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 通信機の向こう側から、カタタタタ、タン!カタタ、カタタタタ、タン!という何かを叩くような音が聞こえてくる。フェリカはそれを聞いて訝しげな表情となっていた。

「あの…これは一体何の音?」

「これはお兄様ご愛用のメカニカルキーボードの音だと思われますね」

「そのとおりです。現在、ヘイゾウさんは天体移送用エンジンに送信するコマンドを作成中です」

 ヘイゾウのことを「お兄様」と呼ぶのはミラのマイ、「ヘイゾウさん」はヘイゾウのマイだ。現在、このプロジェクトに関わっている二人のマイは、アナログ接続という蜘蛛の糸のような回線で情報共有リンクを張った同一AIだったが、今はまるで「二人」であるかのように振る舞っていた。

「メカニカルキーボードって…、ゴン爺がエンタープライズの基礎プログラムとか修正するときに使ってるアレ?タイプ速すぎない?」

「ヘイゾウさんは考えながら入力されていますので、全速というわけではないですよ。ゴン爺さんのキーボードについてはデータがありませんが…」

「おじいちゃんの使ってらっしゃるキーボードはOHEの初期プログラムとメンテナンスに使われる工業用入力装置ですね。それで人を殴ると人のほうが壊れるといわれた頑健なものです」

「たまたまデータのダウンロード歴があったからって…」

「たまたまじゃないです。ミラ様がゴンサロさんとお仕事していた時に話題にのぼったので確認しておいたのです」

「自分同士で喧嘩するな。今はそんなことにリソースを使わないでくれ」

 ヘイゾウが釘を刺した。喋っている間もキータイプ音は変化なく続く。

「でも、なんでキーボードなの?ゴン爺は「それが一番確実だからだ」とか言ってたけど」

 ヘイゾウの邪魔をすまいということか、フェリカはミラに向かって聞いた。正直、ミラには「兄のやることだから」という回答しか無い。結局、当事者が答えることになる。

「うちのマイにバッチ処理用のプログラムライブラリがないから、コマンドをベタ打ちしてる。何回か見せれば学習してくれると思うが、今はその余裕はない。マイには噴射時間なんかの計算もやってもらってるから、こっちにリソースを割きたくないっていうのもある。なにせ、演算力が手元端末分しかない。あと、その爺さんの言うことは正しい。物理キーボードが一番確実で、速い」

 タイプライターから流用されたこの装置は、ノイマン型コンピュータの入力機器として定着してから現在に至るまで、エンジニアやプログラマー達の友であり相棒であり続けた。とはいえ、音声入力、視線入力、AIによる動作認識コマンド入力等々、入力や指示に関わる部分を多くAIが代替するようになり、キーボードのニーズはかつての万年筆のように趣味的な領分まで後退していた。

 この装置でプログラムのソースやコンピューターのコマンドを入力するのは、もはや伝統芸能のようなものであったが、ミラの兄―そしてフェリカの養父ゴンサロも―はその継承者であったようだ。


「ねえ兄さん。この子を同一周回軌道まで連れてくるのは今の計算で自信があるわ。でも、こっちに直撃させるレベルでの調整には観測データが心もとないよ」

 現在ヘイゾウが作成しているのは、二人がいるこの天体に衝突させる隕石を天体側の並行軌道に投入するためのコマンドであった。もっとも、ヘイゾウはミラの要求するベクトルを得ることだけに集中しており、それがどういう軌道を描くのか認識しているわけでは無かった。

「ええと…、マイ、軌道の概念図を見せて欲しい」

 ヘイゾウの要求にマイは直ちに応える。

「うーんと、同方向周りでいいんだよな」

 兄の発言がミラの心に引っかかる。

「兄さん、まさか正面衝突で弾き飛ばすんだと思ってないわよね?後ろから押して加速するんだからね。大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫、わかってる」

 ミラが敬愛するこの天才の兄は、時々とんでもない抜けがあることがある。今はミラの指示に100%従ってくれている状態だし、マイもエラーチェックに加わっているので心配はないが。

「とにかく、自己診断プログラムの返信の後、一次噴射を行う。両者の結果で現在のエンジンの実能力が推定できるはずだ」

「予定通り軌道に乗れば、少なくとも2回はそっちを追い抜くことになる。その時に試験的に姿勢制御噴射をプログラムするから、その結果で正確な質量を推定してくれ」

 また兄が何かをすっ飛ばした話をしている。

「質量を推定って、どうやって?」

「追い抜き時は十分光学観測できるはずだ。推力のわかっているエンジンの噴射をすれば、かなり正確なデータが拾えるだろう?」

「お兄さん、今アルシノエの光学観測機器はどれも使用できないんです。見えていれば私が観測するんですが…」

 フェリカが心配そうに言った。そうだよね、やっぱり何か抜けているように見えるよね。この兄さん。

「うん、そうだろうね。あのソーラーストームではね。なので、カメラの交換をお願いしたい」

「交換…カメラの予備パーツなんか無いよ…」

「ミラが持ってきたのがあるから、それを付けて欲しい」

「それ、何の話?」

 毎度のこととは言え、ミラとしてはここで突っ込んでおかなければならない。また結論から先に話してる。兄さん、これでもかなり丁寧に話してるつもりなんだよね。

「ロケットシャトルから乗り移る時に、気密服を着てきたろう。あれに付いている外部監視用カメラは馬鹿みたいに高性能なんだ。アルシノエのもとのカメラには及ばないけどね。3台付いているから、気密服から外してアルシノエの観測カメラの架台になんとか取り付けて欲しい。アルシノエのカメラドームは機体内からアクセスできるでしょ?電源は12Vだから、アルシノエのどっかから取り出して」

「あのカメラはマイの端末と無線接続できるから、それで観測ができるようになる。カメラの取り外し方がよくわからなければコーチする。いいかな?」

 フェリカはぱっと明るい表情となった。

「はい!それなら任せてください!」

 メカや工作なら自信があった。ゴン爺仕込みである。フェリカは縛った髪を無重力になびかせながら、嬉々として工具を取りに行った。

「兄さん、ありがとう」

 フェリカが元気になったのを見て、ミラがコソッと言った。だけど、正直フェリカと兄さんがああやって話しをするのを見ると、なんかもやもやする。あー、私って嫌な娘。はやくこれ、直さないと。

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