋バラシヤ』の頭めがけて、樋高さんが身をかがめたタイミングを見計らい、右手の銃の引き金を引く。

 ぱん、という軽い音。弾ける『解体屋バラシヤ』の頭部。そしてノイズにまみれた全身が、薄片と化して散ってゆく。

「ひゅーっ! ナイスコンビネーション!」

 樋高さんが弾んだ声を上げる。本当に豪胆な人だ、刀を振り上げた『解体屋バラシヤ』の前に飛び込んでいくことに躊躇いがないし、恐怖に震えているようにも見えない。バール捌きも堂に入っている。バール捌きってなんだ?

「ヒカルさん、俺たち、ヒカルさんを助けに来てるんだから、ヒカルさんが死んだら本末転倒なんだからな?」

 サンゴくんが呆れたように言う。言われてみればその通りである。当たり前のように割って入ってきていたが、一歩間違っていたら樋高さんが斬られていたわけだ。この『解体屋バラシヤ』がいくら「樋高さんのイメージ上の『解体屋バラシヤ』」だとしても、斬られた、という認識を得てしまったときに無事でいられるとは思わない。

 樋高さんはくるりとこちらを――私に抱えられたサンゴくんを振り向いて、頬を膨らませる。

「でも、危ないとこ見たらほっとけないでしょ~?」

「それはわかるんだけど」

「お互い無事だったんだからよしよし! で、この辺に何があるって?」

 樋高さんがぐるりと視界を巡らせる。私も辺りを見渡す。特にそれまでと変わったところのない、美術館。壁にかかっている絵に描かれているのも、相変わらずオカルトチックなあれこれで……、あれ?

「これ、植物園の絵……?」

 非現実的な絵の数々の中に、見覚えがある風景が、ひとつだけ。色とりどりの花を咲かせる温室の絵。私も見たことのある風景の絵――樋高さんが私を呼び出した、植物園を描いたものだった。

「ほんとだ! ここ、あたしのお気に入りスポットの一つなんだ~」

「そうなんだ、俺も本物の景色を見てみたいな」

 少しだけ、ほんの少しだけ、サンゴくんの言葉に「現実」への未練が混ざった気がしてどきりとする。おそらく二度と、拘束された状態から解放されることはないのだろうサンゴくん。それは当然なのかもしれないけれど、あの異常な姿を目にしていると、どうしても背筋がぞくりとする。

 とはいえ、サンゴくんは一瞬だけ見せた未練をすぐに引っ込めて、本題に戻ってくるのだった。

「それはそうと、この絵がどうして他の絵と一緒にかかっているのかが、気になってたんだ。他のオカルトチックな絵に比べると、随分リアル寄りだなって」

 ビッグフットにスカイフィッシュ、フェアリーサークルに心霊スポット。そんな絵画の数々の中に突如として現れた現実の植物園の光景は、確かに違和感しかない、が。

「今回の事件がオカルトかオカルトじゃないか、って言われたらめちゃくちゃオカルトだけどね」

「そりゃそう」

 当事者であるからすっかり意識からすっぽ抜けてたけど、今の私たちが置かれてる状況、オカルト以外の何物でもないんだよね。

「あと、樋高さんの話が正しければ、一連の事件もまた『線でつなげるべき点』の一つだから、だったり?」

「なるほど。確かにヒカルさんの中では同列だな。そして、『解体屋バラシヤ』に斬られたことで、ヒカルさんの中でつながりかけてた線が切れた、もしくは点の一つが失われたのかもしれないな」

 その「失われたもの」を特定することが、樋高さんを目覚めさせることにつながるのだろうか。

 今だ手探りの状態ではあるが、それでも、この絵が手がかりの一つではあるかもしれない。

 その時、ふと、絵の中に気になるものを見つけた。

「あれ?」

 植物園の木々に隠れるように立つ、ひょろりとした影。スーツ姿の、どこか場違いな姿。けれど、その姿にはとても見覚えがある。樋高さんも私の声につられるように絵を覗き込んできて、「ああ」と声を上げる。

