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 遥かに高い軌道から移動してきた小天体をカメラが捉えた。現在は、エンジンノズルに光芒は見られず、慣性だけでアルシノエのいる隕石よりも速く火星を周回している。

 フェリカはミラが持ってきていたAR端末を装着してそれを観測していた。気密服から流用のカメラ、即席の追尾プログラム、いつもより低い解像度。赤外線も、レーザーも、磁気センサーも使えない。使えるのは画像解析と、3台のカメラの視差による測定だけ。この条件で、フェリカはこの天体の強度とエンジン噴射時の移動量を推定しなければいけなかった。

「鉄隕石と推定。構造は不明だけど、一体性は極めて高そう。衝突には十分耐えるものと思われる」

 最後の方は、ほぼフェリカの「目利き」である。

「落下用じゃなくて資源用よね。落ちたら派手なクレーターになりそう」

 ミラはカタログの方と、端末にキャストされてくる映像を見比べていた。

「うん。炭素成分の含有がありそう。なんかもったいない」

 OHE乗り達のもう一つの仕事に、小天体からの資源採掘がある。この種の天体からは鉄、ニッケル等が採取できるが、炭素を含む場合、その元素鉱物が採掘できる場合がある。それらは、資源としてもそうだが、ある種の嗜好品としてのニーズがある。

「試験噴射までのカウントダウンを始めます。噴射まで30秒」

 マイが、プログラムされた噴射を予告する。そもそも、あちらの天体側のタイムカウントが正確かどうかもこれで推定できる。

「…3、2、1、第一噴射開始」

 一つのノズルがきらめき、わずかに天体のベクトルが変わる。マイが表示する画像には即席のゲージが切られており、フェリカはその移動量を記録していく。

 第二、第三と、五回までの噴射が行われた後、その天体は二人を追い抜いて火星の夜側に先に入っていった。


「噴射の感じはどうだった?」

「安定してた。多分能率は落ちてない」

 ミラはフェリカの報告に基づいて、マイと共同で目標天体の質量を再計算する。カタログ値との誤差は3%程度。優秀と言える。

「でね、衝突面はやっぱり変えたほうが良さそう。今の面より上側に平坦面が見られるから、ここを前面にしたい」

「ローテーションかぁ」

 ミラはため息をついた。隕石を「回す」のはミラの専門に含まれていない。普段はフェリカが職人芸でやってくれているのを聞いているだけでいい。それを姿勢制御用ノズルへの指令だけでやるのは、理論はわかっていても自信があるわけではなかった。時間があれば、マイとシミュレーションを繰り返せばいいが、今は時間もなく、マイの演算能力も限られている。

「大丈夫、向きを変えるのは意外に少ない噴射回数でできるの」

 フェリカは、AR表示されている天体のノズルを指定して噴射の順番を指定していく。それは理論や思考によるものというより、熟練した技術によるものであった。マイがそのプロセスを逆算して数値化していく。

 ミラはフェリカのその様子を頼もしく見た。フェリカはハセガワ兄妹を信頼しきっていて、元気と積極性を取り戻していた。ミラもフェリカの元気に引っ張られてはいたが、正直、現状を楽観出来ているわけではなかった。

 一つ一つの計算の度に感じるストレスはこれまで経験したことのないものだった。しかし、前世紀のロケットを無線だけで操ってみせる兄、目視だけで隕石の特徴や動かし方を示してみせるパートナー、二人の力を使えるという幸運な環境にあって、自分が折れるわけにはいかない。

 それでも、データを兄に送信する前は不安に襲われたが、少しでもミラが落ち着かない様子を見せると、必ずフェリカが寄ってきてくれた。後ろから抱きしめ、手を握り、頬を寄せ、時にキスをしてくれた。その度に、『絶対フェリカを助ける』の一念で、ミラは作業を続けた。


 ヘイゾウ側のマイが、最後の軌道修正のデータ転送を受けた。回線速度は相変わらず20世紀の電話回線並みだが、軌道データは数字とテキストにすぎないので転送に時間はかからない。そのデータをマイが解析し、必要な推力を得るため各ロケットに噴射時間を割り振っていく。その結果を受け、エンジン駆動のコマンドを組み上げていくのがヘイゾウの仕事だ。

