02:食事

 かくして、「事件解決」という目的の一致により、サンゴくんが我が家にやってきた。

 まあ、サンゴくんに歩く足がない以上、連れ込んだのは私なのだが。女の一人暮らしに見ず知らずの男を連れ込むってどうなんだ、と思わなくもないが、サンゴくん、男以前に生首だしな。手も足もない首に何ができるというのか。とりあえず、何か起こったらそのとき考えることにする。

 サンゴくんの居場所として、お気に入りのひつじさんクッションを与えたところ、「ふかふかだね」と無邪気に喜んでくれたので、テーブルの上に置いたクッションがサンゴくんの定位置になった。

 なお、サンゴくんを置けるようにめちゃくちゃテーブルの上を片付ける羽目になったのは言うまでもない。何せ自分ひとりがかろうじて食事のとれるだけのスペースしか空けてなかったから。

「片付け、苦手?」

「うるさい」

 テーブルの上を占拠していたあれやこれやをクローゼットに叩き込む。クローゼットから何かが溢れそうになったのは見なかったことにして、扉を無理やり閉じる。そもそも何を入れてあるのかも思い出せないから、詰め込んだものが何だったのかも定かではない。

「視界から取り除くだけじゃあ根本的解決にはならないよ、アザミさん」

 どうやら、サンゴくんの中で私の呼び名は「アザミさん」で固まったらしい。呼びづらいもんね、薊ヶ原アザミガハラ

「いいの、私の部屋なんだから。ほっといて」

「はいはい」

 そんなこんなありつつ、サンゴくんとの不思議な共同生活が始まったのだった。

 サンゴくんは自分からは動けないため、できることといえば、私が語る捜査の状況――それは、経過の違いこそあれど、結論はことごとく「成果なし」だ――を聞く程度。私と、私よりずっと優秀な上司や先輩たちにわからないことが、何を見ているわけでもないサンゴくんにわかるはずもない、とは思うのだが、サンゴくんはいたって真面目に私の話を聞くのだ。

「話を聞くのは大事なことだよ」

「でも、あくまで私の主観だから、そこは留意しといてね。間違ったことを言ってるつもりはないけど、相当偏ってるだろうし、思いこみもあるかもしれない」

 大槻オオツキさんもよく言ってたっけ。人に話を聞くときは、それがどこまでも主観であることを重々己に言い聞かせて挑め、と。人は主観から逃れることはできない。一方の言い分だけを聞いてわかったつもりになってはならない、と。

 しかし、サンゴくんは「それでいいのさ」と朗らかに笑う。

「アザミさんは刑事さんだからね、事実に拠ろうとする心がけは大事だろう。だが、その人の主観『だからこそ』わかることもある」

「どういうこと?」

「俺はアザミさんとはちょっと違う視点でこの事件を見てる、ってこと」

 確かに視点は違うよね、物理的に。テーブルの上のクッションに鎮座する生首を、少しだけ高い位置から見下ろしながら、思う。

 ともあれ、今日も今日とてコンビニで買ってきたカルボナーラをレンジでチン。自炊なんて遠い昔に諦めて久しい。あれは時間と精神に余裕のある人間にのみ許された、極めて特殊なスキルだ。

「サンゴくん、ビールもどきでいい?」

「発泡酒のことビールもどきって呼ぶのやめない?」

「だってビールではないじゃん。まあ、ぶっちゃけ違いよくわかんないんだけど」

 値段が安いからって理由で冷蔵庫いっぱいに買い込んであるビールもどきの缶を開け、低めのコップに注ぎ、ストローをさしてサンゴくんの前に。

 話を聞く限り、サンゴくんにとって、どうも飲み食いは「生きるために必須ではない」とか。何を糧に生きているのかは、サンゴくん自身にもわからないそうだ。霞でも食べてるのかな。ただ、美味しいものは好きだしお酒も好き、とのことで、私の夕飯ついでの晩酌に付き合う気でいるらしい。

「ストローで飲むと酔いが回りやすいんだよな」

 と言いながらも、サンゴくんはストローでちびちびビールもどきを味わう。

「そもそも、サンゴくんが飲んだり食べたりしたものって、どこに行くの?」

「さあ……?」

 酔いが回る、という概念はあるみたいだけど、肝臓、どこにもないよなあ……。

 そんな極めてどうでもいいことを思いながら、自分の分のビールもどきを、缶のまま一口。味の良し悪しはさっぱりわかんないが、喉ごしはよい。ビールはそれを楽しむものだと思っているところがある。

 それから、カルボナーラをフォークに絡める。いくつかのコンビニのものを食べ比べてみたが、結局家の近くのコンビニのやつに落ち着いた。このクリーミーな感じがなんともやみつきになる――、と、思っていたのだが。

「……?」

 おかしいな、口に含んでみても、あんまり味がしない。咀嚼してみるけれど、カルボナーラって、こんなに食べづらいものだったっけ?

