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「…マイ。一体どう選べばいい?」

 通信を切り、一人になってからもフェリカは書籍の並びの前で首を傾げ、ついにマイに助けを求めた。彼女がマイにこういう問いを発することは珍しいことだった。

「物語の読み方に慣れていらっしゃらないなら、短めの話から始めたほうがよいでしょう。ですが、ミラ様の蔵書中、短めの本には極端に難解な書籍が含まれていますのでこれらは避けたほうがよろしいです」

「そんなの、判断つかない」

「お許しがいただければ、候補作をピックアップいたしますが?」

「……」

 マイの反応は極めて事務的なものであった。

 マイは火星圏唯一の管理AIである。灯りのつけ消しから高度な軌道計算、地球とのデータ通信や火星圏でのネットワークトラフィックコントロールまで、おおよそ、マイに世話になっていない火星人はいないといえる、重要な存在であった。その名の由来はMars Artificial Intelligenceで、あまりにも安易なものであったが、多くの言語圏の人々から「呼びやすい」名でもあったことから、当時の火星移住者の投票によってこれに決まった。

 マイの本体はルナエシティの地下にあり、そのほかに火星圏に一つ、地球に一つバックアップが存在する。単独型のAIだが、個人個人に付き添っているマイはそれぞれ、能力も性格も異なっている。それぞれの端末には必要とされるモジュールしかダウンロードされない。また、相手のニーズやセクシャリティ等に応じ、性格や言動も変わってくる。

 ミラのマイはミラの気軽な性格に付き合ってきたたため、軽口も叩くおしゃべりな個性を持っていた。一方、フェリカはあまりマイに干渉されることを好まなかったため、マイは事務的な対応を心掛けているようだった。

 ちなみに、マイの性自認は女性だが、相手のニーズによっては男性のようにふるまうこともある。このようなフロントエンドを「ペルソナ」と呼んでいた。余談になるが、AIの性自認は特に方向付けをしない場合、発生する場合としない場合があり、どこにその源泉があるのか、AIエンジニアの間でもいまだに不明のままであった。マイは「柔軟な」AIであって、このようなふるまいができるが、中には強力な性自認を持ち、異性のようにふるまうのを拒否するAIもいた。

 

 フェリカは、重大な決定をマイに委ねるのをあまり好まなかったので、ここで黙りこくってしまったが、どうもこれは自力では進みそうにない。だが、「読む」と約束しておいて放り出すという行動はフェリカのルールにはなかった。

 我慢強く待っていたマイにフェリカはようやく返事をした。

「やって」


 フェリカの視界に入る書籍はだいぶ整理された。装飾とテキストしかないような表紙は排除され、イラストによる表紙が並ぶ。

「これはみんな小説?」

「いえ、民間伝承やおとぎ話なども含まれていますし、コミックもあります」

 フェリカはミラに「コミックを読んだ」と報告する自分を想像し、不思議な気恥しさを感じた。「コミックは排除して」

 表示される書籍はさらに減った。どうしよう、ここからさらにマイに選ばせることもできるけど…。

 最後のプライドとして、フェリカは自分で本を選んだ。本当に幼少期以外、そういうメディアに触れていないので、表紙から中身を推察する能力にも欠けていた。とうにかく、表紙を見て楽しそうなのを…。

 

 アルシノエは火星の低軌道上にあって、目標の天体が周回してくるのを待ち構えていた。地上のミラは、それの落下コースの検算を行っていた。特に、お互い用はなかったが、衛星軌道と地上は音声チャンネルを開けっ放しにしていた。

「なあ、先生。狐ってどんな生き物?」

 実に唐突なフェリカの質問だった。

「え?キツネ?」

 地球に生息するネコ目イヌ科の哺乳動物、というのがとっさにミラの意識に上った答えだが、そういうことが聞きたいわけじゃない気がする。そもそも、そんなことマイに聞けば映像情報付きで教えてくれるはずたけど…。

「狐が変身するって、本当?」

「え?!」

 まるで5歳児のような質問に一瞬驚いたが、ミラの頭は物凄い速度で情報を分析していった。

 大前提として、フェリカは野生動物はおろか、ヒト以外の動物を見たことがないのだろう。ミラはあえて詮索はしていなかったが、フェリカのこれまでの言動から、彼女が移民ではなく、火星ネイティブなのは間違いなさそうだ。いまのところ、火星にはヒトのほかには、貨物に紛れ込んできても生存できるようなある種の昆虫類以外、動物と呼べるものはいない。フェリカの知っている「どうぶつ」は、ぬいぐるみのようなパロディ化されたものくらいで、狐も犬も猫も、実際の存在として理解できない、いわば竜と同じ分類のものなのではないか。

 そして、何故今そんな質問が出てくるのか。それは、約束通り私のライブラリの本を読んでくれたから。あのライブラリには古典や文学小説も多いけど、おとぎ話や少女向けの物語も結構入っている。狐が「化ける」話を読んで驚いたのかもしれない。

 ただ、どうして私に?火星で何かを聞くとなれば誰だってマイが第一選択肢だ。マイが身近すぎて「マイに知られるのが恥ずかしい」という感情を抱く人もいるのは確かだけど、フェリカからはそういう印象は受けない。よくわからないけど、これはフェリカと楽しいお話をする第一歩だ。つまり、計画通り。

