16

 推力も脱出方法も無い中、一体何を…。ミラは思うことは思ったが、それを兄にぶつけることはしなかった。兄がやると言ったからには何かあるのだ。それくらい、彼女は兄のことを信頼していた。

「ミラ、ちゃんとマイは連れているね。ミラは障害発生時夜側にいたから、大丈夫だったはず」

「うん、ここまで連れてきてくれた」

「はい、マイはここにいます。皆様をお助けするために」

 これまで沈黙していたマイが、突然返事をした。ちょっと意外なことだ。

「OK。火星近傍小天体カタログは入っているね。そこから、都合のいい隕石を選び出すんだ。これは、ミラにしか出来ない」

「うん、なるほどね。さっぱりわかりません」

 これである。普通は最初に作戦の概要とかを説明するものだろう。兄はそういうことがすっぽり抜け落ちている。

「まず、兄さんが何を考えているのか、私とフェリカにわかるように説明して。そうでないと、何を基準に選べと言われているのかもわからないわ」

 ミラには姿は見えずとも、ちょっと縮こまる兄の様子が手に取るようにわかっていた。やっぱり困った兄さん。だけど、筋道が通った時の兄の強さは妹が誰よりも知っている。

「まず、二人は火星への落下軌道にあるけど、幸いにしてまだ落下までには時間的猶予があるようだ。こっちでは正確にわからないが…」

「大気圏突入基準で推定61時間37分ね」

 ミラはマイの示す画面を見ながら答えた。…ということは、あれから7時間半ずーっとフェリカと…。ミラはまた顔が熱くなるのを感じてフェリカを見た。彼女は真剣な顔で兄の話を聞く態勢を作っている。兄からの通信がなかったらフェリカはまだ続けるつもりだったんだろうか。なんでフェリカはあんなに平静なんだろう……。

「マイの概算でも、現在の高度から始めれば、近くの天体の推力を使って落下を年単位まで引き伸ばせる軌道までは持っていけるとなっている」

「近傍天体の推力って、やっぱりよくわからないんだけど…」

「年代ごとに仕様は異なるが、長距離移送された天体には移動用のエンジンが打ち込まれている。これで推力を得て、二人のいる隕石に衝突させる」

「理屈は正しいけど、どうやってその天体のエンジンを再起動するの?そのエンジンだってソーラーストームの影響を受けているはずだし、送信手段だってないでしょう?」

「一定年代より古いエンジンはマイクロ波による平文でのコマンドを受け付ける。この通信と理屈は同じだ。通信速度は遅いがバッチ処理なので十分だ。ただし、リアルタイムでの補正は出来ないので、厳密な軌道計算が必要だ」

「だけど、年代やメーカーによってコマンドは違うでしょ?私は天体のデータは持ってるけどエンジンへの指令なんかできないよ」

「コマンド表なら持ってる」

「え?」

「アナログコマンドの表なら裏コマンドも含めて殆どのメーカーのものは揃ってる。主要会社のものなら暗記してる。だから、指令は僕がやる」

 ここで言っているコマンドというのは、宇宙開発初期に小天体をアステロイドベルトの向こう側から輸送するために天体に打ち込んだエンジンを制御するための古典的なものだ。地球から指令し、コマンドを打ち込むことによってエンジンの噴射を制御し、火星まで移動させていた。コマンド送出に時間がかかるし、微調整も難しいので、ある時期からはデジタル制御となり、さらにAIによるリアルタイム制御に切り替わっていった。

 いずれにせよ、本来惑星間移動用のしかもはるか昔に使われなくなった枯れ切ったコマンドであり、火星近傍で実用にすることなどありえないモノだ。

「なんでそんなもの覚えてるの?」

「趣味」

「……」

 たしかに兄はロケットだとか、宇宙ステーションだとか普通の男の子が好むようなものも好きではあったが、そこまで拗らせ…失礼、深堀りしていたとは知らなかった。フェリカはどんな顔して聞いてるんだろうと彼女を振り返ると、なにか目を輝かせて尊敬の眼差しで聞いている。フェリカ、そこ刺さるんだ。

 ミラは改めて、自分の端末の天体カタログから適当な長距離移動天体のデータを開いてみた。打ち込まれているエンジンの型式、方向、残燃料、故障情報等詳細に登録されている。

「だけど、このデータをどうやって兄さんに伝えるの?まさか口頭?」

「いや、データ通信」

「だから、データネットワークは…」

「マイ」

「はい!」

 ヘイゾウが呼びかけると、あちらとこちらのマイがそれぞれ返事をした。この二人は同一の存在だが、今はそれぞれスタンドアローンなので別々の存在というなんだかややこしい関係だ。