「どうしたの?」

 手を止めた私に気づいたのか、サンゴくんがストローから口を放す。

「ううん、なんでも――」

 言いかけて、口を噤む。

 サンゴくんが、あまりにも真っ直ぐに私を見上げていたから。

 仕事でだって、こんなに正面から見つめてくる相手はなかなかいない。私が仕事で相手取るのは、大概、とびっきり言いづらいことがある人か、もしくは他人の話に全く聞き耳持たない人かのどっちかだから、サンゴくんの「傾聴」の姿勢とは縁遠い。

 だから、私も、その姿勢に敬意を表して、一度は飲み込みかけた言葉を、改めて吐き出す。

「なんか、味が、よくわかんなくて」

「それは心配だな。試しに、俺にも一口いただけないかな?」

 サンゴくんの言葉に、一つ頷く。どうせ、これ以上食べ続けたいとも思えなかったから。

 一度は口に含んだ以上、フォークを洗った方がよいだろうか、とも思ったが、面倒くささが勝ったので、そのまま一口分のパスタを絡めて、サンゴくんの口元へ。

 口を大きく開いたサンゴくんは、フォークに絡んだクリームたっぷりのパスタを綺麗に口に含む。私なら絶対に口の周りをべたべたにしていただろうから、サンゴくんの生首っぷりはなかなか堂に入っている、といえよう。

 しばし、視線を虚空に泳がせながらもぐもぐと咀嚼していたサンゴくんだったが、やがて口の中のものを飲み下し――それからパスタだったものがどこに行くのかは誰にもわからない――、ぺろりと赤い舌で唇を舐める。

「美味しいカルボナーラだけどな。コンビニのお弁当って馬鹿にできないよな」

「ほんと、企業努力を感じるよね」

「でも、アザミさんには味が感じられなかった、と」

 その言葉とサンゴくんの表情が真面目そのもので、こちらも思わず背筋を伸ばして頷く。サンゴくんは「なるほどな」としばし視線を虚空に逃がして何かを考えるような素振り。けれど、それもほんの数秒のことで、すぐに視線をこちらに戻して言う。

「……それは、『今、初めて』の話かな?」

「え?」

「今まで、同じような経験はなかったかな。味がわからない、香りがわからない、感覚が正しく働いていない、という経験」

 言われるがままに、自分の行動を振り返ってみて――、あれ、と、気づく。

 私、最近何を食べたっけ? 何かを「おいしい」って感じたことが、あったっけ? さっきのビールもどきだって、味を感じたわけじゃないのだ。ただ喉を通る冷たく弾ける感触を、気持ちいいと感じただけで。

「今だけではないんじゃないかな、アザミさん」

 サンゴくんが、じっと、私を見ている。

 そうだ、どうして、今の今まで思い出せなかったのだろう。

「アザミさんは、あの事件からずっと……、何か大事なものを、欠いているんじゃないかい?」

 大槻さんが死んだあの日から。

 私は、食べたものの味を、ろくに感じられなくなっていたのだ、と。

 だけど、今、実際に食べてみて違和感に気づくまで、それを思い出せなかったのは、どうして?

 嫌な汗が背筋を伝う。サンゴくんは言った。「大事なもの」、と。単なる、味覚や嗅覚といった感覚だけではない、もっと何か大事なものが、私から失われているのではないか――。

「まあまあ、聞いたのは俺だけど、そんなに思い詰めてもいいことはないよ、アザミさん」

「って言われてもな」

「それに、アザミさんの異変が事件のせいだとしたら、事件を解決すれば、何らかの好転を見せるかもしれないしね」

「……それは、確かに、そうなのかもしれないけど」

 それに、好転するにせよしないにせよ、事件を解決する、という目的が変わるわけではない。味がわからないのがなんだっていうんだ。事件の真相を追い求め、犯人を捕まえる能力には、何の問題もない。

 そう己に言い聞かせて、フォークにぐるぐるとパスタを巻き付ける。ろくに味のしないものを食べるのは憂鬱だが、この仕事は体が資本だ。まずは食べないと話にならない。口の中の味気ないパスタを、ビールもどきで流し込んでいく。

 サンゴくんは、ひつじさんのクッションの上で、私を見上げていた。

 今までの軽い調子が嘘のように、何かを私の顔から見出そうとするかのような、真剣な面持ちだった。

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