5

「軸固定用ブースター、アンカー確認。試験噴射クリア」

フェリカの仕事ぶりを耳に入れながらも、ミラはすこし上の空だった。

 マイに突っ込まれたことも気になる。フェリカの言動も気になる。あれも気になる、これも気になる。結局、フェリカにとってのミラってどうなの?というのが一番気になる。

もともと、フェリカに知識を授けようとか、それで文化論を戦わせようとか思っていたわけじゃない。まず共通の話題が欲しかった。そのためには同じものを読んだり見たりして、その感想や好き嫌いをぶつけ合うのが一番だと思っただけだ。

 少しはそんな会話もできるようになってきたけど、依然としてフェリカは「〇〇を読んだ」とは教えてくれないし(会話内容から丸わかりのことも多いけど)、彼女が私に求めるのは知識とお仕事だ。何度言っても呼びかけは「先生」のままだし、実際、彼女の教師をやっているような錯覚に陥ることもある。違うのよフェリカ、私はあなたの先生になりたいわけじゃない。もっとこう…同等というか、親密というか…。

「ローテーション開始。噴射3秒。12秒後制動噴射」

 フェリカは小天体を都合の良い向きに回転させる作業に入っていた。ベテランのシューターには黙々と作業してしまう人もいたが、フェリカはコールを怠らない。基本に忠実な質のようだ。

 予定通りの噴射。打ち込んだ小型ロケットと協働して姿勢を制御し、制動をかける。

「先生」

 ミラははっとなった。ちゃんと聞いてた、ちゃんと聞いてたけど、やっぱりちょっと意識が別の処へ行っていた。

「何?フェリカ?」

「ローテーション作業だけど、ちょっと違和感がある」

「違和感?何?」

「根拠はないんだけど、少し制動終了までが遅かったような」

 何だろう?それだけではあまりにも情報不足だ。あっても誤差にとどまるとは思うが。いや、適当はいけない。フェリカが望むパートナーは仕事のできる人だ。彼女の要求基準はきっと厳しい。ちゃんとしないと。

「マイ。確認して」

「ローテーションは予定通り完了しています。ただ、制動完了まで計算より0.2秒ほど長く噴射を行いました」

「なんで?」

「初期噴射か制動噴射の出力が不安定だった可能性があります」

 ローテションはとくにシューターの職人芸と言える。ミラにはよくわからなかった。アルシノエの不調ということは有り得るが、それならばフェリカがそう気づくだろうとミラは思っていた。アルシノエに対するフェリカの信頼、そして僅かな動作不良も見逃さないほどの人機一体ぶりはミラもよく理解していた。

「ちょっとだけ待って」

 ミラは該当天体の情報と、自分自身の計算結果を目の前に展開した。今の所、軌道も降下率も予定通りだ。

「マイ、検算して」

「すでに終了しています。誤差率は0.03以下です」

 それは事実上エラーなしと見ていい数字だ。

「でも、フェリカがそう言うなら何か…」

 さらに疑いの目でデータを見返すが、特に問題は見つけられない。

「計測し直……か?」

 フェリカの提案だったが、音が途中抜ける。この大事な時にと思ったが、ここのところ、通信にこれが目立つ。

「マイ?」

「衛星リンクのレベルは取れているのですが、突発的に閾値以下になるようです。全火星的状況です」

 それではマイに文句を言っても仕方ない。すでに天体の高度は下がっているし、質量の再計測を行うと最低でももう一周火星を周回することになる。それでは、若干ではあるがフェリカとアルシノエに危険が生じる。

「再計測は危ないからやめて。フェリカの直感はすごく信頼してる。でも、もう落下決心高度だから、予定どおり最終修正をしよう」

「これ……い危ないうちに入んないよ。先生は心配性だ。でも、先生の言……とを聞くよ」

 ああ、もう気に入らない。あとで兄さんに文句のメッセージを送りつけよう。

 ミラの兄は局で火星圏の通信システムの開発、管理の仕事もしている。もっとも、ミラはその具体的な仕事内容はほとんど知らないのだが。


 フェリカは予定通り天体落下への最終噴射を行う。彼女はその軌道修正中も、ほんの僅かの違和感を覚えていた。なにか、手順を誤ったことはなかったか?数字読みに間違いはなかったか?心の中で自己チェックをしても、なにもエラーは見いだせない。そして天体は予定の軌道に入る。


