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ミラが猛然たる勢いで手持ちのデータをマイの端末に入力していく。軌道要素、対象天体の質量形状、火星の大気状態等多くのパラメーターを扱うこの計算を行うとき、通常であればミラは多くの画面を展開して取り組むが、現在、ミラの手元にはマイのスレート型とウェアブルの端末しか無い。そのため、ミラはARディスプレイを展開して表示を補完しながらデータを組上げていた。
フェリカはそれを後ろから尊敬のまなざしで覗いていた。フェリカのAR端末はソーラーストームの直撃を受けた時より機能しておらず、ミラの計算すべてを見ることはできていなかった。
「ねえ、普段マイが軌道計算するときは一瞬で終わるよね。それでも先生が同パラメーターを使って計算するってことは、やっぱり先生の計算の方が精度が高いってことだよね」
フェリカも軌道力学は学んでいる。シューターには必須の学問で、ミラの見るところフェリカの数学センスはかなり高い。だが、実際の計算をするときはマイに任せっきりで、それで不都合があったこともない。そのような高度な計算能力を有するマイと並行して計算を行うミラを尊敬しながらも、その意義はよく理解できていなかった。
「フェリカさんが質問をしてくださるなんて珍しいことです。フェリカさんが必要とする計算の場合、普段でしたら3秒以内に結果をお返ししていますね。ですが、現在私はこの端末の演算能力しか使えませんので非常に時間がかかっています。二人で計算をする理由は相互チェックという意味もありますが、不本意ながら私の計算よりミラの計算の方が精度が出るのは事実です」
「私の計算は、どの地点の半径何キロ以内に、何パーセントの確率で落ちるというような確率計算や、例外がないと考えられる宇宙空間での軌道計算などでは圧倒的に優位です。ですので、フェリカさんの御用にお応えする場合、私の計算の確度は99.9パーセントを超えています」
「ですが、普段お二人がこなしている任務のような、大気の影響を受けるような状況で『ここにピンポイントで落としたい』というような場合、何故かミラの計算の方が優位となります」
「現在も、ミラは太陽風の影響を受けた火星大気の影響を計算に入れ、この天体の軌道を計算しています。私も当然そのように計算しますが、このような場合、私の計算結果は非常に振り幅が大きくなってしまうのです」
「ミラの計算は、このような振り幅を収束させることができます。まあ、精度の幅はありますが、ミラ以外の先生方の計算でも同様です。そのパラメーターが何であるのか、私はミラだけでなく、多くの先生に質問していますが、合理的な回答をいただけたことはありません」
やっぱり、先生は凄いんだ。フェリカは非常に誇らしい気持ちを抱いてミラを見た。ミラはARで空中にあるのであろうディスプレイとキーボードを操作しているようだったが、その視線に気づいたのか、それとも計算の切りが良くなったのか、一瞬手を緩めた。
「それは、『勘』と呼ばれるものよ。フェリカ、貴女だっていつも使っているじゃない」
ミラの言葉に、フェリカははっとなった。「最後に信じるのは自分の勘だ」と繰り返し教えてくれたのはゴン爺だった。ちょっとした角度、わずかなひと押し。それこそが「勘」から発するものだ。
「貴女の「勘」を誰よりも信じているのは私よ。これまでも、これからもよ」
「せ、先生のも信じています。きっと一番に」
フェリカはまた顔を紅潮させながら返事をした。
「やはり、不合理な返事です。人間は、不合理で、とても素晴らしい」
マイは、不合理な動作をしていた。「ひとりごと」は、AIにとって実に不合理であった。
「ねえフェリカ。私からも一つ聞いていい?」
「え?何を?」
「フェリカ、雰囲気っていうか、お話の仕方、変わった?」
「えっ!?あ!」
フェリカは思わず自らの口をおさえた。彼女はかなりの時間逡巡した後話し始めた。
「普段の話し方は、ステーションの仲間向けっていうか、男たちに舐められないためっていうかそんな感じなの。ゴン爺にはやめろって言われてるんだけど、結構くせになっちゃってて」
「ステーションって男ばっかりだからそういう感じのほうが仲間に入りやすいし、女だからってちやほやされるタイプでもないし、自分の性分にも合わないし。ああ、どうしてだろう。先生に会ったらそういうの忘れちゃってた…」
フェリカはひどく恥ずかしそうだった。そんなフェリカを見て、ミラは自分でも説明のつかない本能の疼きのようなものを感じた。ともかく、ステーションの男たちはみんな馬鹿なのだということだけは確信を得た。
「そう。どっちのフェリカもとても素敵よ。じゃあ、今のフェリカは私向けなのかな」
えっ!とフェリカは顔を上げてミラを見る。ミラは別に気取った様子もなく、至って自然体で話をしていた。
「そんな、先生みたいな上品な女性相手にこんな話し方恥ずかしい…」
「そう言われると、私の方も結構恥ずかしいな。フェリカの話しやすいようにしてくれればいいの。本当、どっちだってフェリカは魅力的なんだから」
ミラはそう言った後、ディスプレイの計算結果に目を落とした。努めて表情を硬くしないように…。
「フェリカ。ブースターはどれくらい使えるの?」
「アルシノエのブースターも、外部の補助ブースターも燃料は十分あるはずなんだけど反応が無いの。多分、指令をエンコードしたりデコードしたりするチップが破損しちゃってる。だから通常の通信も全然出来ないし」
「作業用アームは?」
「モーター駆動のものは全部ダメ。補助的に油圧を使っているところだけは動くんだけど、この状況では実用にならない」
「……」
「先生ごめんなさい。私だってそれくらいわかってる。落ちちゃうんだよね、このまま。だから、先生には来てほしくなかった」
「そんなこと言わないで。フェリカに来てほしくないなんて言われたら傷ついちゃう。でも、それだけじゃないの」
「え?」
「この軌道だと、私達はルナエ高原に落ちてしまう」
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