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 ゴン爺、もしくはおじいちゃんこと、ゴンサロ・マリン・アルヴァレスは軌道ステーションのOHE無重力ハンガーにいた。ミラを最後のパートナーとし、シューターは引退したが、OHEのメンテナンス補助、後輩たちの指導などまだ彼はステーションに必要とされていた。

 彼は第二世代の火星移民で、第一世代の苦闘もおぼろげながら知っていたし、彼自身「アナログ世代」を自認していた。「アナログ」とは、マイがなんでも管理してくれる現代との対比からくる比喩だ。マイの設置自体は第一世代中に行われたが、彼の移民当時はその管理はルナエシティにしか及ばず、彼らの仕事は従来型コンピュータとマニュアル操作に依存していた。

 今、彼の目の前にあるOHEは現役時代の愛機「エンタープライズ」だ。第1.5世代OHEと定義されていて、改修によりマイの管理も入ってはいるが、ほとんどの作業をマニュアルでも行える大骨董品である。彼の趣味は、この骨董品を実稼働状態にし続けることだ。その点、無重力ハンガーはいい。老いぼれても大型の機械やバッテリーでも一人で扱える。

 今ではOHEのメンテナンスは専門のエンジニアがやるのが普通であるが、ゴンサロがこの道に入った時はエンジニアの絶対数が不足していた。そのため、シューター達は悪戦苦闘しながら自分たちの愛機を保守し、任務に当たっていた。ゴンサロにとっては、自分の愛機をいじれるのは当然のことだった。

 彼がこのエンタープライズを維持し続けるため、この名前が継承されなくなっているのは若者たちのちょっとした不満であった。これをスクラップにすれば、新造のOHEに「エンタープライズA」の名をつけられる。この名前はなぜかシューターたちの羨望の的だった。

 もちろん、OHEは途方もなく高額な機器であり、使えるものはそう廃棄はされない。ゴンサロは今でもこれで若者たちの教習を手伝っていたし、彼にはこれを手放さないというわがままを言えるくらいの功績はあったのだ。

 採掘用アームドリルの調整を終えたゴンサロは、オペレーションコンソールからテストをしようとエンタープライズに乗り込み、その時点でようやく通信機が激しいコールを発していることに気づいた。どうしてOHE側に通信なんだと思ったが、コンソールの上に自分の個人情報端末が置きっぱなしになっているのを見て合点した。

 チャンネルを開くと、聞き慣れた女性の声がいきなり彼を詰ってくる。

「どうして!どうしてすぐ出ないのゴン爺!ねえ!」

あー、これは何かあったぞ。ここのところえらく落ち着いてたんだがなあ。

「すまんすまん。外でアームをいじってたんだ。とにかく落ち着けフェリカ。何だ、事故ったか?無事か?」

「シュートに失敗した!ねえ!どうしたらいいのゴン爺!教えて!すぐ!」

 ここのところ完璧に近い仕事をしてたとはいえ、一回の失敗でここまでさわぐこたぁないだろう。流石になにかおかしい。何だ、一体?

「落ち着け。とにかく落ち着け。軌道上ではどんなしくじりをしてもまず深呼吸して冷静になれと何度も教えたろう」

 ゴンサロはフェリカの実質的な養父であり、彼女の仕事上の師匠でもあった。彼女の父と兄も彼の弟子のようなものであった。

「だって、だって先生が!ねえ、どうしたらいいのさ!」

「先生ってミラ嬢ちゃんのことか?まさかぶつけちまったんじゃ」

「違うよ!違うけど!」

 流石のゴンサロも一瞬うろたえたが、まずは一安心。いや、しかしこれは…。

「もしかして嬢ちゃんともケンカしちまったのか?お前また…」

 ゴンサロとしては、フェリカにミラを付けたのは乾坤一擲の思いだった。仕事は抜群にできるのに、どの先生とも衝突してしまうフェリカは悩みの種だった。ミラと仕事をして、この嬢ちゃんならとおもったからこそ、確実にミラをフェリカに譲るためにまだやれると思いながら引退まで早めたのだ。

 思ったとおり、ミラはうまくやってくれているようだった。こんなにパートナーが続くのも、なかなかステーションに戻ってこないのも初めてのことだった。ミラとどんなやり取りをしているのかはまったく教えてくれなかったが、まあ女性同士の話に首を突っ込むほど愚かでもない。いや、しかしこの感じでは聞いておくべきだったか。