 ミラはローバーを出て、いつもどおり落着地点を遠目に観測できる位置に陣取った。いつもと変わらない行動だ。現在の火星に曇りはほとんどなく、以前に比べて砂嵐はかなり減っていたので、流星となる天体が見えないということはまず無い。

 例によって、ここまでくればもうあとは見ているしかない。マイが各種観測から導かれる落着予想をしてくれる。

「落着まで8分。想定中心048-81Km。推定誤差範囲32Km」

 ミラは耳を疑った。これまで聞いたこともないスケールの予想だ。想定中心が81Kmずれているのに、落着推定円の半径は32kmということは、もう見当違いのところにしか落ちないということを意味する。

「嘘でしょ?メートルじゃなくて?」

 言うには言ったが、メートルでは精度が高すぎる。それはあり得ない。

「現状、観測機器からのデータは欠落が多く、精度は低いものです。現在再計算中です」

 マイは指示を待たず再計算をしてくれているが、経験上マイの予想が大きく外れたことはない。

「180秒。想定中心052-78.3Km。推定誤差範囲3.8Km」

 空を流星が滑る。もう、設定した地域に落ちないのは避けようがない。ミラは強い動悸を感じ、めまいすら覚えた。

「30、29、28,27…」

 マイ、そのカウントダウンを止めて。それで時間が止まるなら。

 星は遅れてくる轟音を伴って流れ落ちた。ミラの眼前で、それはまったく想定していなかった高台を穿ち、巨大な土煙の壁を巻き上げていった。

「落着を確認。正確な位置は計測中」

 マイの報告はほとんど耳に入らない。あの高台にはわずかだけど自生の苔類がいたはず…そもそも、何故…なぜ?

 ミラの視界がじわっと滲んだ。失敗した。何かを間違えた。

「ミラ、想定より落着地点が近くなっています。ローバーに退避してください」

 マイの声に焦りが加わっている。AIが焦っているわけではなく、ユーザーに危機感を持ってもらうためにそのような演出を加えていると説明されているが、特にマイのは真に迫っていた。

 ミラはよたよたとローバーに向かう。途中、顔に手をやるが、簡易マスクが邪魔で目をぬぐうことはできなかった。


 ローバーに転げ込んだミラは、装備を外し、そこらに投げ捨てるとオペレーションルームには向かわず、寝室のベッドに倒れ込んだ。枕を抱え、顔を埋め、一人全身を駆け巡る不快な感触に耐えていた。

 落着点に近い分、通信不良は長く続くだろう。フェリカからコールが来るまでに立ち直れるだろうか。フェリカと話す言葉を見つけれられるだろうか。フェリカはちゃんと仕事をしたのに。フェリカは警告してくれたのに。フェリカは完全な仕事をするパートナーを求めていたのに。

「ミラ、フェリカさんからコールですよ?どうしますか」

 マイの言葉は最大限の配慮に満ちたトーンになっていたが、それでもミラは全身を強張らせた。こんなことは8歳だかの時以来だ。確か、兄が作っていた、なんだかわからない機械を壊してしまったんだ。怒られる、よりも、兄さんに嫌われてしまう、その恐怖でパニックになった。確かあの時は―。

 手近なタオルを顔に当て、のろのろとベッドの上に座り込んだ体勢を作る。

「フェリカ」

 その声は、自分でも信じられないほど震えていた。

「驚いた。先生、無事なんだな。派手に外したみたいだ。やっぱりなんかおかしかったんだな」

 フェリカの声はいつもとそう変わったものではなかったが、最後の言葉がミラの心に突き刺さった。

「ごめん…。ごめんなさいフェリカ。失敗してしまって」

「え?いや、こっちになにかあったかも…」

「こんなに外しちゃったら、一度ルナエに報告に戻らなきゃ…。報告書も書かなきゃいけないから、一度切るね。また…、また連絡するから…」

「は?だからさ!先生ちょっと!」

「ミラ?!それは!いけない!」

 マイが本当にAI離れした声をかけたが、ミラは通信機のスイッチを切り、二人のリンクは切断された。

 ミラは火星の裏側で一人になった。

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