10

 その時、地球と火星は太陽を挟んで反対側にあった。仮に同じ方にあったとしても、光より早くそれを伝えることはできないのだから、結果は一緒なのだが。人類は、13分前に放たれたその運命を知る由も無かった。


「ローテーションマニューバ完了。予定角度で停止」

 フェリカの宣言に、マイがチェックを開始する。

「角度固定確認。補助ブースター噴射時間予定通り。回転加速度計算通り。対象速度…」

 やはり、原因不明で軌道がずれた事実は変わらない。二人は通常からもう一周、チェックを重ねて作業を行っていた。

「どうだった?フェリカ」

「特に違和感は無いよ。先生の計算を信じてる。大丈夫だよ」

 フェリカの声は以前より柔らかい。それは、気遣いというべきものだろうか。

「うん、こっちでも問題なし。最終降下に入る?」

「もちろん」

「私もフェリカを信じてる。だけど、今回はゆっくりね」

 天体を落下させる最終降下も、通常より周回をかけて行うプログラムとした。特に今回は天体質量もやや大きい。あくまで慎重に、だ。

「ロック完了。本体ブースター固定」

 アルシノエが降下天体にアンカーされたことが宣言される。ここまで何の障害もない。フェリカの声も明るくなる。

「これは結構大きなクレーターになるね。さあ、最…噴射に入……」

 また通信断だ。兄さん、ちゃんと仕事してよ。ミラは心の中で文句をつけた。しかし、リソースが極端に限られていることはミラも理解しているが、それにしてもこれは兄の仕事なのだとしたらちょっとお粗末すぎる。前会ったときにちゃんと聞いておけばよかった。

「最終降…開始。アルシノエ噴射…秒」

 大規模な最終噴射が行われる。最も緊張する時間だが、ミラはフェリカを信じていると言ったのだから、リラックスしていようと決めていた。

「…シノエ?!どうしたの?!ねえ、止まって!!」

 チェアに深く体を預けていたミラが起き上がる。

「フェリカ?!何かあった?!大丈夫?!フェリカ!!」

「アル……エのブースタが暴走し……」

 ミラのいるローバーのオペレーション室のモニターに火星の衛星リンクのネットワーク図が表示される。

「ミラ、ネットワークポータルが次々とロストしていきます。リンクが維持できません。非常事態です!」

 ネットワーク図から次々と衛星拠点が消えていく。

「フェリカ!返事して!フェリカ!!」

 フェリカから返事はない。代わりにマイが答えた。

「直上の静止衛星とあと一つを除いてすべてのリンクを失いました。私の本体ともデータリンクできません。我々は孤立しました」


 ディスプレイにはコネクションエラーの表示が流れている。一瞬、異様な静けさがローバーの中を支配した。

「何?一体何が起きたの?」

「直前までの監視からの推察となりますが、大規模なソーラーストームにより広範囲に渡って通信ネットワークが破壊されたものと思われます」

「ソーラーストーム?地球じゃないのよ?」

「太陽からの距離は、もっとも有効な盾ではありますが、X50を超える等級のフレアであれば、火星でも十分な破壊をもたらします。地球でもあった話ですが、このクラスとなると、ソーラーシールドもオーバーロードするか、シャットダウンするかします。私達はたまたま火星の裏側にいますので直接的影響は免れていますが…」

 今、ミラは夜の側にいた。ということは、ルナエシティは太陽風の直撃を受けたことになる。なによりもフェリカだ。彼女は昼の側で作業していた。二人は普通に会話していたが、実際には火星の裏と表にいたのだ。

「フェリカ、フェリカは?彼女が言っていた暴走って?!」

「異常を検知してから通信がダウンするまでの13マイクロセコンドの間、可能な限りのログをダウンロードしました。おそらくアルシノエBは電子制御系に甚大なダメージを受け、ブースターの暴走を招いたものと思われます。機械式安全弁がありますので現在は加速は停止しているはずです」

