夢中分解ヘッドトリップ

青波零也

01:むかしばなし

 むかしむかし――、というには、昔の話じゃない。

 過去の話にしてたまるか、という話でもある。

 現在進行形で、その「事件」と向き合っているのだから。

 先日、先輩が殺された。

 見る影もなくバラバラにされて。

 けれど、私はそのバラバラのパーツを見て、一目で「大槻オオツキさん」だと理解してしまった。

 大槻さんと私は、とある女性の失踪事件の捜査をしていた。刑事として、警察官として、そして何よりも人間として大先輩である大槻さんは、いつだってそそっかしい私のフォローをしてくれたし、色々なことを教えてくれたものだった。言葉でも、その背中でも。今回の事件でも、やや説教臭いいつもの調子で、でも、そんな大槻さんが頼もしいと思っていた。思っていたのだ。

 その大槻さんがバラされて転がっているところを目にしたその時のことは、きっと、忘れることはないだろう。忘れたいとも思っていない。何度も夢に見ることになろうとも。それが、私にとってどうしようもない悪夢であろうとも。

 犯人を捕まえるまでは、何一つとして忘れてなどやらない。絶対にだ。

 

     *   *   *

 

 大槻さんがバラバラにされた現場は、署からそう遠くない路地裏だった。

 現場に足を運んだ回数は、数えるのをやめて久しい。

 事件の痕跡はすっかり片付けられ、ただ、あんな凄惨な事件があったからか、いつだって人の気配は全くない。今日は太陽も出ていないからか、ひどく暗くてじめじめとした空間に、私だけが一人、立ち尽くしている。

 現場は徹底的に捜査された。もちろん私もその捜査に加わった一人だ。それでも、犯人の手がかりになるようなものは、一つも出てこなかったのだと思い出す。そう、一つもだ。

 班長の城守キモリさんはいつも以上に気が立っているし、普段はふわふわしている甘池アマイケさんも、今回ばかりは眉間の皺がなかなか消えない。

 とはいえ、城守さんも甘池さんも、私のことを気遣ってくれているのはわかる。

「確かに業腹だが、お前が一番しんどいだろ。無理はするなよ」

 悪態製造機の城守さんからその言葉が出た時には、ちょっと己の耳を疑ったものだ。この人にも人の心というものがあったのか、という気持ちがどうも顔に出てしまったらしく、額をぺしっとはたかれた。次ははたかれる程度じゃ済まされない気がするので、ポーカーフェイスを身につけなきゃな。

「大槻さんの件は、僕らの方で色々調べとくからさ、薊ヶ原アザミガハラさんは少し休んでも構わないんだよ。根詰めすぎてて心配だよ」

 そう言ってくれた甘池さんは、いつだって私に優しい。城守さんが鞭なら甘池さんは飴ってやつだ。

 とはいえ、その言葉に甘えているばかりでもいられない。……というより、何かしら行動をしていなければ、胸の内から湧き上がってくる苦くて重い何かに押しつぶされてしまうから。

 私は、今日も、大槻さんがバラバラになっていたその場所に立つ。

 何度見たところで変化のない、その場所に――。

「やあ、そこのスーツ姿のあなた」

 ……声?

 辺りを見渡してみても、相変わらず人の姿はひとつも見当たらない。世界に自分一人きりになってしまったような錯覚に陥るほどだ。

 なのに、どこからか聞こえてくる声は。

「聞こえているかな? おーい」

 間違いなく、私に向けて、呼びかけている。

 男の声だ。高くはないが低すぎるということもない、明瞭で聞き取りやすい、声。だからこそ、その声の出所がわからなくて不思議に思う。

「誰? どこにいるの?」

 声に出して問いかけてみる。すると、「君から見て右手側だね」と随分親切な案内が聞こえてきたので、言葉に従って右手側を見る。しかし人の影など見当たらない。壁と、窓と、置かれている室外機、それから。

「ああ、もっと下」

「下?」

 視線を下げていくと、突然、目が、合った。

 ひっ、と変な音が喉から漏れた。

 だって、それはそう。そこに転がっていたのは、人間の首だったのだから。

 大槻さんもまた、首が胴体から切断されて、無造作に転がっていた、ということを思い出して嫌なものが喉をせりあがってくるのを何とか飲み下す。これは大槻さんではない。顔は似ても似つかないし、それに、何よりも。

「びっくりさせちゃったかな。ごめんごめん」

 その、地面の上で、斜めに傾いだ状態で転がる首は、首だけであるにもかかわらず、軽快に喋っているのだから。うっすらと、笑みすら浮かべて。

 喋る生首。そうとしか言いようがなかった。

 生首のすぐそばまで近づき、屈んでその顔を覗き込んでみる。

 それなりに整った顔――しかし、とびきりの美形というほどでもない、言うなれば「クラスに必ず一人か二人くらいいる、異性にモテそうな顔」――をした、男の首だ。つり上がった目尻をしているが、あっさりとした顔立ちと穏やかな表情から、きつい印象は全くない。年齢は私と変わらないくらいか、多少上下するか。喋る生首に、通常の人間の年齢を当てはめてよいのかはさっぱりわからなかったが。

