12
フェリカは自分の膝を見つめていたが、静かに顔を上げ、伏せ目がちにミラの方を向いた。
ミラはあまりのことにしばらく言葉を失った。感嘆のため息が漏れた。
長く美しい髪が彼女の背景に拡がっていた。軌道作業者がロングヘアーという事自体がまず意外なのだが、普段は結っているのかもしれない。それよりも驚いたのはその髪が白とも銀ともつかない、透き通るような色であったことだ。
さらには、長い手足、華奢な体。そして、フェリカは体を縮めてそう見えないようにしていたが、立ち上がればその上背は190センチ近い長身であることは明らかであった。
ミラは部屋に入ったベクトルのまま、スーッとフェリカの方に流されていった。途中に掴まるものが何もなく、自分で止まることが出来なかった。
「先生、大丈夫?」
明らかに無重力に慣れていないその動きを見て、ミラの安全のため、さすがにフェリカの本能が働いた。フェリカは自分の方に漂ってくるミラを抱きとめ、二人は初めて正面からお互いの姿を見た。
ミラは再び詠嘆のまなざしでフェリカを見た。白く長い髪の長身の少女。碧い瞳と女性的な顔立ちの美しさは東アジア人のミラからすると、少し現実離れすらしているように見えた。
一方、フェリカはミラの全身の姿を見て「かわいっ…」と小さく叫び、慌てて口を手で押さえたあと、ミラから目をそらした。
「こんな、大きな女の子でびっくりしたでしょ、きっと」
何かを告白するかのような様子でフェリカが言った。そうだ。何故想像しなかったんだろう。
ミラは、フェリカの事を大事に思っていたが、その容貌について考えたことがなかった。低重力育ちの子が男女共に身長が高くなるのは当たり前のことだった。また、筋力のつき方も異なってくるので華奢になる人が多かった。髪の毛の色が抜けるのは特にステーションの人に見受けられた。この時代、宇宙作業の影響からくる障害の多くは医療技術でクリアできるようになっていた。が、火星生まれ、特にステーションで多くみられるこの特徴については放置ぎみの扱いを受けていた。何らかの遺伝子のノックアウトかノックダウンによるものだろうというのは容易に想像がついたが、特に命にかかわったりしないため、あまり研究は進んでいなかった。
だから、フェリカがこういう姿かもしれないということは想像できたはずだったが、ミラはそういうことをまったく意識せずフェリカとつきあっていた。だが、今フェリカの姿を初めて目にして、お話好きなミラはあるイメージを重ねていた。
「うん。長身でとても素敵。まるでトールキン博士の物語に出てくるエルフみたい」
「え?でもこんな大きな女なんて…。でも、先生は写真で見るよりずっと素敵。小さくて、可愛くて…」
「え?」
今度はミラが疑問符を使う側だった。ミラの身長は160Cmに満たないが、彼女の遺伝的バックボーンから見れば特に小さいわけでもないし、それにコンプレックスを感じたこともなかった。一方でそれがアピールになると考えたこともないし、フェリカの美しい体形の方がはるかに魅力的だとしか思えない。端的に言って、フェリカの言っていることがよく理解できなかった。
困惑してミラがフェリカから目を外すと、いつもフェリカが使っているのであろうオペレーションコンソールに自分の写真が何枚か貼ってあるのが目に入った。なんと、紙写真だ。
それを見られたことを察してフェリカはうろたえ「あ!あ、あのね」とミラの視界を妨げようとしたが、手遅れと察して手をおろした。
「先生は、ステーションの男たちにすごく人気があるんだ。小さくてかわいくて、お嬢様で。だから、あいつらの間で先生の写真が取引されていて。地上とか行ったときにこっそり撮るらしいんだけど、先生はめったにルナエにいないから、運がよくないと写真撮れないから貴重で。あ、あれはカードで巻き上げたんだけど…」
「それで、自分でも見たことのない写真があるのね。だけど、私みたいな凡人が人気って全然わからないよ。フェリカの方がずっとずっと素敵なのに」
「そんなことない!先生はすごく可憐で、その上先生でもあって!私みたいな大きな子はバカにされるから」
まったく話がかみ合わない。これは一体どういう価値観なんだろう?その困惑を察したのだろうか、マイが口をはさんできた。
「本来、お二人の逢瀬をお邪魔するのは本意ではないのですが、このまま押し問答になるのは望ましくありません。わたくしにお話をさせていただいても?」