 ミラの頭の中は、2つの考えが同時進行していた。フェリカの身の安全は?落下用の天体とアルシノエの軌道要素は?そして、理性よりも感情が支配権を得た。

「フェリカは?フェリカは大丈夫なの?」

「OHEのコクピットのシールドは極めて強固ですから、フェリカさんは現状では無事だと思われます。ですが…」

「ですが、って何よ!マイ!」

「ログと直前の観測から推定すると、アルシノエBは天体とともに予定より急角度の落下軌道に入っていると思われます」

「アルシノエは離脱出来ないの?」

「…外部からの支援がなければ。そして、現在、すべての通信も位置測定システムもダウンしているはずです。ルナエシティの管理機能が働いているとすれば、この後送電システムも停止されます。私がそう判断するはずです。総合的に言って、救援は期待できません」

「そんな…」

 ミラは目を口を半端に開いたまま絶句していた。

 流石のマイも、このときばかりは押し黙ってしまった。

 

「行かなくちゃ」

「はい?」

 マイは、全く理解できない単語を聞いたときのような反応を見せた。冗談でもなければ、滅多にすることのない返事だ。

「フェリカが一人でいるの。私、行ってあげないと」

「ミラ?どうか落ち着いて。周囲の状況を考えてください」

 マイの声にはAIにあるまじきことに、恐れというべきものが含まれていた。

「大丈夫よ…、ちゃんと…落ち着いてる…」

 大きく、そして速い息をつきながらミラが言う。見るものが人であろうがAIであろうが、これを落ち着いているという者はいないだろう。

「ミラ…」

「マイ!一番近くのステーションポートまで全速でどれくらい?」

 マイに表情があれば、ハッとしてみせたことだろう。

「幸いにして2時間30分で到着できます」

「向かって!すぐ!準備済みのロケットシャトルはあるわね」

「その間に誰かが利用しなければ。そして、周囲1000km以内に利用者はいません」

 ローバーのモーターがうなりを上げ、オートパイロットで目的地に向け走り出す。その間もミラは考え続けた。

「ポートにつくまでに、アルシノエは一回は上空を通過するわね」

「はい、周回軌道は予定通りと思われますので」

「軌道が低いから直接観測できるはず。光学観測で可能な限り正確な軌道を計算したい」

「わかりました。直ちに準備します」


 ミラはその後、マイから情報を受けとり、黙々と軌道計算に勤しんだ。途中、観測のために一度ローバーが停止し、その時受け取ったデータをもとに、更にその計算に補正を加えた。

 ステーションポートに着き、ミラは迷うことなくロケットシャトルに搭乗し、通常航路のデータを捨て、自らの端末のマイに管理を命じた。

 そのデータ転送中、マイはミラに静かに声をかけた。

「ミラ。やはりあなたはお兄様に劣らぬ天才です。確かに、火星の重力とこのロケットの推力からすれば、アルシノエBの軌道まで到達することはできるようです」

「ミラ、私はあなたのその感情のエネルギーというべきものを止めることはいたしません。私はあなたとともにあります。ですが、私の義務としてこれだけはお話させてください」

「私のナビケートで必ずアルシノエBの近傍までお連れします。ですが、そこから帰ることはできません」

「燃料はそこで使い切りです。アルシノエや落下予定天体との接触を避けるため、この機体は軌道上空か、火星に投棄することになるでしょう」

「おそらく、近くまで行ってもアルシノエと通信を確立することも難しいでしょう。ミラはアルシノエに飛び乗らなければいけません」

「それぞれの意味は、ミラであれば十分理解してくださると思います。それでも…」

「それでも」

 ミラは明るく、爽やかにマイの言葉を遮った。

「それでも、私は行かなくちゃいけない。フェリカのところへ。だって」


「フェリカを一人にしないって、約束したもの」


 ロケットエンジンが火星の大地を蹴って、夜の空に光の弧を描いた。シャトルは、規定より高い照度で航行灯を点滅させ、とてもきらびやかだった。

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