 その、薄い唇が、開かれる。

「こんな寂しいところで、何をしているんだい?」

「それは、こっちの台詞なんだけど?」

 今まで何一つ変化のなかった事件現場に、突然現れた生首。どこかから転がってきた? そんなわけはないだろう。

 すると、生首はにこりと笑って言う。

「俺は、ここで起こったことを解き明かすためにいる」

「……生首が?」

「生首とは失礼な。俺にはきちんと『サンゴ』って呼び名がある」

 サンゴ。珊瑚――だろうか。顔、もしくは首に似合わず随分かわいらしい名前だ。名前か苗字か通称かも判然としないが、そもそもまともな「人間」じゃないのだから、その辺りを問うのもナンセンスというものか。

「失礼しました。で、そのサンゴくんは、どうしてここで起きた事件を解き明かそうとしてるの?」

「そりゃあ、事件を解決するのが俺のお役目だからね」

 当然とばかりに言われた言葉にかちんと来る。そう簡単に「解決」できたら苦労しないのだ。それも、突然ぽんと現れた、得体のしれない生首なんかに。

「生首のお役目って何? そもそもそれは、私たち警察の仕事。一般人と生首は引っ込んでてほしいんだけどな」

「そうは言っても、手がかり、何も見つかってないんだろう?」

 図星をつかれて、ぐうの音も出なくなる。

「別に、邪魔をしたいわけじゃない。事件を解決したいと望む、あなたの力になりたい、と言っているのさ」

「君に、何ができるっていうの?」

 手も足も出ない、どころの話ではないだろう。物理的に。

「ふふん、こう見えて、俺は首から上には自信があるからね」

 きっと、胴体があったなら胸を張ったに違いない、そう確信できる顔と物言いではあったが……。

「首から上も何も、君、それしかないじゃない」

「そりゃそう」

 と、サンゴくんは愉快そうに切れ長の目を細めてみせる。

「とにかく、あなたの邪魔にはならないよ。約束する。あなただって、事件を解決したいと望んで、ここに来たんだろう?」

「それは、そうなんだけど……」

「まあまあ、お試し期間だと思ってさ。使い物にならない、と思ったら手を切ってくれて構わないから」

「手、ないでしょ」

「そりゃそう」

 確かに、このサンゴくんとやらを見る限り、敵意や害意は欠片もないように見える。純粋な親切――かどうかはわからないけれど、少なくとも私に危害を加えてくるようなことはない、と、不思議と確信が持てる。いや、首だけしかないのだから、相当頑張らないと危害を加えてくるようなことはあるまい、と高をくくっているところがないとは言えないが。

 お試し期間。サンゴくんはそう言った。

 何一つ手がかりを得られることもないどころか、変化一つなかった殺人現場に、たった一つだけ生まれた「変化」。そう、今更やり方を選んでなんていられない、猫の手すらないこの状況で、生首の力を借りるくらい、何だっていうのだろう。

 私は、大槻さんをバラした犯人を、捕まえてみせる。どんな手段を使ってでも。

「じゃあ、……お手並み拝見といこうか」

 私の言葉に、サンゴくんはにやっと笑ってみせた。契約成立、ということだ。

「任せてくれよ。まあ、見てのとおり、俺に手はないけどね」

「そりゃそう」

 そんな、中身のないやり取りを交わしながら、そっと、サンゴくんの頬に手を伸ばしてみる。触れてみると、思ったより冷たくはなく、生きた人間の温度をしているのがまた不気味だ。

「申し訳ないけれど、この通り、俺は自分では移動できなくてね。運んでもらえるとありがたい」

「動けないのに、ここまで、どうやって来たの?」

「それは企業秘密です」

 なんの企業なんだ、なんの。

 とはいえ、生首に常識を求める方がばかばかしい。サンゴくんの顎のあたりを持って、持ち上げる。流石に人間の頭らしく、それなりの重量がある。さて、どうやってこの生首を運ぼうか、人目に付くのはいただけないな、と思っていると、手の中のサンゴくんが口を開く。

「そういえば、まだ、あなたの名前を聞いていなかったな」

「言ってなかったからね。薊ヶ原だよ。薊ヶ原メイ」

「薊ヶ原さん」

「呼びづらいったらないでしょ。好きに呼んでいいよ」

 言いながら、試しに、サンゴくんの首の上下をひっくり返してみる。断面はどれだけグロテスクかと思ったら、つるりと滑らかで、何故かサイケデリックな色が渦巻いていた。なんなんだよ。

 ひっくり返ったまま、サンゴくんは心底照れた様子で言う。

「まじまじ見られると恥ずかしいな」

「そういうものなんだ?」

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