「この人、植物園で見たんですよ~。えーっと」

甘池アマイケさん」

「そう、甘池刑事。ふにゃってしてる方の刑事さん」

 生い茂る草木に隠れていて顔はよく見えないけれど、その体格、立ち姿は間違いなく甘池さんのそれだった。

「なんか怖い顔してたし、そもそもアザミガハラさんにしか植物園の場所教えてなかったはずなのに来ててめちゃくちゃこわーい! って思ったのは覚えてます」

 アザミガハラさん、お二人に植物園のこと話しました? という樋高さんからの問いに、私は首を傾げてしまう。

「言っていなかった……、はずです。私の記憶の限りは。ただ、このあたりは『斬り捨てられた』記憶の中のことかもしれなくて、少しあやふやなんです」

「あ~、そっか、アザミガハラさんも斬られてるんですもんね」

「そうですね。まさしくこの場所で――」

 何だろう、背筋がぞわぞわする。

 植物園に甘池さんがいた、というのは私の思い違いではなかったということ。樋高さんの記憶でも「甘池さんがいた」と認識されている以上は、甘池さんが植物園を訪れたこと、それを私が認識していたということは確かだと思っていいだろう。

 甘池さんは、私の記憶では「城守キモリさんに言われて私を監視していた」という意図のことを言っていたはずだが、これが本当に甘池さんが言っていた内容なのかは、今になっては定かではない。現実には、私は『解体屋バラシヤ』に斬られたきり眠り続けていたはずで、甘池さんに声をかけられた記憶はないはずなのだから。

 それに、私が本当に樋高さんと植物園で会うつもりであることを話していなかったなら、甘池さんがあの場所をどうして突き止めたのだろう?

「なーんか、やな感じですよね! そう、思い出しました、その件について話したんですよ、甘池刑事と!」

「ああ、病院の近くで会ったんだっけ?」

 三崎ミサキさんから、樋高さんが意識を失うまでのわかっている限りの足取りを聞いていたサンゴくんが口を挟む。樋高さんは「そうそう」と唇を尖らせる。

「でも、のらりくらりしてて、話にならないのなんの。逆に『アザミガハラさんひとりだけ呼び出して何をするつもりだったのか』って詰問してきてさあ~! もー、やんなっちゃう! 甘池刑事も、もう一人の、城守刑事だっけ? あの二人がなんかやーな感じだから、話しづらかっただけだもん!」

「なるほどなあ。……アザミさん、どう思う?」

 サンゴくんが少しだけ顎を上げて私を見上げてくる。その視線を受け止めて、素直な気持ちを吐き出す。

「甘池さんの行動が気になるな。素直に話してもらえるかはわかんないけど……、この辺り、きちんと話を聞いてみるべきだと思う」

「なら、一旦戻って、話を聞いてくるのがいいかな」

「えっ、あたしひとり置き去りです!? このヤベー空間に!? やだー!」

 樋高さんがぎゃいぎゃい声を上げる。まだ目覚められない以上、当然そうなってしまうのだけど……。確かに樋高さんをここに残しておくのは心配だ。どれだけ豪胆な武士道マインドの持ち主とはいえ、この空間のあちこちに存在するらしい『解体屋バラシヤ』からずっと逃れ続けることを考えると、当然しんどいだろう。

 すると、サンゴくんが言った。

「俺も残るからさ。見ての通り手も足も出ないけど、この世界のことはヒカルさん自身より詳しいだろうからね。……それに、アザミさんならすぐに戻ってくるさ。そうだろ?」

 サンゴくんに目配せされて、私は軽く肩を竦めながらも頷く。

「言われなくても。だから、ちょっとだけ待っててもらっても、いいですか?」

 樋高さんは、私とサンゴくんを交互に見て……、それから、にっと白い歯を見せて笑った。

「しゃーないですね、わかりました。なんとかかんとか、しぶとく持ちこたえますよ!」

 それじゃあ、と。腕に抱えていたサンゴくんを持ち直して、樋高さんに渡す。

「意外と重いね、センセー」

「人間の頭部は大体五キロから六キロくらいだそうだよ」

「ちっちゃい米袋相当か~。片手で持つのなかなか大変だなあ」

 とか言いながらも、しっかり片手でサンゴくんをホールドしてるあたり、この人、普通に筋力もあるんだろうな、現実においても……。

「それじゃ、お願いします、アザミガハラさん! なるべく早く戻ってきてくださいね~!」

「もちろんです」

 頷いて、瞼を閉じる。

「スリーカウントで切り離すよ」

 瞼が作った闇の中によく響く、サンゴくんの声。

 続けて、どこか心地よい、カウント。

 スリー、ツー、ワン。

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