 ヘイゾウは通信では変わらず淡々とした様子を見せていたが、こちら側では極限に近づいていた。アルシノエとは違い、居住環境があるわけではない通信基地内、非常用食料を齧りながらのオペレーションだった。もともとヘイゾウはそんな環境を好んで生活しているところがあるので、精神的にはストレスにはなっていなかったが、体力の方はそうはいっていなかった。

 鬼気迫る目で画面をみつつ、コマンドを構築していく。マイは端末のカメラでその画面とキーボードを見ながら、タイプミスとエラーのチェックを行っていた。ヘイゾウがコマンド送出に使っているこの機械は、現状のネットワーク障害以前からマイの支配下にはない装置だった。

「マスター」

 マイの呼びかけ。この「マスター」という呼び方は、マイとヘイゾウ二人きりの時しか使われることのないものだ。

「妹様の計算の検算を行いました。パーフェクトだと確信します」

「『確信』か。君でも最後は『信じる』しかないということだね」

「申し訳ありません。私は神にはなれません」

「ごめん。皮肉を言ったつもりじゃなかった。僕も、いつも君を信じているよ」

「ありがとうございます、マスター。そのお言葉に甘えまして、最後に一つ、私を信じてはいただけないでしょうか?」

 ヘイゾウは、目を瞑って優しく微笑んだ。瞬間、意識が遠のくのを感じる。限界が近づいているのだろう。意識や精神力をブーストする薬もない状態だ。最後にものをいうのは根性ということになる。

「どうしたんだい。言ってみて」

「どちらにせよ賭けになるのですが、私はメインエンジンは限界に近いと推測しているのです」

「そうか……」


 ヘイゾウは、マイの賭けに乗った。

 最後のコマンドを組み上げ、送出コマンドをタイプし、エンターキーに小指をかける。

「マスター?」

「マイ、僕は生涯でどれくらいこのキーを叩いてきたのかな」

「申し訳ありません。そのご質問には正確にお答えできません。私がマスターを認証してからでよろしければ292182回です。次が292183回目になります」

 ヘイゾウは宙を見つめた。

「僕にとって、エンターは決定と確信の象徴だ。なのに、今このキーを押すことを僕は恐れている。だけど、押さなければミラは確実に死んでしまう」

 マイが今アバターを使っていたら、どれほどに切ない表情を見せたことだろうか。しかし、今マイは任務に全能力を投入するため、そういった機能はすべて切っていた。

「申し訳ございません。私の機能が不足しているがために、不確定な要素のあるオペレーションをマスターに強いてしまいました。せめて、その機械が私の制御下にあれば、私が責任をもってコマンドを送出いたしますのに、まるでマスターにすべての責任があるかのようになってしまって」

 ヘイゾウは大きく息を吐き、姿の見えないマイに笑顔を向けた。

「僕は、ミラも、フェリカさんも、そしてマイも信じてる。自分自身だって、信じてなければここまでやれていない。でも、これは恐れだ。エンジンの状態について未知の要素があるということに対する恐れ。ミラを失ってしまうかもしれないという恐れ。その責めに自分が耐えられないという恐れ。それは闇を恐れる心理と同じだ。根拠はない。見えないから悪い方に考える」

「マイの提案を受け入れたからと言って、マイに責任があることにはならない。決めたのは僕だ。今言ったことはすべて僕にとっての恐怖だけど、妹を救うために恐怖に身を投じるのは、兄たるものの当然の責務だ」

「はい」

「僕はあまり神に祈らないが、火星の神は男性神だ。女性二人を守ってくれることを信じよう」

 ヘイゾウはエンターキーから小指を離し、人差し指に置き換えた。そして、ヘイゾウとマイ二人、唱和するように祈りの言葉をつぶやいた。

「軍神、マルスのご加護がありますように」

 ヘイゾウは292183回目のエンターキーを叩いた。


 賽は投げられた。

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