「まず通信誤差を確認し、時間の同期」

「承知しました。私が発信側となります」

 ヘイゾウの側のマイが宣言し、シグナル音のようなものを発した。それを受けて、ミラのマイが同様の音を発する。「誤差修正しました」

「マイ、ノイズレベルを確認後、音声モデムモード」

「はい」

 再びそれぞれが答える。その後、マイから聞き慣れない音が聞こえた。

「ハンドシェイク、接続完了。通信速度は9600bpsです」

「結構出るね。これで、マイ同士だけだけどデータ通信が可能だ」

「……何?今の?」

ミラが唖然として聞いた。

「音声回線を利用したデジタル変調によるデータ通信」

「え?何?マイが高速で喋ってるとかそういうの?」

「いや、そういうわけじゃないが…。説明しようか?」

「……いい」

 さっきまでの悲壮感はどこへやら。兄が問題解決に乗り出して来るといつもこうだ。


「条件は理解したね。質量とか軌道とかの条件は僕にはわからない。ミラ、君が判断して。都合のいいものの中でできるだけ残燃料の多い天体を、次点で姿勢制御用ロケットの多い天体を選んでくれれば、マイがこっちにデータを送ってくれる」

「うん。だけど、私惑星間移送用ロケットの推力データ持ってないかも」

「基本データはカタログに乗っているはずだけど、型式さえ指定してくれれば僕が持っているデータを送る」

「わかった。すぐ探す」

「あらかじめ言っておくけど、昼側に入ると通信が難しくなる。必要な情報は通信できる時に一度に話すようにね。単純なテキストデータならこの通信方法でもまとめて送れるからそれも利用して」

「うん」

 流石に兄妹であり、かつ両者ともひとかどのエキスパートである。話が通じれば進行は速い。それを見て、フェリカは少し焦燥感を感じていた。

「お兄さん!」

 フェリカが訴えるように言う。

「私も!私にできることは…」

 ヘイゾウはそれに対し、とても丁寧に返事をした。

「フェリカさん。天体を衝突させる前にその天体の性状を見たり、角度を決定したりできるのはフェリカさんしかいません。OHEの状態によっては工作も必要になるかもしれません。でも今は、ミラを助けてあげてください」

「はい。お兄さん」

 え?兄さんが私以外の女性にこんな優しく話している所見たことがないんだけど。フェリカもなんでそんなキラキラした目で兄さんと話してるの?ちょっと!

「ミラ、フェリカさん。二人が今そこで一緒にいるのは幸いなことだよ。二人でいるからお互いの命を救うことができる。君たちは天体を動かすということに関しては最高のパフォーマンスを発揮してるコンビだから、お互いのために、最大の能力を発揮して。僕もできるすべての事をする。もうすぐ昼側に入るから一度通信を切るね。マイは電波状況の監視を続けて。では」


 急にノイズが増え、兄の声は聞こえなくなった。

 ミラはちょっと妬まし気な目でフェリカを見た。私だってあんな調子で兄さんに話してもらったことないかも。フェリカだってそんな興奮した様子でさ。

「お兄さん、はじめてお話しした。やっぱりすごい人なんだ、ヘイゾウさん」

「フェリカ、兄さんを知っているの?」

「それはもちろん。OHE乗りの守護神と言われてる人だよ。ステーションでお兄さんを尊敬してない人はいないんじゃないかな」

「え?そうなの?」

「ミラ、知らないの?さっきみたいにOHEの通信装置に規格違いのサブをつけてくれたり、優先的な非常通報ネットワークを構築してくれたりした人。OHEやステーションの安全規格にも何度も手を入れてくれた。局側の意向にそってやってるんじゃないんないんじゃないかって噂があったんだけど、本当なんだ」

 確かに、兄らしいと言えば兄らしい。まだ行政機構が未熟で、学者と技術者の天下である火星ならではの事なのだろうけど。

 フェリカはミラを見つめた。

「私にも兄がいたの。やっぱりシューターだったけど、事故で死んだ。お父さんもそう。お母さんは私を火星で生んで、地上で育てるつもりだったけど、病気で死んじゃった。施設とかで育つよりはって言ってお父さんがステーションで育ててくれたけど、そうなっちゃって、その後に兄も」

「その後はゴン爺が面倒見てくれた。お父さんのころのOHE乗りは事故が多くて、死亡事故は珍しくなかった。その状況を改善してくれたのがハセガワ・ヘイゾウさん」

「そうか…そうなんだ…」

 ミラにはすべてが初めて知ることだった。兄のこともさることながら、フェリカがステーション育ちであることに合点がいった。女性、ことに若年期の女性が極端な低重力下で成長すると、生理機能に変調をきたしやすいことが知られていた。また、先程知った理由で、身長が伸びすぎるのも嫌気するのだろう。このため、ステーションの家族でも、女の子は火星で育てることが普通という、独特の家族感が生まれていた。

「だけど、やっぱりOHE乗り、特にシューターはやっぱり覚悟はいる。父も兄もそうなったから、わたしもそうなる覚悟はあったし、そんなに怖くもなかった。ミラが来なかったらきっと普通に受け入れてた。だけど、今はミラを助けたい。ミラと一緒に生きたい。だから、私生きるよ。ミラを助けるために」

 ミラはフェリカの髪の毛をくるくる指に巻いていた。この髪の毛、大好き。

「私も、フェリカを助けるよ。ルナエシティもね。絶対に」

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