「ケンカしてないよ!一緒に仕事したいって伝えた!なのに通信切られちゃって…」

「あの嬢ちゃんに?フェリカお前一体何言ったんだ。よく思い出してすぐ謝れ。せっかくいい感じで…」

「シュートに失敗したからかな。火星行くの嫌だって断っちゃったからかな」

「断ったってお前、嬢ちゃんから誘われてたのか?」

「うん…ローバーでマルス2号見に行こうって…」

 ローバーで?マルス2号?部外者を乗せて火星の裏側まで行く許可を取るのは相当大変なはずだ。嬢ちゃんは兄貴が偉いからそこに頼むのかも知れないが、それにしたって相当の好意だ。

「行きゃ良かったじゃないか。お前のその火星嫌いは本当に」

「行きたかった!行きたかったけど…先生に知られたらきっと嫌われる。軌道にいれば、そういうこと気にしないでずっと仕事も話もできると思ったから…」

 ああ、くそ!この件に関しては本当にステーションの若造共を一発ずつ殴って歩きたい。それは間違ってるんだ。

「それとも、婚約者いる?なんて聞いたのがいけなかったのかな」

 なんだって?

「先生は可愛い人だし、お嬢様だからそういう人もいるかもって。でもお付き合いしてる人もいないって」

 嬢ちゃんが可愛いのは確かだが、なんでそんな話になる?なにか、雲行きが怪しくないか?


 不公平なことだが、フェリカはミラの顔を知っていた。開発局の年鑑に写真が載っているからだ。一方、ミラはフェリカの容貌をまったく知らなかった。

「先生と仕事できなくなったらどうしよう。イライラしたらコールすればいつでも話ししてくれたのに。ねえ、どうしたらいいの」

 これは―。

 ゴンサロは、地球にいた時は学業でも相当目立った存在だったが、それよりプレイボーイとしての方が有名だった。それで手痛い目にあって火星移民に応募したのだ。そういうわけで、こういう感情の機微にまるで鈍感なわけではない。そんなことに縁がなくなってずいぶん経つが、その感性は失われてはいない。

「先生と話できなくなったらどうしよう。そのこと考えたらイライラして、もうどうしたらいいかわからない。ねえ、どうしよう」

 まったく感情がコントロールできていない。フェリカ、それはイライラとは違うんだよ。それにしても、これはえらいことになっている。


「とにかく戻ってこい。ちゃんと話を聞かないとまったくわからん。オートパイロットだぞ。そんな状態じゃどこで事故るかわからん。マイ、帰還シークエンス、フルオートにしろ。フェリカのコントロールは受け付けるな」

「了解しました」

 こういう操船にはマイは滅法強い。心配ないだろう。それよりフェリカだ。一体どうしたらいいものか。


 ゴンサロは相当に保守的な人間だったが、フェリカの幸せのためならどのような価値観も受け入れるつもりはあった。もっとも、フェリカが連れてくる男がロクデナシだったら衛星軌道に放り出す準備もできていたが。

 だが、こんなことをどうアドバイスすべきなのかは皆目見当がつかない。ステーションにはそういうことを相談できるような女性はほとんどいなかった。一番相談相手に向きそうに思えるミラは明らかに一方の当事者だ。

 携帯端末にはミラの個人連絡先も入っている。パートナー解消の時に教えてくれたものだ。ゴンサロはそれをじっと見た。いや、ダメだ。絶対に俺が立ち入ったらいかんやつだ。大体、下手に連絡をしてみて事態を悪化させたら生涯フェリカに恨まれる。いや、俺が恨まれるのはいいとして、フェリカが幸せを逃したらどうする。

 この瞬間も、フェリカにミラを紹介したことに後悔はまったくなかった。むしろ、フェリカの心をこの短期間でここまで溶かしたミラを見出したことに誇りすら感じた。だが、嬢ちゃんの方はどうなのか?自分の気持も理解できていないフェリカにそんなことを考えてる余地があるわけがない。

 

 彼女が帰ってきたらどう話したらいいんだ。思い悩んだが、一方で、若き日のあの熱情がよみがえるような気もした。結局、それには自分で気が付かなければいけない。自分のとは、心情も、性別も違う。それでも経験豊富だった老人にはほの明るく見えていた。それは友情や尊敬よりもっと深く激しいもの。フェリカ、その気持ちは恋というんだ。それが一瞬の花火で終わるか、それとも永久に咲く花となるかは二人が決めるんだよ。

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