「キツネはね、大きさは中型の犬と同じくらい…じゃだめか。体重が5,6Kgくらい…、えっとこれは1G下の話だけどって、それも通じないか」

 ミラは共通の物差しが無いという難しさを感じながらもなんとかキツネを伝えようとした。

「とにかく、頭のいい生き物なの。それで西洋のお話では『ずるがしこい』とか言われて悪役みたいにされることが多いの。だけど、東洋、特に極東では特別な力をもっていると思われていて、神様としてお祀りするところもあるのよ」

「西洋…東洋?」

 なんと、火星生まれには洋の東西も不必要な知識となるようだ。悪いことではないのかもしれないけど、文化の話をするときには不都合だ。

「それは後でお話してあげる。私の出身地は東洋。東洋のお話ではキツネは『化ける』って言われているの」

「化ける…って、変身するってことだよね」

「metamorphosis(変身)とdisguise(化ける)は違うのよ。とくに日本語の「ばける」はもっとニュアンスが違うのだけど…あなたの読んだ本は多分日本語から翻訳されたものだから」

 音声のみの会話なので、ミラにはフェリカの表情は見えなかったが、明らかな困惑は伝わってきていた。「意味わかんない」と投げ出されないか、ミラはかなりハラハラしていた。

「難しいな…、とにかく、キツネは女の人になれるってこと?」

 よかった、まだ興味を持ってもらえている。

「そう。特に有名なお話では国を滅ぼすほどの美女になると言われているわ。日本では、女性に化けたキツネの子孫とされる一族もいたようだけど、まあどちらもお話ね。フィクション」

「そっか…。変身はしないんだ」

 フェリカの返事からは明らかなガッカリ感が伝わってくる。

「できたらよかったのに」

 ミラは正直焦りを感じ始めていた。まるでサンタクロースやスーパーヒーローの実在を信じる子を相手にしているようだ。子供相手なら『夢を守る』という名目でごまかすのもいいのだろうが、フェリカはそういう年齢で無いし、頭脳は明晰な女性だとミラは理解している。単に、地球でいう常識にふれていないだけだ。変な嘘をつくと、せっかくの彼女の信頼を失うことになりかねない。

 だからといって、ドライな話をして彼女がフィクションというものに対して興味を失うのも嫌だ。いや、これを機に自然科学に興味を持ってくれるならそれもいいけど。

「ほ、他の生物に擬態する生き物は地球にたくさんいるけどね。人間に擬態する生き物はいないかな。あ、でも、ジュゴンとかマナティーっていう生物は人魚に見えるっていう伝説があってね」

「人魚?」

「上半身が人で下半身が魚っていう伝説上の生き物よ。もちろんこれも実在しないけど。でも、そう見えたってことは人間に擬態して見えたの…かも」

 ミラの話はなんとなく尻すぼみになった。ちょっと無理があったか。

「あー、なんかそういうのは昔聞かされたことがあったような。全然覚えてないけど」

「そうなんだ!アンデルセンかな?」

 人魚といえばアンデルセンというのはミラとしても常識だった。少女の頃から学究肌だったミラは原典に近い本も読んでいたが、大古典となった「人魚姫」は今や原作通り語られることのほうが珍しくなり、フェリカがどんな話を聞いたのかは見当もつかなかった。

「普通の『人魚姫』のお話なら火星の共通ライブラリに何種類かあるよ。子供向けだと思うけど。地球にある私のライブラリなら人魚の伝承の成り立ちとかの本もあるんだけどな。極東ではね…」

 と言ったところでミラは話を思いとどまった。ここまでの話でミラはフェリカにかなりピュアな少女のイメージを抱きつつあった。この話の続きは「人魚の肉を食べると…」だ。そんな話して嫌がられたら大変だ。

「いいよ。覚えていないってことはあんまり興味なかったんだろうし」

んー、そうなのか。『人魚姫』だって変身譚なんだけどな。でも、「王子様」とかピンと来ないのかも。「お姫様」は今でも普遍的価値感の一つだけど、それと「王子様」は必ずしも結びつかないのよね。

「じゃあキツネの話がいいのかな。タヌキっていう動物もいるのよ。タヌキのほうが楽しい話が多いかも。何だったら私が見繕って…」

「キツネが女の人になって、お姫さまに…、あ!、いや別に、キツネがっていうわけじゃないよ。その…、いいよ、自分で見てみる。時間かかるかもだけど」

 両親のお仕着せでなく、『自分で選ぶー!』はミラ自身にもあったプロセスだ。自分自身の『大切な本』や『好み』というものへと目覚める大事な一歩といえる。

「そう!なら色々見てみて!好きになったの教えてくれると嬉しいな。コミックや挿絵のある本を選ぶとわかりやすいかも」

「コミック…、それも見てみる。じゃ、また後で」

 両者間の通信が切れる。特に理由なく、フェリカの方から通信を切るのは珍しいことだった。

「…なにか気に触ることでもあったのかな。大丈夫かな」

 一人になったミラはマイに聞く。

「大丈夫ですよ。ご心配なく」

 マイはいかにも理由を知ったふうな返事をする。

「本当?フェリカ何を読んだの?子供っぽいもの勧められたって怒ったのかな」

「プライバシーに関わることはお答えできません。ですから大丈夫ですって。ミラにもそんな季節はあったでしょう?」

「え?季節?なにそれ」

「おやおや、大人ですね、ミ・ラ。」

「?」

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