二人は頷いてマイに許可を与えた。
「ミラがステーションの男性方に人気があるのは事実です。彼らがデータではなく紙の写真で取引をしているのは私の眼をかいくぐる目的があるようです。そんなことで私を出し抜けると思っているのですね」
「ミラが人気があるのは、ミラが開発局員の中で特別に若い女性だということもありますが、それ以上にステーション男性達の独特の文化によることろが大きいのです」
「何、それ?」
「ステーションの男性達は、地球育ちの女性を特別視しているというか、ある種の憧れを抱いています。地球から来る女性は高い教養と、瀟洒なふるまいを身に着けている、要は都会からくるお嬢様だと思っているのです」
どこの山奥か絶海の孤島の話よ。一瞬はそう思ったが、すぐにミラは合点した。そうだ、ここは人類史上最大の田舎だった。その上、ステーションはその田舎における絶海の孤島であった。
「火星育ち、とりわけステーション歴の長い人は低重力の影響で男女ともに背が高くなります。また、いわば『開拓民』であるステーションの人々はあまり文化的な振る舞いを身に着ける機会がありません。そうすると、ミラのような身長で、教養があり、文化的な振る舞いをする女性は地球からやってきた女性の象徴のように見え、高嶺の花とでも言うべき特別な存在だと思うようになるのです」
「そうだよ。本当のお姫様はいつだって小さくて、愛らしくて、教養があって、でも勇敢なの。先生は、地球のお姫様そのものだよ」
ルナエにいる時にステーションから降りてきた男性陣から不思議な視線を向けられるとは思っていたけど、そういうことなの?もしかして、勇気を振り絞って声をかけてきた男の子をあしらっていたのも、そういう風聞を助長してる?
火星開発ステーションは最初の入植よりそろそろ三世代目に入る。ステーション内の出生率は低いし、生まれた子供がステーションで働くとも限りはしない。そのため、ゴンサロのような新しい血は入ってくるが、一種の閉鎖環境であることには違いない。そういうコミュニティーでは、わずか三世代程度でこんなにも独特の風俗が育つものなのか。
「だから、男たちは先生が火星に来てからは先生に夢中だよ。私は、ゴン爺から先生を紹介された時は、先生がその話題の人だっていうのは気づいていなかったんだけど。私みたいに大きくて、振る舞いも粗暴な女は鼻で笑われる。髪が白いのも。先生みたいな黒髪は本当素敵」
ミラは改めてフェリカを見た。今、卑下したロングヘアーは超低重力下、気流に沿って漂い絵画のような美しさを放っている。その髪が彩る細身の長身は憧れるようなラインを見せる。そして、なによりも民族感の希薄な美しい顔立ちと瞳。
「火星の男は馬鹿しかいないの?!」
お嬢様、お姫様と称されたミラは、その代名詞にあるまじき一言を発していた。それは心の最も深いところから溢れ出た、本音中の本音というべきものだった。
「いい?!フェリカはキレイなの!美しいの!私が直接見た女性ではあなたほどの美人を見たことが無いくらい。背が大きい?地球に行ったらスーパーモデルよ。1G訓練大変だろうけど。銀の髪だって、こんな素晴らしいロングヘアお話の中でしか見たこと無い。それを何よ!火星の男はきっとみんな馬鹿!」
「じゃあいい!男たちが興味がないならフェリカは私の!私が大事にする!だって、大事だからここまで来たんだもの!」
フェリカはミラの剣幕に呆然としていた。ミラは頭の一割くらいでとんでもないことを口走ってしまったことを認識していたが、もう止めようがなかった。この、興奮していても心の一部に冷静なところが残るのはミラの個性であった。
「先生、あの…」
フェリカはそこまでしか言えなかった。二人共顔は発熱したように真っ赤だった。
「と、とにかく、この状況をなんとかしないと!現状の軌道計算しなきゃ!」
我ながら、なんというみっともない話題そらし。でも、それに取り組まなきゃここまで来た意味がない。ミラは自分にそう言い聞かせた。
「でも、私のマイは反応しなくなっちゃって。アルシノエのログにもアクセスできないし、どうしたら」
弱気なフェリカの言葉だったが、ミラはここは自信があった。
「大丈夫。そのためにちゃんとデータは収集してきたもの」
ミラはマイとともに自分たちがいるこの小天体の軌道を割り出す作業に入った。
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