21:飾り

 ここまで、樋高ヒダカさんの心の中をうろつく『解体屋バラシヤ』の姿はあれど、現実の『解体屋バラシヤ』の気配を掴むことはできずにいた。これは私自身の心の中でも、磯兼イソカネ氏の心の中でもそうだった。

 だけど、この植物園の絵――私が斬られたあの日、樋高ヒダカさんが目にしたはずの光景には、おそらく現実の『解体屋バラシヤ』に不都合な内容が隠されているということだ。そうでなければ、ここだけ不自然な絵になるはずもないのだから。

 何なら、全てを切り刻んでしまえばよかったのだ、大槻オオツキさんの時のように。人格も生きる力も残らない程度に、バラバラに。けれど、『解体屋バラシヤ』はそうはしていない。

「……どうして、『解体屋バラシヤ』は、樋高さんをすぐには殺さなかったんだろう」

「うーん、これは仮定で、あくまで俺の目から見る限りの見解なんだけど」

 サンゴくんは、樋高さんの膝の上で言う。

「そもそも、『解体屋バラシヤ』には、明確な殺意はなかったんじゃないかな」

「どういうこと? 大槻さんのことは、殺したのに?」

 大槻さんだけじゃない、その前にも二人被害者がいると井槌イヅチさんと三崎ミサキさんは言っていた。そこまで殺しておいて今更「殺意がない」なんて、どうして言えようか。

 しかし、サンゴくんはいたって真剣な表情で言葉を重ねるのだ。

「俺の目で見る限り、どうも『解体屋バラシヤ』の介入精度が上がってる気がする。回数を重ねるごとに、『解体バラす』箇所が小さくなっている、って言えばいいのかな。自分に都合の悪い、特定の場所だけを狙って『解体バラす』ようになっているように見えるんだ」

 そういえば、井槌さんがサンゴくんの見解と同じことを話していたことを思い出す。

 ――『解体屋バラシヤ』は、おそらく、回を重ねるごとに、上手く、、、なっているのだと考えられる。

 その言葉に、私は言いようのない腹立たしさを覚えたことをはっきりと思い出していた。だって、それなら、大槻さんだって殺される理由はなかったということになる。なのに、『解体屋バラシヤ』の手によって、その命までもが絶たれることになったのだ。いくら殺意がなかったからといって、許されることではあるまい。

「だから、俺は思うんだ。『解体屋バラシヤ』の真の目的は、相手を殺害することではない――最初は、殺害にまで至るほどにバラバラにしてしまっていたけれど、殺害自体が奴の狙いではないんだ。能力の使い方を心得た今は、もう、息の根を止めるまでバラバラにする必要はないってことなんじゃないかな。もちろん、今ここにうろついてる『解体屋バラシヤ』が示す通り、一部でもバラされた以上、遅かれ早かれ治療しなきゃそこから壊れていくんだろうけども」

「つまり、その『解体屋バラシヤ』って奴も、センセーと一緒ってこと?」

 樋高さんの明るく能天気な声。しかし、私はそれを聞き流すことはできなかった。

「……サンゴくんも?」

「だって、センセーだって別に殺す気はなかったわけだもんね。ねー?」

 樋高さんの言葉だけ聞けば、いつもの調子なわけだが……、樋高さんの顔を見てみれば、その目は全く笑っていなかった。元々眼光が鋭い人なのだ、そういう顔をされると私でも背筋がぞくりとする。妙な威圧感があるというか、何というか。

 サンゴくんは、しかし、その鋭い視線を浴びながら、口元に穏やかな笑みすら浮かべて言う。

「殺意はなかったよ、でも、それを言い訳にする気もない。俺は取り返しのつかないことをした」

「うんうん、殊勝でいいことだぞ~、でも」

 ――あたしは、絶対に、許さないけど。

 樋高さんは、はっきりと、そう言った。

 樋高さんの膝の上に載ったままのサンゴくんを取り上げたい衝動に駆られる。だって、樋高さんの言葉はどう考えてもマジだ。そして、マジである理由だって、聞かされてしまっているのだから。樋高さんがこうしてサンゴくんと一緒にいること自体が多大なリスクをはらんでいるのだと、私は今更ながらに実感する。

 しかし、樋高さんは私の顔を見て、ぱっと表情を明るくした。

「だいじょぶですよ、アザミガハラさん。あたしのこと助けてくれようってするセンセーを突き放そうなんて、思ってないんで。わざわざ危険を冒してまで助けに来てくれて、めちゃくちゃ感謝してるんですよ」

「でも……、樋高さんは」

「あっ、その顔、もしかして聞いちゃいました?」

 本当にめちゃくちゃ鋭いな、この人。まあ、こちらもそれだけわかりやすい反応をしていた、ってことなんだろうけども。私は一つ、息をついて、なんとも重たい気持ちになりながらも口を開く。

「ええ、三崎さんから。樋高さんは、サンゴくんに、縁深い相手を殺されていると」

「そうですよ。もっと正確に言うなら、それ、あたしのカノジョだったんですけどね」

 樋高さんは、あくまであっけらかんとした調子で言う。とはいえ、サンゴくんの顔を捏ね回す手に力が入ったのはわかるので、全く気にしていない、というわけではなさそうだ。長い爪がサンゴくんのほっぺたにぐいぐい食い込んでいる。結構痛そうだな……。

「だから、許さないのはほんとですけど、でも、同時に感謝もしてるんです」

「感謝……、ですか?」

「そうです。結果として、あの子は死んじゃいましたけど」

 サンゴくんが具体的に何をしたのかは、はっきりとはわからない。ただ、サンゴくんが『潜心者モグリシ』としての能力を用いて、樋高さん曰くの「カノジョ」の心を弄り回したのは間違いないといえる。その事実だけ見れば、樋高さんはサンゴくんを恨むに値するわけだが――。

「でも、恨むに恨み切れないんですよね。センセーはこの調子だし、何より、センセーなりのやり方であたしのカノジョを助けよう、、、、としてくれたってことは、わかっちゃってるんで」

 わかんなければいっぱい恨めたんですけどね~、と樋高さんは膝の上のサンゴくんの頬をつつくのだった。

 助けようとしていた。サンゴくんに限っていえば「現世のあれこれから救うために殺した」なーんて突拍子もないことを言うとも思えないわけで、つまり言葉通りに、樋高さんのカノジョから助けを求められ、サンゴくんはそれに応じようとした、ということだ。

 だが、『解体屋バラシヤ』が殺意を持たないにもかかわらず相手を殺害していたように、おそらく当時のサンゴくんには樋高さんのカノジョを救うだけの能力はなくて、心を弄り潰す結果になってしまった、ということなのだろう。

 樋高さんにとってはあまりにもやりきれない出来事であろう。サンゴくんが「助けようとしていた」と理解できたところで、そう簡単に割り切れるものではあるまい。私だって、もし『解体屋バラシヤ』が仮に大槻さんを助けようとしていた、と言われても決して信じられないし、事実だったとしても絶対に『解体屋バラシヤ』を許すことはないし、怒りが収まることはないだろう。

 それでも、樋高さんは、あくまで晴れやかに笑うのだ。

「だから、まー、お手並み拝見ってことです。今のセンセーが、本当にあたしを助けてくれるのか」

「助けるよ、絶対に。……と言っても、実際に助けるのは俺じゃなくてアザミさんだけどね?」

 と、サンゴくんも樋高さんに応えるかのように朗らかに笑う。

「見ての通り俺にはもう、心を弄る手はない。首から上だけの、よくしゃべるお飾りに過ぎない。いやまあ、首から上だけでも、それなりにいい働きをするとは思うけどね?」

「サンゴくんは自信家だなあ」

「でも、こんなお飾りの俺でも、誰かの手を借りることはできる」

 ――そして、アザミさんは俺のようには間違わないだろう。

 サンゴくんの言葉は、私の胸の奥にすっと入り込んだ。俺のようには間違わない、、、、、、、、、、、。サンゴくんが私の手を借りるのは、単に心を弄る手がないからというだけの理由ではなく、私という存在がサンゴくんのストッパーでもあるのだと、今、初めて理解する。

「随分私のことを買ってくれるなあ、サンゴくんは。私はそこまで立派な人間じゃないよ」

 本来こなすべき仕事もそっちのけに、感情に任せて『解体屋バラシヤ』を追い続けるような人間なんだ、ろくなものではあるまい。それでも、サンゴくんは「それでいいんだ」と切れ長の目を細めて微笑む。

「アザミさんの、アザミさんらしさこそが、俺にはないものだから。それでいい」

「さっぱりわからん」

 私は全然わかってないのに、勝手に納得されても困るんだけどなあ。

 しかしサンゴくんは私の「わからん」に答えてくれる気はさらさらないらしく、代わりに「それじゃあ」と口を開く。

「アザミさん、ちょっと、俺を運んでくれないかな」

「あの絵のとこまでね」

 そう、とサンゴくんは軽く顎を引く。

「ヒカルさん、申し訳ないけど、俺たちはあの絵と向き合ってる間、相当無防備になると思う。その間の護衛を頼んでいいかな」

「オーケー、まかしとき! あたしのサイキョーのバール捌き見せつけちゃうんだから!」

「無理はしないでほしい。もしダメそうなら、アザミさんの手を引いて、加勢を求めてくれて構わない。自分の身を守るのを優先してくれ」

「了解。あたしが斬られちゃったら元も子もないって話だもんね」

 言いながら、樋高さんは頬にすっかり爪の跡がついてしまったサンゴくんを、私の腕に押し付けてくる。

「じゃ、よろしくお願いします、アザミガハラさん! センセーが変なことしでかそうとしたら、しっかりストップかけてくださいよ~?」

「それは……、確かに、重要な仕事ですね」

 まあ、サンゴくんがそうそう変なことを考えて、私に指示してくるとも思えないが、それでも、前科があるとわかっている以上は単にサンゴくんの言葉を鵜呑みにするだけでなく、きちんと噛み砕く必要があるってことだろう。

 両手で持つサンゴくんは、現実でない以上あくまで「私の感覚」にすぎないのだが、人並みの体温をしている。皮膚はややひんやりしているが、その内側には血液が流れていることがわかる、手触り。

 それから。

 せっかくなので、樋高さんがそうしていたように、恐る恐る指を這わせて、サンゴくんの顎から首にかけてのラインをたぷたぷさせてみる。

 うーん、確かに、これはなかなか気持ちがいいかもしれない。

 なお、サンゴくんの抗議がましい視線は、見て見ぬふりをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢中分解ヘッドトリップ 青波零也 @aonami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